2017年1月18日水曜日

追悼:ウィーラマントリー判事


核兵器と原発の「人道に対する罪」」を訴えた続けた国際判事


2017年1月5日、元国際司法裁判所次長、国際反核法律家協会・会長のクリストファー・ウィーラマントリー判事が90歳で亡くなられました。慎んで哀悼の意を表します。

私がウィーラマントリー判事のことを初めて知ったのは、1996年7月に国際司法裁判所の「核兵器の使用と威嚇の適法性に関する」勧告的意見、すなわち「核兵器の使用と威嚇は一般的には国際法違反であるが、自衛のためには許される」という内容の意見が出されたときでした。この勧告的意見に対し、このとき判事の一人であったウィーラマントリー判事が「核兵器の使用と威嚇はいかなるときでも違法である」という長文の個別意見(=反対意見)を発表され、様々な観点からその違法性を明確に、鋭く指摘されたのを読んで、私はいたく感激しました。私は当時、メルボルン大学政治学部で教えていましたが、1972年から91年まで、ウィーラマントリー判事がメルボルンの別の大学、モナシュ大学法学部の教授であられたことを、恥ずかしながら、そのときは全く知りませんでした。後年、ウィーラマントリー判事と知り合ってから、国際司法裁判所判事を務めておられたときも、まだメルボルンにご自宅があり、しばしばメルボルンに帰っておられたことをお聞きして、そのときお会いしなかったことを残念に思った記憶があります。

私がウィーラマントリー判事と直接お会いしたのは、はっきりいつだったのか憶えていないのですが、おそらく2005年か2006年頃だったかと思います。2000年には国際司法裁判所判事の職を辞され、生まれ故郷のスリランカに戻られ、平和ウィーラマントリー国際平和教育研究センター」の設置に努力されました。私がお会いしたのは、ウィーラマントリー判事がそのセンター設置のための資金集めのために日本を訪問されていたときで、その折、広島にも訪問され、当時まだ市内にあった広島平和研究所の私の研究室にまで足を延ばしていただいたことに本当に光栄に感じました。

ちょうどそのとき、私は、広島の反核平和活動家仲間たちと「原爆投下を裁く国際民衆法廷」の2007年7月開廷を準備していた真っ最中だったので、これは好機と思い、ウィーラマントリー判事にこの民衆法廷の計画をご説明して、「民衆法廷で裁判長を務めていただけませんか」とお願いしてみました。「もちろん、喜んで」という即答をいただけるものとばかり思っていたのですが、実際の反応はきわめて否定的でした。「民衆法廷」の意義について、ウィーラマントリー判事がきわめて懐疑的であることを説明されるのを聞いて、スリランカの最高裁判所判事や国際司法裁判所判事というポストを務められた人には、「民衆法廷」が実定法に及ぼす効果が極めて弱いという思いが強かったのだろうと思います。私たちは、「民衆法廷」の意義を「市民の反核意識と戦争犯罪責任に対する問題意識の高揚」に主たる目的をおいており、実定法に及ぼす効果についてはあまり考えていませんでしたし、今も、この考えに間違いがあるとは私は思っていません。

少し話はそれますが、当時、核兵器使用と威嚇の「違法性」ということを明確に主張する国際法専門家はひじょうに少なく、とりわけ「威嚇」、すなわち「核抑止力」の違法性を主張する国際人道法専門家は稀でしたし、今も、そういう専門家はひじょうに少ないです。その稀な存在の一人が米国のフランシス・ボイル教授で、彼は2002年に The Criminality of Nuclear Deterrence(『核抑止力の犯罪性』) という著書を出しています。私は国際法の専門家ではないのですが、戦争犯罪について自分なりに長年勉強してきたため、ニュールンベルグ法を「核抑止力」に当てはめれば、これは「核兵器の使用=人道に対する罪」を犯すことを準備しているという点で、明らかに「平和に対する罪」だという主張をあちこちでしてきましたが、まさに同じことを、もっと詳細に国際法の観点から論述したのがこのボイル教授でした。このボイル教授やウィーラマントリー判事の論述を翻訳して、積極的に日本で紹介される努力をされてきたのが浦田賢治先生で、2012年には、浦田先生ご自身の論考やボイル教授、ウィーラマントリー判事の論考を集めた『核と原発の犯罪性国際法・憲法・刑事法を読み解く』(日本評論社)というすばらしい編著を出されています。実は、ウィーラマントリー判事に「原爆民衆法廷」の裁判長になっていただくことができなかったので、そのあと、ボイル教授に打診しましたが、残念ながら、その時点ですでに2007年のスケジュールが決まっていて、広島には行けないないというお返事でした。

話をウィーラマントリー判事に戻します。2回目にお会いしたのは、2010年5月のニューヨークの国連ビルで開かれたNPT再検討会議のためのNPO会議ででした。その会議の企画の一つとして、ウィーラマントリー判事を含む数人の法律家が、核兵器の使用と威嚇の違法性に関する考えをどのように市民に広げていくか、そのアイデアを述べられるワークショップが持たれました。私もそのワークショップを傍聴し、質問時間に、「核兵器だけではなく、劣化ウラ弾や通常爆弾による市民無差別攻撃も<人道に対する罪>であるので、核兵器であろうと通常爆弾であろうと<無差別爆撃>自体を違法化することが必要なのではないか。それをとりあえず最も早く達成するためには、ジュネーブ協定追議定書を修正して、「追加議定書」の第4部に、「いかなる状況においても、核兵器・ウラン兵器などの放射能兵器、化学・生物兵器、焼夷弾など、市民を危険にさらし環境を破壊する可能性のある全ての大量破壊兵器・無差別殺傷兵器の使用を禁止する」という内容の一条項を追加することではないのだろうか。「いかなる状況においても」という表現を入れる理由は、現行の追加議定書では、軍事目標攻撃の際に、故意でなければ(つまり非意図的であれば)市民に死傷者を出すことが許されているので、これも許さないというように修正すべきだからだと考えるからです。この意見に関して、ウィーラマントリー判事はどのように考えられますか、という内容の質問をさせていただいた。(ちなみに、この私見は、2010年NPT討会議に向けて - 廃絶をめざすヒロシマの会HANWAからの提言 - http://www.e-hanwa.org/announce/2010/81 として発表されました。)

しかし、そのほかにもいろいろと質問が出ていたため、ウィーラマントリー判事が私の質問にお答えになられる前に、私は人に会う約束時間が迫っていたので、会議場を出てしまい、そのお答えを聞き損ねてしまいました。後日メールでお訊ねしようかと思いつつも、質問をしておきながら会議場を途中で離れたことがたいへん失礼だと思い、結局、聞きそこねてしまいました。

その翌年2011年の東日本大震災の3日後の3月14日に、ウィーラマントリー判事からメールをいただきました。その内容は「日本においての原子炉の惨劇 - 世界の環境 担当大臣に向けた公開書簡 -」というもので、反核反原発運動に関わっている世界中の多くの人たちに送られたものでした。 書簡の内容は、原子炉運転と拡散が「将来の世代に対する犯罪」であり、「人道法、国際法、環境法、ならびに国際的な持続可能な発展に関する法のすべての原則に反する」というもので、世界各国の環境担当大臣に即刻原子炉を停止し、代替エネルギー・システムの開発に努力すべきであると呼びかけられたもので、いつものウィーラマントリー判事の明快で感動的な文章で、私も大いに刺激を受けました。ちなみに、ボイル教授も、福島原発事故の直後に、原発産業そのものが「人道に対する罪」であるという、ウィーラマントリー判事と同じような主張を展開されました。このお二人の論考は、すでに紹介した浦田先生の編著の第1部「ヒロシマからフクシマへ」の第1、2章として含まれていますので、ぜひお読みください。
同じ2011年6月に、オランダのハーグにある出版社から出版された、2人の国際人道法学者の私の友人と私の3人での共同編著Beyond Victor's Justice? The Tokyo War Crimes Trial Revisited の出版記念会がハーグで開かれました(日本語版『再論東京裁判何を裁き何を裁かなかったのか』大月書店2013年)。おそらく、ウィーラマントリー判事に出席していただくのは無理だろうとは思いつつ、ただ本の出版をお知らせしたくて、一応、出版記念会への招待状を数ヶ月前に出しておきました。ところがウィーラマントリー判事が出版記念会の会場に実際に顔を出されたのには、私もびっくりしました。奇しくも、ちょうどその出版記念会の数日前にポーランドで国際反核法律家協会の会議が開かれ、会長をされていたウィーラマントリー判事がその会議に出席され、その帰国途中にハーグまで来ていただいたのです。もちろん、ハーグにはウィーラマントリー判事の知人がたくさんおられるので、出版記念会の出席だけが目的で来られたわけではないでしょうが、それでもたいへん光栄に感じました。そのときは、ウィーラマントリー判事は「福島原発事故」の問題ばかりを話題にされ、差し上げた本の内容については全く触れられませんでした(笑)。反原発運動でしっかりやりなさいと叱咤激励をさかんに受けました。とてもお元気そうで、これがお目にかかる最後になるとは、そのときは予想もしていませんでした。

