2016年1月20日水曜日

原爆から性奴隷まで:被害と加害の象徴的・普遍的表現方法を求めて

私は、最近一種の虚脱感に苛まれている。なぜかその理由は自分でもはっきりつかめないのであるが、おそらくその一端は、現在の救い難いくらい劣悪な日本の政治・社会状況にあると思う。日本に住んでいれば、様々な市民活動に加わり、忙しく動き回らなくてはならないため、「虚脱感」などと呑気なことを言っている余裕がないであろう。広島の活動仲間たちからは「なにを贅沢なことを言っているか」と叱られそうである。しかし、あまりにもひどい日本の状況を見つめながらも、日本から遠く離れ、自分が具体的にできることがほとんどないその無力さを実感する毎日を過ごしていると、どうしても精神的に憂鬱にならざるをえない。

しかし、理由はそれだけではなさそうである。定年退職に伴い昨年4月には、一応、活動の「拠点」を広島からメルボルンに移したが、敗戦70周年のための様々な学会や集会出席で日本、オーストラリア、ヨーロッパと駆け回り、昨年中は「拠点」についてゆっくり考える暇もなかった。ところが、年が明けるや、毎晩、奇妙な夢を見るようになり、熟睡できなくなったのである。その夢とは、いつも自分がどこか見知らぬ場所を放浪し、不安にかられている夢なのである。つまり、「拠点」を見つけられず、私は彷徨い歩き続けているのである。どうも、これは広島からメルボルンに「拠点を移した」ことに対する精神的なケジメが自分の中でついておらず、無意識のうちに、自分の居場所がいまどこにあるのか決められずに葛藤している状況にあるのではないかと、自己分析しているような次第である。器が小さいこんな自分になんとも情けない次第であるが、そんなわけで、目下、依頼された原稿執筆の仕事が複数あるのだが、集中力が長く続かないことに頭を悩ませている。

そこで、このだらしない状況をなんとか打破しようと、この数日は、執筆作業とは直接は関係のない能楽関係の本、とりわけ多田富雄の感動的な著作を読み直している。なぜ能なのか。能楽関連の本が、今私が抱えている(他人から見ればごくつまらない)精神的な問題のための直接の助けになるとは思わないのであるが、能劇作品には人間の「惑い」や「苦しみ」をテーマにしたものが多いので、読んでいるとある種の「癒し」になることは確かであるからなのだ。(本当は、能の実演を観覧したいのであるが、メルボルンではそれは叶わない願いである。)

「能」という言葉を耳にすると、「なんか難しそう」と思われる人が多いと思う。しかし、それはたいへんな誤解である。「能」ほど面白く感動的な芸術はないと私は思っているので、少し我慢して以下最後まで読んでいただければたいへん嬉しい。

多田富雄についてご存知の方はあまり多くないと思う。1934年生まれの日本を代表する世界的に著名な免疫学者であったが、2010年4月に亡くなっている。恥ずかしながら、私は彼の免疫学関連の著書は全く読んでいないのであるが(読んでもおそらく理解できないかも<苦笑>)、実は、彼の趣味は能楽で、能舞台で小鼓を打っていたし、すばらしい新作能を10作あまり書き残している。それらの作品は『多田富雄新作能全集』(藤原書店 2012年)に収められている。そのうえ、『能の見える風景』(藤原書店 2007年)や『独酌余滴』(朝日文庫2006年)といったエッセイ集も数多く出している。この素敵なタイトルの本『独酌余滴』などは、「ぬる燗の徳利を一本載せた箱膳の前に独座し、観念する。さっき観た能の舞台を、旅先で出会った風景を、そして過ぎ去ってゆく時を…」という内容の、情緒豊かな内容の本である。(私も酒が好きであるが、「ぬる燗」は大嫌いで、「キレのよい辛口の冷酒を前に、観念することなど最初からカンネンして<=あきらめて>、ただ旨い酒を味わうことだけに専念するばかりである」が。)さらに多田は、和歌や詩の創作も手がけ『歌占 多田富雄全詩集』(藤原書店 2004年)も著している。同じく晩年に多くの優れた和歌を詠った鶴見和子との往復書簡を集めた『邂逅』(藤原書店 2003年)、水俣をテーマにした新作能を書いた石牟礼道子との往復書簡集『言魂』(藤原書店 2008年)も心を動かされる内容の本である。このように多田は免疫学者でありながら、傑出した文才をもった人物でもあった。

能劇の内容にはほぼ共通のパターンがある。「異形の人」、それはしばしば「幽霊」という形をとるのであるが、その人物が舞台の橋掛りの暗がりから時空を超えてこちらの世界(舞台正面)にやってくる。そして自分の体験した凄まじい出来事と苦悩を物語り、その一部始終を語り終えると再び橋掛りの向こうにある「異界」へと戻っていく。凄まじい体験には、愛する子を失い狂気する母の苦悩、嫉妬に狂った女性の苦悩、戦いで殺された武将の死んでなお残る恨みと悲しみといった、言語に絶するような深い悲哀や怒りを伴うものが多い。

実は、能劇は、幽霊を主役とするという点で、世界に類例をみない極めてユニークな演劇である。幽霊は、通常の演劇では、見えるか見えないか分からないくらいの「脇役」しか与えられていない。ところが能楽では、幽霊が時空を超えて我々の眼前に姿を現わし、もろに語りかけてくるので、その話は当然に時間的限定性を超越した「歴史超越的」な「普遍的」なメッセージとなる。しかもその物語の内容が、ある特定の歴史的時期における具体的な「出来事」を基にしてはいるのであるが、「語り」の内容が「謡」という濃縮された「詩的表現」をとり、顔などの「身体的動き」はごく限られた数の「能面」による凝縮表現で、人間の苦悩・恐れ・怒りなどを徹底的に洗練し、純化し、高度にシンボリックな表現にまで簡潔化、凝結化させているため、これまた世界中のあらゆる人間に深い共感を呼ぶような「普遍性」を強くそなえているのである。したがって、惨たらしい殺戮の場面などを具体的に再現しなくとも、いや再現しないからこそ、その惨状の実相は、強烈なシンボリズムの形で観覧者である我々の魂を震わせるのである。

したがって、能劇は異常で激烈な出来事の「場」、特定の「場」でありながら同時に普遍性をもった「場」、に置かれた人間の精神的葛藤の、時空を超えた普遍的な形での超シンボリックな表現なのである。14世紀という昔に、なぜこのような、多田の言葉を借りれば「霊魂だけが持つ普遍的、形而上的世界を描く」能劇という驚くべき芸術が日本で生まれたのか。鎌倉時代後期から室町時代初期は戦乱が続く世の中であったため、人々が「心の癒し」を求め、「平和」を求め、戦乱の犠牲者の苦悩と悲哀への共感を多くの人々に呼び起こす演劇を作り出したのも、したがって不思議ではないのかもしれない。その意味では、同じく人類への普遍的メッセージを内包しているギリシャ悲劇が産み出された歴史的背景と似ているのかもしれない。

