2022年6月7日火曜日

ウクライナ戦争における軍性暴力の実態に関する一報告

ウクライナ国立科学アカデミー (I.Krypiakevych Institute of Ukrainian Studies)の研究員で、第二次大戦中のウクライナでのナチス軍によるユダヤ人虐殺時における性暴力を研究テーマにしている、マリア・ハブリシュコという女性がいます。彼女は、ドイツのハンブルグ社会研究所の支援で10年ほど前に立ち上げられた「武力紛争時における軍性暴力」という研究プロジェクト・チームの、20人ほどいるメンバーの一員です。私もこのプロジェクトにほとんど最初から参加していますが、プロジェクトのコーディネーターは、ハンブルグ社会研究所の研究員で、『戦場の性:独ソ戦下のドイツ兵と女たち』(岩波書店)の著者でもあるレギーナ・ミュールホイザーです。私たちのこの研究プロジェクトの活動については、このブログの2019年の年末メッセージでも少し触れておきました。

3月12日、マリアは一人息子を連れて、ウクライナ西部の都市リヴィウを離れてハンブルグに逃れてきて、今もハンブルグに滞在しています。彼女は、ウクライナで起きている軍性暴力に関するかなり詳しい情報を収集していますが、その実態の一端を、レギーナと4月20日行った対談で明らかにしています。その全文(英語)が The New Fascism Syllabus というウエッブ・サイトに掲載されています。

http://newfascismsyllabus.com/contributions/ukrainian-dispatches/a-weapon-of-war-some-observations-on-sexual-violence-during-the-russian-war-in-ukraine/

全文を和訳すべきなのですが、今のわたしにはその時間的余裕がありません。そこで、私が重要だと思うマリアの発言部分をいくつか取り上げて、ご紹介しておきたいと思います。なお、マリアの発言にはかなり具体的な性暴力の説明が入っていますので、不快と感じられる方もおられるかと思います。前もって注意を促しておきますので、ご承知おきください。マリアの発言部分は全て「 」内のもので、( )内やそれ以外の文章は私の補足やコメントです。

 

破壊されたアパートの前で嘆き悲しむウクライナ女性
 

1)   ロシア兵による性暴力の正当化

「ロシア兵たちが個人住宅に侵入し、女性を家具に縛りつけて強姦をする現場を子どもに見せつけることが行われているということを聞いています。別のケースとしては、ロシア兵が捕まえた女の子の姉が、ロシア兵に<妹の代わりに私を連れていって。私のほうが年上だから>と言ったところ、ロシア兵は、<いや、お前は我々がお前の妹に何をするか見ていろ。我々は(第二次大戦時に)ナチの売春婦が(ロシア兵に)やられたことと同じことをやるのだから>と言ったそうです。この話は、ロシアのプロパガンダの影響がどのように現実に反映しているのかを、暴露しています。そのプロパガンダとは、ウクライナのロシア系住民に対してウクライナのネオ・ナチが大量虐殺を行ったから、全てのロシア系住民を守るためにロシア人が来ているとの主張です。ウクライナ人をナチスと同一視する馬鹿げたプロパガンダがロシア兵の行動に大きく影響して、ウクライナ市民に対する残虐行為につながっているのです。自分たちの行動を正当化するときに、ロシア兵たちはこのプロパガンダ表現を利用するのです。ロシア兵にとって、ウクライナの女性はファシストであり、ファシストの男たちの妻であり、娘であり、姉妹というわけです。強姦を通して彼らはこの考えをさらに確信するわけです。かくして、強姦を通してウクライナの女性は敵の<女>となるわけです。」

 

2)   上官による黙認と強姦に伴う略奪

「ロシア軍の指揮官がロシア兵のそうした行動を黙認しています。ロシア兵たちは略奪をやり、宝石、大型スクリーン・テレビ、服、さらには価値のない絨毯など、さまざまな物を奪っていきます。倫理観がどれほど低下しているかを表しています。それと同じ感覚で女性を強姦しているわけです。しかも、指揮官が兵たちの略奪と強姦を許しているわけです。性暴力は、兵たちに対する報奨であり、兵たちの気分を高揚させるのです。」

 

こうしたウクライナのロシア軍兵の行動は、15年戦争期(1531〜45年)の日本軍の残虐行為、とりわけ中国における蛮行を彷彿とさせます。

 

3)   性奴隷とされた女性たち

「ロシア軍の指揮官が兵たちに明確に強姦命令を下したという証拠を、私は見ていません。しかし、指揮官たちが見て見ぬふりをしているのだと、私は確信しています。例えば、ブチャでは14歳から24歳の25名の女性と少女たちが、性奴隷としてビルの地下に数日間閉じ込められました。この場合、指揮官に知られずに、兵隊たちがこれらの女性を性奴隷にできたとは考えられないです。指揮官は明らかに知っていたはずで、黙認していたのです。」

 

同じようなことを、日本軍もアジア太平洋の各地の侵略地でやっています。指揮官が「強姦するな」と言いながら、コンドームを配ったというような逸話も残っています。

 

4)   死体に見られる市民に対する残虐行為の痕跡

「ブチャで殺害された数百人にのぼる市民の共同墓地は、ロシア軍による多くの残虐行為の証拠の一例に過ぎません。今日(4月20日)の段階で、ロシア軍は約200人のウクライナの子どもを殺害しています。そうした殺された子どもの死体の中には、9歳、10歳の子どももおり、半裸や全裸にされ、手を縛られ、性器を切りとられた子どもたちの死体もあります。」

 

5)   女性兵士に対する性的虐待

「4月2日、ロシア軍に囚われていた15名のウクライナ軍女性兵士が解放されました。彼女たちは、収容期間中にどのような性的拷問を受け、生き延びたかについて証言しています。彼女たちは頭を丸刈りにされ、裸にされ、敵の男たちの前で(両足をひらいて)しゃがむ姿勢をとることを強制されたとのことです。」

 

6)   性暴力は「戦争の武器」

「こうした色々な例をみてみますと、性暴力は、ロシア軍が恐怖や不安を拡散し、ウクライナを降伏させ、ウクライナ政権が、こうした言語に絶するロシアの残虐行為をやめさせるよう、ロシア側の出すいかなる条件も受け入れるようにするための非公式な戦略の一つであることを示している、と私は思います。ロシア軍は、ウクライナ人を怖がらせ、怯えさせ、最終的に我々の集団的な抵抗の意志を崩すために、こうした残虐行為と蛮行を行なっているのです。この意味で、性暴力というのは戦争のための武器だと私は言いたいです。」

