2020年3月31日火曜日

2015年に「世界的流行病」を警告していたビル・ゲイツ


- 防衛予算を「国民生命・健康防衛予算」に!


  2014年にエボラ出血病が西アフリカで大流行したことを踏まえて、2015年4月に、ビル・ゲイツは、世界が破滅するのは核兵器によるよりもウイルスによるパンデミック(世界的流行病)による可能性がひじょうに高いことを警告しました。そのとき彼が予想したウイルス感染拡大の状況は、まさに現在私たちが直面している状況そのものです。驚くほど彼の予測は正確でした。そのとき彼は、予防対策の必要性を熱心に提案していました。
  しかし、その後、世界各国政府もWHOも、こうしたパンデミックに対する国家的規模、国際的規模での治療体制確立や感染予防対策に全く無関心できました。本来は、パンデミックをこそ「人類の敵」と深く認識し、「撲滅の対象」とみなして各国が大規模な予算を国民防衛予算として振り当ててくるべきだったのです。必要なのは、国民の健康をウイルスから防衛する医療福祉体制確立のための予算であって、人命を奪うための兵器の購入・兵器開発は国民の安全平和な生活を脅かすばかりで、「国民の命と健康の防衛」という観点からすれば全く逆効果を産み出していることは誰の目にも明らかなところです。
  ところが、今年2月に英国際戦略研究所(IISS)が発表した年次報告書「ミリタリー・バランス2020」によると、昨年2019年の世界の防衛費総額は1兆7,300億ドル(約190兆円)にものぼり、前年比4%増の伸び率で、これは過去10年で最大となったとのこと。米国と中国はそれぞれ前年比6.6%増で、トランプ政権下の米国は、19年は534億ドル(約5兆8700億円)増の6,846億ドル(約75兆3千億円)。その米国は、今年度は、核兵器現代化予算だけで289億ドル(3兆1,700億円)を振り当てようとしています。
  日本も安倍政権下でこの6年間連続で防衛費を増額させ、2020年度初予算案の防衛関係費(米軍再編費を含む)は過去最高の5兆3,133億円です。しかもそ上に補正予算として4,287億円もの国民の税金が、主としてF35戦闘機(1機110億円)など高額の兵器の米国からの輸入や、購入兵器ローンの返済に当てられます。ちなみに安倍政権は米国から兵器の爆買をやっており、F35は147機も購入するため、それらの維持管理費を含めると総額で6兆2千億円、ミサイル防衛システム「イージ ス・アショア」2基で約6千億円、E-D早期警戒機9機が約3,480億円など、爆買い総額は約7兆1,480億円にまでなります。もうメチャクチャな爆買いです。
 言うまでもなく、日本も世界各国同様に、コロナウイルス感染拡大で危機的な状況にあります(日本ではその深刻さが全く理解されていないように思えます)。人類史上、ひじょうに稀な危機的状況に私たちは直面しています。よほど思い切った対策をとらないと、このままだと国家滅亡的な大危機に陥ります。日本もこの問題に全面的に対処するために、ここで世界が驚くようなラディカルな政策を急遽採用すべきだと私は思います。それは、例えば、防衛予算を「国民生命・健康防衛予算」に全面的に振り替えて、おしみなく使うこと。この予算には、治療体制確立や感染予防対策にはもちろん、現在たいへんな生活困窮状態に落ち込みつつある全ての国民に、今後の半年間あるいは1年間にわたって生活支援のための援助金(例えば1家族あたり最低額でも月額20万円)を支払うという政策を急いで実施すること。月額最低20万円の支払いで、国家経済も必ず持ちこたえます。同時に、これから感染者が急増するであろう、海外、とりわけアフリカ諸国の感染者治療のための支援を急いで準備すること。
  「そんなお金はどこにある?」という質問が必ず出てくるでしょう。金は十分あります!防衛予算です!国民の、さらには世界のできるだけ多くの人々の生命・健康をウイルスから防衛する目的に使うことこそ、憲法9条を持つ日本が使うべき、本当の意味での「防衛予算」です。今こそ、それを実践すべき時なのです!ないのは「お金」ではなく、政治家たちの「倫理的想像力」と市民の命をあくまでも守ろうという「やる気」と「勇断」です! 

ビル・ゲイツの、2015年の「世界的流行病」警告は下記アドレスのユーチューブ(日本語字幕付き)で観れます。

4月2日追記:
昨日4月1日、安倍晋三は全国の全世帯に1軒あたり2枚のマスクを配布すると自分もマスクをつけたまま発表しました。昨日はApril Fool でしたが、まさにこれほどfoolish な発表はありませんでした。マスク2枚で国民は感激して泣いて喜ぶことでしょう!国民の現在の艱難状況に対する安倍の「想像力」の凄さには、私も大笑いがやまないです!70年以上人生をやっていますが、一国の首相自身がやるこんな見事なパロディーにはほとんど出会ったことがないです。「ヨッ、お見事、安倍晋三!恥ずかしくもなくこんなパロディを自演できるのは、晋三、じゃなかった、心臓に毛が生えているような大人物でないとできない!」



2020年3月18日水曜日

A Pandemic of Mass Psychological Damage


Cornavirus and Toilet Papers
日本語版は英語版の後をご覧ください

How are you coping with the Cornavirus panic in your country?

