2021年5月28日金曜日

「イスラエルのパレスチナ人虐殺」と「歴史の大嘘」について

今日は、私が尊敬するお二人の市民活動家の御論考を、ご本人からの許可をいただいて、ここに紹介させていただきます。

 

一つ目は、札幌にお住まいの松元保昭さんが、イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの無差別攻撃に抗議するデモを今月22日に札幌市中心部で行われたことのご報告に合わせて執筆されたものです。イスラエルによるパレスチナ民族差別を、日本政府による沖縄民衆、アイヌ民族や朝鮮民族の差別と重ね合わせながら鋭く批判されています。歴史家としての私自身の関心は、ホロコーストという大虐殺の被害を受けた民族が、なぜゆえにパレスチナ人を5〜6年毎に虐殺する蛮行を平気で犯すことができるのか、という疑問にあります。この疑問に対する私自身の考えは、別の機会に述べさせていただきます。

 

二つ目は、ベルリン在住の梶村太一郎さんが、日本の国家主義や天皇イデオロギーを、ナチスドイツのゲルマン民族至上主義とそれと表裏一体の反ユダヤ主義とを比較しながら、人種差別という普遍的な問題について考えることを私たちに問いかけておられます。ひじょうに興味深いことに、今、ドイツではこの「人種」という概念が非科学的で差別的な用語であり、それゆえ憲法からもこの用語を削除すべきだという主張をめぐって議論が起きているとのこと。差別に敏感なドイツらしい、ひじょうにユニークな議論だと思います。

 

《札幌からデモの報告とアピール》

ナクバを生き続けるパレスチナ人―イスラエル抗議とメディアへの訴え

                                         2021522

パレスチナ連帯・札幌:松元保昭

 

今回の発端は、東エルサレムのシェイク・ジャッラーフ48家族立ち退き命令、イスラエル右翼のヘイトスピーチ、抗議に連帯したダマスカス・ゲート数百人を襲ったイスラエル治安部隊の暴力、ハラム・アッシャリーフのアルアクサ・モスク内での治安部隊の銃撃、という一連の抵抗運動への弾圧・懲罰に対して、10日のエルサレム・デイ(1967年に占領したイスラエルが名付けたエルサレムの日)にハマースがロケット弾を発射したことに始まりました。

 

21日早朝の「停戦合意」なるもので11日間の「戦闘」は終了しましたが、はたして「終わった」のでしょうか?

 

73年前の1948年、ユダヤ極右シオニスト組織が虐殺・強姦・家屋破壊などの見せしめと脅迫で80万人ものパレスチナ人を追放し難民にした(ナクバ)。その後、人口31%のユダヤ人が6割もの土地を奪い、イスラエル国家を「建設」したシオニストたちは2年後不在者財産法をつくって「帰還権」を与え追放されたパレスチナ人の土地や家屋を欧米からのユダヤ人に売却した。ところが追放され逃れたパレスチナ人には「帰還権」は今もない(国連決議194の不履行)。今回のシェイク・ジャッラーフの家族も現イスラエル領のハイファやヤーファから逃れてきた人々だ。たとえ自分の土地であっても、宗教的・考古学的「理由」をもちだして最高裁でもパレスチナ人の訴えは退けられる。抵抗すると今回のような懲罰=空爆・虐殺が繰り返される。だから、パレスチナ人はいまもナクバ(大破局)という民族浄化を生き続けていることになる

 

イスラエル軍の空爆で破壊されたガザ地区

 

 

悲嘆にくれるガザ地区住民

 

同じ東エルサレムのシルワーンでは、1970年代から今に至るまでこうした土地強奪が繰り返されパレスチナ内に巨大入植地が各地につくられてきた。イスラエルと結ぶ幹線道路、分離壁、水源にいたるまで土地を奪われてきたあげく日常的な軍事支配によって管理されているのがパレスチナだ。「大エルサレム計画」「エルサレム首都」「聖地(神殿の丘)管理権奪取」という「ユダヤ化」拡大の野望をもつイスラエルは、こうして東エルサレムの土地を奪い続けている。73年もの軍事占領下、こんなに長い植民地支配を許容しているのが、アメリカ、EU、国連という「国際社会」だ。

 

この間、「暴力の応酬」「報復の連鎖」を叫び続けてきた世界中のメディアは、「停戦合意」を歓迎した。バイデン大統領はネタニヤフの決断を「称賛」した。イスラエルには「自衛権」があると支持する米国政府は、パレスチナ人の自衛権=抵抗権については何も語らない。メディアはハマースを「テロ組織」と強調するが、もともとガザのパレスチナ人民が自らの抵抗のために民主的に選んだ組織だ。勝手に「テロ組織」と名指したのはイスラエルと米欧政府だ。「暴力・衝突・報復」と言ってハマースをやり玉にあげることで、イスラエルの懲罰・弾圧を覆い隠す。パレスチナ人が日々被っているヘイトクライム、家屋破壊、土地強奪、アパルトヘイトへの抵抗をかき消す、これが世界中のメディアの常套手段だ。これが「自由と民主主義」を標榜する西側米欧日のダブルスタンダード効果というものだ。

 

問題の根は、パレスチナ人に対する日常的な差別(例えば、イスラエルや入植地の少年がパレスチナ人の家に石を投げても逮捕されないが、パレスチナの子どもが石を投げると逮捕され殴られときに殺される)、挑発、脅迫、抑圧、弾圧、集団懲罰の構造的暴力と軍事占領支配だ。対立はまったく非対称であって、国家と国家の戦争ではない。背景もその根も報道しないで「暴力の応酬」「報復の連鎖」を連呼するのは、問題を覆い隠すイスラエルに共犯していると疑われても仕方がない。こういうときにこそ、ジャーナリズムの真価を発揮してほしいものだ。

 

さらに安倍・菅自公政権は、ことあるごとに「インド太平洋構想」を喧伝している。じつは日本が、インドからさらにイスラエル、NATOへと結んで中国・ロシア包囲網つまり米欧覇権の先兵になろうという魂胆だ。尖閣問題をテコに先島諸島の軍事化をすすめ一日10億円の軍事演習を強行し「敵基地攻撃能力」を高めようと軍事力優先の国づくりにすっかり舵を切っている。原発に失敗しコロナに襲われた財界も軍事を渇望し、政権を糺す学術会議を亡き者にしようとしている。憲法前文の「公正と信義、決意と誓い」は風前の灯だ。

 

私たちが考えなければならないのは、いまも「アラブ人をガス室に、火の中に」とか「アラブ人を駆除」とかいうナチまがいの戦争・植民国家イスラエルを免責・温存・容認してきたのは誰なのか、73年前の民族浄化を裁かなかった、裁けなかった、「米国」「国際社会」「国連」を、さらに自らを裁こうとしなかった「イスラエル国家」を考えることだ。

 

同時に、「裁かれない加害」は日本国そのものの問題でもある。土地強奪・家屋破壊・強制移住はかつてアイヌ民族が体験したことである。いまだに謝罪はない。「捨て石」となった20万人の血潮は沖縄の地に染みつき、「無期限貸与」(昭和天皇)の米軍基地は76年間も居座り続け本土の「国民」は知らんフーナ。朝鮮半島の36年間の植民地化にはまっとうな謝罪・補償はなく「分断」を逆利用してきた日本、イスラエル建国の年1948年の朝鮮学校閉鎖令はいまも朝鮮学校差別につながる。自ら正義を実現できない国家・民族は何をしでかすかわからない…。

