2016年11月14日月曜日

講演案内


「原爆」無差別爆撃犯罪性責任問題

その徹底的追求が今必要な理由 ―    

       194586日と9日の原爆による21万人(内4万人は韓国・朝鮮人)にのぼる広島・長崎市民の無差別大量殺戮は、もっぱら、ソ連に対して核兵器の破壊力を誇示するという政治的理由のためにアメリカ政府が行った、戦略的には全く必要のない由々しい戦争犯罪行為でした。
ところが、今も大部分のアメリカ市民(そして一部の日本人)の間では、「戦争を終結させる ために必要であった」という神話が信じられています。この神話を打ち破り、その犯罪性と責任を徹底的に追求することが、なぜ現在の日本の民主主義の再検討、とりわけ、様々な反民主主義的政策を打ち出している安倍政権を打倒するためには必要なのか、その理由と歴史的背景について議論します。

講師:田中利幸(歴史学者 元広島平和研究所教授)

   西オーストラリア大学にて博士号取得。メルボルン大学で政治経済学を、敬和学園大学で日本近代史を教える。20024月から20153月まで広島市立大学広島平和研究所教授。現在、メルボルンを拠点に歴史評論家として執筆、講演、平和運動に携わる。

 今年、527日のオバマ大統領広島訪問に際し、日米双方が戦争責任を取ろうとしない謝罪無き訪問は核兵器を容認こそすれ被爆者の核廃絶の願いからは遠のくばかりだと厳しく批判し、オバマ大統領の原爆謝罪と、安倍首相のアジアへの旧日本軍残虐行為の謝罪、双方を要求する全国運動を展開した。




1125日(金)午後6時半~845分 615分開場)

会場:中野区産業振興センター 3階・大会議室

   JR中野駅南口より徒歩5分 (0333806941

参加費:800
 主催:ABC企画委員会
 〒187-0045 小平市学園西町12215-101

 電話/FAX:0423481127 (08056553354

2016年11月12日土曜日

アメリカ選挙結果


RESULT OF THE AMERICAN ELECTION

 
マイケル・ルーニッグの風刺画をもっと見たい方は
More work by Michael Leunig

2016年11月6日日曜日

「四國五郎追悼・回顧展」と「シドニー・海辺の彫刻展」


先月5日から11日まで広島市内で「四國五郎追悼・回顧展」が開かれました。残念ながら私は鑑賞することができませんでしたが、大成功だった様子を、展覧会を企画された池田正彦氏が書かれていますので、ご本人の承諾を得てここにご紹介します。(なお、この報告は『詩人会議』の来年1月号に掲載予定とのことです。)また同じく先月の20日から11月5日まで、オーストラリアのシドニーの有名な浜辺ボンダイ・ビーチで「海辺の彫刻展」が開かれました。幸いにして、開会式に妻と一緒に出席する機会がありましたので、簡単ながら報告します。


四國五郎追悼・回顧展
四國五郎の創作の原点に迫る

池田正彦(広島文学資料保全の会・事務局長)

