2019年6月30日日曜日

8・6ヒロシマ平和へのつどい2019


呼びかけ文

被爆の原点からヒロシマの責務を考える 東アジアの平和のために
 被爆の原点とは何か。なぜ、広島・長崎は被爆しなければならなかったのか?
 
194586日月曜日、午前8時15分、侵略の拠点である軍都廣島の兵士も市民も、日本人はもちろん朝鮮人、中国人さらには米国人捕虜も、戦争に賛成した者も反対した者も、あらゆる人間が抹殺の対象とされた。
 東京大空襲、呉や岩国を含む日本全土の市町村400カ所ほどに対する空爆で102万人の被害者(うち56万人が死亡者)を出し、20万人を超える命が奪われた沖縄戦を経てもなお、天皇裕仁の命と天皇制を守ることだけのために降伏を拒んだ裕仁自身と大日本帝国指導部。すなわち、アジア太平洋侵略戦争を遂行した天皇制ファシズム国家日本自体が被爆を招いた責任(「招爆責任」)を、私たちは徹底的に追及しなければならない。同時にアメリカが原爆を使うまで日本が決して降伏しないようにトルーマン政権が画策した、アメリカ国家による原爆無差別大量虐殺の罪と責任も徹底的に追及しなければならない。
 アメリカの原爆攻撃が世界戦争を終わらせ世界の民主主義を救い、日本に民主主義を植えつけたという原爆神話。日本の終戦を天皇が導いたとの天皇聖断神話。この二つの神話を、日米両国民が打ち破る必要がある。
 日本人がアメリカの原爆攻撃の加害責任を追及できないことと、自国の侵略戦争や植民地支配の加害責任を追及できないことは表裏一体である。GHQ司令官マッカーサーは、日本占領支配の切り札として「象徴天皇制」を設計し、そのために戦犯裕仁の戦争責任の追及をかわすことで、日米安保軍事同盟の路線を敷いた。そのため、裕仁は「天から途中まで降りてきただけ」で、本質的には「人間」になることを拒否し続けた。その結果、憲法前文と9条の人類普遍的原理と第1章の排外的な天皇制国家原理の間に決定的な矛盾が埋め込まれてしまった。戦後74年が経った今も、「日本軍性奴隷(いわゆる「慰安婦制度」)」問題や「強制動員(いわゆる「徴用工」)問題を日本が解決できない原因は、まさにこの矛盾から発生している。
安倍政権は、「戦後体制の清算」をめざし、天皇代替わりを利用し、東アジアの平和を壊し続けている。そして、今なお続く福島原発事故の被害を隠蔽し、「放射能安全神話」を強化し、核抑止力と原発推進の政策を変えようとしていない。さらに、沖縄の民意をないがしろにして辺野古新基地建設に突き進んでいる。
こうして、「パックス・アメリカーナ(アメリカの支配による平和)」と日本の脆弱な「戦後民主主義」のために、東アジア地域に真の平和がもたらされる機会が今日まで失われてきた。昨年の4・27南北首脳会談とそれに続く朝米協議には、米ソ冷戦終結を超える世界史的意義が含まれている。「朝鮮半島の平和と繁栄・統一」のために、朝米は、休戦状態の朝鮮戦争を実質的に「終戦」にしなければならない。東アジアに平和を創り出すために、私たちは、朝鮮半島を分断した責任が米日にあることを明確に自覚し、在日米軍と在韓米軍を撤退させ、アメリカの核軍事力を解体させなければならない。
以上のような問題意識から、被爆地ヒロシマの責務を、私たちは皆さんと共に考えたい。
 
日 時:8月5日(月)18時~20時30分
会 場:広島市まちづくり市民交流プラザ北棟5階研修室ABC
           
(広島市中袋町6番36号)(袋町小の建物です)
 
      http://www.cf.city.hiroshima.jp/m-plaza/kotsu.html
       (地
参加費:1,000

問題提起
     ヒロシマから(核兵器禁止条約、NPT2020討会議)
       (木原省治/原発はごめんだヒロシマ市民の会代表)
     南北関係と朝米関係の展望 朝鮮半島の非核化とは  
      (尹康/在日韓国民主統一連合広島本部)   
     天皇制=差別と無責任体制の根源とわたしたちはいかにうべきか
      (田中利幸/歴史家)
     福島は今、福島原発事故の真実と責任の所在を明らかにするために
      (佐藤和良/福島原発刑事訴訟支援団団長、福島原発告訴長、いわき市議会議員)
     辺野古新基地建設阻止のためにまたはまとめ 
      (湯一郎/ピースデポ共同代表)  

記念講演(19:15-20:15) 
講 師:  
鵜飼 哲(うかいさとし) 一橋大学大学院言語社会研究科特任教授/フランス文学思想
講演タイトル:
今、<反核インターナショナリズム>を考える  広島福島オリンピック

講師プロフィール:
パレスチナ問題、フランスの社会運動やイスラーム、朝鮮半島問題、日本の死刑制度や天皇制などに関して社会運動の場で積極的に発言。これまで編集委員としてインパクション誌、実行委員としてティーチイン沖などに関わり、最近では反東京オリンピックの取り組みに力を入れている。現代思想20188月号頭座談では討論者の一人として参加(李鍾元+梅林宏道+鵜飼哲南北の平和共存と北東アジアの未 - 南北首会談米朝首会談はいかなる可能性を拓いたのか)。
著書抵抗への招待』『償いのアルケオロジー』『のかなたでほか。翻書多。共著としてデリダと死刑を考える』、『レイシズムスタディーズ序』、『思想の墟から: 歴史への責任、力への峙のためになどがある。

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行動日程
8月5日(月)
13:00  フィールド・ワーク ヒロシマ・スタディ・ツアー  2019 》極東最大級の米軍岩国基地
     広島駅14:15愛宕山(米軍住宅施設)14:4515:00岩国基地16:0017:00白神社前

