2020年1月29日水曜日

今、日本で起きていること、広島で起きていること


  天皇裕仁と(安倍晋三の祖父)岸信介を含む多くの政治家や軍人の戦争責任を隠蔽し、裕仁を「平和主義者」であったなどという大嘘の神話をつくりあげて「平和憲法」を設置し出発させた日本の「戦後民主主義」が、当然ながら、もともと脆弱ではなはだしく歪んだ形の「民主主義」であったことを、私はこれまで機会があるたびに述べてきましたし、昨年は単著と言う形で活字にもしました(『検証「戦後民主主義」:わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』<三一書房>)。そんな「戦後民主主義」は、近年、安倍晋三内閣の下で文字通りボロボロ状態にされてしまったと言っても過言ではないと思います。
  憲法9条をないがしろにし、政治権力を私物化して、やりたいことはやり放題の上に、嘘は言い放題。親分がそんな不遜な態度ですから、子分どもが同じようにやりたい放題、嘘は言いたい放題の態度をとることも当然。杉田水脈のように、子分は親分に忠誠心を示すために、安倍の気にいるような野卑なヤジを国会でとばす。批判されると虚偽と欺瞞で言い逃れ、責任は一切とらないどころか、批判した相手の信用を汚い手法を使っておとしめる。これはもはや「政治家集団」と呼べるようなものではなく、無責任極まりない連中の集まりである「ヤクザ集団」が日本の政治を動かしていると描写すべき状態です。
  なぜ日本の「戦後民主主義」はこれほどまでに低劣なものにまで劣化してしまったのでしょうか?いろいろな理由があげられると思いますが、その中でも私が決定的に重要だと思うのは、自国の重大な戦争犯罪者の責任をうやむやにしてしまい、侵略戦争により数千万人のアジア人を被害者にした国家の罪を徹底的に償うことをせず、さらには、米国が原爆を含む無差別空爆で大量殺戮したという、自分たちに対して犯した犯罪を徹底的に追及することもしてこなかったことです。そのため、わたしたちの「正義感」が完全に堕落してしまったことに原因があると私は考えています。
  権力者たちは、「法治国家」という形式的な概念を自分たちの権力を正当化し維持するために常に悪用します。法治国家が本来の法治国家として機能するためには、その法治国家の公正さが常に再生され続け、活用され続ける必要があります。そのためには、政治的、社会的な正義感が国民の間に深く根づき、強く働いていなければなりません。つまり、それは単に法を知識として理解しているだけではなく、さまざまな政治的、社会的な出来事が道義的に正しい(=正義な)のか、それとも不正(=不正義)であるのか、それを識別判断する能力をわたしたちがもっていなければなりません。その能力が「正義感」であり、同時に、不正である場合には、その不正を正す強い意志が「正義感」です。
  この正義感を養うためには、不正=罪に対する深い認識が必要ですが、日本の場合、侵略戦争で犯したさまざまな残虐な戦争犯罪という罪に対する認識を国民的規模で深めることを、戦争直後から怠ってしまい、その後ずっと怠ってきました。こうした状況を作り出したのは、単に日本政府だけではなく、日本を占領した米軍(=米国)も加担していたことは言うまでもありません。そしてその米国も、多くの日本市民を無差別空爆で大量殺戮した罪を罪として明確に認識することをこれまで長年怠ってきたため、正義感が堕落してしまい、現在のトランプ政権のような無責任な政権を作り出してしまったのです。かくして、現在の「民主主義」と「日米軍事同盟」は、正義感を堕落させた日米両国政権の共同謀議で産み出されたものなのだというのが私の解釈です。
  不正=罪に対する深い認識の上に立った正義感は、現在の政治社会状況に立ち向かうために必要なだけではなく、未来に向けてわたしたちの「倫理的想像力」を養うためにも不可欠です。自分たちの両親、祖父母、それ以前の世代が犯した「国家的不正=罪」の被害者の痛みに想像力を働かせ、その痛みを自分たちのものとして共有し、内面化することで、将来、同じような不正を自分たちも犯さないし、また誰にも犯させない、という「倫理的想像力」を身につけるためには、正義感が不可欠だと私は信じています。安倍政権が起こしているさまざまな問題からは、安倍晋三親分と彼を取り巻く子分どもの徹底した正義感の欠落、徹底した倫理的想像力の欠落を感ぜざるをえません。その点で、安倍は「お爺ちゃん」の文字通り「申し子」なのです。「慰安婦」や「徴用工」問題に対する安倍政権の対応でも、社会的、政治的な正義感や倫理的想像力のカケラすら感じません。
  日本の場合、ドイツと違って、こうした強い正義感と倫理的想像力をもった政治家がもはやほとんどいないというは、国家的不幸です。この点でのドイツとの対照的な違いは、最近、メルケル首相がアウシュビッツで、シュタインマイヤー大統領がエルサレムのホロコースト記念館でそれぞれ行った感動的な演説の内容からも明確です。二人の演説からは、ジェノサイドを犯した加害国が長年の苦闘と努力で養ってきた国民的規模での正義感と倫理的想像力の素晴らしさが、心に浸み込んできます。
  残念ながら、広島の「反核運動」にも、私は正義感と倫理的想像力、とりわけ戦争加害者・加害国としての正義感と倫理的想像がひじょうに薄弱、いやほとんど不在だと感じています。また広島市近辺の呉や廿日市でもひじょうに憂慮すべき事態が起きています。
  下記は、広島の活動仲間である岸直人さんからいただいた情報です。お目通しいただき、ご協力をいただければ光栄です。

