― ヒロシマを抱きよせる米国、抱きしめられたい広島と日本 ―
第2回:ヒロシマを抱きよせる米国 (その1)
1 芳名録のメッセージと大統領の「折り鶴」が意味するもの
2 「ヒロシマを抱きよせる」ことの目的と、アメリカの核戦争法マニュアル
3 自国の「歴史的暗黒面と折り合いをつける偉大な」米国と、日系アメリカ人被爆者の排除
4 「ヒロシマを抱きよせる」戦略実行はオバマの広島訪問時から始まっていた
5 被爆者を抱きしめながら米軍捕虜の霊を抱きしめることで、「ヒロシマを抱きよせる」ことに成功したオバマ
1 芳名録のメッセージと大統領の「折り鶴」が意味するもの
G7広島サミットの初日の5月19日、G7とEUの首脳9人が広島市の原爆資料館を訪問し、約40分間視察した後、被爆者の小倉桂子氏の証言を聴いたとのこと。資料館を40分で視察するというのは、かなりの急ぎ足での視察であるが、2016年5月に同資料館を訪問したオバマ大統領の場合が、ロビーでいくつかの展示資料に目を通しただけの、わずか8分あまりの文字通りの「おざなり視察」だったのに比べれば、まだマシと言えるかもしれない。オバマの場合は(韓国人を一人も含まない日本人だけの少数の)被爆者を前に、自分の演説は行ったものの、被爆証言を聴くことは全くなかった。これと比べG7首脳の場合は、たった一人とはいえ被爆者証言に耳を傾けた。おそらく、オバマの広島平和公園訪問の「おざなり視察」に対する批判を繰り返さないための配慮がとられた結果であろうと推察できる。
その後で、G7とEUの首脳9人は資料館の芳名録に記帳したが、その各人の筆記内容が公開されている。その内容を見てみると、カナダ首相トゥルードーと英国首相スナクの2人の芳名録だけが、被爆者証言を聴いての個人的感想を描出した内容となっている。他の7人のメッセージはどれもみな凡庸で、原爆被害者の筆舌に尽くし難い苦悩を、一人の人間として理解してみようという想いが全く欠落しているとしか思えない。どれも、無味乾燥な言葉の羅列でしかない。
とりわけバイデン大統領の以下のようなメッセージは、彼が、被害者の証言から、原爆がどれほど徹底的に「人間性」を抹殺する兵器であるかについて、倫理的想像力を働かせてみようという想いが全くないことを吐露しているように思える。それだけではなく、核兵器の脅威については、あたかも他人事のように、いたって軽く触れているだけである。曰く「この資料館で語られる物語が、平和な未来を築くことへの私たち全員の義務を思い出させてくれますように。世界から核兵器を最終的に、そして、永久になくせる日に向けて、共に進んでいきましょう。信念を貫きましょう。」同時に、オバマが訪問の折に彼自分が折ったと称する「折り鶴」が原爆資料館に展示されていることを前もって伝え聞いていたと思われるバイデンは、自分の「折り鶴」も原爆資料館に収蔵されるべきだと考えたのであろう、それを持参したとのこと。
「核抑止力維持」を広島サミットで強力に主張したバイデンにとっては、オバマ同様に、原爆無差別殺戮という由々しい犯罪に対する米国政府の責任を ― とりわけグラウンド・ゼロの広島という場所で ― 認めることは決してできなかったに違いない。それを認めれば、核の全面的廃絶を受け入れなければならなくなる。よって、芳名録のメッセージでも、「原爆投下」という過去の事実そのものには一切触れず、「未来」に向けての「平和構築の願い」という、何の変哲もない内容にならざるをえなかった。よって、バイデンのメッセージには、被害者となった「人間」への想見が全く含まれていない。あたかも原爆の被害にあったのは、単に「広島」という一つの「都市」だったかのような印象を与える。
