2023年11月27日月曜日

核兵器を抱きしめて(4)

ヒロシマを抱きよせる米国、抱きしめられたい広島と日本 ―

第4回:ヒロシマを抱きよせる米国 (その3)

アメリカのポピュラー・カルチャーによる原爆無差別大量殺戮の取り上げ方

 

今回は、アメリカのポピュラー・カルチャー、とりわけ最近話題になった映画「オッペンハイマー」が、実は巧妙に原爆無差別大量殺戮を正当化していることを分析してみたい。また、「オッペンハイマー」と「バービー」の2つの映画がセットで同時公開されることで、「バーベンハイマー」という奇妙なポピュラー・カルチャー現象が巻き起こされたが、そのような現象が、原爆問題の捉え方にどのような影響を与えているのかについても議論してみたい

 


 

. 再び「責任問題の棚上げ」について

. 映画「オッペンハイマー」の問題点

. 原爆のファンタジー化 : 「バーベンハイマー」ポップ・カルチャー現象が引き起こしている問題

. 映画「オッペンハイマー」に、原爆攻撃を受けた広島の惨状の描写をもっと強烈鮮明に含めるべきだったか?

 

1.    再び「責任問題の棚上げ」について

 

しかし、その前に、前回の論考で、921日に広島市の市民局長・村上慎一郎が、市議会で「原爆投下に関わる米国の責任の議論を現時点では棚上げする」と述べたことについて、私は、この問題の核心は何かについて厳しく批判的検討を試みておいた。もう少し、この問題についてコメントしておきたい。

1027日の広島市長の記者会見で、この「棚上げ問題」について複数の記者から松井市長に対して質問が向けられた。この記者会見の様子を youtube で私は観たが、はっきり言って市長の答弁はメチャクチャである。いわく、「棚上げ」というのは「(姉妹公園協定を結ぶ過程で、原爆投下責任について)議論しなかった、やらずに来ましたという説明」をするために使った表現であって、「それ以上でもそれ以下でもありません」と。

市民局長・村上の発言は、明確に「今から棚上げする」と言っているのであって、「議論しなかったから、棚上げしたのだ」などと言っていないことは、誰が読んでも明らかである。「棚上げ」をなんとかして誤魔化そうとするため、「棚上げ」の定義を全く無視した、このような支離滅裂な答弁になるのだ。本人がいかに自分の発言が支離滅裂であるか気がつかないこと自体が、何とも悲劇的である。

よって、記者が「棚上げ」の意味について、市長の考えについて繰り返し問いただしたのは当然である。これに対して、「アメリカの責任を免罪にする意味ではなく、協議の中で議論をしていなかったという意味での言葉遣い」だと再びマヤカシを謀った。それでも喰い下がる記者に、松井はもろに怨言と表現できるほどの不満と苛立ちを見せながら、「質問になっていない」と記者を非難。松井自身の発言こそ「答弁になっていない」のである。最終的に松井は、「和解の精神の下で未来志向で取り組んでいくという状況説明であって、不問・免罪するという意図を意味しているのではない」という意味での発言で、逃げ切った。

今回の記者会見での松井の言動が明らかにしたことは、前回の論考でも記したように、原爆無差別大量殺戮を問題にする上での、2つの決定的に重要な論点 ― 「責任」と「和解」― について、これまで松井が何ら考えをめぐらしてはこなかったし、今もめぐらしてはいないということである。よって、パールハーバー国立公園と広島平和公園の姉妹公園協定の締結過程で、「原爆投下責任」についてエマニュエル米大使と議論しようなどとは、松井は考えたこともなかったのであろう。しかも、「議論しなかったことのどこが悪い」と居直っているのだから、よけい仕末に負えない。「和解」についても、米国側の「和解のシンボルに」という提案に、これまた松井はごく軽佻浮薄に同調したに違いない。

前回も述べたように、「棚上げ」しようにも、「棚上げ」するものを最初から市長も市長の部下たちも持っていなかったのである。全く今まで考えたこともなかった「原爆無差別大量殺戮の加害国である米国の責任」が、突如として問題視されるようになり、答えようがなくて、松井は甚だしく苛ついたのであろう。その鬱憤が記者会見でも爆発した形となったと想像できる。

