正義感、責任感が欠落している広島市長、広島県知事
東京の市民団体「米国の原爆投下の責任を問う会」が、今月22日付で下記のような要請書を松井・広島市長、湯崎・広島県知事の両人宛に送りました。会のご許可をいただき、下にその要請書の全文を紹介させていただきます。
要請書を読んでいただければはっきりお分かりになると思いますが、被爆者を全面的に支援するかのような言動を表面的にだけはいつもとりながら(おそらく選挙目的のため)、いつも実際には政府の言うままにしか動かない市長と知事。この2人には、正しいことにはあくまでも正しいと主張すること、75年もの間苦しめられている戦争被害者の憲法で保障されている「平和的生存権」を守るためには、その「平和的生存権」を侵害している国家権力に対して「抵抗権」を使用すべきであるという、市長、知事が持っているべき公的責任感が完全に欠落している。責任感が欠落しているということは、その責任感と表裏一体になっている正義感もまた欠落していることは、あらためて言うまでもない。
この正義感、責任感の欠落は、現職の市長・知事に限ったことではない。歴代の市長・知事に共通してみられる情けない現象である。原爆無差別大量虐殺という由々しい犯罪に対して、あくまでも正義感、責任感で立ち向かうという気概が全くないのである。このことは、平和公園内にも原爆資料館にも(もちろん国立の原爆死没者追悼平和祈念館にも)、広島にはどこにも、原爆無差別大量虐殺を犯した米国の犯罪を明確に追求・批判する明記は、全くみられない。したがって、犯罪の責任も認めず謝罪もしないアメリカ大統領オバマを大歓迎するという愚行を犯しても、平気でいられるのである。同時に、戦時中、アジア太平洋各地で日本側が犯した様々な残虐行為に対しても、徹底した正義感、責任感で受けとめようという気概もない。例えば、広島市は中国の重慶と友好都市になっているが、友好都市であるその理由を、市のホームページで以下のように説明している。「本市と重慶市の間には、第二次世界大戦において甚大な被害を受けた市民の復興に向けた、たゆまぬ努力があり、平和に対する意識が高い、という類似点がありました。」 ところが、驚くべきことには、重慶の「甚大な被害」が、200回以上の空爆による1万2千人にのぼる死者であることも、またその空爆を行ったのが日本軍であった歴史的事実についても一言も触れていないのである。なんという破廉恥ぶりであろうか!よくもまあ恥ずかしくもなく、「世界平和文化都市」などと自称できるものである。
「黒い雨」広島地裁判決の控訴をめぐる市長と知事の態度は、したがって、単なる「黒い雨」に限った問題ではないのである。この問題の元凶は、広島市民・県民一般、引いては日本市民一般の正義感、責任感の欠落、そうした欠落を「おかしい」とも思わせない日本の文化全体の問題であることを私たちははっきりと自覚すべきであると、私は思う。正義感、責任感の欠落は、とりわけ安倍政権下の日本でさらに悪化し、その正義感、責任感の欠落悪化がそのまま菅政権に継承されているのが現状である。
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2020年9月22日
松 井 一 實 広島市長殿
湯 崎 英 彦 広島県知事殿
慶應義塾大学名誉教授 松 村 高 夫
(「米国の原爆投下の責任を問う会」共同代表)
名古屋大学名誉教授 澤 田 昭 二
(原水爆禁止日本協議会 代表理事)
「黒い雨」広島地裁判決の控訴取り下げの要請書
2020年7月30日、広島地裁高島義行裁判長は、広島への原爆投下後に降った「黒い雨」により健康被害を受けたにもかかわらず、広島市や広島県から被爆者健康手帳の交付を受けられなかったのは違法であるとして手帳の交付などを求めた原告の主張を認め、84人全員への手帳の交付を命じました。
原告は原爆投下時に、生後4ヶ月~21歳だった84人とその遺族で、84人は援護の対象とはならない「小雨地域」や「降雨地域」の外にいたとされていました。これまで国は、黒い雨が激しく降った「大雨地域」に限って「特例地域」として援護対象とし、その他の地域の人を被爆者援護法上の「被爆者」と認めていませんでした。
しかし今回の地裁判決は、原告らが援護法上の「被爆者」と認めたのです。判決は、黒い雨の実際の降雨範囲は国の大雨・小雨地域より広いと断定し、降雨地域の人は、黒い雨を浴びた「外部被曝」や放射能汚染された水などを体内に取り込んだ「内部被爆」が想定されるとして、地域の違いや降雨時間の長短によって援護に線引をすることは「合理性がない」としました。「内部被曝」の重要性はすでに澤田昭二名古屋大学名誉教授(素粒子物理学)により明解に分析されています。判決は、原告を個別に検討し、癌など援護対象となる特定疾病を発症していることをあわせ、原告全員を被爆者と認定したのです。