一方、「折り鶴」のほうは、今では、「原爆の悲惨さ」のシンボルという意味はとっくに薄らいでしまっており、世界中ですっかり「(未来の)平和を願う」シンボルと化しているので、米国にとっても広島で「抱きしめたい」ものの一つである。なぜなら、「折り鶴」は、原爆無差別大量殺戮という「罪」と「責任」を問うことはないし、謝罪も要求しない。「折り鶴」は、健康回復を願って死の間際まで折り続けた健気な一少女の悲しい想いにだけ焦点を当てることで、もっぱら「平和の大切さ」だけを訴える。よって、米国大統領に限らず、誰にとっても、この単純な ― いや、むしろ「あまりにも単純化された」と言うべき ― 「平和希求」のメッセージは、誰が「抱きしめて」もなんら支障がない。それどころか、「折り鶴」をやさしく「抱きしめる」ことで、あたかも原爆無差別大量殺戮という過去の行為を反省しているかのような印象を与える可能性すらある。そんな理由から、米国大統領が折った「折り鶴」は、資料館を訪れる観覧者にも喜ばれることは、すでにオバマの前例で証明済みである。「心やさしい人」であるオバマやバイデンが折った「折り鶴」が原爆資料館で展示されることで、逆に、原爆無差別大量虐殺という「罪」と「責任」の問題を忘却させてしまう効果がある、ということに観覧者たち自身気がつかない。この意味で、すでに広島は、アメリカにかなり強く「抱きよせられ」てしまっているのである。
オバマ大統領が折ったと称する折り鶴 |
これに比べ、トゥルードーの次のようなメッセージには、被害者の苦悩を自分も共有したいという個人的な思いが強くあることが伺える。曰く「多数の犠牲になった命、被爆者の声にならない悲嘆、広島と長崎の人々の計り知れない苦悩に、カナダは厳粛なる弔慰と敬意を表します。貴方の体験は我々の心に永遠に刻まれることでしょう。」したがって、サミット会議が閉幕したあと、トゥルードーだけが、もう一度「じっくり見て回りたい」と平和公園と原爆資料館を再度訪れたというニュースにも、私は驚かない。
結局、バイデンの芳名録メッセージが意味するところは、以下のように要約できるであろう。広島から発信するメッセージは、米国が犯した戦争犯罪とその責任追求という「過去」を問うものであってはならない。メッセージは、あくまでも、パックス・アメリカーナ(=アメリカの軍事支配の下での平和)を受け入れ、その維持に向けて積極的な協力を各国に促す内容でなければならない。そのためには、広島という「一都市」を一瞬にして瓦解させた強力な威力を持つ大量破壊兵器が持つ「核抑止力」を、強く「抱きしめる」内容のメッセージでなければならない。そんなメッセージが、核兵器による破壊から見事に復興した広島から発信できるなら、それを大いに「抱きよせたい」、というのが、アメリカの意図するところなのである。なにしろ、広島は、アメリカが日本を原爆で徹底的に罰した「正義の制裁」から、殊勝にも「立派に復興」したのだから。
2 「ヒロシマを抱きよせる」ことの目的と、アメリカの核戦争法マニュアル
あらためていうまでもなく、バイデンが「世界から核兵器を最終的に、そして、永久になくせる日に向けて、共に進んでいきましょう」と芳名録に記したことは、日本政府がいつも使う表現、「核兵器の最終的廃棄」と全く同じである。「核兵器の最終的廃棄」という形式的目標を表明することによって、「反核」は空洞化される。こうして、「反核」という「人道的普遍原理」を空洞化したまま維持することは、為政者側にとっては政治的には非常に都合がよい。そのため「ヒロシマ」が政治的に大いに利用され、これまで様々な国際会議(核不拡散・核軍縮に関する国際会議、G7下院議長会議、G7外相会議など)がG7サミットの前にも広島で開かれてきた。そして、これからも同じような国際会議が広島で開かれるであろう。
