10月18日、国連の安全保障理事会で、ハマスとイスラエル軍の戦闘の「一時停止」を求めるブラジルの決議案とロシアが修正を加えた決議案2本の計3本が採決にかけられたが、いずれも否決された。ロシアが修正を加えた決議案2本には米国が反対し、採択に必要な9カ国以上の賛成を得られなかった。ブラジル案には12カ国が賛成したが、米国が拒否権を行使した。ここで、またしても米国のイスラエルへの全面的支持のせいで、イスラエル軍によるパレスチナ住民への無差別大量殺戮が止む可能性は崩され、先行きは暗いままである。
顧みてみると、ドイツは自国民が犯したホロコーストという「人道に対する罪」の「過去の克服」を長年にわたって忍耐強く行ってきた。その結果、ドイツは自国を「人道的国家」に変革するという理想へ向けての道を、歩み続けてきた。米国は、原爆(+焼夷弾)無差別大量殺戮という「人道に対する罪」の「過去の克服」に、完全に失敗した。日本は、15年にわたるアジア太平洋戦争中に犯した様々な残虐行為の加害責任だけではなく、原爆(+焼夷弾)無差別大量殺戮の被害者としての「過去の克服」の両面で失敗してきた。「過去の克服」は加害者だけに求められるものではない。実際には、被害者側も、「人道に対する罪」を再び誰にも犯させないようにするには、被害者としての「過去の克服」を行う必要がある、というのが私の信念である。イスラエルは、その被害者としての「過去の克服」に完全に失敗したゆえに、悲惨にも、加害者へと変貌してしまった、というのが私の持論である。この点については、別の機会に詳しく論じてみたい。
今日は、札幌にお住まいの私の畏友、松元保昭氏にお願いして書いていただいた論考 ― イスラエルによるパレスチナへの繰り返される武力襲撃の歴史的起因に関する簡潔で明瞭な解説
― 「犠牲者は誰だ」を紹介させていただく。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
犠牲者はだれだ?
ナクバを不問にする欧米「国際社会」、繰り返すイスラエル
先週土曜日、エジプト・シリアが領土奪回をめざした1973年第4次中東戦争の翌日ヨム・キプール(贖罪の日)にあてた10月7日、全パレスチナの解放をめざすガザの抵抗組織ハマスがフェンスや壁を越えてイスラエル領内深くに1000人を超える戦闘員を送り込み、かつてない奇襲攻撃を成功させた。ハマスのガザ実効支配16年、ナクバ75年、たえず敗北と被虐を積み重ねてきたパレスチナ人の反占領抵抗運動の意を決した反撃は世界に衝撃を与えた。
イスラエルのガザ「報復」は翌日からはじまり、今日現在(11日)で双方の死者は2000人を超えた。陸海空完全封鎖の「天井のない監獄」、世界一人口密集のガザ地上侵攻となると一般市民を巻き込む大量無差別殺戮も危ぶまれる。イスラエルが電気・水・食料・燃料・医薬品などすべての物資を遮断・封鎖するならば、飢餓の殲滅も起こりかねない。
|
ガザ地区の少女 |
テレビ、新聞の報道をみると、相変わらずガザを実効支配するイスラム原理主義組織ハマスの「テロ攻撃」、イスラエル民間人犠牲の数々と100人を超える人質の安否、そして常套句である「暴力の連鎖」はいつまで続くのか、サウジ、イラン・米欧パワーゲームの様子見で締めくくられる。「テロ組織ハマス」だけを悪の標的にするパターンは変わらない。「テロ組織」の烙印は、「自衛国家」の正当化と歴史的現実の消去を一挙に果たす報道マジックとなっている。「ハマスを壊滅させる」(ネタニヤフ)ことは200万人のガザ市民を殲滅することだ。
