2025年1月21日火曜日

「下田裁判」判決文から日本被団協ノーベル平和賞受賞まで

 原爆無差別大量殺戮の罪と責任を再考する

 

第2回

「原告の損害賠償請求権は存在しない」という判決支離滅裂の法理論?!

 

 

*被告=日本政府の「個人の損害賠償請求権」に関する判断の問題点

 

さて、今回は「下田裁判」判決文を私が「画期的判決」と見做すことなどは全くできないと主張する第2のそして最も決定的な理由について議論してみたい。

 

「下田裁判」が審理した最も重要な問題は、日本政府が195198日に米国を含む連合国諸国と締結した平和条約通称「サンフランシスコ平和条約」(以下、「平和条約」と略)の第19条の(a)で、以下のように、原告=被爆者たちの米国政府とトルーマン大統領に対する損害賠償請求権を勝手に放棄してしまったという原告側の訴えである。それは明らかに違法行為であり、よって国家賠償法第1条の規定により、被爆者が被った損害を賠償する責任を日本政府は負う、というのが原告側の主張であった。

 

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 (a) 日本国は、戦争から生じ、又は戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄し、且つ、この条約の効力発生の前に日本国領域におけるいずれかの連合国の軍隊又は当局の存在、職務遂行又は行動から生じたすべての請求権を放棄する。

 

原告側は、この平和条約第19(a)によって、日本政府は国際法上の請求権のみならず、国内法上の請求権をもあわせて放棄してしまい、その結果、「原告等は米国及びトルーマンに対する損害賠償請求権を法律上全く喪失した」とも主張。

 

この原告側の主張に対して、被告である日本政府はさまざまな反論を展開したが、その中には以下のような主張が含まれていた。

(1)当時、原子爆弾使用を禁止する実定国際法は存在しなかったから、国際法違反とはいえない。

(2)原爆が使用されたことで日本はポツダム宣言を受諾し、日本の無条件降伏の目的が達成されたのであり、よって戦争継続によるさらなる人命殺傷を防止することができた。

(3)戦争は国家間の利益紛争の解決手段であって、よって戦争でとられる行為の適法性はもっぱら国際法によって評価されるものであって、当事国が国内法により直接相手国民に対して損害賠償の責任を負うことはない。つまり、国家免責の法理によって、米国政府の(大統領や閣僚、軍人などの)公務員に対して損害賠償を請求する権利は認められていない

(4)個人は原則として国際法上の主体とはなり得ない。米国に対して損害賠償を請求しうる地位にあるものは、日本国であって、原告等個人ではない。よって、原告等の主張する損害賠償請求権は観念的なものであって、権利として実行される手段も可能性も備えていない。ときとして、個人が国際法上の主体となることがあるとしても、それは条約その他の国際法にその趣旨の規定があるとか、個人に国際司法裁判所に対する出訴権が認められた場合に限られる。

(5)よって、平和条約第19(a)で放棄した「日本国民の権利」は、国民自身の請求権を基礎とする日本国の賠償請求権、すなわちいわゆる外交的保護権のみを指すもので、個人の請求権まで放棄したものではない。仮に個人の請求権を含む趣旨であると解釈したとしても、それは放棄できないものを放棄したと記載しているにとどまっており、国民自身の請求権はこれによって消滅しない。

 

以上のように、被告の日本政府は、米国政府にはもちろん日本政府にも、原爆無差別大量殺戮の被害者に対する損害賠償責任は一切ないと主張しているのである。それどころか(2)のように、原爆無差別殺大量殺戮という由々しい戦争犯罪を、米国が正当化した論調を積極的に評価しそのまま応用するすなわち「人道に対する罪」を完全に無視する論調を、破廉恥にも法廷という場で展開したのである。

 

驚くべきことは、被告としての論述を準備した日本政府側のスタッフには、原爆無差別大量殺戮がニュルンベルグ原則で確定された国際的な三大犯罪「平和に対する罪」、「戦争犯罪」、「人道に対する罪」の全てに、とりわけ「人道に対する罪」に該当するという認識が全く欠落していたように思われる。それだけではなく、この「人道に対する罪」が条約化されたものが、1948129日に、第3回国際連合総会決議260A(III)にて全会一致で採択され、1951112日に発効されたジェノサイド条約であり、原爆無差別大量殺戮は、この条約にも違反する犯罪であったということを認知する法学的知識と判断力すら被告側は欠いていたようだ。

 

「下田裁判」が民間訴訟であり刑事裁判ではなかったとはいえ、原爆無差別殺大量殺戮がもたらした残虐極まりない被害に対する損害賠償請求権を審理する裁判であったのであるから、原爆無差別殺大量殺戮が法理論的にいったいどのような犯罪であったのかについては詳しく知っておく必要があったはずだ。

 

ところが、「原告等の主張する損害賠償請求権は観念的なものであって、権利として実行される手段も可能性も備えていない」とか、条約では最初から「放棄できない個人の請求権を放棄したと記載しているにとどまっている」のだなどと、法理論的にもめちゃくちゃな、単なる「言葉の遊び」による誤魔化し、いや詐欺としか言いようのない下劣な主張を、恥ずかしくもなく法廷という場で堂々と展開したのである。「放棄できない個人の請求権を放棄したと記載」しなければならなかったその理由とは、いったい何だったのか!こんな愚鈍な主張は原告を愚弄する行為であることは、法律の専門家でなくても分かるはずである。

 

よって、このような被告=日本政府の主張に対して、原告側が、以下のように怒りの批判を浴びせたのも不思議ではない。

 

