2016年8月23日火曜日

戦争と美術


絵画と版画から考える戦争と人間

今年の「86ヒロシマ平和への集い」は佐高信氏を基調講演者として迎え、壊憲を目指す安倍政権をなんとしても打倒すべきであるという、私たちたち250名余りの参加者の決意をあらためて確認する集会となりました。猛暑の中、集会準備にご助力いただいたみなさん、とりわけ事務局スタッフのみなさん、そして例年のごとく全国各地から参加していただいたみなさんに心からお礼を申し上げます。

私個人のことになりますが、87日には広島市内で開かれた「平和研問題 全国研究集会」に出席し、「佞儒と平和研究:戦争加担の歴史的観点から見る現在の広島平和研究所」という題で話をさせていただきました。「独立法人化」推進で大学の「独立性」が失われ、それに伴って三流学者たちが佞儒となって権力者に追従していく傾向がますます強くなっていく事態は全国的なものであって、広島市立大学だけに特異な現象でないことを私自身の体験に基づいて解説しました。ジャーナリストの藍原寛子さんも報告され、続いて70名ほどの参加者のかたたちから熱心な発言がありました。この問題に心を痛めておられる市民が、広島だけではなく県外にも多くおられることを知り、たいへん勇気づけられる集会でした。集会を計画・実施された堀伸夫さんに心から敬意を表します。堀さんのご努力なくしてこの集会の実現は不可能でした。今後も、広島平和研究所と広島市立大学の動きを厳しく見つめていく市民運動が全国的規模で持続していくことを祈ります。

翌日の8日には長崎に移動。長崎到着後すぐに、「岡まさはる記念長崎平和資料館」を見学。9日早朝には平和公園(祈りのゾーン)で例年行われている「長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼集会」に参加した後、「長崎原爆資料館」を見学。(たいへん興味深いことには、「岡まさはる記念長崎平和資料館」と「長崎原爆資料館」の両方で、日本を訪問中の中国の南京民間抗日戦争博物館の館長・氏にお会いしました。呉氏の広島・長崎訪問で、これまで広島・長崎原爆無差別殺戮を正当化視してきた中国側の考えと態度に微妙な変化が起きていることを察知した次第です。同時に、広島、長崎の原爆資料館の歴代の館長で南京の博物館を見学した人が果たしているのだろうかと疑問に思い、近いうちに調べてみたいと思った次第です。どなたかすでにこの件でご存知の方がおられましたら、ご教示いただければありがいです。)そのあと、これまた例年、平和公園内で開かれている長崎平和市民団体の平和集会(代表:舟越耿一先生)にはじめの30分ばかり参加。翌日夕方には神戸で「市民の意見30・関西」主催の講演会で「オバマ大統領と安倍首相の広島訪問徹底批判小田実の『難死の思想』に学ぶ —」という題で持論を述べさせていただきました。

実は、今回の一時帰国では、海外永住者も外国人観光客同様に使える1週間乗り放題の「JRパス」を利用して、広島→長崎→神戸→(東京経由で)長野県・上田市と長野市(川中島)→東京(私鉄東武東上線に乗換えて埼玉県東松山へ)と長距離を走り回りました。上田市の訪問目的は「無言館」見学、川中島では「ひとミュージアム上野誠版画館」を訪問、東松山では「丸木美術館」で開催中の「四國五郎展」を見学しました。おかげで、数日間、様々な絵画と版画に出会うことができ、とても有意義な数日となりした。しかも、広島を離れる1日前の7日の朝には、比治山の広島市現代美術館で開催中の「1945年±5年 戦争と復興:激動の時代に美術家は何を描いたのか」も鑑賞する時間が持てました。この一連の芸術鑑賞でさまざまなことを考えさせられましたが、詳しく述べている時間がないので、ごく簡単にだけその感想の一端を記しておきます。

広島現代美術館「1945年±5年」展
まず、「1945年±5年」展ですが、日本各地の美術館に分散している関連作品、全部で210作品を集めためずらしい特別展でした。そのうちの大部分が19411945年の太平洋戦争期に描かれた油絵です。太平洋戦争期の作品は、「植民地、『満州国』、占領地」、「軍隊と戦争」、「南方」、「大きな物語とミクロコスモス」、「戦地から内地へ」、「銃後と総戦力」というテーマに分類されています。しかし、これらの作品の中で、前線での戦闘状況を描いたものは藤田嗣治の作品「シンガポール最後の日(ブキ・テマ高知)」のほか、ごく数点にしかすぎません。その藤田の作品も、最もよく知られている彼の戦中期の作品「アッツ島玉砕」(1943年 東京国立近代美術館所蔵)と比べれば、実際の戦闘の壮絶さを伝える絵画としてはあまりにも物足りない内容のものです。現実の戦闘の残虐性を伝える作品には、「アッツ島玉砕」のほかに、同じく藤田の作品「〇〇部隊の死闘 ニューギニア戦線」(1943年)や、橋本八百二の「ニューギニア作戦」(1944年)バターン死の行進をテーマにした向井潤吉の「四月九日の記録(バタアン半島総攻撃)」(1942年)、中村研一の「コタ・バル」(1942年)などがありますが、これらの作品はなぜか一点も展示されていません。もしも、広島市現代美術館が意図的にこうした戦闘の壮絶さ、おぞましさ、恐怖を描いた作品を展示作品に加えなかったとしたなら、それは重大な問題です。

藤田嗣治作「アッツ島玉砕」

それにしても、戦中期の作品にもかかわらず、展示作品の多くが植民地や占領地の風景を描いた極めて牧歌的とも言えるような長閑なものばかりで、戦闘意欲を鼓舞したりナショナリズムを高揚させるような作品が非常に少ないことに驚かされます。それとの関連では、戦時期に陸軍美術協会が発行していた『大東亜戦争 南方画信』という雑誌がありますが、19429月発行の第一輯には「陸軍派遣画家 南方戦線座談会」という興味深い(同年721日に行われた)座談会の内容が掲載されています。この座談会に出席したのは、藤田嗣治をはじめ、山口蓬春、寺内萬次郎、鶴田吾郎、田村孝之介など当時の有名な画家たち8名です。この座談会の中で、香港・マレー方面に派遣された画家の一人、宮本三郎が、戦地に行った画家の体験談として、「耳から受けた印象が非常に強くて、色とか形による視覚による印象が、案外弱いんです」と正直に述べています。つまり、実際の戦闘状況については将兵たちから後日談として話を聞くだけで、画家自身が前線に出て生死に関わるような危険な状況をじかに体験・観察して描くということはほとんどなかったものと思われるのです。したがって、彼らが描いた絵の多くが、戦闘地域=前線から離れた「占領地」の風景や日本軍駐留兵、あるいは現地住民の日常生活といった「牧歌的」なものになったのも決して不思議ではないと考えられます。これでは戦争の実態、日本軍占領地で軍の支配下におかれた住民生活の実態が日本国民に伝わるはずはありませんでした。もちろん、そのような作品を描いたとしても、陸軍当局が展示を許可する可能性もほとんどなかったでしょうが。

しかし、この座談会で藤田はひじょうに興味深い発言をしています。「実際にはあったが描けない、というのも可なりあるからね。有り得ることなら実際に無くても差支えないと思ふ。僕が聞いた話でも凄惨なのがあってね、僕は描きたくて堪らない場面なんだが描けないんだよ」と彼はこのとき語っています。描けない理由が彼個人の画家としての「想像力」の問題なのか、それとも軍の反感を買うことを避けたいという「政治的配慮」なのかは、この発言だけからではわかりません。ところが、翌年1943年になると、彼は、上記のような「アッツ島玉砕」や「〇〇部隊の死闘 ニューギニア戦線」といった作品のように、戦闘に駆り出された兵士たちの絶望的な悲惨さと恐怖を、見る者の胸に強烈に迫ってくる凄まじい形で描き出しました。驚くべきことは、明らかに「反戦」と読み取れる藤田のこれらの絵画展示を、陸軍当局が禁止したという記録はありません。それどころか公開されたこの作品を見たある老婆が、感動のあまり手を合わせて拝み「お賽銭」を置いていったという逸話が残っているくらいです。藤田は、さらに「サイパン島同胞臣節を全うす」という題で、サイパン島のいわゆるバンザイ・クリフから飛び降り自殺する寸前の人たちをテーマにした玉砕図まで描いています。陸軍当局がこうした藤田の作品をどう捉えていたのかは、ひじょうに興味深い問題です。この点については、すでに多くの論者が解説しているように、やはり、当時、日本人芸術家として世界にその名が知られていた藤田、しかも陸軍美術協会理事長という重職について一応陸軍に忠節を示していた藤田の作品を、陸軍当局があからさまにその展示を禁止するということができなかったという状況があったことは否めません。さらには、「玉砕」はいかにその内容が壮絶であっても、「玉砕=天皇裕仁と国家への忠誠」という形式的表象性を否定することが陸軍当局にとっては難しかったということも、藤田の作品展示禁止を困難にしていた理由の一つではなかったかと私は考えます。

