- さらなる2つの具体的例証 –
1)大田洋子「文学碑」についての要望
一方的な柵工事・周囲の樹木の剪定は市民感情を無視するものである
2)「かきぶね問題を考える会」会報 第60号(2020年9月26日発行)
原爆ドームの周辺夜景がこれでいいのでしょうか
3) 平和芸術文化際の定期的開催を!
最初に、9月23日に亡くなられた、被爆者で長崎大学名誉教授であった岩松繁俊さんに哀悼の意を表します。岩松さんは、自著『戦争責任と核廃絶』(1998年 三一書房)の中で、「招爆論」、すなわち日本側、とりわけ天皇裕仁に、米国による広島・長崎への原爆攻撃を誘引させるような行動責任があったと論じる、興味深い主張を唱えられました。岩松さんは1928年に長崎に生まれ、45年8月9日には、学徒動員による軍需工場での作業中に爆心地から1,300メートル地点で被爆されました。1952年に東京商科大学(現在の一橋大学)を卒業し、その後長年、長崎大学経済学部で社会思想史(とくにバートランド・ラッセル思想)の専門家として教育と研究に携わられました。原水爆禁止運動にも長年にわたって関わり、1997年には原水爆禁止日本国民会議の議長も務められています。社会科学者として、また反核活動家としても重要な貢献をされてきた人物でした。私も岩松さんの著作から多くのことを学ばせていただきました。深く感謝すると同時に、お悔やみ申し上げます。合掌。
さて、9月24日には、このブログで「米国原爆投下の責任を問う会」が広島市長と県知事に宛て提出した「<黒い雨>広島地裁判決の控訴取り下げの要請書」を紹介させていただき、その紹介文の中で、市長、知事の両者に正義感、責任感が欠落していること、その欠落は「文化の問題」であるという持論を述べておきました。戦争責任問題に関する正義感、責任感を養うということは、市民の間に倫理的想像力を力強く形成するような「文化の創造」の問題なのですが、そのことが全く市長、知事をはじめ市役所や県庁の職員にも理解されていないため、次々と「文化を破壊」するような行政措置ばかり打ち出しています。以下に紹介させていただく「広島文学資料保全の会」の市長あて要望書と「かきぶね問題を考える会」会報の最新号記事もまた、そのことをはっきりと裏付けています。この二例とも、自称「国際平和文化都市」広島の文化的低劣さをまざまざと暴露しています。
最後に、もう10年も前のことになりますが、広島の「新しい文化」創造のために私が提案した案を、再度、紹介させていただきます。ご笑覧いただき、「広島の文化」の問題を考え、議論していただくための一参考資料にしていただければ光栄です。
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1)大田洋子「文学碑」についての要望
2020年8月31日
広島市長・松井一實 殿
大田洋子「文学碑」についての要望
一方的な柵工事・周囲の樹木の剪定は市民感情を無視するものである
中国新聞(2020年2月4日)は、「中国庭園の移設へ」の見出しでサッカースタジアム建設の顛末を報じた。
今まで、サッカースタジアム建設予定地として、宇品(南区)のみなと公園、観音(西区)の西飛行場跡地、旧・市民球場跡地などが候補地にあがり、議論は二転・三転し、最終的に広島市中央部の中央公園に決定した、とのことだ。
当初、スタジアムを中央公園東側と発表したが、突如西側に変更し、中国新聞は「一部が中国庭園・渝華園」(ゆかえん)にかかる可能性が高く、文学碑やモニュメントの移設も検討」と、述べている。この「文学碑」とは「大田洋子文学碑」のことであろう。(この付近にはこの文学碑しかない)
中区選出の市議会議員・まにわ恭子氏は「議会報告」で次のように記している。
当初の計画では、スタジアムは東側の配置でしたが、突然、西側に変更されました。建設にあたり調査したところ、東側に貴重なお城の文化遺跡があるからという理由でした。中央公園の案が浮上した時に調査しておくべきことではないでしょうか。また基町の住民は説明を受けていなかったのです。後手、後手です。(まにわ恭子NEWS LETTER VOL61 2020年5月11日)
昨年末から今年にかけて、公園の一部に縄が張られ重機によって掘削されているのを多くの人は目撃しているが、「広島城の遺跡調査」であったことを、「まにわ報告」ではじめて知ることになった。