私は古典能も好きであるが(とりわけ「殺生石」などのような劇的なストーリーのもの。ちなみに、「殺生石」には原発事故を想起させ、環境問題について深く考えさせるような要素が多分にあると私は考えている)、新作能、とりわけ多田富雄の作品に強く心を惹かれるのである。なぜなら、多田は、被爆の残虐性、非人道性を見事にシンボル表現化した「原爆忌」と「長崎の聖母」、沖縄戦の地獄を描いた「沖縄残月記」、若い時代に強制連行で夫を失った韓国人老婆の痛恨の悲しみを描いた「望恨歌」などで、日本の戦争加害と被害の両面を取り扱い、能という芸術作品で「過去の克服」を見事に成功させていると考えるからである。「過去の克服」は、歴史学の知識上の学習だけでできるものではないというのが私の持論で、昨年2月におこなった私の「さよなら講演」、「何のための被爆体験継承か:『過去の克服』としての記憶の継承を考える」でも論じておいたように(このブログに昨年3月に載せた「講演ノート」を参照されたし)、「文化的記憶」という方法がひじょうに重要だと私は考えている。多田の新作能は、まさに、この「文化的記憶」の日本のモデルとも言えるものの一つであると私は思っている。

上述したように、悲惨な状況をこと細かに繰り返し記述しても、必ずしもそれが読み手または聞き手の魂を強く動かすとは限らない。例えば、「原爆忌」創作にあたって多田が多くの被爆体験記を読んだことは間違いない。しかし彼は、次のように説明している。「しかし、それ(=被爆体験)を能に書くのは困難だった。事実は表象不可能な原爆である。書きようがないというのが本当だった。いくら悲惨なエピソードを集めても、能の題材にはならない。それを救ってくれたは、能という演劇の象徴性、普遍性だった。」(強調:田中)

同じようなことが反核運動にも言えるのではないかと私は思う。いくら悲惨な被爆証言を数多く積み上げ、繰り返し聴かせても、反核運動の広がりにはつながらないのではなかろうか。要は、数多くの被爆体験に含まれている根本的に重要なメッセージを、いかなる形にすれば、言葉を超えて人々の魂に訴えるような象徴性、普遍性をもった強烈な力をもつ反核メッセージになるのか、このことが極めて重要だと私は考える。

「原爆忌」のすばらしさを知るには、やはり実際に観劇するほかはないのであるが、その「謡」の中から、ごく一部を抜粋して紹介してみよう。
「求むれど
猛火に包まれし水はなし、
助けを求め水を乞い
常葉の橋に駆け上がりて
川瀬を眺むれば無残やな
見渡す限り
死屍累々と折り重なって足の踏み場もなかりけり。
おおわが子はいずくにありやと、
声を限りに叫べど
煙霧と炎に覆われて
道は広島、六つの川に
死骸は川面を埋め尽くす
…………(以下、数行省略)
見慣れたる薄衣に
あれはわが子と走りより
抱きあげ見れば無残やな
たれとも分からぬ幼子の死骸なり」

これは被爆し亡くなった男の幽霊が、60年後に、旅の僧に語る被爆体験の地謡の一部である。この能劇の最後は、当時、被爆しながらも生き残ったこの男の娘、今では老女になった女が父親の霊と灯籠流しで再会し、父親が、「一瞬にして地獄と化した広島、水を求め黒い雨にうたれてさ迷い命を落としたありさまを語り舞」うというシーンである。

幽霊が生きている近親者に自分の「死に様」を語り説明し、2人の間の情愛を再確認するという形式は、能劇でしばしば見られるものである。広島で被爆して死んだ父親の幽霊が生き残った娘に語りかける、井上ひさし作の『父と暮らせば』や、その続編とも言える、長崎の原爆で死んだ息子の幽霊と生き残った母親の情愛を描いた山田洋次監督作の映画『母と暮らせば』は、実は、もともとは能楽のこの伝統的な表現形式を継承しているのである。井上は、演劇の脚本を書くにあたって、おそらく能からアイデアを得たのであろう。この表現形式には、生き残った者が、自分の身近にいた死者の霊と交流し、その死者の霊の苦しみを理解し、生き残った自分の苦悩と悲哀を死霊にも理解してもらうという「苦悩と悲哀の分かち合い=痛みの共有」をなすことで、自分の心が癒され、精神的回復を遂げることができるという機能が働いているのである。この機能は、したがって、世界の多くの人間の共感を得ることができる普遍的なものなのである。能に「癒し」を感じるのは、まさにこのゆえである。

実は、「原爆忌」や「長崎の聖母」は海外でもすでに何回も上演され、大変好評で、観客たちも観劇後の印象として「癒し」を感じたという意見が多い。昨年、「長崎の聖母」がニューヨークで上演されたことを伝えるニュースをユーチューブで見ることができるが、このときの観客へのインタヴューでも、原爆殺戮に9・11テロ事件を重ね見たという興味深い意見が出されている。https://www.youtube.com/watch?v=LmJinbMKI8Y
(なお、『多田富雄新作能全集』には、「原爆忌」や「望恨歌」など6作の英語訳も含まれている。)

原爆をテーマにした新作能は、多田富雄の上記の能劇の他に、京都の能楽師、宇高通成の作による「原子雲」といったものもある。これまた観客の心を震わせる傑作である。

たいへん興味深いことは、最近、オーストラリアのシドニー大学の音楽学の名誉教授アラン・マレットが「Oppenheimer(オッペンハイマー)」という新作能を作っていることである。昨年10月1日にシドニーで初演が行われた。幸いにして、私も妻と同伴でこれを観劇する機会があった。マレットは日本音楽の専門家ではなく、アボリジニ音楽などの研究を専門にしてきたようであるが、武蔵野大学文学部教授で能楽専門家であるアメリカ人、リチャード・エマートの協力をえて、この新作能を創作したのである。原子爆弾という大量破壊兵器を産み出し、無差別大量殺戮を犯してしまったことへの救い難い罪意識にとらわれ、成仏できないオッペンハイマーの苦悩を見事に描き出した内容となっている。おもしろいのは、「謡」が全て英語で行われていることである。シドニー大学日本研究科の康子・クレアモント教授による和訳がつけられた初演が、下記ユーチューブで観れるので、ぜひ御一見願いたい。

このように、いまや能楽は、その演劇が内包している「象徴性と普遍性」という固有の優れた特徴から、日本という国土を超えて、世界的な芸術になりつつある。このことを広島市民はもっとよく知り、自覚し、その活用について広く議論すべきであると私は考える。幸いにして、広島にはアステールプラザに能舞台がある。広島では「ひろしま平和能楽祭」といったイベントも開催されてはいるようであるが、もっとこうした素晴らしい新作能を、あらゆる機会をとらえて、広島で公演すべきであろう。とりわけ海外からの訪問者が観劇できるような機会を積極的に作っていくべきである。