8月6日(火)
07:00  市民による平和宣言2019」「8.6新聞意見広告配布行動(原爆ドーム前他)
07:45
  グラウンドゼロのつどい(原爆ドーム前)
08:15
  追悼のダイイン(原爆ドーム前)
08:30
  6広島デモ出発(原爆ドーム前~中国電力本社)
09:15
  中国電力本社前原発座り込み行動~10:15
10:15
  10:30フィールドワーク ヒロシマスタディ・ツアー 2019 》海上自衛隊基地コース
     白神社前バス停 14:30
16:30-18:00(
以下の集会に協力)
        
福島原発事故刑事裁判 報告集会
        
福島は今・・・ 福島原発事故の真実と責任を追及するために
        
講師:佐藤和良さん(福島原発刑事訴訟支援団団長、福島原発告訴長、いわき市会議員)
        
場所:広島流川教会
        
主催:福島原発告訴中四国、福島原発刑事訴訟支援
        
協力:日本基督教西中国教核問題特別委員会     

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主催: 86ヒロシマ平和へのつどい2019実行委員会 (代表/田中利幸)

事務局: 広島市中堺町1551001
     電話090-4740-4608FAX082-297-7145
     Eメイル: kunonaruaki@hotmail.com (久野成章)
          Yuki Tanaka Email: suizentanaka@gmail.com(田中利幸)

    86つどいHP
    http://yjtanaka.blogspot.jp/
    田中利幸ブログ  
    FACEBOOK

郵便振替:013206757686つどい
     集会趣旨に賛同していただける方に一口1,000円のカンパを求めています。
     お名前を集会日資料とホームページに記載します。

2019年6月9日日曜日

天皇万歳に浮かれる無責任国家


1)一時帰国を終えての報告
2)6月6日発行『第九条の会ヒロシマ 会報102号』掲載の拙文

1)一時帰国を終えての報告

  私は、4月28から6月6日までの1ヶ月以上に及ぶ少々長めの一時帰国を終えたところです。この日本滞在中の5月半ばに、拙著『検証「戦後民主主義」:わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』(三一書房)が出版されました。天皇制批判を中心テーマとする拙著の宣伝・発売を兼ねて、広島、東京、三次(広島県)、名古屋の4カ所で講演をさせていただきました。また、6月5日夕にはピープルズ・プラン研究所で拙著の合評会も開いていただきました。
  10日間にわたるゴールデン・ウィーク期間中は、天皇代替わりの儀式が続き、メディアは、退位した明仁・美智子と新しく天皇・皇后に即位した徳仁・雅子の賛美を、連日連夜、報道し続け、日本全国が天皇万歳に浮かれ、「天皇批判などするヤカラは非国民」と罵倒されそうな異常な雰囲気に包まれました。そんな「一億総思考停止」と呼べるような状況の中にあって、天皇制のあり方に深い疑問を持つ人たちが講演会に来てくださり、参加者の中には「講演を聴いて憤懣が解消され、胸がすっきりしました」と言ってくださる方が複数おられました。正直なところ、筆者/講演者としては、これほど嬉しいコメントはありません。
  上記4カ所での講演を企画していただいたそれぞれの地元の市民活動組織のみなさんに、あらためて深くお礼を申し上げます。とりわけ、東京と名古屋での講演を企画していただいた「米国の原爆投下の責任を問う会」、「ABC企画委員会」(ABCは「核・生物兵器・化学兵器」の英語名頭文字) と「愛知県平和委員会」のみなさんから並々ならぬご支援を受けたことに心から感謝申し上げます。なお、ABC企画委員会」のホームページには、東京の中野ゼロで行った講演(パワーポイント)を紹介するユーチューブと講演概要を載せていただきました。ご興味のある方は、下記アドレスで視聴していただければ光栄です。
  ピープルズ・プラン研究所で行われた拙著の合評会では、参加者のみなさん、とりわけ40年以上にわたって反天皇制運動に関わってこられた天野恵一さんから、忌憚のない、実に有意義なご批評をいただきました。合評会で教えられたことについてさらに熟考をかさね、今後の自分の執筆と市民活動に活かしていきたいと思っています。
  なお、8月10日には、札幌での講演にお招きを受けています。この札幌講演についての詳細については、松元保昭さん( y_matsu29@ybb.ne.jp )にお問い合わせください。
  一時帰国中は、講演だけではなく、楽しい集まりもありました。「広島文学資料保全の会」の土屋時子さん、池田正彦さんの企画による「ヒロシマ青春群像劇『河』〜峠三吉の『原爆詩集』を読む」と題する、「峠三吉と詩の仲間たちの姿を描いた演劇『河』のメンバーによる『原爆詩集』朗読と尺八の演奏会」が5月11日に、京都の立命館大学国際平和ミュージアム会議室で開かれました。土屋清の作による演劇『河』は、初演後55年の一昨年と昨年、広島と京都で再上演されましたが、この演劇に出演された方たちのうちの数名と、関東地域で原爆詩朗読活動をされている方たちが集まって詩の朗読をされ、それに私の拙い尺八演奏を重ねるという初めての試みを、ほとんどぶっつけ本番で行いました。結果は、詩の朗読と尺八の音色が意外とうまく重なったように思います。機会があれば再挑戦してみたいと願っています。
  なお、土屋清の名作劇『河』に関しては、来月半ばに藤原書店から『広島の「河」 劇作家・土屋清の青春群像劇』が出版される予定です。詳しくは下記のアドレスでご覧ください。

