2020年6月1日月曜日

小説『コリーニ事件』と「旧・被服支廠」保存問題


(1)小説『コリーニ事件』を読む
(2)再び「旧・被服支廠」保存問題について

(1)小説『コリーニ事件』を読む

  私は昨晩、ドイツの作家、フェルディナント・フォン・シーラッハが2011年に出版した小説『コリーニ事件』(邦訳2013年出版)を一挙に読みました。それほど長くない小説ですので数時間で読めましたが、内容はひじょうに重厚です。(5年ほど前から、私は、小説はほとんどベッドで、重い本を抱えなくてもすむように、タブレットのkindleで読んでいますのでとても楽です。ベッド・サイド・テーブルに冷酒があればもっと嬉しいのですが、連れ合いが許さないです<笑>)作者は1964年生まれで、1994年からベルリンで刑事事件専門の弁護士を務めているとのこと。ナチ党全国青少年最高指導者バルドゥール・フォン・シーラッハの孫という、ユニークな背景をもった人物です。
  この小説は、弁護士になったばかりの若いライネンが国選弁護士として引き受けさせられた初めての事件についてです。それは、イタリア出身の自動車組立工、コリーニが、奇しくもライネンを幼少時代から可愛がってくれていたマイヤー機械工業の元社長であるハンス・マイヤーを、ひじょうに惨たらしいやり方で殺害した事件でした。黙秘権を使って何も言おうとしないコリーニの殺人動機を、ライネンが苦心して探し出すと、ナチの戦争犯罪の問題に行き着く、という筋書きです。
  ひじょうに興味深いのは、法廷での「戦争犯罪」をめぐっての議論の展開です。現職の弁護士らしい、とてもドイツの関連法に詳しい議論の展開です。しかし、そうした議論にもかかわらず、結局、法とは関係なく、「戦争犯罪に対する責任とは何か」を深く考えさせられる小説になっています。
  日本では、残念ながら、自分たちの父や祖父の世代が犯した戦争犯罪をテーマにした小説で、「人間としての責任」を深く考えさせる感動的な作品にはほとんど行き当たりません。自分たちがいかにひどい被害者にさせられたかという話で、お涙頂戴というものがほとんどです。例えば、2018年に刊行された伊藤潤『真実の航跡』は、最近にはめずらしい、戦犯問題を取り扱っていますが、戦犯追求をなんとか逃れようとする話で、「責任問題」などほとんど考えてもいない、私に言わせれば駄作です。
  しかし、私は常に思うのですが、戦争責任問題を考えるには、歴史教育も大切ですが、やはり人々の心深くに沁み入るような、被害者の「痛み」と加害者の「罪の苦しみ」を象徴的に表現する人物を通して、私たち自身の「人間としての責任」について考えさせるような芸術作品(文学、演劇、能楽、彫刻・絵画など)をできるだけ活用することが必要だと思います。『コリーニ事件』を読んで、改めてこの考えを再確認したところです。
  

(2)再び「旧・被服支廠」保存問題について池田正彦さんのエッセイ紹介

  広島の「旧・被服支廠」保存問題については、今年1月5日のブログでも私見を述べ、池田さんたちの保存運動についても紹介しておきました。池田さんの「旧・被服支廠」に関する最新のエッセイをご本人の許可をいただき、ここに掲載させていただきます。


旧・被服支廠・皆実町界隈を歩く
赤れんがよみがえれ
広島文学資料保全の会・池田正彦


一九一三年建立された赤れんがの巨大な倉庫四棟が残る「旧・被服支廠」は、軍都・広島の歴史をもつ数少ない建造物である。同時に爆心地から約2・7キロで焼失・倒壊を免れ被爆直後から臨時救護所となったことから、被爆の歴史を語り継ぐ場所として存在してきた。
しかし広島県は、昨年(二〇一九年)一二月、劣化を理由に「2棟解体、1棟の外観保存」(保存といっても、立ち入り禁止の、あくまで外観( ・ ・)保存( ・ ・)なのである)案を公表した。多くの市民は4棟の保存・活用を求め「広島県案」に「ノー」の声をあげ、各マス・メディアも行政の理不尽さを大きくとりあげた。

詩人・峠三吉は、臨時救護所(被服支廠)の惨状を「倉庫の記録」(原爆詩集)につづり日記等にも詳細を記録している。さらに、「黒い雨」(井伏鱒二)、「管弦祭」(竹西寛子)など文学作品などにも被服支廠として登場するなど、広島の歴史と深くむすびつき、市民の描いた「原爆の絵」においても、体験者は一四枚の絵として記録を残した。

横道に逸れるが、私はこの地域で小学校時代を過ごし、とりわけ感慨深い。
私が暮らしたのは、進徳女子高校のすぐ西側で、建物は旧・陸軍電信隊の兵舎を改造した長屋(この地域は焼失をまぬがれ残った)であり、近くの比治山、翠町の蓮畑、黄金山、旧・被服支廠などは悪童たちの恰好の遊び場で、すぐ隣の旧・電信隊の将校集会所は「青年会館」(そう呼んでいた)はそのまま残り、こんもりした杜に囲まれており、特に印象深い。
「青年会館」は、その頃珍しく、合宿・宿泊できる施設でもあり、ホールでは講演会、映画会、青年団の芝居の稽古、ダンスの講習会、コンサートなどが行われ、子どもの目にはなかなかハイカラな空間であった。前進座の河原崎長十郎との懇談会が行われたことも峠三吉は日記に記している。(昭和二四年二月二二日)「……会には知事も出ており、ひとわたり自己紹介と余興の中で余は<バイカル湖>を歌う。……長十郎氏と杯を交しながら彼らの芸術観を聴いてみて共感する処多し」
多少の時差はあるが、小田実のはなしをこの青年会館で聞いたとの証言などもあり、広島県青年団連合会(県青連)の事務所を中心に多くの青年たちの活動拠点となっていた。いわば、広島のカルチェ・ラタン(一九六〇年代、フランス反体制・学生運動の中心)であった。
近くの皆実小学校の界隈には、広島の演劇運動をリードする多くの人も居住していた。峠三吉と共に活動した増岡敏和は、次のように述べている。「遠い日の中川秋一氏は、皆実町(皆実小学校正門近く)に住んでおられて、そのまわりには演劇人がとりかこんでいた。演出家の大月洋、俳優の杉田俊也、カチューシャの長谷川清、新制作座の谷美子……各氏らである。その論理的支柱であった中川秋一氏は文化分野における最大の指導者であった。峠三吉も自分の文学的進路を決めるにあたって中川氏に相談している」
比治山橋たもとでロンド書房(ロンド:エスペラント語でサークルの意味)を開いていた大月洋は次のように記している。「峠三吉も近くに住み反戦平和集会のガサ予測の時など大風呂敷の文献をかくしてくれと持ち込んだロンド。惜しくもそのロンドが消えた」(『ロンドの青春』民劇の会・編)