前田朗さんの呼びかけで、2102年2月から「原発民衆法廷」を東京、大阪、郡山、福島、四日市、熊本、札幌などで開き、私も前田さん、鵜飼哲さん、岡野八代さんと一緒に判事団の一員を務めました。同年7月には広島でも法廷を開廷しましたが、そのとき、判事のみなさんと相談して、ウィーラマントリー判事を広島に証言者としてご招待し、講演していただくという案を私が出しました。みなさん賛成されたので、ウィーラマントリー判事に打診のメールを出したのですが、「原爆投下を裁く国際民衆法廷」のときと同じように、良いお応えはいただけませんでした。出席できない理由については、スケジュールが合わないというような簡単な説明だけで、はっきり書かれてはいませんでした。

したがって、ハーグ以来お会いできなかったのは残念ですが、原発民衆法廷の広島法廷での決定(=判決文)執筆を担当した私は、ウィーラマントリー判事の核兵器と原発に関するご意見をおおいに参考にさせていただきました。この判決文は、「自滅に向かう原発大国日本原発・核兵器政策による国民殺傷行為をいかに阻止すべきか」①②(『広島ジャーナリスト』18号、19号、2014年)として発表しましたので、ご笑覧いただければ光栄です。

そのようなわけで、ウィーラマントリー判事との個人的な交流はそれほど深くはありませんでしたが、私は彼の著書や論考からひじょうに多くのことを学ばせていただきましたことを、再度ここに記して、心から感謝を申し上げますと同時に、ご冥福をお祈りいたします。

2017年1月9日月曜日

A Critique of An Open Letter to Prime Minister Shinzo Abe



- Questions addressing the US-Japan conspiracy are essential –

The Open Letter failed to address the issue of the US-Japan Military Alliance
On December 25, 2016, three days before Prime Minster Abe’s visit to Pearl Harbor, a group of 53 scholars and experts including film director Oliver Stone from the US, Japan and a few other nations released “An Open Letter to Prime Minister Shinzo Abe On the Occasion of Your Visit to Pearl Harbor.”  Below is the full text of the letter.

An Open Letter to Prime Minister Shinzo Abe On the Occasion of Your Visit to Pearl Harbor 

December 25, 2016 

Dear Mr. Abe, 
You recently announced plans to visit Pearl Harbor in Hawai’i at the end of December 2016 to “mourn the victims” of the Japanese Navy’s attack on the U.S. naval base on December 8, 1941 (Tokyo Time). 

In fact, Pearl Harbor was not the only place Japan attacked that day. The Japanese Army had attacked the northeastern shore of the Malay Peninsula one hour earlier and would go on to attack several other British and U.S. colonies and bases in the Asia-Pacific region later that day. Japan launched these attacks in order to secure the oil and other resources of Southeast Asia essential to extend its war of aggression against China. 

Since this will be your first official visit to the place where Japan’s war against the United States began, we would like to raise the following questions concerning your previous statements about the war. 

1) You were Deputy Executive Director of the “Diet Members’ League for the 50th Anniversary of the End of War,” which was established at the end of 1994 in order to counter parliamentary efforts to pass a resolution to critically reflect upon Japan’s aggressive war. Its Founding Statement asserts that Japan’s more than two million war-dead gave their lives for “Japan’s self-existence and self-defense, and peace of Asia.” The League’s Campaign Policy statement of April 13, 1995 rejected offering any apology or issuing the no-war pledge included in the parliamentary resolution to mark the 50th anniversary of the end of war. The League’s public statement of June 8, 1995 declared that the majority parties’ resolution draft was unacceptable because it admitted Japan’s “behaviors of aggression” and “colonial rule.” Mr. Abe, do you still hold such views about the war? 

2) In the Diet questioning period of April 23, 2013, you as Prime Minister stated that "the definition of what constitutes 'aggression' has yet to be established in academia or in the international community." Does that mean that you do not recognize Japan’s war against the Allied and Asia-Pacific nations and the preceding war against China as wars of aggression? 

3) You state that you are going to visit Pearl Harbor to “mourn” the 2,400 Americans who perished in the attack. If that is the case, will you also be visiting China, Korea, other Asia-Pacific nations, or the other Allied nations for the purpose of “mourning” war victims in those countries who number in the tens of millions? 

As Prime Minister, you have pressed for Constitutional revision including reinterpretation and revision of Article 9 to allow Japanese Self-Defense Forces to fight anywhere in the world. We ask that you reflect on the signal this sends to nations that suffered at Japan’s hands in the Asia-Pacific War. 

These questions per se seemed to be quite reasonable as they were based on historical facts as well as on Abe’s past public statements and political performance. The ceremony at Pearl Harbor to be conducted by Abe and Obama was scheduled for December 28, 2016. Considering that the ceremony’s main purpose was to re-affirm and reinforce the US-Japan military alliance, it seemed to me that these questions were clearly inappropriate. They completely failed to address the issue at hand. In fact I was one of those who were invited to join the signatory group for this open letter. Having read the draft, I proposed the addition of a few more questions, pointing out that we should draw attention to the fundamental issue of the US-Japan military alliance. This is the parties’ mutual acceptance of their denial of their respective war responsibilities – Japan’s responsibility for numerous war atrocities and US responsibility for the indiscriminate mass killing with atomic bombs. As my proposal was rejected, I declined to join this group action.

The Open Letter failed to assess the political exploitation of the war victims of the Pearl Harbor Attack
The following is my further explanation as to why I found this open letter utterly inappropriate for this occasion.

The questions set out in this letter were simply directed to Abe in person, focusing upon his personal views on various war-related issues. The ceremony, however, was going to be conducted by Abe and Obama together. The aim was to reconfirm and further consolidate the US-Japan military alliance. The intention of the ceremony was apparently to console the spirits of the victims of the Pearl Harbor attack that the Japanese Imperial Forces conducted 75 years ago. I thought, naturally, that we needed to confirm what its fundamental purpose would be. A related and important question would be how we should assess the fact that this ceremony of remembrance was going to be conducted by the Japanese Prime Minister, who utterly denies Japan’s responsibility for the war of aggression, together with the US President, who does not admit his country’s crime and its responsibility for the atomic bombing. The questions in the open letter should have been directed to the fundamental nature of the US-Japan military alliance in relation to these two nations’ respective official memories of the war. But the actual questions in the open letter concerned only Abe’s personal views and ideas on Japanese war issues – questions that would deflect the real issue away from our attention, trivializing the relevant issues as the personal problems of a reckless politician.       

