2022年11月21日月曜日

ベルリン「平和の像」が切り開いた世界

オンライン集会

 

 

 


 

 

2022年12月11日(日曜)19:00〜21:30

参加費:1000円(学生・障がい者無料  言語:日本語・英語<通訳あり>)

場所:ZOOMウェビナー(録画配信あり)

 

2020928日ベルリン・ミッテ区に「平和の像」が市民団体の努力によって設置されました。日本政府は直ちにドイツ政府に撤去の圧力を加え、意向を受けたミッテ区長が撤去命令を発するや、即刻、ベルリン市民や進歩的諸政党が設置継続の活動を始め、撤去を阻止することができました。さらに、その後も続く日本政府や日韓の右派勢力からの圧力に加え、今年4月には岸田首相がドイツのショルツ首相に像の撤去を要請したにも関わらず、119日ミッテ区は像の設置を引き続き2年間延長する事を決めました。今回、この「平和の像」がドイツ国内や世界に及ぼした議論と影響をベルリンからお届けします。

 

 

講演1 〜ベルリン・ミッテ区モアビット〜 地元市民が受け入れた「平和の像

 

梶村道子さん

1975年以来ベルリン在住。1992年にベルリン女の会と韓国女性グループとともに「慰安婦」問題に取り組んで現在に至る。ベルリン・ミッテ区の「平和の像」設置を、ミッテ区住人として傍でみてきた。共訳著にクリスタ・パウル著『ナチズムと強制売春。強制収容所特別棟の女性たち』(明石書店、1996

 


 

 

講演概要

ベルリン市ミッテ区モアビットに設置された「平和の像」は、日本政府の執拗な介入にも関わらず、2年が過ぎた今も健在だ。設置認可当局のミッテ区が、日本大使館やベルリン州政府の圧力に屈して即刻撤去命令を出したことが、当事者のコリア協議会はもとより、地元市民の怒りを招き、メディアの関心を惹いた。コリア協議会は短期間に3000筆もの抗議署名を集め、区議会は撤去命令の2ヶ月後に、像の恒久設置決議を採択した。こうして拡がったミッテ区行政への抗議とコリア協議会への支援は今も続いている。その背景にある、コリア協議会の青少年を対象に続けて来た性暴力に関する地道な活動、そして記憶する文化を実践してきた受け入れ側のモアビット地区の特性を、像の設置前から現在までの地元での動きを通して報告する。

 

 

講演2〜幾つもの意味を持つ一つの像〜

 

レギーナ・ミュールホイザーさん

ハンブルク文化振興財団上級研究員、国際研究グループ「武力紛争時における性暴力」のコーディネーターを務める。著書に『戦場の性:独ソ戦下のドイツ兵と女性たち』(岩波書店 2015)、『Sex and the Nazi Soldier: Violent, commercial and consensual encounters during the war in the Soviet Union, 1941-45』(Edinburgh UP 2021)共編著に『In Plain Sight: Sexual Violence in Armed Conflict (Zubaan, New Delhi, 2019)

 


 

 

講演概要

現在、ドイツでの「平和の像」をめぐる論争は、主にベルリンの少女像に焦点が当てられている。しかし、ラーベンスブリュック女子強制収容所記念館をはじめ、ドイツの他の多くの場所で、この像の異なるバージョンが一時的に展示されていたし、現在も展示されている。この像が公開されるたびに、フェミニストの講演者たちは、第二次世界大戦中のドイツ国防軍とナチス親衛隊による性的暴力の歴史に注意を喚起してきた。こうした講演者たちは、トルコの刑務所におけるクルド人女性への性的拷問や、ウクライナにおけるロシア兵によるレイプなど、現在の事態にも触れている。しかし、日本政府や右翼団体は、この像が日本を誹謗中傷するためのものだと主張し続けている。また、ドイツ国民の多くは、像をめぐる対立を「どうせ理解できない」日韓の争いと認識している。レギーナ・ミュールホイザーは今回の講演で、ドイツのさまざまな視点を紹介し、この議論とその結果や影響をどのように理解したらよいかを問いかけます。



