明日発売の『週刊金曜日』に、拙著論考「欺瞞に満ちた安倍首相の戦後70年談話」が掲載されます。この論考は、実は、下記の拙論を短くした、いわばダイジェスト版です。日本のメディアは、一般に、あまりにも「安倍談話」の欺瞞性の理解に欠けています。これは、新聞記者たちの歴史的知識自体が貧困であることから、批判的分析ができないからだと思います。よって、ここではできるだけ徹底的な批判を試みてみました。ご笑覧いただければ光栄です。
全くの余談ですが、今日の朝日新聞ネット版に「祖母に贈る、あの夏の新婚旅行」という記事が出ています。感激して、涙しました。
安倍談話批判 —「過去の克服」失敗を明瞭に証拠づける「負の遺産」として後世に残すべき記録 —
田中利幸
予想した通り、安倍談話は欺瞞と政治的妥協の産物以外のなにものでもなかった。安倍ならびに彼をとりまく「有識者」たちの歴史に対する知識の浅薄さ、そのような知識の低劣さゆえの日本にとっては恥辱的とも称せる歴史認識の欠落、そのうえで政治的妥協をはかった欺瞞的「反省」の表明。結果は、当然のことであるが、「おわび」の言葉を1回も使わない談話は、「反省」や「おわび」の思いなど全く伝わらない、はなはだしく空虚な言葉のつなぎ合わせに終わっている。
一見、全体的には「反省」を表明しているように見える談話であるが、一文一文を注意して読んでみると、これまでの安倍の国内外での演説や国会答弁同様、いかに虚妄と欺瞞に満ちた内容であるかが明白となる。
安倍の歴史認識欠落は、談話の初めの部分の「日露戦争は、(西洋諸国による)植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」(カッコ内は田中が付加)という表現からして、すでに明らかである。日露戦争には当初から日本の朝鮮半島植民地化の狙いが含まれていたのであり、戦時中は、朝鮮での徴発、軍用品輸送や土木作業のための人夫労役に反抗する多くの朝鮮人を日本軍は処刑した。戦争直後には、日本による朝鮮植民地化に反対する「義兵運動」が高まり、1906〜11年には朝鮮各地で義兵闘争が起きた。日本軍はこれに対し、暴行、略奪、焼き払いなどで弾圧を試み、その結果、朝鮮人義兵側には推定死傷者2万4千名が出た。「多くのアジアやアフリカの人々が勇気づけられた」のは、その実態を知らなかったからである。
西洋諸国の「圧倒的な技術優位を背景に」した「植民支配の波は19世紀アジアにも押し寄せ」たのは事実であるが、日本もまたそうした西洋諸国と競うように朝鮮・台湾の植民地化を、軍暴力を駆使してがむしゃらに推し進めた。日清戦争後の1895年5月に台湾植民地化のために台湾北部に上陸した日本軍は、台南占領までの約5ヶ月間に、軍民合わせて1万4千人以上を殺害。その後起きた北部蜂起に対する日本軍による報復殺害の犠牲者数は3千人近く。1898〜1902年までに台湾総督府が処刑した「叛徒」の数は1万人以上にのぼった。このように日本は、朝鮮・台湾植民地化の当初から虐殺行為を繰り広げた。さらに、アジア太平洋戦争中には朝鮮・台湾から100万人以上の人たちが炭鉱、軍事工場、土木工事などでの労務のために強制連行され、その上多くの女性たちが軍性奴隷としてアジア太平洋各地に送り込まれた事実は周知のところである。しかし、安倍談話は、この朝鮮・台湾の植民地化と植民地住民に対する残虐行為、由々しい人権侵害については一切触れていない。
日本軍性奴隷問題については、直接言及することは避けて、「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません」(強調:田中)と、あたかも他人ごとのように描写するだけで済ませている。被害者となったアジア太平洋各地の多くの女性たちの中には、「戦場の陰」どころか、「前線」にまで送られ、砲弾や弾丸にさらされながらも男たちに強姦まがいの性的搾取を受けた人たちがいることを、安倍は「忘れてはなりません」どころか、これまで様々な陰険な手段を使って「いなかったことにしよう」と躍起になってきたことは、もはや世界中の人々が知るところである。そんな首相が述べる、「21世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります」などという欺瞞に満ちた言葉を信じる人が、いったいどれほどいるであろうか。
アジア太平洋戦争勃発の理由については、安倍は、「世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました」と述べ、連合諸国側が日本に対して導入した資源輸出禁止=経済封鎖のみに戦争の原因を求める。かくして、日本はいやおうなく戦争をせざるをえなくなるまで追い詰められたという、保守「有識者」たちが使う常套的な偏向的解説をここで応用しているのである。その文章の後には「満州事変、国際連盟からの脱退」という簡単な言葉の羅列だけが続く。本来ならば、日本軍が侵略の口実としてデッチ上げた「満州事変」をきっかけに、いかに日本が中国への「侵略戦争」を拡大していき、その過程で、南京虐殺や三光作戦、731部隊による人体実験など、様々なおぞましい戦争犯罪行為を中国各地で日本軍が犯したのか、「侵略戦争」のその内容と責任について、ここでしっかりと言及すべきなのである。
