2019年6月9日日曜日

天皇万歳に浮かれる無責任国家


1)一時帰国を終えての報告
2)6月6日発行『第九条の会ヒロシマ 会報102号』掲載の拙文

1)一時帰国を終えての報告

  私は、4月28から6月6日までの1ヶ月以上に及ぶ少々長めの一時帰国を終えたところです。この日本滞在中の5月半ばに、拙著『検証「戦後民主主義」:わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』(三一書房)が出版されました。天皇制批判を中心テーマとする拙著の宣伝・発売を兼ねて、広島、東京、三次(広島県)、名古屋の4カ所で講演をさせていただきました。また、6月5日夕にはピープルズ・プラン研究所で拙著の合評会も開いていただきました。
  10日間にわたるゴールデン・ウィーク期間中は、天皇代替わりの儀式が続き、メディアは、退位した明仁・美智子と新しく天皇・皇后に即位した徳仁・雅子の賛美を、連日連夜、報道し続け、日本全国が天皇万歳に浮かれ、「天皇批判などするヤカラは非国民」と罵倒されそうな異常な雰囲気に包まれました。そんな「一億総思考停止」と呼べるような状況の中にあって、天皇制のあり方に深い疑問を持つ人たちが講演会に来てくださり、参加者の中には「講演を聴いて憤懣が解消され、胸がすっきりしました」と言ってくださる方が複数おられました。正直なところ、筆者/講演者としては、これほど嬉しいコメントはありません。
  上記4カ所での講演を企画していただいたそれぞれの地元の市民活動組織のみなさんに、あらためて深くお礼を申し上げます。とりわけ、東京と名古屋での講演を企画していただいた「米国の原爆投下の責任を問う会」、「ABC企画委員会」(ABCは「核・生物兵器・化学兵器」の英語名頭文字) と「愛知県平和委員会」のみなさんから並々ならぬご支援を受けたことに心から感謝申し上げます。なお、ABC企画委員会」のホームページには、東京の中野ゼロで行った講演(パワーポイント)を紹介するユーチューブと講演概要を載せていただきました。ご興味のある方は、下記アドレスで視聴していただければ光栄です。
  ピープルズ・プラン研究所で行われた拙著の合評会では、参加者のみなさん、とりわけ40年以上にわたって反天皇制運動に関わってこられた天野恵一さんから、忌憚のない、実に有意義なご批評をいただきました。合評会で教えられたことについてさらに熟考をかさね、今後の自分の執筆と市民活動に活かしていきたいと思っています。
  なお、8月10日には、札幌での講演にお招きを受けています。この札幌講演についての詳細については、松元保昭さん( y_matsu29@ybb.ne.jp )にお問い合わせください。
  一時帰国中は、講演だけではなく、楽しい集まりもありました。「広島文学資料保全の会」の土屋時子さん、池田正彦さんの企画による「ヒロシマ青春群像劇『河』〜峠三吉の『原爆詩集』を読む」と題する、「峠三吉と詩の仲間たちの姿を描いた演劇『河』のメンバーによる『原爆詩集』朗読と尺八の演奏会」が5月11日に、京都の立命館大学国際平和ミュージアム会議室で開かれました。土屋清の作による演劇『河』は、初演後55年の一昨年と昨年、広島と京都で再上演されましたが、この演劇に出演された方たちのうちの数名と、関東地域で原爆詩朗読活動をされている方たちが集まって詩の朗読をされ、それに私の拙い尺八演奏を重ねるという初めての試みを、ほとんどぶっつけ本番で行いました。結果は、詩の朗読と尺八の音色が意外とうまく重なったように思います。機会があれば再挑戦してみたいと願っています。
  なお、土屋清の名作劇『河』に関しては、来月半ばに藤原書店から『広島の「河」 劇作家・土屋清の青春群像劇』が出版される予定です。詳しくは下記のアドレスでご覧ください。