オンライン・ZOOMウェビナ録画配信あります。

参加費:1000円 (学生・障がい者無料)

申し込み: https://forms.gle/aVLP3HcXxBSH5uZf8

申し込み締め切り:12月6日(火)24時

入金方法など詳細は申込後にお知らせします。

 

主催:日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワーク

共同代表:足立修一・田中利幸・土井桂子 _

連絡先:090-3632-1410(土井) E-mailianfnet.hiroshima@gmail.com

 


図書館は、原始、人間の夢だった

710日に、このブログで、広島文学資料保全の会・池田正彦さんが、広島市の中央図書館、映像文化ライブラリー、こども図書館の3施設を広島駅前の商業ビルの中に移転する広島市の計画を厳しく批判する論考、「広島市立中央図書館所蔵の峠三吉文学資料は広島の戦後史・文化史をひもとく鍵」、を紹介させていただいた。その論考紹介のイントロで、私は以下のように書いた。

<広島市は今年2月に、現在は市中心部の「平和公園」近くにある中央図書館、映像文化ライブラリー、こども図書館の3施設を広島駅前の商業ビルの中に移転する計画を発表した。松井市長は「利便性」や「文化機能の発揮」という考慮からの提案であると述べているそうだが、この説明は全くナンセンス。「利便性」からしても「文化機能の発揮」の点からみても、現在の場所のほうがはるかに適していることは誰の目にも明らか。古くなったこれら3施設を新しくするために市の予算を使わず、すでにある商業ビルの中に、いわば「丸投げ」の形で移転させて問題を解決しようという本音を隠すための、詭弁であることは明白である。>

 

今日は、その広島市行政批判の続編とも言える、広島文学資料保全の会・代表 土屋時子さんが『子ども図書館プロジェクト』という冊子に寄稿された、素晴らしい論考「図書館は、原始、人間の夢だった」を紹介させていただきます。

 

図書館は、原始、人間の夢だった

広島文学資料保全の会・代表 土屋時子

 

はじめに 「夢に描く理想の図書館」

そこにはまず心地よい環境の中に、安心できる空間があり、本との偶然の出会いがあり、 歴史的で普遍的で、文化的で国際的で、言語を超え、世代を超え、時空を超える、自由な存在なのだ。

アタマが開かれていない人間に限って、行政枠の中に入れようとし、教育のつもりで教化しようとしたり、何かの効果や利便を求めたりする。命令から最も遠い場所が図書館だ。   

図書館は図書館だ、文化を創造する場であり、利益を追求する商業施設ではない。

広島市の「基幹図書館群」とは

基幹図書館群とは、広島市立中央図書館(以下「中央図書館」)、広島市映像文化ライブラリー(以下「映像文化ライブラリー」という)、広島市こども図書館(以下「こども図書館」)の 3 館のことである。広島市では基幹図書館群が危機的状況にさらされている。

広島市立中央図書館(1974.10)の使命

中央図書館の前身は『浅野図書館』(旧広島藩主浅野家が 1926 年に設立)である。1945 年原爆投下によって壊滅的な状況だったが、翌年業務を再開し1955年に国泰寺町(市議会棟がある場所)に移転し、1974年現在の中央公園内に新築移転した。各区図書館(8 館)、こども図書館、まんが図書館、公民館図書コーナー等の中枢館として、資料管理、貸出サ ービスを支えるコンピュータシステム、全館に資料を提供する運営管理を行っている。移動図書館「ともはと号」では図書館や公民館が利用しにくい地域の支援も行っている。約 110 万冊の蔵書を有し、市民の高度な学習・研究への支援を行っている。中央図書館の果たすべき役割は、地域文化の継承と発展を目指し、長年蓄積された広島に関わる多様な資料を継続的に収集・保存し、後世につなぐべく保存に最大限努めることである。

その中の「広島文学資料室」(1987.10~)のこと

1987年「広島に文学館を設立しよう!」と願う多くの文化人、研究者、市民が集まり

「広島文学資料保全の会」が設立された。「当面は中央図書館を活用する」との荒木元市長の言で「広島資料室」に「広島文学資料室」が併設された。<当面>が既に35年を過ぎようとしている。