ところが、侵略された中国その他のアジア太平洋地域に関しては、「戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました」(強調:田中)と、これまたあたかも他国がやったかのような表現である。「戦火を交えた国々」という表現は、連合軍諸国のみを念頭においており、抗日武装闘争を粘りつよく中国全土で展開した国民党軍や毛沢東軍、あるいはフィリッピンの抗日組織フクバラハップなどは、まったく念頭におかれていない。「中国、東南アジア、太平洋の島々など」は、安倍にとっては「戦場」になったに過ぎないのである。この文章からも、安倍の歴史視点からは、いかに「侵略戦争」という観念が抜け落ちているかが明瞭である。
侵略戦争に関しては、「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、
すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」と、これまた、「事変、侵略、戦争」という言葉を羅列して、一般論として述べることで、ごまかしてしまっている。侵略戦争を「用いてはならない」のは「誰」なのか、「民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」のは「誰」なのか、という主語をあえて使わない。(英語版では、主語は「We」となっているが、英語の「We 我々」は、しばしば「人間一般」を指す。したがって、「我々日本人」と特定する場合には「We, Japanese」という表現を使わなくてはならないが、そうはなっていない。)このような曖昧な表現で、具体的に「誰が侵略戦争を犯したのか」については誤魔化してしまおうという小賢しい意図がはっきりと読み取れる。
他国の民衆に対して苦痛を与えたことについては、安倍は「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。……この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません」と述べ、談話のもう2ヶ所で「心に留めなければなりません」と「思いを致さなければなりません」という表現を使っている。さらに「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました」とも述べている。ところが、「痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明」してきたのは、村山政権など過去の政権であって、安倍自身から、「私」を主語にしたそのような発言がなされたことを、耳にしたり読んだ覚えは私にはない。日本軍の蛮行に苦しんだ多くの被害者に対して「断腸の念を禁じ得なく」、その苦しみを「心に留め」、「思いを致す」ならば、なぜ素直に「反省」と「おわび」の謝罪表明ができないのか。当然の疑問であろう。答えは簡単である — それは安倍の真意ではないからである。
こうした、いかにも一見「反省」めいた表現が談話に入れられたのは、明らかに違憲である安保関連法案問題や沖縄・辺野古基地問題、新国立競技場建設問題などで全国から批判の声があがり、内閣不支持率が急激に高まったため、これ以上、外交問題でも批判を受けることを避けようとした政治的妥協によることはあらためて説明するまでもないであろう。また、米国政府からの圧力も考慮せざるをえなかったということも、もちろんあったであろう。
安倍は、謝罪をしないだけではない。「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と主張する。この発言には、安倍の「戦争責任」と「謝罪」に関する浅薄な考えが如実に表れている。戦後の世代には、確かに日本軍が犯した戦争犯罪に対する直接の責任はない。しかし、そうした過去の国家責任を十分にとらないどころか、戦争犯罪を犯した事実すら否定してしまう政権に、歴史的事実を明確に認識させ、正当な国家責任をとらせることを追求しなければならない国民としての義務と責任が、戦後世代の我々にはあるということが安倍には理解できないらしい。しかも、安倍のような人物が首相であれば、国民はますます「謝罪を続ける宿命を背負わされる」ということに、当の本人が気がつかず、このような発言を堂々と行うこと自体が、日本国民にとってはひじょうに不幸なことなのである。
さらに指摘しておかなければならないことは、残虐な戦争犯罪の被害者に対する「謝罪」は、単なる「おわびの言葉」ですませるような軽いものではないことである。真の「謝罪」とは、我々の父や祖父の世代が犯した様々な戦争犯罪行為と同じ残虐行為を、我々日本人はもちろん、どこの国民にも再び犯させないように、我々が今後長年にわたって地道に努力していくことである。「戦争犯罪防止」という、そのような堅実な「謝罪活動」によってこそ、加害者側は、はじめて被害者側から信頼を勝ちえることでき、「赦し」をえて「和解」に達することができる。「歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります」という安倍のおざなりな発言が、本当に意味を持つようになるためには、こうした具体的な形で且つ地道に「戦争責任」を果たすことが日本の国民国家には必要なのである。
