2018年8月18日土曜日

Radio Interview: Fukushima Nuclear Power Plant Workers; Emperor Akihito’s Performance and Japan’s War Responsibility


オーストラリア公共放送 ABC ラジオ番組 Japan in Focus: 福島原発労働者被曝問題、天皇明仁と戦争責任問題(2018年8月17日放送)

「天皇明仁と戦争責任問題」では5分ばかりという短い時間ながら、私見を述べておきました。英語圏に知人をお持ちの方は、拡散していただければ光栄です。

ABC (Australian Broadcasting Corporation) News Radio Program: Japan in FocusAugust 17, 2018
  This week: The United Nations says workers used to clean up the Fukushima nuclear disaster in Japan are at grave risk of radiation exposure and exploitation, Emperor Akihito has made his last appearance as reigning monarch at an annual ceremony marking Japan's World War Two surrender and we take a look at the postal service on top of Mount Fuji.
  Eleni Psaltis speaks to UN Special Rapporteur Baskut Tuncak, representative of the August 6 Hiroshima Peace Assembly Dr Yuki Tanaka, and Tokyo bureau chief at the New York Times Motoko Rich.

Below is the text I prepared for this short interview:
  In order to understand Emperor Akihito’s performance concerning Japan’s war responsibility, we must first know the unprecedented scale of the human toll that resulted from the Asia Pacific War. The total number of deaths of Japanese military personnel and civilians is estimated at 3.1 million. Eighteen percent of these deaths, i.e., 560,000 deaths were victims of indiscriminate U.S. aerial bombing including the fire bombing of Tokyo and the atomic bombing of Hiroshima and Nagasaki in the final year of the war. This was due to the fact that Akihito’s father, Hirohito, and his military and political leaders needlessly wasted time by delaying their surrender to the Allied nations. Approximately 60% of more than 2.5 million Japanese soldiers who died were due to starvation, malnutrition and tropical diseases. Many others were victims of forced suicide attacks known as “banzai attacks” on many Pacific islands such as Guadalcanal, Saipan and Peleliu. In addition, the reckless 15 year-long war that Japan conducted between 1931 and 1945 victimized 21 million Chinese as well as several million people in various other parts of the Asia-Pacific. Apart from the soldiers who were killed in action, more than sixty thousand Allied POWs and civilian detainees also died.
   It should be clear from these figures that Emperor Hirohito was partly responsible for this huge number of deaths, and that the whole system of Emperor Fascism and ideology was also responsible for this tragedy. It is also true that Hirohito was deeply involved in making decisions on major battles such as the Battle of the Philippines and the Battle of Okinawa, despite the myth created after the war that he was totally manipulated by his military leaders such as General Tojo Hideki.    
  It is true that Akihito and his wife Michiko have been sincerely concerned about the victims of the war and visited many wartime battlefields and prayed for the dead. In general Japanese people admire this warm-hearted gesture by their emperor and empress and thus respect them as symbols of peace, democracy and reconciliation. Yet, in each visit, they met only Japanese survivors or Japanese relatives of war victims to console them. They have not met, for example, survivors of the Nanjing Massacre or the Massacre in Singapore and Malaysia that the Japanese committed and offered apologies to them. In each visit, Akihito has repeatedly stated that we must not forget this sad history and must make sure that the ravages of war will never be repeated. However, in order to make sure that the tragedy of war is never repeated, it is essential to know why Japan conducted such a war of aggression and who was actually responsible. In his statements Akihito has never touched on these questions and never referred to his father’s responsibility or the wartime Emperor ideology.
  Of course his performance is better than that of Prime Minister Abe Shinzo, who adamantly denies any responsibility for many atrocities that the Japanese forces committed during the war. Yet, simply emphasizing Japan’s war victimhood without identifying who actually victimized them and without truly admitting Japanese national responsibility for the atrocities committed against vast numbers of people in the Asia Pacific will never bring peace and reconciliation. For me, Emperor Akihito, like his father, is still a symbol of the irresponsibility of Japan’s war of aggression and war crimes.
  Akihito’s gesture is indeed a reflection of the Japanese mentality that can be called a “sense of war victimhood without identifying victimizers.” The same mentality can also be identified in their attitude towards the atomic bombing of Hiroshima and Nagasaki. Japanese people always talk about the horrific victimization by the fire bombing and atomic bombing, yet hardly pursue the US responsibility for this grave crime against humanity.
  Precisely because they do not thoroughly interrogate the criminality of the brutal acts the U.S. committed against them or pursue U.S. responsibility for those acts, they are incapable of considering the pain suffered by the Asian victims of their own crimes or the gravity of their responsibility for them. This is the reason Japan has willingly subordinated itself to US military control, although it has never been trusted by neighboring Asian nations and cannot establish a peaceful relationship with them.

