2020年10月22日木曜日

中曽根康弘合同葬を原子力・核兵器の観点から切る!

中曽根康弘合同葬半旗掲揚と「大学の自治」崩壊

 

10月16日の東京新聞によると、翌日に行われる自民党と内閣の中曽根康弘合同葬に合わせて、当日、半旗掲揚を行うよう国立大学82校に文科省が要請したとのこと。これに対し56校が弔旗や半旗を掲揚することを決め、19校は掲揚しないと決めた。16日現在で、いまだ検討中は3校で、4校からは回答がなかったとのこと。要請を受け入れた大学のうちの多くが、その理由を「文科省の通知を受けた対応」と説明。つまり、「お上から言われたことには、そのまま従います」という、全く無節操で無責任な対応。掲揚しないと決めた19校も、ほとんどが当日は「土曜日で休業日」のためを理由にあげたとのこと。

本当に情けないことであるが、「大学における思想、精神の自由をあくまでも守るため」に、一政治家の葬儀のために国家権力が1億円近い額の税金を使って(自民党負担額を含めると総額2億円)行う葬儀に合わせて半旗を掲揚せよなどという要求は、絶対に拒否するとはっきり表明した大学はなかったようである。本来ならば、「大学における学問の自由」=「大学の自治」を侵す抑圧行為であるこのような半ば強制的な「要請」に、大学側が徹底的に抵抗する強い意志を示すと同時に、このパンデミックで生活困窮に陥り四苦八苦している国民が大勢いるこの時期に、2億円もの大金を葬儀に使うことの国家的背徳性を大学が批判すべきなのである。しかもこの合同葬には、反対デモを取締るために警察のみならず大勢の自衛隊員まで動員し、日本が文字通り「警察国家」、いや「軍事体制国家」の方向へと急速に突き進んでいることは明らかである。

ちなみに、半旗掲揚の「要請」は日本全国の都道府県教育委員会にもあり、それを受けて広島では平和公園内の原爆資料館前でも日の丸と広島市旗の半旗が掲げられた。中曽根康弘という人物が、原子力・核兵器でいかに極悪な政策を推進した政治家だったのかを少し考えてみるだけでも、半旗を掲げるどころか、広島市は本来ならばこの機を捉えて、中曽根批判を通して日本政府の原子力・核兵器政策を徹底的に検証してみるべきなのである。ところが、広島市は、先日の「黒い雨」広島地裁判決を不服とする政府の控訴決定をそのまま受け入れたのと同様に、今回もまた「お上が言われたことには、そのまま従います」という何の自主性もない、実に情けない対応であった。

 


 

 

中曽根の原子力・核兵器への関与で大損害をうけた日本

 

詳しく述べている時間がないので、ごく簡単に中曽根の原子力・核兵器問題への関与をかいつまんで記しておこう。中曽根は、日本が戦争に負けた原因は科学技術(特に核技術開発)を蔑ろにしたからだと確信し、戦後の占領期にマッカーサー元帥に建白書を出し、原子力研究と民間航空機開発利用を禁止しないようにという要望を提出している。1951年4月に対日講和交渉のために訪日したダレス国務長官に対しても、同じように原子力平和利用研究と民間航空機開発の解禁を訴えた。この時期、中曽根の頭の中にあったのは「原爆と原爆投下を行った大型爆撃機B-29」であったものと思われる。「平和利用、民間利用」から始めて、最終的には核兵器と核兵器搭載可能な爆撃機の開発にまで到達したいというのが夢であったのであろう。

1953年12月にアイゼンハワー大統領が国連総会で「原子力平和利用」に関する演説を行うと、中曽根は一国会議員でありながら、翌年54年3月2日には突然「原子力予算案」(2億6千万円という当時では巨額の予算案)を上程。その後、正力松太郎(原子力委員会初代委員長、初代科学技術長官)らと協力して、修正予算案を驚くべき額の50億円にまで増大させている。これがその後の日本の原発産業の出発点であり、中曽根は、福島原発事故に対しても何らの責任も感じることなく、死ぬまで一貫して原発利用拡大政策を唱え続けた。悪運の強いことには、実は、原子力予算案を提出した前日には、米国のビキニ環礁核実験で第5福竜丸が大量の「死の灰」をかぶったのであるが、これがニュースになったのは漁船が焼津の母港に戻った3月14日以降であった。予算案提出がもう少し遅れていれば、「死の灰」の恐ろしさを知った議員や国民から猛反対が起こり、成立の見込みはなかったであろう。

1959年には第2次岸内閣改造内閣に科学技術庁長官として入閣し、原子力委員会の委員長にも就任して、原子力開発に引き続き力を入れている。このとき彼は、原子力利用政策の中に原子力潜水艦の開発の余地も残しておいたと後年述べている。ちなみに、岸は「日本国憲法では、自衛のためであれば核兵器使用も禁止されてはいない」と、将来の日本核兵器武装の可能性にまで言及した最初の首相である(その後、複数の歴代首相が同じ見解を述べている。岸の孫である安倍晋三もその一人)。

1970年には、中曽根は第3次佐藤栄作内閣で防衛庁長官となり、この時、「日本の核武装能力の試算」なるものを防衛庁内でやらせており、その結果は、核兵器製造には当時の金額で2千億円が必要で、5年以内で核武装が可能というものであった。ただし、日本では実験場を確保できないため、実際に核武装をするのは困難であると判断。しかしながら、この段階から彼は、日本がいつでも核武装が可能なように原発運転で核物質を確保しておくべきであるという考えを持つようになった。もっと具体的に言えば、原子炉の数を増やし常に稼働させることで、日本は原発でできる核燃料を使って核兵器製造がいつでも可能であるということを海外諸国に知らしめておくことで、「核抑止力」と同じ影響力を持つというのがその考えである。この考えが今も自民党の石破茂のような政治家に継承されている(石破は福島原発事故後の原発稼働停止に強く反対したが、その理由として「抑止力がなくなる」とはっきりと公言した)。ちなみに、日本のロケット開発も最初から、人工衛星打ち上げだけが目的ではなく、核弾頭利用の可能性を狙って始められた。

その一方で、中曽根は、1968年に佐藤内閣が正式に打ち出した「非核三原則(核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず)」を閣僚として全面的に支持しているが、佐藤も中曽根も「持ち込ませず」が「建前」に過ぎないことを百も承知していた。実は、「持ち込ませず」という原則を含めるように佐藤に助言したのは中曽根であったと、後に中曽根自身が言っている。「持ち込ませず」は沖縄返還に向けて、国民ならびにアジア諸国に日本軍国主義復活の危惧を抱かせないためのパフォーマンスだったのであり、「持ち込む」に関しては佐藤栄作とニクソン大統領の間で密約を結んでいたことは今では周知のところ。佐藤はこの大嘘でノーベル平和賞を受賞した。後年、中曽根はこの密約について、「当然だろう。外には言えないことなので、その時には密約の必要があったんだ」と平気で述べており、恥ずかしいとも思っていない。ちなみに、本土返還後の沖縄への自衛隊配備を準備したのも中曽根であった。