   中川秋一:日本プロレタリア演劇同盟に参加。戦後、美学者・中井正一とともに労働者文化協会をつくり、民主主義を大衆の中に根づかせることに渾身の努力を傾けた。
  大月洋:広島民衆劇場、広島小劇場などを指導。移動演劇さくら隊殉難碑の建立に奔走。広島労演(現・広島市民劇場)創設に尽力。

前後する。峠三吉は8月6日、翠町(長姉・三戸嘉子の自宅:旧制広島高校<現・広大附属高校>南、爆心から約3キロ)にて被爆。額に傷を受けるが、直後、友人・知人・親戚の安否を気遣い市内を訪ね歩き、(この衝撃的体験が『原爆詩集』の骨格となった)被服支廠に収容されたK夫人(「倉庫の記録」のモデル)を見舞っている。
峠三吉は、直後の惨状を日記やメモとしてたくさん記録したが、作品化するまでには一九五〇年(昭二五年)まで待たなければならなかった。おそらく、彼の優しい叙情の質では原爆の悲惨をとらえることができなかったと考える。
あまり知られていないが、直後の一九四五年八月には「絵本」という作品を書き、もっとも優しく愛おしいものとしての母と子を描き、『原爆詩集』への片鱗を提示している。

絵本

   たたかいの手に 傷つけられた
  瀕死の母親にみせる その子の絵本

   たかい格子窓から 一筋の夕日が
  負傷者収容所の 冷い床に落ちてとどまる
  
   火ぶくれの貌のうえに ひろげ持ち
  ゆっくりと操ってやる 赤や青の幼い絵
  古いなじみの お伽噺ばなし
 
   カチカチ山の狸のやけどに 眼をむけた
  隣のおとこの呻きも いつか絶え
  ぼんやりと凝視めていた 母親のめに
  ものどおい 瞼がたれ

   苦痛も怨みも 子につながる希いさえ
  訴えぬまま 糞尿の異臭のなかに
  死んでゆく
  しんでゆく

被服支廠に収容されたK夫人の枕元に置かれた絵本を介して、このむごたらしいさまを告発している。(『原爆詩集』には収録されていないが、原爆の惨状を記した最初の作品として、記念碑的意味をもっている)

 彼ははじめから「原爆詩人」ではありえなかった。一般的な「軍国青年」であり、八月一五日(敗戦)の日記には「ただ情けなく口惜しき思いに堪えず」「かくなる上はすべての財を捨て山に籠り命をもいずれ捨つる覚悟」と記している。苦悩し発展のバネに変えたのは、青年文化連盟に加入し社会的活動への参加が大きなきっかけとなっている。事実、翠町(移転後は昭和町の平和アパート)の自宅は、多くの青年・学生の溜まり場となり、戦後広島の文化運動を牽引した。近く(県病院そばの宇品)にはシベリアから帰還した生涯の盟友・四國五郎が住み、主宰した「われらの詩」はこの地で誕生したといっていい。(特に言論統制下、辻詩と呼ばれ、詩と絵を組合わせた反戦・反核のポスターで街頭に貼り出した作品は四國・峠の協働作業で一五〇~二〇〇枚作成されたが、現存するのはわずか八枚。『原爆詩集』ガリ刷の初版表紙・挿絵は四國五郎によるものである)
   昭和町(当時は平野町)の平和アパート:市営住宅として初の鉄筋コンクリート化がはかられ、一九四九年(昭二四)完成。京橋川沿い(比治山橋のたもと)に三棟が建てられ、当時とすればモダンな住まいであり、入居できる人は羨望の的であった。現在も使われているが、広島市は解体の計画。(峠三吉住所:平野町昭和第三アパート一五号:「われらの詩の会」の事務局でもあった)
   四國五郎:画家・詩人としてヒロシマをテーマに活躍。絵本『おこりじぞう』(金の星社)は多くの人に親しまれている。峠三吉との交友は有名で、翠町・昭和町の平和アパート(峠の自宅)は二人の創作活動の原点といっていい。なお、戦前の被服支廠に就職し、この地から戦場に向った。

