森友スキャンダルとは何か
極右私党の公権力私物化とその破綻
武藤一羊
私が日本で最も尊敬する評論家/活動家の武藤一羊さんの新しい書き下ろし論考を、武藤さんの許可を得てご紹介します。この論考はすでにピープルズ・プラン研究所のホームページにも載せられていますが、安倍晋三内閣の本質を知る上で、ひじょうに役に立つ秀悦した論考ですので、ここでも紹介させていただきます。
3月2日の朝日新聞の決裁文書改ざんの暴露は、くすぶっていた森友スキャンダルに再点火した。ふたたび安倍内閣の辞職を求める人びとの行動が沸き起こり、議会では野党が政府、自民党を追い詰め、かなりの主流メディアが安倍批判に回り、内閣支持率は大きく低下した。野党が要求していた佐川前理財局長の証人喚問は、佐川が刑事訴追の恐れを理由に肝心の点については証言を拒んだため、土地取引についても公文書改竄についても真相に迫ることはできなかった。だがそれは政権の犯罪への疑惑を一層深めた。安倍政権は危機的状況に追い込まれている。
しかし私は、この間の野党による安倍権力への攻勢は肝心なところで詰めが甘いという印象をぬぐうことができないでいる。肝心なものとは、(1)森友スキャンダルの性格をどう認識するか、(2)このたたかいで何をなしとげるか、という二点についである。この二つは重なっている。
国会での応酬を聴いていると、(2)については大部分の野党が一致しているようである。すなわち、安倍首相の辞任、安倍内閣総辞職、つまり安倍政権を退陣させることである。しかしそれは何を意味するか。安倍晋三という憲法を捻じ曲げ、議会を愚弄し、嘘を重ね、責任を取らぬ腐敗した政治家をその取り巻きとともに追放することなのか。そして安倍が最大の政治課題とした改憲の計画を頓挫させることなのか。
それらすべてであることは明らかだ。しかしそれだけでは足りないと私は思う。
森友スキャンダルは、この5年間の安倍統治の骨格を明るみに引き出した出来事であり、ほかならぬこのスキャンダルで安倍政権を打倒することは、その骨格全体を公衆の前に可視化し、解体し、廃棄することであると私は理解する。打倒するだけでは足りない。根を残してはならない。この前代未聞の不祥事の核をなす主体を特定し、明るみに引き出して公衆の目にさらし、政治の世界で無力化することが必要だと私は思う。
森友など一連の問題の本質が公権力の私物化にあるという点では広い同意が得られるであろう。だが私物化した主体は何者なのか。安倍晋三個人か、安倍夫妻か、官邸グループか、それとも自民党か。野党は、もっぱら、安倍昭恵を手掛かりに安倍晋三本人に迫るという線で攻勢を進めているかに見える。安倍の「私か妻が関係していれば総理も、議員も辞任」という発言を言質に安倍個人の責任に迫り、辞任を迫るためである。経過から言って、これはむろん当然追求さるべき筋である。
安倍本人がすべての中心に存在することは疑いない。しかしこれは安倍夫妻による狭い意味でのクロニイズム、近親者や仲間にたいする利益供与のケースであろうか。加計学園スキャンダルの方はその性格が強いかもしれない。しかし、森友問題の性格は違う。たしかにこれは公権力の私物化という性格の腐敗であるが、私は、その私物化の主体が個人でも一つの政治派閥でもなく、極右政治運動体とでもいうべきものであることがこの事件の本質であると考えている。そのことは安倍個人の責任を分散させたり、軽くしたりするものではない。いや、むしろ責任を加重する。安倍は自民党党首であるとともに、この極右政治体の代表でもあり、同時に首相でもある。この三面を背中合わせに結合する独特のトポロジー構造がここには確認できる。この構造は不正行為に対する彼の責任を格段に重くするよう働くのである。
安倍政権の成立に導いた推進力が1990年代の後半に加速的に勢力を拡大した大日本帝国の復権を唱える極右勢力であったことは改めて指摘するまでもないであろう。(この経緯、意味については、拙著「憲法平和主義と戦後国家―「帝国継承」の柱に斧を」、〔2016年、れんが書房新社〕で詳説したので、参照乞う)。安倍は自民党での政治生活の最初からこの潮流に属し、血統も手伝ってこの潮流の「プリンス」として扱われるようになっていった。この極右潮流は、「新しい教科書をつくる会」の運動などを通じて地域社会にも活動を伸ばした。神社本庁など宗教団体を含む極右団体の結集体である日本会議は、その国会版である超党派の日本会議国会議員懇談会をつうじて影響力を広げた。2012年以来の安倍政権の閣僚のほぼ全員が、日本会議系の極右組織のメンバーであることは広く知られている。この潮流は、在特会など排外主義的行動グループを生み出すとともに、夥しい反中、嫌韓、日本礼賛の出版物を書店にあふれさせ、ネットを通じて彼らの気に入らぬ論者に誹謗中傷を集中するなど、社会の各分野に活動を広げた。かれらのジャーゴンである「反日」というレッテルが平気で閣僚の口から発せられるようになったのは安倍内閣になってからである。