田中利幸
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   私たちは呉教科書裁判に取り組む間、自衛隊の第六潜水艇追悼式への児童参加中止要請(佐久間艇長の行動は業務上の過失行為、賛美すべきではないこと)、などを通して自衛隊が深く学校教育に侵入してきている実態を体感してきました。昨年末には呉鎮守府開庁130周年を記念して、海上自衛隊音楽隊と呉市立高校吹奏楽部とがあろうことか呉市議会で合同演奏を行う「事件」や、同じく昨年秋自衛隊員が銃器を持ち呉市内を走り抜ける訓練をするなど、呉市や教育委員会と結びついた広報活動が活発に行われています。
これは呉市だけのものではなく、廿日市市や県内外全国的に、狙いを付けた行政への侵入を実行しているものと思われます。市長や教育委員会を抱き込み、学校や自衛隊関係者だけの閉鎖的な空間で実施するので、一般市民が気づくことが遅れるように思います。
また、相手が自衛隊なので「たてつく」のは気が引けます。 しかし、無批判に教育現場に軍事的影響力を入れることを許すことはできませんから、この取り組みを始めることにしました。
どうぞ、よろしくお願いします。
岸直人

「廿日市市の中学校吹奏楽部と自衛隊音楽隊との
コラボコンサート中止要請」について賛同のお願い

教科書問題を考える市民ネットワーク・ひろしま   
共同代表: 石原顕 内海隆男 菊間みどり 柴田もゆる
連絡先:事務局 岸直人(090-6830-6257)

  廿日市市では2018年度から自衛隊音楽隊と中学校吹奏楽部とが「コラボ演奏」をする「ふれあいコンサート」が行われ、2019年度は2回目の演奏会が行われました。自民党、安倍内閣が憲法第9条に自衛隊を明記する改憲を進める中、憲法違反の「戦争法制」が成立し、今や実質「中東派兵」により自衛隊は外征軍へと急速に変貌を遂げています。
  1月11日、海上自衛隊那覇基地からP3C哨戒機部隊が中東に派遣され、2月2日には海上自衛隊横須賀基地から護衛艦「たかなみ」が出港します。名目は防衛省設置法に基づく「調査・研究」とされていますが、バーレーンの米海軍第5艦隊司令部に連絡要員が派遣され、そこで得られた情報は米国などと共有される事実上の共同軍事作戦行動です。現地で日本関係の船舶が攻撃を受けた場合は、自衛隊の武力行使が可能となる事態になっています。
 このような状況の中で、廿日市市と教育委員会は上に述べた自衛隊の現実を生徒に知らせ考えさせることなく、中学生たちが自衛隊音楽隊の「演奏の素晴らしさ」に魅了され、自衛隊を好きになることで、自衛隊入隊募集の手助けをしているのです。私たち市民は自衛隊による実質勧誘活動に市や教育委員会が協力することに反対し、「コンサート中止の要請」を2月上旬に提出します。つきましては、廿日市市内だけではなく県内・全国の市民や市民団体の皆様の「賛同」により「中止要請」の応援をしていただきたいと思います。 