被告は、原告等の主張する損害賠償請求権は観念的なものであって、実現手段をもたないものであるから権利ではないと主張する。もし被告の考え方が認められるならば、戦時国際法は全面的に否定されることになるのであって、どれほど使用を禁止されている兵器を用いても、勝てば違法の追求を免れ、国際法を守っていても、敗れれば相手国の違法を追求できないということになり、従って勝つためには使用を禁止された兵器も使用せざるを得ないということを肯定する理論となる。自ら行使の手段を有しない権利は権利でないという被告の理論は、独断以外の何ものでもない。

 

原告等の権利は日本国によって行使されるのであって、民主国家は国民のためにあるのだから、自国の政府がこれを行使することができれば、それで十分であろう。自国の政府が国民のために働かないことを前提として、国際法上の権利を考えねばならないとするのは、あまりにも情けない理論だといわなければならない。

 

*被告の「個人の損害賠償請求権」解釈をそのまま追随した判事たち

 

このような原告側と被告側の議論の応酬を終えて、では判事たちはどのように判決文を書いたのであろうか。前回の論考でも厳しく批判しておいたように、判決文を書くに当たって、判事たちがニュルンベルク原則に注意を払ったことを示すような法理論の展開は、判決文のどこにも、かいもく見当たらない。

 

すでに幾度も私が批判しているように、この裁判が民事訴訟であり刑事訴訟でなかったとはいえ、原告である被害者は、原爆無差別大量殺戮これは「平和に対する罪」(国際条約・協定に違反する戦争の遂行)、「戦争犯罪」(一般住民の殺害、都市の理由なき破壊)と「人道に対する罪」(一般住民の殺害と絶滅)という由々しい犯罪の被害者であった事実を判事たちは深く考慮して判決文を書くべきだったのである。ニュルンベルグ原則の目的は、これら三つの重大犯罪の被害者と生存者を保護するために、加害者がどんな地位の人間であれ、また国内法で処罰されない場合でも、国際法で処罰されるための原則として打ち立てられたものであるそのことに判事たちも、被告側と同様に、なんら注意を払っていないあるいはニュルンベルグ原則について全く無知だったのかもしれない。

 

判決文を読んでみると、判事たちは、このニュルンベルグ原則を全く無視して、あくまでも被爆者を単なる「民事訴訟の原告」としてしか見ていないことがはっきりと分かる。例えば、上記した被告の主張(4)との関連で、個人に国際法上の損害賠償請求権を認めた条約の一例として、第1次世界大戦後のヴェルサイユ条約その他の講和条約の各経済条項を判決文は取り上げている。このヴェルサイユ条約に基づいて、ドイツ領内にあった同盟及び連合国の国民の財産、権利または利益に関して受けた損害については、個人がドイツ政府を相手に損害賠償請求権を有していたことを判決文は指摘している。ところが、この条約での「損害賠償請求権は同盟及び連合国の国民に限られており敗戦国の国民には出訴権が認められていないから……、これを根拠として個人の国際法上の権利主体が一般的に認められ、国際法上主張する手続きが保証されたというにはまだ不十分」と断定している。かくして、損害賠償請求権を単なる経済的な問題としてしか捉えておらず、「戦争犯罪の被害者・生存者の保護」というニュルンベルグ原則の根本的な法理論的目的の観点が、判事たちの頭からはスッポリと抜け落ちているのである。

 

さらに判決文は、上記した被告の主張(5)をそのまま受け入れるどころか、さらに強く支持して、平和条約に記載されている賠償請求権は、あくまでも日本国の国家としての賠償請求権、すなわちいわゆる外交的保護権のみを指すもので、それは実体的な権利である「日本国民」の「米国・米国民に対する損害賠償請求権」ではないと主張。つまり、国際条約では個人の請求そのものが提出されるわけではなく、国家自身の請求として提出される、と主張。「国家が自らの判断により決定し、しかも自らの名において行使するのであって、国民を代理するわけではない」ので、「個人が国際法上の権利主体であると考える余地はない」と、原告の主張をバッサリとひと蹴りしてしまっている。

 

そして結論では、「対日平和条約以前に、条約の規定をまたず当然に、個人に国際法上損害賠償請求権が認められた例はないから」、平和条約は「日本国民個人の国際法上の損害賠償請求権を認めたものではなく、従ってまた、それを放棄の対象としたわけでもない」と主張。よって平和条約で放棄されたのは、「日本国民の日本国及び連合国における国内法上の請求権である」と述べる。ところが、日本国内法ではもちろんのこと、主権免責の法理を採用している米国で、日本国民が「米国・米国民に対する損害賠償請求権」を主張することは、米国内法の観点からみても不可能であるから、実際には国内法上の「損害賠償請求権」も存在しないのだという判断である。

 

よって、判決文は、原告である被爆者たちは喪失すべき損害賠償請求権利を、条約上も国内法的にも最初からもっていないのだと述べて、被告側の主張を全面的に受け入れ、原告の主張を完全に否定したのである。その結果、最初から原告等が持っていなかった権利を政府が放棄できるはずがないのであるから、「法律上これによる被告の責任を問う由もない」と、政府の無罪を主張したわけである。

 

*結論:憲法「前文」と「主権在民」原則を完全に無視した判事たち

 

要するに、判決文で判事たちは国際法の解釈について法理論的な難解な説明をあれこれともっともらしく述べ、なんとか判決文の体裁を整えようと苦心している。しかし、結局は、結論は被告である政府の主張を全面的に受け入れ、原告である被爆者の訴えを完全に拒否したのである。そして、どう考えても否定しようがない原爆無差別大量殺戮の犯罪性だけは認めそれも1899年採択のハーグ陸戦条約、1925年に署名されたジュネーブ議定書、1923年起草のハーグ空戦規則案など、戦前の国際法の判断だけを基準として、ニュルンベルグ原則を全く無視し、判決文の最後では、原告の被爆者たちのための救済策をたてることは、「もはや裁判所の職責ではなくて、立法府である国家及び行政府である内閣において果たさなければならない職責である」と、自己の責任から逃げている。