 

武力紛争時に軍の性暴力が必ずと言ってよいほど起きる原因には、いろいろありますが、その一つには、確かに「敵の市民に対する性暴力で敵に恐怖を与え、敵を挫き、支配するための武器として性暴力を使う」ということがあります。

 

7)   性暴力の被害者が、被害者であることを公表したくない理由の一つ

「最近、強姦された女性と話をしたフェミニストのジャーナリスト、ビクトリア・コビリアツカが書いた記事が出ました。この女性被害者は田舎の小さな村に住んでいますが、警察にも届けないし、精神的支援も求めないと言っているそうです。彼女は強姦されたせいで妊娠しており、中絶を望んでいます。彼女は自分があくまでも加害者に抵抗しなかったことで、自分自身を責めているそうです。しかし、専門家に言わせれば、これは性暴力の被害者に共通の反応で、実際、生き延びるための方法だということです。なぜなら、抵抗するならば性犯罪者は彼女や彼女が愛する人たちに何をするか分からないから(抵抗できなかったの)です。したがって、被害者と同じ地域共同体の人たちが自分を支援せず、むしろ自分の行動に疑いを持つかもしれないと被害者女性が懸念しなければならないというのは、さらに苦しいことです。」

 

8)   被害者女性支援体制が不十分

「人権保護団体が性暴力被害者のために小冊子を作っています。その中では、妊娠したらどうすべきか、性病に罹ったらどんな薬を使うのかなど、たいへん実用的で、しかし注意深い助言が考案され、提供されています。同時に、小冊子には、性暴力被害者を専門に支援する諸団体や女性人権保護団体、法執行機関などの電話番号が載っています。多くの被害者が定評のある女性人権保護団体に助けを求めてくると聞いていますが、それはこれらの団体は長く性暴力被害者の支援に関わってきましたし、スタッフもよく訓練されていて、被害者を責めたり、被害者に恥をかかせたり、恐怖心を起こさせることなく、被害者女性の相談にどう応じたらよいかについてよく分かっているからです。

しかし、性暴力被害者のための全ての機関がこのように熟練の専門機関であるとは言えません。3月に強姦に関する最初の報告書が出された後、4月1日に、UNICEFの支援を受け、性暴力被害者のための精神的支援体制が設置されました。ところが、ウクライナの性暴力被害者は、一般的に、これらの精神治療専門家に相談に行かないという状況になっています。実際、これらの精神治療専門家の中には、専門家らしくない行動をとっている人たちがいるからです。例えば、患者の話からの情報を公共の場に提供したりしてしまっているからです。その結果、強姦の被害者は、親戚や友人に自分のことが分かってしまうことを恐れています。……

もう一つの問題があります。ウクライナの強姦被害者の中には自国から逃れて、現在ポーランドに滞在している人たちがいます。ところがポーランドでは、簡単に「事後経口避妊薬」を入手することができません。さらに問題なのは、2021年にポーランドの憲法裁判所が、ほとんどの場合、妊娠中絶を違法であるという判断を下したことです。これ以降、強姦されされた場合には中絶が許されますが、しかし、警察に被害の訴えをすでに出している者に限られています。ウクライナ人のほとんどが難民で、自分たちの身に起きたことに関する公的報告書などは持っていません。それどころか、いろいろな法的手続きを処理できるような力さえ彼女たちにはありません。中絶を支援するフェミニストたちの奉仕団体もありますが、ウクライナの被害者にはその支援を受けるのは容易ではありません。こうした苦しい状況に多くの被害者が立たされています。」

 

9)   無視される同国市民と同国兵による性暴力の問題

「戦争が始まったとき、(ウクライナの)一般市民の男が防空壕にいる女性に性暴力を犯したという報告がありました。しかし、誰もそんな話に耳をかそうとはせず、メディアもこうした事件を報道しようとはしません。自主的にこうした事件について出版しようとする人たちは、我々(ウクライナ人)の精神を崩して、敵のためになるようにやっているのだと糾弾されます。これが、この戦争がもたらす別の局面の一つだと思います。(その結果、)強姦の加害者は常に敵の兵隊であるという、覇権主義的説明に彼女たちの体験談が当てはまらないため、彼女たちは沈黙せざるをえなくなるのです。

実際には、ウクライナ軍兵士による性暴力のケースについても、私たちは承知しています。2014年以来のドンバスでの紛争では、ウクライナ軍兵士がその地域の女性に性的攻撃をかけ、強姦した事実が公的に知られています。例えば、悪名高い「嵐部隊」は、2016年に犯した強姦やそのほかの犯罪で非難されています。しかし、彼らを告訴する機会が十分ありながら、ウクライナは自国の兵隊たちを裁判にかけ、有罪にすることに成功していないことを、法律家や人権保護活動家たちは認めています。(ウクライナの)法的機関は、被告人がドンバスを安定させるために軍事的義務を果たしたと判断して(大目にみて)いるようです。例えば、ある退役軍人がキーウで10歳代の少女を強姦したケースでは、たった2年の執行猶予と少額(3,000フリヴナ、ユーロに換算して約100ユーロ)の罰金という刑ですまされてしまっています。

 さらには、世界中の他国の軍隊同様に、ウクライナ軍の中でも、女性兵士たちが男性兵士よるセクハラと性暴力に苦しめられていますが、この問題に対して公正な裁きを求めても、ひじょうな困難にぶつかります。

 これらの(ウクライナ人男性による性暴力)ケースは何ら注目を集めません。この場合の女性被害者は沈黙させられ、現在進行中の戦争では、(ウクライナの)関係グループや機関は、ロシア兵による性暴力のケースだけに焦点を当てて、性暴力の記録を行おうとしています。」

 

10) 現在のロシア軍と第二次世界大戦中のソ連赤軍の蛮行にのみ注目

「現在は、みな、第二次世界大戦中のソ連赤軍兵士と現在のロシア兵の(蛮行に関する)類似性にばかり注目したがっています。その一方で、誰も、ホロコーストを犯したドイツ国防軍、ナチス親衛隊や現地の協力者、すなわちウクライナ警察官のことを話題にしようとはしません。なぜでしょうか?なぜなら、ほとんどの人が今はドイツを同盟国とみなしているからで、(ドイツのことを)歴史比較の中に入れたくないからです。例えば、最近、私はウクライナのメディアから第二次世界大戦中のウクライナにおける性暴力についてのインタヴューを頼まれました。送られてきた質問リストを見てみたら、ドイツ軍に関する質問、あるいはユダヤ人迫害に関する質問は一つもありませんでした。質問は全てソ連の赤軍に関するものばかりでした。」

