2018年12月13日木曜日

2018 End of Year Message


2018年末メッセージ(日本語版は英語版の後をご覧ください)

Season’s Greetings and Best Wishes for the New Year.
As the end-of-year festive season quickly approaches, I would again like to share with readers of my blog a short but quiet moment to release ourselves psychologically from the current grim world situation, by reading a poem by the brilliant Australian cartoonist and poet, Michael Leunig, and by listening to a few pieces of fine music. I have selected the following poem with a lovely cartoon and five pieces of music. To me, they are exquisite and moving.
 
1) Theme from Schindler's List
Played by 2CELLOS - Luka Sulic (Slovanian) and Stjepan Hauser (Croatian).
Sulic and Hauser formed the duo 2CELLOS in 2012.
This piece, composed by the American composer, conductor and pianist, John Williams, is the main theme of the film Schindler's List, produced in 1993. The film, which was directed by Steven Spielberg, is based on the novel Schindler's Ark by the Australian novelist, Thomas Keneally. In October 1980, during a trip to the U.S., Keneally visited a briefcase shop in Beverly Hills in California, owned by a Jewish man by the name of Pfefferberg. Pfefferberg told Keneally that he and his wife were among the survivors of Schindler’s list. This unexpected meeting was the beginning of Keneally’s research into this remarkable, true story. 

2) Albinoni’s Adagio in G minor
Cello: Stjepan Hauser
Although this piece is often called Albinoni’s Adagio in G minor, and attributed to the 18th Century Venetian master, Tomaso Albinoni, it was not in fact composed by Albinoni. Rather, it is the work of Remo Giazotto who composed this music based on a manuscript fragment written by Albinoni. It is said that Giazotto obtained this fragment – consisting of a few opening measures of the melody line and the basso continuo part - shortly after the end of World War II. It was found in the ruins of the Saxon State Library in Dresden. The Library building was destroyed by the indiscriminate bombing of Dresden conducted by the British and U.S. air forces between 13 and 15 February in 1945. This reckless fire bombing killed about 25,000 people, mostly civilians.  

3) Pie Jesu composed by Andrew Lloyd Webber
Sung by Sarah Brightman and Paul Miles-Kingston
This piece is a part of Andrew Lloyd Webber’s Requiem. It is said that inspiration for Webber’s Requiem was the result of two separate tragedies: a journalist who had interviewed him only a few weeks before dying in Northern Ireland as a result of an IRA attack; and a Cambodian boy who was forced to murder his own sister or be executed himself. Webber's Requiem was first performed at the St. Thomas Church in New York City on February 25, 1985. Both Sarah Brightman (who, at the time, was Webber’s wife) and Paul Miles-Kingston performed in this concert.

“Pie Jesu” English Translation
Merciful Jesus, merciful Jesus, merciful Jesus, merciful Jesus. Father, who takes away the sins of the world. 
Grant them rest, grant them rest. 
Merciful Jesus, merciful Jesus, merciful Jesus, merciful Jesus. Father, who takes away the sins of the world. Grant them rest, grant them rest. 
Lamb of God, Lamb of God, Lamb of God, Lamb of God. Father, who takes away the sins of the world. 
Grant them rest, grant them rest
, everlasting, 
everlasting, 
rest.  

4) Oh Holy Night/The First Noel
By Fujiwara Dōzan (shakuhachi), and Slava Kagan-Paley (counter tenor)
Fujiwara started learning shakuhachi from his grandmother when he was 10 years old, and from 14 he began studying under the late Yamamoto Hōzan, a living national treasure. He is currently one of the most popular shakuhachi players in Japan, capable of playing a variety of music – from popular to classic and from Western to Japanese music – on this instrument. Slava Kagan-Paley was born in Gomel, Belorussia, and as a child he studied violin and piano. However, in 1976, he won the first television and radio competition for young performers in Minsk, as a singer. In 1987, he began singing at the Belorussian Academic Capella. He now lives in Tel Aviv.

5) Shika no Tōne (Howling Deers)
By Yorita Mamino (Shakuhachi)
Yorita began learning shakuhachi at the age of 8, and in 2013 graduated from the Tokyo National University of Fine Art & Music, majoring in shakuhachi. She is now one of very few female shakuhachi grand-master players in Japan. This performance was conducted at the Miho Museum, a magnificent building designed by world-renowned architect, I.M. Pei, in the mountains of Shiga Prefecture. It was an ideal venue to play this extraordinarily beautiful piece of classic shakuhachi music.         


2018年末メッセージ(日本語版)

今年も早くもまた年末がやってきてしまいましたが、例年のごとく、現在の日本ならびに世界の暗澹とした状況からしばし自分を精神的に解放するために、一編の詩と幾つかの音楽曲をこのブログの読者の皆さんと共有したいと思います。詩は、例年通り、私が最も尊敬するオーストトラリアの詩人・漫画家であるマイケル・ルーニックの作品です。音楽は、私が好きなセミ・クラシックと呼べるような曲、尺八演奏によるクリスマス・キャロルと古典曲の演奏を選んでみました。気に入っていただければ嬉しいです。
詩『いつもとおなじ』
マイケル・ルーニック

もしも、いつもとおなじ鳩が、おなじ老木で歌うのを耳にするなら
それは、愛と美しい無邪気さを思い出させるかも

でもそんな素朴さのかわりに、いつものうんざりした政治、
喧騒なドンチャン騒ぎ、汚いたくらみでいっぱいの文化を目にするなら……

いつものなじみの猫が、なじみの道にたたずんでいるのを目にするなら、
そんな静けさのなかに、幸せな真実さと愛らしさを
もう一度見つけることができるだろうか

(拙訳)

1) 映画『シンドラーのリスト』のテーマ音楽
2人のチェロ奏者ルカ・スーリック(スロバニア人)とステファン・ハウザー(クロアチア人)が、2012年に組んだ二重奏団「2チェロ」による演奏。
この音楽は、1993年に制作されたスティーブン・スピルバーグ監督の映画『シンドラーのリスト』のテーマ音楽として、アメリカの作曲家・指揮者でピアニストでもあるジョン・ウィリアムズが作曲したものです。ナチス支配下のポーランドのユダヤ人1,000人以上をドイツ人実業家オスカー・シンドラーが軍需工場で働かせることで助けたという史実に基づくこの映画は、オーストラリアの作家トーマス・ケニーリーの小説『シンドラーの方舟』をもとにしたものです。1980年10月、米国旅行中のケニーリーが、ビバリー・ヒルズの鞄屋に立ち寄ったところ、偶然この店の主人とその妻がシンドラーに助けられた人たちであったことを教えられました。この史実を初めて知った彼が、その後詳しく調査した結果に基づいて書いた小説が『シンドラーの方舟』だったのです。