1982年に中曽根は首相の座につくや「戦後政治の総決算」を掲げ、靖国神社公式参拝、防衛費GDP1%枠撤廃、戦後歴史教育見直し、日教組つぶしなど、次々と復古主義的な右傾化をすすめる政策を導入。広島との関係で言えば、1986年の広島訪問の際に原爆病院を視察したが、そのとき被爆者に対して「病は気から」と述べたとのこと。本人は被爆者を元気づけるつもりで言ったのであろうが、被爆者の病苦の実相に無知な、あまりにも無神経な発言である。首相在任中には、このほかにも、アイヌ民族の存在を無視した「日本は単一民族国家」、「黒人は知的水準が低い」といったはなはだしい差別発言をはじめ、米国のためにソ連進出を防ぐような意味合いで、米国に媚を売るために「日本は不沈空母」と称するなど、様々な問題発言を吐いた。国鉄・電電公社・専売公社の民営化と国労、総評つぶしなど、日本の労働運動に決定的な打撃を与えたのも中曽根であった。

しかし、原子力・核兵器問題の観点からするならば、中曽根が首相在任中に強力に推し進めた六カ所再処理工場(核燃料サイクル施設)設置計画を、私たちは決して忘れてはならない。もともと六ヶ所村は、石油化学プラントを中心とする「むつ小川原巨大開発計画」の場所として選ばれたが、この計画が頓挫するや、中曽根政権下で秘密裏にここに核燃料サイクル施設を設置する計画がすすめられ、住民投票すら行われずに、いつのまにか決定されてしまった。1973年のオイルショック以来、強力に推進してきた原発設置の結果、放射性廃棄物の処理・処分が問題となってきたし、使用済み核燃料の再処理によるウラン・プルトニウムの分離利用も展望に入れ、この両方をセットにして、六ヶ所村を「夢の核燃料サイクル施設」にしようという計画であった。「核燃料サイクル」とは、原発における核燃料使用済み燃料からプルトニウムを取り出し、それを燃料として利用することを繰り返すことで、無限のエネルギー源が得られるという「夢のプロジェクト」である。ところが、発電をしながら使用済み核燃料を高純度のプルトニウムに転換するという増殖炉計画を、商業用目的で実現させた国は世界中でどこもなく、文字通りの「夢のプロジェクト」。

日本はこの技術開発のために、核兵器用プルトニウムを生産してきたアメリカの軍事技術から学ぼうと、その軍事技術の日本への移転を米国に求めた。その日米交渉は、中曽根・レーガン時代の1980年代末から両者が退陣した後の90年代初期にかけて行われ、実際に技術移転が行われている。アメリカは、日本が核燃料サイクル計画で大量のプルトニウムを蓄積することは十分に承知していながら協力した。事実、現在、日本は47.8トンという大量のプルトニウム(核兵器6千発分)を保有している。NPT(核不拡散条約)加盟の非核兵器保有国の中で、高純度プルトニウム製造施設とこれほどまでの大量のプルトニウム保有量を持っている国は日本だけで、アメリカが特別に日本だけにこれを許しているのが現状。しかも、日本のプルトニウム保有量は、公表されていない中国を除くと、米露英仏の核兵器保有国に続く世界第5位である。日本は、その気さえあれば、いつでも核兵器を製造できるし、核ミサイルも配備できる。イランなどより、日本の方が余程危険な国なのである。なぜこのようなことをアメリカが日本に許したのか、その理由についての確証的な資料は現在のところ入手できない。その理由の推測については詳しく述べている余裕が今ないので、興味のある方は拙著「自滅に向かう原発大国日本(上)」(『広島ジャーナリスト』18号、2014年9月発行)を参照していただきたい。

六カ所再処理工場の建設、運転・保守などの総費用には、これまでに、なんと13兆9300億円(2018年現在)がかかっていると見積もられている。しかし、この数字は、工場が40年の間常時100%フルに無事故で稼働するという、あり得ない前提のもとに出した試算であるから、実際には、14兆円を遥かに超える費用がかかっているはずである。実際、六カ所再処理工場ではトラブルが続発しており、今後もますます費用はかさみ、最終的には19兆円になるという予想すら出ている。六カ所再処理工場では年間800トンの使用済み燃料を処理し、約8トンのプルトニウムを分離する。ところが、このプルトニウムをウランと混合させて作るMOX燃料が使える原子炉は4基のみで、プルトニウム消費量は全部合わせても年間で最大2トンほど。全く経済的に採算が合わない。プルトニウムを使う高速増殖炉の「もんじゅ」も「常陽」も、巨額の建設・運転費を投入したにもかかわらず、事故続発で廃炉状態。「夢の核燃料サイクル」は、実際には、完全に破錠している。こんな「悪夢のサイクル」を作り出した元々の責任者はいったい誰か!

危険極まりないプルトニウム製造にこれだけの巨額を投入し、原発事故では福島県民をはじめ多くの国民の生活を困窮に追い込み、家庭、地域社会を崩壊させ、その上に放射能汚染除去のためにこれまた巨額の税金を国民に使わせた責任の一端は、明らかに中曽根にある。その中曽根は、死んでも再び、自分の葬儀のために国民から1億円近い金を負担させた。こんな人物のために、半旗掲揚で哀悼の意を表せなどという政府の「要請」に、黙々と従っている多くの大学、多くの日本人!なんという情けない国なのか!不正不義、とりわけ政治家と官僚の不正不義に対する怒りを忘れた国民は、最終的に自分たちの社会共同体を崩壊させるだろうと私は思う。

 

「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」 田中正造


2020年9月29日火曜日

自称「国際平和文化都市」広島の文化的低劣さ

- さらなる2つの具体的例証

 

1)大田洋子「文学碑」についての要望

一方的な柵工事・周囲の樹木の剪定は市民感情を無視するものである

2)「かきぶね問題を考える会」会報 第60号(2020年9月26日発行) 

原爆ドームの周辺夜景がこれでいいのでしょうか

3) 平和芸術文化際の定期的開催を!

