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2024年1月29日月曜日

私たちは災害列島に住んでいる

パレスチナ人民は、「抵抗権」を有し、「自衛権」を行使する

 

金沢の市民団体「非核・いしかわ」の代表世話人で、「憲法9条を広める会」の共同代表もされている畏友・五十嵐正博さんが、それぞれの団体のニュースレターの最新号のために書かれた論考を、ご本人のお許しを得てここに転載させていただきます。

五十嵐さんはメルボルンのモナシュ大学法学部で1993年に国際法で博士号を取得されましたが、当時、私はメルボルン大学政治研究学科で講師を務めていました。その頃から親しくさせていただいています。2012年に亡くなられた国際人道法の大家、藤田久一先生から私は個人的に多くを教えられましたが、五十嵐さんも藤田先生と親しくしておられました。五十嵐さんは、その後、金沢大学法学部教授、神戸大学大学院国際協力研究科教授を務められ、2013年に定年退職し、金沢に戻られて市民活動を精力的に続けられています。お連れ合いは元石川テレビドキュメンタリー制作者の赤井朱美さんで、珠洲原発設置に反対する漁師らの暮らしや電力会社、国の原発推進政策の実態を追った「能登の海  風だより」、国策として行われた戦後移民政策を批判した「流転~南米へ渡った民の記録」、金森俊朗先生が担任するクラスの2年間を追った「いのち輝いて」など、素晴らしい番組を制作された、名物ドキュメンタリー制作者です。

 

 

1)年頭所感2024 非核の政府を求める石川の会  

 

私たちは災害列島に住んでいる

五十嵐正博

 

2024年13日、珠洲市から、八時間かけて金沢に戻りました。安堵感、虚脱感、「地獄絵図」を目前にして、何も手伝うことができなかった無力感、惨状から「脱出」してきた「後ろめたさ」、それらが今も交錯しています。本稿は、本年を展望し、希望を記す「年頭所感」ではなく、大災害に遭遇した一人の記録です。

 

能登半島地震に遭遇する

年末年始を珠洲市の友人の「宿」で過ごすのが、ここ数年の習わし。大晦日、皆で「餅つき」をし、その後「そば打ち」、ひと風呂浴びて夕食、ゲストハウスにある銅鑼の音を除夜の鐘代わりに聞きながら、年越しそばを食べて新年を迎えます。「今年こそ、世界中が平和になりますように」と。

元旦、「おせち」を食べ、昼過ぎに「初詣」。三崎町寺家にある「須須神社」へ。宿に戻り、お屠蘇に使った輪島塗の猪口(ちょこ)を戸棚にしまい、厨房にいた午後46分。「緊急地震速報」が鳴ることなく、突然の激しい揺れ(震度5強)、ガラス瓶一つが床に落下。余震が来てもこれ以下の震度に違いない、勝手な思い込みは瞬時に大暗転。「ドカン」という音とともに家全体が崩れるかと思われる激震(震度6強)、とっさに近くにあった手すりにしがみつき、身をかがめるのが精いっぱい。目前で薪ストーブが倒れ、中から燃える薪が飛び出し、煙突がはずれて落下。とっさに「水」と叫び、そばにいた人が水をかけ、大事にならずに済みました。「早く揺れが止まってほしい」と念じつつ、ウクライナ、ガザで、ミサイルがいつ、どこから落ちてくるかもしれない恐怖を共有した瞬間があったような気がします。「死」を覚悟することはなかったでしょうが、わが人生でもっとも恐ろしい、二度と経験したくない出来事でした。

 

避難所へ、そして金沢に帰る

皆で庭に飛び出したものの、次の心配は「津波」、宿の横にある山に登ろうとしましたが、津波は最高で5メートル程度との情報が入り、山に登らなくても大丈夫と判断し、近くの高台にある「消防署」に避難し、車中泊。車のエンジンをかけたり止めたりして(ガス欠を防ぐため)寒さをしのぎました。

翌日(2日)明け方、明かりのついた消防署の建物の片隅でしばし体を休め、携帯の充電もできました。宿の様子を見るため、宿に戻りました。建物の外観は無事、散乱した食器などの掃除をし、備えてあった食材を玄関に集めました。大きな「薪ガマ」は無事で、客の一人(イタリアンシェフ)の手になるリゾットを庭で立って食べました。

ぼくたち夫婦と金沢から来たもう一人の3人で、避難所に指定されている近くの「上戸小学校」に行くことに。幸い、教室の片隅に一人当たり「座布団3枚と毛布1枚」を与えられ、小さなおにぎり一個、わずかの煮物が夕食。自宅の様子をも顧みないで献身的に救援にいそしむ地元の人々。水も電気もない、暖は灯油ストーブだけの一夜を過ごしました。

30年前、原発建設に反対して闘った珠洲の友人たちの安否が心配されました。定宿の主人は、反対運動に関わった友人。被害が特に大きかった高屋、三崎地区、電力三社は、ここに原発4基の建設を強行しようとし、住民が、市役所内に泊まり込んでまで建設を阻止しようとした闘いでした。原発が建たなくて本当に良かった、決して大げさではなく、「この国を救った歴史的な闘い」として記憶されなければなりません。

夜中(2時半ころ)震度5弱の地震。夜が明け、避難所で隣になった家族が、「金沢まで行けるらしい」と準備を始めました。もともと地元の方らしく、土地勘もありそうなので、付いていくことに。7時半出発。道は、陥没、地割れ、隆起、土砂崩れ、倒木がいたるところに。そして渋滞。対向車線は、緊急援助に向かう他府県からの、それぞれ数十台の車列が続いていました。

 

「普通に生きられること」の大切さ:平和に生きる権利

私たちは「災害列島」に暮らしています。「災害は忘れたころにやってくる」どころか、次々に襲う台風、水害、地震。人間が自ら作り出す「地球環境破壊」。戦争は、「悠久の歴史のなかで、人間がごく『最近』創り出したもの」であるから、人間が戦争を止めさせることができます(佐原真『戦争の考古学』)。しかし、