2)6月6日発行『第九条の会ヒロシマ 会報102号』掲載の拙文 

下記はこの会報に掲載された論考に加筆したものです。ご笑覧、ご批評いただければ幸いです。

「天皇万歳に浮かれる無責任国家これこそ安倍晋三が望む壊憲への基礎固め」
  4月27日から10日間続いたゴールデン・ウィークは、明仁の天皇退位、徳人の天皇即位をめぐる諸行事で幕を開け、メディアでの新元号報道と新旧両天皇・皇后大讃美が日本全国を覆いつくした。国民の大多数がそれに煽られた形で「天皇万々歳」に浮かれ、「無意識のうちの翼賛体制」とも称せるような状況に陥った。この「一億総思考停止」の祝賀ムードを利用して、5月3日の憲法記念日には、安倍晋三は、憲法壊憲推進派の民間団体「公開憲法フォーラム」によせたビデオ・メッセージの中で、「令和初の憲法記念日」を「国民こぞって歴史的な皇位継承を寿ぐ中」での記念日と称した。その上で、「令和元年という新たなスタートラインに立って、この国の未来像について、真正面から議論を行うべきときに来ている」と述べて、あたかも新天皇即位=改元が改憲を必要としているかごとくの表明を行った。
  壊憲をなにがなんでも達成するためだけではなく、深刻な政治・社会・経済問題、国際関係問題を多く抱えこんでいる日本が、あたかも繁栄と幸福におおわれた国であるかのような欺瞞ムードを作るために、人気絶大の明仁・美智子夫婦とその継承者夫婦をトコトン利用するという安倍の政治的意図は、安倍のもくろみ通り、祝賀ムードによって大多数の国民の目からは逸らされてしまった。厳粛で華麗な皇室儀礼は、明治維新以来これまで幾たびとなく繰り返されたように、国民の目を真に重大な問題から逸らすことに利用されてきたことは明らかなところ。しかし、これは単に、天皇を政治的に利用することを常に狙っている安倍のような、虚妄を駆使して国民をごまかす政治家だけに問題があるのではない。天皇制、とりわけ天皇が持っている「象徴権威」には、「真に重大な問題」を隠蔽してしまう魔術的ともいえる機能が備わっていること自体が問題なのである。この「象徴権威」の性質ゆえにこそ、政治家たちは自分たちの目的達成のために天皇を利用しようとするのである。
  ところが、ゴールデン・ウィーク中やその前後に出された新聞記事、とりわけ朝日新聞の関連記事を読んでみると、安倍政権の壊憲計画や「慰安婦・徴用工問題」への対応の仕方を批判するために、明仁・美智子夫婦あるいは天皇制を賛美し、そのことによって祝賀ムードをさらに高めるという皮肉な状況を作り出してしまった。虚偽と欺瞞でかためられた安倍政権を批判したいという朝日新聞の意図は十分理解できるのであるが、そのための手段として天皇賛美をやるという方法では全く安倍批判にはつながらない。そのことに気がつかないジャーナリストの見識のなさが、本当は問題にされなければならないのである。
  具体的な例を見てみよう。朝日新聞(以下全てネット版)は5月2日に、「象徴天皇と戦争放棄は不可分 敗戦からの憲法1条と9条」と題する記事を掲載し、「1947年5月3日に施行された日本国憲法の最大の特徴は、1条の象徴天皇制と9条の戦争放棄だ。二つの条項は不可分の一対として生まれた。天皇制を残しても、『天皇の軍隊』による軍国主義の復活にはつながらないと、国際社会を納得させる必要があったからだ」と記した。その文章表現自体は事実を反映しているのであるが、朝日新聞はこの記述に、9条は1条によって、つまり「平和」は「象徴天皇」の存在によって強く支えられているという意味を与え、そうした意味で「象徴天皇と戦争放棄は不可分」であると主張したのである。

  問題は、「二つの条項は不可分の一対として生まれた」その理由である。アメリカ占領軍が日本政府に与えた「マッカーサー草案」と呼ばれる憲法草案に、9条の基礎となる戦争放棄条項を入れた理由は、天皇裕仁が軍指導者たちに利用された「おやさしい平和主義者」であるという神話を作り出し、彼が犯した侵略戦争という重大な戦争犯罪を隠蔽することで免罪・免責をはかるためであった。つまり、憲法第1章(=天皇制維持)と2章(=非戦と軍隊放棄)は、裕仁の戦争責任、ひいては日本の戦争責任を隠蔽し帳消しにするために、セットとして組み合わされたものであった。しかもこの神話は、アメリカ占領軍が単独に作り出したのではない。当時の日本政府、幣原内閣もまた、「裕仁はあくまでも平和を希求していたのだが、軍部や政府が決定したことに従わざるをえなかった」という神話を作り上げ、1945年11月15日にはこれを公式見解とする閣議決定を発表している。すなわち、「裕仁は平和主義者」という神話は文字通り日米共同謀議で作られたものであり、憲法1条はその結実とも言えるものなのである。

  しかし、朝日の記事は、そういう本来の意味で「象徴天皇と戦争放棄は不可分」と言っているのでないことは明らかだ。ここで、本来の意味での憲法第1章と2章の組み合わせでの設置過程を詳しく論じている余裕がないので、これについては最近出版した拙著『検証「戦後民主主義」:わたしたちはなぜ戦争責任を解決できないのか』(三一書房)の第3章「『平和憲法』に埋め込まれた『戦争責任隠蔽』の内在的矛盾」を参照していただければ光栄である。

  重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。朝日の記事は、その点で、本質的には、日本の戦争責任を全面的に否定する安倍を、間接的にではあるが支持してしまっているのであるが、記事を執筆した記者がそれに気がついていないことが情けない。

