— 原爆無差別大量殺戮71周年に考える「民主主義崩壊」の危機 —
2001年9月12日、すなわち「9・11事件」の翌日の演説で、ブッシュ大統領は「我が国に対する入念に準備された破壊的な攻撃は、単なるテロ行為ではない。それは、戦争行為である。この事態は、断固とした決断と決意のもとにわれわれ国民が一致団結することを必要としている」と述べ、「対テロ戦争(War on Terror)」を宣言した。その後これまでに、アフガニスタン、イラク、パキスタンで米軍指導の多国籍軍が繰り広げてきた「対テロ戦争」が出した死亡者数は、社会的責任のための医師会議(米国)・グローバル生存のための医師会議(カナダ)・核戦争防止国際医師会議(ドイツ)の共同調査に基づく推定では、少なくとも130万人、もしかすると200万人を超えるかもしれないとのこと。別の調査では、イラク(人口3260万人)での2003〜2011年の間における推定死亡者は約50万人とみなされており、その大部分(7割以上)が市民の犠牲者である。犠牲となった男女、子どもの60%以上は、銃撃や爆破、空爆といった直接的攻撃による死亡者で、それ以外は、ストレスによる心臓発作、衛生設備や病院の破壊といった間接的な原因によって亡くなっている。アフガニスタンやパキスタンの犠牲者の実態も、おそらくはイラクとあまり変わらないものと思われる。
米軍による広島・長崎の原爆無差別大量殺戮の犠牲者は、1945年末までの早期死亡者推定数が23万人。核兵器による犠牲者ではないとはいえ、130万人という犠牲者の数を、広島市民として私たちはどう受けとめるべきであろうか。アジア太平洋戦争で2千万人を超える犠牲者を、中国をはじめ多くのアジアの様々な国民に強いた日本の市民として、イラクで無数の犠牲者を出した米軍指導の侵略戦争について、私たちはどのように考えるべきであろうか。
2003年3月20日から始まったイラク戦争は、2010年8月31日にオバマ大統領によって「戦闘終結宣言」と「イラクの自由作戦」の終了が宣言され、翌日から米軍撤退後のイラク単独での治安維持に向けた「新しい夜明け作戦」が始まった。2011年12月14日には、米軍の完全撤収によってオバマがイラク戦争の終結を正式に宣言。しかし、実態は「終結」どころか泥沼状況へと落ち込み、イラクのみならずアフガニスタンでも戦争状態は続いており、毎日のように多くの市民が殺傷され続けている。米国のある2人のテロリズム研究者によると、イラク戦争は、イラク国内だけでも「ジハード(イスラーム原理主義者による聖戦)攻撃」、すなわちテロ攻撃の回数を毎年数倍づつ増やし続けており、これまでに数百回にわたるテロ攻撃によって数千人にのぼる市民が命を亡くしているとのことである。しかも、「イスラーム国家(IS)」によるジハード(聖戦)の呼びかけに呼応する形での主として一般市民への無差別襲撃テロ事件は、アフガニスタン・イラクから北アフリカ、シリア・トルコ・サウジアラビア・イエメンなどの中近東全域、さらには東南アジアへと拡散し、ヨーロッパからアメリカまで飛び火している状態である。この2ヶ月だけでも、6月は米国フロリダ(死者49名)、アフガニスタンのカブール(死者14名)、トルコのイスタンブール空港(死者44名)、マレーシアのクアラルンプール(負傷者8名)。7月は、バングラデッシュのダッカ(死者22名)、イラクのバグダッド(死者213名)、サウジアラビアの聖地メディナなど(死者4名)、インドネシアのソロ(負傷者1名)、フランスのニース(死者84名、負傷者200名以上)、ドイツのミュンヘン(死亡者9人、負傷者16人)、アフガニスタンのカブール(死亡者80人、負傷者231人)。
ますます勢いを増しているこの「テロの連鎖」は、明らかに、米仏英などの有志連合軍とロシア軍、シリア軍が激化させている「イスラーム国IS」への攻撃に対する反撃と見なすべきであろう。2011年から始まったシリア紛争は、あらためて説明するまでもなく、2003年3月に米国が主導して開始したイラク戦争(「イラク侵攻」とも呼ばれているように、実際には石油資源確保を目的とする「侵略戦争」)に起因している。そのシリア紛争は難民の数を急増させ、国連難民高等弁務官事務所発表の情報によれば、その数は2015年半ばの段階ですでに400万人を突破。世界全体の難民総数は、2014年末の段階で5950万人(うち半数が子供)に達している。210万人と言われている、第2次世界大戦によって強制退去させられたヨーロッパ人難民数と比較してみれば(もちろんアジア太平洋地域での当時の難民数も多数あるはずだが推定すら不可能)、いかに現在の状況が劣悪であるかが明らかとなる。この難民の数からしても、世界の現状はまさに「戦争状態」なのである。