藤田嗣治作「サイパン島同胞臣節を全うす」 

再び「座談会」の話に戻りますが、宮本三郎はこの座談会の中で次のようにも述べています。「『時局柄戦争画を描かなければならないのは辛いでせうね。』という風なことを云う人がある。…… 僕は 決して迎合するとか、止むを得ずやっているとかいふのではなく、面白いから描く。それがお役に立つといふことは大変有難いことだと思っています。」つまり、画家たちは「描きたいから描く」という芸術家としての個人的欲求を満たしたいがために行動するのであって、「美の追求」は、その行動が権力者に喜ばれるからやっているのではないのだ、という主張です。「描きたいから描く」といのは本心だと思いますが、しかし、そのためには、藤田ほどの知名度と権威を有していなかった彼らが、権力に迎合し、陸軍に嫌われないような内容の作品を描いていたことは否定しようもない事実です。

無言館
これとは対照的に、若年でいまだ無名の芸術家のタマゴであったため、「描きたいから描く」という欲求を追及できず、戦地に駆り出され無念のうちに亡くなっていった多くの青年たちの作品が「無言館」に展示されています。彼らの多くが美術学校の卒業生、あるいはいまだ美術学校に籍をおいていた若者たちでした。彼らの作品と同時に、彼らが親族や恋人、妻に送った手紙や絵葉書も展示されています。小さな葉書に絵を描き、文章を添えて故郷に送ったものが幾つも展示されていますが、これらを見ると、青年たちがいかに絵を描くことに飢えていたか、その心情が痛切に伝わってきます。生きては帰れないだろうと考えた青年たちが、戦地に送られる直前のごく限られた貴重な自由時間を、故郷の風景のスケッチや恋人の裸体スケッチに費やしたその創作結果を目にすると、涙が出てきます。ほとんどが具象画ですが、1点だけ、ダリの影響を受けたと思われるシュールレアリズムの作品がありました。この作品を含め、戦後も生き残っていれば、様々な形で才能を伸ばしていっただろうにと思われる作品が多々あります。「無念」という簡単な言葉ではとても表現しきれない彼らの深い哀しみと、「決して迎合するとか、止むを得ずやっているとかいふのではなく、面白いから描く」のだと主張した「陸軍お雇い画家」の言葉、この二つの間にあるあまりにも酷い溝を私たちはどう考えるべきなのでしょうか。

無言館


ひとミュージアム上野誠版画館
「無言館」訪問の翌日、川中島(現在は長野市中島町今井)に2001年に創設された「ひとミュージアム上野誠版画館」を訪問しました。実は、イラク戦争が始まった直後の200347日、私は、信濃毎日新聞の依頼でイラク戦争批判のエッセー「ハイテク兵器が市民殺戮」を寄稿しました。その時事評論を「ひとミュージアム上野誠版画館」の館長である田島隆さんが目にされ、「版画館」の憲法9条擁護・反戦ポスター2枚を私に送ってこられました。このポスターを見て驚いたのは、ケーテ・コルビッツの版画を使って作成されていたことです。恥ずかしながら「上野誠」という人物名を私はそれまで聞いたことがありませんでした。この版画館のホーム・ページを見て、初めて「上野誠」のことを知り、いつかこの版画館を訪問させていただきたいと考えていましたが、ようやく今年なってその願いを果たすことができました。

上野誠は、1909年に内村誠として川中島に生まれ、1931年に東京美術学校(現在の東京芸大)に進学しますが、翌年の32年に学内民主化運動に参加して退学処分となりました。36年に上野チイと結婚して姓を上野に変えましたが、それは退学処分という過去があるため本名では就職が困難であったことが理由だったとのこと。37年に、日本訪問中の中国の版画家・劉峴(りゅうけん)と会い、彼から魯迅が編集した『ケーテ・コルビッツ版画集』を購入しています。上野がコルビッツの仕事をこれ以前から知っていたのか、それともこの版画集を見て初めて知ったのか、私にはわかりませんが、いずれにせよ、上野がコルビッツから多大な影響を受けたことは間違いありません。41年に鹿児島県指宿中学校の教諭となり、以後は終戦まで岐阜県や長野県を教師として移転していますが、その間も版画の制作を続けていました。

戦後の45年に新潟県六日町に転居し、玩具製作会社に玩具デザイナーとして勤め始めます。49年には日本版画運動協会創立に加わり、52年に上京して本格的な版画制作活動に入ります。55年に「ケロイド症者の原水爆防止の訴え」制作、59年には「ヒロシマ三部作」がライプチッヒ国際版画展で金賞受賞。61年からは長崎の被爆者との交流を深め、67年には当時の東ベルリンで開催されたケーテ・コルヴィッツ生誕百年記念版画展に「傷痕」と「生き残る」を出品して、優秀賞を受賞。68年からは「原子野シリーズ」の制作を開始して、『原爆の長崎』を刊行。69年にはモスクワで、76年にはブルガリアで個展を開催するなど、国際的な活躍をみせましたが、80年に70歳で亡くなっています。

同じ川中島で生まれ、信州大学教育学部を卒業されて地元で長年中学校教師をされた田島さんが、上野誠のご家族から多くの作品を譲り受けられ、ご自分の退職金などを使われてほとんど自費で創設されたのが、この「ひとミュージアム上野誠版画館」です。小さいながら、とてもよく考案されたミュージアムで、定期的に音楽会や講演会なども催されているようですし、地元の反戦平和活動家たちのタマリバとしても利用されているようです。田島さんはコルビッツの版画もこれまでに十数点を入手され、上野誠の作品と一緒に展示されています。私が、上野の作品中でもっとも強く感銘を受けるものは「ヒロシマ三部作 男」と「ケロイド症者の原水爆防止の訴え」です。被爆者が受けた深い「傷痕」を抉り出すように表現すると同時に、にもかかわらずその「傷痕」を乗り越えて生きていこうとする力強い「生キザマ」が描かれていると思います。

ヒロシマ三部作 男
 
館長の田島さんによると、上野は1937年に、日本の軍国主義勢力の中国東北部(満州)における残虐行為を版画にしているそうです。田島さんは、「原爆被害をはじめ日本人の戦争被害を描いた作品は数多くあるが、加害行為を描いた作品は皆無である。その中で上野誠はただ一人、中国における日本軍人の非道な姿をリアルに描いた。残念ながら上野が描いた版画の現物は日本にないため実物を見ることができず、加害の事実を描いた画家が存在したことすら知られていない」と述べています。以下は田島さんの論考「幻の版画を探して」からの抜粋です。

「幻の版画
1937年、上野誠の家に中国の版画家劉峴(りゅうけん)が平塚運一から紹介されて訪ねてきた。彼は手土産に版画集を持参したが、その序文を魯迅が書いていた。上野は驚き彼に心を開き、自分が隠し持っていた版画を披露した。