 

「下田裁判」判決文の決定的な問題は、国民の損害賠償請求権は、「国家が自らの判断により決定し、しかも自らの名において行使するのであって、国民を代理するわけではない」ので、「個人が国際法上の権利主体であると考える余地はない」という文章に明確に表れているように、判事たちの考えは日本国憲法の根本原理である「主権在民」をすっかり蔑ろにしていることである。

 

いまさら述べる必要も本当はないのであるが、「主権在民」の根本原理については、憲法前文で以下のように宣言されていることを指摘しておこう。

 

政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。

 

とりわけ憲法111213条は、このことを具体的な形で保障している。よって、憲法で保障されている国民の「侵すことのできない永久の権利」である「基本的人権」(11条)、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」(13条)を、国家権力が国際条約締結の際に蔑ろにすることは憲法違反である。国民の損害賠償請求権は国民諸個人の権利であって、国家が勝手に「自らの名において行使」できたり、国際条約の中で「存在しなかったことにしたり」できるものではない。

 

憲法98条(2)では「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」と定められている。しかし、同時に98条は「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と定めていることから、国民の権利を侵すような内容の条約を締結することは、条約そのものが効力を有しないのである。よって効力を有しないような条約を締結することは、当然に憲法違反とみなされるべきである。

 

判事ともあろう法律専門家たちが、なぜこのような憲法の基本的な原理を無視してしまったのであろうか?その答えは、当時の判事を含め法律家の多くは、戦前・戦中からすでに法律家として活躍していたということと関連しているのではないかと私は考えている。戦前・戦中の天皇制イデオロギーにどっぷり浸かった法曹界で活躍していた彼・彼女たちは、その法曹界が敗戦後に突然「民主化」され、「民主憲法」尊重主義に変わったとはいえ、その後も長く天皇制イデオロギーの残滓に無意識のうちに影響されており、「国家権力」を「国民の権利」より優先させてしまうという誤謬をしばしば犯している。

 

とりわけ天皇に対する「不敬罪」では、戦後間もなく刑法の「不敬罪」が廃止されたにもかかわらず、判事の中には天皇に対する「不敬罪」という旧刑法の観念を自分の頭から完全に除去することができなかった者が多くいた。たとえば、196912日に天皇裕仁を狙った奥崎健三の「パチンコ玉発射事件」では、東京地方裁判所の1審で「暴行罪」実際には「暴行罪未遂事件」だったという判決ではあったが、判決文の内容は重大な「不敬罪」という取り扱い方で、思い実刑判決の内容であった。2審判決では、奥崎の行動が憲法第1条の「日本国の象徴、日本国民統合の象徴としての地位を有する天皇に対する犯行」であると、まさに戦前・戦中の「不敬罪」を想起させる内容の驚くべき判決文となっている。

 

「国家権力」を「国民/外国人市民の権利」より優先させるという日本裁判所の悪癖は、残念ながら、その後も現在まで長く続いており、日本が犯した戦争犯罪たとえば、日本軍性奴隷制(いわゆる「慰安婦制度」)、徴用工強制労働、捕虜虐待などの被害者がこれまで訴えてきた数多くの損害賠償請求の訴えに対しても、ほとんどのケースで訴えを退け、日本政府には賠償金を払う責任がないという判決を下している。その意味で、「下田裁判」は、「国家権力優先」と「戦争被害者の人権無視」の先駆けとなったとも言える裁判だったのである。

 

このことを忘れて、「原爆投下を犯罪」として認め、判決文の最後では被爆者に対して「十分な救済策を政府が執るべき」だと、たった数行述べたことだけで、「画期的」判決文として称賛することが、いかに判決文の実際の内容を無視した軽薄な言動であるか!そのことを、とりわけ反核・平和市民運動に関わっている法律家や活動家は深く自覚すべきである!

岡本尚一弁護士

原告側の主任弁護士であった岡本尚一が松井康浩弁護士と一緒に、東京地方裁判所に訴訟を提起したのは1955年の4月。岡本は、19481210日に国連総会で採択された「世界人権宣言」と日本国憲法で規定されている「基本的人権」を損害賠償請求の根拠に位置づけ、同時にニュルンベルグ原則を原爆無差別殺戮にも適用させたいと考えていたことは、彼が裁判準備のために書いた『原爆民訴或問』という小冊子からも明瞭である。裁判でも、国民の損害賠償請求権を拒むことは「(財産)没収にも等しく、日本国憲法の基本理念である人権の尊重と相去ること甚だしい」と述べている。この裁判は、196312月の結審までに、なんと8年以上かかった。この間、裁判長は5度も交代し、岡本は19584月にその努力の成果を見ることなく脳卒中で亡くなった。

 

つまり、彼がこの裁判に関わったのは最初の3年ばかりで、その後5年続いた裁判で、もし岡本が存命していたならば、日本国憲法やニュルンベルグ原則をどのように活用して法廷で論述を展開したのか、それを我々が知ることができないのはひじょうに残念である。判決は原告側の完全な敗訴だったが、原爆使用が国際法違反という認定だけをあたかも「一部勝訴」のように華々しく取り扱うメディア報道などを評価して、控訴しなかったため判決は確定してしまった。もし岡本がその時点でも存命であったならば、おそらく彼は控訴して闘い続けたであろうと私は思う。

 

次回に続く

 

 

 


2024年12月26日木曜日

「下田裁判」判決文から日本被団協ノーベル平和賞受賞まで

― 原爆無差別大量殺戮の罪と責任を再考する ―

 

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「下田裁判」判決は本当に画期的だったのか?!

 

*「下田裁判」の「画期的」判決文にもかかわらず原告敗訴 ― それは矛盾では?