 四國五郎追悼・回顧展は、広島市内での開催は四度目。
今回は、反戦・平和を訴えつづけた氏の原点に迫る展示に心がけた。(10月5日~11日 県民文化センター)
 20歳で徴集されてシベリア抑留を体験。一九四八年に帰還し、一緒に絵を描こうと誓い合った最愛の弟の無惨な被爆死を、残された死の直前まで書かれた日記によって知る。(弟・直登さんの日記と氏の解説文をパネル展示)
 直登さんの日記、八月六日の冒頭は「廣島大空襲さる 記憶せよ」(中略)「左の足が焼けつくように熱い。左の足の裏をみれば木材でブチ割られてどくどくと血潮を吹き出している」と、逃げまどう様子を生々しく記録している。(しかし日記は八月二七日でぷつんと切れる)
 その衝撃は、絵と詩・エッセイで反戦・平和を訴える信念として、戦後を出発させた。
 その一つは、峠三吉等との協働で「原爆詩集」や「辻詩」などの活動を展開。官憲の目をくぐりぬけながら逮捕を覚悟しての行動だった。
 第二は、一九九四年NHKが募集した「市民が描いた原爆の絵」において、番組出演など先導的役割を担った。それは、弟・直登さんの無念さを背負った表現者としての責務ととらえたからである。(「私記」とした原稿と、「市民の原爆の絵」などを、パネル展示)
 第三は、高橋昭博氏(元・原爆資料館館長)の体験を基に描かれた証言紙芝居である。年齢的にも体験的にも弟・直登さんをオーバーラップさせ描いた。
 この原画はデジタル化され、「敗北を抱きしめて」の著者であるMITジョン・ダワー名誉教授が開設されたサイトに英語と日本語の解説を加え公開されている。また、ハノーファ市でもドイツ語版の小冊子が制作され、学校などに配布されるなど広く活用されている。
 会期中の10月8日、今夏「ヒロシマを伝える―詩画人・四國五郎」を刊行した永田浩三さん、息子・光さんを招きギャラリートークを行った。当初50人を予定していたが、狭い会場は100人を超える人で埋まり大盛会であった。そこで、息子・光さんは「直接被爆体験のない父が、表現者として反戦・平和を強靭な信念とした父の並々ならぬ覚悟を感じてほしい」と語った。
 四國展の大きな特徴は、美術館とはあまり縁のない、ごく普通の市民の皆さんがたくさん来場されること。アンケートの回収の多さにある。これは市民画家と市井の民とともに生きた四國五郎の誇りうる勲章だと思うのは私だけではないだろう。
 アンケートの内容はさまざまだが、多くは「原爆資料館の中にコーナーを作るべき」「平和美術館を」「常設の施設があるべきだ」等々、ある意味で、そのまま行政への要請書となっている。(アンケートは今回187通、トータルで1000通を超えた)
 アンケートの中には「毎年やってほしい」との要望が散見する。おりしも来年(二〇一七年)は峠三吉生誕百年。「駆け抜けた広島の青春・峠三吉と四國五郎」、並走した二人に焦点をあてた展示会を準備したい。峠三吉・四國五郎の仕事そのものが広島の貴重な文化・記憶遺産である。
永田浩三さんと四国光さんによるトーク・ショウ(大牟田聡氏撮影)
 
シドニー・海辺の彫刻展

 夏は多くの海水浴客で賑わうシドニー市郊外の有名な砂浜、ボンダイ・ビーチの南端から、次の海水浴用砂浜であるタマラマ・ビーチまでの約2キロ弱の距離、ひじょうに風光明媚な海岸の散歩道が続いています。毎年、この海岸線を使って「海辺の彫刻展」が開かれています。今年は、このユニークな彫刻展が始まってから20周年記念の展示会でした。年を経るごとにこの彫刻展は海外でもますます広く知られるようになり、作品展示を希望する彫刻家の数が増えているため、今では、「選考委員会」で選ばれた作品でないと出展できません。今年は17カ国から合計100人ほどの彫刻家の作品が選ばれた。日本からも10名(その内の数名はオーストラリアに移住した人たち)の彫刻家の作品が選ばれました。
 作品は、海岸線沿いの散歩道のすぐそばの岩場あるいは芝生地、そしてタマラマ・ビーチの砂浜に設置されているので、散歩道をゆっくり歩きながら作品を鑑賞できます。天気が良い日は、すばらしい紺碧の海をバックにした作品を楽しむことができます。第1日目の10月20日は、とても良い天候に恵まれたため、学校の先生に引率されてグループで歩いている、小・中学生とみられる子供たちの姿も大勢見られました。通常は美術館の屋内や庭園に置かれている彫刻が、遠くに水平線の見える広大な海辺を背景にして置かれているのを見ると、全く印象が違うので、感動します。
 実は、今年の4月28日に、彫刻家であった私の義母インゲ・キングが百歳で亡くなりました。そのため、「海辺の彫刻展」の組織委員会が、今年の彫刻展をインゲ・キングに捧げるという形にしてくれ、彼女の大型作品2点をメルボルンからシドニーまで運んで特別展示をしてくれるという、とてもありがたいお誘いをいただきました。その上、私の妻(つまり義母の娘)と私の2人も開会式に招かれ、大勢の彫刻家と芸術愛好家たちにお会いする機会を与えられ、とても感謝しています。日本から参加された彫刻家のうち、牛尾啓三、田辺武、平田隆弘、石野耕一(オーストラリア永住)の方達とは個人的にお話を伺う機会もあり、芸術に疎い私もたいへん勉強させていただきました。
なお、下記はこの展示会に関するSydney Morning Herald と朝日新聞に載った記事です。ご参考まで。
Sydney Morning Herald
http://www.smh.com.au/entertainment/art-and-design/sun-rises-on-sculpture-by-the-sea-as-it-celebrates-20th-year-20161019-gs5mb3.html
朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASJBN3TRNJBNUHBI01M.html?iref=comtop_fbox_u09
 
