来る5月30日(土曜)午後14〜16時 広島市の「合人社ウェンディひと・まちプラザ」にて広島文学資料保全の会が主催する「栗原貞子没後21年追悼のつどい」が開かれます。
会場、プログラムの詳細については下記のURLで観られるチラシをご覧ください。
https://drive.google.com/file/d/17sCX9PL3Q2_3sBW2luhxts31d7Phg_1o/view?usp=sharing
畏友、広島文学資料保全の会・事務局長の池田正彦さんから「この集会へのメッセージを」というご依頼がありましたので、下記のような拙文を送らせていただきました。限定字数を300字以上超えてしまい恐縮ですが、ご笑覧いただければ幸いです。
栗原貞子と憲法9条
栗原貞子が、日本国政府が制定した憲法9条をあれほどまでに尊重したのは、無政府主義者(アナーキスト)として一見矛盾しているように思える。しかし勘違いしてならないのは、彼女はあくまでも9条を称賛し、その永久保持を主張したのであって、日本国憲法全てを重要視したのではない。その理由を彼女は生前に明確にしてはいないが、以下のような考えからだったのではないかと私は思う。それは「国家だけが戦争を行う独占的権力をもっており、国家権力だけが国民に他国民を殺傷させ、同時に国家のために自分の命を捧げることを国民に強制する権力をもっている」から。この国家権力のおそるべき暴力性を全面否定しない限り、戦争は防止できない。つまり9条は、根本的には国家権力否定の理念によって裏打ちされている。その一方で、栗原貞子は徹底して天皇裕仁の戦争責任を追求し、天皇制を廃止しない限り、民主主義が日本に根づくことはないという趣旨の意見を述べ続けた。
この栗原の思想的スタンスを、私たちはどのように受け継ぎ、反戦平和運動に活かしていくべきか。そのことを、とくに広島の市民は問われていると私は思う。それを考える上で重要なのは、憲法前文で謳われている普遍的、世界的な平和社会構築の展望理念が、9条の国家暴力否定の精神と不離一体になっているという厳然たる事実である。
ところが、憲法の欠陥は、これも反天皇制を訴え続けた栗原はもちろん気づいていたはずだが、この憲法には前文と9条との間に、その両方と決定的に矛盾する、狭隘な国家理念にのみ足場を置いている憲法第1条があること。なぜこんな矛盾した憲法が作られてしまったのか?不思議なことには、このことを指摘する、あるいは明快に解説する憲法学者は、いわゆる「進歩的」な憲法学者を含め誰一人いない!なぜこんな摩訶不思議なことがおきてしまったのか?それは天皇裕仁を戦争犯罪人として東京裁判で訴追することをさけ、天皇の象徴権威を日本占領のために徹底的に政治利用するために、裕仁が戦時中に軍指導者たちに操られた「平和主義者」であったという虚妄で、日本国民だけではなく連合諸国の国民も騙してしまう必要があったからである。その結果、戦争犯罪人の天皇が平和憲法の象徴となってしまったという超矛盾が憲法に埋めこまれてしまった。
日本国憲法には、世界的にもまれな、国家主義を突き破るような平和主義の前文と9条がありながら、この1条のためにいつまでも矛盾を抱え込んでいる。それゆえ、真に民主主義的な社会を形成できない。このことを私たちはどうすべきなのか。ひじょうに難しい問題であるが、これを問い続ける市民運動を粘り強く続けていかない限り、日本に真の市民社会が成立することはないというのが、栗原貞子から学んだ私の信念である。
田中利幸(歴史家)

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