 

  最初に、9月23日に亡くなられた、被爆者で長崎大学名誉教授であった岩松繁俊さんに哀悼の意を表します。岩松さんは、自著『戦争責任と核廃絶』(1998年 三一書房)の中で、「招爆論」、すなわち日本側、とりわけ天皇裕仁に、米国による広島・長崎への原爆攻撃を誘引させるような行動責任があったと論じる、興味深い主張を唱えられました。岩松さんは1928年に長崎に生まれ、45年8月9日には、学徒動員による軍需工場での作業中に爆心地から1,300メートル地点で被爆されました。1952年に東京商科大学(現在の一橋大学)を卒業し、その後長年、長崎大学経済学部で社会思想史(とくにバートランド・ラッセル思想)の専門家として教育と研究に携わられました。原水爆禁止運動にも長年にわたって関わり、1997年には原水爆禁止日本国民会議の議長も務められています。社会科学者として、また反核活動家としても重要な貢献をされてきた人物でした。私も岩松さんの著作から多くのことを学ばせていただきました。深く感謝すると同時に、お悔やみ申し上げます。合掌。

 

  さて、9月24日には、このブログで「米国原爆投下の責任を問う会」が広島市長と県知事に宛て提出した「<黒い雨>広島地裁判決の控訴取り下げの要請書」を紹介させていただき、その紹介文の中で、市長、知事の両者に正義感、責任感が欠落していること、その欠落は「文化の問題」であるという持論を述べておきました。戦争責任問題に関する正義感、責任感を養うということは、市民の間に倫理的想像力を力強く形成するような「文化の創造」の問題なのですが、そのことが全く市長、知事をはじめ市役所や県庁の職員にも理解されていないため、次々と「文化を破壊」するような行政措置ばかり打ち出しています。以下に紹介させていただく「広島文学資料保全の会」の市長あて要望書と「かきぶね問題を考える会」会報の最新号記事もまた、そのことをはっきりと裏付けています。この二例とも、自称「国際平和文化都市」広島の文化的低劣さをまざまざと暴露しています。

  最後に、もう10年も前のことになりますが、広島の「新しい文化」創造のために私が提案した案を、再度、紹介させていただきます。ご笑覧いただき、「広島の文化」の問題を考え、議論していただくための一参考資料にしていただければ光栄です。

 

-----------------------------------------------------------------

1)大田洋子「文学碑」についての要望

 

 

2020年8月31日

広島市長・松井一實 殿

 

大田洋子「文学碑」についての要望

一方的な柵工事・周囲の樹木の剪定は市民感情を無視するものである

 

 

 中国新聞(2020年2月4日)は、「中国庭園の移設へ」の見出しでサッカースタジアム建設の顛末を報じた。

 今まで、サッカースタジアム建設予定地として、宇品(南区)のみなと公園、観音(西区)の西飛行場跡地、旧・市民球場跡地などが候補地にあがり、議論は二転・三転し、最終的に広島市中央部の中央公園に決定した、とのことだ。

 当初、スタジアムを中央公園東側と発表したが、突如西側に変更し、中国新聞は「一部が中国庭園・渝華園」(ゆかえん)にかかる可能性が高く、文学碑やモニュメントの移設も検討」と、述べている。この「文学碑」とは「大田洋子文学碑」のことであろう。(この付近にはこの文学碑しかない)

 

中区選出の市議会議員・まにわ恭子氏は「議会報告」で次のように記している。

 

当初の計画では、スタジアムは東側の配置でしたが、突然、西側に変更されました。建設にあたり調査したところ、東側に貴重なお城の文化遺跡があるからという理由でした。中央公園の案が浮上した時に調査しておくべきことではないでしょうか。また基町の住民は説明を受けていなかったのです。後手、後手です。(まにわ恭子NEWS LETTER VOL61 2020年5月11日)

 

 昨年末から今年にかけて、公園の一部に縄が張られ重機によって掘削されているのを多くの人は目撃しているが、「広島城の遺跡調査」であったことを、「まにわ報告」ではじめて知ることになった。

 令和2年3月に「中央公園サッカースタジアム(仮称)基本計画(案)」が作成されているが、この「調査」が何のために行われているのか、地元住民はもとより市民にはまったく知らされず既成事実として進められているのだ。(スタジアム構想が東側から西側への変更についても、計画案策定が不十分だったことによる)

 渝華園は、1992年に広島と中国・重慶市との友好都市提携5周年を記念して開園、四川省の古典庭園を再現しているといわれている。また、大田洋子文学碑は、1978年、「屍の町」や「夕凪の街と人と」など数多くの原爆作品を残した作家・大田洋子の文学を賛え、平和への道標として(建立のお願い)詩人・栗原貞子、作家・佐多稲子、作家・大原富枝などをはじめとする全国の多くの人々の募金によって建立された。

 この地に建てられたのは、たびたび広島に帰省し、原爆スラムとよばれた実妹・中川一枝宅を訪ね、「夕凪の街と人と」の舞台としたことによる。

 さらに、設計・デザインを担当した四國五郎は、「大小十五の石を、碑文を刻んだ中心の碑石に向って、あたかも爆心から爆風によって吹き寄せられたかのように並べました。石のひとつひとつを、数千度の熱線と音速の二倍を超える爆風下に生ま身を晒した老若男女に見たてながら並べました……<夕凪の街と人と>の舞台となったゆかりの地の一角から、碑石が人々への語りかけをはじめるのです」(爆風の中の碑:建立記念誌)と述べ、碑石も自ら山峡を歩き探し出すなど並々ならぬ意気込みであったことがわかる。(平和公園内にある「峠三吉詩碑」も四國五郎の手によるもの)

 実は、「大田洋子文学碑」の移動は二度目のことである。前述の渝華園建設の折、少し移動したが、それでも、碑の建立委員会代表者の栗原貞子・斎木寿夫には事前に丁寧な説明を行い諒解をとっている。今回はどうか。スタジアム建設予定地にいきなり柵を巡らし、「関係者以外立ち入り禁止」とし、こんもりした周囲の樹木の枝は切り取られ無様な光景が出現した。事前の説明や広報もない。

 担当課(広島市都市整備局スタジアム建設)は、「広島城遺跡の調査をするため」と述べ、「文学碑の移設は公園内」としているが、あまりに性急な乱暴さに心ある市民は驚いている。

 

以上経過説明と意見を述べさせていただいたが、会として次のことを要望したい

                  

 

要望

 

1.「文学碑」建設後、建立委員会は広島市に寄贈(碑および付帯する工作物)したが、広島市に生殺与奪の権限を丸投げしたわけでない。広島市民の共有文化財産として

保護する義務があるはずである。

よって工事日程および、移動先を、市民に公表し、丁寧な説明をすべきである。

2.「広島城関連遺跡」だけでなく、「旧・陸軍施設の遺構」(この地域は旧・陸軍関係の施設が林立していた)も視野に入れ、西側の戦争遺跡の綿密な調査も必要である。

3.広島は、「平和・文化」を標榜する都市である。今回のスタジアム建設にかかわり、文字通り「平和と文化」の名にふさわしい対応をすべきである。

 

 

 

広島文学資料保全の会

広島市中区本川町2丁目129301

電話・FAX 082-291-7615

 

 

-----------------------------------------------------------------------------

2)「かきぶね問題を考える会」会報 第60号(2020年9月26日発行) 

原爆ドームの周辺夜景がこれでいいのでしょうか <9月25日()20時30分> 折り鶴タワー1階の光景です。

 



 

 


 


