― 原爆無差別大量殺戮の罪と責任を再考する ―
第2回
「原告の損害賠償請求権は存在しない」という判決 ― 支離滅裂の法理論?!
*被告=日本政府の「個人の損害賠償請求権」に関する判断の問題点
さて、今回は「下田裁判」判決文を私が「画期的判決」と見做すことなどは全くできないと主張する第2の ― そして最も決定的な ― 理由について議論してみたい。
「下田裁判」が審理した最も重要な問題は、日本政府が1951年9月8日に米国を含む連合国諸国と締結した平和条約 ― 通称「サンフランシスコ平和条約」(以下、「平和条約」と略) ― の第19条の(a)で、以下のように、原告=被爆者たちの米国政府とトルーマン大統領に対する損害賠償請求権を勝手に放棄してしまったという原告側の訴えである。それは明らかに違法行為であり、よって国家賠償法第1条の規定により、被爆者が被った損害を賠償する責任を日本政府は負う、というのが原告側の主張であった。
第19条
(a) 日本国は、戦争から生じ、又は戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄し、且つ、この条約の効力発生の前に日本国領域におけるいずれかの連合国の軍隊又は当局の存在、職務遂行又は行動から生じたすべての請求権を放棄する。
原告側は、この平和条約第19条(a)によって、日本政府は国際法上の請求権のみならず、国内法上の請求権をもあわせて放棄してしまい、その結果、「原告等は米国及びトルーマンに対する損害賠償請求権を法律上全く喪失した」とも主張。
この原告側の主張に対して、被告である日本政府はさまざまな反論を展開したが、その中には以下のような主張が含まれていた。
(1)当時、原子爆弾使用を禁止する実定国際法は存在しなかったから、国際法違反とはいえない。
(2)原爆が使用されたことで日本はポツダム宣言を受諾し、日本の無条件降伏の目的が達成されたのであり、よって戦争継続によるさらなる人命殺傷を防止することができた。
(3)戦争は国家間の利益紛争の解決手段であって、よって戦争でとられる行為の適法性はもっぱら国際法によって評価されるものであって、当事国が国内法により直接相手国民に対して損害賠償の責任を負うことはない。つまり、国家免責の法理によって、米国政府の(大統領や閣僚、軍人などの)公務員に対して損害賠償を請求する権利は認められていない。
(4)個人は原則として国際法上の主体とはなり得ない。米国に対して損害賠償を請求しうる地位にあるものは、日本国であって、原告等個人ではない。よって、原告等の主張する損害賠償請求権は観念的なものであって、権利として実行される手段も可能性も備えていない。ときとして、個人が国際法上の主体となることがあるとしても、それは条約その他の国際法にその趣旨の規定があるとか、個人に国際司法裁判所に対する出訴権が認められた場合に限られる。
(5)よって、平和条約第19条(a)で放棄した「日本国民の権利」は、国民自身の請求権を基礎とする日本国の賠償請求権、すなわちいわゆる外交的保護権のみを指すもので、個人の請求権まで放棄したものではない。仮に個人の請求権を含む趣旨であると解釈したとしても、それは放棄できないものを放棄したと記載しているにとどまっており、国民自身の請求権はこれによって消滅しない。
以上のように、被告の日本政府は、米国政府にはもちろん日本政府にも、原爆無差別大量殺戮の被害者に対する損害賠償責任は一切ないと主張しているのである。それどころか(2)のように、原爆無差別殺大量殺戮という由々しい戦争犯罪を、米国が正当化した論調を積極的に評価しそのまま応用する ― すなわち「人道に対する罪」を完全に無視する ― 論調を、破廉恥にも法廷という場で展開したのである。
驚くべきことは、被告としての論述を準備した日本政府側のスタッフには、原爆無差別大量殺戮がニュルンベルグ原則で確定された国際的な三大犯罪 ― 「平和に対する罪」、「戦争犯罪」、「人道に対する罪」 ― の全てに、とりわけ「人道に対する罪」に該当するという認識が全く欠落していたように思われる。それだけではなく、この「人道に対する罪」が条約化されたものが、1948年12月9日に、第3回国際連合総会決議260A(III)にて全会一致で採択され、1951年1月12日に発効されたジェノサイド条約であり、原爆無差別大量殺戮は、この条約にも違反する犯罪であったということを認知する法学的知識と判断力すら被告側は欠いていたようだ。