It should be remembered that Abe was not the first post-war Japanese prime minister to visit Pearl Harbor and pay his respects to the American victims. Three of his predecessors also made the visit, but their visits were always in connection with the US-Japan Security Treaty. In 1951 Prime Minister Yoshida Shigeru went to Pearl Harbor on the way back from San Francisco after he signed the US-Japan Security Treaty by which the US gained entitlement to maintain indefinitely its military bases on Japanese soil. Five hours after signing the Peace Treaty with former enemy nations, Yoshida was taken to the Six US Army Headquarters at Presidio just north of San Francisco in order to authorize a new agreement with the US government on the continuing US military presence in Japan and allowing the US to continue to directly control Okinawa as before. The aim of Prime Minister Hatoyama Ichiro’s visit in 1956 was to demonstrate Japan’s continuing commitment to the US-Japan Security Treaty and the country’s loyalty to the US. This was despite his visit to Moscow ten days earlier to conclude the Japan-Soviet Joint Declaration on the restoration of diplomatic relations with the Soviet Union. In 1957 Prime Minister Kishi Nobusuke, Abe’s grandfather, visited Pearl Harbor on the way back from Washington D.C. after a meeting with President Eisenhower where the possibility of amending the US-Security Treaty was discussed.
Yoshida Shigeru signing the US-Japan Security Treaty
 
In this way, visits by Japanese Prime Minsters to Pearl Harbor always took place as highly political gestures designed to confirm and reconfirm the US-Japan alliance. The succession of visits by Japanese prime ministers to Pearl Harbor is a typical example of the political exploitation of war victims. Similarly the aim of Abe’s visit to Pearl Harbor was to boost his popularity both in Japan and the US by conducting a ceremony for “peace and reconciliation” and also to reinforce the military alliance with the US. His purpose was to strengthen further his campaign to abolish Article 9 of Japan’s peaceful Constitution and to allow Japanese military forces (still called “self-defense forces”) to conduct military operations side by side with US forces anywhere in the world. Needless to say, the Obama administration supported Abe’s political intentions by accepting his proposal to visit Pearl Harbor.

Thus mere criticism of Abe’s flawed view of the history of the Asia-Pacific War cannot reveal the significance of a political ceremony in which Japan and the US conspired together to exploit the war victims. One of the important questions to be asked should therefore be why none of the successive post-war Japanese prime ministers - including Yoshida, Ishibashi, Kishi and Abe - have ever visited Asian and Pacific nations to mourn victims of the war that Japan conducted and to offer sincere apologies to these nations. Such careful and critical thought and inquiry are totally lacking in the questions set out in the open letter.           

A ceremony in which the US and Japan mutually accept denial of their respective war responsibilities
The memorial ceremony at Pearl Harbor in December 2016 was conducted as a “return salute” in response to Obama’s visit to Hiroshima Peace Park in May of the same year. In his speech in Hiroshima, Obama discussed the atomic bombing with no reference whatsoever to the crime and responsibility of the US. Instead he described the atomic bombing as if it were a natural calamity that had no identified human agency, explaining it thus: “On a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed.” Furthermore, by declaring that “mankind possessed the means to destroy itself,” Obama implied that all mankind was guilty. In my recent essay, ‘US President Obama’s Visit to Hiroshima: a Critical Commentary through the Eyes of Hannah Arendt’, I explained the hidden significance of this ostensibly solemn memorial ceremony conducted near ground zero in Hiroshima in the following way: 
  
Japanese political and military leaders also utilized the deceptive concept of collective guilt immediately after Hirohito officially surrendered to the Allied nations on August 15, 1945. The national doctrine of “National Acknowledgement of Japanese War Guilt” whitewashed the guilt and personal responsibility of many of Japan’s wartime leaders, including Hirohito, the Grand Marshall of the Japanese Imperial Forces – guilt and responsibility for killing and injuring millions of Asians as well as more than three million Japanese. Yet the current Prime Minister of Japan, Abe Shinzo, does not even use this misleading doctrine of collective guilt in order to evade Japan’s national war responsibility. He shamelessly denies the historical facts of numerous war crimes and atrocities that the Japanese committed against Asians, for example, the Nanjing Massacre and the phenomenon of military sex slaves.

Because the US president evaded his national responsibility in Hiroshima for the atomic bombing by laying guilt and responsibility at the feet of all mankind, the US is tacitly resonant with Abe’s denial of Japan’s war responsibility. Obama and Abe stood together in Hiroshima Peace Park. But in reality this scene was a celebration of their mutual acceptance of denial of their respective war responsibilities. Of course this ceremony had also served as another hidden mutual verification - confirmation of the rightness of the US nuclear deterrent strategy and the US-Japan military alliance. *

It is politically deceptive to mourn the war victims without admitting the crimes and responsibility of one’s own nation and to give a false impression of a deep desire for peace for one’s former enemy nation as well as one’s own. This is nothing but an effective method of concealing those very crimes and that responsibility. True reconciliation and peace can only be achieved when victims accept sincere apologies offered by perpetrators for the crimes as well as acknowledgement of responsibility for them. Yet both Obama and Abe, as national leaders, failed to fulfill this duty.

We therefore need to carefully reconsider the fact that one of the aims of both Obama’s visit to Hiroshima - and Abe’s visit to Pearl Harbor – was to be a celebration of their mutual acceptance of denial of their respective war responsibilities, and that this mutual acceptance was the crucial foundation of the US-Japan military alliance.   


The American justification of the atomic bombing and Japan’s acceptance of this justification is the foundation of the US-Japan military alliance
In order to understand this mutual acceptance of denial of their respective war responsibilities, we need to comprehend how the US decided to use the atomic bomb against Japan and how Japan reacted to this serious crime against humanity.

As has been well substantiated by a number of historians, the real aim of the US in employing nuclear bombs against Japan was to demonstrate to the Soviet Union the mass-destructive power of the new weapon. The purpose of this was to discourage the Russians from embarking on war against Japan. As many military leaders in the US forces thought at the time, strategically, to end the Asia-Pacific War, the use of a nuclear weapon was not remotely necessary. Rather than military or other reasons, the real motivation was political. In fact the US Government, led by Harry Truman, plotted to make sure that Japan would not surrender until the new weapon of mass destruction was ready to be used. In order to pursue this aim, Truman made sure that there would be no reference in the Potsdam Declaration to the Allied nations’ plan concerning the future status of Japan’s emperor system – the most crucial issue for the Japanese government.     

On the other hand, Emperor Hirohito and his military and political leaders needlessly wasted time by delaying their surrender to the Allied nations. They wanted to be sure that Japan would receive a guarantee from the Allied powers that its emperor system would be maintained after Japan’s surrender. For this reason, Japan continued to conduct a series of unwinnable battles in the Pacific, most notably in the Philippines and in the Okinawa Prefecture. They forced tens of thousands of Japanese soldiers and civilians to sacrifice their lives and also killed many local people. To some extent, these useless and wasteful shenanigans on the part of the Japanese suited the US plan. What really led Japan to make the decision to propose the surrender, which boasted a sole condition – permission to maintain the emperor system – was not the atomic bombing of Hiroshima and Nagasaki. It was the Soviet Union’s entry into the war against Japan, which happened a few hours before the bombing of Nagasaki on August 9, 1945.

On August 12, the Japanese government received a response which hinted at an acceptance of Japan’s proposal. Yet, it took until August 14 - two more days - for Hirohito and his cronies to finally accept the Potsdam Declaration. In the meantime, almost every day until August 14 after the bombing of Hiroshima and Nagasaki, the US forces continued fire-bombing many other Japanese cities. The target of one of the last conventional bombings on August 14 was Osaka, in which 700 one-ton bombs were dropped from 150 B-29 bomber planes. The result was the death of more than 800 civilians, just a matter of hours before the official end of the war.

It is clear therefore that, in the real historical sense, the US and Japan share combined responsibility for the atomic bombing of Hiroshima and Nagasaki – the US for plotting to ensure that Japan did not surrender until the bomb was ready; and Japan for unwisely inducing the atomic bombing by delaying the capitulation. Yet the US created a myth that the atomic bombing was necessary in order to end the long-lasting bloody war in the Asia-Pacific. Its aim was to cover up its grave war crime of the unnecessary killing of over 210,000 people, mostly civilians, including 40,000 Koreans. On the other hand, Hirohito stated in his Imperial Rescript on the Termination of the War that his government had decided to surrender because of the loss of life brought by the atomic bombs. Hirohito deceptively singled out the atomic bombings, and not the Soviet Union’s entry to the war against Japan, as the decisive factor in the decision to surrender.

Hirohito was thus able to completely ignore the war crimes committed by the Japanese military across Asia and the Pacific, as well as the anti-Japanese resistance that was taking place throughout Asia. In addition, he exploited the A-bomb’s damage to indirectly justify the war as a “war to liberate Asia.” In this way, the atomic bombings became a means to conceal not only the responsibility for the war of Hirohito himself and other wartime leaders, but also the legal and moral responsibilities of the Japanese people for a war conducted in the name of the Japanese empire. This war took tens of millions of lives throughout the Asia-Pacific. Just as President Truman fabricated a myth to cover up the US government’s responsibility for its serious war crimes, so too did the Japanese government use the same A-Bomb attacks to conceal its own war responsibilities.  

