2024年12月18日水曜日

2024年 年末メッセージ

1)ベートーヴェン第9交響楽の第4楽章「歓喜の歌」は、「女を勝ちとった男たちの歓喜の歌」?!

 

2)黒澤明監督映画 『夢』 から 「夢」からあまりにもかけ離れた今の現実は、「悪夢」と称すべきか?!

 

 

田中キング 愛利然(ありさ)作

 

 

1)ベートーヴェン第9交響楽の第4楽章「歓喜の歌」は、「女を勝ちとった男たちの歓喜の歌」?!

 

毎年、年末になると日本では全国各地でベートーヴェン「第9交響楽」が演奏され、多くの市民たちも合唱に加わって第4楽章「歓喜の歌」を歌うことを楽しむのが恒例になっています。いつ頃からこれが日本で年末行事になったのか私は知りませんが、欧米では年末に第9交響楽が演奏されることはひじょうに珍しく、年末プログラムとして演奏されるのは、通常はクリスマスに合わせ、「ハレルヤ」コーラスで有名なヘンデル作曲のオラトリオ『メサイヤ(救世主)』が定番になっています。

 

私の住むメルボルンでは、今年は珍しく、メルボルン交響楽団が1129日に第9交響楽を演奏したので、私も連れ合いと一緒にそのコンサートに出かけました。会場のヘイマー・ホールの2500席が満席でした。私もこの20年近く第9をナマで聴いていなかったので、楽しみにしていました。

 

ただし、以下に述べるような理由で、私はいつも、第4楽章「歓喜の歌」が始まると、メロディーの美しさとリズムの力強さにはいたく感激するのですが、同時に「なぜこんな歌詞が今も歌い続けられているのか…… もういいかげん書き換えてくれよ」という気持ちが湧いてきてしかたがないのです。よって、第4楽章が終わると聴衆が総立ちなって猛烈な拍手をしましたが、私はどうしても席から立ち上がる気分になれず、連れ合いと2人で座り続けました。

 

最終楽章の「歓喜の歌」は、ドイツの文豪シラーが「人類愛」を唱える目的で1785年に書いたと言われている詩「歓喜に寄せて」が使われていますが、冒頭の歌詞はベートーベン自身による加筆で、ベートーベンはシラーのこの詩を第4楽章で使うにあたって、かなり編集しています。とにかく、この素晴らしく力強い合唱は、まず冒頭で以下のように歌い始めます。

 

O Freunde, nicht diese Töne!

Sondern laßt uns angenehmere

anstimmen und freudenvollere.

おお友よ、このような音ではない!

我々はもっと心地よい

もっと歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか

 

しかし、Freunde は「男友だち」のことで、この歌には「Freundinnen 女友だち」という言葉は1回たりとも出てきません。そして、この冒頭の歌詞だけではなく、これに続く歌詞も全て「男たち」が主人公です。例えば、以下のような歌詞があちこちに含まれており、通常の日本語訳もドイツ語の下に記してあるようになっています。

 

Alle Menschen werden Brüder,

すべての人々は兄弟となる

 

Wer ein holdes Weib errungen, Mische seinen Jubel ein!

心優しい伴侶を得ることが出来た者は、我らと祝いを共にしよう!

 

Laufet, Brüder, eure Bahn, Freudig, wie ein Held zum Siegen.

進め、兄弟たちよ、お前たちの道を、喜びに満ちて、勝利に向かう英雄のよう

 

「すべての人々は兄弟となる」という表現の、「すべての人々」の中に女性やLBGTは含まれておらず、文字通り男たちだけが「すべての人々」です。さらに、「心優しい伴侶を得ることが出来た者は、我らと祝いを共にしよう!」という日本語訳は正確ではなく、実際の意味は「素敵な妻を勝ちとった(あるいは「獲得した」)者たちは、その喜びを共にする!」です。つまり「女性を勝ちとった俺たち男たちよ、さらに勝利に向かって英雄のごとく前進しようぜ!」と言っているのです。女性は、男が獲得する対象物とみなされているのです。

 

ですから、この「歓喜の歌」は、実際には、女性を獲得した「男たちの歓喜の歌」と呼ばれるべきものなのです。合唱には男女それぞれ半数づつ、4人の独唱者も男女2人づつで、それらの女性たちが喜んで男の勝手な歓喜を賛美して、男たちと一緒に喜んで歌っている姿を見るのは、なんとも、なんとも奇妙に私には感ぜられて仕方がないのです。

 

よって、「人類愛」を唱える目的でシラーが書いたと言われているこの詩を、いかに声高らかに歌い続けても、とりわけ女性が激しく差別されている日本では、いつまでもたっても「人類愛」の目的を達成はできないでしょうね(苦笑)。ちなみみ、2024年の日本のジェンダー・ギャップ(男女格差を「経済」「教育」「健康」「政治」の4分野で評価した指数)は146カ国中118位で、女性にとっての不平等=差別は文字通り世界最悪クラスの、「ジェンダー後進国」。