Yuki Tanaka


2018年8月8日水曜日

「8・6ヒロシマ平和へのつどい2018」講演録


1)金鐘哲氏講演録: 安保論理を超えて平和共生の道へ
2)栗原貞子「崩れぬ壁はない三十六年と四十六年と -

安保論理を超えて平和共生の道へ
— 昨今の朝鮮半島平和ムードについて —

金鐘哲(『緑色評論』発行・編集人)
翻訳:金亨洙

.現在の南北対話の背景と韓国の民主化運動  
  本日、この「広島平和への集い」において皆様とお話できますことを大変嬉しく思っております。ご存知のように昨年まで朝鮮半島には戦争前夜の空気が漂っておりました。しかしながら、年を越してから雰囲気は急変します。北朝鮮の金正恩委員長は新年の辞にて非常に重要な発言を行います。つまり、7回に渡る核実験と大陸間長距離ミサイル開発の成功を通して北朝鮮は核武力を完成した、今後は経済建設に力を注ぐと宣言したのです。
 私はこの発言を聞いて、北朝鮮と韓国が対話再開に向けて動き出すだろうと、そして北朝鮮は韓国を通して米国との関係改善をはかることと予想しました。米国が主導し国連で決議された強力な経済制裁の圧力を北朝鮮がこれ以上耐えるのも難しいでしょうし、絶えず核兵器とミサイルの性能を発展させていっても、もはや行けるところがないことも明白な事実だからです。そして最近の北朝鮮の社会経済の状況は以前とはかなり変わっていると、私たちは聞いております。何百万人の平壌の市民は携帯電話を持っており、北朝鮮全域に500余の自由市場(ジャンマダン)経済が活気付いているということです。1990年代における非常に厳しかった飢餓の状況を、国家の助け無しにほぼ自力で乗り越えてきたのが北朝鮮の人民たちです。彼らの生活向上を求める要求に北朝鮮当局がこれ以上背を向けられなくなったのも重要な事実です。したがって、北朝鮮当局が南北間、そして米朝間の関係改善を積極的に模索するであろうということは十分に予想できたことです。
 それにタイミングよく平昌冬季オリンピックが開催されました。金正恩委員長の発言の意味を理解していた文在寅大統領は北朝鮮がオリンピックに参加するよう積極的に促し、北朝鮮もこれに快く応じました。そこで北朝鮮と韓国の交流が10年余ぶりに再開され、これを基についには427日に板門店にて歴史的な南北首脳会談が開催されました。
 日本からは板門店会談をどうご覧になったか分かりませんが、韓国の我々にとっては感激極まりない出来事でした。南北の首脳会談は、金大中や盧武鉉政権時にも行われました。しかし今回の会談は質的に異なりました。板門店で出会った両首脳からは平和の道へと進みたいという熱意が伝わってきました。文在寅大統領は対話に乗り出してきた金正恩委員長の決断と勇気を重ねて讃えましたし、北の若い指導者は南の指導者の言葉を謙虚に受け止め、終始礼儀正しい態度を見せていました。もちろん、このような言動も単なる見せかけかも知れません。しかし、独裁者には似合わない、そのような「演技」まで見せながら朝鮮半島の緊張関係を終わらせたいという自らの意思を表したのであれば、それはむしろ彼の平和に対する熱望がとても大きく、またそれが本物であることを意味するとも解釈できます。
 今回の板門店会談の特別な点は他にもあります。つまり、今度こそ朝鮮半島を囲んだ冷戦構造が真の意味において崩壊し、新しい南北関係および国際関係が築けられる兆しがかなり具体的に垣間見えたという点であります。朝鮮半島と東アジアに平和体制を構築するには様々な条件が整っていないといけません。その点、今は絶好の機会だと思われます。
 今まで朝鮮半島の諸問題の解決を妨げてきたもっとも大きな要因は、当事者である米国と北朝鮮、そして韓国の国家権力が相手の意見に耳を塞いでいたことだと言えます。ところが、現在は幸いにも南北はもちろん米国のトランプ政権もが北朝鮮の核問題の平和的解決を、実際に望んでいる状況となりました。
 周知のようにトランプ大統領は今政治的に相当厳しい状況に置かれています。それは彼が大統領に就任して以来見せてきた乱暴な言動と理性的とは言えない一連の政策の当然な結果だと言えます。しかしながら、トランプ氏も畢竟は政治的な支持基盤の拡大を通して今年の秋に行われる中間選挙での勝利と再来年の次期大統領選挙における再選を望んでいることでしょう。その彼が歴代の大統領たちは解決できなかった難題、つまり北朝鮮の核問題を解決するのであれば、彼にとって非常に大きな政治的資産になるに違いありません。
 事実、昨今の朝鮮半島の情勢は関連している当事者たちの利害関係が運良く合致してもたらされた、稀に見る状況です。単刀直入に言えば、従来の米国の北朝鮮政策は「現状維持」政策でした。北朝鮮と米国は、時には厳しい言葉を交わしながらすぐにでも戦争に突入するかのような態勢を演出してきましたが、実際において北朝鮮には米国を攻撃できる能力も、その理由もありません。そして米国も実際に戦争が勃発するのであればとてつもない被害が双方にもたらされることを重々承知しています。つまり、戦争はお互いにおいて脅迫の文言にすぎません。
 そして最も重要なことですが、朝鮮半島における緊張状態が続くことは、米国の実質的な支配勢力、即ち「軍産複合体」の利益に符合します。東アジアにおける冷戦構造がこれだけ持続してきた理由も結局はそのためだと言えるでしょう。
 ところで、そのような米国政府がなぜ態度を変えたのでしょうか。明確に説明することはできません。しかし、二つほど重要な理由を挙げられます。まず一つ目は、トランプ大統領が軍産複合体とあまり関わりのない人物であるという点です。米国優先主義を主張するという点において、トランプ氏もアメリカの他のエリート政治家たちと変わらないのですが、不動産業で富を得た彼は主流既得権層の支援を受けることなく大統領に当選されました。したがって、軍産複合体の利益を優先的に考慮する理由がない、例外的な政治家だと言えます。もう一つの要因は米朝首脳会談の必要性をトランプ大統領に切実に説明し、ついにはその説得に成功した文在寅大統領の仲裁者としての役割です。
 実は、私は文在寅大統領がとってきた姿勢と役割こそ最も大事であったと申し上げたいです。彼が、北朝鮮を対話の場に導き出し、また米国の大統領を説得するのに成功したのは、平和に対する彼の切実な思いがあったためでもあるでしょうけれども、朝鮮半島の将来に対する彼の堅実で、また現実的なビジョンのためでもありました。例えば彼はとある公の場で「南北が共に暮らすかどうかはともかく、お互いに干渉せず被害を与えることなく共に繁栄し、平和に暮らせるようにしなければいけない」と発言したことがあります。この言葉には所謂「吸収統一論」を排除する立場が表明されています。思うに、文在寅大統領のこの発言は北朝鮮を対話路線へと転換させた大きな力となっていたのではないでしょうか。
 文在寅大統領のこの発言は、観念的で非現実的な主張ばかりを繰り返しても、それは現実的には状況をより難しくするだけだと、痛感した結果だと思われます。そしてそれだけ分断体制と冷戦構造を乗り越えていこうという思いが切実であることを意味するでしょう。
 この70年間の分断体制が朝鮮半島の住民たちにとって如何なる鎖となり、また束縛であったか、日々痛いほど痛感しながら生きてきた当事者でなければ、平和を願う想いというのを実感するのも、理解するのも難しいでしょう。その上、朝鮮戦争以降の停戦体制のなかで銃声は止んだにしろ、お互いこれ以上ない仇敵のように銃を向け合い、終わりの見えない敵対関係のなかで生きるしかない、険しい状況が続いてきました。それで韓国と北朝鮮には長らく非常体制が維持されてきたのです。非常体制のなかでは人間らしい自由な暮らしは根本から否定されます。独裁支配体制の世襲を固く守ってきた北朝鮮は言うまでもなく、韓国においても長らく独裁政治と軍事政権による暴圧政治が繰り返されましたし、市民の権利と人権が根本から抑圧されてきました。
 大韓民国の憲法はこの国が民主共和国であると宣言しており、全ての権力が国民から生ずると明示しています。にもかかわらず、実際において1948年大韓民国政府が樹立して以来韓国を実質的に統治してきたのは憲法ではなく国家保安法でした。この国家保安法というのは思想、言論、表現、結社の自由を抑圧する目的でつくられた、日本の植民地時代の治安維持法を受け継いだ悪法です。もちろんこれは韓国で共産主義を取り締まるための法律です。したがって、国家保安法は反国家団体(北朝鮮)に対する協力はもちろん、好意的、肯定的な意見表明も禁止しました。そしてそれに違反すると重刑に処されました。結果、歴代の独裁政権はこの法律を、政権に批判的な人々や、また反対勢力の弾圧に積極的に活用しました。それで数多い良心的な知識人たちや学生、労働者、市民、海外の同胞に北朝鮮の工作員という嫌疑をかけ、無慈悲に人権を蹂躙してきたわけです。絶対的な権力が思うがままに人々を逮捕し、拷問し、また殺害までしてもこの全ての国家的暴力と悪行が国家保安法違反といった論理で正当化されてしまう状況の中、人は結局奴隷として生きるしかありません。事情を知らない外国の方は、分断というと少し不便で不安な状況だと思うかもしれません。しかし、分断された朝鮮半島の住民にとって、それは口では言い難いほどに苦しい抑圧と恐怖、そして極端に不合理で不条理な生活を体系的に強要されるシステムとして作動してきました。
 「ロウソク革命」を通して誕生した新政権の文在寅大統領は人権弁護士出身です。だからこそ彼は国家保安法の弊害を誰よりも良く解っています。それで彼は国家保安法という一つの法律の改廃よりもこの国家保安法の根本的な存立根拠、つまり敵対的な南北関係の解消が必要だと思っているのかもしれません。大統領に就任してすぐに直面した北朝鮮の核危機状況のなかでも、以前の保守派政権のように安保体制の強化のみを強調するのではなく、北朝鮮が対話に応じるように繰り返し訴えたのはそのためであるでしょう。
 ここで私が特に強調したいのは、文在寅大統領のこのような対話路線は、戦争の恐怖はもちろん奴隷的な生活を強いる「安保論理」からも逃れることを熱望している多数市民の絶対的な支持を基盤にしているという点です。つまり、今ようやく朝鮮半島に訪れてきた平和ムードは、多数の市民がロウソクを持って広場に集い、民主主義を求めた結果だと言えます。
 2016年の冬から2017年の春まで続いた韓国の大規模のロウソクデモは、無能で腐敗した政権の崩壊だけをもたらしたのではありません。ひいては朝鮮半島の冷戦構造を終わらせ、平和体制をつくりあげる起爆剤になったと言えるでしょう。これは非常に重要な事実です。つまり、市民が心を一つにして能動的に行動するときに民主主義は蘇り、その結果自らの運命を根本から改善できる可能性が生じてくるという真理を、我々はもう一度確認できます。