『その頃、いわゆる満州国に駐屯する日本軍は匪賊討伐に名を借り、中国人や在満朝鮮人の抵抗運動に惨虐(ママ)な弾圧を加えていた。ある時、郷里で一人の帰還兵から弾圧の記録写真を見せられ息を呑んでしまった。たとえば捕らえた人々を縛り上げて並ばせ、その前で一人ずつ首を切る。今や下士官らしきが大上段に振りかざした日本刀の下に、首さしのべ蹲る一人、とらわれびとらの戦慄にゆがんだ顔、諦めきった静かな顔、反対側の日本人将兵はいかにも統制された表情で哂っている者さえいる。~屠殺場さながらなのもあった。切り落とした生首が並べられ、女の首まであった。戦利品の青龍刀・槍・銃などが置かれて将校兵士らが立ち、戦勝気取りだが国際法を無視したこのおごり、逸脱退廃、自ら暴露して恥じない力の過信、憤激したわたしは、背景に烏を飛び交わせ暗雲を配し、叉銃の剣先に中国人の首を刺し、傍らには面相卑しく肩いからせた将校を立たせた版画を作り、ひそかに持っていた』(1981 上野誠全版画集)

劉峴は感激し、二人はそれ以来心を許しあう友人となった。
1937年盧溝橋事件が起こり日中戦争が始まる情勢となったので、劉峴は急遽帰国することになり、その挨拶に上野を訪問した。上野はそのとき何枚かの版画を劉峴に託し、中国に持っていってもらった。
そのことを劉峴は次のように書いている。

『彼が贈ってくれた二十余枚の木刻作品は、すべて日本労働人民の生活を反映したもので、その中の幾枚かは、わが国の東北人民が日本軍国主義の殺戮下にある情景を描いたもので、深く人を感動させた。これらの創作は、作者の崇高な人道主義の思想を伝えており、わたしは改めて上野誠先生に敬服した。
  わたしは、これらの木刻作品を上海に持ち帰って中国人民に紹介したら、かならず意義があると考えた。わたしは、当時『文学』月刊の主編だった王統照先生と相談しこれを発表することに決め、わたしの文章を添えて紹介することになった。ところが、中日戦争の拡大によって刊行物の印刷が縮少されやむなく中止となった。上野の木刻作品をわが国に紹介できなかったのは誠に残念なことであった』(1981 全版画集)

劉峴はこの版画を出版しようと試み、掲載誌まで決めたのだが戦争の激化により不可能になった。以来上野の版画の行方はわからない。」

よって、残念ながら、上野誠の日本軍残虐行為をテーマとした版画作品はいまだに「幻の版画」のままですが、ぜひその存在が明らかになり、私たちの目に触れる機会が近い将来訪れることを祈っている次第です。
 
丸木美術館「四國五郎」展
813日早朝、長野駅から新幹線で東京に移動し、午前11時前には埼玉県東松山の丸木美術館に到着。ここには私はこれまで数回訪れていますが、夏休みのせいか、これまでの訪問客が少ない閑散とした雰囲気とは違って、駐車場もいっぱいで、館内にも多くの人がいました。とくに親と同伴の中高校生が目立ちましたが、中には明らかに中国語を話している(台湾からなのか、それとも中国大陸からなのかは分かりませんが)中国人の大学生のように見える若者もいました。ここでも私は、「日本人の学生で、夏休みに日本の戦争責任問題を考えるために、中国の南京大虐殺記念館や韓国ソウルの西大門刑務所歴史館などを訪問する学生は果たしてどのくらいいるのであろうか」と考えずにはおられませんでした。

「四國五郎」展は、文字通り圧巻です。シベリア抑留時代の飢餓状況における厳しい強制労働生活の描写から始まり、戦後米軍占領下における情報統制との闘いの中での困難な作品制作。文芸運動、労働運動、反戦反核市民運動の重要な要素 — メッセージの内容が市民に一目で分かるように強烈な象徴的感受性を内包している絵画 — の創作者。子どもたちだけではなく大人にも、心の奥深くまで戦争被害者の痛みと哀しみを浸透させる絵本の作家。どの作品の前でも、たちどまって凝視し熟考せざるをえません。この特別展を見て私が最初に感じたことは、「四國五郎という人は、ひじょうに幸運な芸術家であった」ということです。なぜなら、その2日前に見たばかりの「無言館」に展示されている作品の制作者たちの「悲運」と対比することを考えざるをえなかったからです。

「描きたくても描くことができなかった」シベリア抑留時代、困難な強制労働生活の中で、人間の醜さも美しさもイヤというほど教えられたはずのシベリア抑留時代。この苦難の時代があったからこそ、それが四國五郎の戦後の絵を描く強烈な制作意欲の「エネルギーの源泉」と、絵のモチーフを選びだす「研ぎ澄まされた視点」を産み出したのではないか、というのが私の考えです。苦難の中で戦争を生き延びた体験が、傑出した芸術家としての四國五郎を創り上げたという意味で、私は「四國五郎という人は、ひじょうに幸運な芸術家であった」と思うのです。

数多くの作品の中で私が最も心動かされる作品の一つは、「相生橋」と題された絵です。遠くに霞んで見える原爆ドームと市電が渡っていく相生橋。その手前に太田川に沿って連なる原爆スラムの貧しい家並。息子や娘を亡くした孤老の被爆者、夫を亡くし幼子を抱え原爆病に苦しみながら日雇労働の生活を余儀なくされた母親、原爆病差別と民族差別という二重差別に苦しんだ朝鮮人たち。そうした人たちが集まっていたこの原爆スラムこそ、原爆被害の象徴であったと私は考えています。そのような様々な苦しみを持った人たちがひっそりと暮らしていた原爆スラムの悲哀が、ひしひしとこの絵から伝わってきます。

 

四國五郎作「相生橋」  
  
  この四國五郎もまた、ケーテ・コルビッツから強く影響を受けた作家であったことはよく知られているところです。上野誠、四國五郎、それに丸木位里・俊夫妻、みなケーテ・コルビッツの作品から影響を受けた人たちでした。コルビッツの「人の心を打つ」創作力の大きな影響力について、あらためて再認識させられる「美術館訪問の旅」でした。

ケーテ・コルビッツ
 

そのコルビッツが亡くなる1年少し前の19442月に義理の娘に宛てた手紙の中の一文を引用しておきます。
「平和主義とは、単にものごとを静かに眺めることではありません。それは、勝ち取らなければならないのです、一生懸命に勝ち取らなければ」。

最後に余談ですが、この旅行中に列車の中で読んだ葉室麟の時代小説、『山桜』、『柚子の花咲く』、『陽炎の門』の三冊はとてもよかったです。とりわけ、『陽炎の門』は、一旦読み始めたら止められないくらい面白いです。内容的には『柚子の花咲く』のほうが感動的ですが。以前にも述べたことがありますが、山本周五郎、藤沢周平、これを継ぐ傑出した時代小説家は葉室麟だと私は思います。

2016年7月30日土曜日

The War on Terror and the Vicious Cycles of Terrorism



Thoughts on the Fall of Democracy on the occasion of the 71st Anniversary of Hiroshima Day

“O Lord our God, help us to tear their soldiers to bloody shreds with our shells; help us to cover their smiling fields with the pale forms of their patriot dead; help us to drown the thunder of the guns with shrieks of their wounded, writhing in pain; help us to lay waste their humble homes with hurricane of fire; help us to wring the hearts of their unoffending widows with unavailing grief; help us to turn them out roofless with their little children to wander unfriended the wastes of their desolated land in rags and hunger and thirst.”
                                               Mark Twain “The War Prayer”


  The day after the terrorist attack on September 11, 2001, U.S. President George Bush declared a “War on Terror,” claiming that this was not simply a terrorist attack but a war. According to the results of a joint survey conducted by Physicians for Social Responsibility (U.S.), Physicians for Global Survival (Canada), and International Physicians for the Prevention of Nuclear War (Germany), the War on Terror conducted by the multinational force led by U.S. forces has so far killed at least 1.3 million and possibly more than 2 million people in the three main war zones - Afghanistan, Pakistan and Iraq. Most of these victims are civilians including many children and infants. A different survey estimates the death toll in Iraq (total population 32.6 million) between 2003 and 2011 as about half a million, 70% of which were civilians. About 60% of these civilian deaths, including many children, were the victims of direct attacks with guns, explosives, aerial bombings and the like, and the rest were deaths due to the destruction of hospitals and other medical facilities as well as disease caused by stress such as heart failure. It can be assumed that many civilian casualties in Afghanistan and Pakistan have also been either director indirect war victims.
 