2)「アルビノーニのアダージョ ト短調」
チェロ演奏:ステファン・ハウザー
この曲はしばしば「アルビノーニのアダージョ ト短調」と呼ばれることから、18世紀のヴェネチアの音楽家トマソ・アルビノーニの作曲と思われがちです。しかし、実際には、アルビノーニではなく、同じくイタリア人であるレモ・ギアゾットによる作曲です。にもかかわずアルビノーニの名前が付いている所以は、古いアルビノーニの楽譜の(出だしのほんの数小節と通奏低音の一部だけを記した)一片が第2次世界大戦直後にドレスデンで見つかり、これをアイデアにしてギアゾットがほとんど新しい曲を作曲したからです。この楽譜の一片は、実はアルビノーニの楽譜を所蔵していたドイツのサクソン州立図書館の建物が、1945年2月13〜15日に英米軍が行った激しい無差別爆撃で破壊され、戦後まもなく、その焼け跡から発見されたものだと言われています。ちなみに、このドレスデンの焼夷弾爆撃では2万5千人が大量殺戮の犠牲者となりましたが、言うまでもなく、そのほとんどが一般市民でした。ドレスデン空爆は、しばしば東京空襲と並べて、連合軍側が犯した無差別空爆大量虐殺の典型的な具体例として言及されます。

3)「ピエ・イエズ(恵み深きイエスよ)」
作曲:アンドリュー・ウェバー 歌:サラ・ブライトマンとポール・マイルズ=キングストン
この曲はアンドリュー・ウェバー作曲の『レクイエム(鎮魂ミサ曲)』の中に含まれている曲です。ウェバーは、2つの悲劇的事件に触発されて『レクイエム』を作曲したと言われています。一つは、ウェバーをインタビューしたジャーナリストが、そのわずか数週間後にIRAのテロ事件で北アイルランドで死亡したこと。もう一つは、カンボジアの少年が自分が処刑されるか、さもなくば妹を殺害することを強制されたという事件でした。この『レクイエム』は1985年2月25日にニューヨークの聖トーマス教会で初演され、その折にこの曲を歌ったのもサラ・ブライトマン(当時は彼女はウェバーの妻)とポール・マイルズ=キングストンでした。

「恵み深き主イエスよ」 ラテン語歌詞の邦訳
恵み深き主イエス、恵み深き主イエス、恵み深き主イエス、恵み深き主イエスよ。世の罪を除きたもう主なる父よ。われらに平安を与えたまえ、平安を与えたまえ。恵み深き主イエス、恵み深き主イエス、恵み深き主イエス、恵み深き主イエスよ。世の罪を除きたもう主なる父よ。われらに平安を与えたまえ、平安を与えたまえ。神の小羊、神の小羊、神の小羊、神の小羊よ。世の罪を除きたもう主なる父よ。われらに平安を与えたまえ、平安を与えたまえ。永遠なる、永遠なる平安を。

4)クリスマス・キャロル(聖夜/ファースト・ノエル)
尺八:藤原道山 歌:(カウンタ・テナー)スラバ・カガン=パレイ
藤原道山は尺八を10歳のときから祖母から習い始め、14歳で人間国宝の故・山本邦山に師事し始めました。今や彼は「邦楽の貴公子」と呼ばれる人気者で、イケメンであるところから女性にオッカケ・ファンが多くいます(私も彼の演奏会にこれまで数回行ったことがありますが、中年女性がやたら多いのにビックリ。市民運動の講演会でこれだけ多くの女性オッカケが集まるのは見たことがないので、羨ましい限り<笑>)。イケメンだけではなく、彼の尺八演奏技量は飛び抜けて秀れており、ポピュラー曲からクラシック、西洋音楽から和楽まで、なんでも尺八でみごとに演奏してしまいます。私が持っている尺八がどれほど良い音色がでるのか確認したいと思い、一度、彼の演奏会の後で、私の尺八を私の目の前で数十秒だけでしたが彼に吹いてもらいました。そのみごとな音色にびっくり仰天。「はい、これでいいですか?」と言われ、私はタダタダ沈黙…<笑>。すばらしく透き通った美しい声のスラバ・カガン=パレイは、ベラルーシのゴメルで生まれ、子どもの頃はバイオリンとピアノを習っていたとのこと。しかし、1976年にミンスクのテレビ・ラジオ局が主催した若手音楽家のコンクールの歌唱部門で優勝し、1987年からはベラルーシア・アカデミー・カペラで本格的に歌い始めました。現在はイスラエルのテル・アビブに住んでいるとのこと。ただこの数年、なぜか彼の演奏会の情報はあまりありません。

5)「鹿の遠音」
尺八独奏:寄田真見乃
寄田真見乃は8歳から尺八を習い始め、2013年に東京芸大(尺八専攻)を卒業したひじょうに若い、京都在住の演奏家です。尺八を吹く海外の女性の数は比較的多いのですが(メルボルンにも、私の友人でアン・ノーマンという女性のプロの演奏家がいます)、日本ではひじょうに少ないです。そんな少ない女性の演奏家の中でも、きわめて秀れた技量をもっている人だと思います。この演奏は、滋賀県のひじょうに風光明媚な山あいに建てられた「ミホ美術館」で演奏されたもの。この美術館の建物は世界的に有名な中国系アメリカ人の建築家・I.M.ペイのデザインによるものです。秋の物哀しさを美しく歌い上げるこの曲を演奏するには、理想的な場所だと思います。