In this way, both the US and Japan exploited the tremendous destructive and lethal power of the atom bomb for their respective political justifications for ending the war. Moreover, they tacitly accepted each other’s justifications. In other words, the post war era for Japan and the US commenced on a base of US and Japanese mutual acceptance of denial of their respective war responsibilities.
       
The US-Japan Security Treaty was also based firmly upon this mutual acceptance of these denials. Japan for its part, with this treaty, officially accepted the American myth that justified indiscriminate mass killing with nuclear weapons. Since then Japan has strongly supported and still supports US nuclear strategies, to the extent that the Japanese government now repeatedly requests the US government to maintain its strategy of nuclear deterrence. In parallel with this policy, Japan built its own nuclear energy facilities throughout the nation and still shows no sign of terminating its commitment to the use of nuclear power - despite the horrendous accident five years ago at Fukushima No.1 Nuclear Power Station.

On the other hand, immediately after the war, the US decided to use Hirohito’s status as emperor to achieve smooth control of the Japanese nation under US occupation forces. Accordingly, the US decided not to question Hirohito’s crime of and responsibility for the war of aggression. In corroboration with the Japanese government, the US created a myth that, despite his pacifist beliefs, Hirohito’s prestige had been politically exploited by a small group of warmongers during the war. Such treatment of Hirohito by the US was, of course, closely related to the fact that, as a token gesture, only a small number of Japanese military and political leaders were tried at the Tokyo War Crimes Tribunal. Even after Japan’s independence was restored in 1951, the Japanese emperor system was continuously exploited under the US-Japan Security Treaty, and is still manipulated for the benefit of both Japanese and US political and military co-operation.

Because of this US-Japan conspiracy, the majority of Japanese not only failed to form a clear idea of their nation’s war responsibility but also came to see themselves as the victims of war rather than as perpetrators. As a nation Japan still does not openly recognize the criminality of the many brutal acts it committed against other Asian peoples or its own responsibility for those acts. As a result, it cannot expose the significance of similar crimes that the United States perpetrated against the Japanese people. Many people in Japan are caught in a vicious cycle. Precisely because they do not thoroughly interrogate the criminality of the brutal acts the US committed against them or pursue US responsibility for those acts, they are incapable of considering the pain suffered by the Asian victims of their own crimes or the gravity of their responsibility for them. This mentality can be called a “sense of war victimhood without identifying victimizers.” It is the reason why Japan has willingly subordinated itself to US military control, although it has never been trusted by neighboring Asian nations and cannot establish a peaceful relationship with them.

In other words, the popular Japanese historical view based on a “sense of war victimhood without identifying victimizers” is the product of the US-Japan conspiracy, and not the creation of Japan itself. We therefore need to “work through the past” with its double meanings – i.e. the intertwined complex of Japan’s past and America’s past.

Unfortunately, the open letter to Abe completely lacks this perspective - the viewpoint of the US-Japan conspiracy. In this sense, as mentioned earlier, to simply question Abe’s deficient personal view of the history of the Asia-Pacific War is quite inadequate and pointless.

Questions addressing the US-Japan conspiracy are essential
Many Japanese people, in particular high-class militarists, politicians and bureaucrats, who psychologically subjugated themselves almost like slaves to the emperor system before and during the war, quickly submitted to the rule of the US, which brought them “freedom and democracy.” They did so without questioning the real nature of “freedom and democracy,” underpinned as it was by the great destructive power of nuclear and other lethal weapons. They happily acquiesced to “the new society” that the US provided - democracy based upon constitutional monarchy. This is one of the fundamental ideologies of the official historical view of the Asia-Pacific War, based as it is on a “sense of war victimhood without identifying victimizers.” The preconditions for acceptance of this new society were an acceptance in turn of the American justification of the atomic bombing of Hiroshima and Nagasaki as well as Hirohito’s immunity from responsibility for the war. One prominent post-war politician who acceded to this scheme of delusion was Kishi Nobusuke, grandfather of the current Prime Minister Abe Shinzo.

Indeed, Kishi himself was a product of the US-Japan conspiracy. In October 1936, Kishi took up the position of head of the Department of Industry of the State Council of Manchuko - Japan’s puppet state. In March 1939 he became the deputy director of the Office of General Affairs and effectively seized the power to control the entire economy and industry of Manchuko. While working in Manchuko, Kishi closely corroborated with the leaders of the Kwantung Army, in particular the staff officers, and contributed to the formulation of the five-year industrial development plan. This formed part of the preparations for war in China. By developing various kinds of military manufacturing there, this was a plan to make Manchuko a vital strategic base for the Japanese Imperial Army.

One of the reasons that Kishi was arrested and charged as an A-class war criminal suspect shortly after the war was his role in preparing for the war of aggression. It is said that Kishi secretly raised a huge sum by utilizing his power in Manchuko, and furtively gave financial support to many powerful militarists and politicians including General Tojyo Hideki. In October 1941 he was appointed Minister for Commerce and Industry of the newly sworn Tojyo Cabinet. In November 1943, when Prime Minister Tojyo established the Ministry for War Industry - and concurrently served as its Minister - Kishi continued to work for Tojyo both as Deputy Minister for this new government organization and as a minister of state. In the Tojyo cabinet, he was the key person in the rapid restructure of Japan’s economy and industry that enabled Japan’s massive war effort.

It was therefore not surprising that, soon after the war, Kishi was charged as an A-class war criminal suspect. Yet, at the end of 1948, the US adopted a new policy making Japan the vanguard in northeast Asia against the rapidly expanding communist bloc. Kishi together with many other prominent war crime suspects was acquitted and discharged. Furthermore, when he officially returned to politics in 1952 and became Japan’s prime minister in 1957, he received strong support from the US government. His younger brother Sato Eisaku, who served as his government’s Minister of Finance, secretly asked the US government for “financial support to fight against communists.” The US government responded to this request by providing support from the CIA’s fund for covert operations. Later, in 1964, Sato also became prime minister and held that position until 1972. As is now well known, both Kishi and Sato as prime minister made secret agreements with the US government to allow US forces to bring their nuclear weapons to Japan without informing Japanese authorities. If this is not a US-Japan conspiracy, what else can it be called?

An open letter should have been addressed to both Abe and Obama, asking questions concerning both Japanese and American responsibility for this US-Japan conspiracy. For example, the following questions to Obama would have been ideal:

* Mr. Kishi Nobusuke, the current Prime Minister’s grandfather, was arrested as an A-class war crime suspect shortly after the war because of his wartime contribution to preparation for the war of aggression. Yet at the end of 1948, along with the new US policy to appoint Japan as the vanguard in northeast Asia against the rapidly expanding communist bloc, Kishi was acquitted and discharged. As President of the United States, how do you assess this fact?

* While he was Prime Minister of Japan, Mr. Sato Eisaku, Mr. Abe’s great-uncle, introduced a policy called “Three Non-nuclear Principles.” This prohibited production and possession of nuclear weapons in Japanese territory, and prohibited also their entry to Japan. On the strength of his anti-nuclear policy, he was awarded a Nobel Peace Prize in 1974. But later it was revealed that he had made a secret agreement with the Nixon administration to allow US forces to bring nuclear weapons into Okinawa. As a US president who also received the Nobel Peace Prize because of your anti-nuclear stance, what do you think of this hypocrisy?

* The Japanese Prime Minister, Mr. Abe, claims that Japanese forces did not commit atrocities against Asians and Allied POWs. He utterly denies Japan’s responsibility for the war of aggression. Similarly in Hiroshima in May 2016 you, as the US president, did not admit responsibility for the crime of indiscriminately killing over 210,000 people by means of the atomic bombing of Hiroshima and Nagasaki - mostly civilians, including 40,000 Koreans. You visited Vietnam shortly before going to Hiroshima. There too you refused to discuss American responsibility for the intense and indiscriminate bombings, including the use of agent orange, that the US forces conducted during the Vietnam War. Because of your past performance, we think that you and Mr. Abe share the same problem of moral deficiency. How do you respond to this criticism?