令和2年3月に「中央公園サッカースタジアム(仮称)基本計画(案)」が作成されているが、この「調査」が何のために行われているのか、地元住民はもとより市民にはまったく知らされず既成事実として進められているのだ。(スタジアム構想が東側から西側への変更についても、計画案策定が不十分だったことによる)
渝華園は、1992年に広島と中国・重慶市との友好都市提携5周年を記念して開園、四川省の古典庭園を再現しているといわれている。また、大田洋子文学碑は、1978年、「屍の町」や「夕凪の街と人と」など数多くの原爆作品を残した作家・大田洋子の文学を賛え、平和への道標として(建立のお願い)詩人・栗原貞子、作家・佐多稲子、作家・大原富枝などをはじめとする全国の多くの人々の募金によって建立された。
この地に建てられたのは、たびたび広島に帰省し、原爆スラムとよばれた実妹・中川一枝宅を訪ね、「夕凪の街と人と」の舞台としたことによる。
さらに、設計・デザインを担当した四國五郎は、「大小十五の石を、碑文を刻んだ中心の碑石に向って、あたかも爆心から爆風によって吹き寄せられたかのように並べました。石のひとつひとつを、数千度の熱線と音速の二倍を超える爆風下に生ま身を晒した老若男女に見たてながら並べました……<夕凪の街と人と>の舞台となったゆかりの地の一角から、碑石が人々への語りかけをはじめるのです」(爆風の中の碑:建立記念誌)と述べ、碑石も自ら山峡を歩き探し出すなど並々ならぬ意気込みであったことがわかる。(平和公園内にある「峠三吉詩碑」も四國五郎の手によるもの)
実は、「大田洋子文学碑」の移動は二度目のことである。前述の渝華園建設の折、少し移動したが、それでも、碑の建立委員会代表者の栗原貞子・斎木寿夫には事前に丁寧な説明を行い諒解をとっている。今回はどうか。スタジアム建設予定地にいきなり柵を巡らし、「関係者以外立ち入り禁止」とし、こんもりした周囲の樹木の枝は切り取られ無様な光景が出現した。事前の説明や広報もない。
担当課(広島市都市整備局スタジアム建設)は、「広島城遺跡の調査をするため」と述べ、「文学碑の移設は公園内」としているが、あまりに性急な乱暴さに心ある市民は驚いている。
以上経過説明と意見を述べさせていただいたが、会として次のことを要望したい
要望
1.「文学碑」建設後、建立委員会は広島市に寄贈(碑および付帯する工作物)したが、広島市に生殺与奪の権限を丸投げしたわけでない。広島市民の共有文化財産として
保護する義務があるはずである。
よって工事日程および、移動先を、市民に公表し、丁寧な説明をすべきである。
2.「広島城関連遺跡」だけでなく、「旧・陸軍施設の遺構」(この地域は旧・陸軍関係の施設が林立していた)も視野に入れ、西側の戦争遺跡の綿密な調査も必要である。
3.広島は、「平和・文化」を標榜する都市である。今回のスタジアム建設にかかわり、文字通り「平和と文化」の名にふさわしい対応をすべきである。
広島文学資料保全の会
広島市中区本川町2丁目1-29-301
電話・FAX 082-291-7615
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2)「かきぶね問題を考える会」会報 第60号(2020年9月26日発行)
原爆ドームの周辺夜景がこれでいいのでしょうか <9月25日(金)20時30分> 折り鶴タワー1階の光景です。
原爆ドームから道を隔てて、わずか40mの折り鶴タワー、その1階で繰り広げられるビアガーデン・ダンスショー。スピーカーからの大音量・足拍子と手拍子が辺りの静寂を破ります。 6月26日付の会報 57号で、「原爆ドーム・平和公園周辺地区に『夜のにぎわい』はふさわしくありません」とお知らせして、三ヶ月が経過しました。会員からもひどい状況を憂う返信や報告が寄せられています。
25日の夜、浜崎さん(自治労連)と事務局の望月先生・大亀の3人で訪れてみました。 「広島の平和行政は何をしとるのか」「金儲けのためには何をしてもいいというのか」
「被爆二世市長を名乗るが、かなわ・カフェポンテ・折り鶴タワー、やってることは歴代最悪」 「平和大通りの樹木を切って飲食店街にする、平和大通りパーク PFI も同じ様になるのか」 「世界企業を標榜するマツダも落ちたもの。世界遺産の景観を破壊する行為ではないか」