そもそも戦後、イスラエルほどあからさまな軍事侵略による領土獲得・国家建設はなかった。ナクバは、イスラエル建国の翌日から始まる1948年5月15日第一次中東戦争開始の日に当てられているが、その前年イギリスが委任統治を国連に丸投げし米ソ画策の不公正で違法な「国連分割決議(1947年11月29日)」直後から、入植者のシオニスト民兵によるパレスチナ村落への武力襲撃が始まっていた。テロ組織イルグンやシュテルンによる1948年4月9日ディル・ヤーシンの虐殺(260人)など建国以前の暴虐こそ「ナクバ(大災厄ジェノサイド)」の始まりであった。5月14日の夜あわてて独立宣言を果たしたのが「イスラエル建国」であった。この戦争で80万人のパレスチナ難民が生み出されたが、翌49年には国境も定まらないイスラエルが「平和愛好国家」として国連に迎えられる。世界人権宣言と国連憲章でスタートしたかにみえる国際社は、このパレスチナ人被虐のナクバを不問にして始まったわけだ。75年後の今日まで。
1967年の「六日戦争」(第三次中東戦争)で、東エルサレムを含むヨルダン川西岸、ガザ地区、シナイ半島、ゴラン高原を占領し領土を拡大したイスラエルは、パレスチナ人の抵抗運動インティファーダ(民衆蜂起)を日常的に武力弾圧するシステムをつくり、少年も含む恣意的拘束拘禁、無差別深夜家屋急襲、アパッチヘリやスナイパーによる殺戮、コラボレーター(協力者・間諜)による共同体の分断、数百か所の検問所による移動制限、総延長700キロ超の分離壁による水源確保と移動制限隔離、家屋破壊、土地強奪、入植地増大、入植者の日常的暴力、ガザ封鎖、間欠的なガザ集団懲罰空爆、人種差別と民族浄化、世界各地での要人暗殺を恣ままにしている、そもそも建国の動機からして野蛮な軍事占領国家、侵略国家、テロ国家、アパルトヘイト(人種隔離)国家、人種差別国家など、戦争犯罪と国際法・国際人道法違反のオンパレード国家であることは、まぎれもない歴史の現実である。あろうことかイスラエルは、パレスチナ人の人権団体パレスチナ人権センター(PCHR)をふくむ反占領の闘いとすべての「反イスラエル」を「反ユダヤ主義組織」のレッテルで攻撃する。もともと中東に植民地主義的な橋頭保を築こうとした米英欧など西側「国際社会」の容認バックアップなしには存立できない国家なのである。(※遅きに失したともいえるが占領国家の性格がよくわかる秀作のビデオ:BS世界のドキュメンタリー『ねらわれた少年たち―ヨルダン川西岸パレスチナ自治区アイダ難民キャンプ』NHK2022を観ていただきたい。)
このたびの奇襲攻撃を、バイデンは「まぎれもない邪悪な行為、まさに悪の所業」と断罪した。ネタニヤフはハマスを「野蛮なケダモノ」と名指した。しかし、上に述べた数十年から75年に及ぶパレスチナ人の日常的な苦難の日々を思うと、とくにガザの人々の「いつ殺されて死ぬか、闘って死ぬかわからない…」という限界状況の「まぎれもない邪悪な行為」をだれが強いてきたのか、私たちは深く考える必要がある。
ちょうど30年前、冷戦崩壊後の1993年オスロ合意が結ばれた。互いを交渉相手として認め合ったというが、ライオンとネズミのように圧倒的武力の差では対等の交渉はありえない、イスラエルのサボタージュにどこまでも引きずられる「まやかし合意」に終わった。イスラエルを容認した国際社会の関与を閉じて相互の交渉にまかせるということは、不法なイスラエルを容認した国際社会の責任をも免罪したことになる。イスラエルは占領地からは撤退せず、合意時点の入植者は11万人だったのが、30年後の現在、50万人を突破してパレスチナ人を日々襲撃している。パレスチナ自治政府(PA)は、もはやイスラエルの出先コラボレーター(協力者)に成り下がっている。当時、ラビン首相とペレス外相、PLO議長アラファトにノーベル平和賞が授与されたが、「ディル・ヤーシンの虐殺」などナクバ・ダーレット計画のメナヘム・ベギンも平和賞をもらっている。ノーベル平和賞は、国際政治の演出賞か。