* At present, people in Okinawa and Iwakuni, where large US military bases are located, live in deep fear of accidents involving US military planes such as Osprey and other types of jet fighter. They are also extremely concerned about the effects on their communities and environment of the building of the new US military base at Henoko in Okinawa and expansion of the Iwakuni base in Yamaguchi. Out of this serious concern many people, including the Governor of Okinawa Prefecture Mr. Onaga Takeshi, are currently vigorously involved in a civil campaign against US military activities in these regions. Yet the Abe administration is trying to quash these people’s voices using heavy-handed measures. As the Supreme Commander of the US forces, how do you feel about the serious concerns of these Japanese people?

Conclusion

In May 2015 I was also invited to join the signatory group of an open letter to Abe Shinzo that criticized his handling of the so-called “comfort women issue” (i.e., Japan’s military sex slaves), which was initiated by some American Japanologists. At that time, too, I pointed out that Japan’s lack of a sense of its own war responsibility was closely intertwined with the American justification for the atomic bombing of Hiroshima and Nagasaki. I proposed to amend the content of the letter so that Americans would also think about their own war responsibility in conjunction with the “comfort women” issue. But my proposal was rejected. Through these repeated experiences I learned that, like many Japanese, American scholars and citizens are also required to “work through their own past,” the process that Theodor Adorno clearly advocated in his 1959 public lecture, Was bedeutet: Aufarbeitung der Vergangenheit (The Meaning of Working Through the Past).

To conclude my critique of “An Open Letter to Prime Minister Shinzo Abe On the Occasion of Your Visit to Pearl Harbor,” allow me to quote Adorno’s words from this lecture.

Above all enlightenment about what has happened must work against a forgetfulness that all too easily turns up together with the justification of what has been forgotten.  …….
A working through of the past understood as enlightenment is essentially such a turn toward the subject, the reinforcement of a person’s self-consciousness and hence also of one self. This should be combined with the knowledge of the few durable propaganda tricks that are attuned exactly to those psychological dispositions we must assume are present in human beings (emphasis added).

- End –
Yuki Tanaka

* ‘U.S. President Obama’s Visit to Hiroshima: a Critical Commentary through the Eyes of Hannah Arendt’

   

2016年12月30日金曜日

「真珠湾訪問にあたっての安倍首相への公開質問状」に私が署名しなかった理由


- アメリカの学者や知識人にも求められる自国の「過去の克服」認識 
近日中に、この論考の英語版を作成する予定です。

「日米軍事同盟」に対する批判を欠いた質問状
2016年12月25日、オリバー・ストーン監督をはじめ米日両国やその他の国の学者、有識者53名が賛同する、「真珠湾訪問に際し安倍首相の歴史認識を問う」という安倍晋三に対する質問状が公表された。まず、その全文を下に紹介しておく。

親愛なる安倍首相、
安倍首相は先日、1941128日(日本時間)に日本海軍が米国の海軍基地を攻撃した際の「犠牲者を慰霊する」目的で、12月末にハワイの真珠湾を訪問する計画を発表しました。
実際のところ、その日に日本が攻撃した場所は真珠湾だけではありませんでした。その約1時間前には日本陸軍はマレー半島の北東沿岸を攻撃、同日にはアジア太平洋地域の他の幾つかの英米の植民地や基地を攻撃しています。日本は、中国に対する侵略戦争を続行するために不可欠な石油や他の資源を東南アジアに求めてこれらの攻撃を開始したのです。
米日の開戦の場所をあなたが公式に訪問するのが初めてであることからも、私たちは以下の質問をしたく思います。

1)
あなたは、1994年末に、日本の侵略戦争を反省する国会決議に対抗する目的で結成された「終戦五十周年議員連盟」の事務局長代理を務めていました。その結成趣意書には、日本の200万余の戦没者が「日本の自存自衛とアジアの平和」のために命を捧げたとあります。この連盟の1995413日の運動方針では、終戦50周年を記念する国会決議に謝罪や不戦の誓いを入れることを拒否しています。199568日の声明では、与党の決議案が「侵略的行為」や「植民地支配」を認めていることから賛成できないと表明しています。安倍首相、あなたは今でもこの戦争についてこのような認識をお持ちですか。
2) 2013
423日の国会答弁では、首相として「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と答弁しています。ということは、あなたは、連合国およびアジア太平洋諸国に対する戦争と、すでに続行していた対中戦争を侵略戦争とは認めないということでしょうか。
3)
あなたは、真珠湾攻撃で亡くなった約2400人の米国人の「慰霊」のために訪問するということです。それなら、中国や、朝鮮半島、他のアジア太平洋諸国、他の連合国における数千万にも上る戦争被害者の「慰霊」にも行く予定はありますか。

首相としてあなたは、憲法9条を再解釈あるいは改定して自衛隊に海外のどこでも戦争ができるようにすることを推進してきました。これがアジア太平洋戦争において日本に被害を受けた国々にどのような合図として映るのか、考えてみてください。

この質問状の質問内容それ自体については、なんら問題はなく、きわめて正当な質問であると私も思う。しかし、今回の安倍・オバマの真珠湾訪問の核心的な意味が「日米軍事同盟」の再確認と強化にあるという観点から見るならば、この質問状はひじょうに問題があると私は考える。実は、私も、この質問状に名前を連ねるように頼まれたが、質問状の内容を目にして、「私は、日米両国の戦争責任を同時に問題にしなければ、日米同盟の根本的な問題(両国の戦争責任放棄の相互了解)の指摘にはならないと常に考えています」と述べ、いくつかの質問事項を追加することを提案した。しかし、私の提案は受け入れられなかったので、私としてはこの「質問状」に賛同人として自分の名前を連ねることはできないと思い、参加をすることを断った。

真珠湾訪問の「政治利用の意味」を問わない質問状
以下、なぜ私がこの質問状の内容にそこまでこだわるのかについて、もう少し詳しく説明しておきたい。

この「質問状」は、あくまでも安倍個人にのみに向けられている。しかし、すでに述べたように、日本国首相とアメリカ大統領2人揃っての真珠湾訪問の目的は、あらためて言うまでもなく「日米軍事同盟」の再確認と強化であった。したがって、私たちがここで批判の対象としなければならないのは、安倍個人の貧弱な歴史観(というよりは歴史観の欠如)の批判にとどまらず、日本が犯した「侵略戦争」という歴史事実を否定し、したがってその「戦争責任」をも徹底的に否定するような人物である日本国の首相が、これまた原爆無差別大量殺戮という由々しい戦争犯罪を犯した事実とその国家責任を否定するアメリカ大統領と一緒に、75年前の日本軍による真珠湾攻撃による犠牲者を慰霊したという事実の核心にある問題である。つまり、「日米軍事同盟」そのものが内在させている重大な問題を抉り出し、いったいこの「同盟」関係の本質は何であるのかを批判的に検討しなければならない。このことは、単なる一面的な安倍の個人批判だけで、できることではない。できないどころか、このような質問状では、問題を安倍という妄言虚言を使いまくる一政治家の問題に矮小化させてしまうことで、事の本質から目をはぐらかせてしまう。

周知のように、日本国首相として真珠湾を訪問したのは安倍が初めてではなく、吉田茂は1951年9月、鳩山一郎は56年10月、安倍の祖父である岸信介は57年10月に真珠湾を訪れている。攻撃で沈没した戦艦の真上にある慰霊施設「アリゾナ記念館」は1962年に建てられたので、当時はまだなかった。したがって、彼らは真珠湾近くにある国立太平洋記念墓地で戦没者の慰霊を行っており、その際、鳩山や岸は「礼砲の歓迎」を受けている。吉田が真珠湾を訪れたのは、サンフランシスコ平和条約と日米安保条約の署名を終え帰国途中のハワイ滞在中であった。岸が真珠湾を訪れたのは、1957年2月に首相になったばかりの彼が、ワシントンでの首脳会談で日米安保条約改定の検討をアイゼンハワー政権に約束させた直後のことであり、いわばその返礼とも称せる行動であった。このように、日本国首相の真珠湾訪問は、日米安保体制の確認・強化と常に密接に絡まっている、極めて政治的なパフォーマンスとして行われてきたのである。(鳩山の場合は、日ソ国交回復を成し遂げ政界引退する直前の言わば「花道旅行」であったが、それでも日米関係強化のためのパフォーマンスという意味が込められていたことは明らかである。)今回の安倍の真珠湾訪問の目的も、明らかに、彼が主張する「和解と平和」のセレモニーを真珠湾という太平洋戦争を象徴する一大遺跡でやることで、日米両国での彼の人気を一挙に押し上げ、日米軍事同盟をさらに強化し、憲法九条廃止という彼の政治目的を達成するための動きをさらに推進しようというものであった。あらためて言うまでもないことだが、米国政府もそれを明らかに承知し、安倍を援護するために、このセレモニー案を受け入れたのである。