そうした会議が発する公的「宣言」は、ほとんど全て、「核兵器廃絶」や「平和構築」という点で、実質的にはなんら有効な政策を欠いているのがその実態である。いや実質的にはなんら有効な政策を欠いているからこそ、「核被害の原点」である広島で会議が開かれるのである。なぜなら、空洞化された人道主義的普遍原理を形式的に掲げることによって、実質的には核兵器廃絶にとっては全く無効なメッセージであるにもかかわらず、それが「核被害の原点・ヒロシマ」から出されるということで、あたかも普遍原理を体現しているかのごとく装うというマヤカシを行うには、広島で会議を行うことが好都合だからである。
マヤカシの「反核普遍原理」でヒロシマを利用しながら、実際には、核抑止力によるパックス・アメリカーナという米国支配原理をグローバルに貫徹させていく。その有効な手段として「ヒロシマを抱きよせたい」、それが米国の重要な目的の一つなのだ。
ここで我々が問うべき問題は、「ヒロシマを抱きよせる」米国の「核戦略」が、広島・長崎への原爆攻撃が「無差別大量殺戮」になったことからの反省を、少しは考慮した上での「戦略」になっているかどうか、である。確かに、現在、核兵器を使用することを想定した米国防総省の戦争法マニュアルでは、広島・長崎のような無差別大量殺戮を避けるために、軍事作戦にいくつかの制約を課している。例えば、核攻撃は「軍事目標に限定した」ものでなければならないこと:作戦実施が米国にもたらす利益は、単に「仮定的または推測的」なものではなく、「明確に現実的」でなければならないこと:(民間人の)巻き添え被害は予想される軍事的利点に釣り合ったものでなければならないこと:軍需工場で働く民間人は有効な軍事標的ではないこと:軍は民間人を保護するために実行可能な予防措置を講じなければならないこと等々、その他にも多くの制約が課されてはいる。
しかし、現実には、強大な破壊力を持つ核攻撃は ― たとえ小型の戦略核兵器であれ ―「軍事目標に限定した」ものには決してならないことは誰の目にも明らかである。核兵器を使った場合の「巻き添え被害」は、「巻き添え」と呼べるような少数の被害では決してすまず、必然的に「無差別大量殺戮」にならざるをえない。「軍需工場で働く民間人は有効な軍事標的」にしないとは言っても、戦時中の軍需工場はほとんどフル稼働で、労働者が常時働いている。また、戦争が勃発すれば、民間設備ですら軍事設備に転用されるので、設備に民間と軍事の違いがなくなり、全てが簡単に軍事目標となる。よって、民間人を被害者にしない軍事設備破壊というのは、まさに空論である。つまり、核兵器使用の軍事作戦は、どうしても「仮定的または推測的」なものにならざるをえないし、「民間人を保護するために実行可能な予防措置を講じる」ことなど不可能である。こんなことはいまさら議論するまでもなく、明白なのであるが、米国防総省としては、建て前だけでも、「無差別大量殺戮」に制約を課しているというスタンスだけはとっておく必要があるのだろう。
オバマ政権は「米国は意図的に民間人や民間物を標的にすることはない」と大々的に表明した。そのオバマ政権下で、無人爆撃機ドローンの使用がアフガニスタン、パキスタン、イエメン、ソマリアなどで大幅に拡大され、病院や学校などを含む多数の誤爆から、大勢の民間人が殺傷された。米軍による無人爆撃機ドローンの使用は、トランプ政権でも、さらにはバイデン政権でも引き続き行われており、今や米軍の全ての攻撃機のうち3分の1が無人機になったとも言われている。さらには、つい最近、バイデン政権下の米国政府は、ウクライナ支援のための武器供与の一つとして、無差別殺戮爆弾であるクラスター爆弾を供与することを決定した(周知のようにクラスター爆弾禁止条約<いわゆるオスロ条約>は2008年に採択され、締約国は123カ国に上っている)。
こんな状況の下で核兵器が使用されるならば、意図的であろうとなかろうと、結局は大勢の民間人が無差別に「標的」にされることは避けられない。すなわち、米国防総省の戦争法マニュアルは「言葉の遊び」で、端的に言うならば、これまた「大嘘」なのである。