生前、ケーテ・コルビッツを尊敬し、彼女の作品から多大な影響を受けていた四國五郎さん、同じくケーテ・コルビッツを尊敬し、彼女に直接会って芸術家になるための助言を求めた私の義母(義母はその後間もなくナチス政権下のベルリンを逃れて英国に亡命)、その二人の作品展示がほぼ同じ時期に広島とシドニーで行われました。ケーテ・コルビッツという女性がもたらした影響に、今さらながら感激します。                           

義母インゲ・キングの作品Celestial Rings I


彫刻を鑑賞しながら散策する人たち
私の好きだった作品の一つ イタリア人女性 Silvia Tuccimei の作品 Flower Power
今年の最優秀賞に選ばれた西オーストラリアの彫刻家 Johannes Pannekoek の作品 Change Ahead 2016
現代アートのように見える自然岩
 
義母インゲ・キングの作品 Link III







2016年9月27日火曜日

「天皇は平和主義者」?:後日独白


日本国憲法は平和憲法? - 安倍政権「万民翼賛体制」推進の危険性を考える



 「第九条の会ヒロシマ」会報91号に掲載していただいた拙論「『天皇は平和主義者』? — 71年前にもあった話のはず —」を、今月10日にこのブログで紹介させていただいた。以下はその続編とも言える、独白である。ご笑覧いただければ光栄である。



大日本帝国憲法と日本国憲法の連続性

 実は、明仁を「平和主義者」と見なすことだけではなく、現行の日本国憲法を「平和憲法」と呼ぶこと自体に、私は最近疑問を持つようになってきている。こんなことを言うと、「第九条の会」のメンバーの仲間からおしかりを受けそうであるが、九条そのものはあくまでも擁護すべきという意見には変わりがないし、擁護するだけではなく、実際にどのように活用すべきかを私たちは考えるべきだというのが私の持論である。それだけではなく、憲法前文は九条に勝るとも劣らないすばらしい内容であって、特に、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる」という一節などは、国連憲章に含まれるべき類の名文である、と私は思っている。にもかかわらず…..、なのである。

 なぜか。その理由は、現行憲法が、私たちの通念とは違って、明治憲法=大日本帝国憲法を引きづっている面がかなりあるように私には思えるからだ。周知のように、現行憲法は1946年に公布されたが、形としては旧明治憲法第73条・憲法改正条項に基づいて、天皇裕仁の名によって制定・公布された。つまり、神聖不可侵な絶対権力の象徴である天皇、しかも無数のアジア人と自国民を殺傷した最終的戦争責任者である人間が、「民主憲法」を制定、公布するという、倫理的には甚だ不条理な、と言うより本来あってはならない手続きをとっている。しかし、法的な手続き上は、現行憲法はあくまでも大日本帝国憲法の「改正」なのである

民衆の側から明治憲法廃棄運動を起こして、民衆が自主的に憲法を制定したわけではないし、それだけではなく、戦時中に民衆を徹底的に抑圧し苦しめた治安維持法や治安警察法などの廃棄要求運動を日本国民が起こした結果でもない。換言すれば、裕仁の名前で、戦前の「ファシズム体制」が戦後「民主国家」に「平和的に移行」したわけである。一方、戦争責任は、連合諸国による東京裁判でごく一部の軍人、政治家、思想家にのみ負わすことで済まされてしまい、これまた我々民衆の側から自主的に戦犯追及を迫ることはほとんどなかったとは周知のところである。



