ベルリンからの報告
はじめに
今から117年前の1904年のニューヨーク市における婦人参政権を求めるデモを起源として、国連が1975年に3月8日を「国際女性デー」と定めてから今年は46年目。女性に対する暴力、とりわけ性暴力の防止という点から歴史を省みてみると、事態の改善は、日本だけではなく世界的に、本当に「遅々としたものである」としか言えないように思えます。しかしそれでも、この数年間は#MeeToo運動の世界的な高揚の影響が世界各地で見られるようになり、女性被害者が勇気を出して声をあげることができるような被害者支援運動がますます強まってきました。
ベルリンでは、その3月8日、ミッテ区に設置されている「平和の像」の前で「国際女性デー」記念集会が開かれ、200人ほどの市民が集まったとのこと。報道によると、この集会では、「日本軍慰安婦」被害問題だけでなく、DV(家庭内暴力)反対から、妊娠中絶、少数民族の人権問題まで、女性と人権に関する様々な声があげられたとのこと。「平和の像」が 単に日本軍性奴隷被害だけを記憶するためのものではなく、あらゆる性暴力の犠牲者を記憶し、性暴力防止のためのシンボルとして強力な意味を付与されたものとして捉えられていることが理解できます。
ところが、日本では、滋賀県議会の2月15日の定例会議に、日本政府に「元慰安婦」の女性への損害賠償支払いを命じた1月の韓国ソウル中央地裁の判決(2月3日のこのブログ「『人間の生き方』が問われている日本の戦争犯罪責任問題」を参照)を非難し、日韓政府に対応を求める提案が自民党県議によってなされ、賛成多数で同日可決されたとのこと。かくして、滋賀県議会議員たちは、自分たちの歴史認識の決定的な誤謬と性暴力に対する時代遅れの対応という、世界に恥ずべき思考と行動を堂々と曝け出したのです。こうした日本の状況を変えていくには、もっともっとジェンダー関連問題での市民運動を広め強め、日本人全体の「ジェンダー意識」を根本的に変革していく必要があります。
そんな現在、ベルリンの「平和の像」をめぐる現状説明を、ベルリン在住の梶村道子さんに、「日本軍『慰安婦』問題解決ひろしまネットワーク」のニュースレターの最新号に寄稿していただきました。梶村さんのご許可をいただき、ここに転載させていただきます。
平和の像を受け入れたベルリン・ミッテ区
梶村道子
2020年9月28日、ベルリンの市街地にあるミッテ区に平和の像(以下、「像」とする)が設置された。除幕式には、区の文化担当者やラーヴェンスブリュック女性強制収容所記念館の前館長らが参加、李容洙さんと正義連の李娜栄さんのビデオメッセージも届いたが、早々に官房長官の発言や日独外相電話会談が報じられた日本と異なり、地元では特に注目されなかった。
その10日後の10月7日に区が像の認可を取り消し、設置者のコリア協議会に1週間後の撤去を命じたことで、事態は急転する。地元メディアが、「州政府は日本大使館とミッテ区と話し、迅速な解決を図った」と報じると、コリア協議会を知る市民やミッテ区の諸政党が動き、その結果、一年間の認可は保証され、恒常設置を区に求める議案が区議会で可決された。この間二ヶ月。コリア協議会の人たちは、ベルリンの市民社会から様々な抗議行動を引き出した。公開書簡のオンライン署名で国内外の研究者・市民から3000筆を集め、10月13日の区役所前のデモと集会には300人の市民が参加、「右翼に対抗するおばあちゃん」のベルリン支部は区議会前で声援を送った。像の傍でのスタンディング・デモは今も続いている。しかし、今回決定的な役割を果したのは、区の判断に抗して像の支持に回り、区議会を動かしたミッテ区の進歩的諸政党[i]だろう。
像は、ミッテ区の「都市空間の芸術」という文化政策の枠で認可された。これは、区民が芸術作品の屋外での設置を申請し、区の審査委員会の審査を経て、一定期間の設置が認可される仕組みで、区議会は特に関与を求められない。像もこの規定に則り申請・認可されたのであり、設置前に、グレンデールやサンフランシスコ市の事例にみるような地域や議会での広範な議論は行われていない。