人知で地震を防ぐことはできないとすれば、事前事後の体制が問われます。地震予知研究の進展、発生後の救援体制の整備。フクシマなどの教訓が活かされたのか否か、たった二晩の避難所生活をしただけでも、私たちは、どう生きるべきか考えさせられました。一言でいえば、「普通に生きられることの大切さ、ありがたさ」です。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が保障される毎日です。「自己責任」を優先し、「合理化・効率化」の名のもとに「格差社会の拡大」を推し進める「新自由主義」が生み出してきたのが「普通に生きられない社会」ではなかったか。「経済成長」を求めることをやめなければなりません。「身を切る改革」でなく、「無駄を大切にし、何事にも余裕をもたせる」、「無駄と思われる多様な選択肢を用意しておく」。「無駄」という言葉に否定的なニュアンスがあるとすれば、「今、必要ないこと」と置き換えてもいいでしょう。度重なる災害の教訓、「今は必要ないライフライン」の整備がいかに大事か分かっていたはずです。

軍事同盟を解消し、あくまで「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」する平和外交を展開、追及することが「日本国憲法」の要請です。軍拡でなく、軍備の削減、廃棄を追及し、莫大な「(人殺しのための)軍事費」を、「皆が普通に生きられる社会」造りに転用しなければなりません。被災者の方々に心を痛めるしかできない今、自己嫌悪するばかりです。

 

能登半島地震で崩壊した珠洲市
 

 

2)憲法九条を広める会『会報5号』(2024年1月)

パレスチナ人民は、「抵抗権」を有し、「自衛権」を行使する

五十嵐正博

 

私にとって、2024年は大惨事に遭遇する幕開けとなりました。能登半島地震発生時、珠洲市に滞在し、車中泊、避難所泊をしました。いつ起こるとも知れない地震、「早く揺れが止まってほしい」と念じつつ、ウクライナ、ガザで、ミサイルがいつ、どこから落ちてくるかもしれない恐怖を共有した瞬間があったように思います。

私が金沢大学に赴任した1984年、同僚の中東研究者は、「誰がアンネを見殺しにしたのか」と題する論文で、驚くべき説を展開しました。(第二次大戦中)シオニスト指導部は、ナチの『ホロコースト』を、ユダヤ人への同情を獲得し、パレスチナにユダヤ国家を設立するため、同胞ユダヤ人の犠牲を利用したのだと。「イスラエル・パレスチナ紛争」という問題設定自体、本質は「植民地主義」だという実態を覆い隠すものだとの説に説得力があるように思います。

人間は、「愛し、慈しみ、感動し、悲しみに共感する」一方で、「憎み、差別し、排除し、(人を効率よく殺す)兵器開発に邁進し(その最たるものが核兵器)、「民族的、種族的、人種的又は宗教的集団」の全部または一部を破壊する意図をもって行われる行為(ジェノサイド)をするなどの残虐性、おぞましさをも持ち合わせています。他所で行われている迫害・暴虐・非道に「無関心・見て見ぬふりをする」。「(ありもしない)敵愾心をあおり、戦争を創り出す」。しかし、人間は、「武力」ではなく、「交渉」などの平和的手段により「国際紛争」を解決しなければなりません(国連憲章)。第二次大戦の惨禍を経てたどり着いた「確信」でした。人類が生まれてから4万5千年、「人権」、「個人の尊厳」が尊重されなければならないと考えられ、その実現のための行動が始められたのは、1945年国連が創設されてからです。

1948年5月14日の「イスラエル独立宣言」以来、国連総会・安保理における「イスラエル関連決議」は多数あります。早くも、第一回総会で、「大量殺戮」のような非人道的な行為を二度と繰り返さないとの決意からジェノサイドを国際法上の犯罪であると宣言し(46年12月11日)、「ジェノサイド条約」(48年12月9日)を、翌10日「世界人権宣言」を採択しました。イスラエルは、1967年「第3次中東戦争」でヨルダン川西岸、ガザ地区を占領し、以来、歴代政府は「入植政策」を進めてきました(特に1977年リクード政権の誕生が加速させた)。安保理決議を一つ、1980年の決議465は、「イスラエルの政策と措置は、戦時における文民の保護に関するジュネーブ第四条約に対する重大な違反」であり、「既存の入植地の撤去」、すべての国に占領地における入植地に関し、利用されうるいかなる援助もイスラエルに与えないよう要請しました。2007年、ハマスがガザを武力制圧、2008年、イスラエルはガザの境界を完全封鎖し、「天井のない監獄」が作られました。以来、パレスチナ人民は、イスラエルにより「鉄鎖につながれて」います。国連は、南アへの「武器輸出を禁止」し、「経済制裁の実施」などの措置をとり、「アパルトヘイト」を廃止させました。イスラエルに対する対応となんと対照的なことでしょう。

「抵抗権」の考えは中世以前からありますが、人民の「圧政に対する抵抗」の確認は、「アメリカ独立宣言」(1776年)「フランス人権宣言」(1789年)によって行われました。「圧政・抑圧に対する人民の最後の拠り所は抵抗権の発動しかない」との考えです。しかし、第二次大戦後、植民地支配その他の抑圧を受けている民族または人民が、平和的手段によって自決を達成できないと考え、その解放や独立達成のために「武力」に訴えました。「民族解放戦争」です。国連は、歴史的文書「植民地独立宣言」(60年)で、従属下の人民に向けられたあらゆる武力行使が停止されるとし、さらに「一切の必要な手段を用いて」自決権を行使する人民の闘争のために武力の適用を再確認しました(73年)。「民族解放戦争」は「自衛権」の行使として説明する立場が有力です。パレスチナ人民は、イスラエルの圧政に抵抗する「解放戦争」としての「自衛権」を行使しています。もっとも、イスラエルによるガザ攻撃をすぐにでも止めさせ、平和的な交渉に移すことが急務であることに疑いはありません。