  Here in Australia, within a very short period of about 10 days or so, the number of virus carriers has jumped to 454, and so far 6 people have died. Both the Australian federal government and the Victoria State Government have declared “a state of emergency,” calling it a “pandemic” even before the WHO did. Yet, I think, the state of emergency has caused “a pandemic of mass psychological damage” rather than reducing the problem. People are hoarding toilet papers, tissues and gauze masks. These items have disappeared from our supermarkets, and we have a problem to find and buy them. It is truly mad.
  The number of virus carriers in the U.S. is also rapidly increasing, but the American media hardly reports on the news that the U.S. is now sending 30,000 soldiers to Europe for a war game called DEFENDER-Europe 20. According to the latest news letter of Global Network Against Weapons and Nuclear Power in Space, this war game is the largest deployment of U.S.-based forces to Europe for an exercise in the more than 25 years. These soldiers will disperse across the region to establish intermediate staging bases with multinational forces and participate in various annual exercises, alongside European counterparts. It’s guaranteed to spread Coronavirus further! The title of the war game should be changed to CONTAMINATOR-Europe 20 ! The media is remarkably quiet about this.
We are living in a mad world!
In order to see how mad we are, I’m sending you the following three cartoons by Michael Leunig to laugh at
Take care and best wishes
Yuki


「大衆心理傷害」世界的流行病
コロナウイルスとトイレット・ペーパー考

みなさん、コロナウイルスによるパニック状況にどのように対処されているでしょうか。
  私が住むここオーストラリアでは、この10日間ほどのほんの短い期間に、公的に記録された感染者数が454名、死者6名になりました(3月18日現在)。実数はこれよりはるかに多いと思いますが。豪州連邦政府も、私の住むメルボルンがあるビクトリア州の州政府も「緊急事態宣言」を出し、WHOが「パンデミック(世界的流行病)」と正式に呼ぶ前に、「パンデミック」であると発表しました。しかし、「緊急事態宣言」は、私に言わせれば、『大衆心理傷害』世界的流行病と呼ぶべき現象を引き起こしこそすれ、問題解決には少しも役にたっていません。「緊急事態宣言」のせいで、大勢がトイレット・ペーパー、ティッシュ・ペーパー、マスクを買いだめするためにスーパーや薬局に駆け込み、またたくまに店頭からこれらの商品は消え去りました。必要にせまられて買いに行っても、スーパーの棚はカラッポで手に入りません。考えてもみてください、トイレット・ペーパーを探して必死にあちこち走り回るなどというのは、本当に狂った社会状況です(苦笑:この漢字は「クショウ」ではなく、ここでは文脈上、「クソ」と発音してください)。
  アメリカでも感染者が急増しているようで、ニュースはコロナウイルスの話ばかり。ところが、今アメリカは、「欧州の防衛者:20」という名称でヨーロッパ各地で行なわれる大規模な軍事演習のために、3万人という数の陸軍兵を欧州に送り込もうとしています。ところが、これについてのニュースは全く耳にしません。「宇宙空間における兵器と核軍事力利用に反対する世界ネットワーク」という組織の最新のニュースレターによると、今回のこの演習は、過去25年以上で最大規模の米国内軍を海外に動員するものであるとのこと。これらの米軍兵は欧州各地に派遣され、各地で欧州各国の多国籍軍と協働で中間段階基地と呼ばれる臨時軍事基地を設置し、様々な軍事演習を行うとのこと。これで、確実にコロナウイルスの大規模感染を発生させることでしょう。軍事演習の名称は『欧州の汚染者:20』に変更すべきです。こんな阿呆なことが起きようとしているのに、世界のメディアはいったいどこを見ているのでしょうか!

私たちは本当に狂った世界に生きています!
自分たちがいかに狂った状況にあるかを客観的に見てみるために、以下の三つの風刺漫画(マイケル・ルーニッグ作)をみなさんに送ります。大いに笑って、深く考えてください。

田中利幸
いや、僕は防菌マスクを着けているわけではないんだよ。コロナウイルスによるパニック関連の新聞記事を読んでいるだけで、こんな顔になっちゃったんだ。


左上:はい、またまたコロナウイルスについて……申し訳ない。
   自己隔離で最も起きやすい危険は精神疾患です。
右上:ごく簡単なことを他のことと混同してしまうというのは、「隔離小屋熱病」
   に冒されている証拠です。あるいは、気が狂ってきていると言えます。
   (歯ブラシとトイレ掃除用ブラシの混同)
左下:例えば、トイレット・ペーパーとマスクを混同してしまっている人がい
   るという報告があります。
右下:トイレット・ペーパーをマスクと間違って使うことは笑ってすませます
   が、マスクをトイレ用に使うことは、精神的混乱を引き起こし、見てい
   て哀しいことですし、しかも実際にはひじょうに難しいことです。
   ですから、幸運を祈るのみです!