さらに、1113日のメディア報道によると、アメリカ側はG7広島サミット期間(5月19〜21日)中の締結を広島市に打診し、調印場所にはセキュリティが確保されている原爆資料館が検討されていたことが、市民団体による情報公開請求を受けて広島市が開示した文書で明らかになったとのこと。つまり、アメリカは、この姉妹公園締結をG7広島サミットの一大イベントとして、世界各地に華々しく告知しようと考えていたのである。しかも、その締結会場を原爆資料館の中でやろうという、大胆不敵な企みだったのである。

その目的は、すでに前回のヒロシマを抱きよせる米国 (その3)で詳しく解説しておいたように、姉妹公園協定を通して、真珠湾攻撃と原爆無差別大量虐殺が、あたかもシンメトリー(相称的)なもの、つまり二つの軍事攻撃がまるで均衡しているかのような幻想を世界中に拡散し、それを大勢の人たちに信じ込ませてしまおうというものである。これによって、原爆無差別大量殺戮の恐るべき実態を甚だしく歪曲し、その驚愕的な殺傷破壊力を強度に去勢化したイメージに変えてしまおうという意図が、ここにモロに表れている。松井はこの13日の会見で、アメリカ側からサミット期間中の具体的な日時の連絡がなかったため見送ったと述べたとのこと ― つまり米国側は、この提案はあまりにも露骨であったと考え直したのであろうか。また、検討された原爆資料館での調印については、市長は「場所までは思いが至っていなかった」と述べたとのこと ― この発言もまた、彼が、姉妹公園協定が孕んでいる米国側の政治的目論みについて、何も考えていなかったし、今も考えていないことを晒け出している。

しかし、前回の論考でも述べたように、原爆無差別大量殺戮を問題にする上での2つの決定的に重要な論点 ― 「責任」と「和解」― については、市長だけではなく、ほとんどの市役所職員はもちろん、大部分の被爆者と広島市民、さらには一部の反核市民活動組織もまた、これまで熟考し、深く議論しては来なかった。これこそが、「ヒロシマを抱き寄せる」米国の画策に対して、何ら有効な対応策を打てないでいる広島の最も深刻な弱点なのである。この点を我々は深く反省し、今後、どのようにこの問題と闘うべきなのか、その戦略を練る必要がある。

 

2.    映画「オッペンハイマー」の問題点

 

私は長年にわたり広島・長崎への原爆攻撃を含む無差別空爆殺戮史の研究に取り組んできたが、この研究を通じて、同じ分野で研究を行っている多くのアメリカ人の友人ができた。『アメリカン・プロメテウス: J・ロバート・オッペンハイマー』2006年(日本語版『オッペンハイマー「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』 2007年)という題名の本の共著者であるマーティン・シャーウィンもその一人。クリストファー・ノーラン監督の最近の映画『オッペンハイマー』は、この傑出した本に基づいていると宣伝されている。残念ながら、マーティンは2021年に他界したため、この映画を観てはいない。映画には内容的に多数の問題があると私は考えており、もしマーティンがいまだ存命であったなら、全面的にこの映画を認めたかどうか、ひじょうに疑わしいとも思っている。

 

今ここで、そのすべての問題について議論している時間的余裕がないので、極めて重要な幾つかの点にだけ絞って批判的検討を加えておく。

 

A.    原爆使用を回避しようと努めた科学者が多数いたことを完全に無視

 

この映画は、広島が原爆によって破壊された直後、この都市とそこに住む住民が受けた原爆攻撃の壊滅的な影響に、オッペンハイマーが精神的に打ちのめされたその打撃 ― 罪悪感 ― に強く焦点を当てている。この点では、確かに史実に基づいてはいる。しかし、この映画は、マンハッタン計画が作り出した原爆がもたらした破壊力の恐るべき結果にショックを受け、原爆開発に携わったことに深く後悔した科学者が、あたかもオッペンハイマーただ一人だけだったたかのように表現していることは問題である。

実際、マンハッタン計画のメンバーの一人で、著名なハンガリーの物理学者 ― 核連鎖反応の可能性を最初に思いつき、黒鉛型原子炉や増殖炉も発案した レオ・シラード ― は、原爆製造が完成する以前から、原爆の発明とその実際の使用がもたらすであろう恐ろしい結果を明確に認識し始めていた。彼はまた、核兵器がもたらす長期的な影響にも懸念し、米国が核兵器を使用すればソ連との核軍拡競争が始まるとも予測するようになった。19455月、最初の原爆実験の2ヵ月前、彼はトルーマン大統領に原爆を使用しないよう説得を試みたが、失敗に終わっている。717日、ニューメキシコで初の原爆実験「トリニティ」が行われた翌日、シラードは、日本に対して降伏宣言を出すことなしに原爆を使用しないようトルーマン大統領に求める嘆願書を作成。これには69人の科学者仲間が連署した。その後数週間で、マンハッタン計画の科学者の署名は155人に増えている。