短期間であったが、峠三吉は広島県庁社会課に勤務し、憲法普及運動にたずさわったことがある。当時県庁は、旧・兵器支廠(現在の広島大学医学部)を使用。いかめしい赤れんがの建物群に圧倒されたのを覚えている。(広島県関連だけでなく、国の出先機関もあり活況を呈していた)
当時、国鉄宇品線は通勤・陳情の足として、もよりの駅「上大河」(かみおうこう)付近は繁華街でもあった。(一杯飲み屋はもちろん、代書屋:書類や申請書の代筆を行う、写真館、食堂などありとあらゆる店が軒を並べていた)
この駅は県庁関係者はもとより、旧・被服支廠に隣接している県立皆実高、県立工業高、進徳女子高、女子商業高、比治山女子高、市立工業高、広大東雲中など多くの生徒も利用し、ちょっとしたスクールゾーンでもあった。
同時に、被服支廠に通う職工相手に拓けた皆実町商店街(電停:専売局を基点として、被服支廠正門につながっていた)は、そのまま県庁への道として繁栄した。(現在、さびれた一本の道として残っているが)
蛇足になるが、峠三吉はこの商店街の入り口で、生活のため(日記にはそう記している)露店の「みどり洋花店」を開いたが失敗(一九四五年一〇月)。同じように、一九四六年、猿猴町で貸本屋「白楊書房」を開き、妻となる原田和子と知り合うことになる。
あまり記憶されていないが、被服支廠正門近く(進徳女子高校南)にはシュモーハウスが建てられた。米国のフロイド・シュモー氏は原爆投下に心を痛め、住まいを失った広島の人々のために家を建てる活動をすすめ、皆実町、江波町、牛田町に一九棟を学生などの協力を得て建設シュモー住宅とよばれた。(現在、江波二本松に一棟残り、平和記念資料館附属施設として使われている)

峠三吉の活動を中心にしたきらいがあるものの、旧・被服支廠を中心に、翠町、県庁(旧・兵器支廠)、青年会館(旧・電信隊将校集会所)などを切り結ぶと、ささやかながらあの時代の息吹が伝わってくる。
 愛惜を込めあの時代をなぞったつもりである。
 旧・被服支廠は戦後、師範学校の授業、寮、図書館、運輸会社の倉庫などとして使われ、いわば復興の一翼を担ってきた。その建物を充分な議論のないまま取り壊すことを許してはならない。(被服支廠同様、峠三吉が住んだ「平和アパート」も危機に瀕している)今こそ有効活用の道を!




2020年5月25日月曜日

安倍の嘘とパンデミック


社会的弱者=「構造的暴力」被害者の痛みと怒りの連帯を、安倍政権打倒の市民運動につなげよう!

トランプの嘘、安倍の嘘、ナショナリズム

  アメリカの著名な言語哲学者で政治評論家のノーム・チョムスキーは、92歳という高齢ですが、今も米国政府に対する厳しく鋭い彼の批判力は少しも衰えていません。そのチョムスキーは最近、トランプ政権に言及するときには「mob in White House」とか「gangsters in White House」という表現を盛んに使います。「mob」というのは「暴力集団」という意味で、「gangsters(ギャング集団)」とほとんど同義語ですから、両方とも「ホワイト・ハウスの暴力団」という意味になります。
  安倍晋三内閣も、これまでの様々な、あからさまな違憲・脱法行為や汚職隠蔽行為から考えるなら、同じように「霞が関のヤクザ集団」と呼ぶべきでしょう。ただやっかいなのは、トランプも安倍も「政治暴力団の親分」でありながら、機会あるごとにナショナリズムを鼓舞して、「米国ナンバー・ワン」や「強くて美しい日本」を訴え、そのことで民衆を魅惑してきたことです。
  では、ナショナリズムとは一体何なのでしょうか?「定義してみろ」と言われても、なかなか明確には定義できないやっかいな観念です。『動物農場』や『1984年』などの名作の著者として有名な英国の作家、ジョージ・オーウェル(1903〜50年)の短い評論の一つに「ナショナリズム」と題されたものがあり、この中で彼は以下のようにナショナリズムの特徴の一つを描写しています。
 
「ナショナリズムとは自己欺瞞によって鍛え上げられた権力への渇望なのである。全てのナショナリストは最もひどい嘘であろうと受け入れる能力を持っているが同時に……何か自分自身よりも大きな存在に仕えているのだという意識があるために……自らの正しさに対して揺るぎない確信を持っているのだ。」
(強調:引用者)

  つまり、ナショナリストは、自分と自分の周りを嘘でかためることで他人をも騙し、欺きの連続で権力を掌握し続けるという強い欲求があるのだと、オーウェルは言っているのです。しかし、さらにやっかいなのは、その大嘘ツキが、なにか「大きな存在」、例えば「強くて美しい国家」という勝手に作り上げた観念に自分を仕えさせて、自分がすばらしく「正しい」仕事をしているのだという確信をもっていることです。その「正しい」という確信のゆえに、自分が嘘をついて他人を欺いていることに、ほとんど罪悪感を感じないわけです。通常の人間には理解するのが難しい心理状態ですが、それが現実なのでしょう。でなければ、トランプも安倍も、あれだけ次々と嘘をついていながら、平気でいられるはずはないでしょう。最も極端な例は、ドイツを「世界支配の大帝国」にするという自分が作り上げた「正しい夢」にあくまでも仕えていた、ヒットラーでしょうね。
  しかし、さらなる問題は、こうした自己欺瞞と嘘でかためた権力掌握者=暴力団親分におもねり、その親分の庇護下で自分も小権力を持ち、なにか「すばらしい仕事をしている」という虚妄の確信を持つ小権力保持者=子分が集まってくるという現象。しかし、これらの子分もナショナリストであることを当然要求されますから、「最もひどい嘘であろうと受け入れる能力」を身につけていなければなりません。あるいは、まだ身につけていないならば、身につけるように努力しなくてはなりません。東京高検の検事長の定年延長を決めたことに関して(もちろん安倍が決めたのでしょうが)、子分=森雅子法務大臣が、国会答弁で「最もひどい嘘であろうと」つけるのはまさにこの理由からです。しかし、彼女の場合は、最初からボロボロに「嘘が丸見え」であることが致命的でした。親分にしてみれば、「なんでもっとうまく嘘がつけないんだ」という怒りが生じてきたことでしょう。
  この点が少しトランプ政権と違うように思えます。ホワイト・ハウス暴力団の場合は、どうしても嘘をつけない子分が次々と更迭されていますが、日本の「霞が関のヤクザ集団」の場合はそれが全くありません。親分の言いなりです。この日本特殊の現象は、天皇制と深く関連していると私は考えています。(この現象を私は「心の内なる天皇制」と呼びますが、詳しくは拙著『検証「戦後民主主義」:なぜわたしたちは戦争責任問題を解決できないのか』三一書房、2019年を参照してください。)