賛同団体名:
(共同)代表者名:
送付先(教科書ネット・ひろしま事務局 岸直人):famkjp@kdr.biglobe.ne.jp 
「個人賛同」をしていただける方は廿日市市役所に電話、FAX、メール、手紙、ハガキで「コンサート中止要請」を送っていただけると大変ありがたいです。たくさんの市民の要請が行政の判断に影響を与えると思います。
廿日市市役所(〒738-8501 広島県廿日市市下平良一丁目111号) 
電話:0829-20-0001(代表) ファクス:0829-32-1059
メール:https://www.city.hatsukaichi.hiroshima.jp/ques/questionnaire.php?openid=5&check
  
下の写真は、2019年9月21日(土)に廿日市市文化センター「さくらぴあ」大ホールで開催された『海上自衛隊呉音楽隊「自衛隊ふれあいコンサート」』の様子です。待合ロビーでは、自衛隊服、帽子の試着、アンケート記入のお礼にシールなどのグッズの提供が行われました。


2020年1月5日日曜日

この世界状況で、明けましていったい何がおめでたい?!


1)オーストラリア森林火災は人災だ
2)被服支廠保存問題を考える

1)オーストラリア森林火災は人災だ

  年が明けても「おめでとうございます」などとはとても言いたくない状況が、世界あちこちで続いています。米国大統領トランプは、大統領弾劾裁判を避けるためや再選のための人気向上を狙って、イランの革命防衛隊司令官を殺害。その結果、中東の不安定な状況を一挙に軍事衝突の危機にまで高め、すでに米軍約3千人の増派を行う予定とのこと。3千人ですむでしょうか。日本の安倍首相は、こんな危機的な状況の中で、米国支援という旗をトランプに向けて揚げてみせるだけの目的のために、中東海域への自衛隊派遣を決定し、自分はゴルフ三昧という相変わらずの無責任さ。
  オーストラリアは、昨年11月下旬からニュー・サウス・ウェールズ州で始まった森林火災が、12月に入って急速に同州沿岸部の広大な森林地帯に拡大。さらには、12月中旬から続く猛暑のために、隣のビクトリア州北東沿岸部の森林地帯にも火災が起こり、現在もオーストラリアの東南地域一帯の森林火災はいつおさまるのかほとんど見通しがつかない状態です。そのうえ、南オーストラリア州の、リゾート島として有名なカンガルー島はほとんど島全体が焼失。
  これまでに焼けた森林面積は、約1千4百50万エーカーというとんでもない広さ。これは2018年のカリフォルニアの森林火災による焼失面積の3倍、昨年のアマゾン火災の焼失面積の6倍という広さです。死傷者数は現在までのところ23名、行方不明者が6名、火災消失家屋が1500軒ですが、この火災によって死亡したコアラ、カンガルー、ウォンバットや野鳥など多種多様な動物の数は推定5千万匹、いま幸い生き残っている動物がいたとしても餌や水が全くない状況ですので、生き延びることはひじょうに難しいでしょう。オーストラリアの現状は、まさに「catastrophe 大破局」と称すべきものです。