『朝日新聞』(2020年7月30日)社説は、「地理的な線引で対象者を限ってきた国の被爆者援護行政を否定し、個々の被爆体験に関する証言と健康状態を重視して広く救済する。そうした視点に立つ画期的な判決である。」と記しました。
この判決を受け、被告である松井一實広島市長と湯崎英彦広島県知事は、両氏とも控訴しないことを意思表示しました。他方、政府は安倍首相が広島地裁の判決は最高裁のかつての判決と違いがあるとし、また加藤厚生労働大臣は、地裁判決は「過去の最高裁判断と異なり、十分な科学的知見に基づいていない。」と、強い圧力を広島市長、広島県知事にかけ続けました。市長と県知事両氏は、8月12日、前言を翻して控訴に踏み切りました。国の権力に屈したのです。
松井市長は「・・・国からは降雨地域の拡大も視野に入れた再検討をする方針が示されるとともに、強い控訴要請を受けた。控訴せざるを得ないと判断した。」「勝訴した原告を思うと本当に辛く、申し訳ない。」「ソクラテスの弁明じゃないけど、毒杯を飲むという心境だ。」(『東京新聞』2020年8月14日)と述べています。
また、湯崎知事は、「国との協議では、県として控訴しない意思を伝えてきた。一方、今回の判決を受け入れて現行の基準が替わらない場合、被害者の間で不公平が生じてしまう。」、「少しでも早く被害者の救済に繋げられればよかったが、公平性の問題もある。今回は原告84人の救済だが、同様に国の援護対象区域外で黒い雨を浴びたほかの人たちについては全く白紙で、救済されない状況が生まれる。」と述べています。 また、「援護対象地域が、科学的知見で拡大されるとの担保はありますか。」という記者の質問に対しては、「担保はない。ただ被爆者行政のトップである厚生労働相と、国のトップの首相が『拡大も視野に入れた検討をする』と明確に言った。結果として全く拡大しないということは、政治的にはあり得ないと思っている。」と答えています。
以上のように控訴した弁明を色々述べていますが、「降雨地域の拡大も視野に入れた再検討する方針」と「控訴せずに、地裁判決の原告84人全員を被爆者と認定する事を確定する」ことは全く両立可能なのですから、控訴することにした理由は唯一つ、政府の圧力に屈服した、言い換えれば広島市民、被爆者たちを裏切ったということにほかなりません。政府のいう新たな調査、再検証は、時間の引き伸ばしであることは誰の目にも明らかでしょう。高齢者になっている被爆者を救済するのではなく、亡くなるのを待っているのが政府の方針であり、それを市長と知事も受け入れた、と言ったならば、言い過ぎでしょうか。
松井市長は、8月6日に「広島平和宣言」を読み上げたばかりです。『宣言』の終わり近くで、日本政府に対し、「・・・平均年齢が83歳を超えた被爆者をはじめ、心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面でさまざまな苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、『黒い雨降雨地域』の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。」と、述べました。
松井広島市長に問います。広島原爆の投下後の黒い雨による被爆者の広島地裁判決を控訴することが、平和宣言にある「心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面でさまざまな苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添う」ことになると本当に考えておられるのでしょうか。さらにいえば、「人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、『黒い雨降雨地域』の拡大に向けた政治判断を、強く求めます。」と述べたのは、1週間後に控訴に踏み切る自己への免罪符だったのではないでしょうか。
松井広島市長と湯崎広島県知事に、あらためて『平和宣言』の理念に立ち返り、控訴を取り下げることを求めます。
「米国の原爆投下の責任を問う会」
共同代表 高橋 信
共同代表 横田嘉夫
共同代表 吉沢倫子
東京都府中市白糸台1-47-17 ℡090-1769-6565
事務局長 水澤壽郎
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