 

2008年、2012年、2014年、そして今回虐殺されたパレスチナ人、とくにその半数の女性と子どもを追悼しつつ、こんなことを考えながら20名でメモリアル・サイレント・マーチをやりました。)

 

 

歴史の大嘘について

 

梶村太一郎(在ベルリン、ジャーナリスト)

「朝露館 関谷興仁陶板彫刻美術館」 発行『朝露館たより』2021年9号掲載

 

「人間は万物の霊長である」と言われて久しい。京都大学に霊長類研究所ができたのは戦後のことでこの言葉はすっかり定着している。ここでの霊長類とは分類学での「サル目」の「ヒト科」のことで、オランウータンやゴリラの研究で有名だ。しかし飼っていた頭の良いオランウータンに檻の施錠をはずされ逃げ出されて裁判沙汰になったり、最近では研究費の不正会計処理で研究所長が懲戒解雇されたりしているところを見ると、ここの霊長たるホモ・サピエンス(「知恵のあるヒト」の意)の知恵もそれなりのもののようだ。

 

ところで、日本語の霊長という言葉の典拠は古い秦の時代の『経書・秦誓』からとされている。鴎外晩年の『元号考』によれば日本の元号の多くもこの古書からの出典で、また昭和や平成もそうである。この事実が安倍晋三首相はどうやら気にいらないらしく、彼は令和改元の際に「歴史上初めて、国書である万葉集を典拠とする元号を決定しました」と満足そうに述べ、NHKを先頭にメディアも呆れるほど「初めて国書から」と囃し立てた。

 

 ところがこの万葉集の記述「初春令月気淑風和」が、これも多くの元号の典拠である『文選』の後漢は張衡の詩「帰田賦」の句「仲春令月時和気清」であると指摘されている。安倍氏には日本は漢字文化圏ではないらしい。そもそも漢字だけで書かれた万葉仮名なしには古事記以来の国書が成立せず、さらに元号そのものが前漢の武帝から始められた制度であったことも眼中にない。噴飯ものの日本の国家主義者の浅知恵の言動の一つである。

 

ただ、ここでも恐ろしいのは史実の無視である。日本の明治維新以来の国家主義のお家芸とは、森善朗の総理時代の発言にある「日本は天皇を中心にした神の国」であるとして、史実を無視、あるいは改ざんした嘘の糸を紡ぎ、その繭に閉じこもり自己満足するところにある。近年は中国の台頭に恐れをなしてこの傾向が強まっているのは恐ろしいことだ。再び八紘一宇に似た大嘘の繭が復活しかねない。「国書元号」はその兆候ではないのか。

 

ところで近代史の大嘘の雄はナチスドイツのゲルマン民族至上主義と、それと表裏一体の反ユダヤ主義であろう。これにより人類史上最悪の民族絶滅犯罪が行われた。朝露館でもSHOAHの犠牲者の声が刻まれた関谷氏の追悼作品が見られる。

 

この苦い体験を繰り返さないために戦後のドイツ憲法第三条には何人も、その性別、門地、人種、言語、出身地および血統、信仰または宗教的もしくは政治的意見のために、差別され、または優遇されてはならない。何人も、障害を理由として差別されてはならないとある。これは国連憲章などにも見られる戦後世界の共通した認識でもある。

 

ところが、昨年の連邦議会本会議でこの項にある「人種」を削除ないしは改正すべきだという論議が本格的に始まっている。その理由は驚くほど単純で、学問的に「人種」というものは存在しないからである。きっかけとなったのは一昨年九月にイエナ大学の学長と動物学進化論研究所が出した声明である。その要旨は「生物学ではダーウィンの進化論以来、人類にも人種があると主張されてきたが、遺伝子学では人類全ての遺伝子には違いは全くないことが証明されている。皮膚の色は生活環境に適応して変化したにすぎない。五千年前は北欧の人間も褐色であった。人種があるから人種主義があるのではなく、近代の植民地主の人種主義が人種を作ったのである。したがって誠実な科学では在りもしない人種を不使用とすべきである」というものだ。イエナ大学はナチ時代の悪名高い優生学の中心であった。

 

進化論を唱えたダーウィン

 

 

議会では改憲に必要な両院の三分の二の賛同は間違いないのだが、「人種」を削除しても、いまだに猖獗を極める「人種主義」に対処すべき具体的な表現をどうすべきかの難しい議論が続けられている。

 

折から、生物科学者は、新コロナウイルスという人類よりはるかに古い存在に挑戦され苦戦の最中である。そろそろ人間も「万物の霊長である」という思い上がった大嘘から脱却すべきであろう。

 

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「朝露館 関谷興仁陶板彫刻美術館」は栃木県益子の陶芸家・関谷興仁さんが運営されている小さな、しかし素晴らしい反戦平和美術館です。詳細は下記のYoutube とウェッブサイトをご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=_n2xAHwSpEY

http://chorogan.org/

 

 

 

 


2021年5月5日水曜日

バンカ島虐殺事件説明に関して豪州で起きている議論

遺族と戦争博物館の間での論争

 

前回の4月20日のこのブログで、5月15日に予定されているZOOM勉強会「バンカ島虐殺事件勉強会:戦争責任と#MeToo運動の関連」の案内をさせていただきました。偶然に、その6日後の4月26日のオーストラリアの新聞『キャンベラ・タイムズ』に、この虐殺事件の取扱い方に関して現在オーストラリアで起きている議論についての記事が出ました。そこで、この記事全文を和訳して下に紹介いたします。ご参考になれば幸いです。

 なお、新聞のオリジナルの英文記事は下記のアドレスで読むことができます。

https://www.canberratimes.com.au/story/7220425/what-vivian-bullwinkel-wanted-calls-to-change-official-wwii-bangka-massacre-account/?src=rss

 

「ヴィヴィアン・ブルヴィンケルが望んだこと:第2次世界大戦に起きたバンカ島虐殺事件説明に対する変更要求」

『キャンベラ・タイムズ』2021年4月26日掲載記事

 

この80年近く、キャンベラに住むメアリー・ナピアさんは、彼女の叔母が第2次世界大戦中にインドネシアの島で起きた日本兵による虐殺事件で悲惨にも銃殺されたと言われてきた。

叔母の写真を抱えるメアリー・ナピアさん
  

1942年、バンカ島で負傷した英豪両軍兵士たちの看護にあたっていた21名の豪州陸軍看護師たちが殺害された話はそのように伝えられてきたのである。

ラジー海岸におけるこの虐殺は、唯一の生存者で、虐殺の後で(日本軍に)捕えられ捕虜となったヴィヴィアン・ブルヴィンケルによって、戦後、そのように説明されてきた。

しかし、数年前に新しい証拠に光が与えられることによって、本当はそれまでの説明よりもっとおぞましいことが起きていたという話になってきた。

ネピアさんによれば、この虐殺事件については、何十年もの間、家族によっても公式発表によっても繰り返し述べられてきたが、実は看護師たちが機関銃で虐殺される前に強姦されたという、もっと痛ましい詳しい話が明らかとなってきた。