  5月3日の憲法記念日の当日、朝日新聞は「『いまの改憲論はフェイク』憲法学者・樋口陽一氏の危惧」と題する、樋口へのインタヴュー記事を掲載した。あらためて述べるまでもなく、樋口は日本を代表する憲法学者で、私も樋口の著書や論文から多くを学ばせていただいた。壊憲をめざす安倍の動向がいかに欺瞞に満ちたものであり、虚偽的な加筆で憲法9条の原則を根本的に変えてしまおうと企む安倍を、このインタヴューで樋口は痛烈に批判し、「今回の改憲論は『政治的な主張』と呼べるレベルのものではありません。フェイク (虚偽)です」と喝破している。この点では、樋口の意見に私も全面的に賛成である。ところが、樋口は、2011年に起きた「東日本大震災という悲劇的な危機状況」との関連で明仁・美智子夫婦に言及し、「明仁天皇と美智子皇后(当時)の一連の言動が、象徴天皇制を定めた憲法第1章の一つの表れとして人々の記憶に刻まれた」と述べて、憲法第1章を積極的に評価している。憲法前文と憲法9条の持つ「人類普遍的原則」の決定的に重要な意味をあれほど明晰に解説した樋口が、憲法第1章がその「人類普遍的原則」と明らかに矛盾する狭隘な「日本国家主義」の原則に基づいていることに全く気がついていないことに、私は驚いたと同時に残念でならない。(この矛盾点についても、私は、上に述べた拙著の第3章の第3節「『戦争責任』の自覚に基づく憲法前文と9条の一体的相互関連性」で詳しく述べておいた。)
  憲法第1章の矛盾はそれだけではない。言うまでもなく、憲法1条の「象徴天皇」は、明治憲法下での国家神道に基づく「天皇=現人神」とは全く異なっているはずなのである。ところが、実際には、今回の新天皇即位の関連儀式である「剣璽等承継の儀」をはじめ、これから続く数多くの儀式のほとんどは、天皇が「神」として執り行うもの、すなわち皇位の正統性の根拠が天照大神の神勅にあることを示す儀式なのである。とりわけ11月に予定されている大嘗祭は、まさしく、この儀式によって天皇が正式に神となる重要なものである。憲法の政教分離規定に明らかに違反しているにもかかわらず、明仁の天皇即位の場合と同様に、今回も政府は27億円という巨額の国費で大嘗祭を行うことを決定済みである。
  それだけではない、春季皇霊祭・春季神殿祭、秋季皇霊祭・秋季神殿祭、新嘗祭や元日早朝に行う四方拝、といった、天皇が行っている様々な宮中祭祀も、神として行っている。宮内庁によると、明仁は「宮中祭祀も全身全霊で臨まれてきた」とのこと。民主憲法を尊重しているはずの「象徴天皇」が、その一方で、民主主義の理念に真っ向から背離する「神」としての儀式を、頻繁に「全身全霊で」執り行っているのである。こうした宮中祭祀を、日本政府は皇室の内廷費で賄う儀式、つまり「天皇が私的に執り行う儀式」 であると主張している。しかし、プライベートな形であろうとなかろうと、国民の税金を使って執り行い、しかも、儀式によっては首相や閣僚が堂々と出席している。これが民主憲法を尊重しているはずの明仁が、なんの矛盾も感じないで行ってきた明らかな違憲行為であり、この違憲行為をこれからも徳仁が続けていくことは明らかである。一方では、神道儀式で自分を神とみなす儀式を「全身全霊で」で執り行い、他方では民主憲法遵守のための国民の代表=象徴と自分をみなす、このことになんらの精神的葛藤や矛盾も感じない「天皇」とはいったい何なのであろうか?彼は、神なのか人間なのか?自分をどう思っているのであろうか?私は、そんな彼を「天と地上の間で宙ブラリンになっている存在」、神でも人間でもない中途半端な存在、と表現する。
  天皇とは、このように、なんとも摩訶不思議な存在であり、正教分離の憲法原則から見て、これが矛盾でなければ何と表現すべきなのであろうか。この点について樋口はどう考えているのか、訊いてみたいものである。朝日新聞の記者は、憲法1条と現実の天皇行動のこの決定的矛盾については、全く気がついてもいないのであろう。一連の記事では、この点についてなんの言及もない。
  ちなみに、天皇が執り行う神道儀式にはしばしば皇后も出席する。しかし、もちろん皇后は神としてではなく、神である天皇に従属するものとして儀式に参加する。ところが、皇后は「まげ」の期間中は宮中祭祀にかかわることはタブーとされている。「まげ」とは「生理」のことを意味する宮中用語であり、「まげ」の間は皇后に血の穢れがあるとみなされているからである。かくして、皇后は頻繁に「まげ」であるかどうかのチェックを受けるのみならず、着替えや全身の潔めなど、儀式のための「潔齋」といわれる様々な準備は、すべて女官の手によって行われなければならず、自分ではできないことになっている。つまりプライバシーが全くないため、精神的にひじょうに過酷な生活を強いられる。そのうえ、皇位継承者である男児を産む「天皇製造器」になることを強制される。皇后雅子はそれに失敗し、「適応障害」と「診断」され、人間としての尊厳を踏みにじられたことは周知のところで、彼女の女性としての悲哀、心の痛みの深さは察するに余りある。
  しかし、雅子だけではない。美智子も同じように、結婚4年後の1963年の流産のあと心身疲労から体調を崩したし、1993年には精神的苦痛から失声症を患った。このように、はなはだしい「女性差別」による「人権否定」は、皇室の女性に対しては日常茶飯事に行われているのであり、離婚などは絶対に許されない皇后や皇太子妃は、それに耐えて生きていく方法を自分なりに見つけていくよりほかに道はないのである。これが、憲法で保障されている国民の「基本的人権」と「男女平等」を象徴する天皇の妻の実態なのである。その意味で皇后もまた通常の「人間」とは言えず、「神の奴隷」と称すべき存在であろう。このように皇后の存在自体もまた、なんとも摩訶不思議なことに、憲法と「国民の象徴」の実態の間の深い矛盾を露呈しているのである。その矛盾は、日本の女性一般が日常直面している「女性差別」の矛盾を反映しているものであることも明らかである。
  朝日新聞記事に話を戻そう。5月11日、朝日新聞は「贖罪を天皇に委ねた政治  平成も昭和も終わってない」と題した記事で、作家・高橋源一郎が憲法記念日に明治大学ホールで行った講演を紹介した。この記事も、戦争加害責任を否定する安倍晋三への批判を込めたものであり、その批判の手段として高橋が講演で述べた明仁賛美を紹介している。いわく、「戦争責任を問われないまま、昭和天がやり残したことの贖罪の旅をやってきたのではないか」。この高橋の言葉を受けて、朝日新聞記者は、「1条は国民主権も定めている。『祈る天皇』の退位とともに列島各地に 『ありがとう平成』という感謝の言葉が広がった。政治が本来やるべき贖罪を天皇に委ね、安心して過去を忘れたかのようで、国民主権をどう機能させるかという緊張感はうかがえない」と述べ、明仁を賛美することで、安倍のような欺瞞的な政治家だけではなく、国民全般が戦争責任問題について考えてこなかったと苦言を呈した。
  また5月9日の朝日新聞「論座」では、佐藤彰もまた、「安倍首相と明仁上皇(上) 明仁上皇の思いは、安倍政にはなく、沖とともにあった」と題する記事で、明仁が沖縄県人に常に寄り添い、5回も慰霊の旅で訪問していることを、沖縄県民の米軍基地問題に対する不満を無視続ける安倍と対照させて、明仁・美智子賛美を行った。
  しかし、果たして明仁・美智子の「慰霊の旅」が本当に「贖罪の旅」であったと言えるであろうか。二人の「慰霊の旅」の目的は、もっぱら日本人戦没者の「慰霊」であって、日本軍の残虐行為の被害者の「慰霊」が行われることはほとんどなかった。時折、「お言葉」の中で、きわめて抽象的あるいは一般的な表現で連合軍側やアジア太平洋地域の住民の「戦争の犠牲者」について触れることはあっても、いずれの「慰霊の旅」でも中心はあくまでも日本人戦没者であった。しかも、そのような無数の戦争犠牲者を作り出した「原因」と「責任」に関する言及は、どの「慰霊の旅」でも、また例年の「終戦の日」の「戦没者追悼式」での「お言葉」でも、常に完全に抜け落ちていた。