ここまで、国際法を生業としてきた者として記述しました。が、私の常識とは次元の違う「何か」があるのでは、と思い始めました。そう考えなければ、この稀代の蛮行・暴虐は説明できない。ネタニヤフは、「旧約聖書」に「ネタニヤフの(預言)書」とでもいうべき「物語・神話」を加える妄想にとらわれてきたのではないか、この歴史に刻まれるべき暴虐を止めさせなければなりません。

 

 

 

 

2023年1月19日木曜日

安保関連3文書批判

「広島G7サミットに反対する市民運動キックオフの2022年12月17日、10分間スピーチ」 

松村高夫

昨年12月17日に開催した「広島G7サミットに反対する市民運動キックオフ集会」で、東京からオンラインで参加、ご発言をしていただいた、「米国の原爆投下の責任を問う会」共同代表の、松村高夫(慶應大学名誉教授)さんから、ご自分のご発言を基に書かれた原稿を送っていただきました。広島選出の国会議員である岸田首相が、「核軍縮」を訴えながら広島でG7サミット会議を開催することがいかに欺瞞であるのか、そのいかがわしい矛盾を鋭く指摘するご発言だと思いますので、ご許可をいただき、ここにその全文を掲載させていただきます。

田中利幸

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「米国の原爆投下の責任を問う会」共同代表の松村高夫です。

昨日12月16日、岸田政権は、国家安全保障戦略(NSS)など安保関連3文書を、国会審議をすっ飛ばして 閣議決定しました。国会にかけず決めるという民主主義の無視もここに極まれりというべき暴挙です。事実上憲法を改悪しました。この決定により防衛政策は、これまでの専守防衛から「敵基地攻撃能力」保有へと大転換。岸田は軍事国家へと大転換させ、完全な「戦争屋」と化しました。

政府は「戦後最も厳しく複雑な安全保障環境の只中にある」として危機感を強調し、「敵国」としてはじめて中国、北朝鮮、ロシアの3国を名指ししています。そして5年後の2027年度には、防衛費を8兆9000億円、GDPの2%にするとしています。2%にする根拠は何も示されていません。まず先に2%が決められ、2023年度から5年間で総額43兆円の防衛費が決められました。その財源も明確にされないままに、です。決めたことは、米国製の巡航ミサイル「トマホーク」などを米国から大量に買い入れ、国産ミサイルの能力を上げ大量に製造することなどです。

このような軍事国家への大転換は、2つのことを意味しています。第1は、23年5月のG7広島サミットの首脳会談で日本の首相岸田が外交力を発揮するには強力な軍事力を持つことが必要なので、サミットが始まる来月1月を控えてわずか1週間で防衛費の財源を決めろというような無茶な指示をだしたのです。岸田は、国防は国家の責任で行うのではなく、「国民の責任」だと本音をもらし批判されたことからもわかるように、最終的には膨大な軍事予算を国民の税金から収奪しようともくろんでいます。消費税15%も狙っているようです。防衛費の急増は、間違いなく国民の生活水準を低下させ、これまで以上に貧困化が進みます。

第2は、日本経済は年々世界の中で相対的に地盤沈下してきていますが、これを浮上させるために日本経済の軍需産業化に踏み切る、つまり戦争準備国家に舵を切ったということです。周知のように、米国経済は1945年後世界の何処かで紛争や戦争を起こし兵器などを消費することによって経済の再生産が成り立ってきました。準戦時体制にし、絶えず軍事演習を行うことも好景気維持に必要なことでした。このことはクライナ戦争を見ても一目瞭然です。今回の敵基地攻撃能力保持のための増産する国産ミサイル「12式対艦誘導弾」は三菱重工が製造するものです。

注目すべき点は、「敵基地攻撃能力」の保持は、戦争勃発を抑止するどころか、逆に反撃をうけることにより日本全体が壊滅状態になる可能性がきわめて大きいという点です。日本政府は反撃を受ける可能性については一切口をつぐんでいます。相手国が武力行使に「着手」したときに、敵国にミサイルなどで攻撃できるとするのですが、その「着手」したとする判断基準が全くあいまいだから危険なのです。集団的自衛権を2015年の安保関連法で認めている日本は、米国に対して相手国が武力行使に「着手」したと判断した(誰が判断する?)とき、日本がミサイル発射せねばならないことも起こりうるので、これまた日本が反撃される危険が増します。昨日の内閣決定後ただちに米国大統領バイデンと国防長官が歓迎の意思を表明したことが何を意味しているのか、皆さん良く考えてください。「敵国」が日本の原発1・2箇所にミサイルを打てば、核兵器の使用と同じ効果があり、日本全土は壊滅状態になる。つまり「敵基地攻撃能力」保有は、岸田の「外交力」を増すことはあっても日本人全体の命がかかっている問題なのです。


岸田は自身が広島選挙区出身であることを掲げて、核廃絶のためには「被爆の実相」を明らかにすることが必要だと原爆記念式典でも説いてきました。だが、米国が広島・長崎に原爆を投下し、約70万人を殺傷者をつくり、そのうち朝鮮人は7万人、被爆者の1割を占めました。被爆朝鮮人7万人のうち殺されたのは4万人。日本政府は彼らに何の補償もしてこなかったし、実態調査さえしていないことがわかったのはつい1週間前のこと。核兵器については、21年1月22日に発効した核兵器禁止条約には、日本は最初から国連の会議には参加せず、核兵器禁止条約発効後も署名をせず、その後同会議に傍聴するのも拒否しています。このような日本の首相岸田が、「戦争屋」になりさがった岸田が、5月にG7広島サミットの議長になり開催するのは、大きな矛盾、とんでもない欺瞞という以外にはありません。