2018年12月7日金曜日

書評:731部隊と天理教


エイミー・ツジモト著『満州天理村「生琉里」の記憶 – 天理教と731部隊』
    発行 えにし書房 2018年2月 定価:2000円+税

この書評は『季刊ピープルズ・プラン』最新号Vol.82に掲載されました。

  本書は、満州国建国宣言が出された1932年3月から2年半あまりの後、1934年11月から始まった天理教信者たちの満州開拓団移民の艱難辛苦の歴史を、「天皇制軍国主義の被害者」と「侵略戦争の加害者」という複眼的な視座から明徹に分析した労作である。天理教団による満州開拓団の積極的な公的歴史評価を、体験者のオーラル・ヒストリーに依拠して厳しく批判しながらその実態をえぐり出し、新興宗教組織の戦争責任を鋭く追及している。
  本書内容の紹介に入る前に、満州移民の歴史的背景について簡単に説明しておく必要があるだろう。
  満州国は、「五族協和」という多民族協調社会の基に「王道楽土」を実現するというスローガン=プロパガンダを謳い文句とする、日本の傀儡国家であったことは周知のところ。満州国内には関東軍が無制限、無条件に駐屯し、関東軍が必要とする鉄道・港湾・水路・航空路などの管理は全て「日本に委託」するという形をとることで、満州国は関東軍の強力な軍事的支配下に置かれた。また、「日満経済ブロック」構築(満州を日本の排他的な経済圏にする)という目標のため、1930年代には満州に対する投資が飛躍的に拡大。満州産業開発の重点は、対ソ連戦争準備のための軍需産業の建設に置かれ、その基礎として、1932〜36年に3千キロに及ぶ満鉄新線路が建設され、同時に、製鉄や石炭などの大規模増産がはかられた。
  これと並行して、日本国内の農村窮乏の緩和と満州における日本人の人口増加という一石二鳥をねらい、満州への農業移民政策が推進された。実は、この農業移民政策には、関東軍の戦力補強にも役立たせるという目的が含まれていた。小規模な試験的移民は1932年から始まっており、当初は、一村(母村)から分割して村の一部が集団で移民する「分村移民」が行われた。1936年8月、日本政府は、20年で百万戸=5百万人の満州移民を送り出すという妄想的とも言える計画を発表。日中戦争が始まった1937年8月には、この計画を推進するために満州拓殖会社を設置し、移住者のための助成、土地取得、分譲などの業務にあたらせた。さらに、1938年1月からは、貧農の次・三男の単身者(16〜19歳)によって組織される「満蒙開拓青少年義勇軍」が募集された。
  日本人移民のための土地・家屋は入植地の現地農民である中国人から「買収」したが、その実態は、極安の値段での強制的収用であった。こうした土地・家屋の収奪は抗日武装活動を活発化させ、移民村が襲撃されるという事件が頻発。関東軍は抗日ゲリラを「匪賊(集団で略奪・殺人・強盗を行う賊)」と呼び、これ以降、「匪賊討伐」に明け暮れることになる。同時に「匪賊討伐」では、抗日ゲリラに通じているとみなされた村落が日本軍によって焼き払われ、住民が虐殺されるケースが各地で起きている。
  したがって、「青少年義勇軍」も実際には「武装移民」であり、明治政府が北海道に送った「屯田兵」と同様の性格のものであった。1936年からの5年間で、こうして満州拓殖会社が確保した土地は2千万町歩で、中国東北部の14.3パーセントに当たる。そのうち既耕農地は350万町歩で、これは当時の日本の耕地面積の過半数を超える広大な土地であった。しかし、1941年までの実際の移民農家数は、集団開拓団の2万7千戸を含む5万6千戸で、百万戸移民計画の約5パーセントにしか過ぎなかった。とはいえ、民衆、とりわけ貧農に土地所有への期待を煽り、豊かな生活への夢をもたせ、国内の不満を対外的に解消させる侵略戦争へと国民を動員する上で、一定の役割を果たしたことは明らかである。
  本書でも説明されているように、新興宗教の天理教信者たちだけが、宗教団体としての満州開拓団移民であったわけではない。天理教団と同様に「反政府的」あるいは「政府に非協力的」な宗教組織ではないかという疑念の目で見られていた日本キリスト教団、それだけではなく既存の諸仏教団体も、政府への服従・協力姿勢を表明するために満州移民政策に「賛同」し、満州開拓団を送った。これらの宗教団体は、形式的には「布教」も開拓活動の目的としていた。
  天理教団の場合には、1934年11月の第1次移民から1945年5月の第12次移民までの合計2千人近くが満州に送り込まれた。「ひとはいちれつ みなきょうだい」という徹底した人間平等主義を教義とする天理教は、天皇を絶対者とする国家神道とは本質的に異なるため、国体に反する共産主義的な組織とみなされて常に政府の弾圧の対象となってきた。しかし、教団解散の危機を避けるため、明治・大正期を通して教団は戦争協力の姿勢を徐々に強め、結局は侵略戦争に加担する開拓移民まで満州に送り込み、教義とは全く相反する中国人搾取を行いながらの「開拓」に勤しんだのである。
  天理教団が与えられた1千町歩の土地は、ハルビンから15キロほど離れた関東軍指定の「分譲地」であったことからも分かるように、当初から関東軍はこの「天理村」を軍のために利用することを考えていたと思われる。天理教団は、国内各地の信者から移住家族を募集、すなわち「分村移民」に似た「家族集団移民」という形態であった。天理村の周囲には鉄条網が張り巡らされ、東西は城壁のような門で固められており、警備が常駐するというものものしい環境。村の周辺で活動する抗日ゲリラに備え、常に関東軍が警備し、襲撃を受けたときには徹底した討伐を行った。関東軍が村の近くで演習を繰り返しただけではなく、村民たちにも小銃や実弾が配られ、関東軍による演習が男たちに課せられた。第1次移民団の場合は、半数以上が在郷軍人であったことからも明らかなように、「武装移民」という性格を強くおびていた。
  実はこの天理村は、かの悪名高い731部隊の一大研究施設が建設された平房に隣接する場所にあった。1938年にこの施設建設が開始されたときには、天理村の多くの成人男子が研究施設のレンガ積み作業に従事させられた。さらに、施設完成後には、ハツカネズミを飼育せよという指示が天理村の小学校に与えられ、子どもたちがその任務に励んだ。ハツカネズミは、明らかに731部隊の細菌兵器(ペスト菌)開発のために利用されたものと考えられる。ペスト菌だけではなく、731部隊が培養した炭疽病、腸チフスなどが天理村周辺で発生、流行し、天理村の村民や家畜にも犠牲者が出た。
  戦争末期になり戦況が悪化してくると天理村の青年たちも招集され、入隊訓練後に731部隊に配属された者も数人いた。筆者ツジモトは、その一人である人物からも聞き取り調査を行い、1945年8月9日のソ連参戦宣言発表直後、急遽殺害された人体実験用の多くのマルタ=捕虜の屍体焼却や施設建物の破壊など、731部隊証拠隠滅作業について詳しく記している。
  731部隊が貴重な研究成果、関係書類、食糧などを積み込んだ百輌にも及ぶ貨物列車とともに満州から逃避し、南洋戦域に送り出した精鋭部隊を戦闘体験のほとんどない満州開拓団の青年たちで代替した関東軍がすぐに総崩れしたあと、ソ連軍侵攻についてなにも知らされていなかった総勢27万人(その多くが女性、子ども、老人)の満蒙開拓団は文字通り置き去りにされた。天理村とその周辺の天理開拓団部落の住民たちも、侵攻してきたソ連軍兵士襲撃による殺戮、略奪、強姦、暴行などの残虐行為と、中国人「匪賊」による同じような復讐的な襲撃の被害者となった。結局、1946年10月になってようやく帰国できた天理村住民は合計千十八名、もともとの村民2千名のほぼ半数にしか過ぎなかった。しかも、この帰国は、国内での再び貧しい農業開拓生活の始まりでしかなかった。
  天理教団は、満州国天理村のこうした歴史を「大陸開拓の聖業に奉仕」したものと記録し、教団の戦争加担責任と、教団仲間を被害者にした責任をすっかり忘却しただけではなく、正当化してしまった。日本にとって極めて重要な戦争責任問題について宗教組織の側面からの考察を試みている本書は、ひじょうに示唆に富む労作である。

2018年10月12日金曜日

笑話「庶民は下品!」


朝日新聞「絢子さまの結婚一時金は1億675万円 現行法の上限額」

  この記事によると「一時金は皇室経済法で定められ、品位を保つため、皇室を離れる際に国から支給される」そうです。このニュースをめぐって熊サンと八ッツアンが交わした会話が次のようなものです。

熊「ね、ね、聞いたか?今度結婚する皇室の絢子ちゃんがもらう『手切れ金』が1億675万円だとよ。天チャンお爺ちゃんが親族の娘にやる『手切れ金』が1億円以上、豪気だね。とはいえ、もとはと言えばワシらが払ってる税金なんだけどさ。それにしても羨ましいね。ただ、675万円というハシタの数字がどこからはじき出されるのか、オレには分からんのだけど。」