裕仁の詔勅・詔書の形式的断続性と実質的連続性

 このような形での新憲法制定・発布での「平和移行」が、果たして国家としての日本を根本的に「平和国家」に改革したと言えるのだろうか、というのが私の疑念なのである。この形式的「平和移行」は、実は裕仁が出した詔勅にもはっきりした形で現れている。ポツダム宣言を受諾することを表明するために1945815日に出された詔勅については、2015421日にこのブログに載せた「敗戦70周年を迎えるにあたって戦争責任の本質問題を考える」で、私は次のように説明した。



「神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ」(神の国である自国の不滅を確信し、責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け)よと述べているように、敗戦によっても、日本が「神」である自分を国家元首に戴く「神州不滅の国」であることに変わりがないことを再確認している。その再確認の上に、日本社会を徹底的に破壊した自分の責任は棚に上げて、国民に対しては、「お前たちには、神の国の復興に努力する責任がある」と、一方的に要求しているのである。



 ところが、1946年の年頭の詔書(いわゆる「人間宣言」)では、「朕ハ爾(なんじ)等国民ト共ニ在リ。常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等 国民トノ間ノ紐帯(じゅうたい)ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ」(私は諸君ら国民とともにある。常に利害を同じくして、喜びも悲しみも分かちあいたい。私と諸君ら国民との結びつきは、終始相互の信と敬愛とによって結ばれ、なる神話と伝によって生まれたものではない)と述べて、天皇と国民が一体であることを強調している。つまり、敗戦時には、いまだ「国民の義務は天皇である自分に対し引き続き忠誠心を持ち、従え」と命令しているのに対して、その後5ヶ月もたたない1946年の年頭では、自分の方から国民のレベルまで降り立って、国民にこびるような態度をみせている。もちろん、この態度の極端な変化は、戦犯裁判で訴追される可能性があることをひどく恐れていた裕仁が、生き残りをかけてとった様々な行動の一つであったことは言うまでもない。しかもこの「人間宣言」の冒頭では、明治天皇発布による「五箇条の御誓文」をあげて、日本政治はこの「出発点」に戻るべきでると主張しているのである。しかし、基本的には、憲法と同じように、ここにも「絶対主義天皇」から「民主主義的君主」への「天皇制」の「平和的な移行」が見られる。



新旧憲法に一貫して流れる「国体」観念と「万民翼賛体制」の危険性

 ところが、その「平和的な民主憲法」の1条から8条までが天皇に関する条項であり、これは明治憲法の章だてに沿って設定されていることを、私たちはすっかり忘れているのではなかろうか。明治憲法の1条から17条までが天皇関連条項であり、その1条の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」が、現行憲法では「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位 は、主権の存する日本国民の総意に基づく」と一応は大変換している。なぜ「一応」なのか。それは、考えてみれば、旧憲法下の日本社会でも天皇は「国体」=「国の形」の生きた象徴(現人神)であったのであり、この国体の下で「万民翼賛体制」が布かれた。この「国の形の象徴」は、そのまま「日本国の象徴、日本国民の象徴」に継承されていることは明らかである。ということは、現行憲法の第1条は「新しい形での<国体>体制」を基本的に謳っていると言えるのではなかろうか。

 もう一度この1条をよく読んでみよう。天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」問題は、「主権の存する日本国民の総意に基づく」とあるが、この憲法が制定される前に、実際に国民投票で「国民の総意」が問われることは全くなかった。さらに、この条項は、我々国民が天皇の地位を一方的に規定しているかのように見えるが、よく読んでみるならば、実は我々「国民」の存在もまた象徴である天皇に規定されていると見なすべきではなかろうか。つまり、逆説的に言えば、天皇の地位は国民の総意に基づいているのであるから、その総意に反対である人間は「国民」とはみなされないということになるのではないか、というのが私の理解である。それが言い過ぎであるという批判があるならば、天皇裕仁が「国体の象徴」であり続けることを認めた上で、日本の民衆は新たに「国民」になったのだ、と言い換えてもよい。