安倍政権のパンデミック対応と「構造的暴力」の被害者

  しかし、ここにきて、「霞が関のヤクザ集団」の支配力が急激に弱体化しつつあります。
  日本の場合、「霞が関のヤクザ集団」の親分がコロナ・ウイルスという感染病の「無差別殺傷力」を過小評価し、7月末「オリンピック開催」にあくまでもこだわり、感染防止対策にはほとんど力を入れないどころか、意図的に感染者数を少なく見せようとしたのか、PCR検査はほとんど行わない対応を取り続けました。3月末にオリンピック延期が決まったあと、感染防止対策にようやく腰をあげるようになりましたが、その後も検査には極めて消極的で、2月中旬から4月末にかけて行った検査数は千人当たり1.9以下。イタリアの31.6、ドイツの30.4はもちろん、米国の17.5と比較してもあまりにもおそまつ。日本政府のやる気のなさがはっきりとこの数字に表れています。
  経済対策でも、汚れたマスクの配布に466億円を当て、生活支援臨時給付金の決定でも、当初の収入減世帯対象の30万円から一律一人当たり10万円に変更するまでに、多くの時間を費やしました。4月7日になってようやく「緊急事態宣言」を出すと同時に「緊急経済対策」を発表。その発表で安倍親分は、世界でも稀な大規模予算、総額108兆円(GDPの20%)を経済対策費に当てると豪語しました。ところが、これもいつもの虚言で、実質の新規財政拠出額は10〜20兆円で、GDPの2〜3.7%、人口5百万を切る小国のニュージーランドの初期対策費(GDPの4%)より低いのです。
  実はこのとき、日本は隣国の韓国から学ぶべきことが多々あったのですが、韓国を見下している安倍親分には一向にその気はなかったようです。韓国は2009年と2015年の二度にわたって感染病大流行に襲われ、その対策に失敗して多くの感染者と死亡者を出しました。その経験から学びとり作り上げた感染病対応モデルが、「開かれた民主社会のための躍動的な対応体系」と呼ばれるもの。このモデルは「開放性」、「透明性」、「民主制」の三つの基本方針から成っていおり、(1)透明で迅速な情報公開、(2)開放的な民主主義と共同体精神を尊重する多くの市民の自発的な参加、(3)創意的な方法の模索とIT技術の積極的な活用、を目標としました。診断キットの早期開発に努め、できるだけ多くのPCR検診で感染者を早期に発見し、個人情報の保護に細心の注意を払いながら携帯電話のGPSを使って感染ルートを追跡するなどして、それらの情報を全面的に公開。その上で、人と物資の移動制限を極力抑え、防疫効果を最大限にするという方策がとられました。そのため、日本やオーストラリアで見られたトイレット・ペーパーの買いだめなどという醜い行動は、韓国ではみられませんでした。
  「徹底した情報公開により政府と市民の間に強い信頼を醸成し、それを基盤に市民の防疫への自発的参加をうながし、可能な限り封鎖を行わない対策を取る」という点で、大きな成功をおさめたと言えます。その結果、感染者数も死亡者も日本より少ない中で、事態はすでに収拾に向かっています。文政権支持率71%が裏付けている「政府と市民の信頼関係」の背後には、日本による植民地支配や戦後の軍部独裁政権と長年にわたって闘ってきた韓国人民衆の、民主主義獲得運動の積み重ねがあることは言うまでもありません。
  日本では、予想した通り、多くの国民、とりわけ日本の雇用者数の4割近い非正規労働者(そのうちの半数以上が女性)の多くが職を失い、すでに昨年末で162万人と言われている失業者がここで急増し、ホームレスも増えています。すでに困窮状態にあった多くの女性の非正規労働者、とりわけ母子家庭の生活状況が急速に悪化しています。母子家庭の中には、毎日の食料確保にさえ困っている人たちも出てきています。感染者とその家族への差別や、家庭内暴力(いわゆるDV)も急増。資金繰りができなくなった中小零細企業(とくにホテル、旅館、居酒屋、レストラン、飲食店、婦人服店など)で、すでに倒産する企業が増えています。残念ながら、これから栄養不良による様々な病気の併発、精神疾患や自死も急増するでしょう。パンデミックは無差別に人間を襲うという一般論にもかかわらず、このように被害は社会的弱者に集中する傾向が強くあります。
  にもかかわらず、「森友問題」や「桜を見る会問題」での批判に対応するために多くのエネルギーを割き、経済対策でも後手後手に回っているにもかかわらず、自己の権力維持のために「検事長定年延長」や「憲法改悪」にやっきになっている安倍親分。その結果、パンデミックの影響をもろに受けている多くの国民が、貧困、病気、飢餓、差別、DVなど、つまりヨハン・ガルトゥングの唱える「構造的暴力」の犠牲者となっています。かくして、もともと多くの「構造的暴力」問題をかかえ、市民の政府への深い不信が日常化している「歪んだ民主主義社会」が突然にパンデミックという危機にみまわれると、「構造的暴力」が急速に激化するという現象がみられます。これはもちろん日本だけではなく、世界的現象、とりわけ「第三世界」と難民キャンプでパンデミックによる「構造的暴力」の爆発現象がみられますが、これについては日をあらためて言及したいと思います。