. 朝鮮半島冷戦構造の終息が持つ世界史的意義
  冷戦構造が清算され、それで人々の生活を根本から縛り付ける安保論理の支配から逃れることができたら、朝鮮半島の南と北には、たとえ統一は遠い未来のことだとしても人間らしい生活に対する新しい模索と実験が自由に行われるに違いありません。しかし考えてみれば、これは朝鮮半島の住民たちだけに重要なことではありません。朝鮮半島の緊張状態が解消されるのであれば、それは今日残っている最後の冷戦地域の一つが消滅することを意味します。ならば、今まで世界を支配してきた安保論理は著しく弱体化するだろうと充分に予想できます。
 私が思うに、複合的な危機に直面している今日、最も必要なのは平和な共生の思想とその実践です。ところが、この平和な共生への道を妨げる最も大きい障害は、政治・社会的体制と理念の違いを認めようとしない冷戦的思考、そしてそれと一対になっている安保論理だと言えます。その点、朝鮮半島の冷戦構造の終息は世界史的にも非常に大きな意義があります。
 振り返ってみればこの70年間米国が世界の覇権国家として君臨できたのはその膨大な経済力と軍事力だけのためではありませんでした。何よりも第2次世界大戦において米国が最大の勝者となり、そしてソ連という新しい「敵」を作り出し、その敵に対抗するための安保体制を集中的に構築したことによって可能になったと言えます。そしてこの安保体制の強化に決定的に寄与したのが朝鮮戦争でした。世界大戦が終結され、米国の政府と支配層としては国民に巨額の安保及び国防関連予算の必要性を納得させるための名分がなくなりました。その時、都合よく朝鮮戦争が勃発したのは、米国の国務長官ディーン・アチソンが言ったように、「天佑神助」でした。その結果朝鮮戦争はこんにち米国の安保体制を構成する核心的な機関、即ち国家安保会議(NSC)やCIA、ペンタゴン等の新設ないし強化に重要な口実となり、延いてはその後米国と世界を実質的に統治することになる「影の支配者」、軍産複合体の形成にも決定的な影響を与えました。
 そしてその朝鮮戦争が終結することなく長らく停戦状態が続いたのは、米国の覇権的世界支配と軍産複合体の温存や拡大にも大きく役立ったと言えます。そればかりではありません。1990年代の初め頃ソビエト社会主義圏が崩壊するにつれ突然「敵」を失ってしまった軍産複合体からすれば、朝鮮半島の緊張状態や中近東地域における不安な情勢が変わらず持続しないといけませんでした。この両地域における戦争、あるいは準戦時状況が終息に向かえば軍産複合体の存立根拠が消滅してしまうからです。
 皆様もお分かりだと思いますが、この数ヶ月間の朝鮮半島の平和ムードについて世界の主要メディアが見せた反応は非常に否定的なものでした。保守、リベラルを問わず世界の大概のメディアがそうでありました。その中でも日本のメディアは特異でした。日本の主要メディアは最近の朝鮮半島の情勢の変化が如何に重大な歴史的意味を持つことであるかを完全に無視して、ほとんど例外なく「拉致問題」ばかりを集中的に取り上げていました。私にはこのような日本のメディアの態度は情けないというよりは、あまりにも安易でまた愚かにしか見えません。
 ところで、メディアがこのような態度を見せてくるのはなぜでしょうか。彼らは今まで北朝鮮の核問題の解決に失敗してきたのは北朝鮮側の騙しのせいだと断定し、今度も北朝鮮の「時間を稼ぐための術策」だと主張しています。しかし、このような論調は言論の基本的な責務である「事実確認」さえもない単なる主張にすぎません。これについてここで詳細に説明する余裕はありません。但し、長い間北朝鮮の核問題に実務的に携わってきたジョン・メリル国務省情報調査局元北東アジア室長の話に耳を傾ける必要があります。彼は52日付の『京郷(ギョンヒャン)新聞』とのインタビューにおいて、北朝鮮の核問題が解決に至らなかった責任は北朝鮮側にもあるが、米国と韓国側にもあると明確に指摘しています。つまり、米国と韓国も北朝鮮との間に交わした約束を破ってきたということです。
 それなのになぜ世界の主流メディアはまるで北朝鮮がペテン師でもあるかのように一方的に決め付けながら、せっかくの対話と交渉の努力に水をさそうとするのでしょうか。様々な理由があるでしょうが、結局のところ彼らは従来の安保論理を基にした世界秩序の変更を望まないからではないでしょうか。それに彼らには朝鮮半島の住民たちが感じる平和に対する切実さや強い思いもあるはずがありません。万が一朝鮮半島で戦争が勃発したとしてもそれは彼らにとっては「他人事」であり、せいぜい対岸の火事に過ぎないからです。
 有力なメディアが既存の秩序の変更を望んでいない理由を推察するのは難しいことではありません。今日大きな影響力を持つメディアはほとんど例外なく商業的論理に忠実なコーポレートメディアです。したがって、彼らの利害関係は世界秩序を実質的に支配している「軍産複合体」と直接乃至間接的に関わっているはずです。そのため軍産複合体の顕著な弱体化をもたらす可能性の高い朝鮮半島冷戦構造の終息を、彼らが歓迎するはずもありません。

.東アジア共同体構築への展望
 しかし既得権勢力のありとあらゆる妨害にもかかわらず、私は最近の朝鮮半島の平和ムードが逆行することはないだろうと思っております。関連する当事者たち、つまり現在の米国、北朝鮮、韓国の当事者たちが自らの必要のためにも平和を強く望んでいるからであります。
 もちろん韓国にも平和を歓迎しない既得権勢力が存在します。彼らは70年間朝鮮半島の分断と安保体制を利用して特権を享受し私的利益ばかりを追求してきた集団です。しかしロウソク革命を経て彼らの力は著しく弱化されました。これは去る6月に行われた地方選挙において明白に証明されました。守旧勢力を政治的に代弁している「自由韓国党」は、その存立が危うくなるほどまで完敗しました。
 いま最も懸念すべきは米国エリート層の動向です。現在トランプ大統領は「ロシアゲート」で政治的に追い込まれており、対外的にも伝統の友邦または同盟国とあまり良い関係を築けておりません。そういった中で、欧米のメディアによって長年悪魔のように描写されてきた北朝鮮と、協議を行うのは容易なことではないでしょう。しかしトランプ氏は従来の政治的慣行にとらわれない人ですから、彼が歴代の大統領たちにできなかったことを成し遂げる可能性が高いということもまた事実です。
 トランプ氏は米国が世界を指導しなければいけないとか、世界警察の役割を担う責任があるといったような観念など特に持っていないように見えます。実際彼に重要なのは実質的な利益であって、観念的イデオロギーや思想、信条などではないことは明白です。この点において彼は今までのエリート政治家たちと確然と区別されます。彼は伝統的な同盟である西欧の諸国を他の「外国」と変わらない態度で接しており、西欧の防衛になぜ米国が費用を払うのかと、一見乱暴にも聞こえますが、考えてみれば非常に正当な主張をしています。東アジアの現代史に精通しているブルース・カミングズ教授の言葉をお借りして言うならば、トランプ氏のこのような言動は彼が固定観念にとらわれず、イノセントアイズ(innocent eyes)で今日の世界を見ているからかもしれません。実際、世界に変化をもたらすためには利害関係や固定観念に縛り付けられない、イノセントアイズが必要だと言えます。そのような点において、トランプ氏は私たちが人間的には尊敬できない人物ではありながらも、彼の非主流的かつ異端的性格のために世界の変革に大きく寄与する人物になれるかもしれません。問題は、それが人類を希望と救済に導く変革か、それとも混沌と絶望に追い込む変革かということです。気候変化を無視し、難民や移民に対する彼の乱暴な態度を見ると先を楽観するにはまだ躊躇があります。
 しかしながら、612日のシンガポール米朝首脳会談直後の記者会見で、「米韓合同軍事訓練は北朝鮮の立場から見れば非常に脅威的である」といった、相手を思いやる発言を行い、その訓練の暫定的中断を宣言する姿などを見ると、トランプ氏はこの北朝鮮核問題だけは何が何でも解決したいと思っているに違いありません。だからこそ、我々はこの貴重な機会を活用し、今度こそ朝鮮半島及び東アジアの平和共存体制を実現していかなければなりません。
 朝鮮半島の冷戦構造が崩壊され平和体制が構築されれば、東アジア全域の雰囲気も根本から変わってくることでしょう。考えてみれば、互いに相手を思いやりながら相手の生存権利を認めるのであれば、個人や国家が相互間において敵対する理由はありません。にもかかわらず、韓・中・日をはじめとする東アジアの国々はあまりにも長い間敵対ないし嫌悪の関係から抜け出せずにいます。
 このような状況に対する最も大きい責任は、大東亜共栄圏という虚妄な目標の下、東アジア全域をとてつもない災いに陥れた日本が、戦後70年もの歳月が経っても自らの歴史的過ちを虚心坦懐に認め、謝罪する努力を見せてくれないことにあると言わざるを得ません。日本のこのような態度はもっぱら米国との関係ばかりが重要であり、アジア人との関係はどうなっても構わないという、非常に無責任でまた愚かな心理が働いてきたためだと思われます。近代初期の脱亜入欧の論理、つまりアジアに対する蔑視と西洋に対する崇拝の思想は未だ払拭されず日本社会に深く根付いているのではないかと思います。
 もちろん日本社会やその文化の底流には素晴らしい平和思想、共生思想が流れています。明治維新直後の岩倉使節団が帰国した後芽生え、192030年代に平和主義者であり、またジャーナリストでもある石橋湛山に受け継がれた「小日本主義」思想はその代表例だと言えます。そしてこの小日本主義の思想的伝統は戦前あるいは戦後において平和と民主主義を信奉する多くの人々の思想の中核を成してきました。問題はこの思想的伝統が一般市民の基本的教養となり、更には政治、経済、社会的性格を規定する原理にならないといけないという点です。そうなってきた際、かつて鳩山由紀夫元総理が唱えた「友愛を土台にした東アジア共同体」の実現は時間の問題になることでしょう。
 振り返ってみれば、鳩山元総理が提唱した「友愛を土台にした東アジア共同体」という概念はこの間東アジア地域に登場した政治哲学の中でも最も新鮮で貴重な政治哲学として評価されるべきでした。しかし鳩山元総理の尊い理想が実現するには当時の東アジアを巡る情勢があまりにも殺伐としていて、またそれは何よりも米国の支配層の利害関係と衝突するものでした。その上鳩山元総理の構想には具体的な方法論が欠如していました。また彼の在任期間も短かったため、今日鳩山元総理の政治哲学を記憶している東アジア人はあまりいないと思います。しかし私は、私の考えている「平和で共生する東アジア体制」と、鳩山元総理の「東アジア友愛の共同体」とが本質的に変わらないと思います。名称は何であれ、このような共同体の実現のために我々が民族や国家の境を越えて協力しない限り、我々に未来は開かないと思います。
 昨年の10月、19次中国共産党大会において習近平主席が唱えた中国の未来像も、結局は似ているものでした。習近平主席は、中国は小康(シャオカン)社会を目指しながら世界が共通に直面している様々な難題を解決すべく他の諸国と緊密に協力することを約束し、殊に美麗社会と生態文明を強調しました。つまり現在東アジアにおいて日本の安倍政権を除けば、東アジアが目指すべき方向についての根本的な認識は共有されていると言えます。
 この認識は今後北朝鮮が進むべき方向に関しても一つの指針になれます。北朝鮮には今後かなりの時間を費やし基本的な生活問題を解決するための産業開発やインフラ構築が必要となるでしょう。そしてその過程において世界資本主義システムへの編入は避けられないはずです。しかしその開発が共同体の崩壊や乱開発、極度の環境破壊、そして不正腐敗の蔓延といったもう一つの怪物社会の出現をもたらすのであれば、その影響は北朝鮮のみならず東アジア全域に及ぶことでしょう。北朝鮮の開発、発展が生態的かつ人間的に如何に健全に行われていくかという問題は北朝鮮社会に限った問題ではありません。
 如何なる視座から見ても今東アジアはお互い反目し、葛藤や紛争に囚われている時ではありません。絶えず北朝鮮と中国の脅威ばかりを強調しながら、人種主義的かつ民族主義的感情を煽る既得権勢力にこれ以上籠絡されてはいけません。ご存知のように今世界は政治的、経済的、社会的、そして環境的に非常に危うい状況におかれています。そういったなか東アジアの国々がお互い敵対し、葛藤することに時間を浪費しているのはナンセンスだと思います。
 朝鮮半島を中心に展開されている最近の情勢の変化は単なる地政学的変化に留まる事態では決してありません。それは我々が自ら閉じこもっている自閉的な枠組みを破り、国家と民族の境界を越え、真の平和な共生を構築できる新たな機会を与えてくれています。この、滅多にない機会を生かすためには東アジアの市民の間の活発な対話と協力が不可欠であると、改めて強調したいと思います。ご静聴ありがとうございました。