2)6月6日発行『第九条の会ヒロシマ 会報102号』掲載の拙文 

下記はこの会報に掲載された論考に加筆したものです。ご笑覧、ご批評いただければ幸いです。

「天皇万歳に浮かれる無責任国家これこそ安倍晋三が望む壊憲への基礎固め」
  4月27日から10日間続いたゴールデン・ウィークは、明仁の天皇退位、徳人の天皇即位をめぐる諸行事で幕を開け、メディアでの新元号報道と新旧両天皇・皇后大讃美が日本全国を覆いつくした。国民の大多数がそれに煽られた形で「天皇万々歳」に浮かれ、「無意識のうちの翼賛体制」とも称せるような状況に陥った。この「一億総思考停止」の祝賀ムードを利用して、5月3日の憲法記念日には、安倍晋三は、憲法壊憲推進派の民間団体「公開憲法フォーラム」によせたビデオ・メッセージの中で、「令和初の憲法記念日」を「国民こぞって歴史的な皇位継承を寿ぐ中」での記念日と称した。その上で、「令和元年という新たなスタートラインに立って、この国の未来像について、真正面から議論を行うべきときに来ている」と述べて、あたかも新天皇即位=改元が改憲を必要としているかごとくの表明を行った。
  壊憲をなにがなんでも達成するためだけではなく、深刻な政治・社会・経済問題、国際関係問題を多く抱えこんでいる日本が、あたかも繁栄と幸福におおわれた国であるかのような欺瞞ムードを作るために、人気絶大の明仁・美智子夫婦とその継承者夫婦をトコトン利用するという安倍の政治的意図は、安倍のもくろみ通り、祝賀ムードによって大多数の国民の目からは逸らされてしまった。厳粛で華麗な皇室儀礼は、明治維新以来これまで幾たびとなく繰り返されたように、国民の目を真に重大な問題から逸らすことに利用されてきたことは明らかなところ。しかし、これは単に、天皇を政治的に利用することを常に狙っている安倍のような、虚妄を駆使して国民をごまかす政治家だけに問題があるのではない。天皇制、とりわけ天皇が持っている「象徴権威」には、「真に重大な問題」を隠蔽してしまう魔術的ともいえる機能が備わっていること自体が問題なのである。この「象徴権威」の性質ゆえにこそ、政治家たちは自分たちの目的達成のために天皇を利用しようとするのである。
  ところが、ゴールデン・ウィーク中やその前後に出された新聞記事、とりわけ朝日新聞の関連記事を読んでみると、安倍政権の壊憲計画や「慰安婦・徴用工問題」への対応の仕方を批判するために、明仁・美智子夫婦あるいは天皇制を賛美し、そのことによって祝賀ムードをさらに高めるという皮肉な状況を作り出してしまった。虚偽と欺瞞でかためられた安倍政権を批判したいという朝日新聞の意図は十分理解できるのであるが、そのための手段として天皇賛美をやるという方法では全く安倍批判にはつながらない。そのことに気がつかないジャーナリストの見識のなさが、本当は問題にされなければならないのである。
  具体的な例を見てみよう。朝日新聞(以下全てネット版)は5月2日に、「象徴天皇と戦争放棄は不可分 敗戦からの憲法1条と9条」と題する記事を掲載し、「1947年5月3日に施行された日本国憲法の最大の特徴は、1条の象徴天皇制と9条の戦争放棄だ。二つの条項は不可分の一対として生まれた。天皇制を残しても、『天皇の軍隊』による軍国主義の復活にはつながらないと、国際社会を納得させる必要があったからだ」と記した。その文章表現自体は事実を反映しているのであるが、朝日新聞はこの記述に、9条は1条によって、つまり「平和」は「象徴天皇」の存在によって強く支えられているという意味を与え、そうした意味で「象徴天皇と戦争放棄は不可分」であると主張したのである。