「下田裁判」が民間訴訟であり刑事裁判ではなかったとはいえ、原爆無差別殺大量殺戮がもたらした残虐極まりない被害に対する損害賠償請求権を審理する裁判であったのであるから、原爆無差別殺大量殺戮が法理論的にいったいどのような犯罪であったのかについては詳しく知っておく必要があったはずだ。
ところが、「原告等の主張する損害賠償請求権は観念的なものであって、権利として実行される手段も可能性も備えていない」とか、条約では最初から「放棄できない個人の請求権を放棄したと記載しているにとどまっている」のだなどと、法理論的にもめちゃくちゃな、単なる「言葉の遊び」による誤魔化し、いや詐欺としか言いようのない下劣な主張を、恥ずかしくもなく法廷という場で堂々と展開したのである。「放棄できない個人の請求権を放棄したと記載」しなければならなかったその理由とは、いったい何だったのか! ― こんな愚鈍な主張は原告を愚弄する行為であることは、法律の専門家でなくても分かるはずである。
よって、このような被告=日本政府の主張に対して、原告側が、以下のように怒りの批判を浴びせたのも不思議ではない。
被告は、原告等の主張する損害賠償請求権は観念的なものであって、実現手段をもたないものであるから権利ではないと主張する。もし被告の考え方が認められるならば、戦時国際法は全面的に否定されることになるのであって、どれほど使用を禁止されている兵器を用いても、勝てば違法の追求を免れ、国際法を守っていても、敗れれば相手国の違法を追求できないということになり、従って勝つためには使用を禁止された兵器も使用せざるを得ないということを肯定する理論となる。自ら行使の手段を有しない権利は権利でないという被告の理論は、独断以外の何ものでもない。
原告等の権利は日本国によって行使されるのであって、民主国家は国民のためにあるのだから、自国の政府がこれを行使することができれば、それで十分であろう。自国の政府が国民のために働かないことを前提として、国際法上の権利を考えねばならないとするのは、あまりにも情けない理論だといわなければならない。
*被告の「個人の損害賠償請求権」解釈をそのまま追随した判事たち
このような原告側と被告側の議論の応酬を終えて、では判事たちはどのように判決文を書いたのであろうか。前回の論考でも厳しく批判しておいたように、判決文を書くに当たって、判事たちがニュルンベルク原則に注意を払ったことを示すような法理論の展開は、判決文のどこにも、かいもく見当たらない。
すでに幾度も私が批判しているように、この裁判が民事訴訟であり刑事訴訟でなかったとはいえ、原告である被害者は、原爆無差別大量殺戮 ― これは「平和に対する罪」(国際条約・協定に違反する戦争の遂行)、「戦争犯罪」(一般住民の殺害、都市の理由なき破壊)と「人道に対する罪」(一般住民の殺害と絶滅)― という由々しい犯罪の被害者であった事実を判事たちは深く考慮して判決文を書くべきだったのである。ニュルンベルグ原則の目的は、これら三つの重大犯罪の被害者と生存者を保護するために、加害者がどんな地位の人間であれ、また国内法で処罰されない場合でも、国際法で処罰されるための原則として打ち立てられたものである ― そのことに判事たちも、被告側と同様に、なんら注意を払っていない ― あるいはニュルンベルグ原則について全く無知だったのかもしれない。
判決文を読んでみると、判事たちは、このニュルンベルグ原則を全く無視して、あくまでも被爆者を単なる「民事訴訟の原告」としてしか見ていないことがはっきりと分かる。例えば、上記した被告の主張(4)との関連で、個人に国際法上の損害賠償請求権を認めた条約の一例として、第1次世界大戦後のヴェルサイユ条約その他の講和条約の各経済条項を判決文は取り上げている。このヴェルサイユ条約に基づいて、ドイツ領内にあった同盟及び連合国の国民の財産、権利または利益に関して受けた損害については、個人がドイツ政府を相手に損害賠償請求権を有していたことを判決文は指摘している。ところが、この条約での「損害賠償請求権は同盟及び連合国の国民に限られており敗戦国の国民には出訴権が認められていないから……、これを根拠として個人の国際法上の権利主体が一般的に認められ、国際法上主張する手続きが保証されたというにはまだ不十分」と断定している。かくして、損害賠償請求権を単なる経済的な問題としてしか捉えておらず、「戦争犯罪の被害者・生存者の保護」というニュルンベルグ原則の根本的な法理論的目的の観点が、判事たちの頭からはスッポリと抜け落ちているのである。