今回の奇襲作戦をハマスは、「アル・アクサ嵐作戦」と名付けた。まずシャロンが2000年にハラム・アッシャリーフ(神殿の丘)に侵入し第二次インティファーダのきっかけをつくった。その後、オスロ合意の反故を確実なものにしたイスラエルは、治安部隊を送り込み3年ほど前からイスラームのアル・アクサ・モスクで狼藉を働くようになった。ことしの4月には、イスラエル治安部隊が礼拝していたパレスチナ人450人を拘束した。シオニスト右派がなだれ込んだり金曜日の聖域ハラム・アッシャリーフは危険な場所にさえなっている。ハマス報道官のハーレド・カドミはこう語っている。「われわれは、国際社会に対し、われわれの聖地アル・アクサのもとでの残虐行為を止めてほしいと願っている。これが今回の戦いを始めた理由のすべてだ。」
一方で、イスラエル宗教右派は強固な「第三神殿建設」と神殿の丘改造計画をもっており、その兆候が近年、ますますあからさまになっている。それは同時に、シオニスト超正統派が描いてきたシナイ半島からチグリス・ユーフラテス川までの「エレツ・イスラエル」《神がアブラハムの子孫に与えると約束した「ヤコブ(のちイスラエルに名を変えられる)の地」(創世記12・15・28・35章)》をめざす「大イスラエル主義」にも結び付いている。シオニズムの「土地の征服」という領土拡大の欲動は、エルサレム首都宣言に固執させることにもつながり、イスラエルの入植者植民地主義をさらに増大することになろう。イスラエル宗教右翼の潜在的な野望は、今後全世界20億人のイスラム教徒の抵抗を呼び起こすかもしれない。
そもそもイルグンのキング・デイヴィッド・ホテル爆破事件(1946年7月22日)から続くナクバのように、シオニズムは当初から人種主義とテロリズムを武器としながら、1967年の第三次中東戦争「六日戦争」で一挙に植民国家イスラエルを拡大した。1972年には、日本人も関与したテルアビブ空港リッダ闘争があり、4か月後ミュンヘン・オリンピックのイスラエル選手村人質事件が起きた。これを機に、イスラエル・シオニストは逆手を取ってあらゆる反占領抵抗運動をテロリズムと名指しするようになった。さらに、1982年のサブラー・シャティーラの虐殺で民衆蜂起が燃え盛り、第一次インティファーダがひろく展開するなかで、1987年全パレスチナの解放をめざすハマスが誕生するのである。ついに9・11で、アメリカ・イスラエルの国家テロリズムが「対テロ戦争」と定式化された。
対テロ戦の渦中、今回もイスラエルは国家の「威信」を賭けて反撃「報復」するであろう。抵抗権であろうと、テロに対しては国家の「自衛権」が認められているからだ。国家の「威信」は、アメリカも日本もどの国も、人の命に勝る。だから、イスラエルは「やりたい放題」をやってきた。ハマスをテロ組織と名指して何万人の人間を殺害することは許されない。ところが、ハマスをテロ組織と指定(2006)することによってこそ、「国家の威信」は全パレスチナの抵抗運動を弾圧する口実に出来るのである。
こうしたイスラエルの膨張主義を駆動する宗教的欲動、あるいは世俗的な人種差別と民族浄化のすべてを回収・正当化して突き進むナショナリズムの問題を、国連と国際社会はどのように「解決」するのであろうか。これまでの歴史のように際限のない軍事的パワーゲームでは見通しがない。軍事同盟を背景とした「戦争」あるいは「代理戦争」に至らないよう、あらかじめ人権理事会の是正勧告に強制力をもたせたり普遍的な是正措置を編み出さなければならない。2014年のマイダーン・クーデターから始まるドンバス攻撃に端を発するロシア侵攻のウクライナ戦争も(これは、はじめから「米代理戦争」の様相だが)、もはや安保理を中心に軍事同盟の駆け引きで解決できる問題ではない。各国内部と国際間に、どうしたら正義と公正を貫くことが出来るか、人類は崖っぷちに立たされている。国家の病をどうするか?