 

11) 被害者支援に関するお金の使い方はどうあるべきか

「性暴力を生き延びた被害者の健康や福利の問題はどうなっているのでしょうか?(性暴力の事実確認だけではなく)、これにもまた配慮が十分なされるべきです。お金や資材はこのために使われるべきです。

  2022年4月11日に開かれた、紛争時の性暴力に関する説明責任に関する国連安全保障理事会の様子を、私は(テレビ)で観ました。さまざまな国の代表のほとんど全員、UNICEF代表や他の代表が、みなウクライナの性暴力について言及しました。一方で、こうした性的苦悩が注目され、それらが「人道に対する罪」という観点から議論されたことはとてもよいことです。例えば、ウクライナの英国大使、メリンダ・シモンズは、すでに4月3日の段階で、ロシア軍兵たちが「戦争の武器」として強姦を犯していると述べました。実際、英国は、ウクライナにおける性暴力についての特別調査を行う独立機関を立ち上げるべきだという発議を行いました。……

  しかし、同時に(他方では)、被害者に対する支援が実際には十分設置されていません。被害者に精神的支援を提供できるような、よく訓練された専門家が足りませんし、被害者に再度精神的苦しみを与えないようにしながら証拠を集めるという訓練を受けた専門家も足りません。また、強姦の被害者とその子どもたちなどを収容する国営施設も足りません。被害者に寄り添い、支援し、精神的・医療的支援を提供できるような制度と方式を立ち上げるために、私たちは大いに努力しなくてなりません。そして、その中には、子どもたちに対する特別支援の制度が含まれていることが必要です。自分の母親が輪姦される現場を見せつけられた6歳の男の子のケースについては、すでにご承知かもしれません。その男の子は、全く話さなくなりました。彼のような子どもたちに対しても援助が必要です。なぜなら、そうした子どもたちは、性暴力の二次被害者なのですから。私たちは、被害者=生存者とその近親者をどう支援するかについて、もっともっと考える必要があります。」

 

一応、今回はここまでの紹介にとどめておきます。

田中利幸

 

 

 

 


2022年6月3日金曜日

「あの若者が大好きだ」

竹林の捕虜収容所に入れられた元捕虜から新首相がもらった贈物

 

トニー・ライト(ジャーナリスト)著

2022年5月28日『エイジ紙』掲載記事

 

豪州の新首相アンソニー・アルバニージは今週東京に向かったが、トム・ユレーン(の魂)が彼と共に同じ飛行機に乗りこんだとも言える。アルバニージいわく、「今週ずっとトムのことが私の頭から離れない」と。

新首相のこの言葉を理解するためには、そのユレーン自身のことを知る必要があるが、アルバニージは「私は父さんなしで育ったが、父親なしではなかった。なぜならトム・ユレーンは私の父親的な存在だったから」とユレーンとの関係を描写する。

ユレーンはアルバニージがいつか首相になることを夢見ていた。その夢の実現を見ないで亡くなったことは悲しい。2015年に93歳で亡くなる前に私が彼と交わした会話の中で、ユレーンはアルバニージのことを「あの若者が大好きだよ」と言っていたのである。ウィトラム政権とホーク政権で閣僚を務め、生粋の左翼で確固たる信念の男、豪州文化遺産と自然の保護運動の開拓者的存在、長崎に原爆が投下されたとき青紫色になった空を観た捕虜だったユレーンについては、幾つも本が書かれている。

原爆が投下されて第2次大戦が終わり、彼は自由の身となった。しかし彼は核兵に反対し、彼を虐待した日本人を、軍国主義とファシズムの同じ犠牲者とみなして赦した。彼の身体は鉄のように頑丈だったが、若いときにヘビー級ボクシング試合で殴られたか、あるいはジャングルで日本軍捕虜監視員に棒で殴られたか、どちらかのせいで鼻が歪んでしまっていた。もしかしたらその両方のせいかもしれない。彼の目は一見やさしそうにみえるが、同時に賢明な人間であることを映し出していた。

彼は「愛」という言葉をしばしば使ったが、その言葉が本心から出てきたものであることが、耳にした者にはすぐ分かった。「仲間に対して恨みや悪意の感情をもっている人間はあまりにも多いが、私はそんな人間の中にも愛を見つけるんだ」と、彼は晩年によく言っていた。

彼の晩年に私は彼と親しくなったが、その理由の一つは、私の母が彼と同じ1921年の5月生まれであったことを知ったからだと思う。彼は私の母に会ったこともないのに、毎年5月には、「君の素敵なお母さんに」誕生祝いを伝えてくれと、私に電話をかけてきてくれた。彼には上品な礼儀正しさがあった。

彼についてのエピソードは山ほどあるが、そのうちの一つである、ブリズベン市内のボゴ通りにある刑務所についての話は、彼の人柄をよく表している。

反対運動といえば道路でのデモ行進を意味していた1960年代から70年代の市民運動高揚時代には、反戦、反核から、美しい都市の古い路面電車を破壊しようとする開発企業に対する反対運動まで、さまざまな反対運動のデモ行進の最前線にユレーンの姿をいつも見ることができた。その時代、クイーンズランド州は、ジョー・ビョーキー・ピータソン州首相の権力支配下にあり、政治思想は「支配」のみという彼のアイデアで、一方では政治腐敗を蔓延させながらも、クイーンズランド州は警察国家的な状態となっていた。したがって、三人以上の参加者の公的場所でのいかなる集会も法律違反という形でのデモ行進禁止は、ユレーンのような人物にとっては、闘牛用の牛に赤い旗を振るような刺激的なことであった。

1978年10月、ユレーンは自宅のあるシドニーから北に向かい、クイーンズランド州の悪法に反対するために、ブリズベン市内をデモ行進する先頭に立った。予想通り、警察がデモ行進とぶつかり、警棒で参加者を殴りつけた。ユレーンも逮捕者の一人となり、1970年代には政治刑務所も兼ねていた、悪名たかい残忍な刑務所であるボゴ通り刑務所へと連行された。しかし、ユレーンは、ビョーキー・ピータソンが望んだような酷い取り扱いはそこで受けなかった。

 

1979年1月ブリズベン市内で逮捕され警察の車に入れられたトム・ユレーン

 