しかし、原爆関連の新作能と同時に、それとセットにした形で「望恨歌」や「沖縄残月記」を上演すべきだと私は考える。そのことによってこそ、広島が真の意味での「普遍的な平和メッセージ」を世界に発信できるのであるから。

実は、私は「日本軍性奴隷」についての新作能を誰かが創作してくれないかと熱望している。シテは「元慰安婦の老婆」、後シテは「元日本兵の男の霊」、ワキは「旅の僧」、ワキツレは「若い修行僧」。性奴隷とされた老婆の苦悩の記憶、その加害者でありながら同時に国によって戦争に駆り出され殺された日本兵の罪意識と恨みの二重性、この2人の苦悩の記憶をどう理解したらよいのか悩む僧、とりわけ若い修行僧、この4人による「苦悩の舞」である。私には新作能を創作する能力など全くないので、どなたか適任者をご存知の方がおられたら、私にまでご一報願いたい。



2016年1月3日日曜日

2016 年頭メッセージに代えて — 昨年末パリ訪問で考えたこと —


昨年12月16〜18日、パリ政治学院主催の第2次世界大戦終結70周年記念国際会議『危機に直面する市民:1931年以降アジア・ヨーロッパにおける大規模暴力』に招かれ、2日目の「市民空爆」で講演、3日目のパネル「植民地における大規模暴力に対する抵抗」でコメンテイター、最終日の「最終パネル・ディスカッション」でパネリストの一人として総括的な意見を述べる役目を務めました。この会議の内容についての簡単な報告については後述します。

パリには12月14日から19日までの短い滞在。21日にはメルボルンに戻りましたが、その後1週間ほど、午後3時頃になると突然睡魔に襲われ、夜も8時になる頃には再び頭が朦朧としてくるという激しい時差ボケが続き、回復するまでにかなり時間がかかりました。こんな経験は初めてでした。オーストラリア大陸東南端のメルボルンから中近東(カタールのドーハー)経由でのヨーロッパ行きは、ヨーロッパまでの飛行距離としては最短距離ですが、やはり遠いです。ヨーロッパの連中(とりわけイギリス人たち)がオーストラリアのことを「down under(地球の底)」と呼んでバカにしてきましたが、距離の遠さについては議論の余地がないです。(実は、地球儀を逆さにしてみれば、当然のことながらイギリスが「地球の底」になるのですが。また、「底」がなぜ悪いのかと、西欧中心主義に反論することもできます。)「地球ドン底」の我が家の玄関からパリのホテルのロビーまで30時間以上かかりました。もちろん帰りも30時間余り。歳をとってくると、 30時間余の連続移動は身体にひじょうにこたえます。とにかく、激しい時差ボケのため、思考散漫状態が長く続き、ブログの更新も怠りました。

シャルル・ド・ゴール空港に到着してまず気がついたのは、空港内が閑散としていることでした。パリのテロ事件の影響で、空港税関ではかなり厳しく調べられるのだろうと考えていたので、パリ政治学院からの招待状や学院教授たちとのメール交信のハード・コピーをいつでも提示することができるようにファイルを手元に準備していました。ところが、パスポートを見せただけで、質問は一切なし。税関通過には1分もかからないという簡単さに、肩透かしをくったようで驚かされました。

空港から市内中心部まで電車で行きましたが、その電車も乗客はまばら。しかし、市内中心部からパリ政治学院と宿泊ホテルのあるサンジェルマン地区まで移動するために一旦地下鉄に乗換えるや、いつものパリの状態と変わらない雑然とした雰囲気でした。しかも乗客の半分近くが北アフリカからの移民と思われる人たち。これほど多民族が混在して暮らしているパリで、「イスラム国」ISのテロリストが自分の周りにいるのかどうかを気にしていたら日常生活は成り立ちません。通常の生活を持続するためには、逆に、どのような民族背景を持った住民ともいかに「平和共存」していけるかという考えのもとに、地下鉄で隣に座った人間とできるだけ対話する、あるいは親切に対応することに務めるということから始めるより他に道はありません。つまり(安倍晋三のエセ表現ではない)真の意味での「積極的平和主義」を、日常の生活の小さな行動で実践していくより他に道はないのだと、地下鉄に乗るや私は考えさせられました。

12月初旬に行われたフランスの地域圏議会選挙での第1回選挙では、パリのテロ事件を受けて国民の間に治安や移民問題で不安が高まり、極右の国民戦線(FN)が大躍進を見せたものの、第2回選挙ではFNが全敗しました。したがって、この選挙結果は、フランス国民の政治的感覚が多民族文化主義に基づく比較的健全なものであることを証明したように私には思えます。難民・移民はほとんど受け入れず、多文化主義も極めて表面的で浅薄なもの(例えば「グルメ」)としてしか受け取られていない日本の政治文化的狭隘性(=潜在的大衆ナショナリズム)との違いは決定的です。

しかしながら、その一方で、シリア空爆という軍事手段でのオランド政権のテロ事件対応策では、ISテロ攻撃を減少させることはほとんど不可能であることも目に見えて明らかです。そもそも、ISという一大暴力テロ組織を生み出した根本的な原因は何だったのか。このことをすっかり忘れて、米英仏露は、再び空爆という国家テロでISテロに立ち向かうことで、ますます状況を泥沼化させているのが現状です。ISは、言うまでもなく、イラク戦争でイラクを追われた元フセイン政権の幹部、とりわけ軍幹部を中心に組織された暴力集団です。つまり、イラク戦争は決して終結しておらず、今も続いているのです。それのみか、むしろ戦域はイラクからシリア、レバノン、トルコ、イランへと大幅に拡大してしまい、その上にヨーロッパ社会がISによる無差別テロ攻撃の「戦場」にまでなり、終止符がつかない状態にまで悪化してしまったのが実情です。私は、今の世界状態は「世界大戦」と称すべき戦争状態にあり、「9・11事件」から徐々にこの状態に入り込んでいったと見なしています。

IS戦闘員数は2万人を超えると言われていますが、将兵数150万人、年間6000億ドル(70兆円以上)近い膨大な軍事予算を持つ米軍がこのISを屈服させることができないのが現状です。しかし、実は、オバマ大統領はイラクに対して戦争を開始すれば、遅かれ早かれこうした泥沼状況に陥ることをイラク開戦前から予測していました。彼がまだ上院議員だった2002年10月にイリノイ州で開かれた反戦集会で、イラクへの侵攻は中近東全域に戦火を広げることになり、イスラム過激派を拡大させ、アラブ社会を混乱状態に陥らせると彼は警告していました。ところが、そのオバマが大統領になるや、これまでに、中近東の回教徒国家のうち7カ国を空爆して事態を混沌化させてきました。次期大統領として最も有力な候補であるヒラリー・クリントンは、当時野党の民主党の中でもブッシュ大統領の対イラク戦争を支持した少数派の一人でした。共和党の大統領候補として有力視されているドナルド・トランプにいたっては、ISを壊滅するためにはISの家族を殺害するのが最も有力な手段であるという、信じがたい暴言を吐いていますが、本人は暴言などとは全く思っておらず、本気です。