  The estimated death toll by the end of 1945 as the result of the atomic bombing of Hiroshima and Nagasaki was 230 thousand, and the aerial bombings conducted by the U.S. forces throughout Japan in the final year of the Asia-Pacific War, including the atomic bombing, killed about 560 thousand people, predominantly civilians. How should we, citizens of Hiroshima, conceive of 1.3 million deaths as the result of the War on Terror, even though they were not victims of the nuclear war? The estimated number of Chinese and other Asian deaths resulting from Japan’s 15 year-long war of aggression was more than 20 million. How should we, Japanese citizens with this abhorrent record, tackle the war of aggression that the U.S. together with other western powers conducted in Iraq?        

  On December 14, 2011, with the completion of withdrawal of the U.S. forces from Iraq, President Barack Obama made an official announcement of the “end of the Iraq War.” Yet, in fact, not only Iraq but also Afghanistan are still in a deep quagmire of war, causing many civilian deaths almost every day. According to the estimate made by two terrorism specialists, Peter Bergen and Paul Cruickshank, the Iraq War “generated a stunning sevenfold increase in the yearly rate of fatal jihadist attacks, amounting to literally hundreds of additional terrorist attacks and thousands of civilian lives lost; even when terrorism in Iraq and Afghanistan is excluded, fatal attacks in the rest of the world have increased by more than one-third.” Indeed, jihad, i.e., terrorist attacks, conducted either by Islamic fundamentalists or those influenced by such religious fundamentalism are now spreading from Iraq and Afghanistan to northern Africa, the entire Middle East, Southeast Asia as well as to the U.S. and Europe. Even within a month of July this year, more than a dozen deadly terrorist attacks were carried out at various places in the world, including Dacca in Bangladesh (22 deaths), Bagdad in Iraq (213 deaths), Medina in Saudi Arabia (4 deaths), Nice in France (84 deaths), Munich in Germany (9 deaths), and Kabul in Afghanistan (80 deaths).     

  The recent chain reaction of terrorist attacks in France, Germany, Turkey, Iraq, Afghanistan and many other nations is undoubtedly a counter-attack by the self-claimed Islamic State (ISIL). This reaction was against aerial bombings, which have escalated by Coalition Forces led by U.S., French and British forces. Russian forces supporting the brutal Bashar al-Assad regime of Syria were also involved. According to recent research conducted by the Oslo Peace Research Institute, the number of direct conflict fatalities increased more than threefold after the Western powers initiated air strikes against ISIL and the CIA began its indirect military interference in the war. In particular, aerial bombing conducted by the Coalition and Russian forces against ISIL produced not only many civilian deaths but also more than 4 million refugees by mid-2015. This aerial bombing is still producing many more displaced people. According to information provided by the Office of the United Nations High Commissioner for Refugees, the total number of refugees in the world at the end of 2014 was 59.5 million, half of whom are children. Compared to this, the number of European refugees forced to leave their motherland during World War II was approximately 2.1 million. Therefore, it is by no means an exaggeration to say that, currently, the world is in a state of global war that can be described as “the Global War of Terrorism.” As already explained, this Global War of Terrorism was initiated by the War on Terror, and we are unable to see how we could end this horrific situation.  

   In retrospect, it is clear that, immediately after the September 11 attack in 2001, terrorist attacks on civilians of the nations of military power by violent non-state organizations such as al-Qaida suddenly increased. In this sense, it can be said that the 9/11 incident probably corresponds to the Pearl Harbor Attack that opened the Pacific War. Yet the vital difference between the Global War of Terrorism and the Pacific War is that the current global war is not a war fought between nation-states equipped with immense and wide-ranging arms. It is an “asymmetric war.” Non-state terrorist organizations such as ISIL, which do not possess massive military power, are executing a strategy of indiscriminate terrorist attacks, specifically targeting civilians of the countries of Coalition Forces and their allies. Yet the nations armed with strong military forces are incapable of defending the domain of daily civilian life. This is because military arms possessed by powerful nations are designed to confront similar formidable weapons of other nations, and are thus totally incapable of preventing and tackling haphazard terrorist attacks on civilians using small arms. Terrorist groups are clearly aware of this weak point in the mighty military powers like the U.S., France and Britain. The only viable defense strategy against such terrorist acts could therefore be steady and continuous peace-building humanitarian activities. It is only such activities that can eventually eliminate violent terrorist organizations like ISIL.                 

  Counter terrorist attacks such as aerial bombings conducted by the Western military powers against non-state terrorist organizations are, however, killing and injuring many civilians in areas under the control of these repressive organizations. Of course, atrocious and cruel conduct by non-state terrorist organizations carries no legitimacy and cannot be justified. Yet many instances of so-called “precision bombing” are also in fact indiscriminate attacks on pitiful civilians oppressed by terrorist groups. The attacks by drone that Obama has been vigorously promoting are no exception at all. Drone attacks may sometimes kill terrorist leaders, but those deceased leaders are quickly replaced and their terrorist activities continue. Furthermore, according to an article published in New York Times on April 23, 2015, of 3852 people who were hitherto killed by 522 Drone attacks, 476 were civilians. Even this data is apparently an underestimation, and actual civilian casualties of Drone attacks including medical doctors and nurses may be far more numerous. (According to the information available at the website “The Intercept: Drone Paper,” for example, 90% of drone-attack victims killed by Haymaker Operations conducted between May and September 2012 in Afghanistan were not the “intended targets.”) In other words, “precision bombings,” which always produce much so-called “collateral damage,” are in fact “state terrorism” committed by powerful military nations. Such acts of state terrorism create further indiscriminate attacks by non-state terrorist groups on civilians, which are leading to endless vicious cycles of terrorism. As a result, the world is now in a state of political chaos and peril, in which no one can predict when and where a violent act of terrorism might kill or harm people. There is no doubt that the recent result of the British “Brexit” referendum and the attempted military coup in Turkey are also closely linked with the ongoing Global War of Terrorism.     

  Why are such horrendous, indiscriminate terrorist attacks on civilians suddenly increasing in so-called “civilized nations” such as France and the U.S.? How should we interpret such frightening phenomena? It is noticeable that most perpetrators of such terrorist acts are either immigrants or children of immigrants from the Middle East or the northern Africa. For example, all of the nine men, who carried out indiscriminate carnage at the Bataclan concert hall and outside Stade de France in Paris on the evening of November 13, 2015, were French citizens born to migrant parents from Algeria or Morocco. On July 14, 2016, a young man deliberately drove a cargo truck into a crowd celebrating Bastille Day on the Promenade des Anglais in Nice, killing 84 people and injuring 303. That man, Mohamed Lahouaiej-Bouhlel, was born in Tunisia but living in Nice on a French residency permit. As widely reported, all these people were typical, ordinary young boys with little initial interest in Muslim religious activities - they enjoyed, for example, dancing at discos, playing football and the like. Yet, within a relatively short period before committing the mass murder, they suddenly became radicalized with fundamentalist Islamic ideas. Take the case of Mohamed Lahouaiej-Bouhlel, for example except for a short period leading up to the attack, he was completely uninvolved in religious activities and not even a practicing Muslim. As the French anthropologist Alain Bertho suggests, it seems that the religious radicalization of these people was closely entwined with social and political conditions which these children of migrants faced. It is almost certain that these men felt that, despite the fact that they were French nationals born in France, they continued to be treated as aliens, suffering from various forms of discrimination. Many were forced to live in migrant ghettos in the outskirts of Paris. Clearly illustrating such discrimination is statistical data that, in 10 years between 2005 and 20015, 102 migrants or descendants of migrants in France died because of violence inflicted upon them by police; yet no police officer has so far been prosecuted for such crimes committed against members of the public. The fact that many young French minorities are unable to find hope in their future in the country of their birth must contribute significantly to the arousal of deep anti-social sentiment among them. As a result some of them find a means to deliver their intense anger in the extremely violent form of a non-western religious ideology, i.e., Muslim fundamentalism. In other words, their radicalization can be called the “Islamization of anger.”                         