 

まあ、とにかく名指揮者ダニエル・バレンボイムによる第4楽章のYoutubeURL を紹介しておきます。バレンボイムは数年前から健康がすぐれないことから一時公演を停止していましたが、20236月に私がベルリンに滞在中にはバレンボイム指揮によるベルリン交響楽団のコンサートがありましたので、チケットを入手して連れ合いと一緒に出かけました。しかし、病気上がりのせいか弱々しい感じで、いつもの元気な姿ではなく、その後どうしているのか気になっています。

https://www.youtube.com/watch?v=CeO-trAbi7U

 

私自身は、実はベートーベンの第9も好きですが(歌詞を別として)、グスタフ・マーラーの交響曲第2番「復活」の、最終の第5楽章で歌われるフリードリヒ・クロプシュトックの歌詞による「讃歌 復活」も好きです。私はキリスト教信者ではないのですが、ヨハン・セバスチアン・バッハの音楽をはじめ、宗教音楽なしでは暮らせない人間です。下記のURLはレオナード・バーンシュタイン指揮、ロンドン交響楽団演奏のマーラー第2番の第5章の、最後の数分間の荘厳且つ熱烈な演奏と合唱です。

https://www.youtube.com/watch?v=eifZHwQ9jUI

 

田中キング 愛利然(ありさ)作

 

2)黒澤明監督映画 『夢』 から 「夢」からあまりにもかけ離れた今の現実は、「悪夢」と称すべきか?!

 

ベートーベンの第9もマーラーの第2も、問題を孕みながらも、とにかく未来に向けての人間の希望と夢を力強く歌い上げており、長年、世界各地で多くの人々の心を深く動かしてきた交響楽であることに間違いありません。

 

しかし、現実世界では、相変わらずガザ地区やレバノンでのイスラエル軍による無差別空爆が続いており、とりわけガザ地区では230万人の住民のうちの200万人近くが深刻な食料不安に直面して、すでに栄養失調状態にある多くの人々、とりわけ子どもたちが餓死寸前状態におかれています。食糧だけではなく医薬品などの支援物資の搬入についても、イスラエルは検問所の通過を制限し続けていますが、これはまさに意図的にガザ地区住民を餓死させようとする、由々しい「人道に対する罪」です。1121日に国際刑事裁判所(ICC)が、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相とヨアフ・ギャラント前国防相に対し、「人道に対する罪」と「戦争犯罪」の容疑で逮捕状を発行しました。しかし、ICCに加盟してない米国はもちろん、加盟している日本や欧州連合(EU)各国の中でさえ、ICC逮捕状を実際に執行する可能性のある国は極めて少ないと思われます。

 

そんなわけで、この時期、日本や欧米各国では、私自身を含め多くの人々がベートーベンの第9やヘンデルの『メサイヤ』の演奏会に出かけ、「希望と夢」の音楽を楽しんでいる一方で、ガザ地区やウクライナの人々にとっては「悪夢」と称すべき状態が続いています。こんな酷く矛盾した状況の中で日々の生活を送っていることに、正直なところ、何もできない私は、この一年の間、一種の精神的負目から逃れられないため、なにか常にどこか不安で鬱的な状態にあります。かといって、どうしたらよいのかも分かりません。自分にできることをやり続けるより他にしようがありませんが……

 

ところで、今年は黒澤明が製作した大作映画「七人の侍」が公開されてから70年目に当たります。そのため、日本ではどうだったか知りませんが、オーストラリアでは多くの映画館で黒澤明監督映画特集上映が行われました。私の住むメルボルンでも、複数の映画館で、3ヶ月ほどにわたって毎週土曜日に、「七人の侍」、「羅生門」、「蜘蛛巣城」、「用心棒」、「椿三十郎」、「隠し砦の三悪人」、「天国と地獄」などが上映されました。私は、「七人の侍」の脚本の共同執筆者である橋本忍の仕事を高く評価しており、橋本の著書もいくつか読んでいるので、再度彼の著書をいろいろ読みなおしながら、黒澤のいくつかの作品を映画館の大きなスクリーンで観なおしてみました。黒澤や橋本の深い人道的情念を含んだ想像力と創造力の豊かさには、あらためて感心させられました。

 

黒澤の映画の晩年の作品『夢』は、8話の独立した「夢」から構成されています。その中の一つ「トンネル」を、ある私的な理由から、私はどうしても忘れることができず、しばしば Youtube で観なおしています。ストーリーは以下のようになっています。

 

敗戦後、ひとり生き延びて復員した陸軍将校が部下たちの遺族を訪ねるべく、人気のない山道を歩いてトンネルに差し掛かると、中から奇妙な犬が走り出てきて威嚇してきます。追われるように駆け込んだトンネルの出口で彼は、そのトンネルの暗闇から現れる、全員を戦死させてしまった自分の小隊の部下たちの亡霊と向き合うことになります。生き延びた自分の苦悩を語り、亡霊として彷徨うことの詮無さを説いて部下たちを見送った彼は、トンネルを離れますが、またあの犬が現れ、吠えかかってきます。

https://www.youtube.com/watch?v=30dKCzGS6-g

 