戦争犠牲者を徹底的に日米両国が政治的に利用する、その政治的パフォーマンスがもつ意味を全く問わずに、安倍の劣悪なアジア太平洋戦争史観だけを批判しても、なんら問題の核心を突く問いにはならない。問題は、安倍のみならず、吉田、鳩山、岸の誰もが、それどころか戦後の歴代首相の誰一人として、例えば中国や韓国、シンガポールに、それぞれの国の戦争犠牲者を慰霊し、謝罪するために訪れたことがないという事実である。したがって、質問状の内容は、それはなぜなのか、その理由を質問状を読むものに考えさせるようなものでなくてはならなかったはずである。そのような決定的に重要な問題に対する周到な配慮が、この質問状からはすっぽり抜け落ちている。

 
「罪」と「責任」の否認の日米相互確認としてのセレモニー
安倍とオバマによる、今回のこの真珠湾での戦争犠牲者慰霊という政治セレモニーは、言うまでもなく、2016年5月のオバマ大統領による広島訪問に対する答礼として行われたものである。そのオバマは、謝罪なき広島訪問でのスピーチで、原爆無差別大量殺戮の自国の罪と責任には一切触れず、人類全てに責任があると主張した。このことについて、私は拙論「罪と責任:ハンナ・アレントの目で見るオバマ大統領の謝罪なき広島訪問」の中で次のように述べておいた(2016年9月10日のブログ、英語版は同年9月14日)。

 人類全てに「罪」があるならば、誰にも「罪」はないということになり、よってその「責任」も誰もとらなくてもよいということになる。これは、1945年8月15日に日本が敗戦した折に日本政府が唱えた「一億総懺悔」と全く同じマヤカシ論法である。敗戦(「侵略戦争」ではない)には国民全員に責任があるという「一億総懺悔」を国民に強いることで、日本帝国陸海軍大元帥である裕仁と軍指導者、政治家、高級官僚たちが無数の自国民とアジア人を殺傷したその「罪」と「責任」が、結局はウヤムヤにされしまった。安倍晋三は、このマヤカシ論法すらとらず、日本軍による侵略戦争とアジア太平洋各地で犯した様々な戦争犯罪という「罪」そのものがあたかも最初から存在しなかったような虚偽論法で、「罪」と「責任」問題を否定している。
 このような安部にとっては、米国大統領が広島で自国の原爆無差別殺戮の「罪」と「責任」を「人類全般」に負わせてウヤムヤにすることは、安部が自国の「罪」と「責任」問題の存在そのものを否認することに米国が暗黙のうちに共感し、支持していることを意味していた。オバマと安部の二人が広島の平和公園に並んで立ったことは、まさに、日米両国の「罪」と「責任」の否認を相互に認め合う儀式であったのだ。この儀式のために、「ヒロシマ」という場所と「被爆者」という戦争被害者が政治的に利用されたのである。そして「罪」と「責任」の否認の日米相互確認は、もちろん米国の「核抑止力体制」と日米軍事同盟の相互確認と表裏一体となっているものであった

自国が犯した重大な戦争犯罪の罪も責任も問わずに、ただ犠牲者の慰霊を行うというパフォーマンスで、あたかも強く平和を祈念しているかごとくの印象を相手の国民のみならず自国民にも与えるという政治的な欺瞞行為は、自国の罪と責任を隠蔽こそすれ、決して明らかにはしない。真の和解と平和は、加害者が自己の罪と責任を明確且つ真摯に認め、被害者に謝罪し、被害者から赦しを受けることによって初めてもたらされる。これを戦争被害国に対してやらない日本だから、いつまでたってもアジア諸国から信頼されないのである。このことを私たちは忘れてはならない。同じことが、アメリカにも言えるのである。

したがって、オバマの広島訪問とその答礼としての安倍の真珠湾訪問の目的の一つは、日米軍事同盟の原点にある、日米両国による、それぞれの国が犯した戦争犯罪の「罪」と「責任」の否認の日米相互確認であるという事実を、我々はもう一度ここで深く考えてみなければならない。両国が犯した戦争犯罪の「罪」と「責任」の否認の相互確認が、日米軍事同盟の原点であることについて、私は最近の拙論「原爆と天皇制」で詳しく述べておいたが(2016年12月17日のブログ)、要点だけをもう一度ごく簡単に述べておきたい。

日米軍事同盟の原点としての日米両国による「原爆」正当化
米国は、アジア太平洋戦争を終わらせるためには戦略的には全く必要でなかった原爆を、もっぱらソ連の対日戦争開始を避けるためという政治的目的の理由から、日本に対して使うことを計画。そのため、原爆が完成するまで日本が降伏しないような画策、すなわち日本が自ら米国の原爆使用を誘引させるような画策をトルーマン政権は企て実行した。一方、天皇裕仁と日本帝国陸海軍ならびに日本政府指導者たちは、降伏条件として「国体護持」にあくまでもこだわり、「国体護持」を確実にするために降伏を先延ばしにしたことで、米国による広島・長崎への原爆攻撃を誘引させた。かくして、原爆無差別大量虐殺の責任は、米国の「招爆画策責任」と日本の「「招爆責任」の複合的責任に求められる。ところが、戦後、米国は戦争を終わらせるには原爆が必要であったという原爆使用正当化の神話を打ち立てて、「招爆画策」と20万人以上に上る無差別市民大量殺戮の犯罪性と責任を隠蔽した。他方、日本側は、原爆によってもたらされた戦争終結によって、一部の軍人に利用された「国体=天皇」から、本来あるべき姿である「平和の象徴的権威」としての「立憲主義的天皇」を取り戻し、維持していくのだという詭弁を弄することで、裕仁と日本政府の「招爆責任」と自分たちがアジア太平洋各地で犯した様々な戦争責任を基本的にはうやむやにしてしまった。畢竟、日米双方が、それぞれの思惑に沿って、原爆が持つ強大な破壊力、殺傷力の魔力を政治的に利用し、その双方の政治的利用方法を互いに暗黙のうちに受け入れて、「ポツダム宣言受諾」となった。「戦後」という時代は、したがって、「原爆」をめぐっての互いの重大な戦争責任の放棄相互了解を出発点にしていたのである。

この「戦争責任放棄の相互了解」を基礎に、日米安保条約が結ばれ、日本政府は、アメリカの核兵器大量殺戮の欺瞞的正当化を受け入れ、同時に「戦争終結の理由」としてそれを政治的に利用しただけではなく、その後も現在に至るまで米国の核戦略を支持してきた。その上で、いわゆる「核の平和利用」=原発推進政策をがむしゃらに維持し、事実上は米国の核兵器保有と「核による威嚇」を支持するのみどころか、米国にそうした核利用の持続を要望しているのが現状である。他方、米国側は、日本帝国陸海軍大元帥であった裕仁の戦争責任を不問にした。それどころか、日本政府と共謀で「裕仁は平和主義者」という神話を作り上げ、彼の戦争責任を日本側が隠蔽することに積極的に加担し、天皇制を存続させて、それを日本占領政策に、さらには占領終了後の日米安保体制下での日本支配のために利用し続けてきた。米国によるこうした裕仁の政治的利用が、ごく一握りの数の日本帝国陸海軍指導者ならびに戦時政治指導者だけを戦争犯罪人として東京裁判で裁くことで、彼らにのみ戦争責任を負わせたことと密接に関連していたことはあらためて詳しく説明するまでもないであろう。