政治家や軍人は、なぜこんな「大嘘」を、恥ずかしくもなく堂々と公言するのだろうか。オーストリアの作家カール・クラウス(1874―1936年)は、第1次世界大戦の自己体験から、「戦争とは嘘の体系である」と主張した。しかし、「戦争とはその準備段階から嘘の体系である」と言うのが、もっと正しいのではなかろうか。ところが問題は、どこの国でも、そんなあからさまな嘘を簡単に信じてしまう国民が、いつもいるからでもある。
3 自国の「歴史的暗黒面と折り合いをつける偉大な」米国と、日系アメリカ人被爆者の排除
1921年5月31〜6月1日に、米国のオクラホマ州タルサ市で、白人暴徒が黒人居住地区であるグリーンウッド地区を攻撃し、住居や店舗、学校、教会、病院などを襲撃。その結果、多くの建物が焼失し、100〜300名が殺害されたと推定されている。通称「タルサ人種大虐殺事件」と呼ばれており、米国最悪の人種虐殺事件と言われている。2021年6月1日には、「タルサ人種大虐殺100周年追悼記念式典」が行われ、式典に参加したバイデン大統領は、次のように述べた。曰く「(人種間の)共通の基盤を築く唯一の方法は、(そのような社会)基盤を真に修復し、再建することである。沈黙を続けることで傷は深まるからだ。そして、ただ- 痛みは伴うが -事件を思い出すことによってのみ、傷は癒える。私たちはただ、思い出すことを選択しなければならない。……偉大な国家は、その暗黒面と折り合いをつけるものだ。」(強調:田中)
これに先立つ同年2月19日、第2次世界大戦中に約12万人の日系アメリカ人が収容所で苦しい抑留生活を強いられたことを記念する「日系アメリカ人抑留記念日」に当たり、バイデン大統領は以下のような声明文を発表した。
「アメリカは、万人のための自由と正義という建国の理想に応えることができなかった。そして今日、私たちは、こうした政策が日系人に与えた苦痛に対して、米国連邦政府が正式に謝罪することを再確認する。日系アメリカ人の強制収容はまた、体系化された人種差別、外国人排斥、移民排斥主義がもたらす悲劇的な人的結果を思い起こさせるものでもある。私は、この憎悪に満ちた政策に立ち向かった多くの日系アメリカ人の勇気を思い起こす。その中には、日本人強制収容に反対し、希望の象徴として戦ったフレッド・コレマツのような公民権運動の指導者も含まれている。彼らの遺志は、市民的自由が力強く擁護され、保護されなければならないことを私たちに思い起こさせる。」(強調:田中)
このように、バイデンは米国内での人種虐殺事件や戦時中の人種差別の結果、多大な苦痛を受けた被害者たちには深く謝罪し、そのような暗い歴史を記憶に留めることで、米国のような「偉大な国家は、その暗黒面と折り合いをつけるものだ」と、誇らしげに述べている。
ところが、同じ日系アメリカ人でも、広島への原爆無差別攻撃で被害にあい、放射能汚染による病気を患っているアメリカ市民に対しては、米国政府は、謝罪はもちろんのこと、何の補償も一切与えてこなかったし、今も与えていない。原爆攻撃当時の広島市内には、太平洋開戦以前に親戚への訪問や日本国内への留学を理由として来広し、開戦によって帰米できなくなり、そのまま広島に在住していて被爆した日系アメリカ人=アメリカ市民が大勢いた。戦後、そのうち約1,000名がアメリカへ再移住(=帰国)したと言われている。原爆を生き残ったこれら1,000名の上に死亡者数を含めれば、被害者総数は数千名にのぼるものと推定される。これらの日系アメリカ人被爆者たちは、1970年に原爆被害者協会(CABS: Committee for A-bomb Survivors)を設置し、米国政府に対してCABS メンバーの被爆の認知と医療費の無料化を求める運動を開始した。しかし、アメリカ政府の反応は極めて否定的で、医療保障の提供を拒否している。(この後、日系アメリカ人被爆者の中には日本政府の医療保障を受けるようになった人たちが少数いる。)