だが、日本政府の干渉と、独外務省の意向を受けたベルリン州政府の介入に区長が屈し、一方的に認可を撤回したことへの、諸政党の対応は迅速だった。10月12日には社会民主党ミッテ区支部が像の維持と開かれた議論を要求し、緑の党も、同日臨時の議員団会議で認可とり消しの撤回要求を全会一致で決め、翌日の抗議デモへの参加を宣言、左派党は、次回11月5日の定例区議会に向けた超党派行動のイニシアティブを取ると明言する。その際、彼らが強調したのは、認可を取り消せば、戦時や紛争時の性暴力に取り組む人たちにベルリンから誤ったサインを送ることになるという点だ。すなわち問題は第二次大戦中の女性に対する性暴力であり、これはナチスによるテロと戦争の始発点であるベルリンの地と無縁ではないのだと。さらに、多様な出身国の市民が共生するミッテ区の住民間でもめ事が起きたとしても、一国の政府がそれに口を挟むのは外交上の越権行為であり、それを受けた外務省と州政府の圧力に区は屈すべきでないとして、「もっぱら第二次大戦における日本軍の行為を取り上げた像は、日本でもベルリンでも憤りを招いている。100カ国を超える出身地の区民の共生を危険に曝さないため、区は二国間の歴史紛争に与しない」と認可撤回を正当化した区長に、真っ向から反論した。
左派党と緑の党が準備した認可とり消しの撤回を求める議案は、11月5日の区議会では審議未了となった。しかし像については、「都市空間の芸術」の審査過程に区議会の関与権を求める超党派提案において討議された、続いて海賊党[ii]が提起した決議案を採択して、区議会はとりあえず像の設置支持を宣言する。そして12月1日の区議会。設置者による仮処分申請を受けて10月13日に像の暫定維持を認め、関係者と折衝していた区長が、認可取り消しを撤回したと明らかにし、左派党と緑の党の共同議案が採択された。「像の区内での恒久設置に向けて、区は設置者とともに解決策を見出し、区議会はこれに関与すべき」というこの決議は、単なる認可とり消し撤回から大きく踏み込んだものだ。
街角の公園の入り口に建つ平和の像。通りかかる人が、時折足を止める。
議案の提案理由には、「『平和の像』を、我々は、武力紛争時の、また平和時の性的暴力に関する議論を喚起するものとみる」とある。ミッテ区の区議らは、この問題に関する十分な議論がドイツ社会でなされてきていないことを、討議過程で自らのこととして改めて確認している。像の恒常的な設置には区のみならずベルリン州の判断も加味されるという。今後、恒常設置に向けて、議論は広がり深められることになろう。
区議会では碑文の検討を求める声も出た[iii]。「都市空間の芸術」審査委員会は、審査評価で、ドイツ兵による性暴力に関する議論の喚起が望まれると講評している。碑文に、第二次世界大戦中のドイツ国防軍による性暴力や強制収容所の女性たちが強いられた性労働、そして現代の性暴力が言及される日が来るかもしれない。ならばそれは、「日韓」の枠に縛られた東アジアでの議論をより開かれたものにしていく、一つの契機になることだろう。
写真提供:梶村道子さん(ベルリン在住)
[i] ミッテ区議会は、社会民主党、緑の党、左派党の3党で議席の7割を占める。3党は区の政策執行機関である参事会に委員を送るいわば与党で、緑の党は区長を出している。区の上位の機関のベルリン州政府も、社会民主党 SPD、緑の党、左派党の連立政権で、ここでも3党は与党。 ベルリンは州の権限を有する都市州で、ミッテ区はその下位の行政区。
[ii] 海賊党は当初は著作権関係の政策が主であったことから、党員にはIT技術者が多い。党是は、人権尊重、民主主義の徹底化、知の自由な共有、個人のプライバシー保護、政治の透明性、ネットワークの中立性など。
[iii] 社会民主党は碑文の調整を求めている。左派党議員団代表のウルクス氏も、碑文に追加が必要だろうと述べている(2020年12月17日付時事通信インタビュー)。