ネピアさんは、叔母のイレイネ・バルファー・オグリヴィ看護師についての話が、80年もの間、本当は事実が隠されてきた可能性があることに気づかされた(2017年の)その時のことを思い出すと言う。

「妹から電話があって、<これまで言われてきた話とは大きく違った話になって、(殺害された遺族の)中には、そんな話は聞きたくもないと言っている人たちがいる>と言うのです」。「なぜ今頃になって、自分の親族が強姦されたことを明らかにすることが遺族に敬意を表することになるのか、私には理解できなかったのです」。

叔母のイレイネ・オグリヴィさんの写真

 

 

真実を話すこともつらいこと

 

  1942年2月、65名の豪州陸軍看護師は、日本軍がシンガポールを攻略する3日前に、シンガポールから退避するために船に乗った。

  その船は、スマトラ島沖海岸で日本軍の攻撃を受け、乗船客のうちの100名ほどの生存者がバンカ島のラジー海岸にたどり着いた。公式な説明によると、ブルヴィンケルやオグリヴィ看護師を含む22名の豪州看護師は負傷した英豪両軍兵士たちの看護にあたっていたが、そのとき20名の日本軍兵と対面することになった。

  日本軍兵は負傷していた英豪軍兵士を殺害し、伝えられるところでは、その後で看護師たちに海に向かって歩くように命令し、機関銃で彼女たちを銃撃したと言われている。ブルヴィンケルが唯一の生存者だった。

しかし、強姦という痛恨と汚名から犠牲者の家族を守るために、長年の間政府が詳細を隠してきたという主張がなされるようになって、現在、この説明の一部の真偽が、議論のマトになっている。

看護師たちが強姦されたという新しい説は、ブルヴィンケルが2,000年に亡くなる直前に彼女にインタヴューした、テス・ローレンス氏の報告によって2017年に出された。

このインタヴューで、ブルヴィンケルは看護師たちが虐殺される前に「犯された」ことをローレンス氏に認めており、政府の上級官僚と軍将校によってその事実について公言しないように言われたのであり、そのためブルヴィンケルはその後幾十年もの間苦しんだという事実も語ったとのこと。

  戦争史家であるリネッテ・シルバー氏と伝記作家バーバラ・エンジェル氏の二人は、長年の間に破棄されてしまった、この恐ろしい事実があったことを示唆する証拠の収集につながっている証言を集めてきた。

  虐殺事件に関するこの新しい情報は、幾十年も嘘を言われてきた、現在80歳であるナピアさんに精神的に大きい打撃を与えた。ナピアさんは言う、「これほどまでに恐ろしい事件であったとは最近まで全く知らなかったのです。ずいぶん昔に起きたことだから、その話に慣れてしまうべきだったと彼らは思っているのでしょう。そんなことが起きたと聞くことは本当におぞましいことです、とりわけ看護師たちはその当時、いまの私の孫娘と同じような年齢だったことを考えると」。

  ナピアさんは叔母バルファー・オグリヴィ看護師についての記憶は全くないが、負傷した兵たちを看護しながらも悲劇的に亡くなった女性であることを誇りに思う家族の間で伝えられてきた話を聞いて育った。「叔母は私たちにとって常に英雄だったのです。とても若くて美しい叔母は、野獣の手によって死んだのです」とナピアさんは言う。

  この性暴行について詳しく論じている2019年出版の本 Angels of Mercy (『慈悲の天使たち』)の著者であるシルバー氏は、陰惨な事件の内容を隠すという決断は、当時の時代的な状況に基づく選択であったと言う。

  1940年代、50年代には、性暴行をめぐる汚名と恥辱は被害者である女性と家族に大きな打撃を与えた。この時代には、性暴行が「死にまさる悪い運命」と言われていたことを思い出すと言う。

  政府内の男たちは、22名の看護師たちに実際に起きた陰惨な事実を隠すことが彼女たちの名誉を保つことであると考えていたのだろうとシルバー氏は述べる。

  「彼らが話のその(強姦)部分を隠し、それが漏れないようにすることで被害者の親族の感情と感受性を守っていると考えていたのだと思う」とシルバー氏は言う。「家父長主義的な態度からなされた決断だったと思います。今から考えればなぜそうしたのか理解はできますが、現在事実を知っている私たちから見れば、たいへんまずい決断だったと言えます。私たちが<そうです、彼女たちは強姦されたのです。これは実際に起きたことなのです>と今や言えるに十分な証拠が集まるまでには、長年かかったのです」というのが彼女の意見である。

 

戦争のおぞましい説明を変える

 

  最初は苦しみを感じたナピアさんも、全ての事実を明かさないままで数十年もの間行われてきた説明に、現在怒りを感じている。

  彼女の叔母とブルビンケルを含む21名の看護師たちが、国を守るために強いられた残虐行為の犠牲になったという事実を反映するように公的説明を変えて欲しいと、彼女はいまや主張する。その変更は、まずはオーストラリア戦争博物館から始まらなくてはならない。「オーストラリア戦争博物館を私は信用していない」とナピアさんは言う。「私は(博物館に)新しい話が真実なのかどうか質問しました。答えは分からないということで、近いうちにお答えするという返事でしたが、その後全く連絡はありません。毎年、大勢の子供たちが歴史を学びにやってくるのですが、間違った歴史を習っているのです。」

  ブルヴィンケルの告白を別としても、他にもこの新しい説を裏付けるような状況証拠も存在する。

  その状況証拠の一つは、生存者ブルヴィンケルが銃撃されたときに着ていた制服であるが、その制服のボタンがとれていることや銃弾でできた穴の場所に疑問があることである。この制服の状態から、制服が無理矢理に開けられて身体から垂れ下がっており、その状態で銃撃を受けたと考えられるのである。

  もう一つの状況証拠は、殺害された看護師たちの海岸に横たわっていた死体が「半裸状態」であったという証言があること。

  しかし、これらの状況証拠は、オーストラリア戦争博物館のウエッブサイトや展示説明を変更するには十分なものであるとは考えられていない。博物館の館長であるマット・アンダーソン氏は、これまでの説明それ自体が「恐ろしい」事件であったことを示しているが、性暴行が行われたという証拠が博物館に提供されるならば、それらを考慮するにやぶさかではないと述べている。

  「ブルヴィンケルや彼女の同僚たちが日本軍から受けたとりあつかいは、恐ろしい戦争犯罪であり、現在の我々には理解しがたい犯罪である」とアンダーソン氏は述べる。しかし「いったい何が起きたのかという、全体像を明らかにするような記録を我々は現在持ち合わせていない。そうした記録があるならば、記録の所有者と博物館は交渉したいし、博物館の歴史専門家と話し合ってもらうことも歓迎する。さらに、我々としては、それらの記録やインタヴューを博物館に寄贈してもらえれば、あらゆる研究者やオーストラリアの市民に自由に利用してもらえるだろう。この問題の議論の特質から考えて、いかなる新しい情報も適確に検証され、深い配慮を払って研究されることがひじょうに重要である」とアンダーソン館長は言う。