  5回訪問した沖縄でも、沖縄住民の3人に1人を死亡させた責任はいったい誰にあったのかについては、明仁は全く言及したことはなかった。かくして、最も重大な責任者であった父親・裕仁の責任をうやむやにしたままの「慰霊の旅」は、結局は天皇自身の責任を曖昧にすることで、国家の責任をも曖昧にし続けた。つまり、換言すれば、二人の「慰霊の旅」は、彼ら自身が意識していようと否とにかかわらず、実際には、天皇と日本政府の「無責任」を隠蔽する政治的パフォーマンスに終わってしまっていた。その結果は、日本人の「戦争被害者意識」を常に強化する働きをしたが、日本軍戦犯行為の犠牲者である外国人とその遺族の「痛み」に思いを走らせるという作用には全く繋がらなかった

  天皇の「象徴行為」が内包しているこのような矛盾と反民主主義的性格に全く目を向けずに、天皇絶賛で日本を「一億総思考停止」の祝賀ムードに包み込んでおきながら、そのような「天皇万々歳」で安倍批判ができるなどと思っている新聞ジャーナリストの頭脳も、私には「思考停止」していると思われてならないのである。

- 完 

2019年3月25日月曜日

拙著近刊案内


『検証「戦後民主主義」 - わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』

5月に三一書房から出版予定の拙著案が、三一書房のホームページに本日出ました。下記アドレスに本の各章の項目が出ています。情報散していただければ光栄です。

注文書をここからダウンロードできます。


本書の目的
  いわゆる「慰安婦(=日本軍性奴隷)」や「徴用工」の問題で日韓関係が最近ひじょうに険悪化していることからも明らかなように、戦後74年も経つというのに、なぜ日本は「戦争責任問題」を解決できないのであろうか。この疑問について考えるためには、単に日本の「戦争責任意識の欠落」だけに視点を当てるのでは解決にはならない。日本の「戦争責任問題」は、最初から、米国の自国ならびに日本の「戦争責任」に対する姿勢と複雑に絡み合っていることを知る必要がある。さらには、その絡み合いが日本の「戦後民主主義」を深く歪め、強く性格づけてきたのであり、そうした歴史的経緯の結果として、多くの日本人の「戦争責任意識の欠落」と現在の日本政府の「戦争責任否定」があることを明確にする必要がある。
  本書の目的は、そのような日米の「戦争責任問題」の取り扱い方の絡み合いを、空爆、原爆、平和憲法の3点に絞って分析し、どのようにそれが絡み合っているのかを分析することにある。さらには、その絡み合いの最も重要な要素の一つとしての「記憶」にも焦点を当て、日米の公的「戦争記憶」がいかにして作られ今も操持されているのか、その「公的記憶」に対して、我々市民が自分たち独自の「歴史克服のための記憶」の方法を創造していくにはどうすべきかについても議論する。

「あとがき」からの抜粋
  2015年3月末の定年退職をひかえ、その一ヶ月ほど前に、広島の平和活動仲間のみなさんに「さよなら講演」と題する講演会を広島市内で開いていただいた。本書の第5章は、そのときに準備した講演ノートを修正し、かつ大幅に加筆したものである。
  13年間暮らした広島を離れたとはいえ、その後も毎年8月6日前後の数週間は広島に戻り、いまも市民活動に参加させてもらっている。そのうえに、少なくとも毎年もう1回は広島に戻っているため、いつも私の頭から「広島、原爆、戦争責任」という問題が離れることはない。
  実は、「さよなら講演」のあと、広島の原爆問題をめぐる歴史、政治社会問題、文化問題を総合的に分析するような著作を、時間をたっぷりかけて書いてみたいと思い、まず書き始めたのが本書の第2章の元になる原稿であった。書き始めて、自分の構想がいかに自分の力量を超える能力を必要とするものであるかに、遅まきながら気がついた。しかし同時に、「天皇の戦争責任」問題が、戦後の日本の「民主主義」のあり方にひじょうに深い影響を及ぼしており、現在の日本の政治・社会問題を考えるうえでも、この問題を問わずには、いま我々が直面している様々な問題の根本的な原因を理解できないのではないかと考えるようになった。
  そこで天皇制に関する様々な資料を読みだしたのであるが、奇しくも、それが天皇明仁の「生前退位」発表と重なり、そのため、にわかに関連する出版物が増え、それらに目を通すことで私自身もいろいろ思考を重ねた。
………… (省略)
  本書の表紙には、私の大好きな広島の画家・四國五郎さん(1924−2014年)が残された数多くの秀れた作品のなかの一枚、「相生橋」を使わせていただいた。この絵が表しているように、戦後間もなくから1970年代末まで、広島には太田川に沿って原爆スラムと呼ばれるバラック街があった。親族を失って生き残った被爆者だけではなく、引揚者や在日の人たちなど、差別され貧困に苦しむ多くの人たちが住んだこの街は、戦後日本の「民主主義」の深い歪みを象徴的に表している一つであると私は考えている。
 