もちろん、バイデンやオバマを含め、戦後の歴代の大統領で、日系アメリカ人被爆者に対して謝罪したものは一人もいない。ちなみに、1990年、米国議会は、核実験によって負傷したアメリカ人に障害者援助を提供するための「放射線被爆者補償法」を通過させた。しかし実際には「補償」という名称は欺瞞であって、一度限りの5万ドルの支払いに過ぎず、継続的な医療費の無料化は全くないし、被害者たちのために制度化された医療制度が立ち上げられたわけでもない。補償法には「謝罪」の言葉が、一応含まれてはいる。しかし、放射線を浴びた被害者が補償を受けるには、「米国政府の責任を問わず、今後司法手続きには訴えないない」とする書類に署名しなければならない。日系アメリカ人被爆者には、この一回限りの「補償費」すら、与えられていない。こうした米国政府の態度は、「核抑止力」維持という「核兵器の抱きしめ」政策と決して無縁ではない。
4 「ヒロシマを抱きよせる」戦略実行はオバマの広島訪問時から始まっていた
日系アメリカ人原爆被害者に対する差別は、バイデンだけではなく、後述するように、オバマにもはっきりと見てとれる。オバマもまた米国内における人種(とくにアフリカ系アメリカ人)差別や貧困者差別などの解消に向けては、それなりの努力をしたことは周知のところである。そのオバマが2016年5月27日に広島の原爆資料館と平和公園を訪れ、資料館では8分ほどの視察を、平和公園ではごく少数の招かれた被爆者を前に、17分ばかりの「所感発表」と称する演説を行った。
まずは、その所感発表で、オバマが原爆無差別殺戮の「罪」と「責任」を認めることを、いかに徹底的に拒んだかを見ておこう。演説の冒頭の発言は次のようなものであった。「71年前、晴天の朝、空から死が降ってきて世界が変わった。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自分自身を破壊する手段を手に入れたことを示した。」原爆攻撃を、「空から死が降ってきて……閃光と炎の壁がこの街を破壊した」とあたかも天災のごとく描写した。まずこの冒頭の表現で、原爆無差別大量殺戮問題にとって最も重要な問題、つまり「罪」の問題を取り上げることを彼は拒否した。いったい誰が、どんな理由で、どれほど残虐な殺戮破壊行為を犯したのかを確認し、言明することを被害者の前で拒否した。
そして次の文言、「人類が自分自身を破壊する手段を手に入れた」という表現で、今度はその「罪」を「人類」全体に負わせてしまい、そのことによって自国の責任、とりわけ責任を最も強く継承しているはずの米国政府の首長である大統領としての自己の責任を認めることを拒否した。つまり、最初の一言で、原爆無差別大量虐殺という犯罪にとって決定的に重要な2つの問題、すなわち「罪」と「責任」について、認識することを完全に拒否したのである。畢竟、「罪」を「人類」全体に負わせてしまい、誰の「責任」でもないということにしてしまったということは、オバマは、原爆による「都市破壊」を一種の「天災」にしてしまったと言えるのである。なにしろ、「死は、空から降ってきた」のだから。
したがって、所感発表のその後の内容が、いかに空虚で無意味なものとなるかは、もはや聞くまでもなく想像できたことであった。人類全てに「罪」があるならば、誰にも「罪」はないということになり、よってその「責任」も誰もとらなくてもよいということになる。事実、オバマもバイデンもアメリカには「罪」も「責任」もないと考えているに違いない。したがって、もちろん「謝罪」の言葉もなかった。