一方、日本人が受けた戦争被害について安倍は次のように述べる。「先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。」これまた、まるで傍観者のように国民が受けた戦争被害を描写している。では、何のためにこのような苦難を日本国民が受けたのか、そのような戦争とはいったい何であったのか。そのような戦争を行うことを許してしまった「責任」、戦争を開始し遂行した「責任」、とりわけ、原爆と焼夷弾の雨による無差別大量殺戮という悲劇を起こすまで戦争を長引かせた「責任」、こうした様々な「責任」はいったい誰にあるのか、といった最も重要な問題については、これまた一切問わない。
同時に、原爆無差別大量殺戮という由々しい人道に対する罪を犯した米国の戦争責任を棚上げにしておきながら、「唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります」(強調:田中)などと、全く本意とは逆の虚偽発言を赤面もなく行っている。しかも、核兵器の「究極的廃絶」であって、「即時廃絶」ではない。広島被爆70周年にあたる8月6日の前日5日の参議院特別委員会では、中谷元防衛大臣が「安保法制下では核兵器を輸送することも可能」と述べて、核兵器保有・使用を間接的に認める発言をしているのである。さらに8月6日の広島での平和記念式典での挨拶では、安倍自身が、これまで歴代の首相の挨拶の中には必ず含まれていた「非核三原則堅持」の誓いの言葉を削除した(これに対する批判の声が強かったため、9日の長崎での式典の挨拶では急遽これに言及)。日本の歴代内閣が、タテマエでは「核兵器の究極的廃絶」を唱えながら、現実には米国の核抑止力を強固に支持する政策をとってきたことは周知のところである。しかし、実は、「核抑止力」に関する日本政府の見解は、最近の安倍政権の「集団的自衛権」行使容認への強い動きにあわせて、さらに悪化していることが、なぜか国民の間で広く知られていない(*注を参照)。さらに、長崎被爆70周年8月9日の2日後の11日、全国で強い反対運動が展開されているにもかかわらず、今度は川内原発再稼働を強行実施。福島原発事故でこれほどまで深刻な自然破壊と社会破壊をもたらし、多くの被曝者を出し続けており、今も大量の放射能放出を止めることができない状況の中での再稼働。これには、原発を完全廃棄することで、核兵器製造潜在能力を失いたくないという日本政府の隠された強い願望が働いていることも、我々は忘れてはならない。その上安倍は、アラブ首長国、トルコ、核兵器保有国のインドなど、海外に向けての原発輸出でも自ら積極的に動き、事実上、核拡散政策を推進しているのである。
以上、安倍談話の中で、最も決定的欠陥と思われる数点だけについて批判を試みた。まだまだ批判すべき点は多々あるが、要するに、安倍は、これまで「過去の邪悪な戦争の正当化」ないしは「忘却化」に躍起になってきたため、「過去の克服」の失敗にみごとに陥っており、その失敗をこの談話でまざまざと露呈しているのである。「過去の克服」の失敗が現在と未来に関する偽装欺瞞政策をも産み出しており、明らかな違憲行為である集団的自衛権行使用容認やその他の戦争法制の整備を通して「将来の戦争を正当化」し、ナチス政権がやったと同じように、事実上、憲法をすでに「棚上げ状態」にしている。かくして安倍政権は、過去の侵略戦争と未来の戦争の両方の正当化を通して、日本の民主主義体制の全面的解体作業をますます強め、日本社会破壊への暴走を加速させている。
故・加藤周一は、1947年に発表した「知識人の任務」題した短い論考で、「戦争を正しい意味で体験しなかった者が民主主義革命の意味を正しく理解する可能性は、寸毫もない」と述べた。同じように、「戦争を正しい意味で理解しない者が民主主義の意味を正しく理解する可能性は、寸毫もない」と言えると私は考える。「戦争を正しい意味で理解しない」どころか、「戦争を極端に歪曲し、忘却化させている」安倍には、「民主主義を正しく理解する」能力が全く欠落している。そのような人物が、敗戦70年にあたって日本を代表する「政府談話」を発表したこと自体が無責任極まりないことなのである。それゆえ、我々は、安倍政権を1日も早く打倒しなければならない。
「安倍談話は出さなかったほうがよかった」という意見が多々ある。私はそうは思わない。むしろ、安倍談話のような虚偽と欺瞞に満ちた劣悪きわまりない政府談話を出すことを許してしまう現在の日本の「民主主義社会」とはいったいどういう社会なのか、それを深く考え、日本国民の多くがしっかりと「過去の克服」に向けて歩み出すための重要な「負の遺産」資料とすべきだと私は考える。
— 完 —
* 2014年1月20日、広島出身の岸田文雄外務大臣は、4月の広島でのNPDI (軍縮・不拡散イニシアティブ広島外相会合)に向けて、長崎で「核軍縮・不拡散政策スピーチ」と題して講演し、その中で政府の新たな核兵器政策に関して言及し、「核兵器の使用を個別的・集団的自衛権に基づく極限の状況に限定する」ことを核保有国が宣言すべだと述べた。ようするに、「日米が集団的自衛権を行使するような戦闘で、『極限の状況』と判断するような事態であれば、核兵器の使用が許される」という主張である。しかも「極限の状況」とはいったいどのような事態なのかについてはなんらの定義も説明もない。長年、日本政府は米国の「核の傘=核抑止力」に依存するという方針を内外に向けて明らかにしてきた。しかし、「核兵器の使用」については具体的にどのような状況の場合に使用を認めるかについては、これまで全く言及したことはなかった。岸田の発言は、日本政府が初めて「核兵器の使用」を公然と容認するものであった点で、極めて深刻である。