さらに判決文は、上記した被告の主張(5)をそのまま受け入れるどころか、さらに強く支持して、平和条約に記載されている賠償請求権は、あくまでも日本国の国家としての賠償請求権、すなわちいわゆる外交的保護権のみを指すもので、それは実体的な権利である「日本国民」の「米国・米国民に対する損害賠償請求権」ではないと主張。つまり、国際条約では個人の請求そのものが提出されるわけではなく、国家自身の請求として提出される、と主張。「国家が自らの判断により決定し、しかも自らの名において行使するのであって、国民を代理するわけではない」ので、「個人が国際法上の権利主体であると考える余地はない」と、原告の主張をバッサリとひと蹴りしてしまっている。
そして結論では、「対日平和条約以前に、条約の規定をまたず当然に、個人に国際法上損害賠償請求権が認められた例はないから」、平和条約は「日本国民個人の国際法上の損害賠償請求権を認めたものではなく、従ってまた、それを放棄の対象としたわけでもない」と主張。よって平和条約で放棄されたのは、「日本国民の日本国及び連合国における国内法上の請求権である」と述べる。ところが、日本国内法ではもちろんのこと、主権免責の法理を採用している米国で、日本国民が「米国・米国民に対する損害賠償請求権」を主張することは、米国内法の観点からみても不可能であるから、実際には国内法上の「損害賠償請求権」も存在しないのだという判断である。
よって、判決文は、原告である被爆者たちは喪失すべき損害賠償請求権利を、条約上も国内法的にも最初からもっていないのだと述べて、被告側の主張を全面的に受け入れ、原告の主張を完全に否定したのである。その結果、最初から原告等が持っていなかった権利を政府が放棄できるはずがないのであるから、「法律上これによる被告の責任を問う由もない」と、政府の無罪を主張したわけである。
*結論:憲法「前文」と「主権在民」原則を完全に無視した判事たち
要するに、判決文で判事たちは国際法の解釈について法理論的な難解な説明をあれこれともっともらしく述べ、なんとか判決文の体裁を整えようと苦心している。しかし、結局は、結論は被告である政府の主張を全面的に受け入れ、原告である被爆者の訴えを完全に拒否したのである。そして、どう考えても否定しようがない原爆無差別大量殺戮の犯罪性だけは認め ― それも1899年採択のハーグ陸戦条約、1925年に署名されたジュネーブ議定書、1923年起草のハーグ空戦規則案など、戦前の国際法の判断だけを基準として、ニュルンベルグ原則を全く無視し ― 、判決文の最後では、原告の被爆者たちのための救済策をたてることは、「もはや裁判所の職責ではなくて、立法府である国家及び行政府である内閣において果たさなければならない職責である」と、自己の責任から逃げている。
「下田裁判」判決文の決定的な問題は、国民の損害賠償請求権は、「国家が自らの判断により決定し、しかも自らの名において行使するのであって、国民を代理するわけではない」ので、「個人が国際法上の権利主体であると考える余地はない」という文章に明確に表れているように、判事たちの考えは日本国憲法の根本原理である「主権在民」をすっかり蔑ろにしていることである。
いまさら述べる必要も本当はないのであるが、「主権在民」の根本原理については、憲法前文で以下のように宣言されていることを指摘しておこう。
政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
とりわけ憲法11、12、13条は、このことを具体的な形で保障している。よって、憲法で保障されている国民の「侵すことのできない永久の権利」である「基本的人権」(11条)、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」(13条)を、国家権力が国際条約締結の際に蔑ろにすることは憲法違反である。国民の損害賠償請求権は国民諸個人の権利であって、国家が勝手に「自らの名において行使」できたり、国際条約の中で「存在しなかったことにしたり」できるものではない。