 なお、GHQが用意した憲法草案の英語版の1条は、「The Emperor shall be the symbol of the state and of the unity of the people, deriving his position from the will of the people with whom resides sovereign power. 」(強調:田中)である。英語では「the people=人民」という言葉が使われているのに対し、日本語では「国民」となっている。微妙な違いではあるが、私にはひじょうに重要に思える。つまり、1条では、主権者であるべき「人民」一人一人の「個人」的存在が、明治憲法下と同様に、「国民」という全体的統一観念で無意識のうちに否定されているのではなかろうか、という疑念を私はどうしても拭えないのだ。それは、「天皇は国民と共にあり」=「天皇・国民は一体」という虚構の日本社会を作り出している重要な要因であり、拙論「天皇は平和主義者?」でも述べておいたように、天皇が現れる場所には、日本社会の政治社会問題をめぐるあらゆる喧騒・紛争があたかも存在しないかのような虚妄を作り出す重要な機能となっているのではなかろうか、というのが私の考えだ。

 いずれにせよ、私が言いたいのは、この1条には、明治以来の「天皇=国体」観念がその根底には流れ続けているのであり、政治状況に極端な変化があれば、再び日本社会を「万民翼賛体制」へと押しやる危険性を孕んではいないか、というのが私の懸念なのだ。それはあまりにも大げさではないかという批判があるかもしれない、しかし、事実、「万民翼賛体制」への危険性はすでに、926日の衆議院本会議であらわになっている。安倍晋三が所信表明演説で自衛隊員らを讃える拍手を合図に、自民党議員が全員一斉起立して拍手するという異常な姿は、「万民翼賛体制」下の日本社会では全く異常なことではなかった。こんなことが、今、堂々と国会議事堂内で行われ始めたのだ。憲法が改悪されて天皇が「元首」となるなら、「万民翼賛体制」への動きは急激に加速されることは日の目を見るより明らかだ。日本は、もうここまで「ひじょうに危うい」状況に落ち込んでいるというのが、私の憲法第1条との関連での想いだ。
 
実は、現行憲法第1条は、裕仁の戦争責任問題を完全に棚上げし、さらには忘却させる上で極めて重要な役割を果たしたと私は考えているのだが、この問題については、いつか機会をあらためて、詳しく論じてみたい。

新旧憲法に見られるその他の連続性

 他にも、見えにくい形ではあるが、明治憲法からの「引きずり」、とりわけ「理念的引きずり」はまだまだあるが、詳しく議論している時間的な余裕が今はないので、ごく数点だけ挙げておきたい。



 明治憲法第15条「天皇ハ爵位勲章及其ノ他ノ栄典ヲ授与ス」は、現行憲法第7条第7項「栄典を授与する」にほとんどそのまま継承され、勲章制度もその後復活して、栄典・勲章制度で国民のランク付けと国家忠誠心が相変わらず測られるという制度が維持されている。

 明治憲法では、居住・移転の自由、所有権の自由、信教の自由、言論・著作・集会結社の自由などが認められているが、それらの全てが、「法律に定めたる場合を除く」、あるいは「法律の範囲内」とか「安定秩序を妨げず臣民たる義務に背かざる限り」という条件付きの下である。これに対し、現行憲法第11条では、これらの「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」(強調:田中)となっている。しかし、我々個々人の基本的人権は国家から「与えられる」ものではなく、個々人が本来、誰にも侵されることのない本源的な個人的権利として、最初から有しているものであると、私は信じる。国が基本的権利を上から「与える」というこの観念は、明治憲法の国家理念のイデオロギー的遺制ではなかろうか、と私は考える。こうした国家理念が安倍晋三のような全体主義的政治家や多くの公務員に今もって強く継承・維持されているのは間違いない。彼らにとっての基本的人権は、いまだに旧憲法の「法律に定めたる場合を除く」あるいは「法律の範囲内」での、「上から与える人権」なのだと思われる。そのことは自民党の「憲法改正草案」にも如実に表れている。