原爆ドームから道を隔てて、わずか40mの折り鶴タワー、その1階で繰り広げられるビアガーデン・ダンスショー。スピーカーからの大音量・足拍子と手拍子が辺りの静寂を破ります。月26日付の会報 57号で、「原爆ドーム・平和公園周辺地区に『夜のにぎわい』はふさわしくありません」とお知らせして、三ヶ月が経過しました。会員からもひどい状況を憂う返信や報告が寄せられています。

25日の夜、浜崎さん(自治労連)と事務局の望月先生・大亀の人で訪れてみました。 「広島の平和行政は何をしとるのか」「金儲けのためには何をしてもいいというのか」

「被爆二世市長を名乗るが、かなわ・カフェポンテ・折り鶴タワー、やってることは歴代最悪」 「平和大通りの樹木を切って飲食店街にする、平和大通りパーク PFI も同じ様になるのか」 「世界企業を標榜するマツダも落ちたもの。世界遺産の景観を破壊する行為ではないか」

「世界遺産原爆ドームを守ることは補修工事で終わるものではありません。周辺地域(バッファゾーン)の景観を保全することも大切な役目です」「折り鶴タワーに隣接する相生ホテルは修学旅行の定宿です。被爆者のお話を聞く時間にこれらの大音量が流れたとき、各地に戻って生徒たちはどのようにヒロシマを伝えるのでしょうか」「ここでこの光景はあり得ない」等三人の感想でした。

平和推進担当課が握手カフェに申し入れ

9月2日()に、市民局国際平和推進部へ「折り鶴タワー握手カフェ・ビアガーデン問題」の申し入れを行いました。申し入れの設定時には、担当課長は「自分たちには応答する権限がない」との態度でした。 2日当日、担当課長の説明は、「平和公園や原爆ドームへの来訪者のためのにぎわいづくりは必要。バッファゾーン内の飲食店や施設はこの方針に沿ったもので、ドームの役割を否定してはいない。」というもの でした。

申し入れ参加者からは、ドームの前でダンスショーや女性のウォーキングが来訪者へのおもてなしになるのか/そもそもBZ内にこのような施設が設置されていいものか・アウシュビッツにはこのような施設はない/計画時にどのように判断したのか/静かな環境の中でこそ「平和の追体験」が可能ではないのか/BZ 設定の意味を市職員に教育するのが平和推進課の役割/ホテル関係者内では折り鶴タワーの評価は高くない/「祈りの場」に売店やビアガーデンがいるのか/県外の人に勧められない市民として恥ずかしい/修学旅行の宿泊ホテルの前・ドームの前でダンスショーこれが広島市の平和行政か/イベントの実態を調査せよ/戦争の負の遺産としてドームは世界遺産登録された・その BZ である・イコモスの懸念表明は継続されている/状況を確かめて業者に指導するべき等の声が出されました。

23日、担当課長から電話があり、「握手カフェ・ビアガーデンの問題について、調査をし当店に伝えた。」 店側から「イベントについては考える」「(期間を一月短縮して)9月26日で終了する」との応答があったと言うことでした。

動かない・動けない・権限がないと言っていた平和推進担当課が、私たちの申し入れに対応したことは一定評価できますが、25日の光景はとてもそのままには受け取れない様相でした。引き続き声を上げ続けなければならないと言えます。

平和大通りを一緒に歩きませんか

とき:10() 午前10時〜1130 (小雨決行)
集合 白神社前

散策と慰霊碑や被爆者の森巡り移動演劇さくら隊殉難碑の説明や、平和大通り樹の会の小林さんによる平和大通りの樹木の説明も計画中です。

主催:平和大通りを歩く会(かき船問題を考える会が事務局を担当します)

広島市が平和大通りを民間委託で商用地化し、カフェやレストラン街にする計画中(平和大通りパーク PFI)の地区をゆっくり歩きます。10月の平和大通りを散策しましょう。

-----------------------------------------------------------------

3) 平和芸術文化際の定期的開催を!

 

上記2つの最近の例からも分かるように、情けないことには、広島市には平和活動を深みのある文化活動として推進していこうという強い意欲も展望も全くありません(広島県も同じですが)。文字通り、原爆を売り物にして観光客さえ集めることができ、その観光客が金さえ落としていってくれればよいという場当たり的な態度。「平和」も「反核」も本当は口先だけ。たとえ市長や知事自身は真剣に「平和」も「反核」も考えていると仮定しても、それを具体的にどのように文化運動として推進、展開していこうというのか、そのアイデアが全くないのが現状。2010年の、当時の秋葉市長によるオリンピック広島招致提案もまさに、倫理的想像力を掻き立てるような斬新なアイデアが全くない、その典型的な悪例でした。このとき私は、オリッピク広島招致提案を痛烈に批判し、文化活動としての反核平和運動のやり方として「平和芸術文化際の定期的開催」を提案しました。この提案は、やる気さえあればいまでも実行可能だと私は信じています。下記アドレスでその提案をご笑覧いただければ光栄です。

 

オリンピック代替案

 平和芸術文化際の定期的開催を! 広島市民球場跡地利用への展望も含めて

http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/mb/post_656.html

 



2020年9月24日木曜日

「黒い雨」広島地裁判決の控訴取り下げの要請書

正義感、責任感が欠落している広島市長、広島県知事

 

  東京の市民団体「米国の原爆投下の責任を問う会」が、今月22日付で下記のような要請書を松井・広島市長、湯崎・広島県知事の両人宛に送りました。会のご許可をいただき、下にその要請書の全文を紹介させていただきます。

  要請書を読んでいただければはっきりお分かりになると思いますが、被爆者を全面的に支援するかのような言動を表面的にだけはいつもとりながら(おそらく選挙目的のため)、いつも実際には政府の言うままにしか動かない市長と知事。この2人には、正しいことにはあくまでも正しいと主張すること、75年もの間苦しめられている戦争被害者の憲法で保障されている「平和的生存権」を守るためには、その「平和的生存権」を侵害している国家権力に対して「抵抗権」を使用すべきであるという、市長、知事が持っているべき公的責任感が完全に欠落している。責任感が欠落しているということは、その責任感と表裏一体になっている正義感もまた欠落していることは、あらためて言うまでもない。

  この正義感、責任感の欠落は、現職の市長・知事に限ったことではない。歴代の市長・知事に共通してみられる情けない現象である。原爆無差別大量虐殺という由々しい犯罪に対して、あくまでも正義感、責任感で立ち向かうという気概が全くないのである。このことは、平和公園内にも原爆資料館にも(もちろん国立の原爆死没者追悼平和祈念館にも)、広島にはどこにも、原爆無差別大量虐殺を犯した米国の犯罪を明確に追求・批判する明記は、全くみられない。したがって、犯罪の責任も認めず謝罪もしないアメリカ大統領オバマを大歓迎するという愚行を犯しても、平気でいられるのである。同時に、戦時中、アジア太平洋各地で日本側が犯した様々な残虐行為に対しても、徹底した正義感、責任感で受けとめようという気概もない。例えば、広島市は中国の重慶と友好都市になっているが、友好都市であるその理由を、市のホームページで以下のように説明している。「本市と重慶市の間には、第二次世界大において甚大な被害を受けた市民の復興に向けた、たゆまぬ努力があり、平和にする意識が高い、という類似点がありました。」 ところが、驚くべきことには、重慶の「甚大な被害」が、200回以上の空爆による1万2千人にのぼる死者であることも、またその空爆を行ったのが日本軍であった歴史的事実についても一言も触れていないのである。なんという破廉恥ぶりであろうか!よくもまあ恥ずかしくもなく、「世界平和文化都市」などと自称できるものである。