  問題は、「二つの条項は不可分の一対として生まれた」その理由である。アメリカ占領軍が日本政府に与えた「マッカーサー草案」と呼ばれる憲法草案に、9条の基礎となる戦争放棄条項を入れた理由は、天皇裕仁が軍指導者たちに利用された「おやさしい平和主義者」であるという神話を作り出し、彼が犯した侵略戦争という重大な戦争犯罪を隠蔽することで免罪・免責をはかるためであった。つまり、憲法第1章(=天皇制維持)と2章(=非戦と軍隊放棄)は、裕仁の戦争責任、ひいては日本の戦争責任を隠蔽し帳消しにするために、セットとして組み合わされたものであった。しかもこの神話は、アメリカ占領軍が単独に作り出したのではない。当時の日本政府、幣原内閣もまた、「裕仁はあくまでも平和を希求していたのだが、軍部や政府が決定したことに従わざるをえなかった」という神話を作り上げ、1945年11月15日にはこれを公式見解とする閣議決定を発表している。すなわち、「裕仁は平和主義者」という神話は文字通り日米共同謀議で作られたものであり、憲法1条はその結実とも言えるものなのである。

  しかし、朝日の記事は、そういう本来の意味で「象徴天皇と戦争放棄は不可分」と言っているのでないことは明らかだ。ここで、本来の意味での憲法第1章と2章の組み合わせでの設置過程を詳しく論じている余裕がないので、これについては最近出版した拙著『検証「戦後民主主義」:わたしたちはなぜ戦争責任を解決できないのか』(三一書房)の第3章「『平和憲法』に埋め込まれた『戦争責任隠蔽』の内在的矛盾」を参照していただければ光栄である。

  重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。朝日の記事は、その点で、本質的には、日本の戦争責任を全面的に否定する安倍を、間接的にではあるが支持してしまっているのであるが、記事を執筆した記者がそれに気がついていないことが情けない。