 

男によって語られ、男によって隠される歴史

 

  この虐殺事件をめぐる葛藤の原因の一つは、誰が説明を書くのか 女性の事件が男によって監修され語られる という問題である。男は、証拠があっても、当時の人たちを守るために年代記の中に特定の情報を入れないという選択をとったかもしれない。

 シルバー氏は、当時、女性が歴史記録を行う立場にあったならば事態は違っていたかもしれないと主張する。「女性は戦争について男とは違った書き方をします。男が戦争について書き、戦争時の人間について書くときは、一般的に、部隊や小隊の行動、武器がどれほどあったのか、戦闘方法や戦略のほうに興味があり、女性については興味がありません。私たち女性の観点からすれば、実際の出来事よりは人間のことが重要です。」

過去を変えることはできない。しかし歴史をどう反映させるかは、私たちにできる。したがって、この事件について注意深く考え、実際に看護師たちに何が起きたのか、その真実を語ることはシルバー氏の言うように決定的に重要である。

シルバー氏は言う。「それは起きたのです。そのことによって苦しんだ人がおり、それを語り、それを強調し、公にすることを拒否すると言うことは、その人たちの苦しみがいかほどのものであったのかを知ってもらいたいという権利を拒否することなのです。私たちが看護師たちに負っている責任は事実を公にすることです。それが本当に残酷な犯罪であったことを世界に知らしめることが必要なのです。」

ナピアさんと彼女の家族にとって、実現したいことは簡単なことである。それは、死を前にブルヴィンケルが望んだ、事実を知ってもらいたいという望みをかなえることである。「戦争博物館は事実を説明展示すべき場所のはずですが、事実を述べないなら、それは歴史を歪曲していることになります。事実を述べることこと、それをブルヴィンケルは望んでいたのです」とナピアさんは言う。

 

 


2021年4月20日火曜日

バンカ島虐殺事件勉強会:戦争責任と#MeToo運動の関連

最近、とても偶然ですが、80年前に日本軍の一部隊がインドネシアのバンカ島で豪州軍看護師や民間人を虐殺した事件の被害者のご遺族の方達と知り合いになる機会を得ました。この方達は、事件のことだけではなく、遺族としての想いを日本の人たちにぜひ知ってもらいたいという熱い思いを持っておられます。戦争責任をとるための第一歩は、被害者(遺族)の心の痛みを自分の痛みとして深く内面化するという「痛みの共有」であると私は考えています。「痛みの共有」によってこそ、真に人間的な関係を被害者(遺族)の方達と作ることができるからだと思うからです。そこで、この事件についてできるだけ多くの方たちに知っていただき、ご遺族の方達の想いにいかにしたら応えることができるのかを、みなさんと一緒に考えることができればと願い、ZOOM勉強会を「日本軍『慰安婦』問題解決ひろしまネットワーク」事務局のご支援をいただき、開かせていただくことにしました。

最近はZOOM会議や講演会が毎日のように行われていますので、ご迷惑かもしれませんが、お時間とご関心がおありのようでしたら、ぜひとも参加していただければ嬉しく思います。とくに若い人たち、学生さんたちに参加していただければと願っています。

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「日本軍『慰安婦』問題解決ひろしまネットワーク」主催オンライン勉強

インドネシア・バンカ島虐殺事件から

       戦争責任と#MeToo運動の関連を考える 

 

1942年、(現地時間で)2月16日朝、インドネシアのスマトラ島に隣接する小島、バンカ島のラジーク海岸で21名の豪州軍看護師が、日本軍部隊によって虐殺されてから今年は80年目に当たります。この虐殺事件ではヴィヴィアン・ブルヴィンケルさんという看護師さん1名だけが奇跡的に生き延びました。これら22名の看護師は、日本軍の爆撃機によって沈没されたヴァイナー・ブルック号という船に乗ってオーストラリアに向かっていた65名の看護師たちで、乗船していたのは豪軍看護師を除いて民間人ばかりの300名ほどでした。21名の看護師のほかに12名の看護師が海岸にたどりつかずに溺死し、そのほかの看護師たちは、いくつかのグループになってバンカ島のあちこちにたどりつきました。ブルヴィンケルさんと生き延びた看護師たち32名は抑留所に入れられましたが、ムントク抑留所で4名が、また後に移動させられたベララウ収容所でも4名が亡くなっています。

長い抑留所生活の後、戦後無事にオーストラリアに戻ったブルヴィンケルさんは、上官(男性)に自分を含む看護師全員が強姦されたことを報告しました。ところがその上官は「強姦については触れてはならない」と命令しました。ブルヴィンケルさんは、戦後、東京裁判でこの事件に関する証人喚問を受けましたが、そのため、証言では看護師たちが虐殺される前に強姦された事実については一言も触れませんでした。ブルヴィンケルさんは2000年7月に亡くなられましたが、2019年4月になって、初めてこの真実が女性の研究者によって明らかにされました。さらに、抑留所生活中に、日本軍は看護師たちに「慰安婦」となるよう強要しましたが、若い看護師たちを守るために4名の比較的歳上の看護師たちが「慰安婦」になることを承諾しました。しかし、この事実も、戦後、公的に明らかにされることはありませんでした。

日本では「南京虐殺」や「慰安婦制度」という軍性暴力については広く知られていますが、連合軍側の女性に対する性暴力についてはほとんど知られていません。この豪州軍看護師のケースを手がかりに、日本軍のみならず、戦時にはなぜゆえに軍性暴力が頻繁化するのか、さらには被害者側である軍隊の将兵すらが、なぜ自国の女性たちの性暴力被害の実態を隠蔽してしまうのか、といった問題について考えみたいと思います。そのことを通して、軍性暴力被害者に対する「戦争責任」のとりかたはいかにあるべきかについても、みなさんと議論させていただきたいと思います。

日本では「慰安婦バッシング」による軍性暴力という歴史事実の否定をはじめ、性暴力を無罪判決とする裁判ケースの連続など、性暴力の問題を隠蔽しようとする(とくに男たちによる)圧力が強くあります。オーストラリアでも最近、#MeToo運動の高まりで、裁判官、官僚や閣僚による性暴力の被害者が続々と声をあげはじめています。

なぜ多くの男たちは性暴力の問題を認めたがらないのでしょうか?上記の戦争犯罪のケースを手がかりに、性暴力に対する戦争責任問題と#MeToo運動の関連性についても考えてみたいと思います。

この勉強会では、バンカ島虐殺事件の被害者の遺族の女性お二人からも、「想い」を語っていただきます(翻訳・通訳付き)。

 

日時:2021515日(土)14001630

形式:ZOOMによるオンライン方式

発表:田中利幸(歴史家、メルボルン在住、日本軍『慰安婦』問題解決ひろしまネットワーク・共同代表)

遺族からの報告もあります。

参加費:500円(学生無料)

申し込み期間:420日(火)~510日(月)17

【申し込み方法】

・参加ご希望の方は、メールで連絡先(ianfnet.hiroshima@gmail.com)に

 ①お名前(+フリガナ)

 ②ご住所(都道府県名のみで可)

 ③連絡先(電話番号)