この極右運動は、戦後憲法に体現される国家原理―平和と民主主義―をアメリカ占領軍に押し付けられた原理としてことごとく拒否し、天皇制下の日本帝国の侵略と戦争を合理化する歴史観を正史の位置に置き、(不十分ながら)戦争と侵略の反省の上に立つ戦後の歴史観を「自虐史観」として攻撃することに専念してきた。
日本会議はこの極右運動の結集軸であるが、極右の活動全体が組織としての日本会議に集約されているわけではなく、政界、財界、メディア、宗教界、文化界、学会、芸能界など各界にわたった散在する極右傾向が重なり合いつつ極右世界とでもいうべきものを形成していると見るべきであろう。便宜上これらを合わせて「日本会議系」と呼ぶことにする。
自民党内では90年代、極右勢力が支配的になっていった。2006年、「戦後レジームからの脱却」を掲げた第一次安倍政権は、小泉政権の跡をついで、右翼の「お仲間」を基盤に成立し、改憲の第一歩として教育基本法を改訂したが、一年にして安倍は突如政権を投げ出した。2009年麻生自民党政権は、民主党に大敗を喫し、自民党は野に下り、政権は民主党政権に移った。野にある期間自民党は極右化していった。自民党は公党であるが、その公党からすれば私党である極右が公党を乗っ取ったのである。極右勢力はすでに90年代半ばから自民党の内部に勢力を拡大し、党内最大勢力となっていたから、党を乗っ取り、政権を乗っ取ることは容易であった。一度政権を放り出した安倍晋三はふたたび極右の旗頭に担ぎ出され、党総裁となった。
民主党政権はこの間に破綻していた。2012年12月総選挙で、民主党政権に失望した選挙民の多数は、自民党に圧勝をもたらし、安倍は総理の座を獲得した。党内では安倍一強体制が、政府組織では総理官邸独裁が成立した。
民主党政権を見放した選挙民の多くはこのとき長年政権党として親しんでいた自民党に投票した。自民党に投票した人びとの圧倒的多数は、自民党に投票したのであって、極右に投票したつもりではなかったであろう。自民党を公党とするなら、極右勢力は私党である。もし、極右勢力が自身の極右歴史観と政策を掲げる党として選挙に臨んでいたなら、彼らは確実に多数獲得に失敗し、政権につくことはなかったであろう。自民党というブランド名の下でのみ、極右私党が権力を握るという事態が起こりえたのである。
公党の傘のもとで私党が権力をふるうというのはかなり無理な話であった。公党は憲法のもとで公党であるので、憲法を公然と否認するわけにはいかない。他方乗っ取った方の私党は、憲法を否認し、破壊することを存在理由とする。公党の代表として総理となった私党の代表者である安倍晋三は、この不可能な状況を勇んで引き受けた。そして彼は、憲法破壊の私党の使命を自己の至上の使命としつつ、なお公党の見掛けを維持するという芸当によって困難を過程的に乗り切ろうと試みた。5年にわたる彼の支配がたどってきたジグザグー戦後70年の折衷的総理談話は代表的なケースであろうーは彼の政権の二股構造に由来すると見ることができよう。この困難からの出口は、憲法を事実上破壊しつつ(安保立法など)、最終的には憲法の方を彼らの要求に沿って改訂する、実は、まったく別の原理に従う彼らの憲法と取り換える、ことであった。
繰り返そう。2012年に実質権力を握ったのは、自民党のブランドを手に入れた極右私党だったのである。彼らは自己と自民党を等号で結ぶことで自民党を事実上私党化した。安倍晋三は、私党のリーダーのまま、行政権力のトップとなった。それは公権力の私党による支配、私物化をもたらす条件の出現であった。
安倍の率いる自民党は、公党としての地位を利用しつつ、直ちに私党としてふるまい始めた。私党の同志たちをNHK、日銀、内閣法制局、などの要職に任命することが手始めであった。内閣に集約された高級官僚の人事権を駆使して官僚組織を私党の組織としても使える状況を整えた。権力は全面的に濫用され始めた。特に2013年参院選での勝利以後は、安倍とその仲間たちは、議会を国権の最高機関などではなく、どんな決定でも通せる投票機械と見なし、憲法違反が疑われる法案を、真面目な討論を一切回避し、割り当てた審議時間さえ過ぎれば、自動的に強行採決し、採択するというしきたりを恒常化した。それは、政治にとって本質的であるはず言語から意味と品位を奪った。首相への質問には答えではなく、関係ない事柄での長い饒舌が返された。