2)栗原貞子「崩れぬ壁はない三十六年と四十六年と -

集会の最後の挨拶代わりに、私(田中利幸)が、太平洋戦争46年後の1991年9月22日に栗原貞子が謳った詩「崩れぬ壁はない三十六年と四十六年と -」を朗読させていただきました。

「崩れぬ壁はない三十六年と四十六年と -

前の三十六年は
皇国臣民の誓いを誓わされ
一視同仁の天皇の赤子で
東方遥拝をさせられ
アマテラスを拝まされた

戦争が始まると百万人が徴募され
けがれを知らぬ少女たちは
天皇の軍隊の慰安婦にさせられた
男たちは強制連行されたあげく
ヒロシマ ナガサキでは
原爆に焼かれて 黒い死体になり
カラスに眼球を啄まれた

戦争が終わると祖国は
二つに分断され
分断された胴体から今も
おびただしい血が流れている
ひとつの国として
解放される筈だったのに
天皇制護持のため
おそすぎた 終戦の詔書

民族の胴体をたちきられ
裂かれた半身を 互いに呼びあいながら
生きてきた四十六年
北の半身は 主体思想をかかげて
外国の支配を斥け
白頭山の下で 新しい国を育ててきた
南の半身は千の核兵器をのせられ
若ものは光州で血を流し
ソウルで焼身自殺をして
自由と民主を求めて闘った

併合の三十六年間と
戦後の四十六年間と
朝鮮半島を血の海で溺らせ
朝鮮戦争では 神武景気で
肥え太り 経済大国となって
何の痛みも感じることなく
謝罪せず 拒みつづけて来た
アジアの国々への血債にも
口をぬぐい
その手は未だ血塗られたまま
国際貢献の名の下に
再び戦場を夢見る世界第三位の
軍事大国

北と南の被爆者と 日本の被爆者が手を結び
分断の壁に風穴をあけよう
核のないひとつの朝鮮をとりもどそう
沖縄や本土の核基地を
撤退させよう その時、
非核自由アジアは実現するのだ

どんな堅固な壁も
民衆の意志のあるところ
崩れぬ壁はないことを
ベルリンの壁は教えている
世界の三つの壁の
さいごの壁が
崩れる日は遠くない

2018 Citizens’ Peace Declaration 市民による平和宣言 2018


日本語版は英語版の後をご覧ください。

- Let’s finish the Korean War, condemn Abe’s lies and revitalize Article 9 -

  Between the end of 1944 and August 14 1945, the U.S. conducted aerial bombings of Japan’s main islands almost every day, and used 168,000 tons in total of both conventional and incendiary bombs. As a result the people of 393 cities, towns and villages throughout Japan became the target of indiscriminate bombings. In addition the atomic bombings of Hiroshima on August 6 and Nagasaki on August 9 annihilated approximately 210,000 people including 40,000 Koreans. The estimated total number of casualties from these American crimes against humanity is 1.02 million including 560,000 deaths. 70% of them were women and children. Furthermore, in the battle of Okinawa 150,000 civilians were killed. On the other hand, the reckless 15 year-long war that Japan conducted between 1931 and 1945 victimized 21 million Chinese as well as several million people in various other parts of the Asia-Pacific. Japan also kept the Korean Peninsular under its colonial rule for 35 years.   
  After World War II the U.S. concealed its own war crimes. It decided to politically exploit Emperor Hirohito, the person most responsible for wartime Japanese atrocities, in order to suppress the rising communist movements in Japan and thus manage smoothly the U.S. military occupation of that nation. With this intention, in Chapter 1 of Japan’s new constitution promulgated on November 3, 1946, the emperor was portrayed as the symbol of the state of Japan and the unity of the Japanese people, writing off his war crimes and responsibility. In other words, Hirohito was actually the symbol of irresponsibility for Japan’s war of aggression and war crimes. Fortunately, however, our universal right to live in peace was officially recognized in the preamble of the constitution, and Japan’s commitment not to fight a war with military forces was proclaimed in Article 9.
  As soon as the Korean War broke out on June 25 1950, Article 9 was weakened by the establishment of military forces under the fake name of the National Police Reserve. The San Francisco Peace Treaty of 1952 made Japan perfunctorily “independent.” Yet with the U.S.-Japan Security Treaty, which was concluded almost simultaneously with the Peace Treaty, the U.S. was able to permanently utilize its military bases on Japanese soil. Okinawa was virtually colonized; and the renamed Self Defense Forces were firmly built into the U.S. military’s cold war strategy. Japan thus became the takeoff and supply base for the U.S. bombers utilized in the Korean War, and the Japanese economy ruined by the Asia-Pacific war was rapidly revitalized through U.S. special procurements. Since then, these U.S. military bases have been continuously utilized for U.S. wars of aggression in Vietnam, the Gulf, Afghanistan and Iraq.
  In 2015 the Abe administration reinterpreted Article 9 of the Japanese constitution in order to approve the exercise of the right of collective self-defense. It also passed unconstitutional security-related legislation. In this way, during the last 68 years since the beginning of the Korean War, many things have undermined Japan’s Article 9. They are: Korea, divided into north and south; the cold war in Asia; the military colonization of Okinawa; the incessantly expanding U.S.-Japan Security Treaty; and the perpetual U.S. nuclear deterrence. In order to eliminate these destructive factors and revitalize Article 9 of our constitution, we need to trace back to the beginning of the Korean War and completely end that war.
  The Korean summit talks on April 27 this year and the U.S.-North Korea summit talks on June 12 opened the door on a new age. The motivating power for this change is undoubtedly the Korean peoples’ movements for peace. To end the Korean War, a summit conference of North and South Korea, together with the U.S. and China, is essential. If the war ends legitimately and successfully, justification for maintaining the U.S. bases in Korea and Japan also becomes invalid, and accordingly the U.S.-Japan Security Treaty must also change. We need to explore opportunities to strengthen solidarity with people on the Korean Peninsular and other parts of East Asia, reinforcing our actions and abolishing the U.S. military bases in Japan such as Okinawa and Iwakuni.
  The corrupt Abe administration, with its strong nationalist sentiments and deep hatred of Koreans, initially tried to obstruct the Korean effort for peace. Having realized that would not be possible, however, Prime Minster Abe proposed negotiation over the issue of Japanese people abducted by North Korea. But it is clear that the abduction issues could not be solved without Japan’s apologies for wartime forced Korean labor; proper compensation for that; and economic cooperation with Korea. We demand that the Japanese government sincerely and promptly deal with these matters and normalize our relationship with North Korea.    
 The present government’s policies are full of falsehoods on many fronts. It is clearly not telling the truth about the corruption cases of Moritomo and Kake. It has suspended financial aid to the victims of the Fukushima Nuclear Power accident, claiming that radiation is no longer a serious problem and now forcing them to return home. It continues to ignore rampant sexual harassment problems despite its official policy of “Empowering Women.” It endorses low pay and long hours of hard work for non-regular workers despite the fake policy of “Work Style Reform.” It is enforcing the construction of the new U.S. military base at Henoko despite the promise to “reduce the burden on Okinawa.” It is inflating the military budget despite the recent alleviation of tensions on the Korean Peninsular.       
  The German philosopher Karl Jaspers once said that insincerity is essentially evil and destroys all forms of peace. According to this Abe’s ability to boldly tell lies could potentially destroy peace. Moreover, it has the capacity to distort or erase peoples’ memories, including those of Japanese wartime atrocities such as the Nanjing Massacre and the military sex slaves. Abe tells lies about the past and present, because he wants to control our future with lies. To stop this, we must overthrow the Abe regime as quickly as possible!
(Coordinator and Author: Yuki Tanaka Email: yjtanaka68@yahoo.co.jp )