 これは確かに地球温暖化が急速に悪化していることの証左ですが、しかし、こんな大破局に陥るまでにしてしまった原因は、いうまでもなく我々人間にあります。とりわけ、「地球温暖化には科学的根拠がない」と主張してきた政治家たちの責任は重大です。その一人は、オーストラリア首相のスコット・モリソンで、彼は、この大火災が起きている最中に、家族連れで休暇を楽しむために、密かにオーストラリアを離れてハワイに滞在。そのことがメディアで暴露されたため、あわてて帰国。ニュー・サウス・ウェールズ州の州政府の「緊急事態担当大臣」であるディビッド・エリオットも、州が「緊急事態」にあるにもかかわらす、ロンドンとフランスに妻と一緒に休暇に出かけるという、信じられないような無責任政治家。
  周知のように、昨年12月に、「気候行動ネットワーク」は、オーストラリア、日本、ブラジルの三ヶ国を、地球温暖化対策に最も後ろ向きな国に送る「化石賞」の受賞国にしました。オーストラリアは石炭とガスの輸出量で世界一を誇る(?)国で、気候変動対応国57カ国のうちの57番目の最低国となっています(ちなみにウラン輸出量ではカザフスタン、カナダに次いで三番目)。野党がだらしないのは日本だけではなく、オーストラリアでも同じで、最大野党である労働党の党首アンソニー・アルバネーゼは、モリソン首相がハワイで休暇を楽しんでいる頃、石炭輸出の全面的賛成を表明するために炭鉱地域を訪問していました。
  そんなわけで、大火災が起きているにもかかわらず、消火対策が1ヶ月以上たっても後手後手となり、今のような大破局事態に至らせてしまいました。これを「人災」と言わなければ、なんと称すべきでしょうか。オーストラリアの夏はまだ始まったばかりで、猛暑がこれから2月末まで続くでしょう。大火災がおさまるのは、いつになることやら……。馬鹿な政治家が権力を握る国家の国民は、どこの国であれ不幸です。政治家のモラルの激しい低下も世界的傾向、あるいは、低下したモラルしか持たない人間が政治家になっていると言うべきなのか。このめちゃくちゃな事態を変えるには、自分たち民衆の力で社会変革をめざすより方法はありません。今年もたいへんな一年になりそうです。

2)被服支廠保存問題を考える

  昨年末より、広島市内の南区出汐に現在4棟残っている陸軍被服支廠の取り壊し計画が盛んに報道されるようになり、この解体計画に対する反対運動がにわかに注目を浴びるようになりました。被服支廠とは、主として軍服や軍靴を製造する工場のことで、創設されたのは1905年(明治38年)4月で、同年12月に現在地にその工場建物が竣工されたとのこと。敷地は大正初期の時点で7万坪という広大なもので、近隣には陸軍兵器支廠や陸軍要塞砲兵連隊、演習砲台などの施設も設置されました。
  1945年8月6日朝の米軍による原爆無差別殺戮攻撃によって市内の建物は壊滅しましたが、被服支廠は爆心地から2.7キロ離れていたことと、工場の外壁の厚さが60センチとかなり分厚かったため、倒壊や火災もまぬがれて、被爆者救護所として使われました。この建物内でも多くの被爆者が亡くなっていきましたが、広島を代表する詩人の一人、峠三吉がその惨状を「倉庫の記録」や「仮繃帯所にて」という詩にしており、それらの詩は彼の『原爆詩集』の中にも含まれています。
  解体計画に対する反対運動団体 - 例えば「旧被服支廠の保全を願う懇談会」など - の意見を読んでみますと、そのほとんどが、「被爆建物であるから」保存すべきだというもので、しかも、建物を保存してどのように活用すべきか、というアイデアはほとんど出されていません。もっぱら「自分たちの戦争被害」意識の観点にのみたった、典型的な広島の「被爆被害関連資料保存運動」です。
  考えてもみてください。この工場では、海外に派遣された多くの日本軍将兵が着用した軍服や軍靴を生産していたのであり、例えば、1937年12月には、その多くがここで作られた軍服、軍靴を着用していた7万人を超える日本軍将兵が南京市内に侵入し、大量の虐殺、略奪、強姦などの残虐行為を数週間にわたって犯し続けたのです。1942年2月にシンガポールを陥落させた日本軍が、その後3月末までにシンガポールとマレー半島で数万人から10万人にのぼると推定される華僑を虐殺しましたが、この大量虐殺に加わった第5師団歩兵第11連隊所属(本部は広島)の兵員たちも、ここで作られた軍服・軍靴を着用していたはずです。犠牲者は中国人だけではありません。15年という長期にわたる戦争期間中、日本軍に占領された多くのアジア太平洋の地域の人たちが、軍服姿の日本人による様々な残虐行為の被害者となり、女性たちも軍服姿の日本人に怯えおののきながら強姦され、中には強姦された後で殺害された人たちも多くいました。
  こうした被服支廠の歴史的背景を考えるならば、この建物は、単に「被爆建物」として保存するのではなく、「戦争加害記憶遺産」として保存・活用することを真剣に考えるべきなのです。とりわけ広島には、旧軍関連の建物や設備がほとんど残されていませんので、この観点から、被服支廠を保存することはひじょうに重要です。いかにこの建物を、広島の戦争加害と被害の両面から、戦争防止と平和構築のために保存・活用するかという議論を大いにすべきだと私は強く感じています。ドイツには、日本とは対照的に、ナチス軍の様々な施設が再建・保存され、「戦争加害記憶遺産」として平和教育に大いに活用されています。このドイツの経験からも学ぶことは多々あります(ドイツの状況と広島との対照について、詳しくは、拙著『検証「戦後民主主義」:私たちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』三一書房、第5章を参照してください。)
  いずれにせよ、私の尊敬する広島の市民活動家、池田正彦さんの関連論考と、池田さんたちが企画されている石丸紀興さんによる講演プログラムの案内を下に貼り付けます。この問題を考える上でたいへん参考になると思います。

