坂茂の「人道的建築」思想
先週土曜日(3月25日)夕方、日本の建築家、坂茂(ばん
しげる)による「坂茂:重要ブロジェクトと人道的仕事」と題する講演会が、シドニーのオペラ・ハウスの中にある小さな講演ホールで開かれました。実は、私の妻の趣味の一つが「現代建築」(といっても、もっぱら建築物を見るだけで、建築工学の専門的な知識は全くありません)で、日本の建築家の仕事にもたいへん興味を持っています。そのため、私も彼女に同伴していろいろな現代建築物を見に行ったり、講演を聴きに出かけたりしていますが、今回も、シドニーまで妻のお供として行ってきました。
シドニー湾を望む講演ホールは150名ほどの聴衆でいっぱいになりましたが、おそらくは参加者の多くが建築関係の仕事をしている人だったろうと想像します。坂氏は、パワーポイントを使って自分がこれまでやってきた主な仕事の内容を、90分ほどかけて紹介しましたが、建築の素人の私たちにも分かるような明快な説明でした。そのうえ、ユーモアのセンスも持ち合わせていますし、きわめて謙遜な人柄がうかがえる話ぶりで、講演の内容にひじょうに感動しました。メルボルンから一泊とまりでシドニーまで出かけた価値が十分ありました。
坂氏の仕事についてはご存知の方も多いと思いますが、なるべくコンクリートを使わず、人にも自然にも優しい建物を作ることを彼は心がけています。そのために、建築資材として「紙」を徹底的に利用するというユニークな方法を開発し、それを、とりわけ戦争や自然災害の犠牲者である避難民のための仮設住居の建築に応用するという仕事を、日本国内はもちろん、アフリカやアジアをはじめ世界各地で実践してきた人です。
講演の冒頭で彼が言った「地震は人を殺さない、建物が殺すのです」という言葉を聞いて、私は即座に、神戸の震災の直後に、小田実が「神戸震災は自然災害ではない、人災だ」と繰り返し述べていたのを思い出しました。大地震が起きたとき、大量に人の生命を奪うような建物を建て、逃げ場がないような都市構造や交通網、道路状態を造っていることが本来は問題なわけで、これを私たちは通常は忘れて暮らしています。そのことを、真剣に再考すべきなのです(そうした建造物の最たるものが原発なわけですが)。それを忘れて、津波を防ぐ防潮堤と称して、またもや、1兆円という金をかけて東北沿岸地域の440カ所に、「万里の長城」のようなコンクリートの高さ10メートル前後の防潮堤を建設中です。このコンクリートの壁が、単に景観だけの問題ではなく、自然環境を壊すことはないと考えることのほうがおかしいのです。震災から私たちはいったい何を学んだのでしょうか。
それはともかく、坂氏が開発した避難民のための紙で作った仮設住宅はとてもユニークです。仮設住宅の壁、柱や天井の桟などはすべて、防水処理をほどこした厚手のひじょうに丈夫な紙管(つまり中は空洞)で作られています。したがって、建物そのものが軽量です。釘も使わず、基本的には、紙管を紐で結びつけたり組み合わせるだけですので、安くてしかも短時間に数多く建てることができます。土台は、ビール瓶などを運ぶためのプラスチック製の長方形の箱を使います。屋根は、災害地によっては、竹林が近辺にあるところでは竹を使ったり、あるいは防水布を使ったりします。この種の仮設住宅がロワンダの紛争での難民、スリランカの津波災害の避難民など、様々な地域で実際に使われてきました。神戸地震や東北大震災でも使われています。仮設住宅とはいえ、かなり長期にわたって使用できる建物です。
紙製の仮設住宅のモデルの前にたつ坂茂氏 |
神戸大震災で使われた紙製仮設住宅 |
東北大震災では、多くの避難民が体育館などの避難所に長期間暮らすことを余儀なくされましたが、坂氏は、ここでも紙管と布を使って、プライバシーを守るために世帯ごとの空間を作り出すというアイデアを実際に具体化しました。こんな簡単なことですが、避難民の精神的ストレスがこれでかなり緩和されました。こうした仕事を、彼は、あくまでもボランティアーとして、利益抜きでやっています。
