2015年6月5日金曜日

世界記憶遺産をめぐって


1)知覧特攻平和会館展示批判

2)広島文学資料保全の会主催シンポの紹介



1)知覧特攻平和会館展示批判



去る411日から、ハワイの真珠湾に停泊している戦艦ミズリー号内において、鹿児島県の知覧特攻平和会館所蔵の展示物の特別展示会が始まった。周知のように、194592日、このミズリー号艦上で、マッカーサー元帥が指揮する連合軍側代表団に対して日本政府代表である重光外務大臣や梅津参謀長が降伏文書に署名する儀式が執り行われた。しかし、あまり知られていないことは、同年411日に、ミズリー号は神風特攻の攻撃を受けて右舷甲板後部に火災を起こすという損害を被ったことである。つまり、今回の展示会は、その攻撃の70周年を記念する特別行事であり、しかも、神風特攻関連展示会が海外で開かられるのはこれが初めてである。ミズリー号は現在、博物館として使われており、展示会は今年1111日まで続く。展示品には、知覧特攻平和会館における展示と同様、神風特攻隊員が書き遺した遺書、手紙や軍服が含まれているとのこと。





411日の特別展開会式典には知覧特攻平和会館のある南九州市の霜出勘平市長をはじめ多くの日本人が参加。開会式に続き、静岡大学情報学部で英会話/メディア論を教えている准教授のジョージ・シェフトールという(アメリカ人と思われる)人物が神風特攻に関する短い講演を行った。本人は神風特攻研究の専門家と自負しているようで、私がネット検索した限りでは、著書は1冊もないが、神風特攻に関する論文をこれまでに3つほど発表している。講演記録を読んでみたが、きわめて基本的な歴史的解説に終わっている。しかし、講演後のインタヴューで行った質問に対する回答からは、この問題に関して、彼がかなりの知識を持っていることが分かる。下記がそのインタヴューの記録である。




問題は、知覧特攻平和会館所蔵の展示品、とくに神風特攻隊員が書き遺した遺書、手紙、日記類の、彼の分析・認識の仕方である。周知のように、神風特攻隊員が遺したこの種の資料の多くが、『きけわだつみのこえ 日本戦没学生の手記』(岩波文庫)に収録されている。死を目前に母親、恋人、妻など最愛の人に宛てて書き送った、深い心理的苦痛と哀しみを含んだ文章を目にする者は、誰もが涙せずにはいられないことはあらためて言うまでもない。しかし、シェフトールは、この事実だけから、神風特攻隊員の遺書や手紙は、ただちに「平和思想」を呼び起こす貴重な資料であるという結論にまで一挙に飛躍してしまう。私はこういう単純で希薄な分析にはとうてい賛成できない。「平和思想」を育むためには、このような悲惨な死を多くの若者に強制した戦争、その戦争を誰が、何の目的で、どのように引き起こし、なぜゆえにそのよう悲惨な結果を招いたのか、という歴史的背景を批判的に検討する知識を同時に持たない限り、「特攻隊員の愛と哀しみ」だけでは重厚な「平和思想」は決して生まれない。それどころか、「特攻隊員の愛と哀しみ」だけをやたらに強調するだけでは、「愛する人や故郷の存続のための自己犠牲」という形で「若者の死」を極端にロマン化してしまい、こうしたお涙頂戴のロマンティシズムを通して、特攻隊員を結局は「英雄化」してしまう。これまで神風特攻隊員に関しては無数の劇映画が制作されてきたが、ほとんどが、こうした類のメッセージを含んだものばかりである。ヘイトスピーチの達人である百田尚紀の小説に基づいた最近の映画『永遠のゼロ』はその典型的な例で、本来は自爆攻撃である特攻に反対である主人公の宮部久蔵が、部下を救い、その部下に自分の妻や子供を託すという「深い愛」のために自分の命を犠牲にするというストーリーになっている。この映画を鑑賞する者は、ほとんどが涙を流して感動するのであるが、実は、その「感動」によって、日本が行った戦争がどれほど「狂気じみたもの」であったのか、その責任は一体誰にあったのか、という最も重要な問題が完全に隠蔽されてしまうことに気がつかないのである。



私は、こういう視点からシェフトール批判を展開する英文論考を、つい数日前に発表した。




知覧特攻平和会館も、そのホームページから明らかなように、戦争は「真珠湾攻撃」から始まっており、それ以前の日本軍による中国やベトナムへの侵略戦争については全く無視。しかも、戦争の原因を連合諸国側が日本に対して導入した資源輸出禁止=経済封鎖のみに求めるという説明をつい最近までしていたのである。ところが、不思議なことに、上記の私の知覧特攻平和会館批判論考が発表されてから、この戦争原因の解説部分だけがホームページから削除されてしまっているのである!偶然にしては、あまりにも不思議である。