同じくハンガリーの物理学者でシラードの親友だったエドワード・テラーが、オッペンハイマーにこの嘆願書のコピーを渡した。テラー自身は、日本側になんらの警告なしに原爆攻撃を行うことに賛成だったにもかかわらず、元はブタペストの同じユダヤ人学校の学友であったシラードから頼まれたからという理由で、仲介役を務めただけである。

テラーによると、オッペンハイマーはこの嘆願書に怒りをあらわにし、シラードや彼の同僚をけなし始めたとのこと。「彼らに戦争を終わらせる方法がわかるというのか?そのような判断はスティムソン陸軍長官やマーシャル将軍のような人物の手に委ねておけば良いのだ」と主張。結局、オッペンハイマーはこの嘆願書を直接ワシントンに送らず、通常の事務手続きと同じように、陸軍組織経由でホワイト・ハウスに送った。その結果、嘆願書がトルーマンに届いたのは、広島が原爆で破壊された後であった。オッペンハイマーのこの反応の裏には、シラード ― 天才的な物理学者 ― に対する科学者としての嫉みもあったのではなかろうか。

アインシュタインとシラード

映画の中でシラードは、19398月に自分が起草した手紙をフランクリン・ルーズベルト大統領に送るようアルバート・アインシュタインに依頼し、ドイツが最初の原爆を製造した場合の危険性を指摘した人物として少しだけ登場する。実際にはこれが契機となって、アメリカの原爆計画が始まった。

映画の中で、シラードはごく短いシーンで再登場し、請願書についてオッペンハイマーと対立し、原爆使用計画に反対する。このシーンでシラードは、「ドイツはすでに敗北し、日本も長くはもたないだろう」と言う。シラードは 「歴史が我々を裁くだろう、ロバート」とも言う。しかし、オッペンハイマーは嘆願書を一蹴する。この場面の直前の短いシーンでは、ロスアラモスの科学者会議で、フィリップ・モリソンとドナルド・ホーニングの2人の科学者が、原爆使用の必要性に疑問を呈している。

しかし、私の知る限り、当時シラードはロスアラモスではなくシカゴの冶金研究所で働いていたため、ロスアラモスにいるオッペンハイマーに直接面会して嘆願書を突きつけたことはなかったはずである。彼がテラーに嘆願書をオッペンハイマーに渡すように頼んだ理由は、直接会える機会がなかったからだ。原著『アメリカのプロメテウス』によると、モリソンは「もし原爆の実験的使用を日本側に見せつける形での警告が非現実的だと思われるなら、日本に対して何らかの正式な警告を行うべきだ」と主張した。しかし、この提案は同席していた陸軍将校によって即座に却下された。現実には、科学者が、その場で道徳的な問題を提起するのに十分な時間さえなかったようだ。

したがって、この映画は日本に対する原爆使用に関する科学者の道徳的懸念についてごく簡単に触れてはいるが、155人もの科学者が道徳的理由で原爆使用に反対したことを明確にすることには失敗している。よって、この映画は、マンハッタン計画に関わった科学者の中で、戦後深い罪悪感に苦しんだのはオッペンハイマーただ一人だけであったかのような印象を与える。

しかし、シラードの上記のような、原爆使用をなんとか喰い止めようという行動は、この映画の他の部分ではまったく無視されている。戦後、シラードは『My Trial as a War Criminal(戦争犯罪人としての私の裁判)』と題する短編小説を書き、その中で原爆とその製造に携わった科学者たち ― 自分自身を含む ― の道徳性に疑問を呈している。さらに、戦後、米ソ核軍拡競争を避けようと、ソ連首相ニキータ・フルシチョフとも連絡を取っていた。

 

A.    オッペンハイマーによる原爆使用正当化=「原爆神話」をそのまま映画化

 

戦後、オッペンハイマーは、原子爆弾の破壊力と人道的影響に深い懸念を抱き、核兵器は人類に重大な脅威をもたらし、最終的には人類自滅につながるとの信念から、核軍縮を呼びかけた。彼は原子力委員会の顧問となり、ソ連との核軍拡競争を防ぐための働きかけに努力した。いわゆるSuper Bomb ― 超大型原爆である水爆 ― の開発に反対するようになり、かつての同僚で「水爆の父」と呼ばれるようになっていたエドワード・テラーとも対立した。ただし、オッペンハイマーは、戦術(小型)核兵器開発には反対しなかった。