こうした日米両政府による共同謀議の画策ゆえ、大多数の日本人はアジアに対する確固たる「戦争責任」意識を持つどころか、自分たちをもっぱら「戦争犠牲者」と見なし、しかしながら、同時に米国による自分たちへの戦争加害の責任も問わないという、「戦争責任」自覚不能の状態にある。すなわち、これまで、自分たち自身が被害者となった米国の原爆殺戮犯罪の加害責任を厳しく問うことをしてこなかったゆえに、我々日本人がアジア太平洋各地の民衆に対して犯した様々な残虐な戦争犯罪の加害責任も厳しく追及しない。自分たちの加害責任と真剣に向き合わないため、米国が自分たちに対して犯した由々しい戦争犯罪の加害責任についても追及することができないという、二重に無責任な姿勢の悪循環を産み出し続けてきた。それゆえにこそ、米国の軍事支配には奴隷的に従属する一方で、アジア諸国からは信頼されないため、いつまでたっても平和で友好的な国際関係を築けない情けない国となっている。つまり、一般の日本人に現在も広く見られるこの極めて偏った「被害者偏向歴史認識」、と言うよりは正確には「歴史認識の欠如」は、このように、日米共同謀議の結果であって、日本人が、あるいは日本政府が独自に作り出したものではないことをはっきりとここで再確認しておく必要がある。したがって、我々は、この二重の意味での「過去の総括」をしない限り、真の意味での「過去の克服」を成し遂げることはできないのである

安倍に対する今回の質問状には、この「日米共同謀議」という視点、とりわけ共同謀議での米国側の責任に対する批判的視点が決定的に欠落しているのである。再度述べておくが、その意味で、安倍の個人的歴史観だけを問いただすだけの質問状は、あまりにも一面的で希薄な内容である。

「日米共同謀議」を鋭く指摘する質問事項の必要性
戦後の「日米共同謀議」について、もう少し議論をすすめてみよう。戦前・戦中は天皇制に奴隷的と言っても過言ではないほど精神的に自分たちを従属させていた日本人(とりわけその天皇制の中で大いに権益を享受していた軍人、政治家、官僚たち)は、敗戦を迎えるや、今度は「自由と民主主義」を持ち込んだ米国に、核武装力という超巨大暴力を背景としたその「自由と民主主義」の本質をなんら真剣に問うこともなく、この日米共同謀議によって作り上げられた「被害者偏向歴史認識」と「象徴天皇制に基づく民主主義」という「新社会体制」を喜んで受け入れ、天皇制は基本的にはそのまま維持しながら、天皇の代わりに今度は米国に奴隷的に追従することになんら自己矛盾を感じないという変身の素早さをみせた。この変身にこそ、「原爆無差別虐殺正当化」と「天皇免責」の両方を全面的に受け入れることが必須条件であった。そのような変身を遂げた代表的な人物の一人が、安倍晋三の祖父、岸信介であったが、岸の場合は、「天皇免責」どころか、「自己の戦犯免責」という驚くべき変身を同時に成し遂げた政治家である。

岸信介の経歴についてはすでによく知られているところなので、詳しくは書かないが、ごく簡単に紹介しておこう。皇帝溥儀を名目上の「主権者」とする日本の傀儡政権である満州国の行政機関、国務院の実業部総務司長として、岸は、1936年10月に満州に渡った。37年7月には産業部次長、39年3月には総務庁次長となり、事実上、満州国運営の実権を握った。その間に、「戦争準備ノ為満州国ニ於ケル産業ノ飛躍的発展ヲ要望ス」という関東軍参謀部の方針に沿って作られた産業5カ年計画の立案と実行に、岸は深く関わった。すなわち、満州国の軍需用工業を発展させることで満州を日本帝国主義の重要な戦略基地にすることに、岸は決定的に重要な役割を果たしたのである。戦争終了後に岸がA級戦犯容疑にかけられた理由の一つは、この産業5カ年計画の立案に関わることで「侵略戦争の準備」に貢献したことであった。岸はまた、満州での自分の地位を利用して巨額の政治資金を東条英機に提供したとも言われている。東条とのそのような緊密な関係から、1941年10月には東条内閣の商工大臣のポストに就き、43年11月に軍需省が新たに設置され東条が軍需大臣を兼務すると、岸がその次官兼国務大臣となり、産業経済の全ての分野で総力戦体制を確立強化させていく様々な政策の立案と実施でも手腕を発揮した。

このように、アジア太平洋戦争で重要な役割を果たした岸がA級戦犯容疑者として逮捕されたのは、したがって決して不思議なことではなかった。ところが、日本を共産圏に対するアジアの防御壁とするという米国の政策変更に沿って、米国は岸を1948年末に不起訴のまま無罪放免にした。それどころか、岸が首相になるや、岸の弟で大蔵大臣である佐藤栄作の「共産主義と戦うための資金援助依頼」に応えて、米国政府はCIA秘密資金を提供するということまでやっている。その岸や佐藤は、周知のように、日本への核兵器持ち込みを認める密約を米国と結んだ。これを「日米共同謀議」と称さなければ、いったい何と呼べばよいのであろうか。

したがって、今回のような質問状を作成するのであれば、「日米共同謀議」におけるこうした米国側の責任を鋭く指摘する質問事項も含むべきだったのである。例えば、以下のようなオバマに対する質問も含めるべきだったのだ。

*安倍首相の祖父である岸信介氏は、戦後間もなく「侵略戦争の罪」の戦犯容疑者として逮捕されました。ところが、米国は、日本を共産圏に対するアジアの防御壁とするという政策変更に沿って、岸氏を1948年末に不起訴のまま無罪放免にしました。このことについて、アメリカ大統領である貴方はどのように考えますか。

*岸信介氏が首相の時代、彼の弟で大蔵大臣である佐藤栄作氏の「共産主義と戦うための資金援助依頼」に応えて、貴方の国の政府はCIA秘密資金を提供しました。このことについて、CIAの活動についても熟知しておられるはずである現職のアメリカ大統領として、あなたはどのように思われますか。

*安倍首相の大叔父である佐藤栄作氏は、首相時代に「非核三原則」なる政策を導入しました。彼は、後年、そのことでノーベル平和賞を授与されました。ところが、その裏で、日本国民には全く知らせずに、沖縄への核兵器持ち込みを認める密約を米国政府と結んでいました。この事実について、やはりノーベル平和賞を授与された米国大統領として貴方は、どのように思われますか。

*長年の間、安倍氏は、アジア太平洋戦争中に日本が犯した様々な残虐行為は無かったと主張し、そうした歴史事実についても、またそれに対する日本の戦争責任の所在についても否定しています。しかし、貴方もまた、広島平和公園で行われたスピーチで、原爆無差別大量殺戮に対する米国の「罪と責任」を明確に認めることを拒否されました。さらには、日本訪問の直前に訪問されたベトナムでも、貴方はベトナム戦争時代に米軍が北ベトナムに対して行った、「枯れ葉剤」散布を含む無差別爆撃の「罪と責任」については一言も触れられませんでした。その点で、私たちは、安倍氏と貴方には、倫理観で共通した深刻な問題があると考えています。こうした批判に、貴方はどのように応えられますか。

*長年、沖縄や岩国の市民は、大規模な米軍基地を地元に抱えて暮らしています。特に辺野古の新基地建設やオスプレイ飛行訓練に対しては大きな不安をおぼえ、現在、強い反対運動を展開しています。これに対して安倍政権は、強権的な圧力で市民の声を押しつぶそうとしています。米軍の最高司令官である大統領の貴方は、こうした沖縄や岩国市民の苦しみについて、どのように感じておられますか。

結論
実は、2015年5月、アメリカの日本研究者グループが、彼らが中心となって作成した「慰安婦問題」での安倍批判の書簡を公表した。その書簡の草稿作成段階でも、私は賛同者となるように誘われた。このときも私は、日本人の戦争責任感の欠如は、米国の原爆無差別大量殺戮の正当化の問題と密接に絡んでいるという事実を指摘し、米国市民にも、日本の戦争責任との相互関連の中で自分たちの戦争責任を考えてもらえるような内容の書簡にするという修正提案を出した。しかし、このときも私の提案は拒否された。こうした繰り返しの経験から、私は、アメリカの知識人、とりわけ、日本研究を専門としている学者には(その中には私の友人もたくさんいるが)、自国の「歴史克服」という点で、多くの日本人と共通した欠陥があることに気がついた。したがって、私は、「歴史の克服」の重要性をひじょうに明晰に私たちに説いたテオドール・アドルノの次の言葉を、「質問状」作成に関わった人たちにはもちろん、署名した人たちにも送ることで、この論考の結びとしたい。