実は、その前年の2015年の夏に、翌年のG7外務大臣会合の開催地に広島が決定したことを受けて、当時外務大臣であった岸田文雄と外務事務次官の斎木昭隆の二人が当時の米国大使キャロライン・ケネディに会い、オバマの広島訪問を要請した。その折、岸田と斎木は、日本側はオバマには「謝罪」を要求することはないと伝えていたのである。最初から大統領が「謝罪」することなど考えてもいなかった米国政府にとっては、日本政府側のこの態度は極めて好都合であったことはいうまでもない。したがって、オバマの広島訪問を前にして、ライス大統領補佐官(国家安全補償問題担当)が「興味深いことに日本は謝罪を求めていないし、私たちはいかなる状況でも謝罪しない」と堂々と述べたのも全く不思議ではない。(私たち広島の有志は、2014年2月に公開書簡をオバマとケネディ宛に送り、オバマが広島を訪問するならはっきりと「謝罪」すべきであるという意見を伝えておいた。この書簡の英語版が同年2月5日に Japan Times 紙にも掲載されたが、岸田と斎木の発言は、その私たちの「謝罪要求」を意識しての言動と思われる。)
「罪」も「責任」もうやむやにしてしまったとはいえ、オバマは全く被害者に触れないわけにはいかなかった。なにしろ、彼の目の前には、少数とはいえ、被爆者たちが座って、彼の言葉に耳を傾けているのだから。しかし、この被爆者問題にどういう形で演説の中で触れるかについては、すでに前もってオバマ(ならびに彼のスピーチ・ライター)が周到に考え抜いて、原稿を用意していたようである。
オバマは原爆被害者の数に触れて「10万人を超える日本人の男女と子供たち、数千人の韓国人、12人の米国人捕虜の死を悼むために私たちはここにやって来た(We come to mourn the dead, including over 100,000 in Japanese men, women and children; thousands of Koreans; a dozen Americans held prisoner)」と述べた。(注意すべきことは、Koreans を「韓国人・朝鮮人」と和訳しているものがあること。しかしオバマ本人は、韓国と北朝鮮の両方の被害者を含める形で Koreans を使ってはいない。ここでは「韓国人」だけを意味するものとして使っていると思われる。もう一つ注意すべきは、広島での韓国人<当時の「朝鮮人」>の推定死亡者数は約3万人であって、「数千人」というような数ではない。)
被害者の中に日本人、韓国人、米国人(捕虜)がいたとオバマが指摘しているにも関わらず、日系アメリカ人が含まれていないことに驚く人たちもいるであろう。この点について、もう少し深く考察してみよう。
オバマのこの指摘 ―「天災」的な原爆の被害者の中には、日本人だけではなく、米国人も韓国人もいたという指摘 ― の裏には、「米日韓の三国は同盟国」であるということをこの場で再確認し、そのことを日本だけではなく韓国にも想起させておきたいという政治的メッセージが込められていたのである。なぜなら、オバマの広島訪問の真の目的は、米日軍事同盟 ― 実際には米国による日本の軍事的属国化 ― 関係の強化のために、さらにはその延長として米韓軍事同盟の強化のために、「ヒロシマを抱きよせる」ことにあったからだ。「抱きよせる」ためには、米日韓の各国から「被害者」が出たこと ― “私もあなたも、人類が犯した罪の同じ被害者” ― を強調することが都合良い。(ところが、「史上唯一の被爆国」を売り物にして「戦争被害国」であることを強調することで、「加害責任」を隠蔽しようといつも躍起になっている日本政府は、最初から、この場に韓国人被爆者を1名たりとも招待するつもりはなかったのだ。)
しかし、ここでは、「数千人」が死亡したと推定可能な米国市民=日系アメリカ人については全く言及がない。まるで敵国市民扱いである。これは一体なぜであろうか?先にも見た通り、米国政府は、アメリカ国内における米国市民の「人権擁護」には、一応、熱心に取り組んでいるという姿勢をとっている。同じ日系市民である約12万人を、戦時中に収容所に閉じ込めてしまったことに対しては、明確に且つ繰り返し「謝罪」している。