刑務所監視員の一人で、『ボゴ通り刑務所: 破壊目的の暴動 1976〜2008年』という本を2009年に出したスティーブン・ゲイジは、ユレーンが連行されてきたときのことを次のように記録している。

「トム・ユレーンが刑務所の受付に連れてこられたその日、私は、任務に当たっていた多くの監視員の一人であった。ユレーン氏に対して敬礼をしてはならないという達示が、監視員全員にきていた。ところが、車が到着し、トムが受付の窓の前に立たされるや、私を含め多くの監視員が、彼がやったことに尊敬の意を表して敬礼をしたのである。その場にいた上官たちは、監視員たちがトムに敬礼をしてうやうやしく話しかけることをやめさせることはできなかった。しかし、その後に、さらに驚くことが起きた。その場にいた上官の中で最も位の高かったボゴ通り刑務所・警視正のクライド・ラング氏も、実は泰緬鉄道の元捕虜だった人で、トム・ユレーンの同士だったのである。その午後遅く、トムとクライドの二人は夕食を食べに刑務所を出て行き、昔からの友情を祝って祝杯をあげたのであった。」

言うまでもなく、ユレーンは普通の囚人では全くなかった。そのとき彼はすでに労働党政治家として20年の経歴があり、それから後も12年にわたって連邦議会議員を務めた。1975年から77年には、労働党副党首まで務めた人物である。しかし、彼が人々から尊敬されるようになったのは、すでに、21歳でチモールで捕虜となり、泰緬鉄道建設で日本軍の奴隷として扱われた第2次大戦中のことであった。

他の捕虜たち同様に、彼も飢餓状態におかれ、殴打され、死ぬほどまでに酷使された。子どもをようやく生かしておくほどの食糧しか与えられず、にもかかわらず、仲間が手で押さえているキリを大型ハンマーで打ちつけて、ダイナマイトを設置するための穴を岩に掘り、奥深い山を切り崩すといった重労働をさせられた。奴隷仲間たちはこうした重労働を、「ハンマーと打ちつけ(労働)」、あるいは実情を描写するのにもっと適当と思われる「地獄の火の道(開設工事)」という表現を使った。夜も死ぬほどつらい労働が続き、地獄のように荒れはてた工事現場は、工事道具が放つ火花で文字通り「地獄の火の道」のように見えた。最初は一日80センチを掘り進むのが割当任務であったが、1943年の恐ろしい「スピード工事」を課せられた時期には、トムと彼の仲間たちは一日3メートルを掘り進むことが任務となった。この時期、1週間7日の毎日、18時間の労働時間を強いられたのである。

 

捕虜収容所内の豪州軍捕虜(右から3番目がトム・ユレーン)

 

戦前のシドニーで、ユレーンはヘビー級のボクサーであったので、飢餓状態にもかかわらず、大きな体格をある程度保持することができた。私は「死の泰緬鉄道工事」跡の「地獄の火の道」をこれまで数回訪れたことがあり、この旅行中に出会った元捕虜たちから教えられたことがある。それは、怒った日本兵や朝鮮人捕虜監視員に殴り殺されるのを防ぐために、大きな身体のトムがいつも仲間の捕虜たちの先頭に立ったということ。あるとき、私が「地獄の火の道」に立ってあたりを眺めていたとき、元捕虜だった一老人が「トムが身体の小さい男たちにかわって、よく殴られていたよ」と教えてくれた。何年も前のことだが、この話をトムにしたところ、「ああ、何回も殴り倒されたよ」と認めた。「あるときは平手で、別のときは握りこぶしで、木の棒や鉄の棒、太さ5センチの竹の棒でも殴られた」と、(辛かった昔を思い浮かべたのか)目を閉じながら説明してくれた。

戦争末期、ユレーンは日本の地獄船とも呼べる捕虜輸送船に乗せられ、換気の悪い狭い船室に入れられ、少量の食糧と水だけを与えられて、日本へと送り込まれた。日本では、(大分県)佐賀関の銅製錬所と(福岡県)大牟田の鉛製錬所で酷使された。1945年8月9日、原爆「ファット・マン」が大牟田からかなり離れた長崎に投下された時、空が神秘的な色に変化したのを彼は目にした。「オーストラリア北部で見られる素晴らしい夕焼け空を目にしたことがあるなら、その20倍も鮮明な色だったといえるよ」と彼は言った。原爆が戦争を終わらせ、トム・ユレーンは戦時の苦痛から解放された。

 

1986年3月シドニーでの平和デモ行進(前列左から3番目がトム・ユレーン)

 

捕虜体験が多くの人命を奪い、生き延びた者たちの多くも精神を蝕まれたが、ユレーンは捕虜体験から学んだものを、生きて成長するための哲学へと変えることに成功した。学んだことで最も重要なことは、「死の鉄道工事」期間中に彼の隊長だった外科医エドワード・“ウェアリー”・ダンロップが努力したこと - 仲間全員の利益になるように収容所で使えるものはなんでも利用する - ということであった。

豪州軍士官にはごくわずかではあるが賃金が支払われていたが、ダンロップは士官たちにそのお金で共同資金を作らせ、そのお金を、ごく質素ではあるが、病気の捕虜たちのための薬や(地元の住民との)闇取引での食糧の入手に当てさせた。すぐ近くにいた英軍捕虜収容所にはこのような制度はなく、そこでは士官たちは一兵卒たちの状態には無関心であったため、恐ろしく高い死亡率となった。

ユレーンは、(この経験から)「共同主義」が社会を救う鍵であると確信するようになった。この哲学を彼は、聴く耳をもつ者には、ひと言で説明した - 「健康な者が病人の世話をし、強い者が弱い者を助け、若い者が老人の世話をする。」

1980年代初め、ユレーンは、アンソニー・アルバニージという名前の、シドニー大学の学生代表委員会の左翼メンバーである情熱的な学生の存在を知り、この若者もユレーンという老人の言葉に耳を傾けるようになった。ユレーンとニュー・サウス・ウェールズ州労働党左翼のアーサー・ギッズ、ジャック・ファーガソン、ブルース・チャイルドといった有力者たちは、実際、このときまだ20歳であったアルバニージが、将来、指導者になる可能性をもっていることに気がついた。アルバニージに父親がいないことを知った彼らは、彼には、手本となる強い信念を持った父親的な存在が必要だと感じた。当時、地方自治担当大臣であったユレーンが、このとき手を貸して、アルバニージにとって初めての仕事となる調査員の仕事を与え、その後もずっと彼を支え続けたのである。