  From 2003, France began engaging in military activities in Afghanistan. From 2011, it started sending its forces to various places in northern and central Africa, and from September 2014, French forces began joint operations with U.S. forces involving aerial bombing in Iraq and Syria. As I have already mentioned, coupled with bombing conducted by other Coalition and Russian forces, French military intervention in these areas has contributed to driving from their homelands a massive number of refugees.  About 1.5 million Syrian refugees have so far moved into Lebanon, where half a million Palestinian refugees are already living. Jordan is hosting more than 664 thousands refugees on top of 2.2 million Palestinian refugees; and in Turkey there are 2.5 million refugees who have very little hope of finding a safe place to live. Because the Macedonian government relaxed its strict policy against illegal immigration in June 2015, a large influx of refugees seeking safe haven suddenly began moving into Western Europe, in particular Germany, from Turkey through Greece and Macedonia. Yet many boats overloaded with refugees sank in the middle of the sea on the way to Greece from Turkey, and as a result thousands of people including many small children were drowned. Yet, except for Germany for a short period, other EU countries including France were reluctant to accept such large numbers of refugees. Eventually, in March 2016, the EU evaded its responsibility by forging an agreement with Turkey to forcibly return refugees, arriving in Greece via Turkey, back to Turkey. As part of this agreement, the EU promised to pay Turkey 60 billion euros.                    

  Indeed it is natural to assume that many young “migrants” in France felt angry when they saw on TV every day many Syrian and other refugees from the Middle East making frantic efforts to land on Greek islands as well as dead bodies of babies and children drowned in the sea. In some sense it is therefore also natural to presume that those radicalized French terrorists showed their anger towards French people who were enjoying themselves at a concert hall, a football stadium or in a street of celebration, while paying no attention to the pain of unfortunate refugees. In particular, their terrorist acts in the form of “suicide bombing” clearly express the degree of their anger and despair as “migrants” in France.
(Of course I am absolutely against any form of terrorist acts including suicide bombing, but I strongly believe it is vital to understand the psychology of suicide bombers. On this topic, see the following article: http://apjjf.org/-Yuki-Tanaka/1606/article.html)
            
  On the other hand, on the pretense of protecting “freedom and democracy,” the so-called advanced nations are now vigorously introducing policies to limit or oppress individual civil rights; to control public information and political ideas; and to tighten national intelligence services. In fact, such “security policies” are now allowing a small group of politicians and bureaucrats to monopolize political power. Exploiting the popular fear of terrorism, they are now trying to further intensify their political power by instigating racism against migrants and minorities, and heightening nationalism. Over many decades, Western nations (including Japan) have been promoting “freedom and democracy” in their own countries. Yet, in this long historical process of so-called “civilization,” outside their own countries – particularly in their colonies and ex-colonies, they extensively used and are still using both military and economic violence. As Sigmund Freud clearly illustrated in his book Civilization and Its Discontent, civilization itself produces anti-civilization and increasingly reinforces it. It can be said that, in response to such “civilized violence” (i.e. state terrorism), those Western nations are now receiving a tremendous backlash – the “savage violence” of terrorism. Ironically this backlash of violence is now destroying the “freedom and democracy” of the “civilized” world. We must realize that the Global War of Terrorism is therefore producing a serious crisis: the obliteration of “freedom and democracy.”

  Both the current immense popularity of Donald Trump as Republican candidate for the U.S. President and the present political situation of Japan clearly reflect this crisis of the breakdown of democracy. In the last few years, the Japanese government under Prime Minister Abe Shinzo has moved quickly to introduce undemocratic polices one after another, e.g., the enactment of the Secret Information Protection Act; the decision to reinterpret Article 9 of the Japanese Constitution in order to approve the exercise of the right of collective self-defense; passing the unconstitutional Security-related Legislation; the construction of a new U.S. military base at Henoko in Okinawa; resuming operation of nuclear power plants, and so on. In April 2016, Abe also abolished Japan’s long time policy of prohibiting the export of Japanese military technology and weapons, and thus Japan’s military industry is now being rapidly incorporated into the U.S. military-industry complex. In addition, Abe initiated joint research into unmanned military planes with Israel, the country that has an infamous record of indiscriminate and mass killing of Palestinian civilians, in particular by aerial bombing. Based on these highhanded policies, the Abe administration is rapidly strengthening and expanding its military alliance with the U.S.. In actual fact Japan is now an active participant in the War on Terror. While augmenting the military budget every year, the budget for social welfare schemes has been considerably cut, leading to an increased widening of the gap between rich and poor. Abe is now seriously planning to abolish Japan’s peaceful constitution in order to drag the Japanese nation deep into the Global War of Terrorism. We must act now to overthrow the Abe administration as quickly as possible before it’s too late!

2016年7月22日金曜日

「対テロ戦争」とテロ襲撃の拡大


— 原爆無差別大量殺戮71周年に考える「民主主義崩壊」の危機 —

  2001912日、すなわち「911事件」の翌日の演説で、ブッシュ大統領は「我が国に対する入念に準備された破壊的な攻撃は、単なるテロ行為ではない。それは、戦争行為である。この事態は、断固とした決断と決意のもとにわれわれ国民が一致団結することを必要としている」と述べ、「対テロ戦争(War on Terror)」を宣言した。その後これまでに、アフガニスタン、イラク、パキスタンで米軍指導の多国籍軍が繰り広げてきた「対テロ戦争」が出した死亡者数は、社会的責任のための医師会議(米国)・グローバル生存のための医師会議(カナダ)・核戦争防止国際医師会議(ドイツ)の共同調査に基づく推定では、少なくとも130万人、もしかすると200万人を超えるかもしれないとのこと。別の調査では、イラク(人口3260万人)での20032011年の間における推定死亡者は約50万人とみなされており、その大部分(7割以上)が市民の犠牲者である。牲となった男女、子どもの60%以上は、銃や爆破、空爆といった直接的攻による死亡者で、それ以外は、ストレスによる心発作、衛生設備や病院の破といった間接的な原因によって亡くなっている。アフガニスタンやパキスタンの犠牲者の実態も、おそらくはイラクとあまり変わらないものと思われる。

  米軍による広島・長崎の原爆無差別大量殺戮の犠牲者は、1945年末までの早期死亡者推定数が23万人。核兵器による犠牲者ではないとはいえ、130万人という犠牲者の数を、広島市民として私たちはどう受けとめるべきであろうか。アジア太平洋戦争で2千万人を超える犠牲者を、中国をはじめ多くのアジアの様々な国民に強いた日本の市民として、イラクで無数の犠牲者を出した米軍指導の侵略戦争について、私たちはどのように考えるべきであろうか。

  2003320日から始まったイラク戦争は、2010831日にオバマ大統領によって戦闘終結宣言イラクの自由作の終了が宣言され、翌日から米軍撤退後のイラクでの治安維持に向けた新しい夜明け作が始まった。20111214日には、米軍の完全撤によってオバマがイラク争の終結を正式に宣言。しかし、実態は「終結」どころか泥沼状況へと落ち込み、イラクのみならずアフガニスタンでも戦争状態は続いており、毎日のように多くの市民が殺傷され続けている。米国のある2人のテロリズム研究者によると、イラク戦争は、イラク国内だけでも「ジハード(イスラーム原理主義者による聖戦)攻撃」、すなわちテロ攻撃の回数を毎年数倍づつ増やし続けており、これまでに数百回にわたるテロ攻撃によって数千人にのぼる市民が命を亡くしているとのことである。しかも、「イスラーム国家(IS)」によるジハード(聖戦)の呼びかけに呼応する形での主として一般市民への無差別襲撃テロ事件は、アフガニスタン・イラクから北アフリカ、シリア・トルコ・サウジアラビア・イエメンなどの中近東全域、さらには東南アジアへと拡散し、ヨーロッパからアメリカまで飛び火している状態である。この2ヶ月だけでも、6月は米国フロリダ(死者49)、アフガニスタンのカブール(死者14名)、トルコのイスタンブール空港(死者44名)、マレーシアのクアラルンプール(負傷者8名)。7月は、バングラデッシュのダッカ(死者22名)、イラクのバグダッド(死者213名)、サウジアラビアの聖地メディナなど(死者4名)、インドネシアのソロ(負傷者1名)、フランスのニース(死者84名、負傷者200名以上)、ドイツのミュンヘン(死亡者9人、負傷者16人)、アフガニスタンのカブール(死亡者80人、負傷者231人)。