また、原発についても、フクシマ3・11以降、原発稼働を減らしていく政策であったにもかかわらず。本年夏、岸田は突然、原発再稼働を声明しました。突然、唐突にです。被爆者で帰郷できない者がまだたくさんいます。補償もわずかしかなされていません。放射能汚染水も漁業組合との約束を反古にして海に流そうとしていて、環境汚染の問題として国際的に批判を受けています。甲状腺がん患者の裁判も起こっています。これらから平然と顔をそむけ、突然唐突に原発再稼働を言い出す岸田!原発耐用年数60年以上も可とするとか、廃炉後には「次世代革新軽水炉」を再建することも平然と加える岸田。もともと地震国日本に原発をつくること自体が狂気の沙汰なのに、敵基地攻撃能力を整備しただけでも反撃を受けることは必至である。繰り返しますが、敵国がミサイルを日本の原発に二・三発落とせば、日本全体が放射線の拡大で壊滅的打撃を受けることは必至です。

ですから、G7広島サミットに抗議する市民運動は、昨日決定された防衛政策の大転換が、第1に相手国からの反撃により日本人一人一人の生命(いのち)がかかっている問題であること、そして第2に、膨大な軍事費増大の財源を国民の税金に求めることは透けてみえるので、市民の生活はさらに困窮すること。この生命生活の危機という二点を明確に示していけば、「戦争屋」と化した岸田が主催するG7広島サミットに抗議する市民運動は必ずや大きな共感が得られます。広島サミットに反対する市民運動は、日本の憲法を護っていく運動、民主主義をまもり発展させていく運動でもあることも理解されるにちがいありません。「米国の原爆投下の責任を問う会」は、以上のように考え行動していく所存です。

 

 


2020年10月22日木曜日

中曽根康弘合同葬を原子力・核兵器の観点から切る!

中曽根康弘合同葬半旗掲揚と「大学の自治」崩壊

 

10月16日の東京新聞によると、翌日に行われる自民党と内閣の中曽根康弘合同葬に合わせて、当日、半旗掲揚を行うよう国立大学82校に文科省が要請したとのこと。これに対し56校が弔旗や半旗を掲揚することを決め、19校は掲揚しないと決めた。16日現在で、いまだ検討中は3校で、4校からは回答がなかったとのこと。要請を受け入れた大学のうちの多くが、その理由を「文科省の通知を受けた対応」と説明。つまり、「お上から言われたことには、そのまま従います」という、全く無節操で無責任な対応。掲揚しないと決めた19校も、ほとんどが当日は「土曜日で休業日」のためを理由にあげたとのこと。

本当に情けないことであるが、「大学における思想、精神の自由をあくまでも守るため」に、一政治家の葬儀のために国家権力が1億円近い額の税金を使って(自民党負担額を含めると総額2億円)行う葬儀に合わせて半旗を掲揚せよなどという要求は、絶対に拒否するとはっきり表明した大学はなかったようである。本来ならば、「大学における学問の自由」=「大学の自治」を侵す抑圧行為であるこのような半ば強制的な「要請」に、大学側が徹底的に抵抗する強い意志を示すと同時に、このパンデミックで生活困窮に陥り四苦八苦している国民が大勢いるこの時期に、2億円もの大金を葬儀に使うことの国家的背徳性を大学が批判すべきなのである。しかもこの合同葬には、反対デモを取締るために警察のみならず大勢の自衛隊員まで動員し、日本が文字通り「警察国家」、いや「軍事体制国家」の方向へと急速に突き進んでいることは明らかである。

ちなみに、半旗掲揚の「要請」は日本全国の都道府県教育委員会にもあり、それを受けて広島では平和公園内の原爆資料館前でも日の丸と広島市旗の半旗が掲げられた。中曽根康弘という人物が、原子力・核兵器でいかに極悪な政策を推進した政治家だったのかを少し考えてみるだけでも、半旗を掲げるどころか、広島市は本来ならばこの機を捉えて、中曽根批判を通して日本政府の原子力・核兵器政策を徹底的に検証してみるべきなのである。ところが、広島市は、先日の「黒い雨」広島地裁判決を不服とする政府の控訴決定をそのまま受け入れたのと同様に、今回もまた「お上が言われたことには、そのまま従います」という何の自主性もない、実に情けない対応であった。

 


 

 

中曽根の原子力・核兵器への関与で大損害をうけた日本

 

詳しく述べている時間がないので、ごく簡単に中曽根の原子力・核兵器問題への関与をかいつまんで記しておこう。中曽根は、日本が戦争に負けた原因は科学技術(特に核技術開発)を蔑ろにしたからだと確信し、戦後の占領期にマッカーサー元帥に建白書を出し、原子力研究と民間航空機開発利用を禁止しないようにという要望を提出している。1951年4月に対日講和交渉のために訪日したダレス国務長官に対しても、同じように原子力平和利用研究と民間航空機開発の解禁を訴えた。この時期、中曽根の頭の中にあったのは「原爆と原爆投下を行った大型爆撃機B-29」であったものと思われる。「平和利用、民間利用」から始めて、最終的には核兵器と核兵器搭載可能な爆撃機の開発にまで到達したいというのが夢であったのであろう。

1953年12月にアイゼンハワー大統領が国連総会で「原子力平和利用」に関する演説を行うと、中曽根は一国会議員でありながら、翌年54年3月2日には突然「原子力予算案」(2億6千万円という当時では巨額の予算案)を上程。その後、正力松太郎(原子力委員会初代委員長、初代科学技術長官)らと協力して、修正予算案を驚くべき額の50億円にまで増大させている。これがその後の日本の原発産業の出発点であり、中曽根は、福島原発事故に対しても何らの責任も感じることなく、死ぬまで一貫して原発利用拡大政策を唱え続けた。悪運の強いことには、実は、原子力予算案を提出した前日には、米国のビキニ環礁核実験で第5福竜丸が大量の「死の灰」をかぶったのであるが、これがニュースになったのは漁船が焼津の母港に戻った3月14日以降であった。予算案提出がもう少し遅れていれば、「死の灰」の恐ろしさを知った議員や国民から猛反対が起こり、成立の見込みはなかったであろう。