  5月3日の憲法記念日の当日、朝日新聞は「『いまの改憲論はフェイク』憲法学者・樋口陽一氏の危惧」と題する、樋口へのインタヴュー記事を掲載した。あらためて述べるまでもなく、樋口は日本を代表する憲法学者で、私も樋口の著書や論文から多くを学ばせていただいた。壊憲をめざす安倍の動向がいかに欺瞞に満ちたものであり、虚偽的な加筆で憲法9条の原則を根本的に変えてしまおうと企む安倍を、このインタヴューで樋口は痛烈に批判し、「今回の改憲論は『政治的な主張』と呼べるレベルのものではありません。フェイク (虚偽)です」と喝破している。この点では、樋口の意見に私も全面的に賛成である。ところが、樋口は、2011年に起きた「東日本大震災という悲劇的な危機状況」との関連で明仁・美智子夫婦に言及し、「明仁天皇と美智子皇后(当時)の一連の言動が、象徴天皇制を定めた憲法第1章の一つの表れとして人々の記憶に刻まれた」と述べて、憲法第1章を積極的に評価している。憲法前文と憲法9条の持つ「人類普遍的原則」の決定的に重要な意味をあれほど明晰に解説した樋口が、憲法第1章がその「人類普遍的原則」と明らかに矛盾する狭隘な「日本国家主義」の原則に基づいていることに全く気がついていないことに、私は驚いたと同時に残念でならない。(この矛盾点についても、私は、上に述べた拙著の第3章の第3節「『戦争責任』の自覚に基づく憲法前文と9条の一体的相互関連性」で詳しく述べておいた。)
  憲法第1章の矛盾はそれだけではない。言うまでもなく、憲法1条の「象徴天皇」は、明治憲法下での国家神道に基づく「天皇=現人神」とは全く異なっているはずなのである。ところが、実際には、今回の新天皇即位の関連儀式である「剣璽等承継の儀」をはじめ、これから続く数多くの儀式のほとんどは、天皇が「神」として執り行うもの、すなわち皇位の正統性の根拠が天照大神の神勅にあることを示す儀式なのである。とりわけ11月に予定されている大嘗祭は、まさしく、この儀式によって天皇が正式に神となる重要なものである。憲法の政教分離規定に明らかに違反しているにもかかわらず、明仁の天皇即位の場合と同様に、今回も政府は27億円という巨額の国費で大嘗祭を行うことを決定済みである。
  それだけではない、春季皇霊祭・春季神殿祭、秋季皇霊祭・秋季神殿祭、新嘗祭や元日早朝に行う四方拝、といった、天皇が行っている様々な宮中祭祀も、神として行っている。宮内庁によると、明仁は「宮中祭祀も全身全霊で臨まれてきた」とのこと。民主憲法を尊重しているはずの「象徴天皇」が、その一方で、民主主義の理念に真っ向から背離する「神」としての儀式を、頻繁に「全身全霊で」執り行っているのである。こうした宮中祭祀を、日本政府は皇室の内廷費で賄う儀式、つまり「天皇が私的に執り行う儀式」 であると主張している。しかし、プライベートな形であろうとなかろうと、国民の税金を使って執り行い、しかも、儀式によっては首相や閣僚が堂々と出席している。これが民主憲法を尊重しているはずの明仁が、なんの矛盾も感じないで行ってきた明らかな違憲行為であり、この違憲行為をこれからも徳仁が続けていくことは明らかである。一方では、神道儀式で自分を神とみなす儀式を「全身全霊で」で執り行い、他方では民主憲法遵守のための国民の代表=象徴と自分をみなす、このことになんらの精神的葛藤や矛盾も感じない「天皇」とはいったい何なのであろうか?彼は、神なのか人間なのか?自分をどう思っているのであろうか?私は、そんな彼を「天と地上の間で宙ブラリンになっている存在」、神でも人間でもない中途半端な存在、と表現する。
  天皇とは、このように、なんとも摩訶不思議な存在であり、正教分離の憲法原則から見て、これが矛盾でなければ何と表現すべきなのであろうか。この点について樋口はどう考えているのか、訊いてみたいものである。朝日新聞の記者は、憲法1条と現実の天皇行動のこの決定的矛盾については、全く気がついてもいないのであろう。一連の記事では、この点についてなんの言及もない。
  ちなみに、天皇が執り行う神道儀式にはしばしば皇后も出席する。しかし、もちろん皇后は神としてではなく、神である天皇に従属するものとして儀式に参加する。ところが、皇后は「まげ」の期間中は宮中祭祀にかかわることはタブーとされている。「まげ」とは「生理」のことを意味する宮中用語であり、「まげ」の間は皇后に血の穢れがあるとみなされているからである。かくして、皇后は頻繁に「まげ」であるかどうかのチェックを受けるのみならず、着替えや全身の潔めなど、儀式のための「潔齋」といわれる様々な準備は、すべて女官の手によって行われなければならず、自分ではできないことになっている。つまりプライバシーが全くないため、精神的にひじょうに過酷な生活を強いられる。そのうえ、皇位継承者である男児を産む「天皇製造器」になることを強制される。皇后雅子はそれに失敗し、「適応障害」と「診断」され、人間としての尊厳を踏みにじられたことは周知のところで、彼女の女性としての悲哀、心の痛みの深さは察するに余りある。