2019年3月2日土曜日

「雲上人」をいかにしたら地上に引き降ろせるか


- 「象徴権威」打破に必要な天皇の「人間化」 -

この論考は、反天連(反天皇制運動連絡会)のニュースレター『Alert』3月号に掲載されました。

明仁宛書簡の目的天皇「人間化」の試み
  私は、広島の活動仲間と私自身の2人の名前で、「退位する明仁天皇への公開書簡」を1月1日に自分の「ブログ吹禅」に載せた。反応は驚くほど大きなもので、中には熱烈な賛同を送ってくる人もおられた。天皇制に違和感を感じながらも、現在の「天皇万々歳」という日本の雰囲気に圧倒されて、その気持ちを率直に表明できない人が大勢いるのだということに私は気がついた。
  しかし、天皇制を批判するために、なぜ明仁個人宛への書簡という形をとらなければならないのか、との疑問を呈する人もいた。この疑問に対してすでにブログで私の見解を説明しておいたように、「書簡」の主たる論点は、天皇制、とりわけ天皇の「象徴権威」が持っている民衆(とりわけ民衆意識)支配のカラクリを暴き出し、そのような「象徴権威」(武藤一羊の用語では「象徴権力」)を持っている天皇個人を、天皇という神がかり的で雲上人的な地位からいかにしたら我々市民と同じレベルにまで引きずり降ろすことができるか、ということである。「引きずり降ろす」という意味は、我々大衆の意識の中で、「天皇は特別に崇敬すべき」と捉えられている存在から、長所短所の様々な性格要素と喜怒哀楽の感情をもった「我々と同じ人間」としての存在になるまで変革する、ということである。そうした我々の側の意識変革が、「象徴権威」を打破するためには必要であるし、天皇制廃止のためには「象徴権威」の打破は欠かせない。その点で、個人宛書簡は、受取人と対等の立場に立ってものを言うことで、相手を一人の「人間」として扱うには極めて有効な手段である。 
  この「天皇の人間化」に関連して言うならば、1946年1月1日に、「新日本建設に関する詔勅」なるものが発表され、天皇が「現人神」であることを裕仁自身が否定したことになっている。このことによって、この詔勅は「人間宣言」と一般には呼ばれている。しかしながら、この詔勅を読んでみると、「自分は神ではなく、人間である」とは一言も述べてはいない。ただ、「自分と国民の間の関係は、常に相互の信頼と敬愛によって結ばれており、それは単に神話と伝説によるものではない」と述べているだけである。しかも、この詔勅発表2日前の12月29日に木下侍従長が日記に書き残した文章によると、裕仁は自分が神であることを否定はするが、「神の子孫」であることは否定しないと述べたそうである。
  ジョン・ダワーはこうした天皇の敗戦直後の状態を捉えて、著書『敗北を抱きしめて』の中で、裕仁は「天から途中まで降りてきただけ」と絶妙な表現で描写した。雲上と地上の間で宙ブラリンとなった状態は明仁の場合も同じであるし、現憲法第1章が変わらない限り、今後の天皇でも続くことは間違いない。なぜなら、憲法第1章は、根本的には天皇を普通の人間とは認めていないからである。どこに行ってもありがたがられ、「おやさしい天皇」が人間的な間違いを犯すはずはないのである。この「象徴権威」を、安倍晋三のようなペテン師政治家は、トコトン自分の政治目的達成のために利用しようとする。