憲法98条(2)では「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」と定められている。しかし、同時に98条は「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と定めていることから、国民の権利を侵すような内容の条約を締結することは、条約そのものが効力を有しないのである。よって効力を有しないような条約を締結することは、当然に憲法違反とみなされるべきである。
判事ともあろう法律専門家たちが、なぜこのような憲法の基本的な原理を無視してしまったのであろうか?その答えは、当時の判事を含め法律家の多くは、戦前・戦中からすでに法律家として活躍していたということと関連しているのではないかと私は考えている。戦前・戦中の天皇制イデオロギーにどっぷり浸かった法曹界で活躍していた彼・彼女たちは、その法曹界が敗戦後に突然「民主化」され、「民主憲法」尊重主義に変わったとはいえ、その後も長く天皇制イデオロギーの残滓に無意識のうちに影響されており、「国家権力」を「国民の権利」より優先させてしまうという誤謬をしばしば犯している。
とりわけ天皇に対する「不敬罪」では、戦後間もなく刑法の「不敬罪」が廃止されたにもかかわらず、判事の中には天皇に対する「不敬罪」という旧刑法の観念を自分の頭から完全に除去することができなかった者が多くいた。たとえば、1969年1月2日に天皇裕仁を狙った奥崎健三の「パチンコ玉発射事件」では、東京地方裁判所の1審で「暴行罪」 ― 実際には「暴行罪未遂事件」だった ― という判決ではあったが、判決文の内容は重大な「不敬罪」という取り扱い方で、思い実刑判決の内容であった。2審判決では、奥崎の行動が憲法第1条の「日本国の象徴、日本国民統合の象徴としての地位を有する天皇に対する犯行」であると、まさに戦前・戦中の「不敬罪」を想起させる内容の驚くべき判決文となっている。
「国家権力」を「国民/外国人市民の権利」より優先させるという日本裁判所の悪癖は、残念ながら、その後も現在まで長く続いており、日本が犯した戦争犯罪 ― たとえば、日本軍性奴隷制(いわゆる「慰安婦制度」)、徴用工強制労働、捕虜虐待など ― の被害者がこれまで訴えてきた数多くの損害賠償請求の訴えに対しても、ほとんどのケースで訴えを退け、日本政府には賠償金を払う責任がないという判決を下している。その意味で、「下田裁判」は、「国家権力優先」と「戦争被害者の人権無視」の先駆けとなったとも言える裁判だったのである。
このことを忘れて、「原爆投下を犯罪」として認め、判決文の最後では被爆者に対して「十分な救済策を政府が執るべき」だと、たった数行述べたことだけで、「画期的」判決文として称賛することが、いかに判決文の実際の内容を無視した軽薄な言動であるか!そのことを、とりわけ反核・平和市民運動に関わっている法律家や活動家は深く自覚すべきである!
岡本尚一弁護士 |
原告側の主任弁護士であった岡本尚一が松井康浩弁護士と一緒に、東京地方裁判所に訴訟を提起したのは1955年の4月。岡本は、1948年12月10日に国連総会で採択された「世界人権宣言」と日本国憲法で規定されている「基本的人権」を損害賠償請求の根拠に位置づけ、同時にニュルンベルグ原則を原爆無差別殺戮にも適用させたいと考えていたことは、彼が裁判準備のために書いた『原爆民訴或問』という小冊子からも明瞭である。裁判でも、国民の損害賠償請求権を拒むことは「(財産)没収にも等しく、日本国憲法の基本理念である人権の尊重と相去ること甚だしい」と述べている。この裁判は、1963年12月の結審までに、なんと8年以上かかった。この間、裁判長は5度も交代し、岡本は1958年4月にその努力の成果を見ることなく脳卒中で亡くなった。
つまり、彼がこの裁判に関わったのは最初の3年ばかりで、その後5年続いた裁判で、もし岡本が存命していたならば、日本国憲法やニュルンベルグ原則をどのように活用して法廷で論述を展開したのか、それを我々が知ることができないのはひじょうに残念である。判決は原告側の完全な敗訴だったが、原爆使用が国際法違反という認定だけをあたかも「一部勝訴」のように華々しく取り扱うメディア報道などを評価して、控訴しなかったため判決は確定してしまった。もし岡本がその時点でも存命であったならば、おそらく彼は控訴して闘い続けたであろうと私は思う。
― 次回に続く ―
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