この2人のうちどちらが大統領になっても、シリアとその周辺国家の状況が改善される可能性はほとんどないと見なすべきでしょう。逆に、米英仏露がISに空爆をすればするほど、欧米社会での無差別テロ攻撃は拡散していき、市民の犠牲者がますます増えていくでしょう。こんな米国に、嘘とまやかしで憲法違反してまでも加担しようというのが安倍晋三が推し進めている政策で、日本を破滅へと確実に押しやりつつあります。我々市民がこうした状況を根本的に変革しない限り、我々は文字通り安倍の自滅行為の道連れにされます。安倍とトランプという組み合わせの想定は、最悪です。考えたくもないくらい恐ろしい想定です。

私がパリに到着したのは『気候変動会議』が終わったすぐ後でしたが、私が不思議に思うのは、「気候変動」の最も重要な原因であるCO2を問題にしているにもかかわらず、「戦争によるCO2大量排出と猛烈な環境破壊」を指摘する政府も環境団体も皆無であったことです。いうまでもなく、戦争では戦車をはじめとする様々な軍車両、爆撃機、戦闘機、艦船などが大量の石油を消費しCO2を排出する上に、自然環境を破壊し、陸上のみならず海洋汚染をもたらします。第1次世界大戦、第2次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、ボズニア戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争の上に、中近東やアフリカ各地で行われ今も世界各地で行われている様々な小規模戦争で排出されるCO2の驚愕すべき排出量と環境破壊の激しさを考えれば、「気候変動」を議論にするなら「戦争」は避けて通れない問題であるはずです。今、ヨーロッパではシリア難民が大きな問題になっていますが、地球温暖化がこのまま悪化すれば、いずれは、地球温暖化の結果としての食糧難のために「気候変動難民」と称すべき大量の難民が、ヨーロッパ、北米などに押し寄せてくるはずです。いったい、我々人間はどこまで状況が悪化しないと、このことに気がつかないのでしょうか。

国際会議『危機に直面する市民:1931年以降アジア・ヨーロッパにおける大規模暴力』の「市民爆撃」では、アメリカ、イギリス、フランスからの学者、それにアジアからは私が発表講演を行い、「市民爆撃」をめぐる様々な問題について議論を展開しました。しかし、私が驚いたのは、欧米の学者のほとんどが、とりわけアメリカの学者が、一応「市民爆撃」を犯罪行為としてとらえてはいるのですが、以下の2つの観点でひじょうに問題があるにもかかわらず、その問題に十分気がついていないということでした。その1つは、軍事目標爆撃=精密爆撃で出る市民被害者=いわゆる「付随的損害」は国際法(とりわけ1977年ジュネーブ追加協定)に準じており、したがって違法ではないという主張。つまり、市民の犠牲者が出ることはやむをえないという欧米諸国軍の主張をそのまま受け入れていること。2つ目は、「市民爆撃」の犠牲者を、爆撃による直接の被害者しか想定しておらず、爆撃で破壊される様々なインフラストラクチャー(社会経済設備)の結果として、間接的に出る多くの市民死傷者を全く想定していないということ。例えば、発電所や水道設備が破壊され、その結果、病院設備が機能しなくなって、多くの市民が死亡するというケースです。

「付随的損害」とは、明確に意図した市民攻撃でない場合の犠牲者は、「間接的、付随的に起きる損害(collateral damage)」というわけで、したがって攻撃した側に「責任」はないという都合の良い解釈です。裏返せば、戦闘に参加しない市民が、軍によって意図的に殺害あるいは傷つけられる場合のみが「非人道的」な「無差別攻撃」として批難されるというわけです。私に言わせれば 、これは市民空爆=無差別殺戮を正当化する論理以外のなにものでもありません。「付随的損害」をこれまで様々な地域で出し、今も出し続けている米軍とその同盟軍である多国籍軍は、被害者側から見れば、これは「テロ集団」です。今、欧米社会を震撼させている無差別テロは、まさにこうした「国家テロ」に対する「報復・反撃のテロ行為」なわけです。「国家テロ」に対する「非国家テロ」の戦い、これが私の主張する現在の「世界大戦」の状況です。

2点目については、最近私が翻訳したジョン・ダワーの論考「第2次世界大戦以降の戦争とテロ」から、ダワーが湾岸戦争に触れて論じている関連部分を引用しておきます。
「1993年に出版された、アメリカのある人口統計学者の研究によると、イラクにおける死亡者総数は20万5千人にのぼる可能性があるという結論となっている。(その内訳は、戦闘で殺害された兵士5万6千人、市民3千5百人、戦争が終わったすぐ後にアメリカ政府がけしかけたクルド人とシーア派の暴動で殺害された3万5千人、電力送電網、下水道と汚染水浄化施設、健康管理関連施設、国内道路と輸送網などが被った損害に原因する「戦後の健康への悪影響」からの死亡者11万1千人。)この計算によると、戦争に原因する健康障害問題で亡くなった者のうち7万人が15歳以下の子どもであり、8千5百人が65歳以上の老人であった。」

なぜパリの学会に出席した欧米の学者たちは、これほど明確な事実に注目しないのでしょうか。いや「注目する能力を欠いている」と表現したほうが適切かもしれません。研究室に閉じこもり、書籍の上だけの情報でものごとを分析するということを続けていると、「被害者の痛み」にまで想像力を働かせることができず、こうなるのも不思議ではないのでしょう。

とにかく、私はこの2点でかなり怒りを覚えたため、最後の「最終パネル・ディスカッション」ではこの2点にマトを絞って、痛烈に批判し、「爆弾を落とす側」ではなく、もっと「爆弾を落とされる側=市民被害者」の立場に立って想像力を働かせて欲しいと苦言を呈しておきました。

残念ながら、今年も「国家テロ」と「非国家テロ」の戦争は続き、多くの犠牲者が出ることは避けられないでしょう。年頭から、あまり明るいメッセージを発信できなくて申し訳ありません。

「良いお年をお迎えください」とはとても言えません。「良い年にするようお互いに頑張りましょう」という言葉で終わらせていただきます。お元気で。

2016年1月1日金曜日

2016 New Year Message


Although I officially retired at the end of March last year, I remained very busy throughout the year, due to my involvement in various activities concerning the 70th anniversary of the end of World War II and the Asia-Pacific War, which occupied me in Japan, Europe and Australia. These coincided with my political campaign against Japan’s Abe regime, which introduced many fraudulent and devious policies. Among these were attempts to sanitize Japan’s wartime atrocities, violate Japan’s peaceful constitution, re-start Japan’s nuclear power reactors and export nuclear power technology to India and other nations.