おまえさん、古い縄ロープを再生利用しようというあんたの創造力には感心するけれど、全国的なトイレット・ペーパー不足の解決にはならないと私は思うんだけどね……

2020年3月5日木曜日

「キング(王様)」になれなかった水呑百姓末裔の「田中」


夫婦別姓をめぐる嘘のような本当の笑い話個人的体験 -

  このところ、コロナウイルス関係のニュースばかりで、他の多くのニュースが無視されている状況です。そこで今日は、夫婦別姓問題について、自分の体験をお話ししてみたいと思います。私がオーストラリア人の連れ合いと結婚したのは1981年2月でした。1980年に日本政府は「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」に署名しました。この条約では選択的夫婦別姓の導入が要求されていましたので、日本政府は条約を批准した1985年からは選択的夫婦別姓制度を導入しなければならないはずでした。ところが、日本政府は、国際結婚だけに選択的夫婦別姓を許し、日本人どうしでは許さないというダブル・スタンダードで、明らかな条約無視をずっと続けているわけです。国連の女子差別撤廃委員会からのたびかさなる勧告を無視続けて、破廉恥にもあからさまに条約を実質的には拒否し続けています。そのうえ、国会にもたびたび出される選択的夫婦別姓関連の法案をこれまで全て無視し、裁判所も、次々と不服申し立て却下、提訴棄却の繰り返し。政治家や裁判官には、この問題がきわめて深刻な女性差別という人権問題であるという認識が全くないようです。

  ともかくも、私が結婚した1981年段階では、国際結婚でも選択的夫婦別姓を許可していませんでした。ですから、私はこの問題で、当時、結婚届けを出そうとした日本領事館のスタッフと少々言い争いをやりました。笑い話のような内容ですが、本当に私が体験したことです。笑って読んでいただければ光栄です。
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下記は、1981年2月のある日の、豪州メルボルンの日本領事館における私と領事館員のやりとりです。ちなみに< >内は私の独白、あるいは解説です。

田中:
先日、メルボルンの婚姻登録事務所で結婚式を挙げ婚姻届けを出しました。つきましては、日本のほうにも婚姻届けを出したいのですが……。そのオーストラリアの婚姻証明書を含め必要な書類を持参しました。
<オーストラリアでは、婚姻登録事務所で、事務官の前で、結婚する二人がお互いに誓約を述べ、書類に署名し、指輪交換、キス(最後の二つは別に強制ではありませんが、当然やるだろうと事務官が「ハイどうぞ」とすすめます<笑>)という簡単な「結婚式」を無料で挙げることができます。私は、当日、妻のために花束を買い、その花束を持った彼女と二人で婚姻登録事務所に行き「結婚式」を挙げました。参列者=証人は妻の両親だけでした。妻の母親(彫刻家)が作ってくれた指輪を、結婚指輪として使いました。>

領事館員:
それでは、この書類の必要ヶ所に記載してください。書類を拝見しますと、奥さんはオーストラリア人の方ですね。

田中:
はあ〜、そうですが。私の連れ合いは「奥さん」と呼ばれるのが大嫌いなので、「連れ合い」と呼んでください。
<まあ、こんなことをこの領事館員に言っても分からないだろうがなあ……。実は、妻はメルボルンのモナシュ大学で日本語・日本研究を専攻し、1970年代後半、大学院在学中に文部省奨学金で早稲田大学に2年ほど留学しました(柳宗悦の「民藝運動史」の研究)。その日本滞在中のホスト・ファミリーの父親がえらく亭主関白で、例えば、仕事から帰宅するとすぐに、廊下を歩きながらスーツ、ネクタイも靴下も放り投げ、それを「奥さん」が拾い歩くという毎日。夕食の時は、「酒」、「ご飯」、「お茶」と、要求するときだけ「奥さん」に向けて言葉を発するといった具合。その他、大学でもどこでも、あらゆる場所で男超優位の社会を見せつけられて、日本の男が大嫌いになりました。私も彼女の気持ちは十分すぎるほどわかります(苦笑)。そんなわけで、女性を家の「奥」に閉じ込めておこうという男の身勝手な意識をそのまま表現しているような「奥さん」という表現が大嫌いです。>

記載済みの必要書類を領事館員に提出すると

領事館員:
え〜とですね、「奥さん」、じゃなかった、「お連れ合い」のお名前ですがね。「田中キング」さんになっていますが、こういう名前は日本では使えないです。ですから単に「田中」と記載してください。