  ますます勢いを増しているこの「テロの連鎖」は、明らかに、米仏英などの有志連合軍とロシア軍、シリア軍が激化させている「イスラーム国IS」への攻撃に対する反撃と見なすべきであろう。2011年から始まったシリア紛争は、あらためて説明するまでもなく、20033月に米国が主導して開始したイラク戦争(「イラク侵攻」とも呼ばれているように、実際には石油資源確保を目的とする「侵略戦争」)に起因している。そのシリア紛争は難民の数を急増させ、国連難民高等弁務官事務所発表の情報によれば、その数は2015年半ばの段階ですでに400万人を突破。世界全体の難民総数は、2014年末の段階で5950万人(うち半数が子供)に達している。210万人と言われている、第2次世界大戦によって強制退去させられたヨーロッパ人難民数と比較してみれば(もちろんアジア太平洋地域での当時の難民数も多数あるはずだが推定すら不可能)、いかに現在の状況が劣悪であるかが明らかとなる。この難民の数からしても、世界の現状はまさに「戦争状態」なのである。

  したがって、現在の世界状況は「第3次世界大戦」と称すべき事態にあると考えるべきである。振り返って見れば、2001911事件をきっかけに、アルカイーダのような非国家テロ組織による軍事大国へのテロ攻撃は急激に増加・拡大した。911事件は、極めて限定的な意味ではあるが、太平洋戦争開戦のきっかけとなった「真珠湾攻撃」に相応すると言える事件であり、「第3次世界大戦」の発端とも称せる。しかし、第2次世界大戦と決定的に異なっているのは、この「第3次世界大戦」は、巨大軍事国家間の戦争ではなく、非国家組織テロと国家テロが対抗する戦争、すなわち「グローバル・テロ戦争」と呼べる形態になっていることである。巨大軍事力を持たない非国家テロ組織は、その攻撃目標を軍事国家あるいはその同盟国の一般市民に絞り、テロによる無差別殺戮を行うという作戦を展開している。米国のように、核兵器を含む無差別大量破壊兵器ならびに様々なハイテク技術を駆使した強力な武器を保有する軍事国家にとって、最もその「防衛力」が届かない領域は「市民の生活区域」である。軍事大国の軍事力は、もっぱら他の軍事国家の軍事力との対抗という面からのみ整備されており、「市民生活」を守るという点ではほとんど無能なのである。まさにこの弱点をついているのが、非国家テロ組織による一般市民に対するテロ襲撃なのである。したがって、テロ襲撃に対する「防衛」はいかなる軍事力によっても不可能であり、唯一の防衛手段としては、様々な形での人道主義に基づく平和構築活動を地道に持続・拡大していく他にはないのである。

  ところが、テロ襲撃を避けるためと称して、対外的には、軍事国家はその強力な軍事力を使って非国家テロ組織への軍事攻撃、とりわけ空爆を展開している。もちろん、非国家テロ組織の残虐非道性、彼らのテロ攻撃による無差別殺傷には、いかなる正当性もない。しかし、そうした超暴力的組織に対する「精密爆撃」と称する空爆が、実際には非国家テロ組織の支配下にある数多くの一般市民を殺傷する無差別爆撃となっており、したがって、その実態は「国家テロ」と称すべきテロ行為なのである。その結果がテロ反撃と難民の急増であり、世界は、いつどこでテロ襲撃が起こるか分からないという、ますます混沌とした危機的状況を深めている。英国のEU離脱や失敗に終わったトルコの軍事クデーターという事態も、実際にはこうした「グローバル・テロ戦争」という世界状況と密接に関連して起きていることであることも、あらためて説明するまでもないであろう。

  では、なぜフランスやアメリカのような「文明国」でも、市民を無差別に殺傷する残虐なテロ事件が急増しているのであろうか。この現象をどのように理解したらよいのであろうか。確かに、テロ実行犯たちは、ほとんどが中近東ないしは北アフリカ地域からの移民ないしは移民の家族に生まれた若者たちである。例えば、20151113日夜、パリのスタジアムやバタクラン劇場を襲った若者たち、その数日後、サン・ドニのアパートで警察官との銃撃戦の末に死亡した若者、彼らはみな、アルジェリアやモロッコから来た移民の親をもつ「フランス人」であった。2016714日夜のニースでのトラックを使ったテロ事件の犯人も、31歳のチュニジア出身の「フランス人」であった。しかし、メディアでも広く報道されているように、彼らはほとんど、元々は「ムスリム過激派」とは無縁なごく普通の若者であった。したがって、問われなくてはならないのは、「なぜムスリム過激派思想が彼らを魅惑し捉えたのか」ではなくて、「いったい何が彼らをムスリム過激派思想に走らせたのか」である。おそらく、その理由は、フランスの人類学者アラン・ベルトーが指摘しているように、パリ郊外に住んでいる多くの移民(その2世、3世など)の若者たちは、フランス社会ではいつまでも「フランス人」とは見なされずに様々な形での人種差別に苦しみ、自分たちの将来にも希望を持てないことから、ムスリム過激派思想に走るという、「怒りのイスラーム化」現象と呼ばれるものであろう。アメリカと同様に、フランスでも人種差別による警察の暴力は深刻な問題となっており、200515年の10年間に、102人の「移民」が警察の暴力や過失行為で死亡しているとのこと。にもかかわらず、こうした警察による「殺人罪」が法的にはなんら問われていないというのが現状である。

  そのようなフランスは、2003年からアフガニスタンで、2011年からは北ならびに中央アフリカ各地での軍事介入、20149月からは米国との共同作戦でイラクとシリアで空爆を展開。ロシア軍やシリア軍による空爆とも相まって、その結果、無数の難民が必死の思いで地中海を渡ってヨーロッパに流れこみ、その過程で子供を含む多くの人たちが溺れ死ぬという悲惨な事故が続出した。にもかかわらず、当初から、ドイツを除き、フランスをはじめほとんどのEU諸国が基本的には難民受け入れに極めて否定的な態度をとった。それどころか、20163月には、EUはトルコと協定を結び、トルコ経由でギリシャに到着した難民はトルコに強制送還できるという責任逃避の形で、この問題に真剣に対処することを避けてしまった。

  こうした事態を目の当たりにした「移民の若者」が怒りを覚えないほうが、実は異常であると言えるのである。彼らにしてみれば、「溺れ死ぬ難民の子供たちをよそに、スポーツ観覧、コンサートや花火大会で浮かれ楽しんでいる市民」に、その怒りを向けるのも決して不思議ではないのである。とりわけ、「自爆」というテロ襲撃方法は、彼らの怒りと絶望の深さをまざまざと表出している。誤解されては困るが、だからと言って、私は彼らのテロ襲撃を支持したり認めたりしているわけでは決してない。(ちなみに、ここでは「自爆」の問題について詳しく私見を述べている余裕はないが、以下のことだけは述べておきたい。「自爆テロ」は、ひじょうに残虐野蛮で非人道的なテロ手段という解釈が一般的である。しかし、自分も被害者と一緒に死ぬ自爆攻撃の仕方のほうが、自分を殺すことなく多くの人間を殺害する方法、例えば戦略爆撃や無人爆撃より、なぜ「野蛮」で「非人道的」と言えるのか、私はひじょうに疑問を感じる。これも誤解されては困るが、私は決して「自爆テロ」を支持しているのではなく、逆に「無差別爆撃」に対するのと同様に、徹底的に反対である。この「自爆」の問題については、英文であるが以下の拙文を参照されたし。http://apjjf.org/-Yuki-Tanaka/1606/article.html