知覧特攻平和会館は、その所蔵資料がユネスコの世界記憶遺産に登録されるよう、申請運動を昨年から始めた。しかし、昨年は、その資料提示の仕方が「日本からのみの視点」に基づいたもので、人類共通の記憶遺産としてはふさわしくないという理由から、国内選考で落選している。ところが、知覧特攻平和会館は今年再び申請を行う予定で、準備をすすめている。シェフトールのハワイ講演やホームページからの一部情報削除は、おそらく、こうした申請運動と密接に絡んでいるのであろう。今年は、山口県周南市にある人間魚雷の歴史博物館である「回天記念館」もまた世界記憶遺産登録申請を行うようであるが、基本的に、この記念館も知覧特攻平和会館と同じで、人間魚雷で自爆していった若者を英雄化することだけにとどまっている。そのホームページの冒頭では、「祖国と愛する者を守るため、隊員たちは命をかけて出していった」という言葉が掲げられており、配布パンフレットには「祖国を守りたいとの一心から……全国から多くの若者が集まってきた」と、あたかも、回天搭乗員たちはみな熱心な志願者であり、強制など全くなかったかのような虚偽の表現を堂々と載せている。万が一にもこれが世界記憶遺産に登録されるならば、まことに恥ずかしい限りである。



2)広島文学資料保全の会主催シンポの紹介



今年は、広島の市民団体「広島文学資料保全の会」が、被爆作家のうちの3人、原民喜(1905-1951)、栗原貞子 (1913-2005) 、峠三吉 (1917-1953)の手書きの原稿やメモの世界記憶遺産登録の申請を行う。具体的には、栗原貞子の「創作ノート あけくれの歌」と原民喜の「原爆被災時の手帖」(両方とも1945年)、および峠三吉の「原爆詩集 最終稿」(1951年)であり、それらは、広島のいわゆる「原爆文学」の初期作品の中でも、最もよく知られ、最も深い影響力を有する小説や詩の作品の元になった資料である。「広島文学資料保全の会」は、申請理由として、「彼らは、徹底した破壊という恐るべき体験の恐怖を詩や小説という形で表現した。しかし同時に、そうした作品を通して、彼らは人間生命の尊厳の必要性と世界平和の重要性を訴えたのである。彼らの作品の幾つかは外国語に翻訳され、海外で広く研究され評論されている。…….. 核兵器攻撃生存者の極端に悲惨な体験を証言する重要な原資料として、とりわけ貴重な価値を有している。これらの資料は、後の世代が核戦争の恐ろしさを知り、反核意識を世界中で高めていくための貴重な資料でもある」と説明している。



私は、個人的には、この3名の中でとくに、自分たちの原爆被害のみならず、同時に日本人の戦争加害にも深い洞察力を働かせて感動的な詩を創作した栗原貞子の作品は、「人類共通の遺産」となるべき価値を十分に有していると確信している。その意味で、登録申請が成功するよう祈ってやまない。



「広島文学資料保全の会」では、この申請運動のために下記のようなシンポを広島市内で開催する予定であるとのこと。ぜひ傍聴して、これらの資料が世界記憶遺産登録に値するかどうか自分で確かめていただき、支援運動に参加していただければと願う。


シンポジウム         

「広島の被爆作家(栗原・原・峠)による原爆文学を 世界記憶遺産に
2015年6月13日(土) 14時~17時
               YMCA2号館・地下 コンベンションホール

1.開会の挨拶
2.パネリストによる発表・提言                    各20分
① 古田陽久さん ( 「世界遺産総合研究所」所長 広島市在住 )
世界遺産と世界記憶遺産の意義、及び登録へむけてのアドバイス

   ② 安蘇龍生さん ( 「田川市石炭・歴史博物館」館長 田川市在住 )
山本作兵衛コレクションが世界記憶遺産になるまでの経緯、及び登録された
後の課題

   ③ クレアモント康子さん ( シドニー大学准教授・日本文学研究家 シドニー在住 )
外国では原爆文学がどうとらえられているか―栗原貞子を中心に―
   
④ 水島裕雅さん ( 「広島文学資料保全の会」顧問、広島大学名誉教授 千葉在住 )
原爆文学の世界史的・人類史的意味―原民喜・峠三吉・栗原貞子の文学―

<休憩>
3.三人の作品の朗読  
原爆被災時の手帖~(片山朗) 生ましめんかな(本郷美香) 「原爆詩集」の序(八木良広)
4.パネルディスカッション                        60分
コーディネーター   水島裕雅さん

5.フロアーとの意見交換                        20分
6.閉会の挨拶
 



0 件のコメント: