2022年5月18日水曜日

心に静穏を求めて

― 戦争と殺戮のない世界を夢想し唄うことの意味 ―

 

世界が目の前で崩れていく中で

ウクライナ戦争は終わりが見えない状況で、このまま戦闘の泥沼化がズルズルと長引けば、ウクライナの(多くの人命、国家社会と自然環境)破壊はもちろんのこと、ヨーロッパ全域、さらには世界各地が、社会的、精神的、物理的なさまざまな面で深刻な影響を長期にわたって受けることを避けられなくなると思われます。

もちろん、現在の私たちの地球世界は、ウクライナ戦争のずっと以前から重症とも呼ぶべき状態に長年陥っています。例えば、紛争や迫害によって故郷を追われた人たちの数は、国連の発表によれば、2020年末の段階で8,240万人という膨大な数にのぼっています。そのうえ、コロナ感染症での死亡者数だけでも、少なくとも、これまでに630万人。コロナ感染症が引き起こしている経済問題が原因での失業数も大幅に増えており、ILOの発表では昨年の世界推定失業者数は少なく見積もっても2億2千万人とのこと。失業者だけではなく経済的に困窮している人たちの数も、これまた膨大な数になっているはずです。さらには、温暖化による世界各地での豪雨、旱魃、森林火災などもまた多くの被害者を出しています。こうした困難な状況に直面して、精神的に耐えられなくなり自死を選ぶ人たちの数も、世界各地で急激に増えているようです。

いったい私たちはどうしたらよいのでしょうか。古稀を過ぎた私のような年齢になると、将来の心配は、老い先それほど長くはない自分のことより、「自分たちの子どもや孫にとって、この崩れつつある世界はどうなるのだろうか。そうした若い世代の人たちのために世界の状況を少しでもよくするには、自分には何ができるのだろうか」と考えることが多くなります。しかし、いつも答えは「全く微力な自分には、これといってできることは何もないが、今できるだけのことをやるより他はない」という思いで、自分を納得させる他ありません。

 


 

「この世に平和を」

平和に暮らすために戦争の準備を

隣人を憎むことを学べ

隣人は間違っており、自分がいつも正しいと思え

夜は隣人を密かに見張れ

隣人の妻についての嘘を拡散しろ

隣人の名誉を傷つけ、彼に災いをもたらせ

これらの全てを成し遂げたとき

隣人は、お前がやったことと同じことをお前に対してやるであろう

 

 

「空」=「無」に自分をおくことと「静穏」の関係

 私は、正直、この数年、そんな無力さに打ちのめされるような無念さ、侘しさ、なんとも言葉では表現できない不安に襲われることがしばしばあります。そんなときは、尺八を吹くことに心を集中させれば、下手ながらも、一種の瞑想のような状態に自分をおくことができ、ある程度、精神的回復をはかることができているように思えます。

最近は、その上に、般若心経を唱えるということもやり始めました。般若心経は難解で、十分理解しているとは私は決して言えません。古典的尺八曲の一つに「虚空」というすばらしい曲があるのですが、「虚空」を練習していると、般若心経の「空」=「無」という観念がおぼろげながらわかるような気がしてきます。自分を「無」にする、あるいは「無」の境地に入れるというのは極めて難しいことですが、本当におぼろげながらではありますが、「空」という意味がわかるような気がするのです。あくまでも、気がするだけで、本当は分かっていないと思われますが(笑)。

「空」=「無」と言えば、ジョン・レノンの有名な歌「イマジン」の歌詞には、「無い」という言葉(英語では “no”)が幾つも出てきます。「天国が無い」、「地獄が無い」、「国が無い」、「殺し合うことが無い」、「宗教が無い」、「所有物が無い」、「欲張る必要も、飢える必要も無い」。「あるのは空だけ」だと。ただし、この場合の「空」は「無」というより、空<そら>という何も無い空間のこと。その意味では「無」につながっていますが。一説によると、この「イマジン」の歌詞を共作したオノ・ヨーコが、当時、禅に強い関心を持っていたため、禅の思想が歌詞に反映しているとのこと。真偽のほどはわかりませんが……。しかし欧米社会では、これはもっぱら社会主義あるいは共産主義の思想に影響された歌だと理解され、禅と結びつけて考えることは全くないようです。

私にとっては「国なんかない……殺したり、殺されたりすることもない」という思想は、まさに憲法九条の思想です。憲法九条には国家権力否定の思想が含まれているというのが大熊信行(1893〜1977年)の考えですが、私も同意見です。それはともかく、この「イマジン」を聴いていると、曲のスタイルは全く違いますが、「虚空」や「般若心経」を聴いているときと同じような「心の静穏」を私は感じます。

 

ジョン・レノン/オノ・ヨーコ作詞、ジョン・レノン作曲

「イマジン」(1971年)

https://www.youtube.com/watch?v=yD8pmkQd3PM

歌詞

 

Imagine thereʼs no heaven

Itʼs easy if you try

No hell below us

Above us, only sky

Imagine all the people living for today

Ah

想像してみて、天国など無いと

その気になれば簡単さ

地の下に地獄など無く

頭の上にあるのは、空だけ

想像してごらんよ、みんなが今日をきている

 

Imagine thereʼs no countries

It isnʼt hard to do

Nothing to kill or die for

And no religion too

Imagine all the people living life in peace

You

想像してみて、国なんか無いと

難しい事じゃないさ

殺したり、殺されたりすることもなく

宗教も無い

想像してごらんよ、みんなが平和に暮らしている

 