田中:
いや、連れ合いは「田中」にはなりたくないと言っています。ご覧のようにオーストラリアの婚姻証明書では「田中キング」になっていますし、パスポートも最近新しくして「田中キング」になりました。私も本来なら「田中キング」に名前を変えるべきなのですが、私は、言うまでもなく連れ合いは大好き、いや誰よりも好きですが、「キング(王様)」という名前が大嫌いなので、「田中」のままにしてありますが…… 。<Kingキングという名前は英語圏ではひじょうに多いですが、これは、もともとはKing’s man (王様の召使)という表現からきているもので「’s man」を省略した表現だそうです。ですから「王様」ではなく「王様の召使/奴隷」という意味で、そんな「召使/奴隷」は昔はワンサといたわけですから、いま「キング」という姓の人間が多いわけですね。ともかく、私は「王様」にも「王様の奴隷」にも決してなりたくはないです。もちろん、先祖が極貧の水呑百姓の「田中」では、「王様」にはなりたくてもなれないでしょうが(笑)。とにかく、私は「王様」も「天皇」も大嫌いです。>

領事館員:
いや、そう言われてもですね、日本では夫婦別姓は許されていませんし、お連れ合いの苗字、つまり「姓」を、自分の元の苗字である旧姓と合わせて使うということも許されてはいないのです。ですから、ご夫婦のうち、そのどちらかの姓を選んでいただかなくてはなりません。普通は、みなさん、男性のほうの姓を選ばれますがね。

田中:
いや〜、困りましたね。連れ合いは「絶対に田中にはなりたくない」と言っているので…… 。 <かなり考えた上で、書類の上だけで「キング」の姓にしておき、実際には私がそれを使わなければよい、と決めて> それでは、私が「キング」になりますので、連れ合いの名前も元の「キング」のままにしておいてください。<実は、私の父もいわゆる「養子」として母の田中家に入り、名前は河合から田中に変えました。そんなわけで、私にも、別に名前を変えること自体には全く抵抗がありません。>

領事館員:
確かに「ご夫婦、そのどちらかの姓を選んでいただかなくてはなりません」とは言いましたが、「キング」という英語名をカタカナにしたものも日本では使えません。漢字で書ける名前でないといけません。

田中:
<いったいなんだ、これは?日本の婚姻登録はまるで江戸封建社会時代と変わっていないではないか。ここまで来て、我慢していた私も堪忍袋の緒が切れました。なんだと、漢字で書けだと。おお、それなら漢字で書いてやろうじゃないか!> 
ではですね、「金具」という漢字を使いたいと思います。「金具」と書いて、「かなぐ」ではなく「きんぐ」と読みます!それでいいでしょうね!<自分で言っておきながら、これはまるで落語だな〜。クソまじめな領事館員にこのすばらしいユーモアが分かるかな、分からないだろうな〜。>

領事館員:
え!そんなめちゃな、無理ですよ……。当用漢字の読みかたでないといけません。

田中:
そんな阿呆な規則、いったい誰が決めたんですか!「金具」を「きんぐ」と読むのは当用漢字の読み方ではないと言うのですか。どちらが「めちゃな無理」を言っているのか……。もういいです、連れ合いと相談して、出直してきます!
<あいつは、私に二度と「出直して」きてはもらいたくない、という顔をしていたなあ……。上から言われるままに伝えなければならない小官僚も可哀想ではあるが……。なにがおもしろくて、あんなつまらない仕事をしているのか……。少し落語でも聴いてユーモアのセンスを高めたらどうかね。あいつらプチ官僚と話していても全くおもしろくねえ〜な。帰ったら、円生師匠の落語を聴きながら冷酒を一杯、いや数杯飲まなきゃいられないわ。今晩は、連れ合いに少しおおめに見てもらわなきゃ。ブツブツ……ブツブツ……

いまは外国人で日本に帰化する人も多くなったようで、そのためカタカナでの姓名登録が許されているのかもしれませんが(調べたわけではないのでわかりませんが)、当時はこんな馬鹿げた規則のために、越前の田んぼの中の水呑百姓の末裔である私、田中は、幸か不幸か、やはり「キング(王様)」にはなれませんでした(笑)!

それにしても、あれからもうすぐ40年経ちますが、いまだに夫婦別姓は許されず、男性優位社会の日本。この状況は基本的には、40年たっても何も変わっていないですね。電車内で痴漢が多いので、「女性専用車両」を提供しているなどという世界でも稀な、恥ずかしい国。強姦まがいのセクハラをしたジャーナリストが、有力政治家(誰かは想像におまかせします)の助けもあったようで、刑事裁判には訴えられないような、こんな極悪なことがまかり通る社会。夫婦別姓に公の場で反対意見を堂々と表明する首相が、一方では「女性活躍」政策などと、真っ赤な嘘を言って恥ずかしいとも思わない破廉恥ぶり。その親分首相の子分である杉田水脈が、国会で夫婦別姓に反対して「(夫婦別姓に賛成なら)結婚しなくていい!」と野次を飛ばすような、低劣な政治家が跋扈する国。

選択的夫婦別姓制度をとっていない国は、もうほとんどないのではないでしょうか、とりわけいわゆる先進国では。日本は、実際には、いまだ「女性搾取社会」、「女性差別社会」。象徴天皇が「女性差別の象徴」の国ですから、あたりまえと言えばあたりまえなのですが。