 ④メールアドレス(資料添付で受け取り可能なパソコンアドレス希望)
 学校名(学生のみ)

以上①~⑤を明記してお申し込みください。

 

主催:日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワーク

連絡先:メール ianfnet.hiroshima@gmail.com  携帯電話 090-3632-1410(土井)

 

 

田中利幸

http://yjtanaka.blogspot.com/

 


2021年3月8日月曜日

平和の像を受け入れたベルリン・ミッテ区

 ベルリンからの報告

 

はじめに

今から117年前の1904年のニューヨーク市における婦人参政権を求めるデモを起源として、国連が1975年に3月8日を「国際女性デー」と定めてから今年は46年目。女性に対する暴力、とりわけ性暴力の防止という点から歴史を省みてみると、事態の改善は、日本だけではなく世界的に、本当に「遅々としたものである」としか言えないように思えます。しかしそれでも、この数年間は#MeeToo運動の世界的な高揚の影響が世界各地で見られるようになり、女性被害者が勇気を出して声をあげることができるような被害者支援運動がますます強まってきました。

 

ベルリンでは、その3月8日、ミッテ区に設置されている「平和の像」の前で「国際女性デー」記念集会が開かれ、200人ほどの市民が集まったとのこと。報道によると、この集会では、「日本軍慰安婦」被害問題だけでなく、DV(家庭内暴力)反対から、妊娠中絶、少数民族の人権問題まで、女性と人権に関する様々な声があげられたとのこと。「平和の像」が 単に日本軍性奴隷被害だけを記憶するためのものではなく、あらゆる性暴力の犠牲者を記憶し、性暴力防止のためのシンボルとして強力な意味を付与されたものとして捉えられていることが理解できます。

 

ところが、日本では、滋賀県議会の2月15日の定例会議に、日本政府に「元慰安婦」の女性への損害賠償支払いを命じた1月の韓国ソウル中央地裁の判決(2月3日のこのブログ「『人間の生き方』が問われている日本の戦争犯罪責任問題」を参照)を非難し、日韓政府に対応を求める提案が自民党県議によってなされ、賛成多数で同日可決されたとのこと。かくして、滋賀県議会議員たちは、自分たちの歴史認識の決定的な誤謬と性暴力に対する時代遅れの対応という、世界に恥ずべき思考と行動を堂々と曝け出したのです。こうした日本の状況を変えていくには、もっともっとジェンダー関連問題での市民運動を広め強め、日本人全体の「ジェンダー意識」を根本的に変革していく必要があります。

 

そんな現在、ベルリンの「平和の像」をめぐる現状説明を、ベルリン在住の梶村道子さんに、「日本軍『慰安婦』問題解決ひろしまネットワーク」のニュースレターの最新号に寄稿していただきました。梶村さんのご許可をいただき、ここに転載させていただきます。

 

平和の像を受け入れたベルリン・ミッテ区

梶村道子

 

2020年928日、ベルリンの市街地にあるミッテ区に平和の像(以下、「像」とする)が設置された。除幕式には、区の文化担当者やラーヴェンスブリュック女性強制収容所記念館の前館長らが参加、李容洙さんと正義連の李娜栄さんのビデオメッセージも届いたが、早々に官房長官の発言や日独外相電話会談が報じられた日本と異なり、地元では特に注目されなかった。

 

その10日後の10月7日に区が像の認可を取り消し、設置者のコリア協議会に1週間後の撤去を命じたことで、事態は急転する。地元メディアが、「州政府は日本大使館とミッテ区と話し、迅速な解決を図った」と報じると、コリア協議会を知る市民やミッテ区の諸政党が動き、その結果、一年間の認可は保証され、恒常設置を区に求める議案が区議会で可決された。この間二ヶ月。コリア協議会の人たちは、ベルリンの市民社会から様々な抗議行動を引き出した。公開書簡のオンライン署名で国内外の研究者・市民から3000筆を集め、10月13日の区役所前のデモと集会には300人の市民が参加、「右翼に対抗するおばあちゃん」のベルリン支部は区議会前で声援を送った。像の傍でのスタンディング・デモは今も続いている。しかし、今回決定的な役割を果したのは、区の判断に抗して像の支持に回り、区議会を動かしたミッテ区の進歩的諸政党[i]だろう。

 

街角に置かれた平和の像は、近所の人たちにはすっかり馴染みだ

 

像は、ミッテ区の「都市空間の芸術」という文化政策の枠で認可された。これは、区民が芸術作品の屋外での設置を申請し、区の審査委員会の審査を経て、一定期間の設置が認可される仕組みで、区議会は特に関与を求められない。像もこの規定に則り申請・認可されたのであり、設置前に、グレンデールやサンフランシスコ市の事例にみるような地域や議会での広範な議論は行われていない。

 

だが、日本政府の干渉と、独外務省の意向を受けたベルリン州政府の介入に区長が屈し、一方的に認可を撤回したことへの、諸政党の対応は迅速だった。10月12日には社会民主党ミッテ区支部が像の維持と開かれた議論を要求し、緑の党も、同日臨時の議員団会議で認可とり消しの撤回要求を全会一致で決め、翌日の抗議デモへの参加を宣言、左派党は、次回115日の定例区議会に向けた超党派行動のイニシアティブを取ると明言する。その際、彼らが強調したのは、認可を取り消せば、戦時や紛争時の性暴力に取り組む人たちにベルリンから誤ったサインを送ることになるという点だ。すなわち問題は第二次大戦中の女性に対する性暴力であり、これはナチスによるテロと戦争の始発点であるベルリンの地と無縁ではないのだと。さらに、多様な出身国の市民が共生するミッテ区の住民間でもめ事が起きたとしても、一国の政府がそれに口を挟むのは外交上の越権行為であり、それを受けた外務省と州政府の圧力に区は屈すべきでないとして、「もっぱら第二次大戦における日本軍の行為を取り上げた像は、日本でもベルリンでも憤りを招いている。100カ国を超える出身地の区民の共生を危険に曝さないため、区は二国間の歴史紛争に与しない」と認可撤回を正当化した区長に、真っ向から反論した。

 

左派党と緑の党が準備した認可とり消しの撤回を求める議案は、115日の区議会では審議未了となった。しかし像については、「都市空間の芸術」の審査過程に区議会の関与権を求める超党派提案において討議された、続いて海賊党[ii]が提起した決議案を採択して、区議会はとりあえず像の設置支持を宣言する。そして121日の区議会。設置者による仮処分申請を受けて1013日に像の暫定維持を認め、関係者と折衝していた区長が、認可取り消しを撤回したと明らかにし、左派党と緑の党の共同議案が採択された。像の区内での恒久設置に向けて、区は設置者とともに解決策を見出し、区議会はこれに関与すべき」というこの決議は、単なる認可とり消し撤回から大きく踏み込んだものだ。

 

街角の公園の入り口に建つ平和の像。通りかかる人が、時折足を止める。

 

議案の提案理由には、「『平和の像』を、我々は、武力紛争時の、また平和時の性的暴力に関する議論を喚起するものとみる」とある。ミッテ区の区議らは、この問題に関する十分な議論がドイツ社会でなされてきていないことを、討議過程で自らのこととして改めて確認している。像の恒常的な設置には区のみならずベルリン州の判断も加味されるという。今後、恒常設置に向けて、議論は広がり深められることになろう。      