千歳アイヌに中本むつ子さん(1928~2011)というアイヌ伝承者がいた。アイヌ語教室も始めていた彼女の晩年亡くなる3年前の2008年に、ナクバを彷彿とさせる話をご自宅で偶然聴かせてもらった。パレスチナのナクバのことなど知らない彼女が、「むかしね、この千歳川から石狩川まで何十軒ものチセ(アイヌの家)がいっせいに焼かれたの…。」おそらくこれは彼女自身が直接見たのではなく、時代的に圧縮された情景を伝承として古老から聴いたものであろう。しかし、「滅びゆく民」「旧土人」と貶めたアイヌ民族へのジェノサイドその後の同化政策から今日に至る偏見差別をいまだに日本人と日本国は謝罪をしない。
日清戦争開戦前の甲午農民戦争からはじまるコリアン・ジェノサイドは、1919年の三一独立運動で、さらに1923年、100年前の関東大震災で朝鮮人虐殺が猖獗を極めた。この明白な国家犯罪と民衆犯罪を、いまだに日本国家は謝罪も調査もせず政権も知らんふりだ。そして在日朝鮮人の学校を差別して平然としている。
ポツダム宣言受諾で命拾いした天皇ヒロヒトは、1947年にマッカーサーに「沖縄無期限貸与」を具申した。なによりも中国革命を恐れていたようだ。米軍基地で悲鳴をあげているその沖縄はいま、辺野古基地はいらないという県民の願いを最高裁が却下し、米国の尻馬に乗って「台湾有事は日米有事」(安部元首相2021)という自公政権の南西諸島ミサイル基地化を着々と進めている。日本国によってさんざん犠牲になった沖縄の「命どう宝」を無視するヤマトンチューによって、ふたたび戦争の前線に立たされそうとしている。いや、ふたたび戦争の犠牲者に晒されそうだ。
7世紀ヤマト政権以来の植民地主義・軍国主義・人種主義は、神社・天皇などという「誤魔化し」の象徴とともに、つねに「歴史を誤魔化す」日本人の夜郎自大な根性に深く根付いて、いまや「さもしい」政治が上から下までいたるところに蔓延っている。
このように、人間の尊厳と人権、正義と公正の課題は、各国家固有の宿題を抱えている。「あきらめた」大勢の人々はカナリヤの悲鳴を聴こうとしない。「あきらめた」人々は、抵抗する人々を理解できないし共感しようとしない。だから現実は、「あきらめ」に抵抗する人々は犠牲者のまま打ち捨てられる。黙って殺されるか闘って死ぬか、どちらかしかないパレスチナ人…。「戦争が人類を終わらせるか、人類が戦争を終わらせるか」(アスカ・パーク)
イスラエルは恒常的なホロコーストを75年間実践してきた。もはや絶え間のない好戦的な暴力に生きるイスラエルが自らの変革を望めない以上、そして欧米側と世界メディアのイスラエル支援が変わらない以上、パレスチナ問題に立ち戻るとコーヘンの提案が思い浮かぶ。ホロコースト・サバイバーであるピーター・コーヘンは、ユダヤ系オランダ人で元アムステルダム大学社会学教授である。彼は次のような分析をしたあと、パレスチナ問題の「出口」戦略を提言する。
「パレスチナで起きているのは、いうまでもなく、古典的な欧米植民地主義なのであり、それは優越した軍事的・経済的手段と占領の強制とによってのみ維持されるのである。…今やありのまま歯に衣着せず語るべきときだ。つまり、植民地としてのイスラエルは暴力と紛争の恒常的な源泉である。それは中東のなかで欧米の軍事占領下にある一地域だ。…イスラエルの政策はつねに既成事実を創造し続けてきた。すなわち露骨な征服であり、それはヨーロッパと北米の「欧米」を構成する諸国からの持続的援助により強化されてきた。」
「(シオニストによって作られた)植民地イスラエルは存在を続けることができないし、そこで、もう一つのパレスチナと存在の持続を「分かち合う」こともできない、のである。パレスチナ人は植民地主義の占領者から完全に解放される権利をもつべきである。「パレスチナ人解放」の斬新で非暴力的な思考が、きわめて重要不可欠だ。」<(シオニストによって作られた)は引用者による付記>
「もし世界が、これまでと異なる戦略、つまりパレスチナ人の放逐と軍事的服属化とを終わらせる戦略を採用するようになるなら、これは、第二次世界大戦後の欧米政治がそれだけでもう取り返しのつかぬほど致命的な過ちを犯した非をはっきりと認めて、それを取り消す方向で踏み出す、善き第一歩となるであろう。」このあとイスラエル解体の「出口」戦略を是非、Peter Cohen『終わることのないパレスチナ紛争の根因:それをどう正すか』(Huffington
Post2014、板垣雄三訳)で読んでいただきたい。(了)
●https://www.huffingtonpost.jp/peter-cohen/the-root-cause-of-the-never-ending-conflict-in-palestine_b_6139172.html
●イスラエル国家の廃止を呼びかけるP・コーヘン提案をどう読むか
https://www.huffingtonpost.jp/yuzo-itagaki/peter-cohen_b_6139436.html
2023年10月14日
パレスチナ連帯・札幌 松元保昭