Entwined
Atrocities: New Insights into the U.S.-Japan Alliance
(日本語の説明は英語説明の後をご覧ください)
My new book titled Entwined
Atrocities: New Insights into the U.S.-Japan Alliance with a Foreword by
John Dower was released on March 20. It is a rather thick volume, illustrated
with many photos (more than 30), which makes it somewhat expensive – possibly
too expensive for personal purchase, although I hope university and public
libraries will acquire it.
https://storage.googleapis.com/flyers.peterlang.com/March_2023/978-1-4331-9953-0_normal_English.pdf
Synopsis
Why did the Japanese fail to develop a sense of
collective responsibility for the wartime and colonial atrocities they committed, and why do they
continue to fail to do so? Of course, a sense of responsibility is closely
interlinked with a sense of justice, and the collective sense of justice is an
essential factor for the idea and practice of democracy. Therefore, the
Japanese inability to properly deal with its war responsibility is not simply a
historical problem. Indeed, it is fundamentally a problem of Japan’s “democracy.”
To understand why Japan’s collective sense of justice is
so feeble, it is not enough simply to consider the domestic reasons for the
deficiency of a collective sense of war responsibility among the Japanese.
Through detailed examination in the chapters of this book, I am going to show
how the Japanese attitudes to Japan’s own war responsibility have long been and
still are closely intertwined with the American attitudes to both American and
Japanese war responsibilities. In my view, it is precisely this intricately interwoven
relationship between the U.S. and Japan which has contorted Japan’s postwar “democracy,”
and still strongly characterizes it in a specific way.
Repeated denial of Japan’s war atrocities by the Japanese
government and the perpetual absence of a deep sense of war responsibility
among the Japanese populace are the results of complex historical processes of
the interrelationship between the victor and the defeated nations. Japan’s
present “democracy” is founded on this basis. Historians have so far failed to
examine the absence of Japan’s collective sense of war responsibility from the
viewpoint of the interrelationship between Japan and the U.S.
The aim of this book is therefore
to unravel the entangled U.S.–Japan relationship over war responsibility by
closely analyzing two vital issues—first, the firebombing and atomic bombing,
and second, Japan’s peace constitution—and to elucidate how these issues are
historically intertwined.
Part I: “Fire Bombing and Atomic Bombing” investigates
the bombing which took place towards the end of the Asia-Pacific war, in order
to fully understand how the issue of responsibility for indiscriminate aerial
bombings of Japan by the U.S. forces —serious crimes against humanity—was dealt
with, or more precisely, was not dealt with. We need to examine the bombings
not only from the viewpoint of the perpetrator but also from the victim’s
perspective, in particular that of Japan’s wartime emperor-fascism regime. It
was not only the U.S. government, but also the Japanese government, who
politically exploited the immensely destructive power of fire and atomic
bombings.
Part II: “The Peace Constitution and the Emperor System”
clarifies how Emperor Hirohito’s war guilt and responsibility—and the U.S. war
crimes of indiscriminate aerial bombings—were concealed by collaboration
between U.S. and Japanese authorities, and how this complicity between the two
nations consequently contributed to deforming the so-called postwar democracy
of Japan. These questions are explored through close examinations of the
process of drafting the so-called Peace Constitution and of maintaining Japan’s
emperor system by making the emperor “the mere symbol of the Japanese.” Entwined
factors are not just historical; the ways in which historical events are described
and recorded have also been playing a critical role in formulating the official
histories of the U.S. and Japan. Even these official memories are based on the
entangled U.S.–Japan relationship.
Part III: “Memories and Symbolism of War” of this book
examines how the ways of remembering events were invented and are still
maintained, manipulated, and promoted by U.S. and Japanese state authorities,
often in close collaboration. However, I also discuss how we as civil society
should create our own ways of remembering and acknowledging the relevant
historical events, in order, as Theodor Adorno recommends, to “work against a
forgetfulness” and against “the justification of what has been forgotten.”
The book is comprised of 11 chapters including a Prologue
and Epilogue, and Parts I, II and III each consists of three chapters.
For your
information, I have listed links to Peter Lang and Amazon below.
https://www.peterlang.com/document/1285367
https://www.amazon.com/Entwined-Atrocities-Insights-U-S-Japan-Alliance/dp/143319953X/ref=sr_1_1?crid=UQ74NYE2CAZP&keywords=Entwined+Atrocities&qid=1668179658&sprefix=entwined+atrocities%2Caps%2C243&sr=8-1
I hope this
will be of interest.