八「あのね、あれは『手切れ金』などという下品なものではないんだよ。ヤクザじゃないんだからね。皇室の方々がもっておられる品位、その品位を保つための必要資金なんだよ。」

熊「あ〜、品位ね。そういや、もうだいぶ昔のことだけど、オレが結婚したときにカアチャンが持って来た嫁入り道具の掃除機、冷蔵庫、テレビなどはみんな古道具で、全く品位がなかったね。けど、文句は言えないけどね。というのは、オレのオヤジが貧乏でしかもケチンボだったから、向こうのオヤジに持っていった結納金がめちゃ少なかったということを、結婚した後でカアチャンから聞いたからね。」

八「この場合の品位というのは道具の品位なんかじゃない。皇室の方々は、我々庶民とは違って、生まれつき高貴な品位を持っておられる。その血統とも言える品位のことなんだよ。オレたちは、そんな高貴な品位というものは持ち合わせちゃいないわな。」

熊「おい、ちょっとまってくれよ。それは差別で、おかしいんじゃないか。だって天皇はオレたち国民の『象徴』だろう。その象徴が高貴で品位があるけど、天皇に象徴されてるオレたちには品位がないというんじゃ、おかしいんじゃ。オレたちも品位を保つために一時金をもらってるてんなら分かるけどさ。税金は取られっぱなしだぜ。」

八「おまえはバカだね。オレたち庶民だけじゃないよ。政治家、とりわけ首相や財務大臣、そのほかの大臣の顔を見てみろよ。品位のある顔をしている奴が一人としているか。いないだろう。だから、品位のある高貴な天皇陛下に国の顔、国の象徴になっていただき、品位のない政治家や庶民にあたかも品位があるかのごとく見せる重要な役割を担っていただく。そのことによって国民みんなが民主主義的で幸せでいられるわけだ。これが『民主主義的な天皇制』といわれるユエンなんだよ。」

熊「ん〜、なんだか難しい話になってきたな。うちの隣に口やかましいご隠居さんが住んでるの知ってるだろう。あのご隠居さんはね、『天皇が民主主義という表現がそもそも矛盾で、なぜなら、男しか天皇になれないような男女差別、それに叙勲で勲一等から八等まで国民に差をつけて、しかもその勲章を天皇が授与するなんてのは、何が民主主義か』っていつも怒ってるぜ。それに昨日は、『人間の品位というのは金で作ったり保ったりできるもんではない。人間が自分を切磋琢磨することで、自ずから身についてくるもんだ』なんて、坊主が説教するような難しいことを言ってたぜ。」

八「あ〜、あのご隠居は60年代安保闘争の全学連くずれのアナキスト。あんなアナキストの言うことは信じるな!バカ」

熊「は?穴キス〜ト?あの爺さん、連れ合いの婆さんの鼻の穴にでもキスするトかよ?汚ねえな。知らなかった、あの爺さん変態だとは。」

八「おまえは本当に、救いようのないバカだね」

熊「オレをバカ、バカと言うがね、じゃあ、自称インテリのおまえさんに訊くが、皇室の連中が生まれつきそんな高貴な品位をもってるんなら、わざわざ金使ってそれを保つ必要なんてないじゃん。すでに持ってるもんに、なんで大金使わなきゃいけねえんだ。」

八「地獄の沙汰も金と言うだろう。金はなんにせよ必要なんだよ。」

熊「なにを、このやろう。いくらバカでも、今のは全く説明になってねいことはオレにだって分かるぜ。地獄と品位とどういう関係があるんだよ。地獄に堕ちたら閻魔大王から逃げ回るので必死で、品位なんて言ってられないぜ。それじゃもう一回訊くが、品位を保つために、そんな金はいったいどんなことに使うんだ?」

八「(このやろう、バカだけど質問だけはシツコクしてくるな)それは……まあ……いろいろな・・・・。(なんか考えなきゃな)例えば……例えばだな、高貴な品位のあるお顔につける高級化粧品、品位のあるオツムにのせる高級デザインのお帽子とか、我々庶民には分からないものがいろいろあら〜な。」

熊「それにしても、少しでもいいからオレたちも品位とやらを身につけてみたいね。」

八「オレもおまえもヒンイはちゃ〜んと身につけているぜ。それも産まれた時から。」

熊「え!ほんとかよ、どんな品位?」

八「ヒンイはヒンイでも『ヒン』の字が少々違ってるんだがな……」

熊「字が違ってる?どんな字?」

八「我々のヒンイのヒンは『貧困』の『貧』で、『貧位』と書く。」

熊「ああ〜、なんとも情けないけど、当たってるわな。それでは、『庶民のヒンイ万歳』というわけで、屋台の飲み屋の安酒で一杯飲もう!ちくしょう、1億675万円か。宝くじで5億円当てたら、カバンに札束詰め込んで、皇居の一般参賀に行ってあいつらに見せびらかしてやる!それとも、奥崎謙三をまねて、パチンコ玉のかわりに一万円札を丸めて天皇に向けて3発ほど飛ばしてやろうか。『ヤマザキ、品位を高めるために天皇に3万円めぐんでやれ』と叫びながら!」

- 完 -


2018年9月20日木曜日

杉田水脈「LGBTは非生産的」発言は憲法1条と関連している?!