You may say I am a dreamer

But Iʼm not the only one

I hope some day youʼll join us

And the world will be as one

君は僕を夢想家だと言うかも

でもそれ(夢想家)は僕だけじゃない

いつか君が仲間になってくれたら

世界はつになるんだよ

 

Imagine no possessions

I wonder if you can

No need for greed or hunger

A brotherhood of man

Imagine all the people sharing all the world

You

想像してみて、所有物も無いと

君にできるかな

欲張る必要も、飢える必要もなくなって

人類は兄弟だ

想像してごらんよ、人々が世界を分かち合う

 

You may say I am a dreamer

But Iʼm not the only one

I hope some day youʼll join us

And the world will be as one

君は僕を夢想家だと言うかも

でもそれ(夢想家)は僕だけじゃない

いつか君が仲間になってくれたら

世界はつになるんだよ

 

「般若心経」

歌う僧侶 薬師寺寛邦 キッサコ

https://www.youtube.com/watch?v=gm4hTcRhoqI

(一部分)

舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩捶依般若波羅蜜多故心無罫礙無罫礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃

 

舍利子(弟子)よ。形があるということは実体がないということと同じであり、実体がないということは形があるということと同じなのである。すなわち、形があるからこそ、実体がないということになり、実体がないからこそ、形がある、ということになるのだ。他の四つの心の働きである、感覚、記憶、意志、知識も、形あるものの場合とまったく同じことが言えるのだ。舍利子よ。これこそが、この世のあらゆる存在や現象には実体がない、という姿なのである。したがって、それらは本来生じたのでも滅したのでもないし、よごれたものでも浄らかなものでもないし、増えたものでも減ったものでもないのである。したがって、実体がないということの中には、形あるものはなく、感覚、記憶、意志、知識といった精神作用もないし、眼・耳・鼻・舌・身体・心といった六つの感覚器官もない。さらに、形・音・香・味・接触感・心の対象、といった、それぞれの感覚器官の対象もないし、それらを受けとめる、眼識から意識までの六つの心の働きもないのである。さらに、無知もないし無知が尽きることもない、ということからはじまって、老も死もなく、老と死が尽きることもない、ということになる。苦しみもその原因も、それをなくすことも、そして、その方法もない。もともと得るものがないのだから、智も得もないことになる。かくて悟りを求める者たちは、智慧の完成という実践行に従っているので、心には何のさまたげもなく、さまたげがないから恐れがなく、すべてのあやまった考え方から遠く離れているので、最後には永遠にしてしずかな境地に到達することになる。

 

「無」の境地に達する以前の自己克服の段階

智慧の完成という実践行に従って……最後には永遠にしてしずかな境地に到達することになる」とのことですが、私のような愚鈍な人間には、生きている間にこんな境地に達することは全く不可能のように思えます。死ねば当然「無」に帰し、無理しなくとも自然に「無我」になりますので、私のような者はそれまで待つより他はありません(笑)。その前に、せめて生きている間は、さまざまな「我欲」をいかにしたら克服し、できるだけ多くの欲を捨てさり、他人に迷惑をかけないようにできるかを考えるべきでしょう。(こんなことを連れ合いに言うものなら、「喝!まずは飲酒という我欲を捨てるべし!」と言われそうですので、決して言いませんが<笑>)

古典尺八の曲に「打破」という曲があります。この「打破」がいったい何を意味しているか、説明が全くないので自分で想像するより他はないのですが、私は、これは「自己=我を打破する」という意味ではないかと考えています。古典尺八曲の多くは、禅宗から分派した普化宗の僧が作曲したものですので、禅の思想と深く結びついています。この「打破」も私の好きな曲で、よく練習しています。

悟りを開けそうもない私には、「虚空」より「打破」のほうが合っているように思えます。私のメルボルンでの尺八の先生、リンゼイ・ドゥーガン君(メルボルン大学音楽学部で、現在、尺八研究で博士号論文を執筆中)が素晴らしい演奏をしていますので、ご紹介しておきます。

 

「打破」

演奏:リンゼイ・ドゥーガン

https://www.dropbox.com/s/43k26u0k4pkku2u/Lindsay%20Dugan%20Daha%20March%2012%202022%201080p.mkv?dl=0

 

「虚空」

演奏:眞玉 和司

https://www.youtube.com/watch?v=BEJQ8jBcsnI

 

最後に、エルネスト・ブロッホ(1880〜1959年スイス生まれのユダヤ人作曲家で1916年にアメリカに移住)が作曲した「ユダヤ人の生活から」というチェロ曲(ピアノ伴奏つき)を紹介しておきます。なんとも、もの哀しくも実に美しい曲で、3つの曲から成っていますが、私は第1曲「祈り」が最も好きです。この曲を聴くたびに、1925年に作曲されたこの曲が、その10数年後から始まったホロコーストをまるで予言しているかのような想いに心を打たれます。チェロ奏者はユダヤ系英国人のナタリー・クラインです。

 

エルネスト・ブロッホ作曲 ナタリー・クライン演奏

「ユダヤ人の生活から」

https://www.youtube.com/watch?v=U3cmTA_qZkM

 

長い駄文を読んできただき感謝です。みなさんに心やさしい静穏がおとずれますよう、祈っております。

 

 


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