笑い話を提供したつもりですが、なんとも情けなくなってきました、すみません。40年も前のことを思いだすんではなかった。あ〜、やっぱり、今晩も冷酒をキュ〜と一杯、でかいグイノミでやらないと、眠れないな〜。

2020年2月19日水曜日

天皇制イデオロギーと日本の教育問題を考える(上)



  聞くところによると、毎年、文科省は、各県の小中高の校長各名に教育賞という賞を与えるために、全国から100名余りを年末に本省に集め、賞を渡した後、皇居に連れていき、天皇にさせ、記念真を一緒に撮るという行事をやっているそうです。広島県でも、その「教育賞」に選ばれた校長が、2月に広島市内の高級ホテルで、盛大に祝賀式をやったそうです。
  「天皇陛下に拝謁した校長の祝賀会に顔を出してお祝いの言葉を述べないとまずい」、という忖度意識が同じ学校の教師の間には必ず発生するでしょうから、この校長は学校内では結局「小天皇」となるわけで、かくして「天皇制イデオロギー」が職場にも浸透していくわけです。これが「我らの内なる天皇制の社会的浸透」といわれる現象です。こういう天皇崇拝と天皇崇拝者の自己賛美が教育行政において年中行事化してしまっており、「我らの内なる天皇制」を自分の意識に強く浸透させた多くの教師たちが、教育現場で子供たちの教育にあたるわけです。
  「個々人の個性や考えは表にはできるだけ出さず、目上の者から言われたことには反対しないで極力従う」、そのことで「仲間たちの間での<和>を保つのだ」、「それが平和というものなのだ」、「その<和>を保てない異質なものは排除する」という「内なる天皇制」。ここからは、「個人の異なった個性と思想を互いに尊重しながら、いかにすれば豊かな人間関係を創り上げていくことができるのか」という思考が産まれてこないのは当然です。学校で教師と子供たち全員に「日の丸・君が代」を強制するというのは、まさにこの「我らの内なる天皇制=草の根のファシズム」を浸透させる強力な手段なのです。
  「我らの内なる天皇制=草の根のファシズム」を打ち崩し、少しでも日本の「民主主義」を本来の意味での「民主主義」に近づけるためにも、「日の丸・君が代の強制」を止めさせることが重要です。
  その観点から、今、広島で展開されている「日の丸・君が代の強制」反対運動を紹介させていただきます。
  
  なお、この続編として次回は、私の生まれ故郷である福井県永平寺町の中学校での「無言清掃」なるものをとりあげて批判します。

田中利幸



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                                                2020年2月13日
広島県教育委員会
教育長 平川 理恵 様

卒業式・入学式で「日の丸・君が代」を強制しないことを求める要請書

                   教科書問題を考える市民ネットワーク・ひろしま                  
共同代表:石原顕、内海隆男、菊間みどり、柴田もゆる
連絡先:082−229−0889 (石原)

私たちは、2003年以来、卒業式・入学式シーズンを前に「日の丸・君が代」の強制に反対し、子ども・保護者・教職員の「思想・良心の自由」の保障を求める要請書を毎年貴教育委員会に提出しており、今年で16年目になります。しかし残念ながら、貴教育委員会には私たち市民からの要請に耳を傾ける姿勢が一向に見られないどころか、「日の丸・君が代」の強制に関わって教育行政の認識及び事態はますます悪化の一途をたどっているようです。

私たちが2003年当時から一貫して「日の丸・君が代」の強制に反対してきたのは、それが民主主義社会の根幹である基本的人権、特にその核心をなす思想信条の自由を侵害する行為だからです。戦前の大日本帝国憲法下で、基本的人権の保障が蔑ろにされ、最終的には天下の悪法である治安維持法によって思想信条の自由が踏みにじられた結果、2000万のアジア民衆を殺戮する侵略戦争を犯すに至りました。これが、歴史修正主義者たちがいくら消したいと思っても消すことのできない我が国の歴史です。その痛切な反省に立って獲得された日本国憲法の大原則を「時代にそぐわなくなった」等の虚言によって反故にすることはできません。

さて、2017年6月に制定された「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」に基づき、昨年(2019年)4月30日に前天皇が退職し、翌5月1日に新天皇が世襲によって新たにその職に就きました。以降、現在に至るまで、天皇の交代にまつわる数々の「儀式」が公費を浪費して実施され、それを官民及びマスコミを挙げて「奉祝する」という異様なムードがあおられています。主権在民、政教分離を大原則とする現行憲法のもとで進行している現在の天皇「代替わり」キャンペーンは、憲法上の多くの重大な問題をはらんでおり、民主主義的な社会の実現をめざす私たちの願いとは相いれないものです。

日本国憲法第一条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」で明らかなように、主権は天皇にはなく、天皇は単なる象徴にしかすぎません。また日本国憲法第四条「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない。」の規定通り、天皇には国政上、何の権限もなく、憲法に定められた国事行為しかしてはいけないのです。憲法上の何の規定もない皇族の様々な行動が所謂「公的行為」として、多額の市民の税金を使って長年繰り広げられ、政治利用の温床ともなってきましたが、もってのほかです。