1987年、ユレーンはアルバニージを東南アジアへの旅に同行させたが、アルバニージにとってはこれが最初の海外旅行であった。この旅行中、タイで、ユレーンはアルバニージを「地獄の火の道」に連れていった。二人が険しい崖の上を歩いたときには、ユレーンが昔の思い出に襲われて気を失うのではないかとアルバニージは心配して、大きな身体のユレーンの腕をしっかりと握って離さなかった。

 

2010年 トム・ユレーンとアンソニー・アルバニージ

 

その何年も後の今年、アルバニージが新首相となる総選挙運動の開始にあたって、彼は次のように演説した。「我々は若者の面倒をみるし、病人の世話もするし、老いたオーストラリア人の世話もする。誰も見落とさない。誰も落ちこぼれにしない。」この言葉は、トム・ユレーンがまだ若造で、過酷な竹のジャングルで生き延びようと苦闘していたときに、ウェアリー・ダンロップから学んだ知恵をトム自身が言葉にしたものを、アルバニージが言い換えた言葉なのである。

今週、ユレーンの精神は、もちろんアルバニージと一緒に東京に飛んだはずである。飛ばなかったはずはない。

 

<訳:田中利幸 なお( )内の言葉は意訳のために付加したものです>

 

豪州捕虜関連の下記のブログ記事もご笑覧いただければ光栄です。

 

戦争犯罪に対する「赦し」を自己の「生きざま」で表現した元捕虜:オーストラリア陶芸作家ピーター・ラッシュフォースの生涯

http://yjtanaka.blogspot.com/2015/10/blog-post.html

 

憎悪から進歩は生まれない – トム・ユレーンの想い出

http://yjtanaka.blogspot.com/2020/06/blog-post_6.html

 

 


2022年5月25日水曜日

岸田首相によるドイツの「平和の碑(少女像)」撤去要請に関する公開質問状

総理大臣 岸田文雄さま

 

去る4月28日、あなたが、訪日したドイツのオラフ・ショルツ首相に「慰安婦像が引き続き設置されているのは残念だ。日本政府の立場とは全く違う」と述べて、撤去のための協力を要請した事実を、松野官房長官が5月11日の記者会見で認めました。この件に関して、私たちは公開質問をさせていただきます。

ベルリンのミッテ区に設置された「平和の碑(少女像)」

 

 

質問に入る前に、あなたが外務大臣として安倍政権時代に深く関わられたいわゆる「2015日韓合意」問題について、もう一度ここで思い起こしておきたいと思います。なぜなら、「平和の碑(少女像)」撤去要請問題は、「日韓合意」問題とも深く関わっているからです。

 

悪意に満ちた政治的意図での「河野談話」否定

 

以前から歴史問題で日本の戦争責任否定の言動を強めていた安倍晋三首相は、2014年初頭からは、「河野談話」検証要求の強い声を安倍支持派の自民党議員から出させ、同年6月20日には検討委員会による結果報告『慰安婦問題を巡る日韓間のやりとり経緯:河野談話作成からアジア女性基金まで』を発表しました。しかし、検討委員会は、談話作成のために使われた肝心の資料そのものに関する調査・検討は一切行わず、「河野談話」は、韓国側からの一方的な強い要求を最終的には受け入れざるをえなくなり、日本側が不本意ながら「強制」を認める形で作成されたという印象を強くあたえようという、悪意に満ちた政治的意図でこの報告書を作成しました。

 

 ご承知のように、「河野談話」は、日本政府(宮澤喜一内閣)が行った調査の結果を1993年8月4日に公表し、日本軍が「慰安所」設置に直接関与していたことをはっきりと認めると同時に、当時の河野洋平内閣官房長官が「談話」として日本政府の責任を認めたものです。この調査では、1948年にオランダが行った戦犯裁判である「バタビア裁判」記録や戦時中に米軍が作成した関連報告書など、合計260点以上の資料を参考にすると同時に、実際に16名の被害女性と「軍慰安所」関係者約15名からの聞き取り調査が行われました。すでに述べましたように、上記の「河野談話」検討委員会は、これらの調査資料の信憑性については一切言及していません。それもそのはず、なぜなら、これらの資料には疑わしいものが全くないからです。(ちなみに、その後も、「慰安婦」が日本軍性奴隷であったことを証拠づける数多くの資料 – その中には東京裁判検察局に提出されたものもあります – が発見されています。)

 

こうした一連の安倍内閣による「慰安婦バッシング」に深く憂慮した国連の拷問禁止委員会や自由権規約委員会などが、日本政府に対して、元「慰安婦」に対する人権侵害的言動を改め、国家責任を認め、彼女たちに公的謝罪を表明し且つ十分な賠償を与えること、さらには「この問題に関して学生ならびに一般市民を教育し、その教育には教科書による適切な参考書を含むこと」などの勧告を、再三にわたって発してきました。しかし安倍内閣は、破廉恥にもこうした勧告を一切無視しました。

 結局、歴史事実を否定しようとするこうしたさまざまな陰険な画策によってもなんら功をおさめることができなかった安倍内閣は、「河野談話をこれからも継承していく」と表面では言いながら、実際には、「河野談話」があたかも歴史事実に基づいていない虚偽の報告書であるかのような発言や欺瞞的な画策を引き続き行い、韓国政府をはじめ関係各国政府の政治的信頼を失う結果をもたらしてきたのです。

何ら解決に繋がらなかった「日韓合意」による「不可逆的解決」

安倍内閣の「慰安婦」問題へのこうした欺瞞的な対処の仕方に国内外から批判がやまなかったため、安倍首相は、2015年12月末に、「日韓合意」という形でこの問題に決着をつけようと考えました。

2015年末、日韓外相会議を開き、あなたは外務大臣として、「慰安婦問題」での「最終的かつ不可逆的に解決」で日韓両政府が合意したと発表されました。しかし、この「合意」の内実は、日本軍性奴隷の被害者の思いは完全に無視する一方で、日本の法的責任は認めず、「賠償」ではないと主張する10億円という金を出すことで、今後はこの問題を再び日韓間で問題にはしない約束をとるという、甚だしい被害者人権侵害以外の何物でもないものでした。しかも、本来なら加害国である日本が賠償責任をとるべきであるにもかかわらず、財団を韓国政府に設立・運営させることで、責任を被害国におしつけるという破廉恥な要求でした。さらには、ソウル日本大使館前に置かれている「平和の碑(少女像)」も移転させるという日本側の要求も、その「合意」の内容に含まれていました。