広島市には、広島が生んだ児童文学の先駆者・鈴木三重吉、原民喜、峠三吉はじめ広島にゆかりの深い文学者の貴重な資料が寄贈され、収集・公開している。文学者も資料もその後増えていくべきなのだが、文学者 21 人も35年間そのままで資料数も増えず、拡充しているとは言い難い。文学館建設の計画もなく、人類の未来のための文学館は夢物語なのだろうか

 福山市には福山城の傍に、城を情景にした瓦ぶき白壁の上品な「ふくやま文学館」がある。井伏鱒二の蔵書群や書斎も魅力的である。「文学館」のある町は何度訪れても文化の香り豊かで心癒される。文化度において、広島市は福山市より劣っていて残念である。

 

   
 広島文学資料室(1987年10月〜)撮影:河口悠介  

ふくやま文学館(1999年開館)




 その中の「原爆文学」を「世界の遺産」に

「広島文学資料保全の会」と広島市は共同で、2015 年(当時は「世界記憶遺産」という) と 2021 年に、ユネスコ記憶遺産への登録申請を行った。国内で 2 件が選定されるのだが、なぜか国宝や重要文化財の史料ばかりである。政府が国内選定をする制度は現在情報非公開となり、多くの問題を抱えているが、核兵器廃絶と平和の礎を目指し、2023 年に三度目の登録申請に希みをかけている。

広島市映像文化ライブラリー(1982.5~)

映像文化ライブラリーは広島市が掲げる「国際平和文化都市」像の実現に向けた取組の うち、映像文化の普及、振興、発展に寄与するため、地方自治体としては初めて、日本映 画等の映像資料・音楽資料を収集・保存する専門施設として開館した。これら資料の視聴 や貸出し、広島発の自主映画や日本の名作、外国作品等の映画観賞会、講演会、講座、ワ ークショップ等多彩なイベントも開催している。 特に広島や平和をテーマにした映像作品の提供は、公共施設としての大きな使命である。また、今まで蓄積してきた映像作品を市民の貴重な財産として後世に伝えていくために、保存と上映機能の維持は不可欠であり、フィルムなどの保管設備や、フィルム映写機の上映機能をもった上映ホールの設置は必須である。映像文化ライブラリーは図書館機能をもった施設で、映画館とは機能も目的も違う。商業施設への移転案では、ライブラリーは消され映像エリアとなっている。

広島市こども図書館(1980.5)

こども図書館の前身は丹下健三氏設計による児童図書館であり、現在はこども文化科学館と併設されている。広島市立図書館における児童サービスの中央館としての役割を持ち、児童サービスの専門館である。広島の子どもたちのための蔵書収集、子ども・保護者・ボ ランティア等に対する子どもの本に関する資料相談サービス等、専門性が必要である。子ども自身が自由意志で参加できる場所と子ども時代の読書を保障し、保護者への子育て支援も重要な使命である。何よりも、子どもの読書環境を守ることが必須である。

図書館移転問題の本質

2021 年より具体化した「基幹図書館群」の移転問題は、これら図書館の機能と役割、そして果たすべき使命を無視したところから始まり、駅前商業施設への移転ありき、スケジュールありきで進んでいることが問題なのである。公共図書館の建設事業は広島市にとっても市民にとっても一大事業である。今後 50 年、100 年の未来を見据えて、どの場所が最もふさわしいかを考えるべきである。

図書館の危機は、自治体の危機、国際平和文化都市の危機

公共施設の管理・運営の代行制度として 2003 年から「指定管理者制度」が始まり、広島市の図書館では 2006 年から採用された。うたい文句の「コスト削減効果」は薄く、実際は費用加算状況であるとの統計結果が各市の『図書館要覧』で報告されている。また、「ツタヤ図書館」なる大型書店も全国に進出していて、図書館や地方自治のあり方そのものを問うまでに拡大している。