1959年には第2次岸内閣改造内閣に科学技術庁長官として入閣し、原子力委員会の委員長にも就任して、原子力開発に引き続き力を入れている。このとき彼は、原子力利用政策の中に原子力潜水艦の開発の余地も残しておいたと後年述べている。ちなみに、岸は「日本国憲法では、自衛のためであれば核兵器使用も禁止されてはいない」と、将来の日本核兵器武装の可能性にまで言及した最初の首相である(その後、複数の歴代首相が同じ見解を述べている。岸の孫である安倍晋三もその一人)。

1970年には、中曽根は第3次佐藤栄作内閣で防衛庁長官となり、この時、「日本の核武装能力の試算」なるものを防衛庁内でやらせており、その結果は、核兵器製造には当時の金額で2千億円が必要で、5年以内で核武装が可能というものであった。ただし、日本では実験場を確保できないため、実際に核武装をするのは困難であると判断。しかしながら、この段階から彼は、日本がいつでも核武装が可能なように原発運転で核物質を確保しておくべきであるという考えを持つようになった。もっと具体的に言えば、原子炉の数を増やし常に稼働させることで、日本は原発でできる核燃料を使って核兵器製造がいつでも可能であるということを海外諸国に知らしめておくことで、「核抑止力」と同じ影響力を持つというのがその考えである。この考えが今も自民党の石破茂のような政治家に継承されている(石破は福島原発事故後の原発稼働停止に強く反対したが、その理由として「抑止力がなくなる」とはっきりと公言した)。ちなみに、日本のロケット開発も最初から、人工衛星打ち上げだけが目的ではなく、核弾頭利用の可能性を狙って始められた。

その一方で、中曽根は、1968年に佐藤内閣が正式に打ち出した「非核三原則(核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず)」を閣僚として全面的に支持しているが、佐藤も中曽根も「持ち込ませず」が「建前」に過ぎないことを百も承知していた。実は、「持ち込ませず」という原則を含めるように佐藤に助言したのは中曽根であったと、後に中曽根自身が言っている。「持ち込ませず」は沖縄返還に向けて、国民ならびにアジア諸国に日本軍国主義復活の危惧を抱かせないためのパフォーマンスだったのであり、「持ち込む」に関しては佐藤栄作とニクソン大統領の間で密約を結んでいたことは今では周知のところ。佐藤はこの大嘘でノーベル平和賞を受賞した。後年、中曽根はこの密約について、「当然だろう。外には言えないことなので、その時には密約の必要があったんだ」と平気で述べており、恥ずかしいとも思っていない。ちなみに、本土返還後の沖縄への自衛隊配備を準備したのも中曽根であった。

1982年に中曽根は首相の座につくや「戦後政治の総決算」を掲げ、靖国神社公式参拝、防衛費GDP1%枠撤廃、戦後歴史教育見直し、日教組つぶしなど、次々と復古主義的な右傾化をすすめる政策を導入。広島との関係で言えば、1986年の広島訪問の際に原爆病院を視察したが、そのとき被爆者に対して「病は気から」と述べたとのこと。本人は被爆者を元気づけるつもりで言ったのであろうが、被爆者の病苦の実相に無知な、あまりにも無神経な発言である。首相在任中には、このほかにも、アイヌ民族の存在を無視した「日本は単一民族国家」、「黒人は知的水準が低い」といったはなはだしい差別発言をはじめ、米国のためにソ連進出を防ぐような意味合いで、米国に媚を売るために「日本は不沈空母」と称するなど、様々な問題発言を吐いた。国鉄・電電公社・専売公社の民営化と国労、総評つぶしなど、日本の労働運動に決定的な打撃を与えたのも中曽根であった。

しかし、原子力・核兵器問題の観点からするならば、中曽根が首相在任中に強力に推し進めた六カ所再処理工場(核燃料サイクル施設)設置計画を、私たちは決して忘れてはならない。もともと六ヶ所村は、石油化学プラントを中心とする「むつ小川原巨大開発計画」の場所として選ばれたが、この計画が頓挫するや、中曽根政権下で秘密裏にここに核燃料サイクル施設を設置する計画がすすめられ、住民投票すら行われずに、いつのまにか決定されてしまった。1973年のオイルショック以来、強力に推進してきた原発設置の結果、放射性廃棄物の処理・処分が問題となってきたし、使用済み核燃料の再処理によるウラン・プルトニウムの分離利用も展望に入れ、この両方をセットにして、六ヶ所村を「夢の核燃料サイクル施設」にしようという計画であった。「核燃料サイクル」とは、原発における核燃料使用済み燃料からプルトニウムを取り出し、それを燃料として利用することを繰り返すことで、無限のエネルギー源が得られるという「夢のプロジェクト」である。ところが、発電をしながら使用済み核燃料を高純度のプルトニウムに転換するという増殖炉計画を、商業用目的で実現させた国は世界中でどこもなく、文字通りの「夢のプロジェクト」。