この「トンネル」は、戦死した日本軍兵の悲惨さと生き残ってしまった将校の苦悩を、見事に強烈なシンボリズムの表現方法で描いています。なぜ私がこの作品を忘れられないかというと、この「トンネル」の山下少尉は、私の父親でもあるからです。私の父は関東軍中尉として満州で毛沢東軍と戦い、重傷を負ってハルピンの陸軍病院に担ぎ込まれ一命を取りとめました。回復し退院してから、故郷の福井県の鯖江連隊に転属となり、満州に戻ることなく終戦まで鯖江におりました。満州で指揮していた自分の部隊の兵たちは岩手県出身で、そのほとんどが戦死してしまいました。私が幼少のころ、毎年、父はお盆近くになると一週間以上、家を離れて帰ってきませんでした。私はそのたびに、父が家出をしてしまったかと心配したものです。後年、母から聞いた話によると、父は毎年1回は岩手まで出かけ、部下たちの墓参りを行い、彼らの母親に謝罪して歩いたとのこと。戦後、父が軍人恩給を受け取ることをあくまでも拒否したのも、おそらく「自分だけが生き残った」という自責の念からだったのだろうと私は思っています。

 

そんな父は、満州での戦闘状況がいかに凄まじいものであったか、また毛沢東軍はひじょうによく訓練されており、規律正しく士気も高かったため、日本軍が掃滅することはできないであろうと思っていたことなどを詳しく話してくれました。ところが、自分の部隊を含め日本軍が満州の一般市民に対してどのような残虐行為を行なったかについては、一言も私には言いませんでした。加害に対する自責の念が欠落していたのではないかと思います。黒澤明は、戦争関連映画としては2本の映画「生きものの記録」と「八月の狂詩曲」を作っていますが、両方とも日本人の原爆被害をテーマにしたもので、加害に焦点を当てた映画は全く作っていません。

 

一方、米軍をはじめ豪州軍など連合軍側将兵で捕虜になり戦後まで生き延びた人たちの中には、「原爆が戦争を終わらせたので自分は助かった」と主張してやまない人たちその中には私が個人的にとても親しくなった人たちもいましたが大勢いました。アメリカがこれまで作った太平洋戦争をテーマにした数多くの大作映画例えば2010年に製作された The Pacific (太平洋<戦争>)も、原爆が使われずに、これ以上戦争が長引いていれば、米軍側の死傷者数は膨大な数にのぼっていたに違いない。しかし、原爆使用が可能になるまでの長期にわたるさまざまな太平洋諸島での激しい戦いで、多くの米軍将兵が自国防衛のために勇敢にも自分たちの命を犠牲にした、というメッセージになっています。

 

 

このことは、映画The PacificYoutube のビデオ・クリップが “This War Is The Reason Why The USA Used The Atomic Bomb In WW II” (第2次世界大戦で米国がなぜ原爆を使ったのか、その理由は、この戦争<映画>を観ればわかる)という題名になっていることからもわかります。

https://www.youtube.com/watch?v=qa6zSv0xdqY

 

日米両国の戦争観が、「自己の戦争加害行為の徹底的無視」という点では見事に重なっていることが分かります。メディアで作られ、しっかりと民衆の意識に埋め込まれた、ひどく偏った「戦争観」を根本的に変革し、真に普遍的で人道的な信念を国民的なものとして確立するには、どうしたらよいのでしょうか。現在の世界の状況は、残念ながら、こうした理想的な目的からはますます遠く離れつつあります。

 

最後に、少しでも「夢」のある話で今年末のメッセージを終わらせ、来るべき新年がこれ以上悪くならないように祈りつつ、同じく黒澤明の『夢』から、最後の「夢」の「水車のある村」を紹介しておきます。

 

私は旅先で、静かな川が流れる水車の村に着く。壊れた水車を直している歳をとった人に出会い、この村人たちが近代技術を拒み自然を大切にしていると説かれ、興味を惹かれる。話を聞いているうちに、今日は葬儀があるという。しかしそれは、華やかな祝祭としてとり行われると告げられる。戸惑う私の耳に、賑やかな音色と楽しい謡が聞こえてくる。村人は嘆き悲しむ代わりに、良い人生を最後まで送ったことを喜び祝い、棺を取り囲んで笑顔で行進するのであった。

https://www.youtube.com/watch?v=CrSBRuDPNtQ

 

水車村のこの老人が、「生きるのは苦しいとか何とか言うけれど、それは人間の気取りでね。正直、生きてるのはいいもんだよ、とても面白い」と述べるシーンがあります。世界の誰もが、「生きてるのはいいもんだよ、とても面白い」と言える時が、いつかは来るように祈りつつ、今年末のメッセージを終わらせます。

 

みなさんのご健勝を祈りつつ

2024年末

 

田中利幸

 


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