「市民による平和宣言 2018」

- 朝鮮戦争と安倍の嘘を終わらせ、憲法9条を生かす時代を切り開こう -

 1944年末から始まった米軍による日本の本土空爆は翌年8月の14日まで毎日のごとく続き、最終的に16万8千トンにのぼる爆弾・焼夷弾を投下した。その結果、東京、大阪をはじめ日本全国の393市町村の人々が無差別爆撃の犠牲者となった。そのうえ、1945年8月6日、9日の原爆無差別大量殺戮では、推定21万人(内4万人が朝鮮人)を殺害。米国が犯した日本市民無差別爆撃という重大な「人道に対する罪」の推定死傷者総数は102万人(その7割が女性と子ども)、その半数以上の56万人が死亡者と言われている。さらに沖縄戦では15万人にのぼる市民の命が奪われた。しかし、その日本は、15年間にも及ぶ無謀な侵略戦争で、推定2,100万人という数の死傷者の犠牲を中国に、その他にも数百万という数にのぼる死傷者の犠牲をアジア太平洋の様々な住民に強いた国であり、朝鮮半島を35年間植民地支配した国であった
 米国は、自国の戦争犯罪を隠蔽しながら、この未曾有の悲劇をもたらした責任者の一人である天皇裕仁を、日本占領政策を円滑にすすめるため、とりわけ急速に高揚しつつあった共産主義活動とその思想浸透を押さえ込んでいくために、政治的に利用することを決定した。裕仁の「戦争犯罪と戦争責任」を帳消しにする形で、1946年11月3日に公布した日本国憲法の第1条で天皇を日本国と日本国民統合の象徴とした。よって、天皇は戦争責任に対する無責任の象徴でもある。しかし、幸いにして私たちは、この新憲法で、世界の全ての人々に平和的生存権があることを確認した「憲法前文」と、無条件での非戦・非武装主義を謳う9条を獲得した。
 ところが1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発するや、「警察予備隊」という名称で軍隊を創設し、早くも非武装憲法の骨抜きが開始された。1952年に、サンフランシスコ講話条約によって日本は一応「独立」を回復したが、講和条約と同時に締結された第一次安保条約で米軍に基地を提供し続けることになり、沖縄は軍事植民地化され、「自衛隊」と改称された軍隊は米軍の冷戦戦略に強固に組み込まれた。かくして、日本の米軍基地は朝鮮を空爆する爆撃機の発進・補給基地となり、アジア太平洋戦争で疲弊していた日本経済は「朝鮮特需」の恩恵を受けて急速に復興した。以後、在日米軍基地は、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争という米国の侵略戦争の出撃拠点となり続けた。
 2015年、ついに安倍政権は、部分的集団的自衛権行使すら合憲との解釈改憲で戦争法を制定した。このように、朝鮮戦争勃発から68年の間に、南北朝鮮分断、アジア冷戦、沖縄軍事植民地化、日米安保強化、核抑止支持などの様々な要因が、9条を破壊する因子として日本国の中に埋め込まれてきた。したがって、これらの憲法破壊因子を取り除き、9条を真に復活させるためには、私たちは、もう一度、朝鮮戦争の原点にまでさかのぼり、朝鮮戦争を完全に終わらせる必要がある。
 4・27南北朝鮮首脳会談と6・12米朝首脳会談の成功は、新しい時代への扉をこじ開けた。韓国民衆の平和のための闘争が、この好展開の起動力となっている。次は、南・北・米・中4者会談の開催による朝鮮戦争の終結宣言である。これにより朝鮮戦争体制を前提としてきた在韓米軍と在日米軍の存在根拠が無くなり、日米安保体制が大きく激変する。沖縄や岩国などの米軍基地廃止に向けた運動を強化することで、朝鮮半島民衆、北東アジア民衆に連帯しうる可能性をたぐり寄せよう。
 狭隘な愛国主義的憎悪で腐れきった安倍政権は、こうした動きを妨害しようと躍起になっていたが、さすがに日朝交渉を突然言い出した。しかし、拉致問題を正面に据えて交渉しても何も解決できない。侵略戦争の謝罪、戦後賠償としての経済協力という大きな枠組みの中でしか、拉致問題を解決する展望はない。私たちは日朝国交正常化交渉を誠実に行うことを日本政府に求める。
 安倍政権が森友・加計問題で虚偽の発言を続けていることは誰の目にも明らかだ。また、原発被害(汚染水垂れ流し、増える健康被害など)は最早なくなったと嘘をついて住民強制帰還や住宅補償打ち切りを行い、「女性の活用」と嘘をつきセクシュアル・ハラスメント蔓延を放任し、「働き方改革」法でも嘘をついて長時間労働と正規・非正規格差を野放しにし、沖縄米軍基地負担軽減と嘘をついて辺野古基地建設強行をやり、北朝鮮核脅威と嘘をついて防衛予算を膨張させ、そのうえ西日本豪雨被災者救援よりはカジノ法強行採決、という嘘の政策で塗り固められた政権である。
 ドイツの哲学者、カール・ヤスパースは「不真実は本来的に悪であり、あらゆる平和の破壊者である」と述べた。安倍晋三首相のような人物の「平気で嘘をつく能力」は、したがって平和に対する攻撃的能力である。また、嘘をつく能力は他人と自分自身の記憶を歪めたり抹殺する能力でもあるから、南京虐殺、強制連行、日本軍性奴隷などはなかったと人々の記憶を抹殺しようとする彼の「戦争責任否定」は、「嘘をつく能力」と密接に絡みあっている。現在と過去を嘘で支配しようとするのは、彼が私たちの未来をも嘘で支配したいからだ。一刻も早くこんな「大嘘ツキ政権」を打倒しよう!
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86ヒロシマ平和へのつどい2018実行委員会 代表: 田中利幸
連絡先090-4740-4608(久野成章)FAX:082-297-7145 Eメール:kunonaruaki@hotmail.com

2018年7月24日火曜日

太平洋戦争と小田実 - 戦争責任を問う -

- 小説『ガ島』と『玉砕』に見る戦争のおぞましさ

今週土曜日(7月28日 14:00〜17:00)「あしや市民活動センター リードあしや」で予定されている講演の概要です。ご笑覧、ご批評いただければ光栄です。

講演概要
田中利幸 

1)太平洋戦争4段階の歴史的経緯:小田実の太平洋戦争関連文学作品を理解するために
2)小説『ガ島』、『玉砕』が象徴する実際の戦闘における餓死・玉砕・残虐行為
3)ナウル島における日本軍の残虐行為:ジャングル戦も玉砕もなかったケース
4)天皇制と戦争責任:明仁の慰霊の旅の意味するもの

1)太平洋戦争4段階の歴史的経緯:小田実の太平洋戦争関連文学作品を理解するために
 小田実が文学作品で取り扱った太平洋戦争での悲惨な「餓死」、「玉砕」はなぜ起きたのか?それを知るためには、まず太平洋戦争がどのように展開されたのか、その歴史的経緯を知る必要がある。太平洋戦争は、日本側から戦局の推移を見た場合、4つの時期に区分できると私は考える。
第1期「日本軍攻勢」段階:
 1941年12月8日の英領マレー北部コタバルとタイ南部シンゴラへの陸軍部隊の奇襲上陸と海軍による真珠湾への奇襲攻撃から、1942年5月初旬の珊瑚礁海戦の結果としてのポート・モレスビー海路攻略作戦の中止まで。
第2期「戦略失敗による態勢逆転と大量餓死」段階:
 1942年6月のミッドウェー海戦における日本海軍の大敗北と8月の米軍ガダルカナル上陸を経て、ガダルカナルとニューギニアでの激戦。さらに、8〜11月にかけてのソロモン海、南太平洋での4回の海戦と航空兵力のいちじるしい消耗を経て、1943年2月のガダルカナル島撤退まで。
第3期「死守・撤退の中での棄民と玉砕の悲劇」段階:
 ガダルカナル島撤退から、1944年6月のマリアナ沖海戦でのさらなる敗北と、同年7月のインパール作戦の失敗、サイパン島などマリアナ諸島での玉砕と放棄まで。
 第4期「壊滅的敗退と軍民無差別大量死」段階:
マリアナ諸島放棄から、1944年10月のレイテ沖海戦での日本海軍のほぼ全滅に続くレイテ戦、1945年2月の硫黄島戦、沖縄戦、米軍による日本本土無差別爆撃を経て1945年8月の敗戦まで。