図書館の危機は自治体の危機にもつながる。それは平和文化都市広島の危機でもある。おわりに 「理想の図書館への夢」実現のたたかいは、まだまだ続く

今回の図書館移転問題では、特に「こども図書館移転問題を考える市民の会」の皆さんが、いち早く移転反対の声を上げ、全国の仲間たちへ署名活動も広げ、連日惜しみない活動を続けている。私も「みんなの図書館プロジェクト」の方と共に「理想の図書館への夢実現」に向け、いっそうの勇気をもって進んでいきたいと願っている。

 

憧れの図書館!みんなの森 ぎふメディアコスモス・3複合施設の中の岐阜市立中央図書館



 2015年7月開館 人口約41万人/125億円の建設費)

 

 

2022年10月24日月曜日

「G7 広島サミットを問う市民のつどい」ホームページ開設

G7 広島サミットを問う市民のつどい」のホームページを開設しました。

「2023年5月『G7広島サミットを問う市民のつどい』提案」にお目通しをいただき、賛同人(団体)になっていただければ光栄です。これからいろいろな関連情報をホームページに載せていく計画です。

https://www.jca.apc.org/no-g7-hiroshima/

英文ページもありますので、海外の人たちにも情報を拡散していただければありがたいです。
https://www.jca.apc.org/no-g7-hiroshima/proposal-for-a-citizens-rally-to-question-the-hiroshima-g7-summitin-may-2023/

 

国際会議で多忙な政治家たち

 マイケル・ルーニッグ作

世界がこれほど錯乱状態にあり、混乱におちいって全く希望もなく、憂鬱な気持ちで覆われているのも決して不思議ではないのです。

 

その原因は、政治指導者たちを見てみてみれば一目瞭然。常に世界のあちこちで開かれる会議に出席するために飛び歩いており、でっかいアルミニウム製の筒に乗って空間を突進し続け、その結果、頭はいつも時差ボケで空っぽ。

 

今日が何日だったのか忘れてしまい、互いの名前も忘れ、今どこかに向かっているのか、それとも自国に帰ろうとしているのかも分からなくなり、会談相手の名前がアーサーだったのかマーサだったのか……

 

眼を覚ましているために覚醒剤を常用し、眠るためには睡眠薬を、その繰り返しで薬を間違えて混乱し、その結果、世界を混乱させる。こうして錯乱した政治家たちが、世界を先導しているというわけなのです。「はい、(空っぽの頭と視点の定まらない目を)カメラに向けて笑ってください!」

 

 


2022年9月1日木曜日

State Funerals Destroy Democracy

Abe Shinzo, the destroyer of democracy

 

Immediately after the assassination of former prime minister Abe Shinzo on 8 July, leaders of all the political parties in Japan issued statements declaring that they would never tolerate such a dreadful act of violence that destroys democracy. This sounds like a perfectly natural response to the shooting, and no one should have any objection to it.

However, it is not only visible physical violence that destroys democracy. Johan Galtung, a Norwegian peace studies scholar, coined the term “structural violence” to describe a different type of violence in which the actors of the violent act are invisible. Structural violence means poverty, hunger, oppression, discrimination, obscurantist policies and the like. In retrospect, Abe Shinzo was the one who took full advantage of structural violence to destroy democracy by constantly spewing lies and deception, like a heavy smoker who spreads filthy smoke everywhere.

“Abenomics” – which Abe introduced as an “economic revitalisation policy” – has brought about a sharp rise in prices and huge wage disparities, while simultaneously increasing the defence budget every year. As a result, the lives of many ordinary citizens are heavily burdened, especially single-mother families, the elderly, and the homeless. The impoverishment of these people is increasing daily. Rather than revitalising their lives, Abenomics has forced many citizens to struggle to find ways to survive.

On Moritomo School, the Kake veterinary faculty, and annual cherry blossom garden parties, Abe squandered taxpayers’ money as though it literally grew on trees. When the truth was about to be exposed, he made bureaucrats under his control cover up, falsify, and destroy the evidence to get away with his crimes. In the Moritomo School corruption case for which he and his wife were largely responsible, he drove one of the Ministry of Finance officials to commit suicide, ultimately forcing him to take the final responsibility. If this is not violence, then what is?