安倍とその追従者の二重籍
では安倍晋三は実際誰に対して責任を負っているのか、と問わなければならない。安倍晋三が、総理として本来負うべき責任は、国会にたいしてであり、党総裁としては、彼の選出母体である自民党に対してである。憲法改正という最重要問題について、彼がまず提起するべき相手は自民党の執行部であり、かれを総理に選出した議会であると考えるのが自然であろう。しかし安倍は違った行動をとった。
安倍が、明確に改憲の狼煙をあげたのは、2015年11月10日、日本武道館で開かれた「今こそ憲法改正を!1万人大会」という右翼の結集する大集会だった。この日の状況を情報サイトLiteraの記述から拾ってみよう。(Litera 2015・11・11)
(この集会の)主催は昨年10月に結成された「美しい日本の憲法をつくる国民の会」という団体だが、実態は、共同代表として櫻井よし子氏と並んで田久保忠衛・日本会議会長、三好達・日本会議名誉会長の名があるように、日本最大の極右組織・日本会議の“改憲キャンペーン大集会”だ。この日、会場につめかけた参加者は、主催者発表で1万1328人。武道館の駐車場には何台もの大型バスが駐車されていたが、これは、地方の日本会議が「1泊2日の東京研修ツアー」などと称して、全国からシンパを動員していたからだ。…
そして驚くべきは、そんなカルト的極右組織の集会に、なんと安倍晋三が現役総理大臣として登場したことである。
「70年間のときの流れとともに、世の中が大きく変わりました。この間、憲法は一度も改正されていませんが、21世紀にふさわしい憲法を追求する時期に来ていると思います」
「憲法改正に向けて渡っていく橋は整備されたのであります」
「憲法改正に向けて渡っていく橋は整備されたのであります」
そう改憲は眼前だと意気込むメッセージを寄せ、来場者から大喝采を浴びた安倍首相。当日の会場アナウンスによれば、安倍首相は本来会場入りして生演説を行う予定だったが、衆院予算委と日程が被ったため、やむなくビデオメッセージでの出演となったという。…会場には古屋圭司、衛藤晟一、下村博文、山谷えり子、新藤義孝、城内実、有村治子、礒崎陽輔……など安倍首相の盟友や側近をはじめ、多数の政治家が来賓として出席していたが、彼らが所属する日本会議国会議員懇談会の特別顧問を務めるのが、他ならぬ安倍晋三だ。
これが安倍が、いよいよ改憲の時は来た!と宣言した最初の場所だったことは何を意味するだろうか。閣議も、党議も、国会も一気に飛び越して、日本会議の大集会で、改憲という最も公的な事柄について最初のアピールをおこなうとは。この集まりは、安倍にとってもう一つの議会なのではあるまいか。ここにずらりと顔を並べた現役の極右政治家たちも「本籍」はここにあるのではないか。かれらは、公党たる自民党には一種の「加入戦術」として加わっているのではあるまいか。
極めつけは、安倍が、9条2項維持プラス自衛隊という今回の改憲提案を最初に行ったのも日本会議系の集会だったことだ。2017年5月3日憲法記念日に開かれたこの集会は、日本会議系の「美しい日本の憲法をつくる国民の会」と「民間憲法臨調」共催の「憲法フォーラム」というものである。そこには衆院の憲法審査会の自民、公明、維新などのメンバーも参加していたという。この集会に、安倍は「自由民主党総裁として」彼の改憲についての全面的な見解を盛ったメッセージを送り、そのなかで「9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」ことを提起した。自民党の中でも一度も提起されたり、議論されたりしたことのない提案であった。
5月8日、民進党の長妻昭議員が、自民党の2012年憲法草案に「基本的人権の尊重」がないことについて安倍総理に質問したのに対して、安倍は読売新聞のインタビューで詳しく述べているので、それを「熟読」せよ、と答えて満場を唖然とさせた。安倍の頭には、国会への応答責任という観念が存在しないかのようである。
一国のリーダーが、全国民に対して所信を述べる、あるいは訴えをおこなうということはありうる。しかし安倍が、改憲という国家にとって最重要なことがらでの方針提起をまず行った相手は全国民ではなく、極右政治団体の集会であった。安倍は、この極右政治世界に対してまず報告し、提案し、承認を求めることを必要と考えているのだ。