したがって、現在の世界状況は「第3次世界大戦」と称すべき事態にあると考えるべきである。振り返って見れば、2001年9・11事件をきっかけに、アルカイーダのような非国家テロ組織による軍事大国へのテロ攻撃は急激に増加・拡大した。9・11事件は、極めて限定的な意味ではあるが、太平洋戦争開戦のきっかけとなった「真珠湾攻撃」に相応すると言える事件であり、「第3次世界大戦」の発端とも称せる。しかし、第2次世界大戦と決定的に異なっているのは、この「第3次世界大戦」は、巨大軍事国家間の戦争ではなく、非国家組織テロと国家テロが対抗する戦争、すなわち「グローバル・テロ戦争」と呼べる形態になっていることである。巨大軍事力を持たない非国家テロ組織は、その攻撃目標を軍事国家あるいはその同盟国の一般市民に絞り、テロによる無差別殺戮を行うという作戦を展開している。米国のように、核兵器を含む無差別大量破壊兵器ならびに様々なハイテク技術を駆使した強力な武器を保有する軍事国家にとって、最もその「防衛力」が届かない領域は「市民の生活区域」である。軍事大国の軍事力は、もっぱら他の軍事国家の軍事力との対抗という面からのみ整備されており、「市民生活」を守るという点ではほとんど無能なのである。まさにこの弱点をついているのが、非国家テロ組織による一般市民に対するテロ襲撃なのである。したがって、テロ襲撃に対する「防衛」はいかなる軍事力によっても不可能であり、唯一の防衛手段としては、様々な形での人道主義に基づく平和構築活動を地道に持続・拡大していく他にはないのである。
ところが、テロ襲撃を避けるためと称して、対外的には、軍事国家はその強力な軍事力を使って非国家テロ組織への軍事攻撃、とりわけ空爆を展開している。もちろん、非国家テロ組織の残虐非道性、彼らのテロ攻撃による無差別殺傷には、いかなる正当性もない。しかし、そうした超暴力的組織に対する「精密爆撃」と称する空爆が、実際には非国家テロ組織の支配下にある数多くの一般市民を殺傷する無差別爆撃となっており、したがって、その実態は「国家テロ」と称すべきテロ行為なのである。その結果がテロ反撃と難民の急増であり、世界は、いつどこでテロ襲撃が起こるか分からないという、ますます混沌とした危機的状況を深めている。英国のEU離脱や失敗に終わったトルコの軍事クデーターという事態も、実際にはこうした「グローバル・テロ戦争」という世界状況と密接に関連して起きていることであることも、あらためて説明するまでもないであろう。
では、なぜフランスやアメリカのような「文明国」でも、市民を無差別に殺傷する残虐なテロ事件が急増しているのであろうか。この現象をどのように理解したらよいのであろうか。確かに、テロ実行犯たちは、ほとんどが中近東ないしは北アフリカ地域からの移民ないしは移民の家族に生まれた若者たちである。例えば、2015年11月13日夜、パリのスタジアムやバタクラン劇場を襲った若者たち、その数日後、サン・ドニのアパートで警察官との銃撃戦の末に死亡した若者、彼らはみな、アルジェリアやモロッコから来た移民の親をもつ「フランス人」であった。2016年7月14日夜のニースでのトラックを使ったテロ事件の犯人も、31歳のチュニジア出身の「フランス人」であった。しかし、メディアでも広く報道されているように、彼らはほとんど、元々は「ムスリム過激派」とは無縁なごく普通の若者であった。したがって、問われなくてはならないのは、「なぜムスリム過激派思想が彼らを魅惑し捉えたのか」ではなくて、「いったい何が彼らをムスリム過激派思想に走らせたのか」である。おそらく、その理由は、フランスの人類学者アラン・ベルトーが指摘しているように、パリ郊外に住んでいる多くの移民(その2世、3世など)の若者たちは、フランス社会ではいつまでも「フランス人」とは見なされずに様々な形での人種差別に苦しみ、自分たちの将来にも希望を持てないことから、ムスリム過激派思想に走るという、「怒りのイスラーム化」現象と呼ばれるものであろう。アメリカと同様に、フランスでも人種差別による警察の暴力は深刻な問題となっており、2005〜15年の10年間に、102人の「移民」が警察の暴力や過失行為で死亡しているとのこと。にもかかわらず、こうした警察による「殺人罪」が法的にはなんら問われていないというのが現状である。