日本はこの技術開発のために、核兵器用プルトニウムを生産してきたアメリカの軍事技術から学ぼうと、その軍事技術の日本への移転を米国に求めた。その日米交渉は、中曽根・レーガン時代の1980年代末から両者が退陣した後の90年代初期にかけて行われ、実際に技術移転が行われている。アメリカは、日本が核燃料サイクル計画で大量のプルトニウムを蓄積することは十分に承知していながら協力した。事実、現在、日本は47.8トンという大量のプルトニウム(核兵器6千発分)を保有している。NPT(核不拡散条約)加盟の非核兵器保有国の中で、高純度プルトニウム製造施設とこれほどまでの大量のプルトニウム保有量を持っている国は日本だけで、アメリカが特別に日本だけにこれを許しているのが現状。しかも、日本のプルトニウム保有量は、公表されていない中国を除くと、米露英仏の核兵器保有国に続く世界第5位である。日本は、その気さえあれば、いつでも核兵器を製造できるし、核ミサイルも配備できる。イランなどより、日本の方が余程危険な国なのである。なぜこのようなことをアメリカが日本に許したのか、その理由についての確証的な資料は現在のところ入手できない。その理由の推測については詳しく述べている余裕が今ないので、興味のある方は拙著「自滅に向かう原発大国日本(上)」(『広島ジャーナリスト』18号、2014年9月発行)を参照していただきたい。

六カ所再処理工場の建設、運転・保守などの総費用には、これまでに、なんと13兆9300億円(2018年現在)がかかっていると見積もられている。しかし、この数字は、工場が40年の間常時100%フルに無事故で稼働するという、あり得ない前提のもとに出した試算であるから、実際には、14兆円を遥かに超える費用がかかっているはずである。実際、六カ所再処理工場ではトラブルが続発しており、今後もますます費用はかさみ、最終的には19兆円になるという予想すら出ている。六カ所再処理工場では年間800トンの使用済み燃料を処理し、約8トンのプルトニウムを分離する。ところが、このプルトニウムをウランと混合させて作るMOX燃料が使える原子炉は4基のみで、プルトニウム消費量は全部合わせても年間で最大2トンほど。全く経済的に採算が合わない。プルトニウムを使う高速増殖炉の「もんじゅ」も「常陽」も、巨額の建設・運転費を投入したにもかかわらず、事故続発で廃炉状態。「夢の核燃料サイクル」は、実際には、完全に破錠している。こんな「悪夢のサイクル」を作り出した元々の責任者はいったい誰か!

危険極まりないプルトニウム製造にこれだけの巨額を投入し、原発事故では福島県民をはじめ多くの国民の生活を困窮に追い込み、家庭、地域社会を崩壊させ、その上に放射能汚染除去のためにこれまた巨額の税金を国民に使わせた責任の一端は、明らかに中曽根にある。その中曽根は、死んでも再び、自分の葬儀のために国民から1億円近い金を負担させた。こんな人物のために、半旗掲揚で哀悼の意を表せなどという政府の「要請」に、黙々と従っている多くの大学、多くの日本人!なんという情けない国なのか!不正不義、とりわけ政治家と官僚の不正不義に対する怒りを忘れた国民は、最終的に自分たちの社会共同体を崩壊させるだろうと私は思う。

 

「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」 田中正造


2017年1月24日火曜日

原発民衆法廷・広島法廷(2012年7月15日)判決文



前回のブログ記事「追悼:ウィーラマントリー判事」の最後の部分で、私は以下のように、ウィーラマントリー判事の反核・反原発の考えから多分に刺激をえたことを記して、ウィーラマントリー判事に感謝の意を表しました。

「原発民衆法廷の広島法廷での決定(=判決文)執筆を担当した私は、ウィーラマントリー判事の核兵器と原発に関するご意見をおおいに参考にさせていただきました。この判決文は、「自滅に向かう原発大国日本 – 原発・核兵器政策による国民殺傷行為をいかに阻止すべきか」①②(『広島ジャーナリスト』18号、19号、2014年)として発表しましたので、ご笑覧いただければ光栄です。」

ブログ読者の複数の方たちからの個人メールで、この記事をブログに載せてもらえないかというありがたいご要望がありました。数年前の拙文ではありますが、お目通しいただき、ご批評いただければたいへんありがたいので、ダウンロードできるようにいたしました。下記アドレスをクリックしていただければダウンロードできるはずです。



「自滅に向かう原発大国日本」①




「自滅に向かう原発大国日本」②



2015年11月2日月曜日

Letter to MAPW (Medical Association for Prevention of War) and Fukushima




戦争防止豪州医師協会への手紙と福島問題



一昨日の土曜日(1031日)、メルボルン市内で開催された戦争防止豪州医師協会の会議を傍聴してきました。朝から夕方まで1日かけて10ほどの報告が行われ、たいへんよい勉強になりました。核兵器問題関連でも3つほどの報告があり、ICANや国際赤十字社が核兵器廃絶に向けて努力している状況についての詳しい説明がありました。確かに、この数年のICANや国際赤十字社の活躍はめざましく、私も感心していると同時に彼らの運動を強く支持します。



しかし、私が不思議に思ったのは、報告者の誰も、自国オーストラリアのウラン採掘・輸出問題には一切触れなかったということです。こうしたオーストラリア反核運動の状況については、私は機会があるごとに述べてきましたが、相変わらずという感がしました。「緑の党」の党首であるDi Nataleも講演者の一人でしたが、現在議論になっているオーストラリア国内における原発設置計画の是非については触れても、ウラン採掘・輸出問題には全く言及しませんでした。私の質問に対しても、「労働党がウラン採掘限定政策を廃棄して、採掘・輸出反対運動が極端に弱まったということが大きな理由」だと述べましたが、では「緑の党」もなぜこの問題には積極的にかかわらないのかについては、なんら説明はありませんでした。こうしたオーストラリアの反核運動の状況は、ウランを含む様々な鉱物資源輸出(とりわけ中国への輸出)に自国経済が大きく依存する現在の状況と、間接的にではあれ、深く関連していることは間違いないでしょう。



そこで今日、私は下記のようなメールを戦争防止豪州医師協会の会長と会員全員宛てに送りました。要点は以下の通りです。

1) 会議では核兵器問題が取り上げられたにもかかわらず、ウラン採掘・輸出問題に触れた報告者が一人もいなかったこと。

2) 福島第1原発の核燃料はオーストラリアから輸入されたウランが原料であっただけではなく、日本の核燃料の原料ウランの多くがオーストラリア産であること。

3) 現状は、「福島原発の放射能問題は完全にコントロールされている」という日本政府の主張と全く反対で、「放射能垂れ流し状況」であり、メルトダウンした原子炉をどのように処置すべきかについては、実際には何も具体的な対策がないこと。

