明仁の「玉音放送」について思うこと
この短い論考は「第九条の会ヒロシマ」よりの依頼で、会報の最新号91号に寄稿した原稿に少々修正・加筆したものです。
問題にすべきは制度そのもの
今年8月8日の「玉音放送」=ビデオ・メッセージによる天皇明仁の「生前退位」意向発表の趣旨については、いろいろな憶測がとびかっている。最も有力な憶測の一つは、安部内閣の「壊憲」を懸念する明仁が、明治憲法のごとく「天皇を国家元首」に戻そうという自民党壊憲草案に先手を打つ形で、「象徴天皇制」を維持するための有効な手段として「生前退位」を国民に提案したというもの。つまり明仁と妻の美智子は、きわめて民主主義的な思想をもつ善意の人柄で、安倍晋三などよりはるかに「平和憲法」を深く理解している根っからの「平和主義者」である、という解釈である。「玉音放送」の目的が何であったにせよ、明仁・美智子夫婦が「平和憲法」擁護主義者であるという判断については、間違いないと私自身も考える。しかし、私たちが問題にすべき最も重要なことは、この二人の個人的な考えや人柄ではなく、「日本民主主義体制」の中での「天皇制」という問題なのである。この二つを混同させてはならない。なぜなら、将来、「強権政治思想」や「軍国主義思想」をもった人間が天皇の地位に着く危険性が出てくる可能性がないとは絶対に言い切れないので、天皇個人の考えに我々が一喜一憂したり感傷に浸ったりしても、なんの問題解決策にもならないからである。
天皇は平和主義者というとらえかた
ちなみに、「天皇はおやさしい平和主義者」という「解釈」は、なにも今に始まったことではない。1945年8月15日の敗戦を迎えるやいなや、天皇裕仁は一部軍指導者たちに利用された<かわいそうな人>=「戦争被害者」であるという主張が政府によってなされ、「一億総被害者」のシンボルである「平和主義者」とされた。いや、「平和主義者」という点では、裕仁は、実は、アジア太平洋戦争以前からそうだったのである。彼は、「大東亜共栄圏の確立」=「アジア太平洋地域での平和構築」のために戦争をやむなく始めた「平和主義者」だったという当時の「公式解釈」を、私たちは忘れてはならない。つまり、「天皇=平和主義者」という公式解釈は、戦前・戦中・戦後、一貫して変わっていないのである。問題は、天皇個人がどのような考えを持っていようと、制度としての天皇制が、「平和主義」というタテマエの下に、いかに国家体制の存在(その形態が「ファシズム」であろうと「民主主義」であろうと)そのものを時の状況に応じて規定し続けているかという事実である。(「平和主義」というタテマエは安倍晋三ですらとっており、彼は自称「積極的平和主義者」である。)
戦争責任表明を欠いた慰霊の旅
その具体的な現在の一例を見てみよう。明仁が「平和主義者」であるというイメージは、この数年間、とりわけ彼が妻同伴で行っている「戦没者慰霊の旅」で国民に強く印象づけられてきた。沖縄を含む日本国内のみならず太平洋の島々にまで足をのばし、「戦没者の霊を慰める」というこの「慰霊の旅」は、明仁夫婦のみならず、二人を見習う皇室一族の「慈悲深さ」を表すものとして、メディアで絶賛され続けている。同時にほとんどの日本国民が、そうした報道をなんの疑問も感ぜず全面的に受け入れ、明仁と美智子を深く尊敬し、二人の仁慈行為をいたくありがたがっているのが現状である。明仁は、各地への慰霊の旅でしばしば「このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」と述べる。しかし、「慰霊」の対象は、ほとんどが戦地に送られ戦死させられた日本兵と、戦闘の巻き添えになった日本人市民である。日本人だけではなく、犠牲になった数多くのアジア人や太平洋諸島民のことを記憶に留め、同じような歴史を繰り替えさないようにするために不可欠なことは、戦争犠牲者たちは「なぜゆえに、このような悲しい歴史を歩まなければならなかったのか」、「そのような悲しい歴史を作り出した罪と責任は誰にあるのか」という問いである。ところが、明仁の「ありがたいお言葉」には、「悲しい歴史」を作り出した「原因=罪」と「責任」に関する言及は、どの「慰霊の旅」でも常に完全に抜け落ちている。最も重大な責任者であった彼の父親、裕仁の責任をうやむやにしたままの「慰霊の旅」は、結局は父親の罪と責任を曖昧にすることで、国家責任をも曖昧にしているのである。つまり、換言すれば、明仁と美智子の「慰霊の旅」は、裕仁と日本政府の「無責任」を隠蔽する政治的パフォーマンスなのであるが、この本質を指摘するメディア報道は文字通り皆無である。それどころか、日本国家には戦争責任があるという明確な意見を持っている進歩的知識人と呼ばれる者たちの中にさえ、こと明仁の「慰霊の旅」については、この本質を見落とし、明仁尊敬の念を表明する人間が少なくないことに、私は少なからぬ驚きを覚える。
明仁夫妻のこのパフォーマンスは、戦争責任を認めたくない日本政府、とりわけ現在の安倍晋三政権にとっては、きわめて都合がよいのである。なぜなら、このソフトなパフォーマンスで、安倍のハードな戦争責任否定言動が近隣諸国に及ぼしている悪影響を柔らげるという作用を多少なりとも果たしているからである。明仁自身は、もちろん、自分は真摯に「慰霊の旅」を続けており、政治的パフォーマンスなどはしていないと思っていることは間違いないであろう。しかし、本人の思いがどうであれ、この問題に関しては天皇の言動が政治的に利用されていることは明らかである。