区議会では碑文の検討を求める声も出た[iii]。「都市空間の芸術」審査委員会は、審査評価で、ドイツ兵による性暴力に関する議論の喚起が望まれると講評している。碑文に、第二次世界大戦中のドイツ国防軍による性暴力や強制収容所の女性たちが強いられた性労働、そして現代の性暴力が言及される日が来るかもしれない。ならばそれは、「日韓」の枠に縛られた東アジアでの議論をより開かれたものにしていく、一つの契機になることだろう。

 

 写真提供:梶村道子さん(ベルリン在住)


[i] ミッテ区議会は、社会民主党、緑の党、左派党の3党で議席の7割を占める。3党は区の政策執行機関である参事会に委員を送るいわば与党で、緑の党は区長を出している。区の上位の機関のベルリン州政府も、社会民主党 SPD、緑の党、左派党の連立政権で、ここでも3党は与党。 ベルリンは州の権限を有する都市州で、ミッテ区はその下位の行政区。

[ii] 海賊党は当初は著作権関係の政策が主であったことから、党員にはIT技術者が多い。党是は、人権尊重、民主主義の徹底化、知の自由な共有、個人のプライバシー保護、政治の透明性、ネットワークの中立性など。

[iii] 社会民主党は碑文の調整を求めている。左派党議員団代表のウルクス氏も、碑文に追加が必要だろうと述べている(2020年12月17日付時事通信インタビュー)。


2021年2月23日火曜日

大坂なおみ全豪オープン優勝を機に考える人種差別

個人的体験から考える日本の人種差別問題

 

本題に入る前に、私の大好きなメルボルン在住の漫画家・詩人、マイケル・ルーニッグの最新作を紹介しておきます。気が滅入るようなニュースばかりの毎日の連続にあって、なにか心をやさしくいたわってくれるような絵と詩だと思います。

 

「丘の上」

丘の上に静かにすわっていると

月が頭の上にふんわりとすわりました

すると、微笑んだ友が心の中にすわりました

微笑んでいるのは、ずいぶん前に亡くなった友でした

でも、二人は夜闇の中で久しぶりに話しあいました

天の川が流れ輝く下で

むかしむかし交わした会話で、言えなかったことを

流れ星がやさしく降っていく下で

歳を重ねて賢くなった月が輝き

星々が愛の言葉で歌をうたい

命は生き続けます

(マイケル・ルーニッグ作)

 

大坂なおみの人種差別抗議とアイデンティティーの確立

2月20日夜にメルボルンで行われた全豪オープン最終戦で、大坂なおみはジェニファ・ブレディを1時間17分ほどの短い時間で、ストレートで勝って優勝。この試合でも、またセリーナ・ウィリアムズ戦でも圧倒的な強さを見せたが、多くの評者が述べているように、技術が進歩したというよりは、彼女の精神的な強さが明らかに増した結果であろう。それは、昨年のBlack Lives Matter の運動に触発されて、彼女自身が 「私はアスリートである前に黒人女性」と主張するようになり、自分が一人の人間として何者であるのかという確固たる自己認識を獲得したことと密接に関連していると思われる。それはまた、同じ価値観を共有する、愛するパートナーを見つけたこととも関連しているであろう。一時スランプに落ち込んで自信を無くしていた大坂が、昨年の全米オープンの試合中に、人種差別に対する抗議の意思をマスクで表明することで自己の信念を確立・強化させ、優勝につなげたものと思われる。3歳でアメリカに渡り、「日本人」という国籍を保ちながらも、黒人差別の激しい米国社会で成長することは、アイデンティティーの確立という面では、精神的にひじょうに難しかったに違いないと私は思う。

 

 

いま彼女に「あなたは誰、なに人?」と問えば、「私は黒人」という応答が返ってくるであろう。彼女の中で「私は日本人」、あるいは「ハイチ人」という意識はひじょうに薄いのではなかろうかと私は推測する。日本人が勝手に彼女のことを「自分たちと同じ日本人」と独りよがりに思っているだけで、これは日本人の勝手なナショナリズム的思考である。メルボルンのテニス・スタジアムで「日の丸」の国旗を掲げて応援している日本人を見ていると、私にはそう思えてならない。日本という国は彼女にとっては、自分の母親がたまたま日本人であり、そのため国籍も日本に置いたままで、日本食が好きであるというぐらいの、ごくごく偶然的な要素であって、日本文化や日本的思考が彼女のアイデンティティーの極めて重要な要素になっているとは、自分自身の中では考えられていないのではなかろうか。日本のファンに対しては、もちろん表向きは「私は日本人」ということを言うであろうが、それはリップ・サービスとみなしたほうがよいと私はおもう。

 

いまも人種差別に苦しむ日本在住の混血児たち

私には成長した娘が二人いるが、彼女たちも日本の芸術や日本食は大好きで、日本語もたどたどしいながら話すことはでき、日本に旅行するのも大好きであるが、自分たちが「日本人」であるなどとは思ってもいない。彼女たちの連れ合いは、それぞれイタリア系とアイランド系で日本とは全く関係がない。彼女たちは、日本人である父親の私の顔を見ても、自分が日本人だとは夢にも思わない(笑)。日本に生まれ育ち住んでいる者なら別であるが、それが海外に住む国際結婚の夫婦から生まれた子供の大半に共通した自己意識であるように思える。つまり、日本に「根」を置いていないのである。

大坂なおみのケースに話を戻すが、もしも彼女が日本に住み続け、有名なテニス選手にもならなかったならば、日本でいま幸せな生活をおくっているだろうか?人種差別が激しい日本社会の中で、いわゆる「黒人」の混血児たちは、いまどのような対偶を受けているのであろうか。

2015年にミス・ユニバース日本代表に選ばれた宮本エリアナは父親がアフリカ系アメリカ人、母親が日本人である。私自身は「ミス・ユニバース」という企画そのものに反対であるが、それは別としても、日本で生まれ育ち日本国籍を持った彼女が日本代表に選ばれた時は、「ハーフが日本代表になるのはおかしい」という批判があちこちで出たとのこと。しかし彼女がミス・ユニバースに出場する決意をした理由は、彼女と同じ混血の友人が自らのアイデンティティーを見つけられずに悩み、2014年春に自死したため、それをきっかけに「ハーフへの偏見や差別をなくすためにも出場することを決意しました」とのこと。

   ちなみに、「ハーフ」という表現自体が差別用語であると私は考えているため、私自身は使わないようにしているが、英語の「mixed race」に当たる適当な日本語表現がないので「混血」という表現を使っている。しかし、私に言わせれば、歴史をさかのぼれば、人間はみな多かれ少なかれ「混血」であって、それをあえて特定少数の人間にだけ使うことも差別表現だと思うのであるが、適当な表現が見つかるまで、あえて使うことにしている。この「混血」を、父母二カ国の文化的な背景があることから「ダブル(二倍)」と称する人たちもいる。しかし、私の娘たちの場合は、母親(つまり私の連れ合い)の背景からいえば、英国系、ドイツ系、ユダヤ系の三つがあり、それに私自身の日本系を加えれば「quadruple(四倍)」であり、「ダブル」どころではないので、この表現も適当ではない。つまるところ、「人は人種的背景がいかなるのものであれ、国籍が何であれ、一人の独立した人間である」と考えるべきなのである。ところが、哀しいかな、そんな簡単なことが世界の大半の人間には受け入れられない、というのが現状なのである。