この論考は、今月末に発行予定の「日本軍『慰安婦』問題解決ひろしまネットワーク」
のニュース・レター9号に掲載予定のものです。

杉田水脈発言の「国家犯罪行為」助長的な意味
  我々には悪名高い「慰安婦バッシャー」でおなじみの杉田水脈が、「LGBTは子どもを産まないから生産性がない」という意見を『新潮45』で7月に述べたことは記憶に新しい。(なお、杉田水脈がこれまで日本軍性暴力被害者問題への解決を執拗に妨害してきたことについてはすでに色々な情報が拡散されているし、その妨害活動のためにオーストラリアにも来ていることについては、私もニュース・レター2号やブログ「吹禅」2015年11月18日/2017年6月29日で報告している。)杉田と彼女の支援者のネトウヨたちから猛烈なバッシングを受けている私自身にとっては、「またまたこんな劣悪な発言か」と思うだけで、別段、驚きはしなかった。この発言で彼女への厳しい批判がまたたくまに全国に広がっただけではなく、これがきっかけで「自分はLGBTの一人」とカミング・アウトしてきた人たちがいたことに私は嬉しい驚きを感じた。カミング・アウトした人物の一人に、私の尊敬する友人である岡野八代さん(同志社大学教授)がおられたことに私はとりわけ感動し、その感動を早速彼女に個人メールで伝えた。(なお、岡野さんご自身の杉田発言に対する批判論考は『世界』10月号掲載の「差別発言と、政治的文脈の重要性」を参照されたし。また、つい最近、『新潮45』は10月号で杉田批判は見当違いだという特集号を組んだ。日本のメディアはどこまで劣化するのか、恐ろしい。)
  「子どもを産まないことは生産性がない」と主張する杉田は、「生産性のない人に税金を投入するのは無駄である」という意味の発言もしている。彼女が「生産性」という言葉で意味するところは、「金銭的利益をもたらす経済的生産性」というものであると思われる。「生産性」という言葉に「どのような性関係であれ、精神的に豊かで幸せな人間関係の創造」を見ることができない人間、「生産性」が人間諸個人の生活の「質」にとって一体何であるべきかという深みのある思想について考えることができない薄っぺらな脳の持ち主の人間が、その国家社会のあり方を決めることに多大な影響力を持つ政治家になっているような国、そんな国の国民は本当に不幸である。
  彼女の「生産性のない人間には厚生福利面で税金を無駄使いするな」という意味の主張をおしすすめていけば、「生産性のない人間は生存すべきでない」ということになり、これはLGBTのみならず、身体障害者、精神/知的障害者なども含むことになる。これは明らかに「ナチスの優生思想」そのものであるし、日本も同じような政策の旧優生保護法(1948〜96年)で1万6千人といわれる人たちに強制不妊手術を行い、その被害者たちの声が今になってようやく取り上げられるようになってきた。ハンセン氏病患者への強制不妊手術にいたっては、旧優生保護法が導入される以前から行われていた。杉田発言を問題にするとき、この由々しい「人権侵害」という国家犯罪行為の歴史事実を私たちは決して忘れてはならない。杉田発言をのさばらせることは、したがって、単なる「差別問題」ではない。それは、「国家犯罪行為」につながる重大な発言を容認することなのである。
  ところが、自民党の二階俊博幹事長も杉田発言のその重大性を理解できる能力を持ち合わせていないようで、「人それぞれ政治的立場、いろんな人生観、考えがある」と述べ、「個人の人生観」の問題としてしか理解できていない。問題は、したがって、杉田という一国会議員だけの問題ではなく、杉田を比例代表制選出議員の候補者として選び、同時に党員と官僚のセクハラを野放しにしている自民党、とりわけ杉田を強く推した党首・安倍晋三という政治家の思考能力と「人権意識」の問題なのである。2013年、麻生太郎は「ドイツのワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気が付かなかった。あの手口に学んだらどうかね」という発言で壊憲提案をしたことはよく知られているが、自民党にはナチス信奉者が多いのである。こんな政党が政権を握っている国も、世界ではめずらしい。ドイツではこんな発言をすること自体が犯罪行為とみなされるし、即刻、議員辞任に追い込まれるはずである。
  杉田発言のさらなる問題は、子どもが欲しくても産めない人たちが大勢いるにもかかわらず、その人たちの心の痛みも理解できない人間が政治家になっているという事実である。さらには、今のような重苦しい生活状況、とりわけ性差別の激しい日本社会の中では、子どもを産んで育てたくはないと考えている人たち、とりわけ女性たちも多い。そんな社会状況をいかにしたら改善させることができるか、子どもを産んで幸せで安心して平和な生活ができる社会をいかにしたら構築できるか、という最も基本的な発想すらできない人間が国会議員の職に就いているというこの厳然たる事実である。再度述べておくが、こんな低劣な政治家を国会議員にもつ国民は実に不幸である。

杉田発言と天皇制の性差別主義の関連性
  「子どもを産まないような人に税金を投入するのは無駄である」という内容の杉田発言を聞いて私が思い浮かんだもう一つのことは、皇太子妃・雅子のことである。周知のように、雅子は長い不妊治療のあとにようやく妊娠し、女子・愛子を出産。不妊治療も実は雅子はいやがったのであり、愛子を出産のあと妊娠ができなくなったことも事実のようである。とすると、杉田発言をこのケースに当てはめるなら、将来の天皇となる男児を「産まないような人に税金を投入するのは無駄である」ということになる。杉田を含む右翼天皇崇拝主義者たちにとって、これは多額の税金を使っている皇室への侮辱とも言える発言になるはずだが、この点を指摘する右翼の意見を耳にしない。
  雅子が、皇室に入ることによって一女性としての市民の人権を完全に失ったことは誰の目にも明らかである。皇位継承者である男児を産む「天皇製造機」になることを強制され、それに失敗し、「適応障害」と「診断」され、人間としての尊厳を踏みにじられた女性の悲哀、心の痛みの深さは察するに余りある。これを「女性差別」による「人権否定」と称さなければ、なんと呼ぶべきなのか私には言葉がみつからない。
  日本国憲法1条では、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く 」と規定されている。「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であるならば、「日本国民たる要件」を含む日本国憲法の諸規定も象徴していなければならないはずである。ところが、摩訶不思議なことには、その「象徴」であるはずの天皇をはじめ皇室メンバーには、11条〜14条や24条などで全ての国民に保障されているはずの基本的人権が保障されていない。とりわけ、皇室の女性メンバーの人権が完全に否定されていることである。
  この矛盾は、家父長制的絶対主義である天皇制イデオロギーの中心をなす要素の一つである「男性優位主義」をなんら改革しないまま、日本国憲法の中に滑りこませてしまったことに起因している。とりわけ「皇室典範」は旧憲法下での典範規定の多くをそのまま継承しており、その最も典型的なものが1条の「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」という規定である。
  憲法24条は、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」と定めている。この条文中の「両性」は「両人」に変更すべきであるという主張を私は以前から機会あるごとに述べてきたが、それはさておき、婚姻によって皇室を離れ一般市民になる女性にすら「両性の合意のみに基いて」結婚を決める自由は事実上ない。そのことは、最近の秋篠宮内親王・眞子と小室圭との婚約問題からも明らかなように、両人の思いがどうあろうと、皇室会議で最終的に承認されなければ、結婚どころか婚約内定発表すら正式なものとは認められない。これも女性の皇室メンバーに対するはなはだしい人権侵害=違憲行為であると私は考えるが、このことを指摘する憲法学者のコメントやメディア報道はほとんど目にしない。
  問題は、憲法や皇室典範だけではない。皇室の伝統儀式といわれるもののほとんどが、これまた「男性中心主義」である。一例をあげれば、来年の新天皇皇位継承の際に行われる「剣璽等 承継の儀」(三種の神器の受け継ぎ)の儀式には、女性が出席することは許されていない。これには政府閣僚の全員が出席するのが慣例になっているが、女性閣僚の出席を認めるかどうか未だ政府は最終決定を下していないようである。もし女性閣僚の出席が許されるならば、女性の皇室メンバーの出席を許さないということは難しくなることは明らかだ。
  しかし、実を言えば、皇室の様々な儀式に女性の出席を許さないというのは近代になって導入された家父長制的イデオロギーに基づく新しい「慣例」で、神道の伝統的な慣例ではない。元来、神道では、禊やお祓いなど神を鎮める様々な儀式を行うのは女性である巫女の役割であり、男性ではなかった。ところが、近代、とりわけ明治になり天皇制が国家権力との関わりで政治制度化されるにあたり、家父長制=男性中心主義と神道儀式が急速に一体化された。最近問題になった相撲土俵に女性が上がることを禁止している大相撲の「慣例」も、あたかも「神道儀式慣例」のように言われているが、実はこれも、近代の天皇儀式の模倣であると考えられる。江戸時代には女相撲すら盛んに行われていたことからも分かるように、相撲協会のこんな「慣例」は文字通りナンセンスである。