  この時期区分からも分かるように、日本帝国陸海軍が攻勢を見せたのは最初の半年のみで、その後は、アジア太平洋各地で、多くの将兵と日本人(朝鮮人、台湾人を含む)市民、さらには数多くのアジア諸民族の人々を残酷な死に追いやる連続の、長くて実に破壊的な3年3ヶ月間であった。単に多くの人間生命が失われただけではなく、広範に及ぶアジア太平洋各地の文化と自然環境がこれほどまでに深刻な打撃を被ったことは、それまでの歴史上で初めてのことであった。

 日本軍将兵の大量餓死・玉砕は太平洋戦争開始から早くも8ヶ月で始まっているが、その主たる理由は、
1)日本軍の「短期殲滅作戦」=敵を包囲して猛烈な攻撃を速戦・即決で展開して短期間で勝利をおさめるという作戦にあった。しかし、十分な兵站(食糧・弾薬など)を持たずに、大胆に殲滅戦を速戦・即決で展開して一気阿成に戦闘を終わらせるには、将兵たちが並外れた強靭な戦意を持っていなければならない。そこで日本軍は極端な精神主義をとった。その悲惨な結果はすでに第2期から見られるが、第3期になると、さらに殲滅作戦の失敗が続き、敵を殲滅させるためには自分たちが殲滅するまで徹底攻撃することを強いられ、それは当然「玉砕」につながった。(中国での、十分な兵站を持たない短期殲滅作戦は、抗日軍に協力的とみなされた町村落での、奪い尽くす、焼き尽くす、殺し尽くすの、いわゆる「三光作戦」へとつながった。)

2)敵=米軍の威力(兵器、食糧、医薬品など物理的な広義の意味での「軍事力」)を甘く見ていた。経済力の極端な差を最初から無視して始めた戦争であるため、国家をあげての総力戦(物的と人的の両方の資源を最大限に活用する戦争)では、とうてい太刀打ちできなかった。(米国の当時のGNPは日本のほぼ12倍!)日本軍は各地で食糧「現地調達」=強奪を行ったが、強奪するような住民もいないジャングルでは、大量餓死へとつながった。
(15年戦争での日本軍将兵の死亡者総数は約230万人、そのうち140万人、すなわち6割が飢餓あるいは栄養失調が原因での様々な病気による死亡者。ニューギニアには合計約16万人の兵が送り込まれたが、その94%が死亡。死亡者は、ほとんど餓死または病死。奥崎謙三のドキュメンタリー映画『ゆきゆきて神軍』でも明らかなように、日本軍には「人肉食」が蔓延。)

3)東京の大本営参謀本部のスタッフたちにはジャングル戦の経験が全くなく、中国の大平原での自分たちの戦争経験だけを元に、地図だけを見て作戦を作り、命令を下していた。そのうえ、南太平洋のジャングル地帯の戦闘地域に派遣された日本軍部隊の多くが、ジャングル戦での訓練を全く受けていなかった満州駐留部隊であった。

2)小説『ガ島』、『玉砕』が象徴する実際の戦闘における餓死・玉砕・残虐行為
*小説『ガ島』のモデルとなったガダルカナル島の戦闘:
 1942年5月初旬、ポート・モレスビーを攻略するためにニューギニアに向かっていた日本海軍艦隊は、ソロモン諸島とニューギニアの間の珊瑚海で米海軍艦船と遭遇、大海戦を展開し、大打撃を受けた。そのため、ポート・モレスビー攻略作戦は中止。このポート・モレスビー攻略作戦の際に、その攻略の前線基地にするために、アメリカとオーストラリアを分断する戦略の要衝であるソロモン諸島東端のフロリダ島のツラギを占領していた。
 7月上旬から、そのツラギの対岸にある小島ガダルカナル(いわゆる「ガ島」)に設営隊・守備隊の合計約3千名を送り込み、飛行場を造成しつつあった。その完成寸前の8月7日、米軍は1万人を超える数の海兵隊を一気に投入し、ツラギも含めて制圧して飛行場も確保。このガ島奪還を目指す日本軍は、なんらの情報収集もせずに、軽装備の部隊を次々と送り込んで壊滅させるという失敗の繰り返しを半年間も続けた。その上、ガ島確保によって、米軍側がこの地域の制空権・制海権を握ったため、日本軍は武器弾薬、食糧、医薬品も送ることができず、結局は、1943年2月の撤収までに、上陸した兵士31,400名のうち20,860名が死亡、このうちの1万5千名ほどが餓死またはマラリヤなどによる病死者であった(このため、ガ島はしばしば「餓島」と記される)。
 小田実は、この「ガ島」での戦闘をモデルに、猛烈な経済膨張を始めていた1970年代の日本の海外投資、日本人によるアジア太平洋地域住民蔑視(日本人/白人中国人太平洋島民という人種序列)、戦争遺族の(父親の死に様を知りたい)心理、など様々な要素を組み合わせながら、最終的には読者をすさまじい夢想の世界へと連れ込み、戦争のおぞましさを抉り出す。

*小説『玉砕』のモデルとなったペリリュー島の戦闘:
 ミッドウェー海戦で大敗して多くの空母を失った日本帝国海軍は、空母不足を島嶼基地航空部隊でおぎなうという政策をとるようになった。1941年の開戦時にすでに1,200メートルの長さの滑走路2本が作られていたリリュー島(現在はパラオ共和国の一部、南北9キロ・東西3キロの小島)の飛行場も、その結果、拡充されるようになり、防備・防諜強化の観点から、1943年9月〜44年8月に、島民1,060名(現地住民899名、日本人160名、朝鮮人1名)の全員が、パラオ本島とコロール島に強制移住させられた。したがって、幸いにして、44年9月に戦闘が始まったときには、島には民間人は全くいなかった。
 米軍は、フィリッピン攻略作戦を開始する前に、このペリリュー島の飛行場と日本軍を壊滅させておく必要があると考え(ミンダナオ島の米軍攻略部隊にここから航空攻撃をかけてくるという心配から)、1944年9月15日に、12,000名あまりの第1海兵師団で攻略開始。迎え撃つ中川州男大佐率いる第14師団を中心とする10,900名の日本軍(このうち約3千名は朝鮮人労務者)は、それまでの太平洋の島々での海岸線における短期玉砕攻撃という戦闘方法はとらず、できるだけ長期間にわたって敵に打撃を与え続けるという持久戦法をとることにした。そのために、コンクリート並みに硬いサンゴ礁でできている島の地質と、500以上ある洞窟を利用し、洞窟に坑道を縦横に掘ってつなげて要塞化し、そこに閉じこもって米軍を狙い撃ちにするという作戦をとった。ガダルカナル戦で米軍最強とうたわれた第1海兵師団は次々と死傷者を出し、壊滅状態に陥った。結局、11月25日まで74日間にわたって文字通りの死闘が続き、米軍は陸海両軍で合計47,561名を投入、2,336名の戦死者、8,450名の戦傷者、2,500名以上の戦病者を出して、ようやく勝利。日本軍側の生存者は、10月末にはわずか500名ほど。食糧も弾薬も底をついた11月24日に玉砕を決定し、中川大佐は拳銃で自決、幹部2名の将校が割腹自決。翌日、55名の残存兵によって敵陣に「玉砕攻撃」。最終的に、日本軍側の戦死者は10,695名(死亡率98%)、戦闘中に米軍の捕虜となった者202名、戦闘が終結した後も洞窟を転々と移動して生き延びた者が34名。これらの生き残り兵が米軍に投降したのは、なんと敗戦から2年半以上過ぎた1947年4月21日のことであった。
 信憑性はひじょうに薄いが、中川大佐配下の独立歩兵第346大隊の大隊長(少佐)である人物の愛人である「慰安婦」がパラオのコロール島からペリリュー島にやってきて日本軍と一緒に戦い、最後に機関銃を乱射して86名の米軍兵を殺傷して玉砕したという伝説が残っている。小田実は、この伝説も小説に利用している。
 持久戦の末に玉砕というペリリュー島でとられた戦闘方法は、硫黄島、さらに沖縄での戦闘に継承されていった。
 1945年2月19日、米軍は3万発におよぶ猛烈な艦砲射撃に続いて、7万5千人の兵力を動員する大編成軍を硫黄島に上陸させた。迎え撃つ日本軍は、栗林忠道中将が率いる守備隊2万3千人で、延長約18キロにもおよぶ坑道陣地にたてこもって持久・ゲリラ戦の戦法をとった。3月27日の栗林の自決まで、太平洋戦線でもっともすさまじい死闘が続いたが、この戦闘で日本軍は21,304人が戦死(死亡率93%)、米軍側も戦死傷者が約2万3千人に達した。硫黄島を確保した米軍は、ここに航空基地を建設して、日本本土爆撃に向かうB29爆撃機を護衛する戦闘機を配備。またB29の燃料補給や不時着飛行場としても活用した。
 小田実は「玉砕」が避けられない日本軍の兵士たちの心理=「玉砕」は避けられないが「犬死はしたくない」という苦渋の葛藤、差別に抗するために志願したため日本軍の「玉砕」に否応なく巻き込まれるが、これまた「死んでたまるか」と苦しむ朝鮮人、「玉砕」する兵士への愛に自分の命をかけることにしか生きがいを感じられなくなるまで追い込まれた日本人慰安婦の哀しみ等々、死を目前にした各人の心理を痛切に小説『玉砕』で描いた。2006年にドナルド・キーン訳で出された英語版は、BBCでラジオ・ドラマ化された。
 『玉砕』を読んでいて、クリントン・イーストウッドが2006年に制作した映画『硫黄島からの手紙』のシーンが、まざまざと思い浮かぶ。この映画は、同じくイーストウッドが制作した映画『父親たちの星条旗』(原作はジェイムズ・ブラッドリーとロン・パワーズ)とツイになっている名作。『硫黄島からの手紙』は、アメリカが制作した太平洋戦争映画としては、敵である日本兵をはじめて「人間」として、彼らの心理的葛藤、苦悩を詳細に描いた傑作であると私は思う。