社会的正義感の希薄性克服と「構造的暴力」被害者連帯の必要性

  本当ならば、このような嘘と欺瞞でかためられた「霞が関のヤクザ集団」を、とっくの昔に市民が打倒していなければならなかったのですが、この暴力集団の「もっともひどい嘘」に対して強い声をあげずに、なんとなく受け入れてきた多くの国民の側に、政治家や官僚の嘘を徹底的に追求批判しようという「社会的正義感」が薄れている、逆に言えば社会的不正義にたいして怒りを覚えない、という、この日本社会の大きな弱点があります。日本のこの「社会的正義感の希薄性」は、天皇裕仁と(日本軍を含む)日本政府が犯した戦争犯罪とその戦争責任を徹底的に問わないままに、「平和憲法」を受け入れてしまった「国家的正義行為」、ならびに、そんな歪んだ「戦後民主主義」政府が推し進めてきた教育政策と、深く関連しているというのが私の考えです(詳しくは、これまた拙著『検証「戦後民主主義」』を参照してください)。日本の「社会的正義感の希薄性」にはこうした歴史的背景がありますので、この問題を克服するのは容易ではありません。しかし、歴史をしっかり学び直し、これを克服しない限り、日本に民主主義的な社会を打ち立てることは不可能だと私は思っています。(なお、日本における「正義感の希薄性」は、一般的な日本人の「人権感覚の希薄性」と深く関連している問題ですが、この問題については、時間とスペースの都合上、また別の機会に議論したいと思います。)
  これまで「霞が関のヤクザ集団」の不正に怒りの声をあげる人たちが総体的には少なかった日本ですが、パンデミック対応のまずさでさまざまな「構造的暴力」が激化し、その被害者が急増する中で、その被害をもろに受けているフリーランスの芸能人たちが、「自分たちの無収入状態」の怒りによって「正義感」を刺激されたようで、5月9日、ツイッター上での『#検察庁法改正案に抗議します』という抗議で、「安倍政権、おかしいぞ!」の声が拡散。この投稿数は2日で700万件近くにものぼったということです。こうして、パンデミック対応の失敗でグラつきはじめた「霞が関のヤクザ集団」に、ようやく一部の市民の本気の怒りがモロにぶっつけられ、その嘘と欺瞞に国民の多くが目を向けるようになり、このヤクザ集団に風穴があけられつつあるというのが現状でしょう。
  私たちがここで必要なのは、この今こそ、パンデミックによる「構造的暴力」激化の多くの被害者の痛みと怒りを連結させ、それを大きな市民運動のウネリにまで高め、「霞が関のヤクザ集団」の親分・子分を一網打尽にすることです。今こそが、パンデミックという凶猛な感染病を逆手にとって、 「霞が関のヤクザ集団」という大嘘で汚れきった、毒性の極めて高い病原菌を撲滅する絶好のチャンスなのです。
- 完 

こんなパロディも作られるようになりました:
鬼のパンツ20万回再生のオペラ歌手が【アベノマスク】を熱唱!!!
フェイク予告まとめ動画 - 安倍ンジャーズ編!
https://www.youtube.com/watch?v=UzhRHNY3Ijs


 

2020年5月16日土曜日

日本軍性奴隷問題に関するお知らせなど


I: 日本軍性奴隷問題に関する二つのお知らせ
II: 『週刊金曜日』(5月22日発売号)掲載予定拙論

I: 以下、日本軍性奴隷問題に関する二つのお知らせです。拡散していただければありがたいです。

(1)少し遅くなりましたが、日本軍慰安婦問題解決ひろしまネットワークからのお知らせです。

20111214日、ソウル日本大使館前での水曜デモに連して広島で始めた水曜街頭行動は、日で第100回を迎えました。盛大に100回目を展開したいと考えていましたが、今回の未有の新型コロナウィルス感染大のため街頭行動は中止しました。

次のように第100回水曜行動をyoutubeで配信します。
回からの街頭行動の子と活動を振り返ると共に、日本軍性奴被害者の過酷な被害体と想い、訴えを綴ります。
100回までには延べ何人の方々が参加されたのでしょうか。参加者の皆さんの熱い想いを思い出しながらまた、被害者の方々がながらに訴えた胸を抉るような叫びにえることができていない無念さも感じながら作成しました。
また、今年日のフラワーデモの子も合わせて紹介いたします。
岩のようにの吉元玉ハルモニの歌もしんでください。
是非ご覧ください。
これまでの参加者に感謝しつつ。

第100回水曜行動
()1200公開配信

(2)最近、日本軍性奴隷制度の被害者のお一人である韓国の李容洙さんが、日本軍性奴制問題解決のための正義記憶連前代表の尹美香さんを厳しく非難されていることが大きくメディアで取り上げられています。この問題について、日本軍慰安婦問題解決全国行動が、5月13日に声明を出しました。この声明文で適格に述べられているように、日本軍性奴隷制度をめぐって起きている様々な問題の元凶と責任は、軍性奴隷制度という史上まれにみる大規模な軍性暴力制度を設置し、アジア太平洋地域と日本の無数の女性を由々しい「人道に対する罪」の被害者にした日本政府、しかもその責任をいつまでたってもとろうとしない日本政府にあること、この事実を私たちは決して忘れてはなりません。この事実を忘れて、被害者女性や被害者支援団体/支援者があたかも不義不正を行っているかのごとく非難すること自体が、被害者を二重に被害者にし続けている、許しがたい非人道的行為です。このようなことが起きないようにするためにこそ、日本政府に責任の自覚を持たせ、責任をとらせることが、私たち市民の責任です。
  以下、日本軍慰安婦問題解決全国行動声明文の全文を紹介します。
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日本政府、日本社会こそが責任を問われている
被害者を追い詰めたのは誰か

 30年間家族のように過ごしてきたハルモニが示された念な思い、尹美香(ユンミヒャン)前代表が去った時に感じたであろう不安、何よりもこの問題が解決されていないことへの怒りを謙に受け止め、李容洙(イヨンス)ハルモニを不本意ながらも傷つけてしまったことにし心からお詫びいたします
  日本軍性奴制問題解決のための正義記憶連(正義連)の李娜榮(イナヨン)理事長は511日、李容洙ハルモニへの謝罪の言葉で記者会見を開始した。これに先立つ57日、日本軍慰安婦被害者である李容洙ハルモニが会見を開き、もう水曜デモには出ない」「尹美香はこの問題を解決してから(国会に)行くべきだ等と発言したことにして、正義連が謝罪の言葉を述べたのである。
  しかし、真に謝罪すべきは誰なのだろうか。李容洙ハルモニの苛立ちと不は誰に向けられたものなのだろうか。
  30
年間、被害事実の認定と心からの謝罪、それに基づく賠償、たゆまぬ真相究明と教育等の再発防止策が求められてきたにもかかわらず、未だその声にえることが出ていない日本政府にこそ、被害者をこのような況にまで追い詰めた責任がある。そして、日本政府に責任を取らせることが出ていない私たちは、日本の市民として、その責任の重さを痛切に感じ深く恥じ入る他ない心情だ。