 

最近NHKの連続テレビ小説「虎に翼」がひじょうな人気を博し、そのため主人公の猪爪寅子のモデルとなった裁判官である三淵嘉子の生涯もメディアが多いにとりあげるようになったようである。その関連で、彼女が関わった所謂「下田裁判」、別称「原爆裁判」も ― これまでその判決から60年以上ほとんど無視されてきたが ― にわかに注目を浴びるようになった。三淵が他の二名の裁判官と書いた判決文には、広島・長崎に対する原爆攻撃を「国際法違反」と断定する部分が含まれていることから、これを画期的な判決文だと賛美する声が ― 反核、反戦、平和運動などに関わっている市民運動家を含めて ― あちこちからあがっている。

   私はオーストラリアに住んでいるため、この連続テレビ小説を観る機会はないので、この番組についてコメントすることはできない。また、三淵の経歴についても私は全く無知であるので、彼女の法律家としての能力や生活信条などについてもコメントすることも私にはできない。ここで私がこれから述べることは、したがって、彼女が他の二人と書いた「下田裁判」の判決文だけが議論の焦点であり、テレビ番組や三淵個人のこととは無関係であることをお断りしておく。

   広島・長崎に対する米軍による原爆無差別大量殺戮が、当時の国際法に照らしても明らかに国際法違反の「戦争犯罪」であったという判断は、196312月の「下田裁判」の結審を待つまでもなく、2回目の原爆殺戮が長崎に対して行われた直後に、日本政府が米国政府に送った抗議文でもはっきりと表明されている。日本政府は、長崎原爆投下直後の194589日に、米国に対する抗議文を、スイス政府を通じて外務大臣東郷茂徳の名において送った。この抗議文の中で日本政府は以下のように述べた。 

 

聊々交戦者は害敵手段の選択につき無制限の権利を有するものに非ざること及び不必要の苦痛を与ふべき兵器、投射物其他の物質を使用すべからざることは戦時国際法の根本原則にして、それぞれ陸戦の法規慣例に関する条約付属書、陸戦の法規慣例に関する規則第22条、及び第23条(ホ)号に明定せらるるところなり。

 

抗議文はさらに,米国を以下のように厳しく非難している。

 

米国が今回使用したる本件爆弾は、その性能の無差別かつ惨虐性において従来かかる性能を有するが故に使用を禁止せられをる毒ガスその他の兵器を遥かに凌駕しをれり、米国は国際法および人道の根本原則を無視して、すでに広範囲にわたり帝国の諸都市に対して無差別爆撃を実施し来り多数の老幼婦女子を殺傷し神社仏閣学校病院一般民衆などを倒壊または焼失せしめたり。而していまや新奇にして、かつ従来のいかなる兵器、投射物にも比し得ざる無差別性惨虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する新たなる罪悪なり。

 

つまり、この抗議文では、原爆無差別大量殺戮が、1899年採択のハーグ陸戦条約や1925年に署名されたジュネーブ議定書に明白に違反しているし、実定法ではなかったが権威ある慣習法と見なされていた1923年起草のハーグ空戦規則案にも違反していると、決然と述べられているのである。原爆無差別大量殺戮が当時の国際法に照らして否定しようのない「戦争犯罪」であることは、この抗議文からも明々白々である。

この抗議文の起案者が国際法を熟知していたであろうことは疑いない。広島・長崎への原爆攻撃のみならず、他の都市への(焼夷弾を含む)通常爆弾空爆も国際法(ハーグ条約)違法であるという、無差別大量殺傷に対する鋭く厳しい糾弾となっている。中国各地で無差別空爆を行っていた日本が、国際法を持ち出して米国の無差別空爆を批難したこと自体が皮肉であるが、しかし、これが、日本政府が原爆攻撃に関して出した最初で最後の抗議文であった

したがって、下田隆一を含む5名の被爆者は、「下田裁判」の原告として、基本的にはこの日本政府の抗議文に沿った形で原爆無差別大量殺戮が国際法違反であると裁判で主張したのである。それは、自分たち被爆者には米国政府に対する損害賠償請求を行う権利があるという訴えの理由として主張された。さらに、原告側の鑑定人として意見を述べた国際法学者の安井郁(当時、法政大学教授)も、また被告の日本政府側として意見陳述を行った田畑茂二(京都大学教授)も原爆攻撃が「非人道的、無差別攻撃で国際法に違反する」と主張。政府側のもう一人の鑑定人となった高野雄一(東京大学教授)も、この二人ほど断定的ではないにしても「国際法違反の戦闘行為とみるべき筋が強い」と述べた。

よって、当時の最も権威ある日本の国際法学者のうちの3人が、原爆無差別大量殺戮が国際法違反であったという ― もともと被告側の意見でもあったのと ― 同じ意見陳述を法廷で述べたわけであるから、判決文で「国際法違反ではない」とか「国際法違反とは見なせない」などいう ― 被告の日本政府側に寄り添うような ― 判断を裁判官ができるはずがなかった、というのが実情だったのである。確かに、一国の裁判所がそのような判断を下したことに一定の意義はあったかもしれないが、決して「画期的な判断」による判決文などではなかったと私は考える。そんなに画期的な判決文だったのなら、なぜ原告側が敗訴したのか、という問いが残るはずである。それを問わずに「画期的」などと言うのは無責任である、というのが私の考えである。

私たちがここで考えなければならないのは、むしろ、降伏直前には原爆無差別大量殺戮が国際法違反であったと単刀直入に米国を批判した被告=日本政府が、戦後はその主張内容を180度転換して、破廉恥にも「国際法違反とは言えない」と米国に、尻尾を振るように媚をへつらう態度をとったこと。そのことと、そうした米国への政治的追従が、その後長年にわたって日本政府を原爆被爆者救済政策に極めて後ろ向きにしてきたこととの関連性である。