  「黒い雨」広島地裁判決の控訴をめぐる市長と知事の態度は、したがって、単なる「黒い雨」に限った問題ではないのである。この問題の元凶は、広島市民・県民一般、引いては日本市民一般の正義感、責任感の欠落、そうした欠落を「おかしい」とも思わせない日本の文化全体の問題であることを私たちははっきりと自覚すべきであると、私は思う。正義感、責任感の欠落は、とりわけ安倍政権下の日本でさらに悪化し、その正義感、責任感の欠落悪化がそのまま菅政権に継承されているのが現状である。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

                                                                              

 

                                       2020922

 

   松 井 一 實 広島市長殿

   湯 崎 英 彦 広島県知事殿

                              

                              慶應義塾大学名誉教授 松 村 高 夫

                              (「米国の原爆投下の責任を問う会」共同代表)

                                      名古屋大学名誉教授  澤 田 昭 二

                                      (原水爆禁止日本協議会 代表理事)

 

 

             「黒い雨」広島地裁判決の控訴取り下げの要請書

 

 2020年7月30日、広島地裁高島義行裁判長は、広島への原爆投下後に降った「黒い雨」により健康被害を受けたにもかかわらず、広島市や広島県から被爆者健康手帳の交付を受けられなかったのは違法であるとして手帳の交付などを求めた原告の主張を認め、84人全員への手帳の交付を命じました。

 原告は原爆投下時に、生後4ヶ月~21歳だった84人とその遺族で、84人は援護の対象とはならない「小雨地域」や「降雨地域」の外にいたとされていました。これまで国は、黒い雨が激しく降った「大雨地域」に限って「特例地域」として援護対象とし、その他の地域の人を被爆者援護法上の「被爆者」と認めていませんでした。 

 しかし今回の地裁判決は、原告らが援護法上の「被爆者」と認めたのです。判決は、黒い雨の実際の降雨範囲は国の大雨・小雨地域より広いと断定し、降雨地域の人は、黒い雨を浴びた「外部被曝」や放射能汚染された水などを体内に取り込んだ「内部被爆」が想定されるとして、地域の違いや降雨時間の長短によって援護に線引をすることは「合理性がない」としました。「内部被曝」の重要性はすでに澤田昭二名古屋大学名誉教授(素粒子物理学)により明解に分析されています。判決は、原告を個別に検討し、癌など援護対象となる特定疾病を発症していることをあわせ、原告全員を被爆者と認定したのです。

 『朝日新聞』(2020年7月30日)社説は、「地理的な線引で対象者を限ってきた国の被爆者援護行政を否定し、個々の被爆体験に関する証言と健康状態を重視して広く救済する。そうした視点に立つ画期的な判決である。」と記しました。

 

 この判決を受け、被告である松井一實広島市長と湯崎英彦広島県知事は、両氏とも控訴しないことを意思表示しました。他方、政府は安倍首相が広島地裁の判決は最高裁のかつての判決と違いがあるとし、また加藤厚生労働大臣は、地裁判決は「過去の最高裁判断と異なり、十分な科学的知見に基づいていない。」と、強い圧力を広島市長、広島県知事にかけ続けました。市長と県知事両氏は、8月12日、前言を翻して控訴に踏み切りました。国の権力に屈したのです。

 松井市長は「・・・国からは降雨地域の拡大も視野に入れた再検討をする方針が示されるとともに、強い控訴要請を受けた。控訴せざるを得ないと判断した。」「勝訴した原告を思うと本当に辛く、申し訳ない。」「ソクラテスの弁明じゃないけど、毒杯を飲むという心境だ。」(『東京新聞』2020年8月14日)と述べています。

 また、湯崎知事は、「国との協議では、県として控訴しない意思を伝えてきた。一方、今回の判決を受け入れて現行の基準が替わらない場合、被害者の間で不公平が生じてしまう。」、「少しでも早く被害者の救済に繋げられればよかったが、公平性の問題もある。今回は原告84人の救済だが、同様に国の援護対象区域外で黒い雨を浴びたほかの人たちについては全く白紙で、救済されない状況が生まれる。」と述べています。 また、「援護対象地域が、科学的知見で拡大されるとの担保はありますか。」という記者の質問に対しては、「担保はない。ただ被爆者行政のトップである厚生労働相と、国のトップの首相が『拡大も視野に入れた検討をする』と明確に言った。結果として全く拡大しないということは、政治的にはあり得ないと思っている。」と答えています。

 以上のように控訴した弁明を色々述べていますが、「降雨地域の拡大も視野に入れた再検討する方針」と「控訴せずに、地裁判決の原告84人全員を被爆者と認定する事を確定する」ことは全く両立可能なのですから、控訴することにした理由は唯一つ、政府の圧力に屈服した、言い換えれば広島市民、被爆者たちを裏切ったということにほかなりません。政府のいう新たな調査、再検証は、時間の引き伸ばしであることは誰の目にも明らかでしょう。高齢者になっている被爆者を救済するのではなく、亡くなるのを待っているのが政府の方針であり、それを市長と知事も受け入れた、と言ったならば、言い過ぎでしょうか。

 松井市長は、8月6日に「広島平和宣言」を読み上げたばかりです。『宣言』の終わり近くで、日本政府に対し、「・・・平均年齢が83歳を超えた被爆者をはじめ、心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面でさまざまな苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、『黒い雨降雨地域』の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。」と、述べました。

 

 松井広島市長に問います。広島原爆の投下後の黒い雨による被爆者の広島地裁判決を控訴することが、平和宣言にある「心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面でさまざまな苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添う」ことになると本当に考えておられるのでしょうか。さらにいえば、「人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、『黒い雨降雨地域』の拡大に向けた政治判断を、強く求めます。」と述べたのは、1週間後に控訴に踏み切る自己への免罪符だったのではないでしょうか。

 松井広島市長と湯崎広島県知事に、あらためて『平和宣言』の理念に立ち返り、控訴を取り下げることを求めます。

 

                           「米国の原爆投下の責任を問う会」

                               共同代表  高橋 信

                               共同代表  横田嘉夫

                               共同代表  吉沢倫子

 

                           東京都府中市白糸台1-47-17 ℡090-1769-6565

                                         事務局長  水澤壽郎

 