原爆による21万人(内4万人は朝鮮人)にのぼる広島・長崎市民の無差別大量殺戮、それに続く8月15日の日本の降伏を、日本軍国主義ファシズムに対する「自由と民主主義の勝利」と米国は誇り高く主張した。同時に、トルーマン大統領は、戦争終結を早め「多数の民間人の生命を救うため」に原爆を投下したと述べて、アメリカ政府が犯した重大な戦争犯罪=「人道に対する罪」の責任をごまかす神話を作り上げた。かくして、「正義の戦争」の目的達成のために使われた手段であるという理由で、核兵器使用と核抑止力は正当化されてしまった。よって、この正義の戦争に勝利をもたらすために必要であったと主張する原爆攻撃で、数千人にものぼる多数の自国市民=民間人を虐殺してしまったという事実を認めることは、自国民の「人権擁護」をしっかり行っていると自負する米国政府にとっては、極めて都合が悪い。
なぜなら、このような「米国市民」を被爆者として米国政府が公式に認め、補償の対象とするならば、原爆攻撃の「罪」と「責任」を認め、日本人・韓国人のすべての被爆者に対して「謝罪」と「補償」をしなければならなくなる。これでは「ヒロシマを抱きよせる」どころか、逆に「ヒロシマに抱き込まれ」てしまう。そこで、被爆した日系アメリカ人 ― 米国政府にとって幸いなことに、そのほとんど全員が日本人の血統を持ったアメリカ人 ― の数を、日本人被害者総数の中に入れてしまい、誤魔化してしまったというのが真相ではなかろうか、というのが私の推測である。今もその誤魔化しを、オバマを含む歴代大統領は継承しているものと思われる。
5 被爆者を抱きしめながら米軍捕虜の霊を抱きしめることで、「ヒロシマを抱きよせる」ことに成功したオバマ
オバマは、演説が終わるや、当時日本被団協代表委員であった故・坪井直氏の手を握りながら、坪井氏が話しかけるのに数分間耳を傾けた。しかし、当時の映像を観る限り、オバマの方から坪井氏に何かを語りかけることはなく、ただ黙って坪井氏の発言を聞いていただけだ。次に、被爆死亡者の中に12人の米国人捕虜がいたことをつきとめ、彼らのことを詳しく調査してきた被爆者の森重昭氏をやさしく ― 文字通り抱きよせた。森氏に特別のお礼を述べて労わったのである。森氏もこれに感激したようで、むせび泣きながらオバマに ― しっかりと抱きよせられた。坪井氏に対しては、どちらかと言えば冷ややかな態度で対応したオバマが、森氏に対してはまるで「身内」のような振る舞いをみせた。この違いはなんであろうか?
被爆者・森重昭氏を抱きよせるオバマ大統領 |
森氏は、原爆攻撃当時、広島市内の中国憲兵隊司令部などで取り調べを受けていた米軍捕虜について、長年調査してきた被爆者である。当時、広島には捕虜収容所は存在しなかったが、日本上空で撃ち落とされた米軍空爆機の乗務員たちの中で、広島県や山口県内に不時着して生き延び、捕虜となった米軍兵がいた。これらの捕虜の中には、捕虜収容所に移送される前に、広島市内の中国軍管区司令部や憲兵隊司令部に送られて、米軍空爆機の動きについて尋問される者たちがいた。原爆攻撃当時、広島市内にはそのような米軍捕虜が12名いたのである。
この12名について調査を続けてきた森氏がインタビューに応える記事が、今年8月5日の「朝日新聞」に掲載されている。このインタビューで森氏は、「僕は米兵を敵じゃなくて人間と思った」、「相手を一人の人間と見たら悲しみもみんな同じ」、「相手を憎むのではなく尊敬するということです。憎しみが戦争につながる」と述べており、原爆無差別大量殺戮の「罪」と「責任」については、全く問うことをしていない。被爆者でありながら、米国が犯した「罪」と「責任」を問わない森氏は、米国大統領にとっては好都合な人物である。先にも述べたように、“私もあなたも、人類が犯した罪の同じ被害者”というオバマの主張で、ピッタリと「抱きしめる」ことができる被爆者である。