一部韓国メディアは質なでっち上げ報道を直ちにやめよ

 ところが、この李容洙ハルモニの哀切な訴えを利用して、尹美香前代表や正義連が明確な明を繰り返しても疑惑がありけるかのように印象づけようとする一部韓国メディアの報道が日しに度を超している。中でも、2015年の日韓合意をめぐる疑惑なるものは、時の運動過程を共にんだ私たち日本軍慰安婦問題解決全国行動にとっても聞き捨てならないものだ。それは、尹美香前代表が日韓合意の容を事前に知っていながら被害者たちには伏せていたという疑惑だ。これは、時の韓国外交省関係者らが尹美香代表は事前に知っていたのに、発表されると豹して合意に反した」「外交省は事前に被害者たちとの協議を15回にわたって行った等と、これまで吹してきたものが再燃した形だ。これについては、510日に発表された共に民主党の論評が簡潔に事実を語っている。
 朴槿恵政府時、外交部(外交省)は被害者と関係体とは何らの事前の協議もなく、1227日午後に開かれた日韓局長級協議で全ての事項を決定し、日(27日)の夜に尹美香時の挺協常任代表に1.責任を痛感、2.謝罪反省、3.日本政府の国庫からの出という合意容の一部を、機密保持を前提に一方的に通告した。不可逆的解決、国際社会で言及しない、少女像の撤去等の容は外されていた。事前協議というのも外交部の正月等の挨拶訪問のみだった<( )者補足>
 被害者と協議することが既に不可能な発表前日の夜くになって、然反されるであろう容を伏せて一部の容だけを尹美香前代表に告げたのが、外交省の言う事前協議の全てであることは、時の況をつぶさに共有していた私たちも明確に記憶する事実だ。この事実については現在、韓国外交省も2017年の日韓合意証で述べたとおりという形で、尹前代表側の主張が正しいことを追認している。
  他にも、李容洙ハルモニの発言からは遠く離れて、個人のプライバシーにまで土足で踏み込む報道合まで繰り広げられている況にして私たちは固抗議し、即刻このような非人的な報道、根なき歪曲報道をやめるよう訴える。一部韓国メディアの歪曲報道は、日本政府が、そして日本社会が歴史を直視して未の平和へとげるための道を邪魔するものになりかねないことを付言しておく。

今後も性暴力の根と平和を求める道を共にける

  正義連の運動は、正義連だけのものではない。自らの痛みを吐露することで二度と同じようなことが起きないよう世界に警鐘を鳴らし、時下で、あるいは日常の中で性暴力の被害に遭った女性たちに勇と希望を与え、記憶し承することが再発防止の道であることを示してくれた日本軍慰安婦被害者たちの思いと運動に連なってきた世界の市民たちが共に築きあげてきた運動だ。その運動を今後は韓国国会で実現していくという尹美香前代表の新たな挑今後もらぐことなく進んで行くという正義連の決意に、私たちは大なる信と支持を送り、今後も連を強めていく。
 
最後に、日本政府の責任履行という被害者たちの切実な願いを未だ実現させることができていない日本の市民として、李容洙ハルモニをはじめとする各国の被害者、亡くなった被害者たちに心からのお詫びを申し上げる。今後も、私たちは李容洙ハルモニの同志として、共にあることを伝えたい。

2020
513

日本軍慰安婦問題解決全国行動
共同代表  梁 澄子、 柴 洋子
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II: 『週刊金曜日』(5月22日発売号)掲載予定拙論

来週金曜日5月22日に発売される『週刊金曜日』(第1281号)に拙論「新型コロナに勝利宣言したニュージーランド パンデミックに抗する民主主義の強さ」が掲載される予定です。ご笑覧いただければ光栄です。
http://www.kinyobi.co.jp/  (次号予告をご覧ください)

2020年4月30日木曜日

Nuclear Issues - 1990-2019


核兵器問題 1990年〜2019年

日本語の説明は英語の説明の後にあります。

  At present Australia, like New Zealand, is in the fortunate position to be experiencing a decline in the number of new cases of Corona virus, although
sadly many other parts of the world are still facing a worrying increase in new cases as well as deaths. The severity of this pandemic has naturally led the media to focus on this global problem. Accordingly, many other crucial issues like global warming and nuclear issues have been ignored. Distressingly, the current and future situation regarding nuclear weapons worldwide looks very grim.
  In 1998, my wife, Jo, and I translated the Japanese picture book, Hiroshima no Genbaku (Fukuinkan Shoten, Tokyo) written by Nasu Masamoto and illustrated by Nishimura Shigeo. The title of the English edition is Hiroshima: A Tragedy Never to Be Repeated. This book gives information on the historical background of the production of the A-Bomb that was dropped on Hiroshima, as well as the devastating effects of the bomb upon the people in this city. The book also details basic scientific information on nuclear physics, nuclear arms and illnesses caused by radiation. At the end of the book, there is an historical chart, which gives information on major events and nuclear accidents that happened every year between 1945 - 1997.
  The book has consistently sold well in Japan over the past 22 years, in particular at the A-Bomb Museum bookshop in Hiroshima. In recent years we had become increasingly aware that the historical chart should be extended from 1997 to the present. However, technical problems when re-printing meant this was not easy. Instead, when preparing for the new edition released in November last year, we elected to add a short explanation about the history of nuclear issues between 1990 and 2019 at the end of the book.        
  Below is a copy of this explanation and we hope this will help you to understand how critical the situation regarding the nuclear arms now is. 