 

 


2020年9月7日月曜日

自民党総裁選挙前に


笑話のようで、実は笑い話でない真面目なパロディ

登場人物:
爺さん(60年安保闘争時代の元活動家)と熊さん(少々頭は弱いが気のいい人間)

--------------------------------------------
熊:「安保爺さん、後期高齢者には危険なこのパンデミックのときに、マスクもせずにこんな街路をぶらぶらと歩きまわって、いったいなにをしてるんかね?」

爺さん:「わしに呼びかけるときは、安保と<反>をつけろと前から言っているだろう、うすのろ熊め!マスクをしていてもいなくても、この腐った汚臭には気がつくはずだ。気がつかないならよっぽど鈍感だが、お前もマスクをはずしてこの臭いを嗅いでみろ、馬鹿め!」

熊:マスクをとって臭いを嗅いでみる。「ひゃ〜、こりゃひでいや、これなんの臭い?」

爺さん:「犬の糞なんだが、その糞がどうも垂れ流しのような状態で、わしにはどうもこの犬は潰瘍性大腸炎にかかっているように思えるんだ。」

熊:「え?潰瘍性大腸炎っていうと、あの人を痔忍(本人は「辞任」のつもり)に追い込んだあの評判の難病?まさか、ワンチャンがそんな病気にはなるめいよ。」

爺さん:「犬だって贅沢させられるとこういう難病にかかっても不思議ではない。この犬は、向こうに見えるあの大邸宅で飼われている犬なんだが、<大モリカケそば>と<サクラもち>が大好きな飼い主夫婦に、同じものをワンサと喰わされて、いつも消化不良を起こしていたんだが、最近、売れ残った<安倍川餅>まで喰わされているという噂だ。どうも消化不良の症状が<安倍川餅>で悪化して、潰瘍性大腸炎になったとわしは判断している。毎日、散歩に連れ出された犬がこの街路を通ったあとは、糞が垂れ流し状態で、汚泥のような汚くて悪臭漂う糞があちこちに落ちている。気をつけないと、お前も自分の安物の靴をその汚物で汚すぞ!」

熊:「<安物>はよけいなお世話だが、そんなめちゃくちゃな、たまったもんじゃないな。<ちゃんと糞の後始末をしろ>と、なんで安保爺さん、じゃなかった安保爺さんは飼い主に文句を言わないんだね。」

爺さん:「不思議なことに、あの馬鹿夫婦には通常の責任感とか倫理観が全く通用しなくて、他人にどのくらい迷惑をかけているのか全く分かっていないのだ。金さえあればなんでもできると思っている、救いようがない夫婦だな。海外に出かけては、全くいらないものばかり爆買している。夫のほうは軍事オタクで、武器が大好き。家の中はアメリカ製のジェット戦闘機、爆撃機、ミサイル、空母などのオモチャでいっぱいだとよ。妻のほうは、若い芸能人を招いて、酒を飲んでドンチャン騒ぎするのがご趣味だそうで、花見の時期には毎晩大勢お仲間を招いて、花火まであげて、キャーキャー騒ぎやがって、うるさくてしょうがない。迷惑極まる生活ぶりだな。」

熊:「どこか他に苦情を申し出るところがないのかね……。後期高齢者の爺さんには、精神衛生上もよくないぜ、そんな怒り心頭の毎日じゃ。脳溢血になっちゃうぜ。」

爺さん:「おい、後期高齢者とわしを呼ぶな!<後期高齢者>というのは、わしは差別用語だと思っているのだ!<光輝高齢者>と書くなら許せるがな。わしのように歳を重ねるごとに叡智を深め人間的な品格を高めて光り輝いている人間を、あたかも何の価値もないかのように<後期高齢者>などと呼ぶのはけしからん!まあ、それについてはまた別の機会にお前に説教するとして、実は、あの馬鹿夫婦の邸宅の後ろ側に<畜生病院>があるのをお前は知ってるだろう?」

熊:「ちょっと爺さん、それを言うなら<犬猫病院>だろうが……。いまは<畜生>というのは動物に対する差別用語になると、俺ですら思うんだがな〜。」

爺さん:「わしは犬猫病院のあの獣医を<畜生>と言っているので、動物の権利を尊重しているわしは犬猫を<畜生>などと失礼な用語では呼ばない。あの獣医は馬鹿夫婦の親友で、あの犬のかかりつけの獣医でもあるのだ。病気になった犬猫を連れていって診断してもらうとき、病状を飼い主がまず説明すると、あの獣医は必ず<アッ、ソー>というのが口癖だそうだ。とにかくだな、わしはあの<アッ、ソー獣医>に苦情を言ったんだ。<お前は、あの犬が潰瘍性大腸炎だということを隠蔽しているのではないか>とな。ところが、あいつは<犬が潰瘍性大腸炎になることはありえないし、あの立派な犬は消化不良ですらない>と言い張るのだ。そこでわしは<診断書を見せろ>と言ったのだが、<個犬情報だから見せられない>などと口実を言いやがった。そこであの犬の糞で近所迷惑をしている町内仲間で署名運動をやり、<診断書開示要求>をあいつに突きつけてやった。その結果だな、診断書のコピーを出したのだが、ほとんどが黒塗りされていて読めるとこがないのだ。黒塗りしたところは<個犬情報に関わる箇所>などと主張しやがって。だからあいつは<畜生道>にも劣る人間だと、わしはあいつの病院を<畜生病院>と呼んでいるのだ!分かったか!」

熊:「ひでいやつらばっかりだな、まるでヤクザだな。いや、ヤクザの連中は形式的にせよ一応<仁義>だけは保つよな。トラさんの口癖じゃないけど、その犬はもちろん、犬の飼い主夫婦も獣医も<尻の周りは糞だらけ>のようなきたねい連中だな〜。しかし、最近、あの金持ち夫婦は全く見なくなったがどうしたのかね。見たことのねい背の低い、頭が半分禿げあがったジジイが犬の散歩をさせているが、あのジジイは誰だい?」

爺さん:「あのジジイは番頭だとよ。あれくらいの大金持ちになると、家計やその他の家の様々な事務をこなす<執事>がいるのだが、あのジジイには<執事>という品のあるような用語ではなくて、<番頭>が似合ってる。とにかく、昨日もあのジジイが、犬を散歩しながらこの街路を通りかかったのをわしは家の二階から見ていたんだ。ところが、垂れ流す糞をきれいにすくって集めて歩くのかと思ったら、小さなスコップですくって、誰も見ていないかどうかそっと周りを確かめた上で、溝や他人の家の垣根の後ろに放り投げたりしているんだ。つまり、ご主人の犬の糞を隠蔽する役目を、今度は番頭が代わりにやっているのだ。わしは腹が立って、怒鳴りつけてやろうと思って、すぐに家を飛び出してあのジジイに向かって行ったら、あいつ、なんて言ったと思う!<スガスガしい朝ですな〜>だとよ!あの野郎は、犬の飼い主夫婦に勝るワルだな。今日は、もう糞を隠そうともしないで、さっさと通り過ごしてしまったようだな。」