Deliberately misusing and abusing Galtung’s concept of “positive peace”, Abe enacted one unconstitutional law after another. The law authorising the right of collective self-defence, the special secret protection law, and the conspiracy law all contain examples of his typically delusional claims.

In his bid to host the 2020 Olympic Games in Tokyo, Abe tried to cover up the effects of the Fukushima nuclear power accident by stating: “For those of you who are worried about Fukushima, let me assure you, the situation is under control. Tokyo has not been and will not be adversely affected in any way.” In so doing, he shamelessly lied to the world. Vast quantities of radioactive water continue to flow into the plant; the situation there is completely out of control.

In diplomacy, his deep sense of racial discrimination was blatantly reflected on many issues. For example, he tried to end the Korean pursuit of Japan’s war responsibility for the Japanese military sexual slavery (so-called “comfort women”) with a Japan–Korea agreement which he termed a “final and irreversible solution”. In fact, this characteristically deceptive phrase meant: “We will pay you a billion yen so you will shut up about the issue from now on.” In this way, one billion yen was used to buy the memory of the historical fact of Japanese military sexual slavery, and to erase the memory of this war crime from history.

Nonetheless, in response to strong criticism from the US media of his dishonest approach to the comfort woman issue, Abe expressed his apologies to President George Bush at Camp David in March 2007. The president accepted his apology, while both men ignored the actual victims of the Japanese military sex enslavement. Abe never expressed an apology directly to any former comfort woman prior to or following this meeting with Bush. Similarly, on the issue of US military bases in Okinawa and arms purchases from the US, Abe flirted Presidents Obama and Trump as if he were their pet dog wagging his tail, and he made huge US arms purchases.

Let me reiterate that Abe was the one who destroyed Japan’s originally fragile democracy by taking full advantage of structural violence. Furthermore, Trump and Abe are the two who will go down in history as the heads of state who told the biggest lie of all.

 

State funerals: acts of subversion of democracy by state powers

 

The Kishida administration and the Liberal Democratic Party (LDP) are eager to politically exploit the death of a democracy-destroying politician – this time, in the form of a state funeral.

Strangely enough, Abe’s death has exposed a long-standing cosy relationship between a pseudo-religious organisation called the Unification Church and many LDP members who accept large donations (bribes) and other forms of political support from this church. Abe’s assassin was one of the victims of this church’s dubious activities. Donning the false cloak of religion, the Unification Church takes advantage of ordinary people’s mental vulnerability to extort money and at the same time strongly advocate anti-communism.

In an effort to cover up LDP’s corrupt relationship with the Unification Church, the government is now trying to enshrine Abe as a “great defender of democracy,” wrapping his death in a second layer of lies to cover the many deceits of his lifetime. Accordingly, a solemn state funeral is now being planned as an official government event with many distinguished foreign leaders being invited. The true aim of this state funeral is to guard and preserve the political power of the ruling LDP by paralysing the public’s rational thinking. Politicians who have been victims of “vile violence” are the most convenient figures to be used for such state mythologising.

The same logic used to enshrine Class A war criminals is at work here. Once enshrined, war criminals such as Tojo Hideki must be remembered and revered as noble and holy human beings, and their personal histories must not be questioned. At the same time, the history of Japanese imperialism which produced such soldiers must not be questioned. When the state power mourns a particular person by holding a national funeral, it legitimises its own power by enshrining and mythologising the person. State funerals are held for the purpose of bringing political benefits to a particular political party or politician who is in control of state power; there is no such thing as a “non-political” or “politically neutral” state funeral. A state funeral is not only a clear violation of the Constitution of Japan, but also a very dangerous political act that destroys democracy.

Furthermore, the majority of people who are given state funerals are men; very few women are honoured in this manner. Although the status quo is changing rapidly in many other countries, it is still the case in Japan where politics are predominantly a man’s domain. Therefore, state funerals also serve to reinforce the culture of male dominance.