4) 福島の人たちの健康、とりわけ心的問題が原因である病気や自殺の問題は悪化する一方であり、その上、子供たちの甲状腺癌のケースは、最近、岡山大学医学部の調査チームが発表した英語論文で詳しく説明しているように、急速に増加していること。

5) こうした状況を考えてみるならば、原発を推進してきた日本市民の責任はもちろんであるが、大量のウランを日本に輸出している国、オーストラリアの市民にも倫理的責任が明確にあること。したがって、戦争防止豪州医師協会のような医師組織は、とりわけ、ウラン採掘・輸出で海外の市民の健康がどれほどひどくおかされているかという事実について、オーストラリア市民の認識を高める責任があることを自覚すべきであること。



(ちなみに、オーストラリアのウラン採掘問題については、ピース・フィロソフィー・センターのブログに掲載されている拙論をご参照ください。




以下が手紙の全文です。



Dear MAPW President Dr. Margie Beavis and all members of MAPW



This is to express my gratitude for allowing me to attend MAPW’s conference “War - a global health problem” on last Saturday. I truly appreciate the great efforts that your organization is making in order to promote civil movements against war, nuclear weapons, and violation of human rights. I was particularly impressed with compelling talks by Mr. Vince Emanuel and Mr. Julian Burnside.



However, I was concerned that none of the speakers discussed the issue of uranium mining and export although issue of nuclear weapons was one of the major topics at the conference. In fact I was surprised that, although in his presentation Dr. Di Natale referred to the current controversy regarding Australia’s plan to build a nuclear power station, he failed to discuss uranium mining in this country, which is why I could not help asking him a question on this particular issue.



As I mentioned in my question to Dr. Di Natale, the nuclear fuel used at the Fukushima No.1 nuclear power station was supplied by Australia. In fact the majority of nuclear fuel that Japan uses is supplied by Australia and Canada, two of the largest uranium export nations in the world. Needless to say, the nuclear disaster that occurred at the Fukushima nuclear power plant more than four years ago has caused and is still causing serious health problems to many people in Fukushima as well as neighboring prefectures. More than 170,000 residents in Fukushima Prefecture are still unable to return home, and many places in Fukushima, in particular within 30 to 40 kilometers from the power plant are heavily contaminated with high levels of radiation. In addition, the Tokyo Electric Power Company has been discharging a large amount of radioactive water into the sea every day. Contrary to the government claim that the power plant is under control and decontamination work is progressing well, in reality no one knows what to do about the three melted down nuclear reactors as well as the tons of underground water constantly flowing into those melted reactors every day.

(For more detailed information on the current situation of Fukushima, please see, for example, https://www.youtube.com/watch?v=8af-4QSbfWw )



It is not surprising, therefore, people in Fukushima are confronted with many serious health problems. Already by the end of March 2014, i.e., three years following the accident occurred, about 1,700 people in Fukushima had died either due to illness directly caused by stress or committing suicide. Suicide cases in particular have been increasing in the last couple of years. Many people, in particular senior citizens, are currently suffering from various types of illness and psychological problems mainly due to stress caused by living in confined situations in small evacuation housing without any hope for returning home. Yet, their psychological strain and anxiety are virtually ignored by the TEPCO as well as the government.



Another serious problem is the rapidly increasing incidence of thyroid cancer cases among children in Fukushima. Recently an Okayama University medical research team published a report, warning that we need to urgently deal with this problem or we will face a much graver situation in near future. With regard this problem too, TEPCO and the Japanese government claim that there is no evidence to prove the direct link between the Fukushima nuclear accident and the rise of thyroid cancer cases. Below is a youtube video showing a press conference that one of the members of this medical research group gave in Tokyo.


For your reference I attach the report to this email as well.




Undoubtedly we Japanese are clearly responsible for these health problems caused by nuclear power accident. I strongly believe, however, that Australians, as citizens of a nation exporting massive amounts of uranium to Japan also share moral responsibility. In particular, I believe, that an organization like yours, which is dedicated to the solution of “global health problems,” should be responsible for making Australian people aware of what is happening to the Japanese people as a result of Australian uranium mining and export. I sincerely hope that MAPW will earnestly tackle this issue, closely collaborating with Japanese medical and anti-nuclear organizations working in this field.



I look forward to attending your future conferences and learning more from your expertise and activities.



Yours sincerely,



Yuki Tanaka   



2015年8月10日月曜日

ラジオ・インタビュー:原爆無差別殺戮70周年と安保法制問題


ABC(オーストラリア放送協会)ラジオ番組Japan in Focus88日に放送した番組で、私へのインタヴューの抜粋が使われています。番組開始650秒あたりから1030秒あたりまでのごく短いもですが(実際のインタヴューは20分ほどでしたが)、日本政府の「核軍縮」政策がいかに欺瞞的なものであるかを、なるべく簡潔に説明したつもりです。他にアメリカ人の日本研究者2人もインタヴューを受けています。英語ですが、ご興味のある方は、下のアドレスで聴いてみてください。






ABC NewsRadio's Eleni Psaltis presents Japan In Focus, a new program that takes a close look at significant political and cultural developments in Japan.

This week marks the 70th anniversary of the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, two attacks which the US says helped end World War Two. The August 6 bombing of Hiroshima claimed 140,000 lives and three days later about 70,000 perished in Nagasaki.

Eleni Psaltis speaks to American author Susan Southard who has written the book Nagasaki: Life After Nuclear War, Dr Yuki Tanaka who is a former research professor at the Hiroshima Peace Institute and attended the August 6 Hiroshima Peace Assembly in the city this week and Daniel Aldrich, an associate professor and director of Asian Studies at Purdue University in the United States.


