私は、最近一種の虚脱感に苛まれている。なぜかその理由は自分でもはっきりつかめないのであるが、おそらくその一端は、現在の救い難いくらい劣悪な日本の政治・社会状況にあると思う。日本に住んでいれば、様々な市民活動に加わり、忙しく動き回らなくてはならないため、「虚脱感」などと呑気なことを言っている余裕がないであろう。広島の活動仲間たちからは「なにを贅沢なことを言っているか」と叱られそうである。しかし、あまりにもひどい日本の状況を見つめながらも、日本から遠く離れ、自分が具体的にできることがほとんどないその無力さを実感する毎日を過ごしていると、どうしても精神的に憂鬱にならざるをえない。
しかし、理由はそれだけではなさそうである。定年退職に伴い昨年4月には、一応、活動の「拠点」を広島からメルボルンに移したが、敗戦70周年のための様々な学会や集会出席で日本、オーストラリア、ヨーロッパと駆け回り、昨年中は「拠点」についてゆっくり考える暇もなかった。ところが、年が明けるや、毎晩、奇妙な夢を見るようになり、熟睡できなくなったのである。その夢とは、いつも自分がどこか見知らぬ場所を放浪し、不安にかられている夢なのである。つまり、「拠点」を見つけられず、私は彷徨い歩き続けているのである。どうも、これは広島からメルボルンに「拠点を移した」ことに対する精神的なケジメが自分の中でついておらず、無意識のうちに、自分の居場所がいまどこにあるのか決められずに葛藤している状況にあるのではないかと、自己分析しているような次第である。器が小さいこんな自分になんとも情けない次第であるが、そんなわけで、目下、依頼された原稿執筆の仕事が複数あるのだが、集中力が長く続かないことに頭を悩ませている。
そこで、このだらしない状況をなんとか打破しようと、この数日は、執筆作業とは直接は関係のない能楽関係の本、とりわけ多田富雄の感動的な著作を読み直している。なぜ能なのか。能楽関連の本が、今私が抱えている(他人から見ればごくつまらない)精神的な問題のための直接の助けになるとは思わないのであるが、能劇作品には人間の「惑い」や「苦しみ」をテーマにしたものが多いので、読んでいるとある種の「癒し」になることは確かであるからなのだ。(本当は、能の実演を観覧したいのであるが、メルボルンではそれは叶わない願いである。)
「能」という言葉を耳にすると、「なんか難しそう」と思われる人が多いと思う。しかし、それはたいへんな誤解である。「能」ほど面白く感動的な芸術はないと私は思っているので、少し我慢して以下最後まで読んでいただければたいへん嬉しい。
多田富雄についてご存知の方はあまり多くないと思う。1934年生まれの日本を代表する世界的に著名な免疫学者であったが、2010年4月に亡くなっている。恥ずかしながら、私は彼の免疫学関連の著書は全く読んでいないのであるが(読んでもおそらく理解できないかも<苦笑>)、実は、彼の趣味は能楽で、能舞台で小鼓を打っていたし、すばらしい新作能を10作あまり書き残している。それらの作品は『多田富雄新作能全集』(藤原書店 2012年)に収められている。そのうえ、『能の見える風景』(藤原書店 2007年)や『独酌余滴』(朝日文庫2006年)といったエッセイ集も数多く出している。この素敵なタイトルの本『独酌余滴』などは、「ぬる燗の徳利を一本載せた箱膳の前に独座し、観念する。さっき観た能の舞台を、旅先で出会った風景を、そして過ぎ去ってゆく時を…」という内容の、情緒豊かな内容の本である。(私も酒が好きであるが、「ぬる燗」は大嫌いで、「キレのよい辛口の冷酒を前に、観念することなど最初からカンネンして<=あきらめて>、ただ旨い酒を味わうことだけに専念するばかりである」が。)さらに多田は、和歌や詩の創作も手がけ『歌占 多田富雄全詩集』(藤原書店 2004年)も著している。同じく晩年に多くの優れた和歌を詠った鶴見和子との往復書簡を集めた『邂逅』(藤原書店 2003年)、水俣をテーマにした新作能を書いた石牟礼道子との往復書簡集『言魂』(藤原書店 2008年)も心を動かされる内容の本である。このように多田は免疫学者でありながら、傑出した文才をもった人物でもあった。
能劇の内容にはほぼ共通のパターンがある。「異形の人」、それはしばしば「幽霊」という形をとるのであるが、その人物が舞台の橋掛りの暗がりから時空を超えてこちらの世界(舞台正面)にやってくる。そして自分の体験した凄まじい出来事と苦悩を物語り、その一部始終を語り終えると再び橋掛りの向こうにある「異界」へと戻っていく。凄まじい体験には、愛する子を失い狂気する母の苦悩、嫉妬に狂った女性の苦悩、戦いで殺された武将の死んでなお残る恨みと悲しみといった、言語に絶するような深い悲哀や怒りを伴うものが多い。