Best wishes,
Yuki
Tanaka
拙著出版案内
Entwined
Atrocities: New Insights into the U.S.-Japan Alliance
出版社 Peter Lang 2023年3月20日
私は2019年5月に、『検証「戦後民主主義」:わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』(三一書房)を上梓した。しかし、周知のように、日本では今や自国の戦争責任を厳しく追求するような内容の出版物の売れ行きはひじょうに悪い。天皇裕仁の戦争責任を真正面から問う議論を含む拙著のような本は、なおさら売れない。よって、本の値段の点からも、一定のページ数を超えないような本に限定しなければならなかった。
2020年の歳明けから、私はこの日本語の拙著をもとにしながらも、自分が長年考えてきた日本の戦争責任問題に関するさまざまな問題点を、出来るだけ詳細に分析、叙述する英語の著書の執筆に取りかかった。幸か不幸か、パンデミックのためにほとんど自宅に閉じこもり状態になった2年間を執筆に専念することができ、2022年の2月ごろまでに原稿を書き終えたが、原稿の長さからすれば、日本語著書の原稿の倍近くになってしまった。本書は序章と結論を含めて全部で11章から構成されており、序章と結論以外は3部に分かれており、各部がそれぞれ3章から成っている。第1部は「焼夷弾と原爆」、第2部は「平和憲法と天皇制」、第3部は「戦争の記憶と象徴(表現)」となっている。
出来上がった原稿を米国と英国のいくつかの学術専門書の出版社に送った。本の内容には問題がないのであるが、別の問題があった。それは、最近英語圏では中国関連の研究書籍には需要が多いが、それとは対照的に日本関連の書籍の出版に対する需要が急速に減少したため、部厚い本で高額になる日本関連の著書の出版は、出版社もあまり乗り気でないこと。とくに、漫画研究のようなポピュラー・カルチャー分野の研究書なら別だが、戦争責任問題は英語圏でも長文の研究書は敬遠されるようで、どこの出版社も大幅な原稿カットを要求してきた。
そこで、長年、個人的な交流を通して多くの助言をいただいてきたジョン・ダワー教授に原稿を送り相談した。その結果、本の題名をEntwined Atrocities (絡み合った残虐行為)という題名にするようにとの助言を受けた。私がこの著書で最も主張したかったのは、日本人の戦争加害責任意識の希薄性は、米国が日本に対して犯した焼夷弾・原爆無差別殺戮という戦争犯罪に対する独特の被害者意識と複雑に絡み合っているのであり、その絡み合いを解きほぐさなければ、日本人の戦争責任問題は解決できないというものであるので、この本のタイトルはまさにその本の内容を象徴的に表している。したがって、この題名を一目して、これは素晴らしいと大いに感謝。さすが
は「Embracing Defeat 敗北を抱きしめて」という見事な題名を自分の著書のために考えだすダワー教授だと、感嘆した次第である。
その上、ダワー教授は、とても親切なことに、出版社向けに拙著の推薦状まで書いてくれ、これを自由に使って出版社を見つけるようにと、とてもありがたい力添えをいただいた。そこで、スイスに本部を置き、米英欧州の主要諸都市に事務所を開き、英独仏の3カ国語で人文・社会科学分野の学術書を広く出版している Peter Lang に、ダワー教授の推薦状を添えて送った。原稿が2人の専門家の査読の結果、全くカットなしで、全文をそのまま出版するという嬉しい結果となり、出版社を見つけるのに少々時間はかかったが、なんとか出版にまで漕ぎつけることができた。当初は今年1月末に発売予定であったが、校正原稿の完成版作成の段階での出版社編集部の手違いから、実際には3月20となった。
ダワー教授の推薦状は拙著の内容を、著者自身がとても書けないような、素晴らしく簡潔な文章で纏めているので、たいへん僭越ながら、その推薦状の一部を和訳して紹介させていただく。
「Yuki Tanaka(田中利幸)の今回の著書は、これまでの彼の研究にとって重要な要素であったいくつかの枢要な問題を密接に関連づけるという点で、真に独創的である。一つは、日本の残虐行為と戦争犯罪である。もう一つは、米国の戦略的核攻撃による民間人殺害の犯罪性である。第三は、天皇の戦争責任に関する戦後直後の日米両国による隠蔽工作(そしてこれがアメリカの空爆の非道な性質の隠蔽工作とどのように結びついているか)である。第四に、この二重の隠蔽体質が、いわゆる平和憲法(1947年施行)に固有の矛盾を生み出し、それが現在も改正されずに残っている。最後に、このダイナミックな連関を理解することで、現在の日本の民主主義の欠陥と失敗をよりよく理解することができるという点に焦点を当てる。このような複雑かつ密接な比較分析は、現代の日米研究において前例がない。これは間違いなく、真剣に耳を傾けるに値する。」