 「責任を痛感している」はずの安倍政権が、本来の被害者である高齢のハルモニたちに対しては直接に「謝罪」表明は全くしないどころか、結局は「10億円出すから今後はこの問題については黙れ」、「その歴史的象徴である『平和の碑』も人目につかないところに移転させろ」と言ったわけです。つまり、「最終的かつ不可逆的に解決」とは、結局、10億円という金で日本軍性奴隷の存在という歴史事実に関する記憶を買い取り、その記憶を抹消することを目的とするものだったのです。さらには、「責任を痛感している」と言いながら、2016年2月に開かれた国連女性差別撤廃委員会の対日審査では、日本政府代表の杉山晋輔外務審議官が、「慰安婦強制」を証明する資料は見当たらないし、朝日新聞の誤報のせいで全く間違った情報が行き渡ってしまったと、相変わらず、世界中から失笑を買うような虚妄発言を続けました。日本にとって絶望的なのは、安倍首相自身をはじめ、外務大臣であったあなたを含む安倍政権閣僚たちや安倍支持者たちが、自分たちがやっていることが、どれほど失笑を買う低劣な行為と海外から見られているのかを全く認識していなかったことです。

 さらに問題なのは、日本軍性奴隷制の被害者は韓国人だけではなく、アジア太平洋全域にわたっているにもかかわらず、「日韓合意」では韓国以外の被害者の存在は完全に無視されてしまったことです。安倍首相や外務大臣であったあなたが本当に「責任を痛感している」ならば、韓国以外の被害者に対する「謝罪」についても具体的にどのような形で「謝罪」するのか説明をするのが当然なわけです。ところが、この「日韓合意」発表があった数日後には、台湾政府が、台湾の元日本軍性奴隷に対して日本政府が謝罪と賠償を行うことを要求する方針を発表しましたが、菅義偉官房長官は、日本政府はこの台湾の要求には応じないと答えました。「責任を痛感している」というのは、いつもの安倍流の真っ赤な嘘であることがこれで判明したわけです。 

 

日本軍性奴隷制問題は「人権問題」であって、「政治決着」など不可能

 

 日本軍性奴隷問題は「政治決着」できるような性質のものではなく、由々しい「人権問題」であり、いかにすれば被害者の「人権回復」につながるのかという視点からのアプローチが必要であるという根本的認識が、安倍元首相やあなたをはじめ自民党のほとんどの政治家には最初から欠落しています。結論的に言えることは、日本の法的責任も認めない、10億円での被害者記憶抹消を狙った「最終的かつ不可逆的に解決」とは、実にあさましい、人間として恥ずべき、低劣な政治行為です。したがって、こんな欺瞞的な「日韓合意」が、結局は失敗に終わってしまったことも、全く不思議ではありません。それどころか、被害者に対するこのような不誠実な対応は、さらに韓国民衆の怒りを掻き立て、「強制労働(いわゆる「徴用工」)」問題での安倍政権批判を一挙に高めてしまいました。

 確かに、こんな酷い「政治決着」提案を、主として米韓日の軍事同盟の利害に基づき、基本的には被害者を無視してそのまま受け入れてしまった当時の韓国の朴槿恵政権にも責任の一端はあります。しかし、被害者の人権を全く無視して、自国に都合のいいような欺瞞的な「政治決着」をはかろうとした加害国である日本の政府に最も重い責任があることはいうまでもないことです。にもかかわらず、失敗を一方的に韓国政府のせいにし、今度は韓国への輸出禁止という愚策でさらに日韓関係を悪化させるという、本当に情けない状況を安倍政権は繰り返しました。

こうして「日韓合意」前後の状況をふりかえってみますと、その安倍政権で長く外務大臣を務め、この問題に直接関わってきたあなたが、自国の責任の重大さを認識することもなく、多くの戦争被害者の痛みを無視するような政治決着ばかりに頭を使ってこられたあなたの責任も、きわめて重いと言わざるをえません。

「平和の碑(少女像)」が象徴する「性暴力拒否」という人道思想

 

 日本軍性奴隷という由々しい「人道に対する罪」の被害者にはアジア太平洋のさまざまな地域の女性たちが含まれていますが、最も多くが韓国・朝鮮人であったことから、「平和の碑(少女像)」の多くが朝鮮民族衣装を身につけた姿となっています。しかし、中には朝鮮民族衣装ではない像もあります。この「少女像」は、今や、韓国だけではなく、台湾やフィリッピン、米国、カナダ、オーストラリア、ドイツなどの国々の諸都市にも設置されて「Statue of Peace(平和の碑)」と呼ばれており、「慰安婦像」とは呼ばれていません。この像は、もちろん日本軍性奴隷被害者を悼み、日本政府が明確にその責任を認めることを求めていますが、それだけではありません。サンフランシスコに設置された「平和の碑」には「この記念碑は、これらの女性たちの記憶のために捧げられており、世界中での性暴力や性的人身売買を根絶するために建てられたものです」という文字が刻まれているように、あらゆる性暴力を防止・根絶したいという多くの人々の願いが込められているのです。

また、あなたが、今回、ドイツのショルツ首相に撤去を要請したベルリン市内ミッテ区の「平和の碑」は、2020年9月に設置されたものですが、設置されて間もなく、あなたに説明するまでもなく、日本政府からの撤去要請がありました。その要請が、独外務省を通してミッテ区長に伝えられ、政治圧力に屈した区長が一方的に認可を取り消してしまいました。ところが、それに対する強い批判がドイツの幾つかの政党や市民から起き、認可取消撤回要求を求める議案が出されました。その結果、区議会が像の設置支持を宣言し、結局、「像の区内での恒久設置に向けて、区は設置者とともに解決策を見出し、区議会はこれに関与すべき」という決議が出され、像は今もそのまま維持されています。その認可取消撤回要求を求める議案では、「『平和の像』を、我々は、武力紛争時の、また平和時の性的暴力に関する議論を喚起するものとみる」と書かれているように、「平和の碑」には、あらゆる性暴力を拒否する力が込められているとみなすべきなのです。

 したがって、「平和の碑(少女像)」は、日本軍性奴隷の被害者の痛みだけではなく、あらゆる性暴力被害者の痛みを象徴するものとして、その像を見る人々の心を強く打ちます。つまり、性暴力被害者の痛みを、自分の痛みとして内面化し共有することを、この像は人々に求めているのです。それゆえにこそ、この像は今や世界各地に広がりつつあるのです。MeToo運動が世界各地に広がっているのと同じように、この像の設置・拡散運動は、性暴力被害者の「痛みの共有」を通して、性暴力根絶を目指そうという世界各地の大勢の人々の強い願いが込められているのです。

 

ベルリンのミッテ区に設置された「平和の碑(少女像)」

 

 

首相と同時に一人の人間としてのあなたに対する質問

 

1)「平和の像」を撤去せよというあなたの要請は、人々のこのような普遍的で人道的な強い想いを、あなたは一国の首相として、政治的圧力で崩そうとしているのだということを、どれだけ深く認識されているのでしょうか?そのような人々の想いを、あなたは政治的圧力で崩せるとお考えなのでしょうか?