後述するように、「下田裁判」の判決文にもかかわらず、原爆の犯罪性が厳しく問われなかったことから、その犯罪の犠牲者である被爆者の戦争被害の実態も長年にわたって無視され、80年近く経つ今も多くの被爆者が原爆症認定や援護を受けるために苦しい裁判闘争を余儀なくされている。その一方で、被爆者は政治的には常に「唯一の核被害国の被害者」として「聖化」されながら、米国政府の責任も核抑止力の犯罪性も問わないままで、「究極的」核兵器廃絶というスローガンだけを唱え続ける政治家や御用学者に、核被害のシンボルとして都合良く利用され続けてきた。

このように原爆の犯罪性を不問にしたこと、その結果、放射能汚染被害を甚だしく軽視し、日本も核兵器製造能力を持つことを目指したことなどが、無批判で安易な原子力利用の導入・拡大を許し、結局は福島原発大事故を引き起こし、再び数多くの被曝者を出すことにもなってしまった。そして今や、「米国と核の共有」などという愚かな政策を提案する人間が首相の座に居座っているのが ― 首相になってからは公言を控えているようだが ―、日本の現状である。ちなみに、「核の共有」というのは言葉の遊び=欺瞞で、米国が非核兵器保有国と核兵器を「共有」することなど実際にはあり得ない。NATOが核兵器を使う場合にも、最終的決断権は米国が握っている。「核の共有」などと主張する者は、自分の愚鈍さを曝け出していることにすら気がつかない。

 

*「下田裁判」判決文は「画期的」どころか、重要な問題を孕んでいる!

 

この「下田裁判」を議論するときに私たちが注意すべきことは、この裁判は金銭による損害賠償を請求した民間訴訟であり刑事裁判ではなかったということである。賠償について法廷は「国家行為」の理論を適用し、政治的指導者の行為に対する国際法上の責任は、指導者個人にあるのではなく、国家にあると考えた。よって判決文では、次のように書かれている。

 

原子爆弾の投下を命じた米国大統領トルーマンに対しては、国際法上損害賠償を請求することができないと解される。けだし、国家機関として行った行為に対しては、国家が直接に責任を負わなければならず、その地位にあった者は、個人的責任を負わないとするのが国際法上の原則であるからである。

 

  指導者の行為に対しては国家が国際法上の責任を負うというこの原則は、確かにニュルンベルグ裁判が開廷する194511月までは有効であった。しかし、その後開廷したニュルンベルグ・東京両裁判で定着した、包括的な個人責任の原則とは明らかに矛盾している、という点に私たちは注目すべきである。ニュルンベルク裁判では、「国際法に違反する犯罪は、人間によって実行されるのであり、抽象的実体によって実行されるのではない。またそのような犯罪を実行する個人を処罰することによってのみ国際法の規定を執行することができるのである」と宣言されたことはよく知られている。(強調田中)

ニュルンベルグ裁判のための新しい国際法廷原則として打ち立てられたニュルンベルグ原則は、1946年の国連第1回総会で満場一致で採決され、1952年、国際法委員会によって改正された。よって、このニュルンベルグ原則によって、「指導者の行為に対しては国家が国際法上の責任を負う」という古い原則は無効になった、と解釈すべきなのである。とくに、ニュルンベルグの第三原則「国家の元首または責任ある公務員にして、国際法により犯罪を構成する行為をおこなった者は、国際法上の責任を免れない」が、そのことを明示している。

この原則に基づいて、ニュルンベルグ裁判ではヒットラー政権で航空大臣や国家元帥を務めたヘルマン・ゲーリングやナチ党総統代理であったアドルフ・ヘスなど24名が起訴されたし、東京裁判では首相であり陸軍大将であった東條英機や内大臣の木戸幸一など29名が被告とされ、有罪判決を受けた。よって犯罪を犯した国家指導者たちは、各人の罪を裁判で問われ、有罪となれば処刑や禁固刑という形でその責任をとらされた。

ところが、下田裁判の裁判官たちによって採用された上記のような古い原則をナチ政権・軍指導者や日本の戦時内閣と軍指導者に適用するならば、彼らはドイツ政府や日本政府のために行動していたのであるから、戦争犯罪の個人的責任を問われることはないはずという主張になる。つまり、ニュルンベルグ・東京両裁判の判決は間違っていたということになるのである。

トルーマンが戦争犯罪人として裁かれなかったのは、ニュルンベルグ・東京両裁判が「勝者の裁判」で、連合国側が犯した戦争犯罪は全く審理されなかったからであり、言うまでもなく、連合国側が犯さなかったわけではない。だからと言って、ナチス軍や日本軍が犯した様々な残虐な戦争犯罪が、犯罪ではなかったというような主張に正当性が全くないことは今更説明するまでもない。ちなみに、天皇裕仁が東京裁判で訴追されなかったのは、日本軍が15年戦争中に犯した様々な残虐極まりない戦争犯罪に関して彼に責任がなかったのではなく、天皇の権威を利用したいという米国側のもっぱら政治的な思惑から訴追されなかっただけのことである。

現実には、ニュルンベルグ・東京両裁判は、ニュルンベルグ原則に基づいて、被告人に対して、各人の犯罪行為に対する個人的責任を厳しく追求した。ところが、下田裁判では、すでに見たように、原爆攻撃を明らかに国際法に違反する「無差別大量虐殺」と判決文で認定したにもかかわらず、原子爆弾を使うことで「戦争犯罪」を犯した米国大統領トルーマンには「個人的責任がない」という判断を、裁判官たちは下したのである。要するに、三淵を含む3名が書いた「下田裁判」の判決文は、この点で決定的に矛盾しているのである。これが、「下田裁判」判決文を私が「画期的判決」とは見なせないと主張する第1の理由である。他の理由については次回詳しく述べる。