この推薦状の全文を拙著の「前書き」として使用することにもダワー教授に快く承諾していただき、感謝に絶えない。
さらに、本の裏表紙には、ガヴァン・マコーマック(オーストラリア国立大学名誉教授)とローラ・ヘイン(ノースウェスタン大学歴史学部教授)のお二人の、日本近現代史を専門とする傑出した歴史学者からも過分のお褒めをいただき、正直なところ少々恥ずかしい次第であるが、ここに和訳を紹介させていただく。
「日本史研究者の田中利幸は、ライフワークとして取り組んできた、日本の戦争責任、日米関係、日米の戦争犯罪、天皇制という壮大なテーマについて、研究成果を本書の中で紹介している。綿密な史料調査と個人的・政治的主張を組み合わせ、現在の日本の国家構造と日米国家間の協力システムには、70 年にわたる誤魔化し、隠蔽、操作の企てという根本的な欠陥があるとして、それらに立ち向かうよう日米の市民社会に呼びかけている。しかも、状況はますます不安定になっていると彼は主張している。田中の先鋭的で、様々な問題に言及する論考は、一読に値する。」ガヴァン・マコーマック(オーストラリア国立大学名誉教授)
「本書は、名目上民主的であるはずの日本が、なぜ今日、自滅的な外交政策に陥っているのかについて、数十年にわたって慎重に検討してきた成果をまとめた興味深い書物である。著者は、この現象を説明するために、戦後の日米政府の協力関係に焦点を当て、皮肉にも、日本が第二次世界大戦中に敵対していた米軍による日本民間人への爆撃の米国の責任回避に、日本がいかに協力したかという問題の考察も含めている。戦後日本の政治体制における天皇の位置づけ、1945 年の降伏決定、日本の帝国史、戦後日本における核兵器の政治学など、ほとんど知られていない研究成果に基づいた、多くの示唆に富む論考である。」ローラ・ヘイン(ノースウェスタン大学歴史学部教授)
最後になったが、本書の表紙の絵について簡単に説明しておきたい。この絵の作者は、近年ひじょうに注目が高まっている四國五郎氏(1924-2014年)の作品で、実は山口勇子 原作/沼田曜 語り文/四國五郎 絵 『おこりじぞう』(金の星社 1979年)の絵本に使われている絵である。実際にスケッチしたものではなく、四國五郎氏の想像に基づいて描かれており、右端下に描かれている野花は、完全に破壊され全てが瓦礫となった広島に植物が再生しているという状態に、あらゆる生命の復活への望みが象徴的に表現されている。この絵を拙著の表紙にぜひ使用したいという私の強い希望に対して、四國五郎氏の御子息と御息女である四國光、松浦美絵のご両人からの許可をいただき、さらに金の星社からも寛大なご配慮をいただき、使わせていただいた次第である。心から感謝を申し上げる次第である。
このブログの読者の方たちの中に、英語圏で拙著に興味のあるような人をご存知であれば、情報を拡散していただければたいへんありがたい。また大学関係者の方には、大学図書館で購入していただくようなご配慮をいただければ光栄である。値段が高い(米ドル $114.95)ので個人購入を著者は期待していないが、ぜひ図書館で入手していただければと願っている。
購入は下のリンクから:
Peter
Lang
https://storage.googleapis.com/flyers.peterlang.com/March_2023/978-1-4331-9953-0_normal_English.pdf
https://www.peterlang.com/document/1285367
Amazon
https://www.amazon.com/Entwined-Atrocities-Insights-U-S-Japan-Alliance/dp/143319953X/ref=sr_1_1?crid=UQ74NYE2CAZP&keywords=Entwined+Atrocities&qid=1668179658&sprefix=entwined+atrocities%2Caps%2C243&sr=8-1