忘却というものは、いともたやすく忘却された出来事の正当化と手を結ぶ。

この「出来事」には、他国(日本)の出来事だけではなく、自国(米国)の出来事も含まれていることを肝に銘じてもらいたい。

田中利幸

2016年12月17日土曜日

原爆と天皇制


-戦後民主主義再検討のための歴史克服的試論

11月25日に東京・中野でさせていただいた講演「原爆無差別攻撃の犯罪性と責任問題 - その徹底的追求が今必要な理由 」は、『広島ジャーナリスト』最新号に掲載された拙論を基にしたものでした。

この論考の主たる論点は以下の4点です。
1)原爆無差別大量殺戮という重大な戦争犯罪に対する責任は、当時のアメリカ政府(トルーマン政権)による「招爆画策責任」と、日本軍事政権(とくに天皇裕仁と大本営)による「招爆責任」の複合的な責任問題である。
2)いわゆる「終戦の詔勅」(=ポツダム宣言受諾宣言)は、原爆被害を政治的に利用することで裕仁の「招爆責任」と「アジアに対する戦争責任」を隠蔽し、「国体」を維持するための「新国体維持宣言」であった。
3)日本の「戦後民主主義」は、アメリカの「招爆画策責任」と日本(とくに裕仁)の「招爆責任」+「戦争責任」をそれぞれ隠蔽し、隠蔽することによって互いの「重大な戦争責任の放棄相互了解」を出発点としていること。
4)戦後の「象徴天皇制」は戦前・戦中の天皇制と根本的に継続しており、この天皇制の問題を含む戦後日本社会の様々な矛盾は、上記の日米両国による「重大な戦争責任の放棄相互了解」という共同謀議にその原点があること。

つまり、現在の「日本民主主義」を再検討するためには、この原爆無差別大量殺戮に対する責任問題を、もう一度、厳密に再検討してみる必要があるというのが私の考えの趣旨です。換言すれば、この問題を再検討することなくして、戦後民主主義の再検討を十分に行うことはできないと私は考えています。

少々長い論考ですが、ご笑覧、ご批評いただければ光栄です(さらに長くなることを避けるため、脚注は省略しました)。下記アドレスからダウンロードできるはずです。

ちなみに、この拙論の原稿に目を通していただいた反天皇制運動連絡会の天野恵一氏から、ひじょうに有意義なコメントと激励の言葉をいただいたことを記して深く感謝します。しかし、もちろん、文章責任はあくまでもすべて私自身にあることは言うまでもありません。また、拙論と基本的には関連していますが、最近話題になっている「天皇の生前退位」に関する論考としては、ピープルズ・プラン研究所の武藤一羊氏のものが傑出していると私は思います。私も武藤氏のこの労作からおおいに刺激を受けました。武藤氏のこの論考は下記アドレスで読めます。

なお、11月の私の2週間という短い一時帰国は、極めて私的な用事のためであったため、みなさんにお会いする時間もなく、たいへん失礼しました。勝手な旅行スケジュールにもかかわらず、講演会を準備していただいたABC 企画委員会をはじめ、協賛していただいた「被ばくの歴史平和学市民コンソーシアム」、「重慶大爆の被害者と連する会東京」、「NPO連平和記念館」、「アメリカの原爆投下責任を問う会」のみなさんにあらためてお礼を申しあげます。

田中利幸


2016年12月12日月曜日

2016 End of Year Message


2016年末メッセージ(日本語版は英語版の後をご覧ください)

This year, yet again, numerous people in the world have become victims of armed conflict and terrorist attacks. According to a recent UNICEF report, 535 million children - nearly a quarter of the world’s children - now live in countries stricken by war or natural catastrophe. Among them 50 million children have been displaced, with more than half of them driven from their homes by conflict.
There is no doubt that in recent years the world situation has continuously worsened, creating more and more casualties of armed violence. To tackle such disheartening developments in world events, we have no choice but to strengthen our civil movements against all forms of violence.
As the end-of-year festive season is quickly approaching, I would like to share with readers my blog - a quiet moment to contemplate war and peace, listening to a few pieces of fine music. I have selected the following three pieces. To me, they all sound truly exquisite and moving yet at the same time deeply sad.

I) “Benedictus” from Armed Man: A Mass for Peace by Karl Jenkins
A Welsh composer Karl Jenkins composed this Mass in 1999 and dedicated it to victims of the Kosovo crisis.

Benedictus qui venit in nomine Domini
(Blessed is he who comes in the name of the Lord)  
Hosanna in excelsis
(Hosanna in the highest, in the highest)
      
This same piece of beautiful music is played by two cellists, Stjepan Hauser (Croatian) and Luka Sulic (Slovenian), who formed the duo called “2Cellos” in 2012.

II) “Agnus Dei” by Samuel Barber
In 1967 Samuel Barber (1910 – 1981), an American composer, arranged his own work Adajo for Strings, initially written in 1936, as a choral composition. 

Agnus Dei, qui tollis peccata mundi,
(Lamb of God, who takes away the sins of the world,)
miserere nobis.
(have mercy upon us.)
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi,
(Lamb of God, who takes away the sins of the world,)
dona nobis pacem.
(grant us peace.)
  

III) “手向 Tamuke”
This is a classic piece of shakuhachi (Japanese bamboo flute) music. It is unknown when and by whom it was composed. However, it is presumed that the composer was a Buddhist monk of the Fuke (Zen) sect who wrote it several hundred years ago as a tribute to the memory of the deceased. “手向 Tamuke” literally means an offering.   

With best wishes for a peaceful Christmas and a Happy New Year.
Yuki Tanaka 

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2016年末メッセージ

 今年もまた、世界のいたるところで無数の人たちが武力紛争とテロ攻撃の犠牲者となりました。ユニセフのごく最近の報告によると、5億3千5百万人という数の子供、つまり世界中の子供の4分の1にあたる数の子供たちが、戦争または自然災害で破壊的影響を受けている国に暮らしています。そのうち、5千万人が家を失った子供たちですが、そのまた半分以上は武力紛争のために故郷を追われた子供たちです。
 近年、世界状況はますます悪化しており、武装暴力の犠牲者の数は増加の一方です。私たちとしては、こうした痛ましい世界状況に対抗するためには、いかなる暴力、いかなる正義に反する行為にも強く反対する市民運動を強化していく以外に方法はありません。
 年末年始の祝祭気分が高まるこの時期ですが、戦争と平和に関して思索をめぐらす静かな時間を少しでも皆さんと共有できればと願い、幾つかの美しい音楽曲を紹介させていただきます。選んだ曲は3つで、いずれも本当に優美で感動的な曲ですが、同時にひじょうにもの哀しいメロディーだと、私は聴くたびに感じている曲です。

I) カール・ジェンキンス作曲『武装した男:平和のためのミサ曲』の第12楽章「ベネディクトゥス」 。ウェールズ出身のジェンキンスは、1999年に作曲したこのミサ曲をコソボ紛争の犠牲者に捧げました。

歌詞
Benedictus qui venit in nomine Domini,
(ほむべきかな、主の名によりて来たる者)  
Hosanna in excelsis.
 (天のいと高きところに 救いたまえ
)
     
同じ曲を、若いクロアチアとスロベニア出身の2人のチェロ奏者が2012年に結成したデュオ、「2チェロズ」が奏でています。すばらしく哀しく美しい演奏です(ハンカチかティシューを用意してから聴かれることをお勧めします)。

II) サミエル・バーバー作曲「アニュス・デイ 平和の賛歌」
これは、アメリカの作曲家バーバー(1910〜1981)が、1936年に自分が作曲した「アダージョ弦楽曲」を、1967年にコーラス曲に編曲したものです。

歌詞
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi,
(神の小羊、世の罪を除きたもう主よ <「神の小羊」とはイエス・キリストのことです>)
miserere nobis.
(我らをあわれみたまえ)
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi,
(神の小羊、世の罪を除きたもう主よ)
dona nobis pacem.
(我らに平安を与えたまえ)
  

III) 手向(たむけ)
この曲は尺八古典本曲の一つですが、誰がいつ作曲したかは不明です。おそらく、普化宗(禅宗の一派で、尺八を吹いて瞑想<吹禅>する宗派)の僧が数百年前に作曲したものと思われます。仏、つまり亡くなられた人の霊に捧げるために吹かれる尺八曲です。「手向」とは、言うまでもなく「たむける=捧げる」という意味です。

平穏なクリスマスと幸多き新年を迎えられますよう

田中(鳳山)利幸