結論:杉田発言を封じ込めるために天皇制廃止を!
  いずれにせよ、近代民主主義国家といわれる世界の国々の中で、憲法で男女平等を唱っておきながら、その憲法に明らかに違反する様々な行為を「国家の象徴」である天皇とその家族に堂々と行わせているような摩訶不思議な国は、日本以外にはないのではなかろうか。そして、そのことを政治家たちだけではなく、憲法学者もメディアも国民の大多数もたいして矛盾とも思わないような国である日本。それを考えると、人権意識を欠いた杉田のような性差別主義者で同時に天皇崇拝主義者という人間がワンサと日本にいるのは、したがって、本当は驚くべきことではないのであろう。換言すれば、天皇が象徴する性差別と国民の多くが矛盾と思わない性差別とは、互いに照らし合っている鏡映だと言える。
  軍性奴隷(いわゆる「慰安婦」)制度は、天皇制軍国主義が産み出した由々しい暴力的人権侵害制度であった。考えてみれば、現在我々が直面しているはなはだしい「性差別」と「人権侵害」もまた、根本的には天皇イデオロギーを拠り所にしている。その点で、戦後は戦中・戦前と密接に繋がっているのである。この二つの問題を切り離して考えることはできないのである。
  では、解決策はなにか?その答えは、天皇制を即刻廃止し、皇室メンバーを奴隷的存在から解放し、国民同様の「人権」を認めて一般市民とすること、それが私には最も手っ取り早い方策のように思える。明仁・美智子のご両人、退位する前に皇室メンバーを辞めませんか!貴方たち自身の人権獲得と国民の人権擁護のために!

2018年9月5日水曜日

「象徴天皇制の虚妄に賭ける」?!




—『未完のファシズム』戦後と象徴天皇制 —
最新号の『季刊ピープルズ・プラン』Vol.81は、いま人気のある「リベラル」と言われる「天皇賛美者」の批判の特集号 『象徴「天皇陛下」万歳の≪反安倍=リベラル』でいいのか?代替わり状況下の<安倍政治>と<天皇政治>』です。批判の対象となったのは、島薗進、白井聡、内田樹などですが、私は片山杜秀批判を担当しました。以下はその批判の全文です。ご笑覧、ご批評いただければ光栄です。

なお、この特集号の目次と前書「<象徴『天皇陛下』万歳の《反安倍》でいいのか>特集にあたって(天野恵一)」は下記リンク先で読めます。
http://www.peoples-plan.org/jp/modules/news/article.php?storyid=577
http://www.peoples-plan.org/jp/modules/article/index.php?content_id=207