熊:「反安保爺さんの話を聞いていると、まるでどこかの国の政界の話のように思えるな〜、どこの国だったけな〜、確か、メディアが全くだらしない東洋の島国の話だったような記憶があるんだがな〜。」

爺さん:「おい、熊!今晩はやけ酒だ、わしにつきあえよ!<光輝高齢者>をどれほど大切にしなければならいか、たっぷり教えてやる。」

熊:<あ〜、やなところでつかまっちゃった。この安保爺さんと飲んでも少しも酔いが回らないのが辛いよな〜。>



2020年8月29日土曜日

沼田鈴子の思想と実践「痛みの共有」に関する補論

「戦争記憶」は、将来に向けての私たちの「責任」の取り方に活かすためにあるべきもの

  現在、日本では悪化する地球温暖化が原因の猛暑が続き、コロナウイルス感染も第二波が世界各地を襲っており、その経済的影響が(とりわけ社会的弱者に対する)深刻な問題を引き起こしているたいへんな状況ですが、いかがお過ごしでしょうか。
  安倍晋三がようやく辞任することになりましたが、この欺瞞と虚妄にまみれたヤクザ政治屋が辞めたからといって、日本の政治が突然に良くなるわけでないことは言うまでもないこと。 無能なヤクザ政治屋を子分に従えた安倍晋三政権は、戦後これまでの歴史において、政治家と官僚の人間的な質の劣化、ひいては日本社会全体のモラルの低下という点で、最悪の影響を及ぼした政権でした。彼の辞任で、彼が首相在任中にやった様々な犯罪行為の責任追求を絶対に止めてはいけません。止めれば、またまた日本の歪んだ「民主主義」の病原をそのまま放置しておくことになります。
  さて、本題に入ります。私は7月中旬からこの一ヶ月半ほどの間、ほとんど毎日1〜2回、「Yahoo Japan ニュース」でどんな報道記事があるのかを調べてみました。「Yahoo Japan ニュース」は全国紙だけではなく、いろいろな地方紙、テレビ・ニュース、週刊誌など、多種多様のメディア媒体を通して取り上げられた記事を紹介しているため、総体的に日本の報道記事がどのような傾向にあるのかを知るにはひじょうに便利です。この一ヶ月半、とりわけ8月初めから20日頃にかけての報道の多くが、戦後75周年を迎えての戦争関連報道でしたが、そのうちのほとんど全てが「日本人が戦時中にいかに悲惨で残酷な体験を強いられたか」という「被害」一辺倒のものでした。「加害」の問題を取り扱った報道は、もっぱらドイツのナチの戦争犯罪を取り扱った映画番組の紹介ばかり。日本の戦争加害に関しては、私が気がついた限りでは、日本軍の地下壕を掘る強制労働に従事させられた「朝鮮人労働者」に関する記事と、「泰緬鉄道建設」で強制労働をさせられた推定10万人の東南アジアのいわゆる「ロームシャ」に関するテレビ・ニュースの2つだけでした。他にもあるかもしれませんが、いずれにせよごくわずかの数です。
  このような報道傾向は、おそらく毎年同じなのでしょうが、この20年ちかく、私は、7月下旬から8月下旬にかけては、広島や日本の他の地域での反核平和運動や国会図書館での研究調査に忙しくて、日本のニュース報道を詳しく調べてみる時間的な余裕が全くありませんでした。そのため、想像はしていましたが、例年の夏のNHKの戦争関連テレビ報道番組を含め、これほどまでに酷い状況にあることを、今年あらためて痛感した次第です。
  こうした「自己の被害」の酷さをいわば「これでもか、これでもか」と日本では報道するのですが、これらの報道ニュースに一貫して欠けているものがあります。それは、「そんな悲惨な体験を国民に強いた責任はいったい誰にあるのか」という問いかけです。責任が誰にあるのかを問わずに、戦争体験のむごたらしさだけを述べる。これは、広島・長崎の原爆無差別大量殺戮の被害者、いわゆる「被爆者」の証言も同じです。めったに、原爆無差別大量殺戮という由々しい犯罪を犯した米国政府の責任と、そんな状況に至るまで戦争を続けた日本政府(とりわけ天皇裕仁)の責任を厳しく追求する証言を聞くことはありません(その点で、『はだしのゲン』作家で知られる故・中沢啓治さんの証言は例外的でした)。とにかく、通常の証言は、「こんなひどいめにあったのだから、平和は大切です」という、極めてありきたりのメッセージが結論になっています。
  責任の所在を明確にすることは、「誰が、なぜそのような戦争犯罪を犯したのか」、ひいては「誰が、なぜそのような戦争を開始したのか」という原因を追求するためには、決して欠かせないプロセスです。戦争や戦争犯罪の原因と責任を解明しないで、再び同じようなことが起きることを防止することはできません。よって、平和構築や平和維持も不可能なことは自明の理です。ところが、この「自明の理」を問わないことが、つまり、なぜか日本では「不問の了解」になっているのです。自分たちの被害についてはひじょうに詳しく述べるのですが、自分たちに苦痛極まる被害をもたらした加害者の責任については一切口にしないという、「加害者認定を拒否する被害者意識」という摩訶不思議な状況、これを私は「不問の了解」という言葉で表現します。
  自分たちに被害をもたらした加害者の責任を追求しないということは、したがって、自分たちの加害責任についても考えない、という「無責任状態」を作り出しているわけです。戦後これまでの日本の、戦争責任に対する「一億総無責任」とも呼べる状況と、現在の何ごとに対しても(とりわけ政治に関しては)「責任の所在を明確にしない」という日本の社会的環境は、実際にはひじょうに密接に絡み合っている問題なのです。
  なぜこのような摩訶不思議な状況が、戦後75年という長期にわたって続いているのでしょうか。当然ながら、「被害者意識」には、「自分たちの肉体的・精神的痛みを認めてもらいたい」という強い感情が働いていることは明らかです。それは犠牲者として当然の感情です。しかし、厄介な問題は、この被害感情にだけ依拠した「戦争記憶」は、国家が自国民の被害者の「犠牲を正当化」するのにひじょうに都合がよいということです。その典型的な一例は、広島・長崎の「犠牲の正当化」です。それは、「現在の日本の平和は、被爆者の犠牲の上にもたらされた」という「正当化」です。これについては拙著『検証「戦後民主主義」:わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』の第5章「<記憶>の日米共同謀議の打破に向けて」で、次のように述べておきました。