管の太さ(つまり直径)や長さは用途によっていろいろ違いますが、長いものは20メートルもあります。この20メートルの長さのものは、例えば、2011年2月にニュージーランドで起きたカンタベリー地震で崩壊したクライストチャーチの大聖堂、その仮設の大聖堂の天井を支える96本の桟として使われています。この仮設大聖堂の屋根は半透明のポリカーボンというこれまた軽量の資材を使っています。2012年7月下旬から建築が始まって、同年のクリスマスにはできあがっているはずという短期間の工事スケジュールでした。ところが、どうも「紙の大聖堂」が気に入らない人たちがいたようで、建築をめぐっていろいろな政治的な問題が起きて工事が遅れ、結局、完成したのは2013年2月でした。こうしたくだらない政治問題を引き起こす政治屋がいるのは、どこの国でも同じです。それでも、通常の工事期間と工費から見れば、驚くべき早さと安さです。実は、この大聖堂の十字架も紙筒でできていますが、神父が「十字架が紙というのは、どうも軽く見られるようで困る」と坂氏に苦情を述べたそうです。坂氏は、この神父に、「日本では神(God)と紙(paper)は同じ発音で、紙は神に通じる」というダジャレでごまかして納得させたとか(笑)。坂氏が教会を紙で作ったのはこれが初めてではなく、神戸震災で崩壊した教会も紙で作っています。これこそカミの思召しでしょうね。
ニュージーランド、クライストチャーチ仮設大聖堂 |
ニュージーランド、クライストチャーチ仮設大聖堂 |
神戸長田区のカトリックたかとり教会 |
坂氏は仮設住宅だけではなく、通常の大型建築物もすばらしいデザインで設計しています。最近の一例としては、大分県立美術館です。彼は、「建築家にとってのノーベル賞」と言われている「ブリッカー賞」を、2014年に受賞しています。坂氏の建築に対する考え方をもっと知りたい方には、下記のサイトが役に立ちます。
http://www.designstoriesinc.com/special/h_tsuji-interview_shigeru_ban2/
ちなみに、日本の建築家のレベルは世界のトップ・レベルにあり、1979年に設置されたこの「ブリッカー賞」の日本人受賞者は、これまで7人で、これはアメリカの8人に次いで世界第2位です。受賞者の中には、槇文彦、安藤忠雄、伊藤豊雄といった古参の人たちだけではなく、若手と言える妹島和世、西沢立衛らが含まれます。いまだ受賞していない隈研吾なども将来の有力な受賞候補者でしょう。世界各地に彼らがデザインした美術館や博物館があります。なぜ日本の建築家のレベルがこれほど高いのか、建築史に疎い私はその背景を知りませんが、日本では、これらの優秀な建築家の下で働く能力ある若手層がかなり多いように思われます。これからも優れた建築家が日本では出てくるでしょう。
日本のアカデミック・レベルの急速な低下
こうした建築界と比較すると、日本のアカデミズムのレベルは、今、逆に急速に落ち込みつつあることは間違いありません。英国の科学誌『ネイチャー』の、つい最近3月23日の発表によると、自然科学系の68の学術誌に掲載された論文数からすると、日本人著者による論文数はこの5年間で8%減少しています。アメリカも6%の減少。これに対し、中国はなんと48%の増加です。英国も17%伸びています。大学への研究支援予算を大幅に減らしておきながら、防衛省の軍事関連研究費だけは増加させ、「研究費が欲しければ軍事研究をやれ」という、あからさまに抑圧的な、野卑とも呼べる政策をとる安部政権の下では、科学研究のレベルが急落するのも当然。この数年、ノーベル賞を受賞している日本人科学者が比較的多いのは、その多くが昔の研究蓄積成果によるもので、あとに続く優れた研究者の数がこれから激減することは間違いありません。昨年のノーベル生理学・医学賞の受賞者である大隈良典氏も、そのことを憂いて、受賞直後にはさかんに注意を促す発言をしておられました。
社会科学や人文学の分野でも急速にレベル低下していることは間違いないと思いますが、これらの分野では、自然科学系のようには容易に他国との研究レベルを比較することはできません。しかし、毎年、各大学の大学全体のアカデミック・レベルを様々な角度から見て総合判断し、その結果で世界やアジアの大学をランクづけしている英国のTimes Higher Education の3月16日発表の調査結果、「2017年アジア世界大学ランキング」によると、総合1位は2年連続でシンガポール国立大学。2位は北京大学、3位が同じく中国の精華大学、4位はシンガポールの南洋理工大学、5位は香港大学となっており、東大は昨年に続いて7位。30位以上は、14位の京都大学、26位の東北大学を含めて3校のみです。ちなみに、世界的レベルで見ると、シンガポール国立大学は24位、北京大学29位、精華大学35位に対し、東大は43位、京都大学91位です。ここでも中国の大学の躍進が飛び抜けています。