被爆者である森氏を抱きよせながら、実は、オバマは広島で被爆し亡くなった12名の米軍捕虜の霊を「抱きしめる」ことで、「ヒロシマを抱きよせる」ことに、ある程度、成功したのである。なぜなら、森氏を抱きしめることで、広島市民をはじめ日本人に、「ヒロシマを抱きしめている」ことをアピールすることができた。同時に、日本に対する「正義の戦争」を1日も早く終わらせるために、原爆ではなくても焼夷弾で日本の市町村を徹底的に破壊する上で英雄的な行動をとり、その結果「犠牲者」となったアメリカ軍人を「抱きしめる」ことを、アメリカ市民に対して強烈にアピールすることができたからである。こうして「ヒロシマを抱きしめる」ことで、原爆無差別大量殺戮の罪と責任だけでなく、焼夷弾による日本全国の(少なく見積もっても50万人と私は推定する)無差別大量殺戮という由々しい戦争犯罪の罪と責任をも、オバマは忘却させてしまった。
森氏へのインタヴューを行った朝日新聞の副島英樹・編集委員は、「取材を終えて」で次のように述べている。
「森さんの語りは過去の歴史ではなく現在につながる教訓だ。ウクライナ戦争の衝撃でメディアも世論も好戦的になっていないか。敵も味方もない、同じ人間だとの思考に立ち返り、戦争はいけないという当たり前のことを今こそ再確認できないか。被爆国日本の立ち位置はそこにあるはずだ。」
「敵も味方も同じ人間」、同じ人間が「憎しみあうことから平和/幸せは生まれない」としばしば言われる。確かに「当たり前」である。しかし、同じ人間同士が殺しあう戦争で、敵であろうと自分であろうと、人間が他者に対して犯した「罪」を、「同じ人間がやったことだから赦しましょうよ」などと ― そんな簡単なことで、戦争は決して避けられない。なぜなら、自他にかかわらず、人間が犯した「罪」を問うことは、同じような過ちを誰にもふたたび犯させない、という未来に向けての我々の人間としての「責任行為」だからである。その「責任」をほったらかしておいて、「憎しみはいけませんね」、「罪を赦しましょうね」などと呑気なことを言うのは、無責任極まりない。
私たちの父や祖父の年代の日本軍兵士がアジア各地で犯した様々な残虐行為を、「敵も味方も同じ人間」、「憎しみあうのはやめましょう」と ― 例えば南京大虐殺記念館で ― 言ってすませるであろうか。「戦争はいけないという当たり前のことを今こそ」いかに「再確認」するかを問わずして、副島編集委員が言う「被爆国日本の立ち位置」を、真の意味で築くことなどできるはずがない。
「被爆国日本」は、あらためて言うまでもなくアジア太平洋の人々にとっては「戦争加害国」でもあった。その被爆国としての日本が、米国が日本人に対して犯した戦争犯罪の罪と責任を問わない。自分たち自身が被害者となった米国の原爆無差別大量殺戮という犯罪の加害責任を厳しく問うことをしてこなかったゆえに、われわれ日本人がアジア太平洋各地の民衆に対して犯したさまざまな残虐な戦争犯罪の加害責任も厳しく追及しない。自分たちの加害責任と真剣に向き合わないため、米国が自分たちに対して犯した由々しい戦争犯罪の加害責任についても追及することができないという、二重に無責任な姿勢の悪循環を産み出し続けてきた。それゆえにこそ、米国の軍事支配には奴隷的に従属する一方で、アジア諸国からは信頼されないため、いつまでたっても平和で友好的な国際関係を築けない情けない国となっている。これが、現在の「被爆国日本の立ち位置」なのである。こんなことすら理解できない人物が編集委員を務める「朝日新聞」は、なんとも情けない。
日本が、戦後長く抱え込んできたこの決定的な欠陥に、日本人の我々が真剣に立ち向かってこなかったからこそ、今再び我々はアメリカによる狡猾な「ヒロシマを抱きよせる」戦術に、いとも簡単に「抱きよせられて」しまうのである。
<次回 ヒロシマを抱きよせる米国 (その2)に続く>