再び「天皇制」について考えてみよう
昨日10月22日の天皇即位儀式の「宣言」で、徳仁は、「国民に寄り添いながら、憲法にのっとり……つとめを果たす」と述べました。先の台風で大被害にあった東北各地、長野、千葉などの多くの「国民」が、大量の泥水で破壊され汚された我が家を目の前に途方にくれている状況(=憲法で保障されている「平和的生存権」を脅かされている状況)であるにもかかわらず、誰の目にもはっきりと違憲行為と分かる儀式と贅沢極まりない晩餐会のために、たったの数時間で160億円もの国民の血税を使っておきながら、「国民に寄り添いながら」などと破廉恥にもよく言えたものです。160億円あれば、どれほど被災者が助かるか、そのことにすら思いがいかない「天皇」とは「人間」なのでしょうか?そうした破廉恥行為を背後から画策し、天皇を操っている首相・安倍晋三を、わたしたちは一体何者と呼べばよいのでしょうか?
テレビに天皇即位式の様子が映し出されている長野市内の避難所(東京新聞記事より) |
この儀式では、私が常に主張している、<憲法「前文」の人類普遍原理と「9条」の絶対平和主義>と憲法1章<「天皇」の狭隘な国家主義>の間の根本的、決定的矛盾が、またまたはっきりと露呈したと私には見えました。奥崎謙三が喝破したように、「天皇」の存在そのものが憲法前文で唱われている憲法原理にいたく反しているのです。そのことに多くの国民が気がつかない、この状況。これをどうすればよいのでしょうか?
8月に札幌で私の講演会を企画していただいた松元保昭さんによる、「祝う前に考えよう」のメッセージ第2弾を下に紹介させていただきます。
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天皇即位礼?
祝う前に考えよう!札幌講演会第二部 『天皇制にかんする自由討議』[元石原都政下の都教委に免職された増田都子さん、ピアカウンセラー・障がい者活動家の安積遊歩さんほか。]ぜひ、拡散を!
祝う前に考えよう!札幌講演会第二部 『天皇制にかんする自由討議』[元石原都政下の都教委に免職された増田都子さん、ピアカウンセラー・障がい者活動家の安積遊歩さんほか。]ぜひ、拡散を!
ところで、ごまめの歯ぎしり
即位礼正殿の儀?って、もはや神でもない「天皇」が、瑞穂の国であれ大和の国であれ日本国であれ、この列島を「支配」する「王」となる神話の儀式でしょ。でも「神話と伝説によるものではない」と、ヒロヒトが言ってたけど。じゃ、何によるの? 「主権」は人民=人々じゃないの?
いまにいたる「差別」の源泉となり続けている内外の「まつろわぬ民」たちを排外・敵視・従属し、「民草(タミクサ)・國民(クニタミ)」をあらためて「臣下」にするぞ、という神話の儀式でしょ。
誰も「臣下」や「赤子(セキシ)」だと思ってもいないのに、首相はじめ「三権の長」が国民を「代表」して「誓い」のことばを述べるって、それ「服属」するぞっていう儀式でしょ。これってあからさまな憲法違反じゃないの?
いまどきこんなの「宗教」なの? こんなのを「日本人の宗教」だと思ってる人は何人いるんだろう? 「政教分離」とか「信教の自由」とかあるのに、ヘンな特定の宗教を「国事行為」なんてヘンじゃない?
こんな空虚で無意味な「儀式」に、160億円!もういいかげん、やめたら? さらに何百億円もの税金で養ってる「皇族一家」、この空虚で無意味な「フリ」に囲い込まれた人生、いいかげん「解放」してやったら?
皇室宗教つまり神道と天皇制って、何の道義も倫理も持ち合わせていない「宗教」だってことは、この1300年の歴史が証明してるんじゃない? かつてのアジア侵略戦争のように、ただひたすら、夜郎自大の膨張戦略と姑息な誤魔化し恥知らずな泥縄戦術で、内外幾百千万の命を犠牲にし故郷を荒廃させただけだったんじゃない?
未来のない無限遡行の皇国史観と靖国神社遊就館と心中したいだけの、ただ低劣・卑劣な歴史偽造主義の日本会議の連中=つまりアベ自公政権に乗っ取られた日本国、ああ、いま日本人は壊れ堕ちてゆく。
天皇制なんて、もう賞味期限は切れたんじゃない? 植民地主義とレイシズム(人種主義)、差別と排外の元凶、「天皇制」をホントに噛み切ることなしに、新しい未来って望めないんじゃない?
さぁ、いよいよ「天皇制」を噛み切るときがきたぞ。まずは一人ひとりの心の中で…。(松元ごまめ)