戦後の「平和」は「広島・長崎の犠牲」の基にこそ築かれたという、原爆犠牲の正当化が戦後間もなく主張されはじめた。しかしながら、そのような「犠牲の正当化」は、戦争を非政治化させながら、実際には肯定的に受け入れているのであり、小田実は、敗戦国によるこの種の「犠牲の正当化」を、「戦勝国ナショナリズム」と対比させて「戦敗国ナショナリズム」と称した。その典型的な一例は、1946年8月6日、すなわち広島の原爆一周年にあたっての広島市長・木原七郎のメッセージである。木原は、「本市がこうむりたるこの犠牲にこそ、全世界にあまねく、平和をもたらした一大動機を作りたることを想起すれば、わが民族の永遠の保持のため、はたまた世界人類恒久平和の人柱と化した十万市民諸君の霊に向かって熱き涙をそそぎつつも、ただ感謝感激をもってその日を迎うるのほかないと存じます」と述べた<強調:引用者>。同日の中国新聞コラムもまた、「広島の市民が犠牲になったためにこの戦争が終わった。よいキッカケになったことがどれだけ貴い人命を救ったか知れない」と主張して、「被害者による原爆正当化論」を展開した。現在の広島平和公園内の資料館や慰霊碑を目にすると、いまだにこの「戦敗国ナショナリズム」どころか、「戦敗都市ナショナリズム」とでも称すべき心理状態に広島が浸りきっていることが分かる。
 
   同じような正当化が、靖国神社に祀られた「英霊」についても使われます。戦争で犠牲になった多くの日本軍将兵の死によって「日本の平和」はもたらされた、という主張です。この表現は、明仁が天皇時代にしばしば行った「慰霊の旅」のスピーチでも使われています。このような「正当化」は、明らかに犠牲者を欺瞞的に政治利用している以外のなにものでもないのです。しかし、「親族の命が無駄にされた。その死は何も価値のない犬死だった」ということを心情的には受け入れがたい遺族の人たちや、戦争で身体的に傷害をはじめ様々な苦難をなめさせられた当事者の人たちの感情には、受け入れやすい「正当化」です。「個人的痛み」が「平和」をもたらすために役立ったという、本当はマヤカシの説明であれ、自分を一応は納得させることができるからです。
   この「犠牲の正当化」は、国益のために他者を殺し、自分も殺されることを市民に強制する国家原理を、市民に受け入れさせ、ひいては市民の側からその国家原理を自発的に支持させるような心理的状況を作り出すための巧妙な仕掛けです。また、小田実が喝破したように、この国家原理は、自己正当化のために、常に人道的普遍原理を空洞化させ、空洞化した普遍原理を形式的に掲げるという、似非普遍主義の利用を行います。それは、例えば日本の場合で言えば、戦時中は「聖戦」や「アジア民族解放の戦い」というスローガンでしたし、戦後は「世界平和のため、人類平和のための戦争犠牲者」です。アメリカが常に使う似非普遍主義は「自由主義擁護」、「民主主義防衛」や「ファシズム打倒」です。その上で、空洞化した普遍原理に個人体験を媒介させることで(例えば、「神風特攻パイロットは家族、愛する人、故郷を守るために出撃した」、「私たちが現在享受している平和は、父や祖父の戦死によってもたらされた」という形で)個人体験が内包する国家批判力を去勢し、国家原理の中に取り込んでしまうのです。これが、戦争と戦争犠牲を正当化し且つその責任を回避するために、国家が使う常套手段です。
   こうした常套手段を打ち破り、国家原理に対抗していくためには、これまた小田実が生前繰り返し述べていたように、我々日本人の個人的体験<原爆、焼夷弾空襲、沖縄戦などの被害体験と、南京虐殺、マレー虐殺、軍性奴隷制など日本軍残虐行為の加害体験の両方>を普遍原理<憲法9条の絶対平和主義>に直接還元させ、その還元運動を国家原理と対抗させることで国家原理を拒否するという実践活動を展開していくことが必要なのです。
  ではその「実践活動」の具体的なあり方とは、何なのでしょうか。沼田鈴子が実際に自分の平和活動で行っていた「痛みの共有」、これこそが極めて有効な「国家原理を拒否する実践活動」であった、というのが私の考えです。自己の戦争被害体験とその記憶を、国家原理の正当化のために利用されないようにするためには、自己の戦争被害体験・記憶を、自国が犯した加害行為の犠牲者の被害体験・記憶と並列させることで、国家が国民に行わせるいかなる戦争殺傷行為も、被害者が自国民であろうと敵国民であろうと、非人道的であり、個々人の「平和的生存権」を犯す犯罪行為であり、正義に反する行為であるという普遍原理を打ち出すことです。
  「被害体験・記憶の並列」とは、単に二つを機械的に並べるだけのことを意味しているのでないことは言うまでもありません。自国と敵国市民の犠牲者の「痛み」を、その「記憶」を、お互いに深く理解しあい、お互いに自分の記憶として内面化すること、すなわち、沼田さんが実践した「痛みの共有」のことです。「悲惨な肉体的・精神的痛み」は誰にとっても「悲惨な痛み」であるという、極めて当然な普遍的原理で、その痛みを強要し且つ正当化する国家原理に対抗する。実に簡単明瞭な、「自明の理」の実践的応用なのです。ただし、言葉上は簡単明瞭ですが、それを実践するのはたいへんな精神的忍耐力と努力が必要です。
 しかし、すでに述べましたように、この「自明の理」が「自明の理」として全く理解されていない日本では、戦争を正当化する国家原理に対して普遍原理で対抗するためには、「痛みの記憶の共有」がどうしても必要であるということを、大半の国民が実感としてまず理解するようにならなければなりません。「日本人が戦時中にいかに悲惨で残酷な体験を強いられたか」という「被害」の記憶だけを、毎年のようにいくら繰り返しても、少しも国家原理への対抗にはならないのであり、憲法前文や九条の「平和の普遍的原理」には少しも近づかないのです。
  このことを単なる知識として理解するのではなく、沼田さんのように身体で実感し、実践するためには、学校教育だけでは不可能だと私は思っています。「記憶」は、私たちが生活している社会の文化のあり方そのものと深く関わっている問題なので、「戦争記憶」の文化のあり方をいかに変革していくか、このことが重要だと私は思っています。いかに記憶文化を変革していくかについては、私自身もまだ試行錯誤中ですが、その途中の段階的な一つの結論を、拙著『検証「戦後民主主義」:わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』の第5章の(6)<日本独自の「文化的記憶」による「歴史克服」を目指して>で述べておきました。ご笑覧いただき、ご批評いただければ光栄です。
  今日はこのくらいで終わりにしておきますが、最後に、アイルランドの劇作家、ジョージ・バーナード・ショーの「記憶」に関する名言を引用しておきます。
「自分の過去の記憶によって人は賢くなるのではない。(過去の記憶を活かして産み出す)将来への責任感によって賢くなるのだ。」

最後まで読んでいただきありがとうございました。

アダムとイブ

人類発生の記憶
イブ「私はあんたに怒ってるのよ!」
アダム「俺はおまえに怒っているよ!」
賢い蛇「お二人に申し訳なく思ってます」