《片山杜秀》批判

「象徴天皇制の虚妄に賭ける」?!
 —『未完のファシズム』戦後と象徴天皇制
片山杜秀の出版歴
 私に与えられた課題は、片山杜秀の象徴天皇制支持論の批判的検討である。正直なところ、私は片山がどのような思想の人物か、どのような著書・論考を発表しているのかこれまで全く知らなかった。したがって、『未完のファシズム - 「持たざる国」日本の運命』(新潮新書)を読むにあたって彼の経歴を調べてみたところ、政治思想史を専攻しながらも、クラシック音楽にも造詣があり、音楽関連の著書や論考も多々あるとのこと。小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』を連続掲載したことでも知られている扶桑社出版の『週刊SPA!』に、1994〜2002年に、「ヤブを睨む」というコラムで、音楽や映画・演劇評論のみならず、右翼、歴史、政治問題などに関する評論も発表して大人気を得たとのこと。2008年には、音楽関連著書で吉田秀和賞とサントリー学芸賞を受賞。2012年出版の『未完のファシズム』では司馬遼太郎賞も授与されるという活躍ぶり(しかし、サントリー学芸賞、司馬遼太郎賞の両方とも私個人は高く評価していないが)。
 私は故・吉田秀和のファンの一人で、長年、とりわけ彼のモーツアルト音楽解説の愛読者であった。吉田秀和賞は、音楽・演劇・美術関連の秀れた芸術評論の著者に与えられる賞として1990年に設置されたが、当初の選考審査委員は吉田自身を含め加藤周一と武満徹の3人があたっていた。2012年からはフランス文学者・文芸評論家の杉本秀太郎と片山の2人が審査委員となり、2015年に杉本が他界してからは、片山と建築家の磯崎新が審査委員となっているとのこと。『週刊SPA!』で好評を博した人物が、吉田秀和賞を受賞し、しかも今は審査委員を務めているという事実が、私にはひじょうに奇異に感じられてしかたがないのであるが、片山の音楽関連著書を全く読んでいないので、彼の音楽評論に関してコメントする資格は私にはない。
  さて肝心の『未完のファシズム』であるが、端的に言えば、この著書の主たる目的は、なぜゆえに日本はアジア太平洋戦争で敗戦したのか、その理由を探求しようというものである。結論的に片山は、敗戦の理由を、「総力戦体制」をとれなかった日本の経済的後進性、「総力戦」に代わるものとして日本が独自に採用した戦略自体の欠陥、さらには当時の政治体制=明治憲法体制が国家社会全体を強力に統合して、そのような独自の戦略を一挙に推進していけるようなファシズム体制にはなれなかったこと(すなわち「未完のファシズム」であったこと)に求めている。こうした片山の敗戦理由の説明は、彼の『国の死に方』(新潮新書)や島薗進との対談『近代天皇論 – 「神聖」か、「象徴」か』(集英社新書)でも繰り返し述べられている。
片山による「持たざる国」の戦略説明
 改めて解説するまでもないが、「総力戦体制」とは、一国家が有するあらゆる物的資源と人的資源の両方を「戦争勝利」という目的のためにできる限り合理的かつ効果的に活用するために作り上げられる非常時の政治社会体制のことである。ところが、日本は対戦国である米英をはじめとする連合諸国とは対照的に、総力戦に必要な物的資源そのもの、とりわけ兵器製造のための鉱物資源や、戦艦・戦車・戦闘機などを動かす石油資源などが決定的に欠乏していた。かくして、「持たざる国」である日本が「持てる国」である豊かな米英仏蘭諸国と全面戦争を展開して勝利することは、経済的にはほとんど不可能であった。この事実は、片山の指摘を待つまでもない。
 片山は、「持たざる国」という状況の中での日本軍の戦略案にまず焦点を当て、当時の陸軍内部の「皇道派」と「統制派」の代表的な複数の軍人の戦略思想と彼らの間での確執を紹介する。満州に「日満経済ブロック」という日本の排他的経済圏を構築することで「持たざる国」日本を「持てる国」にまで数十年かけて強化した後で米国との「世界最終戦」をと主張した関東軍参謀・石原莞爾が、そうした軍内部での確執の結果、いかに陸軍から排除されていったかも説明する。
 「持たざる国」が「持てる国」と長期戦争に入れば勝算は極めて少ないことは明らか。したがって、勝利するための戦略として日本軍が1920年代末に考案したのは、敵軍を包囲して殲滅戦を速戦・即決で展開して短期間で勝利をおさめ、その結果、有利な形で敵国と停戦交渉に入るというもの。この戦略は当時の参謀本部のスタッフであった皇道派の荒木貞夫、小畑敏四朗、鈴木率道が中心となって作成したこと、とりわけ小畑の貢献が大きかったことを片山は説明する。しかし、十分な兵站を持たずに、大胆に殲滅戦を速戦・即決で展開して一気阿成に戦闘を終わらせるには、将兵たちが並外れた強靭な戦意を持っていなければならない。そこで日本軍は極端な精神主義をとらざるをえなくなったとも片山は述べる。
 ところが、この殲滅作戦も実は敵軍が劣勢であるときにのみ成功するのであって、強敵の場合は長期戦になってしまい成功しないことは、作戦を提唱した小畑たちも十分理解していた。しかし当時の状況から、形式上は、この作戦はいかなる敵に対しても採用できるというスタンスを小畑たちはとらざるをえなかったのだと片山は主張する。1936年の2・26事件で皇道派が統制派に敗れて失脚した後も、皇道派のこの殲滅作戦と極端な精神主義だけは修正されずにそのまま生き残り、アジア太平洋戦争に突っ込んでいった。殲滅作戦を展開しながら、東南アジアの資源を確保し、生産力・労働力を拡大し、戦争を続けながら「持たざる国」を「持てる国」にしようとしたが、これに失敗。したがって、結局、極端な精神主義の強調が、殲滅作戦貫徹のためには自分たちが殲滅しても戦い続けるという「玉砕」の思想を生み出してしまった。その最も極端な思想の持ち主が東条英機のブレーンで、「戦陣訓」の作成にも関与した中柴末純で、日本軍が玉砕を太平洋各地で繰り返すことで連合軍を怖気づかせ、彼らの戦意を殺ぎ、最終的には勝利に持っていけると中柴は主張するまでになった。このように片山は、「総力戦」を展開する能力を持たない「持たざる国」、その日本の軍隊がとった戦略そのものに失敗があったと主張する。
片山の「総力戦体制」と「ファシズム」論
 日本が「総力戦体制」をとれなかった理由として、日本政治のタテ割り主義と秘密主義を片山は重要視する。しかも、そのタテ割り主義と秘密主義の原因は、明治憲法体制にあったと片山は主張する。明治憲法は西洋近代政治思想に倣って立法・司法・行政の三権分立制をとった。立法府である帝国議会は貴族院と衆議院の二院制であったが、立法府が強力に機能しないように、両院に対等の権限が与えられていた。行政府である内閣に対しては、内閣の判断を覆すことができる枢密院が設置されていた。帝国陸海軍は立法府からも行政府からも独立し、形としては天皇が「統帥権」を持っており、そのうえ陸海両軍が常に対立する形となっていた。権力がこうしてタテ割りに分散され、様々な国家組織が互いに確執しあうため、一組織や一個人が絶対的権力を掌握できないような体制となっていた。三権と軍の頂点には唯一天皇だけが存在し、天皇親政は理論的には可能であったが、実際には天皇はなるべく自分の意見は明示せず、どうしても必要な場合には「しらす」=暗示することに努めた。明治憲法の第1条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」の「統治」は、実際には「しらす」という意味であったと片山は言う。
  かくして、権力が分散されていたため強権的リーダーシップをとる者は誰もおらず、タテ割りにされた様々な国家組織間の連絡も希薄で、各組織内では秘密主義がはびこるという形となった。「大東亜戦争」になったとき、東条英機が、初めて、分離している各組織を統合し「総力戦体制」を作ろうと首相・陸軍大臣・参謀総長を兼務するということが起きた。ところが、こうした慣例をもたない明治憲法下の政治では強権的統合が嫌われ、ファシズム的に統合しようとする東条に、ファッショはだめだと「東条つぶし」が行われた。かくして片山は、「強力に束ねて一元化をめざすという意味での『ファッショ』は明治憲法体制と常に矛盾するものとして退けられる運命にありました。かくして総力戦体制は最後まで未完でした」と述べる。「強力政治や総力戦・総動員体制がそれなりに完成してこそ日本がファシズム化したと言えるわけでしょうが、実態はそうでもなかった。むしろ戦時期の日本はファシズム化に失敗したというべき」だと主張し、この状況を「未完のファシズム」と呼ぶのだと説明する。畢竟、片山は、日本はファシズム体制が未完であったため、総力戦体制作りも未完に終わったと主張するのである。