田中利幸
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旧・被服支廠活用について
広島文学資料保全の会・池田正彦

 旧・被服支廠の取り壊しの報道が、今月(2019年12月)あった。いくつかの団体が取り壊し反対の申し入れ、署名による要請を広島県に行ったと伝える。

 広島県は、来年度(2020年)4棟あるうち1棟のみを保存し、2棟を解体する方針を明らかにした。(12月4日に開かれた県議会総務委員会で、所有する3棟のうち1棟のみ保存し、あとの2棟は解体する方針を明らかにした)

 広島大学名誉教授・三浦正幸さんは、「日本で最も古いレベルの鉄筋コンクリートの建造物で、国の重要文化財にも指定される価値がある。日本の将来に禍根を残す」と語り、「財政事情の理由の一つに挙げている点についても、県が建物の価値を広く市民に訴え、寄付を募るなどして、財源の確保に努めるべきだ」という考えを示した。

 さて、私見になるが……いくつかの団体が広島県に「解体反対」の申し入れ、要請を行ったとのニュースが流れたが、不思議なことに、活用については、まったく触れられていない。(保存と活用はセットで語るべきだ) 広義に解釈すれば、現在の状況でも「保存」なのだ。ただ「活用」せず、長い間放置してきただけなのだ。

   広島県は、おためごかしに、これから市民・県民の意見を聞くというが(アリバイづくり……)
結論(1棟のみ保存・2棟解体)を先に出して、意見を聞くという不誠実さこそ問題なのである。広く意見を募り、結論は先延ばしすべきである。(市民団体は県の態度をもっと追及すべきである。)

   多くの報道も、広島県が1棟のみ保存・2棟解体との方針を伝えているが、広島市の連帯責任を追求しているものはほとんどない。(たしかに所有は広島県であるが、「平和・文化都市」を掲げる広島市は率先して平和施策の重要な課題として再生・保存に取り組むべきであり、他人事ではないはずである……広島市長は、保存・活用の費用は負担しないと、発表)

   実は、1992年、石丸紀興さん(元・広島大学教授)を中心に『赤れんが生きかえれ』(旧・陸軍被服支廠倉庫の再生にむけて)被服支廠活用提案がされており、長い間放置してきた責任は誰なのであろう。
 *「提案」は、再生・活用例も具体的に示されており、「広島にとって魅力的な空間を創出する」積極的意味をもっている。

   昨年から今年にかけて、原爆資料館の耐震工事中、たくさんの被爆した暮らしの遺品が出土したが、この出土品の活用・展示先はまだ決まっていない。(それこそ、この出土品を、被服支廠の一空間を利用して展示すれば……被服支廠も、出土品、双方が活きる)
  *だからこそ、広島県は広島市と共同し、保存・活用に向けて積極的なリーダーシップをとるべきだ。……そういう論調もないのも哀しい。