 

 

 

  それはともかく、宮本エリアナは日本の学校で受けた差別=いじめを次のように説明している。「ゴミを投げつけて笑われたり、知らんぷりされたりしました。<色が移る>と言われて、遠足や運動の時間に手をつないでくれませんでした。プールの時間もそう言われました。日本生まれ日本育ちなのに<アメリカへ帰れ!>と言われました。小さい時、5歳くらいまでですが、なぜ自分だけ外見が違うのか疑問を感じていました。」

 

個人的体験としての人種差別と私の抗議行動

  しかし、こうした人種差別=いじめは「黒人」の混血児だけが受ける問題では決してない。実は、私の娘も日本で同じようないじめを受けた。1994年のことであるが、当時、私はメルボルン大学に勤めており、その年の後半の半年が研究休暇であったため、家族全員で日本に滞在した。私の親戚が横浜青葉区に所有していた一軒家がちょうど空いていたので、そこを借りて、長女は近くの公立小学校に、次女はキリスト教会が運営する幼稚園に通うことになった。幼稚園ではいじめの問題は全くなかったが、小学校2年生として通った長女は、通い始めて数週間後に同じクラスの男子生徒4名ほどのグループから、下校時に「汚いアメリカ人、アメリカに帰れ!」と言われ、ランドセルを傘で激しく叩かれ、突かれた。長女自身は、「私はアメリカ人ではないわよ、オーストラリア人よ!」と言い返し、毅然とした態度で帰宅した。しかし、そんなことがあったとは、彼女は私にも母親にも言わなかった。数日後、同じクラスの女子生徒数人が我が家に遊びに来た時、彼女たちが「ミカちゃん強かったわよ」と詳細を話してくれて、初めてそんないじめがあったことを私たちは知った。

  半年という短い滞在なので、ランドセルは私の従姉の娘が使っていた「お古」のランドセルを借りたのであるが、オーストラリアの学校でランドセルなど使ったことない娘は、その少し汚れてはいるがピンク色のランドセルが大好きで、喜んでランドセルを背負って学校に通っていたのである。そんな「お古」のランドセルを持ち、英語は流暢に話すが日本語はたどたどしい娘を「汚いアメリカ人」と罵っただけではなく、傘で4人もの男の子がいじめたという話を聞いた私には、この「いじめ事件」を黙って見逃しておくわけにはいかなかった。

  翌朝、私は学校に出かけ、担任の女性の先生に面会を申し込み、事件の内容を説明した上で、「このいじめを機会に、ぜひとも人種差別とは何かについてクラスで話し合ってもらいたい」とお願いした。彼女の返答は「できるだけの対応はします」というだけであった。あとで娘に訊いてみたところ、朝礼の時に男子生徒4名に私の娘に謝らせただけで、話し合いなどは全くなかったとのことであった。

ところが後日、男子生徒4名の母親たちが担任の先生に「子供の喧嘩に父親が介入するというのはおかしいのでは」という苦情があったという情報を、娘の友だちの母親から私たちは知らされた。そのことを聞いて、私は再び「これは許せない」と思い、親たちにも直接話をして、子どもたちの考えと暴力的行為が「人権侵害」であることについて家族でよく話し合うべきであると伝えなければと考えた。クラス名簿から男子生徒4名の親たちの名前と電話番号を調べ、父親も帰宅しているであろうと思われる夜8時ごろから電話を各家にかけた。

しかしながら、自宅に戻っていたのかどうか分からないが、父親が電話にでる家は一軒もなかった。母親が対応するばかりであったが、その母親たちは「子供の喧嘩に親が口を出すなんて、そんな子どもじみたことはすべきではない。そんな大袈裟な事件ではないでしょう……」というような口ぶりばかり。いくら時間をかけて冷静に、子どもがやったとはいえ、これは決して喧嘩などではなく、暴力的な人権侵害であるということを説明してもらちがあかないのである。私も最終的には堪忍袋の緒が切れて、「厳密にいえばこの行為は人権侵害という法律違反の問題であるので、あくまでも子どもの責任を親が認めないならば、法的手段に訴えるよりほかありませんね」という言葉で電話を切った。

数日後、私が留守中に子どもの母親たち4人が一緒に我が家を訪れ、私の連れ合いに深く頭を下げて謝罪し、謝罪の表明として高級和菓子の菓子箱を、連れ合いが受け取るのを幾度も断ったにもかかわらず、玄関先に置いて逃げ去ったのであった。これは彼女たちが本心から責任を感じて申し訳ないと思ったからではなく、「法的手段に訴える」という私の言葉に驚いて急遽とった反応だったに違いない。おそらく彼女たちは、「あの田中という人は変人よ、これ以上怒らせないほうがいいわよ。何をするか分からないわよ」などと言い合っていたに違いない(苦笑)。しかし、これが当時の子どもたちの平均的な両親に共通に見られた「人権意識の欠如」だったのであろう。

  では、その後の状況はどうなのであろうか。ごく少数の具体的な例をあげておくが、例えば、1997年、愛知県・小牧市で、日系ブラジル人少年のエルクラノ君が外国人であるというだけで集団リンチにあい、殺された事件が起きている。2010年には母親がフィリピン人である上村明子さんが深刻ないじめを受けて、12歳という若さで自宅で自死した。カナダ人と日本人の両親の間に1989年に生まれた高校2年生の高橋美桜子さんも、容姿にまつわるいじめを受け続けて自死している。事態はなんら変わっていないように思われる。人間の確固たる信念として、自他両者の人権を尊重するという「人権意識」が、子どもにも親たちにもしっかり根付いていないのである。  

周知のように最近はヘイト・スピーチ、特に在日コリアンに対するヘイト・スピーチが日本全国で見られる。いまも地震が起きると、1923年9月1日に起きた関東大震災時に「朝鮮人が日本人を襲う」、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などの流言飛語が流されたように、「朝鮮人や黒人が井戸に毒を投げ入れている、暴動を起こしている」というフェイク・ニュースがツイッターなどで流される日本。Black Lives Matterに代表される人種差別問題は決して米国だけの、「対岸の火事」のような問題ではなく、日本の問題でもあるのだ。

 

映画『キクとイサム』は昔の話か?!