 

2)一国の首相であるという以前に、一人の人間として、激しい性暴力に数年にわたって苦しめられた多くの女性たちの「身体と心の痛み」に、あなたはどう応えようとされるのでしょうか? 

 

3)また同時に、15年という長期にわたるアジア太平洋戦争中、アジア太平洋各地で軍が様々な残虐行為を犯した日本国の首相として、あなたは国の責任ということをどのように考えておられるのでしょうか?10億円という金を出せば、それで責任は抹消されると考えておられるのでしょうか?

 

4)ドイツの基本法1条には「人間の尊厳は不可侵」であると書かれています。この崇高な思想に基づいて、ドイツはナチスの蛮行の全ての犠牲者に対して、出来るだけの補償をしようと戦後長年にわたって努力してきました。あなたは、そのドイツの首相に対して、日本軍が犯した人権侵害の犠牲者を悼む「平和の碑」の撤去を要求されたのです。そのことに対して、あなたは一国の首相として、また一人の人間として、恥ずかしいとは思われないのでしょうか?もし思われないのなら、その根拠について説明してください。

 

以上の質問に、速やかにお答えいただければありがたく存じます。

 

2022年5月26日

日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワーク

共同代表 足立修一 田中利幸 土井桂子

連絡先:〒730-0036 広島市中区袋町6-36

合人社ひと・まちプラザ まちづくり市民交流プラザ気付 mb132


2022年5月18日水曜日

心に静穏を求めて

― 戦争と殺戮のない世界を夢想し唄うことの意味 ―

 

世界が目の前で崩れていく中で

ウクライナ戦争は終わりが見えない状況で、このまま戦闘の泥沼化がズルズルと長引けば、ウクライナの(多くの人命、国家社会と自然環境)破壊はもちろんのこと、ヨーロッパ全域、さらには世界各地が、社会的、精神的、物理的なさまざまな面で深刻な影響を長期にわたって受けることを避けられなくなると思われます。

もちろん、現在の私たちの地球世界は、ウクライナ戦争のずっと以前から重症とも呼ぶべき状態に長年陥っています。例えば、紛争や迫害によって故郷を追われた人たちの数は、国連の発表によれば、2020年末の段階で8,240万人という膨大な数にのぼっています。そのうえ、コロナ感染症での死亡者数だけでも、少なくとも、これまでに630万人。コロナ感染症が引き起こしている経済問題が原因での失業数も大幅に増えており、ILOの発表では昨年の世界推定失業者数は少なく見積もっても2億2千万人とのこと。失業者だけではなく経済的に困窮している人たちの数も、これまた膨大な数になっているはずです。さらには、温暖化による世界各地での豪雨、旱魃、森林火災などもまた多くの被害者を出しています。こうした困難な状況に直面して、精神的に耐えられなくなり自死を選ぶ人たちの数も、世界各地で急激に増えているようです。

いったい私たちはどうしたらよいのでしょうか。古稀を過ぎた私のような年齢になると、将来の心配は、老い先それほど長くはない自分のことより、「自分たちの子どもや孫にとって、この崩れつつある世界はどうなるのだろうか。そうした若い世代の人たちのために世界の状況を少しでもよくするには、自分には何ができるのだろうか」と考えることが多くなります。しかし、いつも答えは「全く微力な自分には、これといってできることは何もないが、今できるだけのことをやるより他はない」という思いで、自分を納得させる他ありません。

 


 

「この世に平和を」

平和に暮らすために戦争の準備を

隣人を憎むことを学べ

隣人は間違っており、自分がいつも正しいと思え

夜は隣人を密かに見張れ

隣人の妻についての嘘を拡散しろ

隣人の名誉を傷つけ、彼に災いをもたらせ

これらの全てを成し遂げたとき

隣人は、お前がやったことと同じことをお前に対してやるであろう

 

 

「空」=「無」に自分をおくことと「静穏」の関係

 私は、正直、この数年、そんな無力さに打ちのめされるような無念さ、侘しさ、なんとも言葉では表現できない不安に襲われることがしばしばあります。そんなときは、尺八を吹くことに心を集中させれば、下手ながらも、一種の瞑想のような状態に自分をおくことができ、ある程度、精神的回復をはかることができているように思えます。

最近は、その上に、般若心経を唱えるということもやり始めました。般若心経は難解で、十分理解しているとは私は決して言えません。古典的尺八曲の一つに「虚空」というすばらしい曲があるのですが、「虚空」を練習していると、般若心経の「空」=「無」という観念がおぼろげながらわかるような気がしてきます。自分を「無」にする、あるいは「無」の境地に入れるというのは極めて難しいことですが、本当におぼろげながらではありますが、「空」という意味がわかるような気がするのです。あくまでも、気がするだけで、本当は分かっていないと思われますが(笑)。

「空」=「無」と言えば、ジョン・レノンの有名な歌「イマジン」の歌詞には、「無い」という言葉(英語では “no”)が幾つも出てきます。「天国が無い」、「地獄が無い」、「国が無い」、「殺し合うことが無い」、「宗教が無い」、「所有物が無い」、「欲張る必要も、飢える必要も無い」。「あるのは空だけ」だと。ただし、この場合の「空」は「無」というより、空<そら>という何も無い空間のこと。その意味では「無」につながっていますが。一説によると、この「イマジン」の歌詞を共作したオノ・ヨーコが、当時、禅に強い関心を持っていたため、禅の思想が歌詞に反映しているとのこと。真偽のほどはわかりませんが……。しかし欧米社会では、これはもっぱら社会主義あるいは共産主義の思想に影響された歌だと理解され、禅と結びつけて考えることは全くないようです。