そのようなフランスは、2003年からアフガニスタンで、2011年からは北ならびに中央アフリカ各地での軍事介入、2014年9月からは米国との共同作戦でイラクとシリアで空爆を展開。ロシア軍やシリア軍による空爆とも相まって、その結果、無数の難民が必死の思いで地中海を渡ってヨーロッパに流れこみ、その過程で子供を含む多くの人たちが溺れ死ぬという悲惨な事故が続出した。にもかかわらず、当初から、ドイツを除き、フランスをはじめほとんどのEU諸国が基本的には難民受け入れに極めて否定的な態度をとった。それどころか、2016年3月には、EUはトルコと協定を結び、トルコ経由でギリシャに到着した難民はトルコに強制送還できるという責任逃避の形で、この問題に真剣に対処することを避けてしまった。
こうした事態を目の当たりにした「移民の若者」が怒りを覚えないほうが、実は異常であると言えるのである。彼らにしてみれば、「溺れ死ぬ難民の子供たちをよそに、スポーツ観覧、コンサートや花火大会で浮かれ楽しんでいる市民」に、その怒りを向けるのも決して不思議ではないのである。とりわけ、「自爆」というテロ襲撃方法は、彼らの怒りと絶望の深さをまざまざと表出している。誤解されては困るが、だからと言って、私は彼らのテロ襲撃を支持したり認めたりしているわけでは決してない。(ちなみに、ここでは「自爆」の問題について詳しく私見を述べている余裕はないが、以下のことだけは述べておきたい。「自爆テロ」は、ひじょうに残虐野蛮で非人道的なテロ手段という解釈が一般的である。しかし、自分も被害者と一緒に死ぬ自爆攻撃の仕方のほうが、自分を殺すことなく多くの人間を殺害する方法、例えば戦略爆撃や無人爆撃より、なぜ「野蛮」で「非人道的」と言えるのか、私はひじょうに疑問を感じる。これも誤解されては困るが、私は決して「自爆テロ」を支持しているのではなく、逆に「無差別爆撃」に対するのと同様に、徹底的に反対である。この「自爆」の問題については、英文であるが以下の拙文を参照されたし。http://apjjf.org/-Yuki-Tanaka/1606/article.html )
こうした国内テロに対して欧米の軍事大国は、対内的には、「自由と民主主義」を守るための「安全保障体制」を堅固にするためと称して、市民諸個人の人権の制限あるいは抑圧、思想・信条への管理統制、国家機密手段などを強めることで、特定の政治家・官僚集団への政治権力の集中化が急速にすすめられている。そのような政治家・官僚たちは、テロに怯える国民の恐怖感を利用して人種差別を煽り、愛国心を高揚させることで、さらに自己の政治権力を強めることに躍起になっている。これは、これまで欧米先進諸国(日本もこれに含まれる)が、自国における「自由と民主主義」を促進するために、長年、自国の外(とりわけ植民地や旧植民地)で振るってきた暴力(これには軍事暴力だけではなく経済的暴力が含まれる)が、いままさにテロ攻撃という形で自国に跳ね返ってきて、自国の「自由と民主主義」を抑圧し崩壊させようとしているという、皮肉な歴史の重大な一大転換期に我々が直面しているということなのである。かくして、「グローバル・テロ戦争」は、現在、「民主主義の終焉」という重大な危機を産み出しつつあることも、私たちは、今ここで、はっきりと認識しておく必要がある。
アメリカのドナルド・トランプ人気上昇現象はもちろんのこと、日本政治の現状も、この「民主主義の終焉」の危機という世界的な脈絡のなかで捉えなければ、その根本的な問題を十分理解できないのではなかろうか。安倍政権は、わずかこの数年の間に、特定秘密保護法導入、集団的自衛権行使容認閣議決定、明らかに憲法違反である新安保法制の導入、沖縄辺野古新基地建設開始、原発再稼働などの反民主主義的な政策を強行手段で次々と推し進めてきた。かくして民主主義を決定的に崩壊させながら、その上で、国家防衛と称して米国との軍事同盟を拡大強化し、武器輸出三原則を廃止して自国の軍需産業をアメリカの軍産複合体性の中に組み込ませ、パレスチナ人民に対して無差別殺傷を繰り返しているイスラエルとも武器の共同開発を行うなど、日本はすでに有志連合軍の「対テロ戦争」に深く関わっているのが実態なのである。その結果、軍事費が毎年増大していくに反して福祉予算は大幅削減され、社会保障が切り捨てられて、貧富の差はますます拡大。そして今度は壊憲を企て、「グローバル・テロ戦争」へと日本市民をますます深く引きずり込み、文字通り日本社会と我々の生命を危険にさらしつつある。今ここで日本の進むべき方向をなんとか根本的に転換しないと、我々の未来は取り返しのつかないことになるであろう。こうした後戻りのできない「民主主義崩壊」という事態を避けるためには、どうしても安倍政権の打倒が必要である。私たち日本市民を安倍の政治的自殺行為の道連れにさせないために!
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