実は、能劇は、幽霊を主役とするという点で、世界に類例をみない極めてユニークな演劇である。幽霊は、通常の演劇では、見えるか見えないか分からないくらいの「脇役」しか与えられていない。ところが能楽では、幽霊が時空を超えて我々の眼前に姿を現わし、もろに語りかけてくるので、その話は当然に時間的限定性を超越した「歴史超越的」な「普遍的」なメッセージとなる。しかもその物語の内容が、ある特定の歴史的時期における具体的な「出来事」を基にしてはいるのであるが、「語り」の内容が「謡」という濃縮された「詩的表現」をとり、顔などの「身体的動き」はごく限られた数の「能面」による凝縮表現で、人間の苦悩・恐れ・怒りなどを徹底的に洗練し、純化し、高度にシンボリックな表現にまで簡潔化、凝結化させているため、これまた世界中のあらゆる人間に深い共感を呼ぶような「普遍性」を強くそなえているのである。したがって、惨たらしい殺戮の場面などを具体的に再現しなくとも、いや再現しないからこそ、その惨状の実相は、強烈なシンボリズムの形で観覧者である我々の魂を震わせるのである。
したがって、能劇は異常で激烈な出来事の「場」、特定の「場」でありながら同時に普遍性をもった「場」、に置かれた人間の精神的葛藤の、時空を超えた普遍的な形での超シンボリックな表現なのである。14世紀という昔に、なぜこのような、多田の言葉を借りれば「霊魂だけが持つ普遍的、形而上的世界を描く」能劇という驚くべき芸術が日本で生まれたのか。鎌倉時代後期から室町時代初期は戦乱が続く世の中であったため、人々が「心の癒し」を求め、「平和」を求め、戦乱の犠牲者の苦悩と悲哀への共感を多くの人々に呼び起こす演劇を作り出したのも、したがって不思議ではないのかもしれない。その意味では、同じく人類への普遍的メッセージを内包しているギリシャ悲劇が産み出された歴史的背景と似ているのかもしれない。
私は古典能も好きであるが(とりわけ「殺生石」などのような劇的なストーリーのもの。ちなみに、「殺生石」には原発事故を想起させ、環境問題について深く考えさせるような要素が多分にあると私は考えている)、新作能、とりわけ多田富雄の作品に強く心を惹かれるのである。なぜなら、多田は、被爆の残虐性、非人道性を見事にシンボル表現化した「原爆忌」と「長崎の聖母」、沖縄戦の地獄を描いた「沖縄残月記」、若い時代に強制連行で夫を失った韓国人老婆の痛恨の悲しみを描いた「望恨歌」などで、日本の戦争加害と被害の両面を取り扱い、能という芸術作品で「過去の克服」を見事に成功させていると考えるからである。「過去の克服」は、歴史学の知識上の学習だけでできるものではないというのが私の持論で、昨年2月におこなった私の「さよなら講演」、「何のための被爆体験継承か:『過去の克服』としての記憶の継承を考える」でも論じておいたように(このブログに昨年3月に載せた「講演ノート」を参照されたし)、「文化的記憶」という方法がひじょうに重要だと私は考えている。多田の新作能は、まさに、この「文化的記憶」の日本のモデルとも言えるものの一つであると私は思っている。
上述したように、悲惨な状況をこと細かに繰り返し記述しても、必ずしもそれが読み手または聞き手の魂を強く動かすとは限らない。例えば、「原爆忌」創作にあたって多田が多くの被爆体験記を読んだことは間違いない。しかし彼は、次のように説明している。「しかし、それ(=被爆体験)を能に書くのは困難だった。事実は表象不可能な原爆である。書きようがないというのが本当だった。いくら悲惨なエピソードを集めても、能の題材にはならない。それを救ってくれたは、能という演劇の象徴性、普遍性だった。」(強調:田中)
同じようなことが反核運動にも言えるのではないかと私は思う。いくら悲惨な被爆証言を数多く積み上げ、繰り返し聴かせても、反核運動の広がりにはつながらないのではなかろうか。要は、数多くの被爆体験に含まれている根本的に重要なメッセージを、いかなる形にすれば、言葉を超えて人々の魂に訴えるような象徴性、普遍性をもった強烈な力をもつ反核メッセージになるのか、このことが極めて重要だと私は考える。
「原爆忌」のすばらしさを知るには、やはり実際に観劇するほかはないのであるが、その「謡」の中から、ごく一部を抜粋して紹介してみよう。
「求むれど
猛火に包まれし水はなし、
助けを求め水を乞い
常葉の橋に駆け上がりて
川瀬を眺むれば無残やな
見渡す限り
死屍累々と折り重なって足の踏み場もなかりけり。
おおわが子はいずくにありやと、
声を限りに叫べど
煙霧と炎に覆われて
道は広島、六つの川に
死骸は川面を埋め尽くす
…………(以下、数行省略)
見慣れたる薄衣に
あれはわが子と走りより
抱きあげ見れば無残やな