Unfortunately 2016 does not hold the promise of a peaceful and tranquil year and I am afraid that we may have to face many more acts of violence, in particular armed conflicts between state and non-state terrorism.



Rather than adding to the depressing account of the world affairs, I would like to introduce a couple of works by Michael Leunig, an Australian cartoonist and poet whom I truly admire.



* I want to be sub-human

I want to be sub-human

And be a lesser man

Humans are too much for me

Too much to understand

They’re too much for each other

And too much for the earth

They’re too much for themselves as well

Much more than what they’re worth.

They want too much, they do too much;

Too much, too much for me

I want to be less human now

And be more creaturely. 



 
* All my father left me was the moon

All my father left me was the moon

When I am dead, it’s yours” he said

And all too soon his will was read

But he continued speaking from the grave:

“It will not save you, this moon I gave you

from sadness, human madness, life and death.

But step outside into the night and take a breath,

And while you do, for what it’s worth,

That happy man up there who got away from earth

Will smile at you.”



All my father left me was the moon
May the moon keep smiling at you and giving you a sense of happiness being a sub-human throughout this year !



Yuki  
  

2015年11月20日金曜日

妻を失ったフランス人ジャーナリストからテロリスト宛へのメッセージ




17ヶ月になったばかりの小さな息子さんをもつフランスのラジオ・ジャーナリスト、アントワンヌ・レリスさんは妻のヘレーネさんを先日のパリでのテロリストによる無差別殺戮で失いました。彼がテロリスト宛に書いたメッセージはフェイスブックで拡散され、世界中ですでに21万回以上共有されているとのことですので、すでに読まれたかたも多いかと思います。しかし、まだ目にされていない方たちのために、東京新聞に掲載された紹介記事とメッセージの日本語訳、それに Daily Mail に掲載された紹介記事と英語訳を下に貼り付けました。説明はなにもいらないと思います。

【パリ=渡辺泰之】「私は憎しみを君たちに与えない」-。パリで起きた同時多発テロで妻を失った仏ラジオのジャーナリスト、アントワンヌ・レリスさんが、インターネット上につづった文章が世界中で共感を呼んでいる。レリスさんは、妻をバタクラン劇場の襲撃で亡くした。文章は十六日にフェイスブック上に掲載され、転載されて世界中に広がった。フェイスブックでは二十一万回共有され、内外のメディアでも取り上げられた。文章は、最愛の妻を失った悲しみに触れつつも、憎しみを越え、残された息子とともに「自由」であり続ける大切さを訴えている。レリスさんは仏ラジオに「私 は息子に憎しみや暴力、恨みを抱えたまま育ってほしくない。彼に立ち上がる武器を与えたい。銃では決してなく、紙やペン、そして音楽という武器を」などと語っている。(東京新聞)

A husband who lost his wife in the Bataclan terror attack has published an open letter to her killers vowing not to dignify the bloodbath with his hatred. Antoine Leiris, directly addressed the terror gang who gunned down his wife Hélène Muyal-Leiris, a 30-something make-up artist from Paris, during the concert last Friday. In the post, published openly on Facebook, he told of how the gunmen had ‘stolen’ the life of an ‘exceptional person’ and paid tribute to the ‘love of his life’. Mr Leiris, understood to be a radio journalist, told of how his 17-month-old son, Melvil, had also been robbed of his mother. Mrs Muyal-Leiris was first reported missing through an online social media campaign to find those who had been inside the Bataclan at the Eagles of Death Metal gig. (Daily Mail, Australia)

◆レリスさん投稿の全訳
「君たちに憎しみを与えない」
 金曜日の夜、君たちはかけがえのない人の 命を奪い去った。私の最愛の妻、そして息子の母を。でも、私は君たちに憎しみを与えない。君たちが誰かも知らないし、知りたくもない。君たちは死んだ魂 だ。君たちは神の名で無分別に殺りくを行った。もし、その神がわれわれ人間を自らの姿に似せてつくったのだとしたら、妻の体に撃ち込まれた一つ一つの弾丸 が、神の心に撃ち込まれていることだろう。
 だから、私は決して、君たちに憎しみという贈り物を贈らない。君たちはそれを望むだろうが、怒りで応えることは、君たちと同じ無知に屈することになってしまう。君たちは、私が恐怖し、周囲の人を疑いのまなざしで見つめ、安全のために自由を犠牲にすることを望んだ。だが、君たちの負けだ。私はまだ、私のままだ。
 今朝、(亡きがらの)妻に対面した。幾晩も幾日も待ち続けた末に。彼女は金曜日の夜に会った時と変わらず美しく、そして、恋に落ちた12年以上前と同様に美しかった。もちろん、私は悲しみにうちひしがれている。だから、君たちのわずかな勝利を認めよう。でも、それは長くは続かない。彼女は、いつも私たちと一緒に歩む。そして、君たちが決して行き着くことができない天国の高みで、私たちは再び出会うだろう。
 私と息子は2人になった。でも私たちは世界のいかなる軍隊よりも強いんだ。私が君たちに費やす時間はもうない。昼寝から目覚めた(息子の)メルビルと会わなくてはならない。彼は毎日、おやつを食べ、私たちはいつものように遊ぶ。この幼い子の人生が幸せで、自由であることが君たちを辱めるだろう。君たちは彼の憎しみを受け取ることは決してないのだから。(東京新聞)


 “ On Friday night you stole the life of an exceptional being, the love of my life, the mother of my son, but you won't have my hatred.
I don't know who you are and I don't want to know - you are dead souls. If this God for which you kill indiscriminately made us in his own image, every bullet in the body of my wife will have been a wound in his heart.
So no, I don't give you the gift of hating you. You are asking for it but responding to hatred with anger would be giving in to the same ignorance that made you what you are. 
You want me to be afraid, to view my fellow countrymen with mistrust, to sacrifice my freedom for security.You have lost.
I saw her this morning. Finally, after many nights and days of waiting. She was just as beautiful as when she left on Friday night, just as beautiful as when I fell hopelessly in love over 12 years ago. 
Of course I'm devastated with grief, I admit this small victory, but it will be short-lived. I know she will accompany us every day and that we will find ourselves in this paradise of free souls to which you'll never have access.
We are two, my son and I, but we are stronger than all the armies of the world. 
I don't have any more time to devote to you, I have to join Melvil who is waking up from his nap. He is barely 17-months-old. He will eat his meals as usual, and then we are going to play as usual, and for his whole life this little boy will threaten you by being happy and free. Because no, you will not have his hatred either.”(Daily Mail) 