  こうした国内テロに対して欧米の軍事大国は、対内的には、「自由と民主主義」を守るための「安全保障体制」を堅固にするためと称して、市民諸個人の人権の制限あるいは抑圧、思想・信条への管理統制、国家機密手段などを強めることで、特定の政治家・官僚集団への政治権力の集中化が急速にすすめられている。そのような政治家・官僚たちは、テロに怯える国民の恐怖感を利用して人種差別を煽り、愛国心を高揚させることで、さらに自己の政治権力を強めることに躍起になっている。これは、これまで欧米先進諸国(日本もこれに含まれる)が、自国における「自由と民主主義」を促進するために、長年、自国の外(とりわけ植民地や旧植民地)で振るってきた暴力(これには軍事暴力だけではなく経済的暴力が含まれる)が、いままさにテロ攻撃という形で自国に跳ね返ってきて、自国の「自由と民主主義」を抑圧し崩壊させようとしているという、皮肉な歴史の重大な一大転換期に我々が直面しているということなのである。かくして、「グローバル・テロ戦争」は、現在、「民主主義の終焉」という重大な危機を産み出しつつあることも、私たちは、今ここで、はっきりと認識しておく必要がある。

  アメリカのドナルド・トランプ人気上昇現象はもちろんのこと、日本政治の現状も、この「民主主義の終焉」の危機という世界的な脈絡のなかで捉えなければ、その根本的な問題を十分理解できないのではなかろうか。安倍政権は、わずかこの数年の間に、特定秘密保護法導入、集団的自衛権行使容認閣議決定、明らかに憲法違反である新安保法制の導入、沖縄辺野古新基地建設開始、原発再稼働などの反民主主義的な政策を強行手段で次々と推し進めてきた。かくして民主主義を決定的に崩壊させながら、その上で、国家防衛と称して米国との軍事同盟を拡大強化し、武器輸出三原則を廃止して自国の軍需産業をアメリカの軍産複合体性の中に組み込ませ、パレスチナ人民に対して無差別殺傷を繰り返しているイスラエルとも武器の共同開発を行うなど、日本はすでに有志連合軍の「対テロ戦争」に深く関わっているのが実態なのである。その結果、軍事費が毎年増大していくに反して福祉予算は大幅削減され、社会保障が切り捨てられて、貧富の差はますます拡大。そして今度は壊憲を企て、「グローバル・テロ戦争」へと日本市民をますます深く引きずり込み、文字通り日本社会と我々の生命を危険にさらしつつある。今ここで日本の進むべき方向をなんとか根本的に転換しないと、我々の未来は取り返しのつかないことになるであろう。こうした後戻りのできない「民主主義崩壊」という事態を避けるためには、どうしても安倍政権の打倒が必要である。私たち日本市民を安倍の政治的自殺行為の道連れにさせないために!


2016年7月13日水曜日

永六輔さんとの出会い — 哀悼 —


永さんとの「出会い」などと書くと、あたかも永さんと親密なお付き合いを私がさせていただいたような印象を与えますが、残念ながら、全くそんなことはありませんでした。「出会い」はたった一回限り。しかもこちらが勝手に話しかけただけです。もう167年前のはなし。新潟駅構内の陸橋を歩いていると、新幹線を降りてきた大勢の人たちが私の後ろから歩いてきました。突然、私のすぐ隣に楽しそうに鼻歌を歌いながら通り過ぎていく大柄の人物に気がつきましたが、顔を見る前にその人は私の真ん前に出てきました。後ろ姿を見てびっくり。その人が着ていたのは、「萬祝長着」と呼ばれるひじょうに派手な、すばらしい青色の銚子ちぢみ(無形文化財)でした(下の写真を参照して下さい。ただし、確かではありませんが、その時の「萬祝長着」が写真と同一のものではなかったと思います。写真は、坂戸市にある「きままやカフェ」の主人が永さんから譲り受けたものだそうです)。「えらく粋な人がいるな〜、どんな顔の人だろう」と確かめたくなって、私は歩みを早め、彼の真横に並んで顔を見てみたら、なんと永六輔さん。思わず「永さん!」と叫んでしまいました。永さんは、あのトレードマークの笑い顔を見せながら独特の言い回しで、「どなたでしたっけ、どこでお会いしたんだっけ」と。「いえ、これまでお会いしたことはありませんが、僕は永さんの大ファンです」と私。永さんの笑顔はますますほころんで、「ああそ〜う、ありがとう」。私は永さんが新潟市内で講演でもされるのか思い、それならぜひ拝聴したいと考え「どちらかでご講演ですか?」と訊くと、「これから佐渡に行きます」との返事。この時期、永さんは佐渡にベースを置く太鼓グループ「鼓童」のアドヴァイザーのような仕事もしておられたので、きっとその関係で佐渡に渡られたのでしょう。「佐渡に渡られるので『萬祝長着』とはさすが永さん、粋ですね。お気をつけて」と言うと、嬉しそうに手を振りあげて、再び大声で「ありがとう!」。たった、これだけの「出会い」でしたが、いつまでも永さんの姿の記憶が鮮明に残っています。
永さんが日本の庶民、とくに東北地方の農民の普段着であった刺子半纏を愛用され、しかもそのデザインをひじょうにモダンなものに変えて着ておられたのに、私はいつも感心していました。あんな粋な刺子半纏を私も着てみたいと。いまでは刺子半纏はひじょうに高価で、なかなか手がとどきませんが、私の妻が一着だけ持っています。



永さんは常に「庶民の日常生活」にしっかりと根をおいて、そこからひじょうに素朴ですがマトをついた鋭い、しかし同時に笑いを誘うような発言をされていました。彼の「憲法九条擁護論」やそのほかの「平和論」も、ごくごく素朴な庶民感覚からの発想なので、「そうなんだよね」と私たちの心にスッと入ってきます。昔は、若者に一目おかれる、永さんのような知恵のあるお爺さんが町内に一人はいたものでしたが、いまではそんなお爺さんも、お爺さんの発言を尊重するようなコミュニティーも存在しなくなりました。
永さんが取り組まれたいろいろな文化運動、市民運動のそのほとんどに私は大賛成でしたが、一つだけ、どうしても納得いかない運動がありました。それは「天着連」運動です。「天着連て何?」と思われる人が多いと思います。「天着連」とは「天皇に着物を! 市民連合」の略称で、「天皇陛下に公式の場で和服(着物)をおめしいただこう」という運動で、この運動を通して着物文化を発展、拡大させようというものです。どこまでこの運動が実際にすすめられたかは疑問ですが、私は発想自体に大反対です。庶民の着物である刺子半纏を愛用した永さんが、本気でこんな運動を提唱されたとは思えないのですが。とりわけ、永さんは明らかに反天皇制と思われるような発言やパフォーマンスもしばしばされたので、納得いかないのです。聞くところによると、私が尊敬するシンガー・ソングライターの趙博さんが歌う天皇侮辱ソングも、永さんは褒めておられたとのこと。ちなみに、数年前に広島で行われた、趙博さんと土屋時子さんの二人芝居「原爆スラム」はすばらしい公演でした。この芝居の中でも「天皇陛下バンザイ」を「天皇陛下ハンザイ」と言い換える愉快な場面があります。
それはともかく、私は、『週刊金曜日』に長期連載されていた「永六輔語録」の愛読者で、毎週手元に届く『週刊金曜日』をひろげて最初に読むのはこの「永六輔語録」でした。毎週「語録」を書かれるのはたいへんだったと思います。したがって、語録の全てが秀作とは言えませんでしたが、毎週20作ほどの語録には、必ず笑いを誘いながら、しかも「そうなんだよな」と深く頷く秀作が幾つか含まれていました。
永さんへ哀悼の意を表して、以下、永六輔語録から秀作と思われるものを、ジャンルごとに分けて書き出してみました。なお、()内の青字のコメントは私の独白です。
自然、動物、人間
一般的に動物はゴミを出しません。ゴミを出すのは人間だけだと思います。
* 自然の姿の中には直線というものがありません。だから優しいんです。
* 人間は他の生物の生命を食って生きているんですから、その人間の生命を、他の生命に食われたからって文句は言えません。癌とか、エイズはそう考えてみるべきです。