3)ナウル島における日本軍の残虐行為:ジャングル戦も玉砕もなかったケース
*ナウル島=私自身の調査研究の対象となった島の一つ
  現在のナウルはナウル共和国(人口9,300人ほど、国土面積21平方キロ、世界で3番目に小さい国<バチカン市国、モナコ公国に次いで>)。1888年にドイツ保護領、翌年にリン鉱石が採れることが分かり、1906年から採掘開始。1914年、第一次世界大戦中にオーストラリアが占領し、イギリス領となる。1920年、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドの3国の委任統治領となり、リン鉱石採掘権は「BPC英国リン鉱石委員会」が取得。リン鉱石はオーストラリアとニュージーランドに送られ、弾薬と肥料の生産原料として使われた。
*1942年8月22日:
 日本帝国海軍爆撃機8機による爆撃と巡洋艦・有明による艦砲射撃に続いて、百名ほどの先遣部隊が上陸し占領。日本軍が侵攻してくる半年前に、ナウルのリン鉱石関係の仕事に従事していたほとんどの白人(主としてオーストラリア人)とその家族たちは、オーストラリアに引き上げていた。残っていた白人は5名のオーストラリア人(うち2人は医者と看護師、3名はBPC関係者)と2人のヨーロッパから派遣されていた宣教師のみ。ナウル島民人口は約1,800名、その上に、リン鉱石労働者として働いていた約190名のギルバート島民と約200名の(香港からの)中国人。リン鉱石採掘は、南洋興発会社が運営。
*1942年11月:
 飛行場建設のため千名以上の労働者(半分は日本人、半分は朝鮮人)が送り込まれ、ナウル島民も建設に従事させられた。
*1943年3月:
 ナウル駐留の海軍部隊(工兵隊員も含める)兵数は、1,400名を超えた。その後間もなくさらに増員され、最終的に駐留部隊兵数が2,681名と朝鮮人建設労働者1,054名の合計3,735名という大勢が、この小島に滞在。
*1943年3月末:
 ナウルの飛行場が15機の米軍爆撃機による攻撃を初めて受け、滑走路が爆撃された上に、8機の爆撃機と8機の戦闘機が破壊された。その直後、5名のオーストラリア人を処刑。
*1943年6〜8月:
 ナウルを含む内南洋離島の制空権、制海権が米軍に握られたため、トラック諸島からのナウルへの食糧輸送が困難となり、食糧が欠乏。食糧消費量を減らすために、ナウル島民1,800名のうち1,200名を2グループに分け、トラック諸島に6月と8月に強制移動。宣教師2名もこれに同伴。
*1943年7月:
 食糧消費量を減らすためのさらなる手段として、ナウル島に設置されていたハンセン氏病患者専門病院の患者39名全員を小舟に乗せ、その小舟を艦船で沖合まで引っ張って行き、患者全員を射殺し、舟も沈没させ投棄。
*1943年9月:
 9月8日にはイタリアが連合軍に無条件降伏したため、連合国側は米軍戦力の一部をヨーロッパ戦線からアジア太平洋戦線に振り向けることができるようになった。日本はこれまでの敗退の連続も考え、戦略の根本的再検討を迫られた。そこで、9月30日の御前会議で「今後採るべき戦争指導大綱」を決定し、「大東亜共栄圏」を縮小する「絶対国防圏」なるものが設定された。これによって、絶対確保すべき要域が、太平洋「北端の千島東の小笠原諸島・マリアナ諸島(サイパン・テニアン・グアム) - 南端の西部ニューギニア・スンダ 西はマレーからビルマまで」を結ぶ線とされた。縮小されたとはいえ、いまだアジア太平洋の広域にわたる地域が「絶対国防圏」とされたが、それは日本の(経済的、軍事的)占領能力をはるかに超える地域。
しかし、その結果、この「絶対国防圏」の外にある南太平洋の最大の基地ラバウルの約10万の駐留兵、東部ニューギニアの密林で飢餓状況で闘っていた10数万の将兵、マーシャル諸島ほか(ナウルを含む)いわゆる内南洋離島の駐留兵12万人と1万人ほどの官民たちは置き去りにされ、見捨てられることになった。つまり、かれらはその後の2年間ほど「自活」して生き延びなければならなくなった。換言すれば、「絶対国防圏」は、30万人以上の自国民を「棄民」するという政策と裏腹になったものだった。
*戦中のナウル島民:
 トラック諸島に移住させられたナウル島住民は、トラック諸島のうちの無人地域で畑耕作には適さない土地に拡散して住むことを強制された。生き延びるために、若い女性の中には日本軍兵士に性的奉仕をして食糧をえる者も出てきた(オーストラリア軍が戦後聞き取り調査をやっているが、この問題については詳細不明)。1,200名のうち、終戦までに461名が死亡(死亡率38.4%)、461名のうち飢餓と栄養失調で亡くなったのは190名(41%)。生存者が帰島できたのは、1946年1月になってからであった。一方、ナウル島の日本軍は連合軍とは全く戦うことなく、よって玉砕することなく、なんとか自活して生き延びた。
 ちなみに、太平洋には、日本軍が守備隊を配置した大小様々な島が25あった。そのうち米軍が上陸し占領したのは8島にしかすぎず、重要ではないと見られた残る17島を米軍は戦線の背後に放置しておいた。8島で玉砕した数は11万6千人。孤島に取り残されたのは16万人で、そのうち4万人ほどが米軍と闘うこともなく餓死、または熱帯病で死んでいった。

(ナウル島の日本軍残虐行為に関する私の論考は、残念ながら英文でしか発表していない。機会があれば日本語でも出版したい。英語論文は:
 https://apjjf.org/-Yuki-Tanaka/3441/article.html この論考は昨年出版された新版の Hidden Horrors: Japanese War Crimes in World War II (Roman & Littlefield, 2017)の一章として収録。

4)天皇制と戦争責任:明仁の慰霊の旅の意味するもの
 天皇明仁は妻同伴で、日本国内のみならず沖縄をはじめ太平洋の島々にまで足をのばし、「戦没者の霊を慰める」という「慰霊の旅」も続けてきたことは周知のところ。例えば、2015年4月には、パラオ島とペリリュー島への「慰霊の旅」に出かけ、これをメディアが盛に報道。戦没者に対する明仁の真摯な態度と慈悲深さが絶賛された。パラオに向けて旅発つ直前に明仁が発表したメッセージの中には、次のような言葉が含まれている。

本年は戦後70年に当たります。先の戦争では、太平洋の各地においても激しい戦闘が行われ、数知れぬ人命かが失われました。祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ身となった人々のことかが深く偲ばれます。………
終戦の前年には、これらの地域で激しい戦闘が行われ、幾つもの島で日本軍が玉砕しました。この度訪れるペリリュー島もその一つで、この戦いにおいて日本軍は約1万人、米軍は約1,700人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います。」
(強調:引用者。なお、米軍戦死者約1,700名という数字は実際の死亡者数より500名以上少ない)

 ペリリュー島での戦闘中、天皇裕仁は日本軍を鼓舞するため、隊長であった中川州男大佐に11回もの嘉賞(「お褒め」の言葉)を送っている。戦闘に勝目が全くないことは当初から分かっており、しかもその結果が98パーセントという死亡率であったということは、この嘉賞は、「汝らは死んで朕につくせ」という命令を、間接的に「嘉賞」という形で幾度も繰り返し表現したに過ぎないのである。