今回の「代替わりキャンペーン」に関わる法的根拠をみれば、日本国憲法第七条で天皇の国事行為が列挙してあり、その第10項で「儀式をおこなうこと。」とされ、具体的には皇室典範第二十四条で「皇位の継承があったときは即位の礼を行う。」、同第二十五条「天皇が崩じたときは大喪の礼を行う。」という規定があるだけです。唯一法令上の規定のあるこれら二つの「儀式」ですら、日本国憲法の原則の範囲内で実施されなければならないことは自明です。にもかかわらず、実際には、多くの憲法違反が強行されています。

例えば、「即位の礼」の中では、「剣璽等承継の儀」「即位後朝見の儀」なるものが、国事行為として行われました。「剣璽等承継の儀」とは、天皇家が代々受け継いできたという「三種の神器」(「剣」「璽(勾玉)」「鏡」)を、前天皇から新天皇に渡すという儀式です。これは明らかな宗教(皇室神道)儀式であり、それを国事行為として行うことは、明確な憲法第二十条「政教分離」違反にあたります。また、「即位後朝見の儀」も首相が「国民代表」として祝辞を述べ、天皇が「おことば」を下すためのもので、そもそも「朝見」という言葉自体が、「臣民」が天皇を拝謁するという意味で、天皇主権の大日本帝国憲法の思想をそのまま残すものです。しかも首相が天皇より低い位置から高座に立つ天皇を見上げる(天皇が見下す)形で行われ、まったく現行憲法の主権在民の大原則を踏みにじる形式で実施されています。

また11月22日には、新天皇が「即位」を「皇祖神・天照大神」に報告するためとして、伊勢神宮の外宮を訪れましたが、同行した新皇后は参拝時にはその場から遠ざけられていました。皇后は皇位の印である「神器」に近づけないのです。皇室典範第一条で「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」として、皇位継承から女性を排除しているためです。これは剥き出しの女性差別であり、日本国憲法第十四条「法の下の平等」にも反しています。このように、数々の憲法違反を含む一連の天皇「代替わり」行事に、なんと総額166億円もの血税が支出されると言います。昨年11月14日に行われた大嘗祭では、たった数週間で取り壊すことが決まっている大嘗宮の建設に27億円もの公費をかけるなど、今なお多くの市民が、福島原発事故では故郷を追われ、豪雨災害や台風被害でも塗炭の苦しみを味わっている中で、異様というほかありません。

文科省も、戦前の天皇制軍国主義下で市民を教育勅語で徹底的に洗脳し、数知れぬ子供たちを戦場に送ったその歴史的責任はすでに過去のこととして忘れ去ったかのように、「日の丸・君が代」の強制にさらに上乗せして、またぞろ学校教育の場でこのキャンペーンを展開しています。昨年422日付の全国の都道府県教育委員会などに向けた通知で、「学校で児童生徒に天皇の退位と皇太子の即位に国民が祝意を表す意義を理解させるよう」周知徹底を求め、貴教育委員会もそれにしたがって、県内の公立学校を指導したと伝えられています。日本国憲法第一条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とされているものの、昨年4月の沖縄タイムズによる世論調査では一割前後の市民が「天皇制は廃止すべき」と答えていることからもわかるように、国内の市民の一定の層は、このような非民主的な天皇制に異議を持っています。教育行政も憲法違反の政治的キャンペーンに迎合することなく、現憲法の諸原則に厳密に則って教育行政を執行すべきです。

以下について要請します。

1 卒業式、入学式については、各学校現場の裁量に委ねて民主的に決定、実施するよう指導すること。また「日の丸・君が代」に関わる職務命令の発令や詳細な実施状況の報告提出等を求めないこと。
2 音楽担当教員に「君が代」のピアノ伴奏や斉唱練習を強制しないこと。
3 やむをえず「君が代」斉唱を式次第に入れる場合、式参加者の思想・良心の自由を保障するため、次のような手立てを講じること。
 ・練習や式当日の「君が代」斉唱に際して、「歌わない」「立たない」「退席する」などの自由が式参加者にあることを事前に周知徹底すること。保護者には文書でも広報すること。
 ・「日の丸・君が代」を強制されることが自らの思想・良心に反すると申し出る子どもが、そのことでいじめや仲間外れ、右翼からのハラスメント等の被害にあうなどの人権侵害が生じないよう、その配慮を具体的に提案すること。
 ・子どもの不起立調査、またそれに基づく教職員への調査・査問等は違法な人権侵害であるので絶対に行わないこと。
4 これまでに不起立等の理由で発令した教職員への処分はすべて撤回すること。また今後もいかなる処分もしないこと。
5 教職員の思想信条の調査にもつながる不起立者への現認、査問、報告等を求めないこと。
6 児童、生徒が「日の丸・君が代」を巡る歴史的事実等を教育内容としてきちんと学習できるように条件整備をすること。
7 子どもの権利条約、多文化共生(インクルーシブ)の観点から、公立学校に通う多様な民族的ルーツを持つ児童・生徒については、特段の配慮をすること。   
8 「仰げば尊し」など戦前の修身教育を支えた時代錯誤の唱歌を復活させないこと。         