死と命
人間は二度死にます。まず死んだ時。それから忘れられた時。
ただ死ぬのは簡単なんだ。(上手に)死んでみせなきゃ意味がないよ。
天国とか極楽はすぐ飽きると思うけど、地獄だと退屈しないんじゃないかな。
(しかし、永遠に閻魔大王に追っかけられる生活は、退屈しないどころか苦しいですよ。だからと言って、地獄じゃ自殺しても死ねないし……)
* 死んで貰いたい人は……死なんなァ。(そうなんですよね。でも自分も他人にそう思われているかも。)
ここにいる奴は、みんな死ぬんだぞ。いずれ、みんな死ぬんだぞ。(みんなで死ねば怖くない?)
* 死ぬことについて心配することはありませんよ。ちゃーんと死にますから安心しなさい。
* 人間初めてのことをする時は誰だって不安だよ。死ぬんだって初めてだからね。
* 生きているということは、誰かに借りをつくること。生きてゆくということは、その借りを返してゆくこと。

日本と日本人
日本民族は、他の民族が何を考えているのかがわかっていない民族です。
(本当にそうですね、わかりたくもないようです。なぜでしょうかね。)
日本人の好きな色、ハイ、玉虫色。

戦争、自衛隊、平和
* そもそも憲法というのは夢でいいんです。みんなで夢に近づける、それでいいんです。夢を改正することはありません。
* 出来ちゃった結婚ていうけれど、日本の自衛隊は「出来ちゃった軍隊」ですね。
* 隊員っていうのは上官や司令官を選べないじゃないですか。気の毒ですよ。命令にはハイッって言わなきゃいけないんでしょ。気の毒ですよ。
* 戦争したがる奴は想像力が欠如しているんです。
* テロだって、先に言った方が勝ちみたい。テロをやっつけてる奴がテロってこともあるけどね。(そうなんです、国家テロ。)
* 世界で一番不運で貧しい国の人たちに、テロは止めろって言えるんですか?
* 弱者をテロリストにならざるを得ないように追い詰めていく奴は、正義なのか。権力や武力に対抗するのはテロしかないと考えるのは悪なのか。大きい声で言ってみたいね。
* 市民は殺すなといっても、軍人は市民を盾にしてきた歴史があるじゃないですか。市民は犠牲になるものなんです。
* 市民と軍人と分けて戦争するなんて出来るのかよ。私服の軍人もいるだろうし、銃を持つ市民だっているだろうに。だから戦争はバカのやることなんだよ。
* 戦争体験を伝えろって、誰が誰に伝えるんだよ。戦争なんてものは伝えられるような、なまやさしいもんじゃない。戦争なんてものは反対だけしてりゃいいんだよ。
*多くの場合、事件の記憶は被害者の方が正しいですね。加害者は細部を覚えていないものです。
*飢えている国は軍隊が力を持つんです。日本だってそうだったじゃありませんか。
*子供達が毎日を楽しく生きているかどうか。それが平和かどうかということです。
* 戦争っていうのは、恐ろしくて、悲しくて、苦しくて、辛くって、虚しくって……。それで困ったことに面白いんだよなァ。(とりわけ国民を戦争に駆り出して、自分は戦場には絶対に行かない政治家にとっては面白いんですよねェ。)
* 町の中の変な人、妙な人が排除されないことが平和な時代の証なんだよ。
(変人と見られる傾向の強い私のような者にとっては、本当にそうだと痛感します。)

民主主義と国家
* 民主主義というのはゆっくり機能するものなのです。テキパキやりたいなら独裁主義にしないとねェ。
* 政府が国民をバカにしてます。国民が政府をバカにしてます。生きる上でこんな不幸はありません。
* 政治家の常識は、国民の非常識。同じことです。医者の常識は、患者の非常識なんです。
* 水からゆでていきますと、ゆでられているものは熱くなっていくのがわからないまま、気がついたらゆでられているわけ。
* お互いの違いを確認して、その違っている部分が好きになれなきゃいけません。男と女の話じゃありません。宗教も政党も、みんなそうです。
* 資本主義といえば、経済の弱肉強食を認めることですよね。それなら政治には、せめて弱者救済をしてもらわなければいけない。
* 女性の政治家も増えてほしいけど、その前に女性の官僚が増えるべきです。その分、料亭とかゴルフ場の接待が減るだけでも。
* 嘘をつくのでも、だますのでも、責任をもってやって欲しい!(安倍にぶっつけたい言葉!)
* やたらに心の教育っていうようになったけど、心をどうやって教育するんだよ。心を持っている人間を教育してくれよ。
* 学校は自立を学ぶために行くところです。従属を学ぶために行くところではありません。
* 守られて来た伝統は伝統じゃありません。守られなくたって残るものを伝統というんです。

人間関係と人格
* ベテランの同業者が若い同業者を育てるなんて、冗談じゃありません。ベテランは若い奴の足を引っぱって、引きずり降ろしてやらなきゃいけません。(それが本当は「育てる」ということ。足を引っ張られてやめてしまうような人間では見込みなし!研究者も同じです。仲間同士でおおいに研究成果を批判しあうべきなのに、なぜか日本ではやらないです。批判を悪口と混同しているようです。)
* 悪口っていうのは、そのまま誉め言葉なんだよね。悪口をいわれない奴は、たいした奴じゃありませんから。(いつも悪口言われている者としては、慰めになります。)
*老人と暮らしていない若者が増えたのが、老人に対する思いやりがなくなった原因です。あいつらは老人の衰え方を日常的に見てないから理解できないんです。
* 老人が一緒に暮らしていると、勉強のほかにもいろいろ学ぶことがあると分かるんですね。だから、おだやかな子どもに育つんですよ。
*国籍の違う嫁を貰うと、姑と言葉が通じません。これがプラスになって、うまくいくケースが多いようです。(国籍の違う嫁が日本語ペラペラ、でも姑とはとてもうまくいくというケースもあります、妻も姑も賢い場合は。息子が少々バカでも。)
* 敵は裏切らないよ。裏切るのは味方だよ。だから敵を大切にしなきゃ。
* 職業に貴賤はないと思うけれど、生き方には貴賤がありますねェ。人間、「出世したか」「しないか」ではありません。「卑しいか」「卑しくないか」ですね。
* 女性の場合、加害者といっても実は被害者という状況がとても多いですね。やっぱり、男は悪い奴が多い。
* 尊敬されて疲れない人間は信用しちゃいけません。人間として傲慢というか、自意識過剰というか。
* 無理させておいてよ、無理をするなよっていう奴、いるよ。
* 叱ってくれる人がいなくなったら、探してでも見つけなさい。
* いろいろな賞がありますが、賞の値打ちというものは、受け取る人で決まります。
(ノーベル平和賞の受賞者の顔を見ていると、本当にそう思います。値打ちのない人間が大半……。)
* 名医は一人では名医になりません。その医者を支えるチームがあって初めて名医になれるんです。
* ひとりぽっちの孤独よりも大勢の中の孤独のほうが悲しい。
* 自分で自分を追いつめてどうするんだ。他人の楽しみを奪うものじゃない!

愛と夫婦関係
* 口説く時に振られたら恥ずかしいなと思うようだったらやめなさい。口説くことがすでに恥ずかしいことなんですから。
* 愛するのはむずかしい。愛されるのはもっとむずかしい。
* 歳をとったら女房の悪口を言っちゃいけません。ひたすら感謝する。これは愛情じゃありません。生きる智恵です。
* 人間は愛しているか、愛されているか、どっちかでないと辛いね。
10代の夫婦はセックス夫婦、20代の夫婦は愛で結ばれる夫婦、30代の夫婦は努力して夫婦、40代の夫婦は我慢の夫婦、50代の夫婦はあきらめの夫婦、60代の夫婦は感謝しあう夫婦。(私などは毎日感謝の連続です。よくまあここまで連れ添ってくれたと)
* 愛することの反対は、憎み合うことではありません。無関心になることです。
* 人間の三大不運というのは、一つ、子供に先立たれること。二つ、つれあいに先立たれること。三つ、若くして大金を手にすること。

その他
* 私はホラは吹きます。でも、ウソはつきません。
(私もホラと尺八は吹きますが、ウソはつかないようにしています。)
* 若いうちは貧乏がいいです。貧乏は歳をとってから経験するものではありません。
* 貧乏ひまなしならいいんだよ。貧乏でひまがあると・・・淋しいよ。
* 知識がありゃいいってもんじゃない。その知識を生かす智恵がなきゃ。