 


Nuclear Issues - 1990-2019

  During the early 1990s there was a positive shift towards nuclear disarmament among the major nuclear power states, mainly due to the official end of the Cold War at the close of 1989, following the fall of the Berlin Wall in November that year. Simultaneously, however, a reverse trend emerged within some smaller nations. This was partly related to the outcome of the Gulf War in January 1991, in which Iraq was decisively defeated by the coalition forces led by the US military. Shortly after the war, smaller nations hostile to the US such as North Korea and Iran began contemplating developing nuclear weapons themselves as a deterrent to the US. In 1993 North Korea withdrew from the NPT (Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons) and in the following year from the IAEA (International Atomic Energy Agency). In 1993 it tested its first intermediate-range missile, Nodon 1. Twelve years later it claimed possession of its first nuclear weapons and in 2009 it produced an ICBM (inter-continental ballistic missile). Similarly, after the Gulf War, Iran strengthened its desire to produce weapons-grade plutonium itself and has pursued this aim ever since.       
  It should be noted that during the Gulf War, the coalition forces led by the US used 950,000 depleted uranium bullets (about 300 tons), which later caused “the Gulf War Syndrome” - acute symptoms similar to those caused by radiation exposure - among US soldiers. NATO forces also used about 10,000 depleted uranium bullets during the Bosnian War between 1992 and 1995, and again more than 30,000 bullets during the Kosovo Conflict in March-June 1999. On each occasion symptoms similar to “the Gulf War Syndrome” affected NATO soldiers.      
  India, which conducted its first nuclear weapon test in 1974 as a deterrent to China and Pakistan, carried out nuclear tests five times in mid-May 1998, one of which was an H-bomb test. To counteract this bold demonstration of nuclear power, Pakistan, too, conducted six nuclear tests in late May the same year, thereby creating a serious possibility of nuclear war between these two nations. This risk still exists today. 
  Although the major nuclear power states ceased nuclear weapon tests by the mid 1990s, in the latter half of that decade both the US and Russia started so-called “subcritical nuclear experiments.” These tests serve to identify and diminish uncertainties in weapon performances without actually exploding nuclear weapons. Ever since the US, Russia and China have repeatedly conducted such experiments as a substitute to underground nuclear weapon tests.
  On September 10, 1996, the United Nations General Assembly adopted the CTBT (Comprehensive Nuclear-Test-Ban Treaty) – a multilateral treaty that bans all nuclear explosions in all environments. As of February 2019, 168 states have ratified the CTBT and another 16 states have signed this agreement, although not yet ratified it. The US, China, Israel, Iran and Egypt have signed but not ratified; India, Pakistan and North Korea have not signed it.
  On September 11, 2001, the Islamic terrorist group al-Qaeda carried out a series of suicide attacks against the US, completely destroying the World Trade Center in New York and partially damaging the Pentagon Building in Washington DC. Almost 3,000 people were killed. In October that year, the US responded by declaring a War on Terror and invaded Afghanistan to depose the Taliban. In March 2003, the coalition led by the US forces invaded Iraq, claiming that Iraq was behind these terrorist attacks and was also producing nuclear as well as chemical and bacteriological weapons. Ultimately no such weapons of mass destruction were found in Iraq. In order to confront terrorist groups and “rogue states,” the US started placing new emphasis on “non-strategic nuclear force employment” and limited or regional nuclear operations. It meant a greater focus on tactical nuclear weapons including the development of “mini-nukes,” despite an overall reduction in the number of nuclear weapons.              
  In May 2002 the US and Russia concluded negotiations on SORT (Strategic Offensive Reductions Treaty), which stipulated a ceiling of 1,700-2,200 deployed strategic warheads for the nuclear arsenals of each country. Since the end of the Cold War, the two nations had made efforts to reduce their nuclear weapons through a number of treaties like START I (Strategic Arms Reduction Treaty) signed in 1991 and START II signed in 1993. START I barred its signatories from deploying more than 6,000 nuclear warheads in addition to a total of 1,600 ICBM and bombers equipped for nuclear armaments. Yet, START II, which aimed to further reduce the number of nuclear warheads in both countries to a cap of 3,000–3,500, did not come into force due to disagreement over the issue of missile defense.
  New START was signed by US President Barack Obama and Russian Prime Minister Anatolyevich Medvedev on 8 April 2010. This new treaty was to reduce the number of deployed strategic nuclear warheads to 1,550, 10% less than the deployed strategic warhead limit of the 2002 treaty SORT. It was also to limit the number of deployed ICBMs, SLBMs (submarine-launched ballistic missiles) and heavy bombers equipped for nuclear armaments to 700. The treaty came into force on February 5, 2011 and is due to expire on February 5, 2021.
  On April 5, 2009, a year prior to the New START agreement, Obama made a grand speech in Hradčany Square in the center of Prague, where he spoke of his dream to abolish nuclear weapons. This announcement led him to win the Nobel Peace Prize that year. New START was undoubtedly a remarkable achievement, but in actual fact, many dismantled nuclear warheads are stockpiled and still operational in both the US and Russia. The treaty does not limit the number of such operationally inactive stockpiled nuclear warheads. Thus, as of May 2019, Russia has a stockpile of 2,730 deployable nuclear warheads and the US 2,050. In addition, both the US and Russia have 1,600 nuclear warheads each currently under deployment. The total estimated number of deployed and deployable nuclear warheads worldwide is 9,155, of which 7,980 (87%) belong to the US and Russia. About 1,800 out of 3,759 currently deployed nuclear weapons throughout the world are categorized as “high alert,” meaning they can be launched very quickly. These nuclear weapons alone could destroy the entire world many times over.  
  Despite these agreements, some nuclear power states, in particular the US, continue to allocate a huge annual budget for “modernization programs” of nuclear weapons. Notwithstanding his Prague speech and Nobel Peace Prize of 2009, Obama substantially increased the US budget for refurbishing existing deployable warheads through the so-called “Life Extension Program,” modernizing “Strategic Delivery Systems” (missiles, submarines and bombers) and the “Nuclear Weapons Production Complex.” In 2014, his administration projected that the US would spend a staggering $1 trillion over the following 30 years to maintain the current arsenal, by buying replacement systems 
and upgrading existing nuclear bombs and warheads.
  In April 2014, the government of the Republic of the Marshall Islands filed lawsuits in the ICJ (International Court of Justice) in The Hague to hold the nine nuclear-armed states accountable for flagrant violations of international law with respect to their nuclear disarmament obligations under the 1968 NPT (Nuclear Non-Proliferation Treaty) and customary international law. The lawsuits filed in the ICJ were accompanied by a related lawsuit in the US Federal District Court in San Francisco against the United States. These were unprecedented legal actions against the violation of NPT by the nuclear power states. 
  The US government under the Trump administration intends to continue the “modernization plan” laid out by the Obama administration. It aims to develop several new nuclear weapon capabilities, in particular small-size and “usable” tactical nuclear weapons as well as low-yield (SLBM) submarine-launched ballistic missiles. It also proposes the longer-term development of new nuclear submarine-launched cruise missiles (SLCM).
  On February 2, 2019, the Trump administration notified Russia of the US intension to withdraw from the INF Treaty - the agreement for banning Intermediate-Range Nuclear Forces – signed by the Soviet Prime Minister, Mikhail Gorbachev and the US President, Ronald Regan in December 1987. As a result, the INF Treaty was terminated on August 2, 2019. This treaty was a significant step towards the end of the Cold War in December 1989. Trump claimed that Russia was violating the treaty by building and deploying a new type of cruise missile known as the SSC-8 and thereby jeopardizing US national security. The Trump administration also suspects that China, which is not a party to the INF Treaty, is gaining military advantage in East Asia by deploying large numbers of treaty-noncompliant missiles.
  As noted above, New START, which came in to force in February 2011, will expire in February 2021. Although a 5-year extension is possible, the future of this treaty does not look secure given the current unpredictable bilateral US-Russian relationship. If New START becomes ineffective in 2021, there will be no legal binding force to limit the nuclear arms forces of the two most powerful nations, meaning the world nuclear situation would revert to that of 1972 – a disastrous regression.
  Since 2010, in particular, civil movements against nuclear weapons such as ICAN (International Campaign Against Nuclear Weapons) have been vigorously active. Established in April 2007, ICAN used IPPNW (International Physicians for the Prevention
of Nuclear War) as its base for augmenting the campaign against nuclear weapons. IPPNW had been awarded the Nobel Peace Prize in 1985. ICAN in turn made a significant contribution to making the United Nations adopt the TPNW (Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons) which was adopted on July 7, 2017 by a vote of 122 to 1. This treaty, which prohibits the development, testing, production, manufacture, acquisition, possession, stockpiling, transfer, use and threatened use of nuclear weapons or other
nuclear explosive devices will come into force once it has been ratified by 50 states.
 ICAN was awarded the Nobel Peace Prize in 2017 for this achievement. As of August 2019, however, only 26 of 70 signatory states have ratified the treaty.
  Nuclear weapons and their role in the world today are a matter of grave concern for the reasons indicated above. A constant reminder of their dangers are the devastating and on-going effects of accidents at nuclear power stations like Chernobyl in the Ukraine in April 1986 and Fukushima in Japan in March 2011. In order to achieve a safe and peaceful world, free from the dangers of irradiation and mass destruction a myriad of complex problems centered around nuclear weapons and energy must first be overcome.