以上


 

2020年1月29日水曜日

今、日本で起きていること、広島で起きていること


  天皇裕仁と(安倍晋三の祖父)岸信介を含む多くの政治家や軍人の戦争責任を隠蔽し、裕仁を「平和主義者」であったなどという大嘘の神話をつくりあげて「平和憲法」を設置し出発させた日本の「戦後民主主義」が、当然ながら、もともと脆弱ではなはだしく歪んだ形の「民主主義」であったことを、私はこれまで機会があるたびに述べてきましたし、昨年は単著と言う形で活字にもしました(『検証「戦後民主主義」:わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』<三一書房>)。そんな「戦後民主主義」は、近年、安倍晋三内閣の下で文字通りボロボロ状態にされてしまったと言っても過言ではないと思います。
  憲法9条をないがしろにし、政治権力を私物化して、やりたいことはやり放題の上に、嘘は言い放題。親分がそんな不遜な態度ですから、子分どもが同じようにやりたい放題、嘘は言いたい放題の態度をとることも当然。杉田水脈のように、子分は親分に忠誠心を示すために、安倍の気にいるような野卑なヤジを国会でとばす。批判されると虚偽と欺瞞で言い逃れ、責任は一切とらないどころか、批判した相手の信用を汚い手法を使っておとしめる。これはもはや「政治家集団」と呼べるようなものではなく、無責任極まりない連中の集まりである「ヤクザ集団」が日本の政治を動かしていると描写すべき状態です。
  なぜ日本の「戦後民主主義」はこれほどまでに低劣なものにまで劣化してしまったのでしょうか?いろいろな理由があげられると思いますが、その中でも私が決定的に重要だと思うのは、自国の重大な戦争犯罪者の責任をうやむやにしてしまい、侵略戦争により数千万人のアジア人を被害者にした国家の罪を徹底的に償うことをせず、さらには、米国が原爆を含む無差別空爆で大量殺戮したという、自分たちに対して犯した犯罪を徹底的に追及することもしてこなかったことです。そのため、わたしたちの「正義感」が完全に堕落してしまったことに原因があると私は考えています。
  権力者たちは、「法治国家」という形式的な概念を自分たちの権力を正当化し維持するために常に悪用します。法治国家が本来の法治国家として機能するためには、その法治国家の公正さが常に再生され続け、活用され続ける必要があります。そのためには、政治的、社会的な正義感が国民の間に深く根づき、強く働いていなければなりません。つまり、それは単に法を知識として理解しているだけではなく、さまざまな政治的、社会的な出来事が道義的に正しい(=正義な)のか、それとも不正(=不正義)であるのか、それを識別判断する能力をわたしたちがもっていなければなりません。その能力が「正義感」であり、同時に、不正である場合には、その不正を正す強い意志が「正義感」です。
  この正義感を養うためには、不正=罪に対する深い認識が必要ですが、日本の場合、侵略戦争で犯したさまざまな残虐な戦争犯罪という罪に対する認識を国民的規模で深めることを、戦争直後から怠ってしまい、その後ずっと怠ってきました。こうした状況を作り出したのは、単に日本政府だけではなく、日本を占領した米軍(=米国)も加担していたことは言うまでもありません。そしてその米国も、多くの日本市民を無差別空爆で大量殺戮した罪を罪として明確に認識することをこれまで長年怠ってきたため、正義感が堕落してしまい、現在のトランプ政権のような無責任な政権を作り出してしまったのです。かくして、現在の「民主主義」と「日米軍事同盟」は、正義感を堕落させた日米両国政権の共同謀議で産み出されたものなのだというのが私の解釈です。
  不正=罪に対する深い認識の上に立った正義感は、現在の政治社会状況に立ち向かうために必要なだけではなく、未来に向けてわたしたちの「倫理的想像力」を養うためにも不可欠です。自分たちの両親、祖父母、それ以前の世代が犯した「国家的不正=罪」の被害者の痛みに想像力を働かせ、その痛みを自分たちのものとして共有し、内面化することで、将来、同じような不正を自分たちも犯さないし、また誰にも犯させない、という「倫理的想像力」を身につけるためには、正義感が不可欠だと私は信じています。安倍政権が起こしているさまざまな問題からは、安倍晋三親分と彼を取り巻く子分どもの徹底した正義感の欠落、徹底した倫理的想像力の欠落を感ぜざるをえません。その点で、安倍は「お爺ちゃん」の文字通り「申し子」なのです。「慰安婦」や「徴用工」問題に対する安倍政権の対応でも、社会的、政治的な正義感や倫理的想像力のカケラすら感じません。
  日本の場合、ドイツと違って、こうした強い正義感と倫理的想像力をもった政治家がもはやほとんどいないというは、国家的不幸です。この点でのドイツとの対照的な違いは、最近、メルケル首相がアウシュビッツで、シュタインマイヤー大統領がエルサレムのホロコースト記念館でそれぞれ行った感動的な演説の内容からも明確です。二人の演説からは、ジェノサイドを犯した加害国が長年の苦闘と努力で養ってきた国民的規模での正義感と倫理的想像力の素晴らしさが、心に浸み込んできます。
  残念ながら、広島の「反核運動」にも、私は正義感と倫理的想像力、とりわけ戦争加害者・加害国としての正義感と倫理的想像がひじょうに薄弱、いやほとんど不在だと感じています。また広島市近辺の呉や廿日市でもひじょうに憂慮すべき事態が起きています。
  下記は、広島の活動仲間である岸直人さんからいただいた情報です。お目通しいただき、ご協力をいただければ光栄です。