 

*結論:「広島·長崎への原爆投下を裁く国際民衆法廷」の意義

 

確かに、下田裁判は国際刑事裁判ではなく日本国内の民間訴訟であったので、トルーマンの罪を裁くことはできなかった。しかし、判決文では原爆無差別大量殺戮が国際法違反であったと明白に認定したのであるから、本来その責任が米国政府にあるだけではなく、その犯罪を一体誰が犯したのかをも明文化すべきであったのである。それを、こともあろうに、逆に「トルーマンには責任がない」と判決文で明記することによって、原爆無差別大量殺戮という由々しい「人道に対する罪」を犯した者たちの「罪と責任」を有耶無耶にしてしまった これは裁判官として失格であると私は考える。

この失敗を私たち市民の力で克服し、原爆無差別大量虐殺の罪を犯した犯罪人たちを、国際法に基づいて厳密に市民の手で裁くという民衆法廷 ― 広島·長崎への原爆投下を裁く国際民衆法廷 ― を、私たちは2007年に広島で開廷した。このことを、反核・平和運動に関わっている市民活動家は忘れないで欲しい ― これを忘れて「下田裁判 判決文は画期的だ」などと言ってもらいたくない!この民衆法廷の判決文では、トルーマン大統領だけではなく、ルーズベルト大統領や当時の米政府高官、軍指導者と軍人、科学者など、原爆開発、原爆使用決定と実際の爆撃に関わった複数の、原爆無差別大量虐殺の犯罪で最も責任のあった人物を訴追し、有罪と認定した。判決文は下記のURLで読むことができる:

https://docs.google.com/document/d/1WfCTQBqilbDpFmlblIGmWVbxb6EOClh0wB4cPMKb0Xw/edit?usp=sharing

なお、戦争犯罪は人間個人が犯すものであり、責任はその個人はもちろんのこと、国家も負うべきであるという論理はどのような理由から成り立つのかということについて、今ここで詳しく述べている余裕がない。これに関する詳しい説明は、拙著『検証「戦後民主主義」:わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』(三一書房)の第5章の(1)「罪と責任の忘却ハンナ・アレントの目で見るオバマ大統領の謝罪なき広島訪問」を参照してもらえれば光栄である。

 

― 次回に続く ―

 

 

 

 

 

2024年12月21日土曜日

2024 The End of Year Message II: Farewell to Michel Leunig !

さよなら、マイケル・ルーニッグ!

On 19 December, Michel Leuning, my favorite Australian cartoonist and poet, left this treacherous world, saying "the pen has run dry, its ink no longer flowing." I believe he is now happily smiling and chatting with angels, surrounded by beautiful birds and flowers with exquisitely melodious music, and sipping tea from his favorite cup next to a teapot.

マイケル・ルーニッグ ― 私の大好きなオーストラリアの漫画家で詩人― が1219日に「ペンが乾き切ってインクが流れなくなりました」と言って、この酷い現世(うつしよ)を去りました。今頃彼は、美しい鳥と花々に囲まれ、優美な旋律の音楽を聴きながら、大好きな急須と茶碗でお茶を飲みつつ、幸せそうに微笑みながら天使たちとおしゃべりを楽しんでいることでしょう。

 



https://www.youtube.com/watch?v=bTgwjq4PqKo

https://www.youtube.com/watch?v=l09GlrHjSEY

 

Dear Michel,

Although you are no longer with us, I am sure that your work will always remain in our memories. Thank you, Michel, for your wonderful cartoons and poems that you produced over many years. Your work comforted me when I was sad and unhappy, encouraged me to stand up against injustice, and constantly reminded me the importance of love and compassion. And thank you especially for allowing me to use your cartoon of indiscriminate bombing for free in the book I co-edited with Marilyn Young, Bombing Civilians: A Twentieth-Century History. If there is a heaven, I would love to meet you there again. ( https://www.amazon.com.au/Bombing-Civilians-Twentieth-Century-Yuki-Tanaka-ebook/dp/B0042RUF5W )

親愛なるマイケルへ

もう私たちから遠く離れてしまった貴方ですが、貴方の作品はこれからもずっと私たちの記憶の中に残るはずだと思います。マイケル、貴方がこれまで長年作り続けてきた素晴らしい漫画と詩に心から感謝します。貴方の作品は、私が哀しかったり不安だったときには慰めてくれ、不正なことには対抗する勇気を与えてくれ、愛と共感がとても重用なことを常に想い起こさせてくれました。また、私がメリリン・ヤングと一緒に出した著書 Bombing Civilians: A Twentieth-Century History (市民空爆:20世紀の歴史)の本の中で貴方の「無差別空爆」の漫画を無料で使う許可を与えてくれたことに、特に感謝します。 ( https://www.amazon.com.au/Bombing-Civilians-Twentieth-Century-Yuki-Tanaka-ebook/dp/B0042RUF5W ) あの世というものがあるならば、そこで再度お会いしたいものです。

 

December 22, 2024 (20241222)

Yuki Tanaka 田中利幸

 

 

誕生したキリストを探す3人の賢者

「グーグル・マップで<馬小屋+飼い葉桶>を探しても見つからないな……。ウーバー・タクシーを呼ぶよりほかないな〜。」

 

今年のクリスマス・パーティー

 

願いごと

 

精神的な健全さ、美しさ、やさしさ、思いやり

欲しいと思うなら、どれもみな簡単に手に入る大切なもの

気持ちのこもった寛容さ、耐え忍ぶ心と安らぎ

鶏、ムクドリ、アヒルとガチョウ

木々と花々、草と種

手と足と色鮮やかなビーズ玉

茶碗に入ったお茶、遠くから聞こえてくる鐘の音

山の上の浮雲、それに美味しそうな料理の匂い

庭のなかの小さな細道と、そのそばに置かれた木製の椅子

精神的な健全さ、美しさ、やさしさ、思いやり」

 

2024年12月18日水曜日

2024 The End of Year Message

1)The fourth movement of Beethoven’s Ninth Symphony, ‘Ode to Joy’ is ‘a song of joy for men who have won the women.’