「世界遺産原爆ドームを守ることは補修工事で終わるものではありません。周辺地域(バッファゾーン)の景観を保全することも大切な役目です」「折り鶴タワーに隣接する相生ホテルは修学旅行の定宿です。被爆者のお話を聞く時間にこれらの大音量が流れたとき、各地に戻って生徒たちはどのようにヒロシマを伝えるのでしょうか」「ここでこの光景はあり得ない」等三人の感想でした。
平和推進担当課が握手カフェに申し入れ
9月2日(水)に、市民局国際平和推進部へ「折り鶴タワー握手カフェ・ビアガーデン問題」の申し入れを行いました。申し入れの設定時には、担当課長は「自分たちには応答する権限がない」との態度でした。 2日当日、担当課長の説明は、「平和公園や原爆ドームへの来訪者のためのにぎわいづくりは必要。バッファゾーン内の飲食店や施設はこの方針に沿ったもので、ドームの役割を否定してはいない。」というもの でした。
申し入れ参加者からは、ドームの前でダンスショーや女性のウォーキングが来訪者へのおもてなしになるのか/そもそもBZ内にこのような施設が設置されていいものか・アウシュビッツにはこのような施設はない/計画時にどのように判断したのか/静かな環境の中でこそ「平和の追体験」が可能ではないのか/BZ 設定の意味を市職員に教育するのが平和推進課の役割/ホテル関係者内では折り鶴タワーの評価は高くない/「祈りの場」に売店やビアガーデンがいるのか/県外の人に勧められない市民として恥ずかしい/修学旅行の宿泊ホテルの前・ドームの前でダンスショーこれが広島市の平和行政か/イベントの実態を調査せよ/戦争の負の遺産としてドームは世界遺産登録された・その BZ である・イコモスの懸念表明は継続されている/状況を確かめて業者に指導するべき等の声が出されました。
9月23日、担当課長から電話があり、「握手カフェ・ビアガーデンの問題について、調査をし当店に伝えた。」 店側から「イベントについては考える」「(期間を一月短縮して)9月26日で終了する」との応答があったと言うことでした。
動かない・動けない・権限がないと言っていた平和推進担当課が、私たちの申し入れに対応したことは一定評価できますが、25日の光景はとてもそのままには受け取れない様相でした。引き続き声を上げ続けなければならないと言えます。
平和大通りを一緒に歩きませんか
とき:10月3日(土) 午前10時〜11時30分 (小雨決行) 集合 白神社前
散策と慰霊碑や被爆者の森巡り移動演劇さくら隊殉難碑の説明や、平和大通り樹の会の小林さんによる平和大通りの樹木の説明も計画中です。
主催:平和大通りを歩く会(かき船問題を考える会が事務局を担当します)
広島市が平和大通りを民間委託で商用地化し、カフェやレストラン街にする計画中(平和大通りパーク PFI)の地区をゆっくり歩きます。 10月の平和大通りを散策しましょう。
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3) 平和芸術文化際の定期的開催を!
上記2つの最近の例からも分かるように、情けないことには、広島市には平和活動を深みのある文化活動として推進していこうという強い意欲も展望も全くありません(広島県も同じですが)。文字通り、原爆を売り物にして観光客さえ集めることができ、その観光客が金さえ落としていってくれればよいという場当たり的な態度。「平和」も「反核」も本当は口先だけ。たとえ市長や知事自身は真剣に「平和」も「反核」も考えていると仮定しても、それを具体的にどのように文化運動として推進、展開していこうというのか、そのアイデアが全くないのが現状。2010年の、当時の秋葉市長によるオリンピック広島招致提案もまさに、倫理的想像力を掻き立てるような斬新なアイデアが全くない、その典型的な悪例でした。このとき私は、オリッピク広島招致提案を痛烈に批判し、文化活動としての反核平和運動のやり方として「平和芸術文化際の定期的開催」を提案しました。この提案は、やる気さえあればいまでも実行可能だと私は信じています。下記アドレスでその提案をご笑覧いただければ光栄です。
オリンピック代替案
─ 平和芸術文化際の定期的開催を! 広島市民球場跡地利用への展望も含めて
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/mb/post_656.html