私にとっては「国なんかない……殺したり、殺されたりすることもない」という思想は、まさに憲法九条の思想です。憲法九条には国家権力否定の思想が含まれているというのが大熊信行(1893〜1977年)の考えですが、私も同意見です。それはともかく、この「イマジン」を聴いていると、曲のスタイルは全く違いますが、「虚空」や「般若心経」を聴いているときと同じような「心の静穏」を私は感じます。

 

ジョン・レノン/オノ・ヨーコ作詞、ジョン・レノン作曲

「イマジン」(1971年)

https://www.youtube.com/watch?v=yD8pmkQd3PM

歌詞

 

Imagine thereʼs no heaven

Itʼs easy if you try

No hell below us

Above us, only sky

Imagine all the people living for today

Ah

想像してみて、天国など無いと

その気になれば簡単さ

大地の下に地獄など無く

頭の上にあるのは、空だけ

想像してごらんよ、みんなが今日を生きている

 

Imagine thereʼs no countries

It isnʼt hard to do

Nothing to kill or die for

And no religion too

Imagine all the people living life in peace

You

想像してみて、国なんか無いと

難しい事じゃないさ

殺したり、殺されたりすることもなく

宗教も無い

想像してごらんよ、みんなが平和に暮らしている

 

You may say I am a dreamer

But Iʼm not the only one

I hope some day youʼll join us

And the world will be as one

君は僕を夢想家だと言うかも

でもそれ(夢想家)は僕だけじゃない

いつか君が仲間になってくれたら

世界は⼀つになるんだよ

 

Imagine no possessions

I wonder if you can

No need for greed or hunger

A brotherhood of man

Imagine all the people sharing all the world

You

想像してみて、所有物も無いと

君にできるかな

欲張る必要も、飢える必要もなくなって

人類は兄弟だ

想像してごらんよ、人々が世界を分かち合う

 

You may say I am a dreamer

But Iʼm not the only one

I hope some day youʼll join us

And the world will be as one

君は僕を夢想家だと言うかも

でもそれ(夢想家)は僕だけじゃない

いつか君が仲間になってくれたら

世界は⼀つになるんだよ

 

「般若心経」

歌う僧侶 薬師寺寛邦 キッサコ

https://www.youtube.com/watch?v=gm4hTcRhoqI

(一部分)

舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩捶依般若波羅蜜多故心無罫礙無罫礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃

 

舍利子(弟子)よ。形があるということは実体がないということと同じであり、実体がないということは形があるということと同じなのである。すなわち、形があるからこそ、実体がないということになり、実体がないからこそ、形がある、ということになるのだ。他の四つの心の働きである、感覚、記憶、意志、知識も、形あるものの場合とまったく同じことが言えるのだ。舍利子よ。これこそが、この世のあらゆる存在や現象には実体がない、という姿なのである。したがって、それらは本来生じたのでも滅したのでもないし、よごれたものでも浄らかなものでもないし、増えたものでも減ったものでもないのである。したがって、実体がないということの中には、形あるものはなく、感覚、記憶、意志、知識といった精神作用もないし、眼・耳・鼻・舌・身体・心といった六つの感覚器官もない。さらに、形・音・香・味・接触感・心の対象、といった、それぞれの感覚器官の対象もないし、それらを受けとめる、眼識から意識までの六つの心の働きもないのである。さらに、無知もないし無知が尽きることもない、ということからはじまって、老も死もなく、老と死が尽きることもない、ということになる。苦しみもその原因も、それをなくすことも、そして、その方法もない。もともと得るものがないのだから、智も得もないことになる。かくて悟りを求める者たちは、智慧の完成という実践行に従っているので、心には何のさまたげもなく、さまたげがないから恐れがなく、すべてのあやまった考え方から遠く離れているので、最後には永遠にしてしずかな境地に到達することになる。

 

「無」の境地に達する以前の自己克服の段階

「智慧の完成という実践行に従って……最後には永遠にしてしずかな境地に到達することになる」とのことですが、私のような愚鈍な人間には、生きている間にこんな境地に達することは全く不可能のように思えます。死ねば当然「無」に帰し、無理しなくとも自然に「無我」になりますので、私のような者はそれまで待つより他はありません(笑)。その前に、せめて生きている間は、さまざまな「我欲」をいかにしたら克服し、できるだけ多くの欲を捨てさり、他人に迷惑をかけないようにできるかを考えるべきでしょう。(こんなことを連れ合いに言うものなら、「喝!まずは飲酒という我欲を捨てるべし!」と言われそうですので、決して言いませんが<笑>)

古典尺八の曲に「打破」という曲があります。この「打破」がいったい何を意味しているか、説明が全くないので自分で想像するより他はないのですが、私は、これは「自己=我を打破する」という意味ではないかと考えています。古典尺八曲の多くは、禅宗から分派した普化宗の僧が作曲したものですので、禅の思想と深く結びついています。この「打破」も私の好きな曲で、よく練習しています。

悟りを開けそうもない私には、「虚空」より「打破」のほうが合っているように思えます。私のメルボルンでの尺八の先生、リンゼイ・ドゥーガン君(メルボルン大学音楽学部で、現在、尺八研究で博士号論文を執筆中)が素晴らしい演奏をしていますので、ご紹介しておきます。

 

「打破」

演奏:リンゼイ・ドゥーガン

https://www.dropbox.com/s/43k26u0k4pkku2u/Lindsay%20Dugan%20Daha%20March%2012%202022%201080p.mkv?dl=0

 

「虚空」

演奏:眞玉 和司

https://www.youtube.com/watch?v=BEJQ8jBcsnI

 

最後に、エルネスト・ブロッホ(1880〜1959年。スイス生まれのユダヤ人作曲家で1916年にアメリカに移住)が作曲した「ユダヤ人の生活から」というチェロ曲(ピアノ伴奏つき)を紹介しておきます。なんとも、もの哀しくも実に美しい曲で、3つの曲から成っていますが、私は第1曲「祈り」が最も好きです。この曲を聴くたびに、1925年に作曲されたこの曲が、その10数年後から始まったホロコーストをまるで予言しているかのような想いに心を打たれます。チェロ奏者はユダヤ系英国人のナタリー・クラインです。

 

エルネスト・ブロッホ作曲 ナタリー・クライン演奏

「ユダヤ人の生活から」

https://www.youtube.com/watch?v=U3cmTA_qZkM

 

長い駄文を読んできただき感謝です。みなさんに心やさしい静穏がおとずれますよう、祈っております。