一国の総理がそのようであるとき国家は解体に向かう。彼は総理なので公式の行政の長である。したがって公権力外の手続きで成立した彼の決定は、公権力を通じて実施される。公権力外での決定は、法の外にあるので、合法的とは限らない。しかしどうであれそれは公権力の手続きを通じて実施されうるし、されている。それが野党やジャーナリストによって追及されると、ありえないような理屈が発明され、大真面目で主張される。論理的に破綻しても意に介さない。同じことを言い続ける。
この異様な関係は、それ自体として野党の追及の対象にはならなかった。安倍が、首相であるのに、なぜ重大な決定や決意表明を議会に向かって行わず、いつもまず日本会議系の集会に向かって行うか、と厳しく詰問し、それ自身を議会への侮辱として議題にすることもしなかった。結果として私党の優先は黙認された。
誰が公権力を私物化したかー憲法破壊者の全姿を明るみに
森友スキャンダルの核心が、公権力の私物化にあることは明らかであるが、さて私物化したのは誰か。すなわち私物化の主体は誰か。そう正面から問うべきである。答えは、安倍を代表者とする極右私党そのものであるというのが、私の回答だ。なぜなら籠池プロジェクトへの肩入れは、(籠池本人を別とすれば)極右私党にのみ有利に働くものだったからである。安倍晋三夫妻はこの不正な肩入れによって私的利益を得るわけではない。しかし私党のトップである安倍晋三の全体計画にとって、森友が先進的極右教育のモデルケースとして例外的扱いに値するものだったのは間違いない。彼とその私党の観念の中では、森友学園の園児教育は、あまりにも「先進的」なので、まだ一般化はできないにせよ、驚嘆すべき模範であると考えられていたことは疑いない。安倍昭恵は、ここで教育された園児が小学校に入ってせっかく学んだ良き資質を失ってしまうのはもったいない、という趣旨のことを述べたと伝えられたが、安倍夫妻ばかりでなく、極右私党がこの学園をさらに広めるべき模範と位置付けていたことは明らかであろう。日本会議系の有名人たちが次々とこの学園詣でをし、講演したり、賛辞を送ったりしていたのである。そこにはある極右文化圏とでもいうべきものが形成されていて、その内部に通用する常識があったに違いない。安倍は、権力を握った私党の代表である以上、このモデルに特別の便宜を図るのは当然のことと考えられたであろう。しかしこの安倍が同時に行政府を率いる総理であるので、私党指導部(官邸)は官僚にその意向を公式、非公式に伝達し、公式の行政手続きに移すことができた。私党の意向を公権力のパイプでながしたのである。(伝達の方式については、加計学園についての国会審議のなかでかなり具体的に明らかになっている)。森友のケースでは、安倍明恵経由という傍系の経路も加わって、私党の意思に従って官僚が動かされ、私党の意思が貫徹された。
森友問題の解明とは、この私党と公党と公的機関の特殊な癒着構造を明るみに出すことであるべきなのである。それは私党が公党を乗っ取ったことで実現した私党による公的行政機関の支配であり、その私党は現行憲法を破壊することを目的としている存在なのである。
森友スキャンダルについて、野党の質問者は、安倍が、幼稚園児に教育勅語を暗唱させているこの学園をどう評価していたか、を徹底的に追及すべきであった。妻の明恵が、籠池夫妻と昵懇であり、学園の教育内容をたたえ、名誉校長を引き受けたことを当時どう受け取っていたか、をただすべきであった。そして、彼自身は森友モデルをどう評価していたか、をただすべきであった。彼と彼の妻が、この極右学園の教育方針と教育実践を高く評価していたことは明らかである。だからこそ安倍自身が講演の約束までしたのであろう。
これは国有地問題とは別に問われるべき質問である。なぜ、彼も彼の妻も、また少なからぬ自民党の国会議員が、この学園の教育を高く評価していたのか、その理由をまず糺すべきである。そして彼の森友学園の評価は、彼の内閣の一般教育の政策とつながるのかどうかを糺すべきである。土地問題、改竄問題を通じて、このスキャンダルの下部構造に迫るべきである。ここに露頭として表れているのは、組織としてもイデオロギーとしても、極右が公的な領域に侵入し、根を下ろし、憲法の土台を掘り崩しつつある姿である。その全身が公衆の目にさらされることが必要である。
それは改憲問題全体を新しい姿でわたしたちの面前に立ち上げるかもしれない。
xxxxx
0 件のコメント:
コメントを投稿