ちなみに、皇室一家による災害被害者への「お見舞い」と「復興の祈り」の旅でもまた、災害の原因と責任については一切問わないことは、その最も典型的な例である「福島原発事故」の被災者への「お見舞い」を見ても明白である。つまり、彼らが原発事故被災者=政府に見捨てられた棄民を見舞い(「たいへんですね」、「頑張ってください」と声をかけるだけだが)、放射能除染作業を見学する(天皇が見学するそのことだけで除染作業に効果があるものと正当化されてしまう)ことで、原発事故に対する電力会社と日本政府の責任を曖昧にしてしまう。それは、天野恵一氏が自著『災後論』で的確に描写しているように、「責任を曖昧にし、国家(国策としての「原発」)の無責任を実感させなくさせるという『逆転』をつくりだすための政治的パフォーマンス」なのである。その意味では、「被災者見舞い」も、被害者を作り出す原因とその責任を隠蔽してしまうという点で「慰霊の旅」と根本的には同質のものであることを、我々は明確に認識しておく必要がある。(ちなみに、神戸、新潟、東北、熊本など大地震の被災者をくまなく明仁夫婦やその他の皇室メンバーが「お見舞い」に訪れているが、在日韓国人・朝鮮人や知的障害者の被災者を見舞ったという話は聞かない。)
つまり、「被災者に寄り添うおやさしい天皇様と皇后様」を、「国民の象徴」すなわち「民主主義国家日本の象徴」という形で、「人にやさしい民主主義」というイメージにダブらせる作用が常にある。したがって、天皇が現れるところには「現実の民主主義」が抱えている様々な政治的問題や社会的矛盾が結局は隠されてしまうのである。保守政治家、とりわけ安倍のような右翼政治家が天皇制を政治的に利用しようとする理由の一つは、まさに天皇制が持つこの「幻想民主主義創作」機能にある。本来、天皇制という(とくに血筋と家柄、それに男性による特権を基礎とする)身分・階級・差別制度は(誰もが自由で平等という)民主主義とは相容れない制度なのである。ところが今や日本では民主主義国家に天皇がいてあたりまえであり、「平和主義者、民主主義者の天皇がいるから、安倍のような右翼への拮抗力になっている」などという見解が喜んで拡散される。いや、事態は「日本の民主主義にとって天皇制は不可欠」という摩訶不思議な状況になりつつある。
天皇制を含む君主制度ほど実際には反民主主義的な制度はないのであるから、「天皇や王様が平和主義者で民主的人物だからよい」という主張ほど矛盾したものはない。明仁がそれほど平和主義者で民主的な人物であるならば、「生前退位」の希望を国民に述べる代わりに、「天皇を廃業し、一市民になりたい」という希望を述べるべきなのである。再度強調しておくが、民主主義社会には反民主的な天皇制はいらない。そのことは、天皇個人の思いや考えとは関係のないことである。「民主主義」が天皇制を必要とするということは、その「民主主義」そのものがマガイモノなのである。
天皇制と民主主義の根本的矛盾
天皇制と民主主義の矛盾は、実は、日本国憲法にも明瞭に表れている。周知のように憲法1条から8条までは、すべて天皇制に関する条項である。ところが14条の第1項では「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と明記されている。さらに第2項では、「華族その他の貴族制度は、これを認めない」とも記されている。東京のど真中の広大な敷地に建てられた豪奢な御殿に、数多くの従僕をはべらせて暮らしている天皇をはじめ皇室一家は、様々な「特権」を享受している。それは、「社会的身分又は門地」且つ「政治的、経済的又は社会的関係」における「(差別的)特権」である。しかも、その「特権」は「世襲」で、皇室メンバー以外の者は誰も享受できない。それだけではなく、天皇は「男」でなくてはならず、その意味では「性差別」制度でもある。確かに「貴族」階級はもはや存在しないが、天皇制は「貴族制度」の頂点にたつ制度として成立したという背景を持っている。その歴史的背景と上記の「特権」という両方の点で、天皇制は差別的な貴族制度そのものである。
「主権が国民に在することを宣言」する日本国憲法は、1946年11月3日、そうした非民主的で差別的な天皇制の頂点にある天皇、無数の自国民とアジア太平洋地域住民を15年という長い期間にわたって続けた戦争で犠牲者にしたことに対する責任を一切とらない天皇、その天皇裕仁の名前で発布された。しかも、「主権が国民に在することを宣言」したにもかかわらず、1条から8条まで全てが天皇に関わる条項である。この1条から8条までは、9条の絶対平和主義の精神と、条文の文面上はともかく、思想的・哲学的な意味では深く矛盾していると私は考える。
民主主義と天皇制が根本的に相反する制度であること、しかも、その矛盾が実は憲法にも内在していることを、いかに私たちの憲法9条擁護運動において伝えていくべきなのか。これは、現在の日本の政治状況を考えるとひじょうに難しい課題である。しかし、この矛盾を解決することなしに、日本に真の民主主義を根づかせることできないと私は思う。
田中利幸
「8・6ヒロシマ平和への集い」代表
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