(September 2019)
Yuki Tanaka & Joanna King

ps. For some cheerier inspiration see Pete Seeger singing Forever Young

日本語説明
  この数日、オーストラリアのコロナウィルス感染者数は、ニュージーランドと同様に、かなり減って一桁台になってきました。しかし世界各地の状況は、まだまだ感染者も死亡者も増え続けています。もちろんこのパンデミック問題はひじょうに重要ですが、メディアはこの問題に集中して報道活動を続けているため、他の重要な問題、とりわけ地球温暖化と原発・核兵器問題がないがしろにされています。
  しかし、核兵器問題については世界の状況はこの数年ひじょうに悪化しています。昨年8月には、1987年に締結されたINF(中距離核戦力全廃)条約を、アメリカが一方的に破棄しました。来年2月にはNew START(新戦略兵器削減条約)の期限が切れますが、トランプ大統領はこれを延長するつもりはありません。したがって、この条約が失効すると核兵器を規制する国際条約は皆無となります。そんな状況の下、アメリカは使用可能な小型核兵器の開発・製造にやっきになっています。ひじょうに危険な状況になっているのです。
  22年も前のことになりますが、那須正幹・作、西村繁男・絵『絵で読む広島の原爆』(福音館書店、1995年)を私は妻と一緒に英語に翻訳しました。幸いにして、この英語版はこの22年という長い間、地道に売れ続けてきましたが、この本の最後に付けられている歴史年表は1945年から始まり1997年で終わっています。したがって、かなり前から、英語版の歴史年表を97年から現在まで加筆したいと思っていたのですが、印刷技術の面からそう容易ではないことを福音館書店から知らされました。そこで、昨年9月に、1990〜2019年までの核兵器問題に関する世界の動向について簡略に解説する英文を英語版の本の末尾につけることを出版社に提案し、受け入れてもらいました。したがって、現在、原爆資料館で販売されている英語版には、この解説文が付けられています。この解説文を上でそのまま紹介しています。英文で申し訳ありませんが、これを読んでいただければ、いかに状況が悪化しているかを理解していただけると思います。
  将来が子供たちにとって少しでも明るく安全な社会になることを祈りつつ、ピート・シーガー(1919〜2014年)の歌(ボブ・ディラン作曲)を送ります。