中国の大学の研究レベルが上昇していることについては、私は、この数年、身をもって感じています。2013年に、私は香港中文大学で開かれた日本研究学会に招かれて講演しましたが、そのときに中国本土の大学から参加していた幾人かの若手の中国人学者の発表を聴きました。かれらはみな、アメリカのトップの大学で、日本研究で博士号を取得していました。中国語、英語、日本語の三ヶ国語を流暢に話し、出版されている英・日・中の関連資料を読み込んでまとめた、すばらしい内容の研究発表でした。昨年12月に、再び私は香港中文大学法学部が主催した「軍性暴力と国際人道法」に関する国際シンポジウムに招かれました。そのとき、男女2人の大学院生が私の世話をしてくれましたが、彼らも英語はひじょうに流暢で、そのうえ、国際人道法に関する知識も豊富なうえに、自分の考えもしっかり持っている若者たちでした。私は、日本でこれほど優秀な大学院生はどのくらいいるだろうかと、日本の現状を考えると情けなくなりました。
このままいくと、10年もしないうちに、日本のアカデミズムのレベルは、安部政権の閣僚たちの低劣な頭脳レベルにまで堕ちることは目に見えて明らかなように思えます。すでに、広島のある研究所の所長、副所長の知的レベルなどは、首相・閣僚先生がたの低レベルに近いところにあります。
中国と比較してますます劣勢になっているのは、アカデミズムの分野だけではありません。妻と私は、シドニー滞在中に、シドニー中央駅のすぐそばに最近できた個人経営のWhite Rabbit (白い兎)という、中国現代美術作品を展示するギャラリーに行ってきました。形としてはオーストラリア人女性が個人で経営するギャラリーですが、入場料をとるわけでもなく、作品を売っているわけでもありませんので、個人で運営できるはずがありません。4階建てのかなり大きなビルで、展示スペースも広く、1階はアートショップとレストランになっています。レストランでは点心料理も出しています。おそらくは、中国政府または中国企業が資金を提供しているものと思われます。展示作品は、20歳代、30歳代といった若手の中国の芸術家が制作した作品ばかりで、その斬新さに私たちは驚かされました。現代美術分野でも、中国はいま急速に優秀な作家が生まれてきていることが分かります。下記アドレスは、そのWhite Rabbit のホーム・ページです。
それに比較して日本はどうでしょうか。芸術分野でも安部政権は投入する資金を急速に減らし、武器購入に回すという愚策をとっています。例えば、尺八の分野では、1998年から国際尺八音楽フェスティバルが4年ごとに開かれ、ニューヨークやシドニーなどでは300人ほどの尺八愛好家たちが世界各地から集い盛況でした。昨年6月にはチェコのプラハを開催地に、このフェスティバルが開かれることになっていました。私も参加を楽しみにしていた一人でした。これまでは、国際交流基金が資金支援をしてくれていたため、日本から大師範の先生たちを複数招くことができ、これらの大師範が行うワークショップに参加して少しでも腕をあげようと、多くの参加者があったわけです。ところが、昨年は開催の数ヶ月前になって、突然に国際交流基金から、資金援助打ち切りの連絡がありました。そのため、フェスティバルは事実上キャンセルとなってしまいました。これが、「日本伝統文化」を誇る安倍晋三政権がやっている現状なのです。こうした愚かな首相や大統領を持つ国民は本当に不幸です。
最後に、尺八がどれほど国際化している芸術文化であるかを知っていただくために、スペインの尺八奏者による演奏を紹介しておきます。曲の題は「ひとみ」ですが、この曲は、戦争の悲惨さを女性教師の体験から描き出した、1954年の映画「二十四の瞳」の中で使われた曲です。とても綺麗な曲です。お楽しみください。