2015年11月18日水曜日

豪州ストラスフィールド市における「平和の碑・少女像」設置問題





- 背後にある日本右翼団体の圧力運動と安倍政権の「野蛮」さ —

この論考は「日本軍『慰安婦』問題解決ひろしまネットワーク」のニュースレター最新号のために執筆したものです。お読みいただければお分かりのように、オーストラリアでは、最近、「なでしこアクション」のような右翼団体と「幸福の科学」が結託して日本の戦争責任否定と侵略戦争正当化の運動を強めています。「幸福の科学」の全く非科学的な、「死者との霊的会話を通しての日本の戦争行為の正当化」という馬鹿げた主張を簡単に信じてしまうその危険性を、私たちは決して軽視できません。こうした新カルト・グループと安倍晋三グループの主張とは奇妙に連動しています。
数週間前にメルボルンの新聞The Ageが、「幸福の科学」がメルボルンに支部を開設したことを記事にしましたが、地元の記者たちは、このカルトが右翼団体と連携していることについては全く無知のようです。
http://www.theage.com.au/victoria/blooming--happy-science-cult-channels-disney-ghandi-jesus-and-thatcher-20151028-gkkzow.html


「平和の碑・少女像」設置増加の背景
周知のように、「平和の碑」または「平和の碑・少女像」、「慰安婦像」とも呼ばれる銅像が初めて設置された場所は、ソウルの日本大使館前で、2011年12月14日のことであった。これは、1992年から同大使館前で行われてきた「水曜デモ」の1千回目を記念して、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が設置したものであった。この銅像設置からわずか4日後から始まった日韓首脳会談で、当時の首相・野田佳彦が李明博大統領に銅像の撤去を要求したが、李大統領は「日本側からの謝罪がなければ、第2、第3の像が設置されることになるであろう」と警告して、この要求を拒否。警告どおり、それ以降これまでのわずか4年近くの間に、韓国内ではすでに10カ所以上の場所に同じような少女像が設置されているし、米国では、カリフォルニア州のグレンデール市(市中央図書館に隣接する公園内)に2013年7月30日に、ミシガン州デトロイト市内(韓国文化会館前庭)には2014年8月16日に、それぞれ設置された。

韓国外では、米国カリフォルニア州のフラトン市やカナダのバーナビー市でも「慰安婦少女像」設置の提案が出されているが、両市とも一応「当面保留」という形で、事実上は拒否した形になっている。

オーストラリアのシドニーの郊外(市街中心部から14キロ離れた)ベッド・タウンであるストラスフィールド市(人口約4万人)では、今年8月11日に開かれた特別市議会で、市長を含む7人の議員中、投票した6人全員の反対で「平和の碑・少女像」設置提案が拒否された。投票を行わなかった1人は、当時の副市長の韓国系豪州市民(男性)であるサン・ルーク・オク(Sang Luke Oku)という人である。この人は、銅像設置提案を行った団体である「日本戦争犯罪に反対する韓中連合豪州統合」(United Austral Korean-Chinese Alliance against the Japanese War Crimes 以下「韓中連合」と略)という、オーストラリア在住の韓国系と中国系住民の連合組織の前議長という地位にあっため、公平性を保つという理由から投票を辞退したと思われる。(ちなみに、市長職は議員の間での持ち回り制になっており、現在の市長はオク氏。)

実は、ストラスフィールド市における銅像設置提案は、2014年2月10日に正式に設立された「韓中連合」の当初からの目的の一つで、この組織のその他の運動目的には、その前年2013年12月末に安倍晋三が靖国参拝を行ったことから首相の靖国参拝反対、「慰安婦」問題における安倍政権政策批判、南京虐殺に関する原資料のユネスコ世界記憶遺産登録運動支援、戦争犯罪に関して日本政府への謝罪要求などが含まれている。最近高まりを見せている、こうした韓国系や中国系豪州市民による日本の戦争責任追及運動の背後には、近年、韓国・中国の両国、とりわけ中国(香港、台湾を含む)からの豪州移民人口が急激に増加しているという状況がある。現在、オーストラリアにおける中国系移民の総人口は70万人、韓国系移民人口は15万人近く(そのうち、シドニーならびにその近辺地域では、それぞれ、45万人と10万人)いると言われている。ストラスフィールド市の人口4万人のうち、2割が韓国系、1割が中国系である。すなわち、市の住民の4人に1人ほどが韓国系か中国系という街なのである。ストラスフィールド市より人口絶対数ははるかに大きいが、米国グレンデール市の20万人という人口のうち、韓国系住民が5パーセント(1万人)という状況と類似している。

つまり、グローバル化に伴う東アジア系住民の世界拡散状態によって、日本軍性奴隷問題に限らず、戦争犯罪全般に関わる日本政府責任追及運動も急激にグローバル化しているというのが現実である。ところが、情けないことには、相変わらず歴代の日本政府、とりわけ安倍政権は、「責任回避」どころか「歴史事実の否定」による「責任拒否」という態度をとり、そのためにはあからさまな虚偽発言と右翼活動の背後支援、中韓両国政府批判、ユネスコへの恫喝まがいの批難といった、なんともはなはだしい時代錯誤と人権意識の徹底した欠落のほどを、厚顔無恥にも世界中に露呈しているのが実情である。ところが安倍晋三や彼を取り巻く菅義偉といった政治屋たちは、自分たちの言動がどれほど国際政治通念からかけ離れているかすら気がつかない。したがって、こうした「自己責任拒否」という自分たちの無責任言動が、ますます海外での反日感情を高めているということ、いわば自分たちで「火に油を注いでいる」ということも判断できないという無能ぶりである。

有名なフランス文学者・渡辺一夫(1901〜1975年)がアジア太平洋戦争の最終年1945年に書き綴った『敗戦日記』の5月25日の部分では、フランスの婦人記者アンドレ・ヴィオリスが1933年に出した著書『日本とその帝国』からの引用として、以下のような文章を書き写している。「日本人とは何かを研究するには、超近代的文明の表層の下に姿を潜めているこの野蛮な地層を忘れてはならない…..」、「こういう気違いじみた無秩序な動きが、いうまでもなく日本人にとっては文明の徴しなのである」。80年以上前に書かれたこうした容赦のない日本批判の表現が、今の安倍政権の「野蛮」さと「気違いじみた無秩序」にそのまま当てはまる。1930年代同様に、国際社会は、安倍政権の劣悪さがいかにひどいものであるかを明確に認識していることを、私たちは厳しく自覚すべきなのである。

銅像設置反対運動をすすめる日本右翼団体
今年8月11日のストラスフィールド市の特別市議会で銅像設置提案が拒否された背景には、日本側の猛烈な反対運動があった。銅像設置提案は、2014年2月の「韓中連合」設立とほぼ同時にストラスフィールド市に出されたのであるが、すぐに日本から提案反対のメールが市役所宛に多数送られてくるようになり、今年の8月までそれは続き、毎日少なくとも40から50通のメールが送られてきたそうで、その多くがヘイト・メールであったそうである。その上、「慰安婦」問題は嘘のプロパガンダだと主張する、日本の国会ならびに地方議会議員からの反対表明の手紙も市役所に送りつけられてきたとのこと。こうした猛烈な日本側からの批難を受けて、対処に困った市役所は、豪州連邦政府ならびにニュー・サウス・ウエールズ州政府に判断を求める要請を出した。にもかかわらず、長く「ナシの礫」であり、最終的には連邦政府も州政府も介入を拒否。そのため、公聴会を開いたり会議を重ねたりしなければならず、最終的な決断に1年半以上もかかったというわけである。