In many countries, state funerals include the ceremonial firing of cannons and guns. Consequently, the guard of honour who escorts the spirits of the dead, plays an important role in the funeral rites. In Japan, the Self-Defence Forces play this role at the Emperor’s Grand Mourning Service, which carries symbolic significance in sanctioning the military power of the state to the people. Through the national funeral, the guard of honour validates the idea that a nation can only be a nation by possessing a violent organisation of military power. In this sense, the state funeral is contrary to the principles of the Constitution, especially the Preamble and Article 9 of the Constitution.

 

The Guard of Honour from SDF attending Abe's Family Funeral on July 12
 

Indeed, on 12 July, at the family funeral of Abe, on the instructions of Kishi Nobuo, then Defence Minister and Abe’s younger brother, the guard of honour from the Self-Defence Forces attended the ceremony. The use of the Self-Defence Forces for a private family matter also seems to be a violation of the Constitution.

Bearing in mind these subversive aspects of state funerals, it becomes clear that they need to be opposed. Calling for their cancellation is an important expression of democracy by Japanese citizens. We need to be fully aware of this fact and expand our opposition to national funerals on a nationwide scale. 

 

Yuki Tanaka

 

 


2022年8月14日日曜日

国葬は民主主義を破壊する

民主主義を破壊した張本人、安倍晋三

7月8日、安倍晋三が殺害されるや、どの政党の党首も、そろって「民主主義を破壊する卑劣な暴力行為は決して許せない」という内容の声明を出した。これは当然の発言で、誰も異存は全くないはずである。

しかし、民主主義を破壊するのは、目に見える物理的な形の暴力だけではない。ノルウェーの平和学研究者であるヨハン・ガルトゥングは、暴力行為の主体が見えない暴力、とりわけ貧困、飢餓、抑圧、差別、愚民政策などを「構造的暴力」と呼んだ。顧みてみれば、安倍晋三は、ヘビー・スモーカーが汚い煙をパクパクといつも吐いているが如く、嘘と誤魔化しの発言を絶えず吐きながら、この「構造的暴力」をフルに活用して「民主主義を破壊」した張本人であった。

「経済再生政策」と称するアベノミクスでは物価上昇・賃銀格差を急増させながら、その一方で毎年の防衛予算の巨額の増大。その重い負担が国民一人一人に課せられ、多くの一般市民、とりわけ日々の生活費高騰に苦しんでいる母子家庭や高齢者、ホームレスの人々の生活を逼迫させた。その人たちの困窮化は、今もさらに進行中である。多くの国民は生活を「再生」するどころか、どうしたら生きていけるかと艱難辛苦の毎日である。

森友学園、加計学園、桜を観る会では、国民の税金を自分のポケット・マネーのように、文字通り湯水のごとく使った。その事実が露呈されそうになるや、自分にへつらう支配下の官僚たちに証拠の隠蔽、改竄、廃棄をさせて自分の罪を逃れた。夫婦そろって最も責任のある「森友学園問題」では、その最終的責任を押しつけられた財務省の職員の一人を自死に追い込んだ。これが「暴力」でないとしたら、何と呼べばよいのか!

破廉恥にも、ガルトゥングの「積極的平和」という概念を全く逆の意味に用いて、明らかに違憲である集団的自衛権を認める戦争法制定、特定秘密保護法制定、や共謀罪創設を、彼の典型的な虚妄の主張のゴリ押しで次々と実現させた。(安倍のスピーチ・ライターの中には、ガルトゥングの「積極的平和」概念を意図的に誤用することを思いつくような、悪意に満ちた狡猾な知識人がいたようである。)

フクシマ事故の忘却を狙った東京オリンピック誘致の演説では、「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません」と世界に向けて大嘘をついて、その厚顔無恥のほどを曝け出した。放射能汚染水は今も大量に流れ込んで、完全に「制御不能」である。

外交では、彼の国家(=人種)差別意識が露骨に反映された。例えば、韓国に対しては、「日本軍性奴隷(いわゆる「慰安婦」)」問題での日本に対する戦争責任追求を「最終的かつ不可逆的解決」と称する「日韓合意」で終わらせようとした。この「合意」もまた安倍特有の誤魔化しで、事実は「10億円出すから今後はこの問題については黙れ」、つまり10億円という金で日本軍性奴隷の存在という歴史事実に関する記憶を買い取り、その記憶を抹消することを目的とする、傲慢不遜きわまりないものだった。