田中利幸
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   私たちは呉教科書裁判に取り組む間、自衛隊の第六潜水艇追悼式への児童参加中止要請(佐久間艇長の行動は業務上の過失行為、賛美すべきではないこと)、などを通して自衛隊が深く学校教育に侵入してきている実態を体感してきました。昨年末には呉鎮守府開庁130周年を記念して、海上自衛隊音楽隊と呉市立高校吹奏楽部とがあろうことか呉市議会で合同演奏を行う「事件」や、同じく昨年秋自衛隊員が銃器を持ち呉市内を走り抜ける訓練をするなど、呉市や教育委員会と結びついた広報活動が活発に行われています。
これは呉市だけのものではなく、廿日市市や県内外全国的に、狙いを付けた行政への侵入を実行しているものと思われます。市長や教育委員会を抱き込み、学校や自衛隊関係者だけの閉鎖的な空間で実施するので、一般市民が気づくことが遅れるように思います。
また、相手が自衛隊なので「たてつく」のは気が引けます。 しかし、無批判に教育現場に軍事的影響力を入れることを許すことはできませんから、この取り組みを始めることにしました。
どうぞ、よろしくお願いします。
岸直人

「廿日市市の中学校吹奏楽部と自衛隊音楽隊との
コラボコンサート中止要請」について賛同のお願い

教科書問題を考える市民ネットワーク・ひろしま   
共同代表: 石原顕 内海隆男 菊間みどり 柴田もゆる
連絡先:事務局 岸直人(090-6830-6257)

  廿日市市では2018年度から自衛隊音楽隊と中学校吹奏楽部とが「コラボ演奏」をする「ふれあいコンサート」が行われ、2019年度は2回目の演奏会が行われました。自民党、安倍内閣が憲法第9条に自衛隊を明記する改憲を進める中、憲法違反の「戦争法制」が成立し、今や実質「中東派兵」により自衛隊は外征軍へと急速に変貌を遂げています。
  1月11日、海上自衛隊那覇基地からP3C哨戒機部隊が中東に派遣され、2月2日には海上自衛隊横須賀基地から護衛艦「たかなみ」が出港します。名目は防衛省設置法に基づく「調査・研究」とされていますが、バーレーンの米海軍第5艦隊司令部に連絡要員が派遣され、そこで得られた情報は米国などと共有される事実上の共同軍事作戦行動です。現地で日本関係の船舶が攻撃を受けた場合は、自衛隊の武力行使が可能となる事態になっています。
 このような状況の中で、廿日市市と教育委員会は上に述べた自衛隊の現実を生徒に知らせ考えさせることなく、中学生たちが自衛隊音楽隊の「演奏の素晴らしさ」に魅了され、自衛隊を好きになることで、自衛隊入隊募集の手助けをしているのです。私たち市民は自衛隊による実質勧誘活動に市や教育委員会が協力することに反対し、「コンサート中止の要請」を2月上旬に提出します。つきましては、廿日市市内だけではなく県内・全国の市民や市民団体の皆様の「賛同」により「中止要請」の応援をしていただきたいと思います。 

賛同団体名:
(共同)代表者名:
送付先(教科書ネット・ひろしま事務局 岸直人):famkjp@kdr.biglobe.ne.jp 
「個人賛同」をしていただける方は廿日市市役所に電話、FAX、メール、手紙、ハガキで「コンサート中止要請」を送っていただけると大変ありがたいです。たくさんの市民の要請が行政の判断に影響を与えると思います。
廿日市市役所(〒738-8501 広島県廿日市市下平良一丁目111号) 
電話:0829-20-0001(代表) ファクス:0829-32-1059
メール:https://www.city.hatsukaichi.hiroshima.jp/ques/questionnaire.php?openid=5&check
  
下の写真は、2019年9月21日(土)に廿日市市文化センター「さくらぴあ」大ホールで開催された『海上自衛隊呉音楽隊「自衛隊ふれあいコンサート」』の様子です。待合ロビーでは、自衛隊服、帽子の試着、アンケート記入のお礼にシールなどのグッズの提供が行われました。