日本からのこうした過激な反応の上に、2014年8月には、シドニーに突然「豪日コミュニティー・ネットワーク(Australia-Japan Community Network)」(以下AJCN)と称する組織が立ち上げられ、ウエッブ・サイトで銅像設置反対運動のみならず、「南京虐殺」など日本の戦争犯罪の歴史事実を否定する主張を展開しはじめた。この組織のウエッブ・サイトでは、「なでしこアクション」や「史実を世界に発信する会」など、日本の戦争犯罪の史実や戦争責任を真っ向から否定し、安倍政権を支持する様々な右翼団体とのリンクが貼られている。一応、公平さを装って「韓中連合」のウエッブ・サイトも紹介はしているが、「反日中韓連合」というように「反日」という表現を加えての紹介である。

「なでしこアクション」は、あらためて説明するまでもないと思うが、日本軍性奴隷のみならず、戦時中の日本軍による強制連行そのものが「事実無根」と主張する女性団体で、山本優美子なる人物が代表であるが、彼女は「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の副会長を2011年まで務めていた。グレンデール市に設置された「慰安婦像」の撤去を求めて訴訟を起こした原告団である「歴史の真実を求める世界連合」(代表:目良浩一)とも密接に連携している組織である。(この提訴には十分な根拠がないとして、カリフォルニア州連邦地方裁判所が、2014年8月に棄却している。)
ちなみに、2014年7月15〜16 日、ジュネーブで国連の自由権規約人権委員会が開かれ、6年ぶりで日本の人権保護状況に関する審査が行われたが、この審査会に、山本や目良を含む10名ほどの日本人が、「慰安婦の真実国民運動 対国連委員会調査団」と仰々しい名称のグループ名で傍聴者として出席。審査の妨害行為と受け取れるふるまいを行い、委員会議長から「許されない行為だ」と強く注意された。それのみか、審査セッション終了後には、 彼女たちは、委員の一人で日本軍性奴隷問題で日本政府代表に厳しい質問を行ったマジョディナ委員に詰め寄って、「慰安婦は高額の給料を支払われていた売春婦」、 「性奴隷20万人という数字の根拠は何か」などとまくしたてて抗議したため、マジョディナ委員が会場から助け出されなければならならないような状態になったとのこと。この審査では、女性差別、女性に対する家庭内暴力問題の上に、日本政府が表現の自由を侵害するとして規制を棚上げにしてきた、在特会に代表されるような組織によるヘイト・スピーチや排外デモも審議されたが、まさにこの会場で、このグループは、審査対象となったヘイト・スピーチや排外デモを、こともあろうに、委員たちの面前で実証した形となったのである。かくして、日本国首相である安倍とその支持派を支援する右翼団体が、国連の人権委員会の場で、首相と共有する女性差別意識と民族差別意識をあからさまにするという前代未聞の恥ずべき奇行を演じたわけである。つまり、日本政府と右翼団体の人権保護感覚の低劣さを、国連人権委員会の場で文字通り実証してしまった。
シドニー日本人組織 AJCN の実態

AJCN なる組織の実態は、おそらくは「なでしこアクション」など幾つかの日本の右翼団体であり、現地シドニーの在住日本人のメンバーはそれほど多くはなく、そうした少数の現地の日本人メンバーも、主には歴史知識上の無知から右翼団体のプロパガンダにのせられて反対運動に関わっているものと推測される。AJCN は、銅像が建てられると「日本人の子供が、人種差別のために学校でいじめられる」とか、「すでに日本人所有の車のタイヤがいやがらせでパンクさせられた」とか、全く根拠や証拠もないヘイト・スピーチまがいのデマを広めている。この類のデマを現地在住の日本人はどうしても信じてしまいがちであるが、AJCN はこうした恐怖心をうまく利用しているように思われる。
AJCN はウエッブ上での自分たちの団体紹介では以下のように主張しており、この文面だけを見ると、いかにも平和的な草の根市民組織のような印象を受ける。

「特定の政治思想に依拠してではなく、ローカルコミュニティの平和と安寧を願い、子供たちの今と将来を守るという、市民として、親としての普遍的な願いに基づいた活動をします。その目的にかなうならば、民主主義社会において当然認められている正当な行為として、政府や政治家に働きかけることも活動に含めます。
私たちのモットーは、非敵対的合理主義です。意見が対立しても、憎悪に基づく敵対的な行為は避け、あくまでも融和と平和的共存・共栄を目指しながら、移民 社会に受け入れられるような冷静で合理的な主張を展開していきます。私たちが目指すものは、単に日系社会の利益ではなく、様々な人種を含むコミュニティの良識の勝利です。」

ところが、実際行っている活動や言動はこれとは全く逆で、「敵対主義と憎悪」に基づく「ローカルコミュニティの平和と安寧を」破壊するようなものばかり。安倍の主張する「積極的平和主義」といった欺瞞的な虚偽発言を彷彿とさせる。代表者であるという山岡鉄秀(偽名?)なる人物が、AJCN サイトで、8月11日のストラスフィールド市の特別市議会で銅像設置提案が拒否されたことを報告しているが、その報告では、当時の市長であったジュリアン・バカリが「中韓反日団体に有利になるように、とことん時間稼ぎを行った」とか、「中韓反日団体の戦術に沿った方向に誘導しようと」様々な画策を行ったと、憎悪に満ちた個人攻撃。そのうえ、日本軍性奴隷問題は、「米中新冷戦構造において中国が日米、日豪分断を目的として世界規模で仕掛ける情報戦争の一端」なのであり、中国が「歴史問題と韓国人の反日感情をフルに利用して、日米、日豪関係に揺さぶりをかける戦略に出ている」と、日本の右翼グループの主張と全く同じように、すべては中国のせいにしている。