雲上人を地上に引きずりおろそうとした最初の市民活動ケース
  戦後の歴史において、天皇の「象徴権威」に力強く立ち向かい、天皇を雲上から地上に引きずりおろそうと試みたケースはごく少ないが、これまでにあることはある。
  その最初のケースは、いわゆる1946年5月19日の「食糧メーデー・プラカード事件」である。戦時中は食糧生産事情が悪化していた上に、1945年の夏は冷夏、秋には台風が幾つも襲来したため、1946年の年明け以降、食糧事情は危機的状況となり、全国で餓死者が続出。その一方で、戦時中に軍需として貯蔵されていた多量の食糧が戦時利得者や官僚によって隠匿されており、もちろん皇居の台所にも贅沢な食料品が山ほどあった。
  したがって、46年5月19日のメーデーが食糧配給を要求する「飯米獲得人民大会」 となったのも当然であった。25万人という驚くべき参加者数のこのメーデー集会で、田中精機工業社員(同時に同社労働組合委員長)で共産党員の松島松太郎が、表面に「ヒロヒト 詔書曰ク 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民飢えて死ね ギョメイギョジ」、裏面に「働いても 働いても 何故私達は飢えねばならぬか 天皇ヒロヒト答えて呉れ 日本共産党田中精機細胞」と書いたプラカードを掲げて参加した。松島はこのプラカードのために検挙され、当時まだ効力のあった旧刑法の「不敬罪」 で起訴された。ところが「不敬罪」を反民主主義的な悪法と考えていたGHQの圧力のために、同年11月2日、東京地方裁判所での第一審判決では、不敬罪は認めずに名誉毀損罪が認められた。その結果、天皇に対する名誉毀損で松島は懲役8ヶ月の判決を受けた。ところがその翌日、日本国憲法の公布にともなう大赦令によって免訴とされた。免訴とはいえ、名誉毀損罪という犯罪歴そのものが消えるわけではないので、これを不服として松島は控訴。
  ところが、47年6月28日、東京高等裁判所での控訴審判決でも免訴。免訴により不処罰とはなるが、職権判断で改めて審理をしたところ、公訴事実となる不敬罪そのものは一応成立していたという判断が下された。今度は「不敬罪」にもかかわらず免訴となったことに対し、松島はさらに上告。これに対し、48年5月26日、最高裁は、大赦がなされた後において、なおも審理を継続し、まして犯罪の成立を認定する職権判断は違法であると判断。しかし、犯罪の成立決定は破棄されていないが、公訴権が消滅したのだという理由で上告を棄却した。つまり、大赦がなかったならば、「民主憲法」下においても、松島は天皇に対する「不敬罪」と「名誉毀損罪」で実刑を受けていた、という驚くべき結果となっていたのである。「民主化」されたはずの「天皇制」に対する一市民の非暴力的な反抗に対して、このような不条理な判断を裁判所は出したのである。
  私がこの裁判で重要視するのは、第一審の公判で松島の弁護人を務めた正木ひろし弁護士が主張したその内容である。すなわち、検察側が主張するように松島のプラカードが名誉毀損罪に確当するのであれば、それは刑法232条の「告訴ヲ待テ之ヲ論ズ」という親告罪を前提としている。したがって、裕仁本人が出廷してその「被害」を述べなければならない、という主張である。法廷に天皇を引きずり出しじかに発言させるこれは旧憲法で規定された天皇の神聖不可侵性」、それを継承する新憲法を拠りどころとする象徴権威に対する真っ向からの挑戦である。天皇が普通の人間であり、名誉毀損の被害者であるなら、出廷してはっきりと自分の意見を述べるべきだという、いたって当然の論理だ。おそらく、天皇を証人喚問するために出廷を要求したのは、日本の裁判史上これが初めてのケースであったと思われる。
  裁判長・五十嵐太仲は、この正木の要求に驚いて、最初はどう判断してよいのか困ってしまったようである。しかし、最終的に五十嵐は、「告訴は単に親告罪の訴追を被害者の意思に係らしめる形式的要件であって、犯罪の成立に必要な構成要件ではない」 とワケの分からない理由をあげて、天皇を喚問する必要なしという判断を下した。これは、「天皇の意思」を検事が忖度で尊重して、天皇に対して無礼な態度をとった人間を訴追することにはなんら問題がないと判断したと解釈してよいだろう。「天皇を法廷に呼び出すなどという不敬は、畏れおおくてとてもできない」というのが、五十嵐の本音であったのであろう。
雲上人の戦争責任を法廷で追求することによる天皇「人間化」の試み
  もう一つのケースも、やはり裁判闘争での天皇の雲上からの引きずり降ろしの試みである。それは、周知の「パチンコ玉事件」である。1969年1月2日朝の新年一般参賀で、皇居長和殿東庭側ベランダに立った裕仁を狙って、25.6メートルの距離から、ニューギニア戦線での生き残り兵であった奥崎謙三がパチンコ玉3発をまとめて発射、続いてもう1発を「おい、ヤマザキ、ピストルで天皇を撃て!」と大声で叫びながら投射。裕仁には1発も当たらなかったが、奥崎はその場で即座に逮捕された。というよりは、逮捕してくれるように警察に頼んだ。奥崎は、最初から法廷で裕仁の戦争責任を徹底的に追求する目的でこの事件を犯したのである。検察側も奥崎の意図を知ってか、最初は彼を偏執病に病んでいる人間としてかたづけてしまい、裁判を避けようとしたようである。しかし、精神科医の診断で「問題なし」という結果がでたため、裁判にもちこまざるをえなくなった。裕仁に対する「暴行罪」による起訴である。
  奥崎は、東京地方裁判所の第一審で、憲法上刑事被告人に保障された権利である「すべての証人を審問する権利」に基づき、「被害者」である天皇裕仁の証人請求を行うと同時に、10項目にわたる尋問予定事項を提出した。その中には、次のような質問が含まれていた。「被告人(奥崎)が、聖戦の名の下に行われた太平洋戦争に徴収され、ニューギニア島で戦い、傷つき、辛うじて生き残った帝国陸軍の一兵卒であったことを知っていますか。」「あなたは被告人が徴収された帝国軍隊(いわゆる皇軍)の統帥権者の地位にあり、その権威の下に右戦争が遂行されたこと、そして被告人が右戦争の犠牲者・被害者の一人であることを同じ人間としてどう考えますか。」「被告人が、ニューギニア島で飢え、傷つき、そして死んでいった同じ部隊の何千の戦友たちへの慰霊・供養として本件行為に出たことをあなたはどう考えますか。」(強調:引用者)
  ここには、奥崎が天皇をあくまでも一個の人間とみなし、その人間に対して、多くの人間を死なせたことの責任に対する個人的感情を問いただしていることが明瞭となっている。こうして問いただされた天皇からは、「神聖不可侵性」や「象徴権威」が見事に剥ぎ取られ、追求された責任問題に一個の人間としてどう思っているのか答えざるをえない状況に裕仁はおかれるはずであった。しかし、裁判長・西村法は、前述の五十嵐太仲のような説明も全くなしに、奥崎の請求に対してただ「必要なし」とだけ答えて、「暴力事件」の「被害者」に対する尋問請求を拒否したのである。こうして被害者側からの証言や供述調書の一通すらなく、この「暴行事件」は裁判にかけられ、奥崎は懲役1年6ヶ月という判決を受けた。事実上、奥崎の「暴行罪」は「不敬罪」なみの取り扱いを受けたのである。