   私は長く「広島に文学館を!」の市民運動に携わってきた。広島市は文学資料収集の予算はゼロであり、残念ながら文学館構想は限りなくゼロに等しい。(広島市は、中央図書館の一角に小さな「文学資料室」を設けているが、多くの人はその存在すら知らない。(資料収集体制、展示・活用の実態はまったく貧弱といわざるをえない)
この被服支廠の一隅を利用し、峠三吉を中心とした「原爆文学資料室」があれば、峠三吉の詩(倉庫の記録)と被服支廠と直接繋がり、平和教育に大きく貢献すると考えるのは、私だけでないだろう。

   あまり知られていないが、ヒロシマを描きつづけた詩画人・四國五郎さんは、この被服支廠に勤務し出征した。現在、四國作品の常設施設は郷土・大和町(小学校の廃校を利用した教室)にあるが、広島市にはない。(四國作品を収蔵している施設もない)反戦・核兵器廃絶を訴えることに生涯をささげた四國五郎さんの生き方・作品は平和教育そのものであり、被服支廠の空間を埋めるもっとも適した作品群である。

   広島復興という視点も必要。
たとえば、一角を、「広島カープの誕生」「広島お好み焼きの歴史」「広島復興を牽引したマツダのバタンコ」など、広島復興の歴史が庶民的感覚で展示。

   被服支廠を広島回遊の拠点に。
宇品港、郷土資料館(旧・糧秣支廠)、広島大学医学部医学資料室(旧・兵器支廠)、旧・日本銀行、アンデルセン、袋町小学校平和記念館、本川小学校平和記念館、平和アパート(戦後復興第一号の鉄筋アパート:峠三吉を中心とした戦後広島ルネッサンスの拠点)、比治山(陸軍墓地など)などなど、マップを作成して多くの人が散策できるようにする。*「平和アパート」は、広島市は取り壊す予定。
*宇品には、当時陸軍輸送船を統括する運輸部がおかれ、そのための施設として、兵器廠・糧秣廠・被服廠がつくられた。宇品は文字通り、兵士・物資を大陸に送る拠点となった。(軍都・広島の歴史の視点も重要である)

   まだまだたくさんの活用についての意見はあるはずである。解体ありきではなく、積極的に「再生・活用」を求める活動が今問われている。

*遅ればせながら、12月18日、朝の記者会見で松井広島市長が保存について態度表明(全棟保存を県知事に要望)をしたとのこと。しかし、 「広島県に要望」にとどまっている。「平和・文化都市」を標榜する市長が、この程度で茶を濁すことを許してはならない。積極的に「平和市長」として、「再生・活用」にむけて、本腰を入れて行動することが今問われている。
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講演案内

旧・被服支廠
赤れんが よみがえれ ― 保存・活用をめざして
広島県は、旧・陸軍被服支廠を所有する3棟のうち1棟を保存し、2棟を解体する方針を明らかにした。この「赤れんが」は、国内最古の鉄筋コンクリートの建物であり、宇品から兵士・物資を大陸に送り出した軍都・広島の象徴的存在でした。
また、被爆時には被爆者の救護所となり、峠三吉は詩「倉庫の記録」(原爆詩集に収録)として惨状をつづった。戦後には、広島師範学校の授業、学生寮、図書館、日通倉庫などに使用され、復興広島の下支えとなった。
拙速に「広島の原風景」を消してはならぬ。保存・活用にむけて多くの県民・市民の意見を集約しよう。

中国新聞(20191220)社説(全棟保存・活用の議論を)のなかでも「重要性をあらためて考慮し、いったん凍結してはどうか。その上で、もう1棟を所有する国と、市の3者で、保存と活用の具体策と財源について早急に協議を始めるときだろう」と、述べている。

演題 赤れんが よみがえれ
講師 石丸紀興さん
   (元・広島大学教授)
とき 1月26日(日)
     午後2時~4時
   *皆さま方からのご意見・提案の時間も設けます。
会場 広島市ひとまちプラザ・北棟6Fマルチメディアスタジオ
   電話 082-545-3911
   (広島市中区袋町・袋町小学校隣)
   *無料

広島文学資料保全の会(広島市中区本川町2丁目1-29-301)
電話・FAX 082-291-7615 メール qqxn4he9k@cap.ocn.ne.jp