この山岡なる人物は、さらに次のようにも述べている。

「日本人は『自らが行ったことを棚に上げて他人を責めるのは恥ずかしいこと』と考えますが、そのような美徳は国際社会では通用しません。中国の人権弾圧は説明を要しませんが、韓国も、朝鮮戦争中および冷戦中に、米兵向けの慰安所を大統領命令で設置していました。現在、122名の元韓国人慰安婦の女性たちが、 韓国政府を相手取って訴訟を起こしています。非人間的な扱いを受け、病院で性病治療中にペニシリンショックで亡くなった女性も多かったとのことです。ま た、ベトナム戦争中には、韓国軍によるベトナム人女性の強姦と虐殺が横行し、ライダイハンと呼ばれて蔑まれる多くの混血児を残したことも公然たる事実ですが、韓国政府は未だに謝罪していません。これらの事実は韓国国内でも知られているにも拘わらず、完全に無視して、ひたすら日本の蛮行を世界に知らしめる、 と復讐心に燃えています。反日団体の代表が吐露しているように、長い朝鮮半島の屈辱の歴史において蓄積された鬱憤を晴らすことが真の目的であり、日本だけが唯一謝罪して恐縮してくれるがゆえに、反日を止めることができないという悪循環に陥っているのです。」
山岡が「自らが行ったことを棚に上げて他人を責めるのは恥ずかしいこと」などとは露にも思ってもいないことは、上の文章を読んでみれば誰の目にも明らかなこと。日本が戦時中に行った「蛮行」はすっかり「棚に上げて」おきながら、中国や韓国を「責める」ばかりで、「恥ずかしい」などとは金輪際考えてもいない。ところが破廉恥にも、同じサイトで AJCNの活動目的として、「すでに溶け込んでいる豪州の多民族共同体、韓国人および中国人を含めた他人種の友人たちと仲良く付き合いたい」などと、堂々と主張しているのである。「仲良く付き合いたい」どころか「敵対主義と憎悪」丸出し。しかもAJCNは現地弁護士を雇い、この弁護士を通して、ストラスフィールド市役所に対して、銅像設置が行われるのなら、裁判に訴えるとまで伝えて脅かしをかけたのである。これが、安倍晋三が発するのと同じ「野蛮な虚妄偽言」でなければ、なんと表現したらよいであろうか。日本人がこのような愚行を海外で続けるならば、海外在住の日本人は現地住民から全く信用されなくなり、相手にされなくなるであろう。

圧力に屈した市議会と憂慮される今後
そんな AJCN は、8月11日夕方のストラスフィールド市の特別市議会傍聴にメンバーの動員をかけたようで(日本からの参加もあったか?)、「傍聴人300人弱を集め開催されました。椅子が足りず市のスタッフがあわてて補充するというハプニングもありましたが、AJCNの呼びかけに応えた100人を超す日本人が前部の席に陣取り、設置反対のスピーチに盛大な拍手を送り応援をしました」と自分たちのサイトで自慢げに報告している。あるオーストラリアの報道では、アジア系住民傍聴者の数は160名ほどであったということである。ストラスフィールド市民である韓国系や中国系住民も多く参加したと考えられるので、本当に100人もの AJCN サポーターが市外地から参加したかどうかは疑わしい。
市会議員による採決が行われる前に、銅像建設に対する賛成・反対のそれぞれの意見を2名づつ、合計4名が各人5分間づつ述べる機会が与えられたが、希望者は前もって市役所に申し込むよう広報された。この広報によると、意見陳述人がストラスフィールド市民でなければならないとは書かれていないので、市外の住民でも申し込むことができたようである。実際には応募者が多かったので、抽選で4名が選ばれたとのこと。そのうちの反対意見を述べた1人は、日本で南京虐殺史実否定を堂々と展開している「幸福の科学」のオーストラリア代表を務めるブライアン・ライクロフトという人物。彼は2010年に南アフリカからオーストラリアに移住してきており、妻が日本人で、子供を産んだばかりとのこと。彼の意見は下記のように要約できる。「朝日新聞」が「慰安婦」問題報道で間違っていたことを認めたように、「慰安婦」が「強制された売春婦」であるという証拠はなんらない。日本はナチスのような戦争犯罪は犯しておらず、それが証拠には、1万人のユダヤ人を救った杉原千畝のようなすばらしい外交官がいた。このユダヤ人救済には東条英機の強い支援があった。この「慰安婦」問題は、人道的問題でも女性の権利問題でもない。ネルソン・マンデラが述べたように、人間は基本的には人種のいかんにかかわらず全て平等。したがって、憎悪ではなく愛をもって平等な社会を作るべき。
このように、安倍一派が画策したと考えられる「朝日新聞謝罪」が日本軍性奴隷の全面否定の決定的証拠とされ、杉原に救われた6千人のユダヤ人の数が1万人にまで過大に推計されている。しかも、杉原は外務省訓令を無視してビザを発給し続けたため、戦後の1947年には外務省を辞めさせられていたこと、外交官として彼の名誉回復が行われたのはそれから44年も後の1991年であった事実は無視され、東条英機が杉原のユダヤ人救済を支援していたなどという、「幸福の科学」特有ともいえる真っ赤な嘘まで取り入れている。もっとも驚くべきことは、日本軍性奴隷問題が「人道的問題でも女性の権利問題でもない」という主張である。では、これはいったいどんな問題であるというのか。このような人権無視の発言を堂々としておきながら、結論ではマンデラを持ち出して「人間平等」を唱え、あたかも「人道平和主義」を装うことだけは忘れない。この主張の展開方法は、海外で最近やたらと杉原千畝の話を持ちだす、まさに安倍の「野蛮」な主張と同じである。
繰り返して述べるが、このように論理を全くなさない虚妄に基づく人権否定の主張は「野蛮」としか表現のしようがない。このような「野蛮」な主張が、「日本の名誉を守るため」と称してオーストラリアで展開されていることを、日本の市民は深く自覚すべきである。
こうした日本の右翼グループによる脅迫まがい、あるいはヘイト・スピーチまがいの言動に、市議会議員たち、とりわけ当時の市長であったバカリは、当初は、しばらく市役所側がこの件でなにも動きを見せなければ、こうした類のいやがらせ行為も時間とともに消滅していくだろうと甘く考えていたようである。ところが、その圧力運動は執拗に続き、おさまる兆しがいつまでたっても見えてこない。そこで、ついに8月11日の特別市議会で決着をつけることにしたわけである。市会議員のほとんど全員が、「このような不穏な状況を一刻も早く解消し、街に平安を取り戻すべきで、そのためには銅像設置は許可しないほうが得策」と考えたようである。かくして、結局は、市議会が、形式としては市の条例にそぐわないという理由で、実際には右翼の圧力に屈して決着をつけてしまったのである。
このストラスフィールド市の前例のため、今後オーストラリアの他の自治体で銅像設置提案がなされても、その提案が受け入れられる可能性はひじょうに少なくなったと言わざるをえないであろう。世界各地にはホロコースト・ミュージアムが設置されているが、これに対して、現地で「ホロコーストは嘘のプロパガンダ」などと反対運動を起こしたならばどうなるであろうか。AJCN がやっていることは、実際にはこれと同じような重大な犯罪行為ともいえる活動なのである。このことの重大性を私たちは深く認識し、対処方法を深刻に考えなければならない。
— 完 —
ちなみに、「日本軍性奴隷問題」に対する安倍晋三の長年にわたる「元慰安婦バッシング」の経歴については様々な情報がすでに出ていますので、いまさらあらためて情報提供するまでもないかもしれませんが、拙著論考「安倍晋三と日本軍性奴隷問題
– 虚言に満ちた<慰安婦バッシング>とその日本社会的背景 –」を参考にしていただければ光栄です。

下記アドレスからダウンロードできます。
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