結論:「象徴権威」打破のための方法について具体的な思案を!
  失敗したとはいえ、こうした前例からも、裁判という手段 例えば皇室典範第1条は性差別であり憲法違反であるとの訴え(天皇・皇后の証人喚問を要求) を通して天皇の「人間化」をはかることは、「象徴権威」の打破という点では極めて有効であることが分かる。しかし、裁判という方法をとらなくとも、「象徴権威」の打破のための方法はいろいろあるはずである。日本の民主化のために天皇制廃止を目指す運動は、そのための具体的な方法についてもっと真剣に考えるべきではなかろうか。

田中利幸(歴史家、「8・6ヒロシマ平和への集い」代表)

ニュースレターでは字数限定があるため、奥崎謙三に関する私見を十分述べることができませんでした。そこで下記を付記しておきます。

  奥崎のパチンコ玉発射という奇抜な行動は、奥崎と殺された彼の戦友にとっては戦争という「狂気」を生み出した張本人と彼らが見なす天皇裕仁に対し、暴力パチンコ玉発射という極めて小規模なものではあったが - という「狂気」で立ち向かうことで、天皇制そのものがいかに「人類普遍の原理」からみて「正常」を逸したものであるかを暴力的に暴露しようとの試みであった(ただし、私自身はどのような小規模な暴力行為であれ容認しないが)。当ブログ(2017年9月)の論考でも説明しておいたように、「日本国象徴」の「正統性」という国家原理に対し「人類普遍の原理」で挑戦した奥崎のこの行動には、したがって天皇制の否定だけではなく、天皇によって象徴される「国家」をも「悪」と見なし、戦争に国民を駆り出して死ぬことを強要する国家そのものの存在否定が秘められていたと言える。この点でも、奥崎の主張は、大熊信行や小田実の「国家悪」論に通じるものがある。
  人類普遍の原理で日本という国家とその象徴である天皇を徹底的に否定するという奥崎は、結局、彼独自の考えの「神」観念に基づく「地上唯一の宗教」である「改世教」なるものを考え出し、それを「媒体・手段として本当の大義を追求」するという目的で、殺人を含む奇抜な暴力事件をその後も複数起こしている。「人類全員が神様と神様の法律に従い、全体的・絶対的・客観的・永久的に生きられる神様の世界をつくる本当の大義を追求」するという彼を、ほとんどの人が「変人」扱いしてしまい、彼の言う「神」とは、戦争に人間を駆り出し、人を殺し、自分も殺されることを強要する「国家」の「狂気」に抗するための「人類普遍の原理」であったということを見逃してしまっているように思える。
  ただひじょうに矛盾していたのは、奥崎の「人類普遍の原理」追求の活動が、それに反対する人間、あるいはそれを理解しない人間を暴力で激しく押さえつけるという -  「人類普遍の原理」に明らかに反する - やり方であったため、ますます変人扱いされ、孤立した活動になってしまったことである。奥崎の決定的な欠点は、自分自身と亡くなった多くの戦友たちが舐めさせられた苦汁の戦争被害の責任を徹底的に追及する怨念のゆえに、日本帝国陸軍兵として自分たちが負っていた加害責任には無神経、無感覚になってしまっていたことである。
  戦争という暴力行動は、戦争に駆り出される兵士たちを凶暴化、残虐化し、人間性を剥奪する。その意味で兵士たちは戦争犠牲者である。しかし、その兵士たちの残虐な行為が多くの犠牲者を産むという観点からすれば、彼らはもちろん加害者でもある。その凶暴で残虐な加害行為が、彼らをさらに非人間的にするという悪循環を作り出す。加害と被害の悪循環に取り込まれた者が、この非人間化の悪循環から自己を解放するには、そのどちらか一方だけの責任を追及しても、その止めどのない循環を断ち切ることはできない。奥崎の悲劇は、自分と戦友を戦争被害者にしたその責任だけを一方的にだけ問う、そこにあった。しかも、その責任追求行動を非難したり妨害しようとする者を非人間化し、暴力で黙らせたことであった。
  しかし、それでは、その悪循環から自由になろうと苦悩し闘い続けていた奥崎を、全く自分とは関係のない奇異な人間の行動として傍観していた我々一般市民には何の責任もないのであろうか?戦争責任問題をないがしろにしたまま、「平和憲法」をありがたがっている我々大部分の日本人。「戦争責任」と「平和憲法」の2つの間の隠された密接な関係を暴露し、正義を求めようと苦闘し続けていた奥崎を「狂人」扱いしていた我々。そんな我々に、奥崎を非難する資格はあるのだろうか?奥崎のような悲劇的な人間を作り出した自分たちの社会、その社会の本質に目を向けないまま、奥崎の言動を黙殺すること自体が「無責任」ではなかろうか。無責任な天皇制を中軸とする日本の「民主主義」に対して、何の問題意識も持たずに同じように無責任な態度を取り続けている我々市民の側にも、奥崎を悲劇的な人間にしてしまった「責任」があるのではなかろうか。奥崎を無視続けることは、「難死」した多くの奥崎の戦友と他の日本軍兵士、日本市民、さらには日本軍兵士たちに「難死」させられた多くのアジアの民衆たちの苦悩を「人間化」することを否定することではなかろうか。
  なぜなら、奥崎が自分のほとんど半生を費やした「天皇人間化」の狂気的な闘いは、その天皇の無責任の犠牲にさせられたまさに奥崎自身の苦悩と怒りの「人間化」、戦死させられた多くの日本兵の魂の叫びの「人間化」を激しく求めるものであったからである。奥崎が完全に失敗したとはいえ、それはまた、本来ならば、戦争で犠牲を強いられた多くの日本市民の「人間化」、そして日本兵に殺害され、天皇を戴く日本帝国の支配拡大の犠牲にされた多くのアジア民衆の「人間化」を求める強烈な闘いに繋がるべきものであったからである。