  ところで、戦後の連合軍占領下の日本には多くの戦争孤児がいたが、その上に、占領軍兵士、特にアメリカ軍兵士と日本人女性の間に生まれた混血孤児が全国で4万人いたと言われている。信頼できる統計数字がないので、あくまでも推定にすぎないが、実際にはもっと多かったのではないかと私は思う。この孤児たちは、戦後の厳しい貧困社会を生きのびるために売春業に従事した女性や、兵士たちの性暴力の被害者から生まれた子ども、自由恋愛の結果生まれた子どもたちなどであった。母親が育てることができずに、それらの多くの幼児が捨て子にされたり、他人にあずけられたりして孤児となった。そんな孤児を救おうと、1948年2月、神奈川県大磯町に混血児のための孤児院「エリザベス・サンダース・ホーム」を設置したのは、三菱財閥創業者・岩崎弥太郎の孫娘である沢田美喜であった。沢田は、結局、2千人あまりの子どもを社会に送り出した。沢田美喜については、別の機会に詳しく紹介したい。

  そんな混血児の中で黒人兵士と日本人女性の間に生まれた子どもに焦点を当てた『キクとイサム』という映画が、1959年に、社会派映画監督の今井正によって作られている。ストーリーは、黒人兵士と親しくなった母親から生まれた2人の子ども(姉弟)の、差別に苦しめられながらも強く生きていこうとする話である。黒人兵士は日本を離れ、子どもを育てる経済力がない母親は、2人の子どもを祖母の住む福島県会津の山あいの田舎村のもとに送り、この村で2人は祖母に育てられ、いまはキクが12歳(小学6年生)、イサムが9歳(小学4年生)になっているという設定である。

 

  当然ながら、キクの役にもイサムの役にも本当の黒人混血児が選ばれている。主人公候補者を探すために、制作スタッフたちが2ヶ月かけて仙台から岡山まで歩き、70人ほどの混血児に会ったそうである。ところが最終選考の結果選ばれた2人を、脚本家の水木洋子が気にいらなかった。水木は次のように述べている。「混血児探しに監督とプロデューサーが歩き回って、京都あたりでカッコイイ男女の黒い子が選ばれた。顔の良い朗読もできる、いわば優良児である。私は……ノウという答えを出した。・・・・・私の描こうとする主人公は、こういうお利口さんでは全くない。」結局、プロデューサーの市川喜一が「箸にも棒にもかからない問題児」といった高橋恵美子を水木は選んだ。キク役の高橋もイサム役の藤原喜久男も、父親のいない貧困家庭の子どもで、映画すらほとんど観たことのない、学校では落ちこぼれ生徒であった。高橋の背景は、映画のストリーに似ており、東京で祖母に育てられていたし、藤原も横須賀の貧困母子家庭の子どもであった。つまり、2人は、当時の混血児の代表ともいえる存在だったのだ。社会的背景からすれば、まさに適役であった。

  映画もほとんど観たこともなく、お芝居などもちろんやったこともない2人に、お芝居の稽古をつけ台詞をおぼえさせることがどれほどたいへんなことであったかは、私の想像を超えている。しかも今井監督は、できるだけ現実感を出すために、台詞のほとんど全てを訛りの強い東北弁にした。祖母のしげ子婆さんを演じた名役者の北林谷栄も、強烈な東北弁でしゃべりまくる。3人の演技は、「見事」というより他に言葉が浮かばないが、言っていることがあまりにも強い訛りの東北弁なので、セリフの大半が聴いていても理解できず、何を言っているのか想像するよりほかはない。

  しかし、映画は、当時の黒人の混血児がどれほど「奇異」な存在として差別され、疎まれ、苦しまなければならなかったかを鋭く描いており、最終的に、米国に養子として送られていったイサムがいなくなり、弟を失った悲しみをも克服してキクがいかにたくましく生きていくかというエンディングに観客は精神的に救われる。しかし、現実には、多くの混血児たちがみなキクのようなたくましさをもって人生を歩んでいったかどうか……。そうであったことを願ってやまないが・・・・・・。

  ちなみに、高橋恵美子は映画撮影終了後も水木洋子のあたたかい励ましを受け、高校卒業後に作曲家の吉田正などの指導を受けて歌手・高橋エミとしてデヴュー。日本各地のキャバレーやバーで歌い続け、トークと歌唱力で全国に多くのファンを得たとのこと。いまも歌手として活動を続けている。藤原喜久男は、映画制作後にスタッフの一人だった角正太郎に引き取られて滋賀県草津市に移住。青年期に上京して奥の山ジョージという芸名でジャズ歌手となり、1970年代にはテレビ・ドラマ「水滸伝」の主題歌「夜明けを呼ぶもの」や、「ルパン三世」のテーマ音楽でボーカルを務めて大活躍をした。しかし、その後、極度のアルコール依存症にかかって第一線を退き、草津市に戻っている。今もご健在とのことである。

  なお、『キクとイサム』の映画全編が下記のユーチューブで観れる。英語の字幕付きなので、東北弁が理解できなかったら英語の字幕を読むとよいかもしれない。 https://www.youtube.com/watch?v=xqEIwlM4rhE

 

結論

  占領期に生まれた混血児たちが味わった極貧生活と人種差別の実態を考えると、確かに現在の混血児たちの経済生活そのものは比べようもなく良くなっていると思われる。しかし、「差別」による「精神的、身体的苦痛」については、宮本エリアナの個人的体験や、上記の集団リンチで殺されたり自死を選んだ若者の例からも分かるように、本質的には70年ほど前とほとんど変わっていないのではなかろうか。

  現実には、日本にはアイヌ、沖縄の住民はもちろん、在日コリアン、日系ブラジル人をはじめ、中国、ベトナム、フィリッピンなど様々な国からの人々が在住しており、在留外国人の総数は約300万人といわれている。したがって、日本が「単一民族」などというのは全くの幻想であって、実際には多民族社会なのである。国籍がどうであれ、民族的背景が何であれ、同じ人間として同じ社会共同体の中で働き、暮らしているのである。にもかかわらず、多くの日本人は日本があたかも、いまだに「単一民族」であるとの幻想を抱き、あくまでも「外国人=他民族」を「日本文化」の外側に置き、混血児も、在日コリアンやアイヌ同様に、「日本文化」と「他民族文化」の境界線を崩す危険な存在とみなして激しく差別する。そして、その「差別」で他者を苦しめることを「人権侵害」とは全く考えもしない。日本の政治家や官僚もまた、基本的には「日本単一民族」という虚妄の上に立って、さまざまな関連政策や法案を作って外国人を差別し、難民をあたかも犯罪人のように扱っているのが実情である。

  周知のように、憲法1条では「天皇は、日本国の象徴であり日本国民の統合の象徴」とされている。その「日本国民統合の象徴」としての天皇は「万世一系」の「純粋な日本人」の家系の人とみなされることから、意識的にであれ無意識的にであれ、外国人や他民族、とりわけ「在日」と称される韓国・朝鮮系、中国系などの市民を差別するイデオロギー上の拠り所を、一部の国民に提供している事実は否定できない。現在さかんに問題になっているヘイト・スピーチも、一見、憲法1〜2条とは関係がないように見えるが、実は、天皇としての存在が、国民の無意識的な感情レベルに深く且つ広く影響していることと密接に関連していることを忘れてはならない。実は、見えにくいかもしれないが、天皇は民族差別の象徴でもあるのだ。

  日本の人種差別をなくすためには、「世界人権宣言」の第6条「すべて人は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する」という条項を、私たち一人一人の心なかに深く強く銘記させ、人類普遍の倫理に反する非人道的な言動には、なにごとであれ徹底的に抵抗するという信念を、私たち自身のアイデンティティーの重要な要素の一つにする努力が必要である、と私は考える。

 

― 完 ―