2)Thoughts on Akira Kurosawa’s film Dream - Should today’s reality be called ‘nightmare’ ?

 

 

Work by Alisa Tanaka-King

1)The fourth movement of Beethoven’s Ninth Symphony, 'Ode to Joy,' is ‘a song of joy for men who have won the women.’

 

Every year at the end of the year in Japan, Beethoven’s Ninth Symphony is performed all over the country, and many citizens join the chorus to sing the fourth movement, ‘Ode to Joy.’ I don’t know when this became popular end-of-year event in Japan. In the West, it is very rare for the 9th Symphony to be performed at the end of the year, and instead the year-end program is usually Handel’s oratorio Messiah, famous for its ‘Hallelujah’ chorus, as a regular feature of the Christmas season.

It was unusual for the Melbourne Symphony Orchestra to perform Beethoven’s 9th Symphony on 29 November this year, so I went to the concert with my wife. The venue, the 2,500-seat Haymer Hall, was packed. I had not heard a live performance of the 9th for almost 20 years, so I was looking forward to it.

However, for the reasons explained below, when the fourth (final) movement, Ode to Joy, begins, although I am always deeply moved by the beauty of the melody and the power of the rhythm, I also wonder why such old male chauvinist lyrics are still sung today. I can’t help thinking that they should be rewritten. At the end of the fourth movement, the audience stood up and applauded wildly, but I didn’t want to get up from my seat, so my wife and I remained seated.

The text is taken from “An die Freude”, a poem written by Friedrich Schiller in 1785 to advocate love of humanity and revised in 1803. However, Beethoven added the introductory words and also significantly altered the original text when he used it in the fourth movement. This wonderfully powerful chorus begins with the following:

O Freunde, nicht diese Töne!

Sondern laßt uns angenehmere

anstimmen und freudenvollere.

 

O friends, not these tones!

But let’s strike up more agreeable ones,

And more joyful.

 

But “Freunde” does not just mean “friends,” it means “male friends”; and the word “Freundinnen (female friends)” does not appear even once in this song. And it is not just this opening lyric, but all the following lyrics in which “men” are the main characters. For example, the following lyrics are included here and there, with the usual English translation also noted below the German.

Alle Menschen werden Brüder,

All people become brothers.

 

Wer ein holdes Weib errungen, Mische seinen Jubel ein!

Whoever has won a lovely woman, Add his to the jubilation! 

 

Laufet, Brüder, eure Bahn, Freudig, wie ein Held zum Siegen.

Go on, brothers, your way, Joyful, like a hero to victory.

 

In this way, women and LBGT are not included in “all people,” and women are conquerable objects for men. So, it means that we will conquer women and continue to fight for victory!

 

Therefore this ‘Ode to Joy’ should really be called the ‘Ode to Joy for Men’ who have won the women. With almost half men and half women in the choir and four solo singers, two men and two women, I can’t help but find it very strange and weird to see the women joyfully praising the joy of male chauvinism and joyfully singing along with the men.

 

Thus, no matter how loudly they continue to sing this poem, which is said to have been written by Schiller to advocate ‘love for humanity,’ I think they will never achieve the goal of ‘love for humanity,’ especially in Japan where women are heavily discriminated against.

 

Here is the Youtube URL of the fourth movement by the famous conductor Daniel Barenboim. Barenboim had temporarily stopped performing a few years ago due to ill health, but when I was in Berlin in June 2023, there was a concert of the Berlin Symphony Orchestra conducted by Barenboim. I therefore bought a couple of tickets and went with my wife. However, he seemed weak and not in his usual good health due to his illness, and I wonder how he has been since then.

https://www.youtube.com/watch?v=CeO-trAbi7U

I actually like Beethoven’s Ninth, except for the lyrics of ‘Ode to Joy’ mentioned above. But I also like the Hymn to the Resurrection, with lyrics by Friedrich Klopstock, sung in the fifth and final movement of Gustav Mahler’s Second Symphony, Die Auferstehung. I am not a Christian, but I am a person who cannot live without music by Johann Sebastian Bach and other religious music. The URL below is a solemn and passionate performance of the final minutes of the fifth chapter of Mahler’s Second Symphony, conducted by Leonard Bernstein and performed by the London Symphony Orchestra with chorus.

https://www.youtube.com/watch?v=eifZHwQ9jUI

 

Work by Alisa Tanaka-King

2)Thoughts on Akira Kurosawa’s film Dream - Should today’s reality be called ‘nightmare’ ?

 

Both Beethoven’s Ninth and Mahler’s Second, though fraught with problems, sing powerfully of human hopes and dreams for the future, and there is no doubt that they are symphonic music that has moved the hearts of many people around the world for many years.

 

In the real world, however, Israeli forces continue to carry out indiscriminate air strikes in Gaza and Lebanon; and in Gaza in particular, nearly 2 million of the 2.3 million inhabitants are facing severe food shortages, and many people, especially children, who are already malnourished, are on the verge of starvation and death. On 21 November, the International Criminal Court (ICC) issued arrest warrants for Israeli Prime Minister Benjamin Netanyahu and former Israeli Defense Minister Yoav Gallant for ‘crimes against humanity’ and ‘violations of international law.’ However, very few countries are likely to actually enforce ICC arrest warrants, not least the US, which is not a member of the ICC, and even Japan and the European Union countries, which are.