2015年2月13日金曜日

栗原貞子の反核と憲法擁護思想


栗原貞子の反核と憲法擁護思想

栗原貞子(19132005年)が、代表作「生ましめんかな」で世界にその名が知られる詩人であることについてはあらためて説明するまでもない。原爆投下直後に広島貯金支局の地下で重傷の助産師が産気づいた女性の赤子を取りあげた状況を詠った「生ましめんかな」は確かに傑作であるが、私は「<ヒロシマ>といえば<南京虐殺>」という一節を含む詩、「ヒロシマというとき」が最も優れた作品だと思っている。

実は、昨年5月、栗原が1975年に執筆した「核文明から非核文明」と題した手書の原稿を、原稿を保有していた元広島市長(199199年在職)・平岡敬が公表し、広島女学院大学に設置されている「栗原貞子記念平和文庫」に寄贈した。この原稿は、被爆30周年にあたる75年に、中国新聞が市民から募った懸賞論文「昭和50年代への提言」に応募した論考原稿であった。応募した論文は全部で291編、その中から特選1編と入選・佳作各5編が選ばれたのであるが、栗原論考は選外となった。選考にあたった委員の一人が、当時、中国新聞の編集局長であった平岡だったのである。

この論考を今読み返してみると、敗戦後の占領期から75年までの30年間の日本の政治社会状況の歴史をきわめて簡潔に且つ鋭く深く分析し、その上で75年現在の産業公害と核=原子力公害を徹底的に批判するその分析の明晰さに驚かされる。50年代に被爆者がほとんど批判の声をあげなかった「原子力平和利用」、さらにそれに続く60年代から70年代の原発推進を「戦後の虚妄」として一貫して批評するこの論考を、中国電力から多額の広告依頼を頻繁に受けていた中国新聞がボツにしてしまったのも全く不思議ではない。これもあらためて説明する必要がないことではあるが、栗原がこの論考を執筆した1年前の74年には、田中角栄政権が原発の猛烈な推進を目的に電源三法を成立させ、中国電力が島根原発を稼働させた年でもある。73年には四国電力が愛媛県の伊方で原発建設に着工している。

広島における反核兵器の論客の一人であった平岡自身が、2011311日の福島原発事故まで強力な原発推進派の一人であったことは広島では周知のところである。平岡に限らず、現市長を含むこれまでの広島の歴代市長の中で反原発を掲げた者は一人もいない。「核兵器の究極的廃絶」というお題目だけは唱える一方で、「核抑止力」は容認し、原子力利用についても積極的な態度を表明するか、あるいはなんら異議を唱えというのが彼らに共通してみられる態度である。その中で唯一人、平岡のみが311後まもなく、原発推進派であったことの自己反省を公の場で行ったという点で、彼の真摯な人間性が窺える。40年ちかく経った2014年に栗原のこの論考を公表したのも、そのような反省に基づくものであろうことは容易に推測できる。

栗原のこの論考における傑出した論点の一つは、被爆者団体を含む広島のほとんどの反核運動組織や活動家が原発賛成派だった70年代半ばのこの時期に、栗原がその広島で単に反原発思想を展開したことに留まらず、原発稼働と核兵器製造が表裏一体となった不可分な問題であることをいち早く指摘していることである。一方で彼女は、「原発事故によって大量の放射能が漏れた場合局部的に、ヒロシマ・ナガサキの悲惨が現実のものとなるであろう。たとえ放射能事故がない場合でも、原子炉を冷却した温排水に含まれた放射能が魚介類を汚染している…….. 一度封じ込めた死の灰を含む放射性廃棄物は核エネルギーの利用度が高まるにしたがってますます増大し、これを廃棄する場所もなく、地球全体の汚染にまで発展しようと」していると指摘。しかし同時に、「当初いわれていた原子力電力のコスト安が、重なる事故などで逆にコスト高になるにもかかわらずエネルギー源としての経済性をも無視して原発が推進されているのは、原爆の材料であるプルトニウムをつくり出すのが目的とされていることや……産業界内部にある日本核武装の意図…….とも切り離して考えられない」と結論づけている。

1960年代後半から70年代初期にかけて、佐藤栄作内閣の下で秘密裏に日本核武装の可能性が本格的に検討されていたこと、さらには現在も日本政府は核兵器製造潜在能力を維持し続けたいと考えていることは、今となっては明らかであるが、75年当時にこのような先駆的な批判を展開した作家は日本ではほとんどいなかったのではなかろうか。

ところで、栗原がアナーキストであったことはよく知られている。そのアナーキストであったはずの栗原が、憲法擁護を行う発言をこの75年の論考の結論部分に含ませている。つまり、「被爆以来三十年、占領軍を解放軍とした一面的認識、加害原点を温存し、再び戦争犯罪人を政権の座につかせ国民自らの力で戦争責任を追求し得なかった無力さが、三百万の血の中から生まれた戦争放棄の憲法を空洞化させ、戦争中の生命を鴻毛の軽きに比して人的資源とした生命軽視が、戦後は人間無視の公害タレ流しとなってはびこっている」(強調:引用者)と論じている。

彼女の憲法擁護思想は晩年になるほど強まっていったようである。1992年に「第九条の会ヒロシマ」が立ち上げられ、その年の86日以来ほとんど毎年この会は新聞に意見広告を出し続けているが、92年の標語、「憲法九条はヒロシマの誓いそのものです。再び、アジアの人々へ銃を向けさせまい」は、栗原が提案したものである。93年、94年の標語も彼女の案によるが、国家憲法などに価値をおかないはずのアナーキストの彼女にとってすら、憲法九条は市民を守る最後の砦とも言えるものと見なされていたのではなかろうか。しかも、それは、戦争加害と被害のどちらも起こさせまいとする強い願いから。

田中利幸

『反改憲 運動通信』No.9 2015226日発行)掲載予定