  しかし、雅子だけではない。美智子も同じように、結婚4年後の1963年の流産のあと心身疲労から体調を崩したし、1993年には精神的苦痛から失声症を患った。このように、はなはだしい「女性差別」による「人権否定」は、皇室の女性に対しては日常茶飯事に行われているのであり、離婚などは絶対に許されない皇后や皇太子妃は、それに耐えて生きていく方法を自分なりに見つけていくよりほかに道はないのである。これが、憲法で保障されている国民の「基本的人権」と「男女平等」を象徴する天皇の妻の実態なのである。その意味で皇后もまた通常の「人間」とは言えず、「神の奴隷」と称すべき存在であろう。このように皇后の存在自体もまた、なんとも摩訶不思議なことに、憲法と「国民の象徴」の実態の間の深い矛盾を露呈しているのである。その矛盾は、日本の女性一般が日常直面している「女性差別」の矛盾を反映しているものであることも明らかである。
  朝日新聞記事に話を戻そう。5月11日、朝日新聞は「贖罪を天皇に委ねた政治  平成も昭和も終わってない」と題した記事で、作家・高橋源一郎が憲法記念日に明治大学ホールで行った講演を紹介した。この記事も、戦争加害責任を否定する安倍晋三への批判を込めたものであり、その批判の手段として高橋が講演で述べた明仁賛美を紹介している。いわく、「戦争責任を問われないまま、昭和天がやり残したことの贖罪の旅をやってきたのではないか」。この高橋の言葉を受けて、朝日新聞記者は、「1条は国民主権も定めている。『祈る天皇』の退位とともに列島各地に 『ありがとう平成』という感謝の言葉が広がった。政治が本来やるべき贖罪を天皇に委ね、安心して過去を忘れたかのようで、国民主権をどう機能させるかという緊張感はうかがえない」と述べ、明仁を賛美することで、安倍のような欺瞞的な政治家だけではなく、国民全般が戦争責任問題について考えてこなかったと苦言を呈した。
  また5月9日の朝日新聞「論座」では、佐藤彰もまた、「安倍首相と明仁上皇(上) 明仁上皇の思いは、安倍政にはなく、沖とともにあった」と題する記事で、明仁が沖縄県人に常に寄り添い、5回も慰霊の旅で訪問していることを、沖縄県民の米軍基地問題に対する不満を無視続ける安倍と対照させて、明仁・美智子賛美を行った。
  しかし、果たして明仁・美智子の「慰霊の旅」が本当に「贖罪の旅」であったと言えるであろうか。二人の「慰霊の旅」の目的は、もっぱら日本人戦没者の「慰霊」であって、日本軍の残虐行為の被害者の「慰霊」が行われることはほとんどなかった。時折、「お言葉」の中で、きわめて抽象的あるいは一般的な表現で連合軍側やアジア太平洋地域の住民の「戦争の犠牲者」について触れることはあっても、いずれの「慰霊の旅」でも中心はあくまでも日本人戦没者であった。しかも、そのような無数の戦争犠牲者を作り出した「原因」と「責任」に関する言及は、どの「慰霊の旅」でも、また例年の「終戦の日」の「戦没者追悼式」での「お言葉」でも、常に完全に抜け落ちていた。

  5回訪問した沖縄でも、沖縄住民の3人に1人を死亡させた責任はいったい誰にあったのかについては、明仁は全く言及したことはなかった。かくして、最も重大な責任者であった父親・裕仁の責任をうやむやにしたままの「慰霊の旅」は、結局は天皇自身の責任を曖昧にすることで、国家の責任をも曖昧にし続けた。つまり、換言すれば、二人の「慰霊の旅」は、彼ら自身が意識していようと否とにかかわらず、実際には、天皇と日本政府の「無責任」を隠蔽する政治的パフォーマンスに終わってしまっていた。その結果は、日本人の「戦争被害者意識」を常に強化する働きをしたが、日本軍戦犯行為の犠牲者である外国人とその遺族の「痛み」に思いを走らせるという作用には全く繋がらなかった

  天皇の「象徴行為」が内包しているこのような矛盾と反民主主義的性格に全く目を向けずに、天皇絶賛で日本を「一億総思考停止」の祝賀ムードに包み込んでおきながら、そのような「天皇万々歳」で安倍批判ができるなどと思っている新聞ジャーナリストの頭脳も、私には「思考停止」していると思われてならないのである。

- 完 

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