 

While many people in Japan and Western countries, including myself, go to concerts of Beethoven’s 9th and Handel’s Messiah and enjoy the music of ‘hopes and dreams,’ for the people of Gaza and Ukraine the situation continues to be what I would call a “nightmare.” I cannot do anything about the fact that I continue to live my normal and relatively peaceful daily life in such a terribly contradictory situation, and yet over the past few years I have always felt a little anxious and depressed because I cannot escape a kind of guilt. Yet, I don’t know what to do to change this contradictory lifestyle. I don’t know what else to do, except to keep doing what I can.

 

This year marks the 70th anniversary of the release of Akira Kurosawa’s epic film, Seven Samurai. I don't know how it was in Japan, but many cinemas in Australia had special screenings of Kurosawa’s films. In Melbourne, where I live, some cinemas showed films like Seven Samurai, Rashomon, Throne of Blood, Ikiru and many others every Saturday for about three months. I appreciate the work of Hashimoto Shinobu, who co-wrote the screenplay for Seven Samurai and some of Kurosawa’s other films, and I have read several of Hashimoto’s books. So, I re-read some of his books and watched some of Kurosawa’s films on the big screen again. I was once again struck by the sheer scale of Kurosawa and Hashimoto’s imagination and creativity with profound humanity.

 

One of Kurosawa’s late films, Dreams, consists of eight separate dreams. One of them, ‘Tunnel,’ I just can’t forget for some personal reason, and I often watch it on Youtube. The story goes like this:

 

An army officer who survived defeat and has been demobilized is walking along a deserted mountain road in Japan to visit the bereaved families of his men and comes to a tunnel when a strange dog runs out from inside and threatens him. As he runs to the tunnel’s exit, he is confronted by the ghosts of his platoon men, all killed in action, emerging from the darkness of the tunnel. He tells his men of his own agony of survival and tells them that there is no point in wandering around as ghosts, so rest in peace. He then leaves the tunnel, but the dog reappears and barks at him.

https://www.youtube.com/watch?v=30dKCzGS6-g

 

This dream ‘Tunnel’ depicts the misery of the Japanese soldiers who died in the war and the anguish of the officers who survived in a brilliant, intense symbolist way. The reason why I cannot forget this work is that Lieutenant Yamashita in this ‘Tunnel’ could also be my father. As a lieutenant in the Kwantung Army, my father fought against Mao Zedong’s army in Manchuria and was seriously wounded and taken to an army hospital in Harbin, where he survived. After recovering and being discharged from the hospital, he was transferred to his home regiment in Sabae, Fukui Prefecture, where he remained until the end of the war without returning to Manchuria. The soldiers in my father’s unit that he commanded in Manchuria were from Iwate Prefecture, and most of them were killed in the war. When I was a child, my father would leave home every year around the Obon holiday and be gone for a week or more. Each time, I worried that he had run away from home. In later years, my mother told me that my father went to Iwate once a year to visit the graves of his men and apologize to their mothers. I believe that my father’s stubborn refusal to accept a military pension after the war was due to his remorse that he was the only one who had survived.

 

My father often told me how terrible and difficult the actual fighting in Manchuria was, and that he thought the Japanese army would not be able to defeat Mao Zedong’s army because they were brilliantly disciplined and had high morale. But he never said a word about the atrocities committed by his unit and other Japanese troops against the civilian population. I think he lacked a sense of remorse as a perpetrator. Akira Kurosawa made two war films - I Live in Fear and Rhapsody in August - both about the damage done to the Japanese people by the atomic bombs, but neither touched on the issue of Japanese wartime atrocities against other Asians.

 

On the other hand, there were many US, Australian and other Allied men who were prisoners of war and survived until after the war. Many of them insisted after the war that they had been spared because the atomic bomb had ended the war. I myself became very close to some of these POWs. The many major US films that have been made about the Pacific War - such as The Pacific, made in 2010 - also show that if the war had gone on any longer without the use of the atomic bombs, the US casualty figures would have been unimaginably high. The film presents a monolithic narrative that glorifies the courageous sacrifice of their own men for the protection of their nation, while simultaneously downplaying the immense suffering of Japanese civilians at the hands of indiscriminate fire and atomic bombings of Japanese cities and towns. This is also the reason why the Youtube video clip of the film The Pacific is entitled ‘This War Is The Reason Why The USA Used The Atomic Bomb In WW II.’

https://www.youtube.com/watch?v=qa6zSv0xdqY

 

It is evident that the two countries’ perspectives on war are aligned in terms of their shared neglect of the role of perpetrators. What measures might be taken to effect a fundamental transformation of this profoundly biased “view of war,” which has been shaped by the media and has become firmly embedded in the public consciousness? What measures might be taken to establish a genuinely universal and humane belief system that could serve as a basis for overcoming such biased views? The current global situation is, unfortunately, moving further and further away from these idealistic objectives.

 

I would like to conclude this year’s message with a story that may be perceived as somewhat utopian and hope that the forthcoming year will bring about a littel more positive outcome. The final story is entitled ‘Village with a Water Mill’ and is also from Akira Kurosawa’s Dream.

 

On my journey I arrive at a watermill village with a quiet river running through it. I meet an elderly man fixing a broken waterwheel and am intrigued when he tells me that these villagers reject modern technology and respect nature. As I listen to him, he tells me that there is a funeral today. However, I am told that it will be held as a glamorous celebration. My puzzled ears hear lively sounds and joyful chants. Instead of mourning and grieving, the villagers rejoice and celebrate their good life to the end, marching around the coffin with smiles on their faces.

https://www.youtube.com/watch?v=CrSBRuDPNtQ

 

This old man in the waterwheel village said “Some say life is hard. That’s just talk. In fact, it’s good to be alive. It’s exciting.” I would like to end my message at the end of this year by praying that the time will come when everyone in the world can say, “Life is good, it's very interesting.”

With best wishes

End of year 2024

 

Yuki Tanaka