 現行憲法第15条では、「公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」とされているが、彼らにとって「全体」とは「主権者である国民一人一人」ではなく、「国体=象徴天皇の下で統合された日本国民」=「国家」なのである。したがって、そのような国家理念をもった政治家や公務員にとって、当然のごとく「国民」は、基本的人権の保有者ではなく、「管理」の対象とみなされる。このことを明示している具体的な例は多々あるが、文部科学省の公務員による独断的教科書検定や教員の抑圧的管理政策はその典型的な一例である。

 主権者一人一人が有する厳然たる「基本的人権」という理念の、日本社会における希薄性は、日本の法曹界にも強く残っているのではないかとも私は考えている。例えば、最高裁を含む日本の裁判所が、住民の基本的人権と深く関わっている米軍基地問題、自衛隊海外派遣活動や原発設置・原発再稼働問題など、公権力の「違憲性」に関わる重大な訴訟では、ほとんどの裁判官がその「違憲性」の問題に真っ向から判断を下すことを避けて「逃げ」の姿勢をとっている(この点で、2014521日に出された大飯原発差止請求裁判の判決はまさに例外であった)。

  まだまだ述べたい事例はあるが、今はこのくらいで終わりにしておきたい。「独白」にしては長すぎた(苦笑)。ただ、最後に、新旧憲法の連続性とはあまり関係ないが、私が現行憲法上でどうしても改正すべきだと思う、もう一つの条項について一言述べておきたい。それは24条である。

婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有する ことを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」(強調:田中)

 私は、この条項の「両性」を「両人」に改正すべきだと考えている。相手が異性であろうが同性であろうが、互いに愛し合う権利は、あくまでも二人のプライベートな問題であって、他人に、ましてや国家にとやかく言われる問題ではない。それは、あくまでも侵されてはならない基本的人権である、と私は考える。愛し合う人間が安心して平和に暮らせないところに、本当に平和な社会が構築されるはずがない。



2016年9月24日土曜日

The Second Edition of the Autobiography of a Japanese Military Sex Slave, Maria Rosa Henson


日本軍性奴隷マリア・ロサ・ヘンソンさんの英語版自伝・第2版の出版

The second edition of Comfort Woman: A Filipina’s Story of Prostitution and Slavery Under the Japanese Military, the autobiography of a former Japanese Military Sex Slave, Maria Rosa Henson (1928-96) is now available. This new edition has an expanded version of my introduction as well as a new foreword by Cynthia Enloe. The new introduction contains a concise analysis of Japan’s current prime minister, Abe Shinzo’s involvement in the “comfort women bashing” since the early 1990s. I sincerely hope this little book will contribute to the international civil movement against the Japanese government’s appalling ploy to erase the so-called “comfort women issue” from historical records. I would also be grateful if you could utilize the new e-book version of this moving autobiography of one of the many victims of the Japanese military sex slave system.    

フィリッピンで日本軍性奴隷にされたマリア・ロサ・ヘンソンさん(1996年没)の自伝、Comfort Woman: A Filipina’s Story of Prostitution and Slavery Under the Japanese Militaryの初版本は1999年にアメリカで出版されました。拙文ながら私が解説を担当しました(日本語版は、藤目ゆきさんが翻訳された『ある日本軍慰安婦の回想』岩波書店)。このたび、この英語原書の第2版を出すことになり、私の解説を大幅に加筆し(安部晋三批判も加えました)、さらに新しくシンシア・エンロー教授による前書きも加えました。シンシア・エンローさんは、みなさんもご存知かと思いますが、軍性暴力問題や戦争が女性にもたらす様々な影響問題に関する多くの著書のあるアメリカのフェミニスト学者です。日本では、『争の翌朝 - ポスト冷時代をジェンダーで』 、『策略 - 女性を軍事化する国際政治』が翻訳されています。元日本軍性奴隷に対する非道な攻撃と、日本軍性奴隷制度という厳然たる歴史事実の抹消をはかっている安倍晋三政権に対抗する市民の連帯運動を、世界的な規模で強化拡大させていくための一つの資料として、被害者によるこの感動的な自伝を役立てていただければ光栄です。今年末からは比較的安価なE-book 版もできましたので、おおいに活用していただければ嬉しいです。