 熱帯地域で餓死・病死に追いやられ、なんとか生き延びても「玉砕」という自殺行為を強いられた、このような無数の兵たちを「祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ身となった」という美辞麗句で表現することですませ、あの戦争は本当に「祖国を守る」ための戦争だったのか、何のための戦争だったのか、とりわけ、いったいその責任は誰にあったのかは一切問わない。彼ら「帰らぬ身となった」者たちは、はっきり言えば「犬死に」したのである。彼らの死は、「悲惨、無意味、一方的に殺戮された」結果の死、つまり小田実が喝破したように「難死」以外のなにものでもない。しかも「難死」させられた者は、これまた小田が適格に述べているように、国家によって見捨てられた「棄民」である。しばしば我々が耳にする天皇や政治家たちの言葉、「戦争犠牲者のうえに戦後の日本の繁栄がある」などというのは詭弁に過ぎない。彼らの「難死」は戦後の「繁栄」とはなんら関係のない、「犬死に」以外のなにものでもなかった。

 明仁のみならず、明仁を見習う天皇家一族の「慈悲深さ」がメディアで絶賛され続けている。同時にほとんどの日本国民が、そうした報道をなんの疑問も感ぜず全面的に受け入れ、明仁と美智子を深く尊敬し、二人の慈愛活動をいたくありがたがっているのが現状である。「このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」という明仁の言葉を真に実践し、「犬死に」させられた人間のことを記憶に留め、同じような歴史を繰り替えさないようにするために絶対不可欠なことは、日本人は「なぜゆえに、このような悲しい歴史を歩まなければならなかったのか」、「そのような悲しい歴史を作り出した責任は誰にあるのか」という問いである。ところが、明仁の「ありがたいお言葉」には、「悲しい歴史」を作り出した「原因」と「責任」に関する言及は、どの「慰霊の旅」でも常に完全に抜け落ちている。最も重大な責任者であった彼の父親、裕仁の責任をうやむやにしたままの「慰霊の旅」は、結局は父親の責任を曖昧にすることで、国家の責任をも曖昧にしている。つまり、換言すれば、明仁・美智子の「慰霊の旅」は、本人たちが意識していようと否とにかかわらず、裕仁と日本政府の「無責任」を隠蔽する政治的パフォーマンスなのであるが、この本質を指摘するメディア報道は文字通り皆無である。それどころか、日本国家には戦争責任があるという明確な意見を持っている進歩的知識人と呼ばれる者たちの中にさえ、こと明仁の「慰霊の旅」については、この本質を見落とし、明仁尊敬の念を表明する人間が少なくないことに、筆者は少なからぬ驚きを覚える。

  「慰霊の旅」の目的は、もっぱら日本人戦没者の「慰霊」であって、日本軍の残虐行為の被害者の「慰霊」が行われることはほとんどない。時折、「お言葉」の中で、きわめて抽象的あるいは一般的な表現で連合軍側やアジア太平洋地域の国々での「戦争の犠牲者」について触れることはあっても、いずれの「慰霊の旅」でも中心はあくまでも日本人戦没者である。2005年6月、明仁夫妻の初の海外慰霊の旅となったサイパン訪問では、多くの日本人が崖から身を投げて自殺した「バンザイ・クリフ」の前で、2人は深々と頭をさげた。この旅では韓国人犠牲者の慰霊塔にも訪れたが、実は、これは当初の日程には含まれていなかった。ところがサイパン島の韓国人住民が明仁に謝罪を求めて抗議運動を起こしたために、急遽行われたのである。謝罪はなかったが、この後で抗議運動は静まったとのこと。 
 
 したがって、明仁夫妻の旅は、裕仁の「巡幸」と同じく、結局、日本人の「戦争被害者意識」を常に強化する働きをするが、日本軍戦犯行為の犠牲者である外国人とその遺族の「痛み」に思いを走らせるという作用には全く繋がらない。すなわち、日本人の「加害者意識」の欠落を正し、戦争被害を加害と被害の複合的観点から見ることによって、戦争の実相と国家責任の重大さを深く認識できるような思考を日本人が養うことができるような方向には、「慰霊の旅」は全く繋がっていない。こうして、「日本国、日本人は戦争被害者でこそあれ加害者などではない」という国家価値観が作り上げられ、それが今も国民の間で広く強固に共有されている。そればかりではなく、非日本人の戦争被害者、とりわけ日本軍の残虐行為の被害者には目を向けないという排他性が、日本人の他民族差別と狭隘な愛国心という価値観を引き続き産み出す、隠された原因ともなっているのである。そのような価値観を共有することが国民の知らないうちに強制されていくという、「国家価値規範強制機能」が天皇の「象徴権威」にはある。



2018年7月8日日曜日

講演案内

* 神戸講演
113回「小田実を読む」田中利幸さんが語る「太平洋戦争と小田実」

     発起人/北野辰一(文責)、山村雅治、北川靖一郎、川島智子、玄順恵

田中利幸さんのお話を私が初めてうかがったのは、「手塚治虫と小田実」であった。その後、遅ればせながら田中利幸さんの書かれた講談社現代新書の『空の戦争史』を手に取った次第である。
今回は、「太平洋戦争と小田実」という演題でお話しくださると云う。根が単純な私は、どうしても手塚治虫のお話をされた時の印象があるせいか、この南方の戦の話と聞くと、すぐ水木しげるの『ラバウル戦記』(ちくま文庫)を思い出してしまう。当時・ニューブリテン島(現・パプアニューギニア)の野戦病院に送られた水木しげるは、そこで病院を抜け出し原住民の〈森の人たち〉との心温まる交流の話は、ラバウルの最前線ズンケンでの悲惨な戦争体験と好対照で、印象に残る話であった。手塚治虫も戦争を題材とした漫画がある。が、水木しげるにも、一兵卒としてズンケンからバイエンへ送られ一人だけ奇跡的に生還した体験や、爆撃で負傷した腕を腐ったため切断した体験なども漫画にしている。
話によると、田中利幸さんも太平洋戦争で被害にあった島々のフィールド・ワークをされた経験がおありだとうかがい、今から楽しみ……というと内容的に不謹慎ではあるが、私たちの知らない、また気づいていないことを辛口にお話いただけるのではないかと今から期待はつのるばかりである。小田さんの作品では、南方の戦争をあつかったものとして『ガ島』や『玉砕』などの長篇小説がすぐ頭に浮かぶ。勿論、短篇や未完の作品まで含めれば、太平洋の島々で「大東亜戦争」として戦われたものは意外とある。それらはきっと当日、田中利幸さんが、ご自分の体験も含め、戦争で亡くなった兵士から、ともに亡くなった元々そこに住む島民たち、戦争に翻弄された記憶を家族の中で持つものは、戦後も苦労されたことなどきっと話されるに違いない。また「小田実没後10年の集い」で話された、天皇制についても触れないことはないだろう、と勝手に思っている始末である。どうぞ当日は多くの方をお誘いの上おこしください。

日  時  2018728日(土)14:0017:00
会  場  あしや市民活動センター リードあしや 2階号室
(芦屋市公光町5-8)
講  話  「太平洋戦争と小田実―戦争責任を問う」
講  師  田中利幸(歴史家、「86ヒロシマ平和への集い」代表)
資料代   1,000 円           


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*東京講演
シ リ ー ズ 公 開 学 習 会 ヒ ロ シ マ・ ナ ガ サ キ と ア ジ ア 
講演:田中利幸さん(歴史家/86ヒロシマ平和への集い」代表)
国家主義を突き破る人道主義 栗原貞子の思想と沼田鈴子の実践から学ぶべきもの

ヒロシマの被爆者でありながら、日本国家が犯した侵略戦争の加害と向きあった、詩人・栗原貞子さん。 同じく被爆者でありながら(広島の陸軍第5師団が虐殺を行った)マレーを訪れ、被害者に謝罪した沼田鈴子さん。 2人の思想と実践から、私たちは学ぶべきことが多くあると考え、豪州在住の田中利幸さんにお話を伺います。

810()1830分〜2030
武蔵野公会堂・第1会議室先着 50 資料代 700  
問合せ;090-2647-3722 植松 uematsuseiji@gmail.com

残念ながら日本の被爆者による市民運動は、一般的には、もっぱら自己の被害に焦点を当てる「反核・平和」運動に片寄っており、日本国家が犯した侵略戦争の膨大な数にのぼるアジア・太平洋地域の被害者の「痛み」を自分たちの「痛み」と共に内面化するような運動ではありませんでした。そうした被爆者の中にあって、詩人・栗 原貞子と証言活動家・沼田鈴子は異色の存在でした。栗原の作品と沼田の実践活動には狭隘な国家主義を突き破る力強い平和構築のメッセージ、戦争の被害と加害の両方に鋭く目を注ぐ深い人道主義が横たわっていました。 極右国家主義を推し進める安倍政権という政府を持つ日本の現状に直面する私たちは、今もう一度、栗原と沼田という二人の女性が残した思想と実践から、強靭な、真に普遍的な人道主義をいかにすれば自分たちのものとできるかについて学ぶべきときではないでしょうか。(田中利幸)
講師田中利幸さん
(歴史家、86ヒロシマ平和への集い」代表)

主催;「ヒロシマ・ナガサキとアジア」研究グループ(仮称)
2018 1月より沼田鈴子さんの人生と行動を学ぶ、という趣旨で学習会開始。5月、田中利幸さんと意見交換会を行い、再度お話を伺いたいと考え、今回の学習会を企画しました。