たれとも分からぬ幼子の死骸なり」
これは被爆し亡くなった男の幽霊が、60年後に、旅の僧に語る被爆体験の地謡の一部である。この能劇の最後は、当時、被爆しながらも生き残ったこの男の娘、今では老女になった女が父親の霊と灯籠流しで再会し、父親が、「一瞬にして地獄と化した広島、水を求め黒い雨にうたれてさ迷い命を落としたありさまを語り舞」うというシーンである。
幽霊が生きている近親者に自分の「死に様」を語り説明し、2人の間の情愛を再確認するという形式は、能劇でしばしば見られるものである。広島で被爆して死んだ父親の幽霊が生き残った娘に語りかける、井上ひさし作の『父と暮らせば』や、その続編とも言える、長崎の原爆で死んだ息子の幽霊と生き残った母親の情愛を描いた山田洋次監督作の映画『母と暮らせば』は、実は、もともとは能楽のこの伝統的な表現形式を継承しているのである。井上は、演劇の脚本を書くにあたって、おそらく能からアイデアを得たのであろう。この表現形式には、生き残った者が、自分の身近にいた死者の霊と交流し、その死者の霊の苦しみを理解し、生き残った自分の苦悩と悲哀を死霊にも理解してもらうという「苦悩と悲哀の分かち合い=痛みの共有」をなすことで、自分の心が癒され、精神的回復を遂げることができるという機能が働いているのである。この機能は、したがって、世界の多くの人間の共感を得ることができる普遍的なものなのである。能に「癒し」を感じるのは、まさにこのゆえである。
実は、「原爆忌」や「長崎の聖母」は海外でもすでに何回も上演され、大変好評で、観客たちも観劇後の印象として「癒し」を感じたという意見が多い。昨年、「長崎の聖母」がニューヨークで上演されたことを伝えるニュースをユーチューブで見ることができるが、このときの観客へのインタヴューでも、原爆殺戮に9・11テロ事件を重ね見たという興味深い意見が出されている。https://www.youtube.com/watch?v=LmJinbMKI8Y
(なお、『多田富雄新作能全集』には、「原爆忌」や「望恨歌」など6作の英語訳も含まれている。)
原爆をテーマにした新作能は、多田富雄の上記の能劇の他に、京都の能楽師、宇高通成の作による「原子雲」といったものもある。これまた観客の心を震わせる傑作である。
たいへん興味深いことは、最近、オーストラリアのシドニー大学の音楽学の名誉教授アラン・マレットが「Oppenheimer(オッペンハイマー)」という新作能を作っていることである。昨年10月1日にシドニーで初演が行われた。幸いにして、私も妻と同伴でこれを観劇する機会があった。マレットは日本音楽の専門家ではなく、アボリジニ音楽などの研究を専門にしてきたようであるが、武蔵野大学文学部教授で能楽専門家であるアメリカ人、リチャード・エマートの協力をえて、この新作能を創作したのである。原子爆弾という大量破壊兵器を産み出し、無差別大量殺戮を犯してしまったことへの救い難い罪意識にとらわれ、成仏できないオッペンハイマーの苦悩を見事に描き出した内容となっている。おもしろいのは、「謡」が全て英語で行われていることである。シドニー大学日本研究科の康子・クレアモント教授による和訳がつけられた初演が、下記ユーチューブで観れるので、ぜひ御一見願いたい。
このように、いまや能楽は、その演劇が内包している「象徴性と普遍性」という固有の優れた特徴から、日本という国土を超えて、世界的な芸術になりつつある。このことを広島市民はもっとよく知り、自覚し、その活用について広く議論すべきであると私は考える。幸いにして、広島にはアステールプラザに能舞台がある。広島では「ひろしま平和能楽祭」といったイベントも開催されてはいるようであるが、もっとこうした素晴らしい新作能を、あらゆる機会をとらえて、広島で公演すべきであろう。とりわけ海外からの訪問者が観劇できるような機会を積極的に作っていくべきである。
しかし、原爆関連の新作能と同時に、それとセットにした形で「望恨歌」や「沖縄残月記」を上演すべきだと私は考える。そのことによってこそ、広島が真の意味での「普遍的な平和メッセージ」を世界に発信できるのであるから。
実は、私は「日本軍性奴隷」についての新作能を誰かが創作してくれないかと熱望している。シテは「元慰安婦の老婆」、後シテは「元日本兵の男の霊」、ワキは「旅の僧」、ワキツレは「若い修行僧」。性奴隷とされた老婆の苦悩の記憶、その加害者でありながら同時に国によって戦争に駆り出され殺された日本兵の罪意識と恨みの二重性、この2人の苦悩の記憶をどう理解したらよいのか悩む僧、とりわけ若い修行僧、この4人による「苦悩の舞」である。私には新作能を創作する能力など全くないので、どなたか適任者をご存知の方がおられたら、私にまでご一報願いたい。