その一方で、アメリカに対しては卑屈といえるほどの低姿勢をとり、日本軍性奴隷問題では全く無関係のブッシュ大統領に謝罪し、沖縄基地問題や武器購入ではオバマやトランプ大統領に、飼い犬が尻尾をふるが如く媚びへつらって、武器の爆買いも行った。

再度述べておくが、安倍は「構造的暴力」をフルに活用して、元々脆弱な日本の民主主義を破壊した人物である。さらにトランプと安倍の2人は、大嘘をつきまくった国家首脳として歴史に名を刻み込んでおくべき人物である。

 

  

国葬は国家権力による民主主義破壊行為

岸田政権と自由民主党は、このような民主主義破壊者である政治家の死を、今度は国葬という形で政治的に利用しようと躍起になっている。

奇しくも、宗教というまやかしの蓑を被り、一般市民の精神的弱みにつけ込んで金を巻き上げ、反共を唱えている似非宗教団体(=実際には政治団体)と、多額の「寄付金(=賄賂)」を受け取ることに倫理的に無感覚になって腐敗しきっている多くの自民党議員との間での長年にわたる癒着が、安倍殺害事件を機にあばきたてられた。これを隠蔽する有効な手段として、安倍晋三を「立派な民主主義の防衛者」として祀りあげ、安倍が生前についた多くの嘘の上に、さらなる嘘で安倍を二重に覆い包み、自民党という政治権力の保身に努めるために、多くの外国人首脳を迎えて荘厳な国葬を執り行うことで、国民の思考を麻痺させようという目論みである。「卑劣な暴力」の犠牲になった政治家は、このような国家による神話化に利用するには最も都合の良い人物である。

ここには、靖国神社に東條英機をはじめとするA級戦犯たちを祀ることと同じロジックが働いている。A級戦犯という戦争犯罪人であっても、一旦、神社に祀られれば、「尊く、聖なる」人間として記憶され、崇められなければならず、彼らの個人的な過去は問題にしてはならないのであり、そのような軍人を生み出した日本帝国主義の歴史も問われてはならない。

同じように、国家権力が国葬を行うことで特定の人間を弔うことは、国家権力の正当化に都合の良い人間を祀り、その人間を神話化することで、国家権力そのものを正当化することと、実は直結しているのである。したがって、国葬は、国家権力を掌握している特定の政党、政治家に政治的利益をもたらす目的で執り行われ、「非政治的で、政治的に中立的な国葬」などというのはあり得ない。よって、国葬は明らかに憲法違反であると同時に、民主主義を破壊するたいへん危うい政治行為なのである。

さらには、これまた世界的に見られる傾向であるが、国葬の対象となる人間の大多数が男であって、女が国葬で弔われるというケースは極めて少ない。なぜなら、国葬の対象となる多くの男たちは政治家であり、近年急速に変わりつつあるとはいえ未だ政治の世界は男の世界であり、とりわけ日本ではそうである。したがって、国葬は、男優位文化を強化させることにもつながっている。

また、多くの国で、国葬には死者の霊を護衛する儀仗兵が葬礼で重要な役割を担い、弔砲や弔銃の発射を行うという儀式も行う。日本では天皇の「大喪の礼」で自衛隊がその役割を担う。このことは、国葬を通してその国家の軍事力を国民に向けて正当化するという象徴的な意味を持っている。すなわち、「国家は軍事力という暴力組織を持つことによって、初めて国家たりうる」という思想の正当化という役割を、儀仗兵は国葬を通して果たす。その意味でも、国葬は日本国憲法、とりわけ憲法前文と9条の理念に反している。

こうして国葬のもついろいろな要素を考えてみると、国葬は明らかに国家権力による民主主義破壊行為であり、これに徹底的に反対し、中止させることは、たいへん重要な市民の民主主義運動なのである。このことを私たちはしっかり自覚し、国葬反対の声を全国的規模で広げていく必要がある。