 その一方で、片山は、「総力戦体制のためにはデモクラシーが重要だ」とも主張する。いわく、「民主主義の国では国民自身が戦争することを選択する。もっと豊かになりたい。自由な社会を守りたい。悪を倒したい。動機はいろいろあるでしょうが、国民全員の責任で、国民全員が戦うことを選び取る。だから戦線が膠着しても、簡単にやめられないし、誰かの責任にはできない。ゆえに勝てた」と。なんとも極端に単純な論理である。そうなると、明治憲法体制下で総力戦体制が作れなかったのは、明治憲法体制下の日本社会が民主的でなかったから、すなわち「未完のデモクラシー」のゆえだったのか。それとも「未完のファシズム」であったからなのか、一体どちらだと彼は言いたいのか。このように、「総力戦」と「ファシズム」、「デモクラシー」の関連性の彼の説明は、支離滅裂である。片山のこの論理的支離滅裂は、「総力戦」と「ファシズム」、とりわけ「天皇制ファシズム」の本質を全くつかめていないという決定的な思考的欠陥に原因しているが、これについては後述する。
批判的分析を欠いた「包囲殲滅作戦」と「ファシズム」の解説
 とりあえず、以上が片山の『未完のファシズム』の要旨であるが、まず指摘しておかなければならないのは、彼の視点はあくまでも「なぜ日本は総力戦体制を確立できず、アジア太平洋戦争に勝利できなかったのか」という、戦争勝敗を決定づけたもっぱら軍事的要因の検討におかれている。アジア太平洋戦争という未曾有の軍事暴力活動が、いったいどれほど悲惨な結果を日本軍将兵、日本国民のみならず、アジア太平洋各地の地域社会と無数の住民や連合軍将兵(とりわけ捕虜)にもたらしたのか、さらには、明治憲法体制=天皇制をとっていた日本は国家としてそれに対してどのような責任を負っているのか、というアジア太平洋戦争の批判的分析には全く関心がない、ということである。単刀直入に言うならば、彼の論理展開は、勝ちか負けかの「ゲーム論」であり、「人が殺されるか生き延びれるか」という問題からの視点が完全に欠落している。
 したがって、「総力戦」に代わる「包囲殲滅作戦」がどのように参謀本部内で作成されてきたかについてはマニアック的に長々と解説するのであるが、例えば、兵站を持たずに殲滅作戦を中国各地で展開した日本軍が、食糧略奪、住民虐殺、強姦などいかに残虐な行為を犯したかについては一言も言及しない。「包囲殲滅作戦」を議論するならば、その作戦を実践した日本軍将兵が、なぜゆえに残虐化し、各地ですさまじい戦争犯罪行為を行えるようになったのか、という問題も必然的に問われなくてはならない。ところがそうした疑問も片山の脳裏には浮かんですらこない。なぜなら、片山には、最初から、作戦が社会に与える具体的な破壊的影響には全く関心がないからである。
 同じように、総力戦に関する石原莞爾の思想を「日満経済ブロック」との関係で議論する際にも、関東軍による満州支配、ひいては日本軍の中国各地への侵略について、例えば軍の統帥権との関連でそれらを検討することを通して、明治憲法体制=天皇制そのものを再検討してみるという構造的分析には全く繋がっていかない。日本軍の戦略思想だけを軍事オタク的にいかに詳細に議論してみても、統帥権を盾に軍部がいかに政府と帝国議会を無視して侵略戦争を推進していったのかという過程を明らかにすることはできない。侵略戦争の過程を明治憲法体制=天皇制の構造の問題として分析することは、日本「ファシズム」の特徴を明らかにするために欠かせないことは改めて言うまでもない。ところが、片山は、「ファシズム」を説明するにあたって、ヒットラーやスターリンという独裁者が権力をいかにして分散させずに自己の手中に掌握し続けたかについて解説しているように、彼にとって「ファシズム」とは、一個人が絶対的権力を独占する形態という、ひじょうに単純で一面的なものとしてしか捉えられていない。したがって、絶対的権力を独占するような人物が現れなかった戦時の日本は「ファシズム」でなかったという、あまりにも短絡な結論になるわけである。
「天皇制ファシズム」と「総力戦体制」構築失敗の相互関連性
 これまた改めて言うまでもないことなのだが、日本のファシズムは天皇制を、とりわけ天皇制イデオロギーを抜きにして解明することは不可能である。日本のファッショ化過程は、ナチスのようにワイマール体制下のデモクラシーの規範を破壊する形で進んだのではなく、それとは逆に、既存の天皇制支配体制のさらなる強化というかたちで進んだ。すなわち、イデオロギー的には、家父長制的家族制度を基礎とする郷土=農村共同態への復帰、したがって、そうした共同態のイデオロギー的集合体としての「家族国家」観の異常なまでの強化、つまり天皇を全国民=赤子の神がかり的な「父」と崇める「家族国家」への強烈な「里帰り」という形をとった。日本のファシズムは、この天皇を中心軸とする「幻想の共同性」に支えられて初めて拡大することが可能であった。
 問題は、天皇制は、一方で資本主義によって推進される近代国家としての合理的機構化が存在しながら、他方で封建的で前近代的な家父長制的共同態の伝統的価値観が常に全国的規模で再生産続けられるという、この深刻な矛盾を孕んでいたことである。そこに、1930年、経済恐慌によって引き起こされた中小零細企業と農村の危機が発生し、天皇制の矛盾がますます顕在化。この経済危機と政治社会的矛盾を脱出するための手段を満州に、さらには中国各地、東南アジアに求めて侵略戦争を進めていくという形で日本のファッショ化は進んだ。したがって、戦争拡大のスローガンが「家族国家」の拡大版である「八紘一宇」であり、最終的に「持たざる国」の軍隊が「父」である天皇に命を捧げる「玉砕」を兵に強いる戦闘方式に行き着いてしまったのもなんら不思議ではない。
 総力戦体制とは、国家が保持している物的と人的の両方の資源を、戦争行動に計画的に合致させる形で、極力、合理的かつ効率的に利用することであり、そのためには物的資源を生産目的に合わせて計画的に配分し、人的資源も計画的に動員し、適材適所に配置することが必要となってくる。そのためには、当時の日本の伝統的な家族主義に基づく職業分布や雇用形態、「親方・徒弟」関係的な職場の人間関係は、徹底して合目的的な動員・配置を必要とする総力戦体制には全く適していなかった。
 実は、日本も日中戦争の最中の1938年に「国家総動員法」を初めて施行した。ところが、「国家総動員法」でこうした家族主義の職業分布、雇用形態、職場関係を根本的に変更することは、家父長制的家族主義に基づく天皇制国家自体の崩壊につながらざるをえない。そのため、国家総動員法が出されたにもかかわらず、現実には、当時の商工省官僚が指導したごとく、「事業そのものを成るべく現状において維持することが主眼」とされたため、全く総力戦体制のための社会再編成にはつながらなかった。したがって、天皇制ファシズムにおける総力戦体制確立の努力が、結局は、総力戦にとって最も重要な人的資源である将兵と市民の「玉砕」=自己破壊という極端な矛盾を産み出したのも当然の帰結であった。総力戦体制の構築失敗は、片山が言うような「東条おろし」といった単純な問題ではない。
結論:「象徴天皇制の虚妄」の穴
 こうして片山の「総力戦」や「ファシズム」の解説を検討してみると、あまりにも非学問的で、単純で一面的な説明に、これが政治思想・歴史を専攻する「学者」の仕事かとあきれかえる次第である。(吉田秀和賞を受賞したとは言え、こんな浅薄な人間が書いた音楽評論を私は読みたいとも思わない。) 
 したがって、日本の戦争とファシズムを問題にしながら天皇制の問題については全くなにも考えていない学者先生に、天皇制の本質が理解できるはずはないし、それゆえ、当然、戦前・戦中の天皇制と戦後の天皇制の連続性について理解できる能力が完全に欠落しているのも不思議ではない。よって片山は、島薗進との対談で戦後の天皇裕仁に言及して、脳天気にも、「日本に民主主義を根付かせようと、政治家に向かって内々に意見を伝えるべく、秘密の使者を遣わしたりもした。マッカーサーにも同じことをした。つまり民主主義時代の象徴天皇は民主主義を促進し、あるいは擁護するためには身命を賭すものだという覚悟が、昭和天皇から今上天皇へと受け継がれていると思うのです」と述べている。裕仁がマッカーサーに沖縄をタダで売り渡すような、明らかに憲法違反の言動をしたことが、民主主義擁護のために「身命を賭す」行動だと述べ、その自分の無知を恥ずかしいとも思わない。
 国内外での戦没者慰霊の旅を続けながらも、無数の戦没者を出した自分の父親と天皇制自体の責任については一切口にしない明仁を、片山は「象徴天皇についての最大の思想家」と持ち上げる。さらには「父である昭和天皇の未完に終わったとも言える『人間宣言』を、ほとんど原理主義的とも言える苛烈さと言いますか、極めて倫理的に厳しく貫徹しようとすると、『<生前退位の>お言葉』になる」とまで明仁を絶賛する。ここまで来ると、もう「学者」と言うより「太鼓持ち」としか言えない。しかも、丸山真男の「戦後民主主義の虚妄に賭ける」という言葉に擬えて、「象徴天皇の虚妄に賭けたいと考えます」と片山は述べる。天皇制の「虚妄」がどれほど恐ろしいものであるのか、片山には全く分かっていないようである。私にとっては、このような非学問的で軽薄な「学者」をもてはやす日本のメディアがすでに「象徴天皇制の虚妄」の穴に落ち込んでいることが恐ろしい。
- 完 -