同じ頃、冷戦を背景に、上院議員ジョセフ・マッカーシーが中心となって「赤狩り」を行うようになった。このマッカーシズムにとっては、ごく短い一時期アメリカ共産党の党員であったオッペンハイマー個人 ― それに近親者や友人も元共産党員で、本人は水爆開発に反対する科学者 ― をスパイ疑惑で槍玉にあげることは、政治的に好都合であった。彼の妻キティ、実弟フランク、フランクの妻ジャッキー、そしてオッペンハイマーの大学教員時代の恋人ジーン・タトロックはみな、一時、アメリカ共産党員だったのである。

よって、オッペンハイマーはソ連の指示を受けて、米国の核関連機密情報を流し、同僚科学者に働きかけて米国の水爆開発をおくらせたという、全く事実無根の疑惑で、4週間にわたって、原子力委員会が立ち上げた調査委員会による厳しい査問を受けることとなった。彼本人だけではなく、多くの時間を共に過ごした同僚や家族も同様に手厳しい尋問を受けた。最終的に19544月にスパイ容疑は晴れたものの、国家機密を保持する資格はないとみなされ ― すなわち機密安全保持疑惑は続行し ― 、事実上公職追放となった。

この映画には、オッペンハイマー自身と妻キティが耐え忍んだ、つらくて長い公聴会のシーンが数多く含まれている。ある場面で彼は、「広島と長崎への原爆投下は戦争を終わらせるために不必要だったと思うか」、と問われる。彼は、「原爆投下は確かに酷たらしいものだったが、戦争を終わらせるためには必要だった」と答えた。これはおそらく事実であろう。

このことは、1965年 ― 死亡する2年前 ― に行われた彼への実際のインタビューでも証明されている。このインタビューの中でオッペンハイマーは、原爆投下なしには戦争を終わらせることはできなかったと、言葉を注意深く選ぶ苦しげな様子で ― その理由については後述 ― 主張しながらも、「最終的に原爆は大きな救済だった」と述べている。

https://www.youtube.com/watch?v=AdtLxlttrHg

 この映画の中の、機密保持に関する査問におけるオッペンハイマーの発言のシーンは、世界中の観客に、最終的に原爆が、長く続いた血なまぐさい戦争を終わらせたのだという強い印象を与える。事実上、このシーンは、2発の原爆が戦争を終わらせただけでなく、戦争が続いていたら失われていたであろう100万人の命を救ったという、アメリカ政府が作り上げた「原爆神話」を裏付ける働きを果たしている。この神話に基づくアメリカの原爆無差別大量殺戮の正当性は、今も世界中で広く受け入れられている。アメリカ国内での世論調査では、1945年の戦後間もない時期では米国市民の85%がこの原爆神話を信じていた。2016 ― すなわち戦後71年目 ―の調査では56%まで下がったとはいえ、いまだに半数以上の市民が原爆神話に浸されている。

今年721日に全米で公開されたこの映画は、すぐに世界各国で上映され、86日には世界興行収入が推定55,290万ドルとなり、ユニバーサルが配給した第2次世界大戦関連の映画の興行収入としては史上最多となった。9月第3週末時点での世界興行収入が91,200万ドル、11月には94,8992235ドル(約1,423億円)にという巨額になっている。観客数にするとどのくらいの数になるのか分からないが、とにかくこの映画が、米国のみならず世界の様々な国の市民にあたえた「原爆神話」再強化の影響は、とてつもなく深く且つ大きい。

 

B.   原爆使用の真の理由を知ったオッペンハイマーの心理状況を無視

 

1964年、アメリカの歴史家ガル・アルペロヴィッツは、ヘンリー・スティムソン陸軍長官の日記や、バーンズ国務長官その他が作成した国務省関連資料など、当時新たに公開された多くの公文書資料を用いて、トルーマン大統領の対日原爆使用の決定は、戦略的必要性に基づいていたのではなく、ソ連に原爆の威力を示すことによって戦争を終わらせることにあったことを、明確に証明した。アルペロビッツはオッペンハイマーに、彼の著書『原子外交: 広島とポツダム:アメリカの原爆使用とソ連との対決』(日本語版 『原爆投下決断の内幕悲劇のヒロシマナガサキ』)の前刷りを送り、オッペンハイマーのコメントを求めた。オッペンハイマーは、アルペロヴィッツが使用した資料が自分にとって「ほとんど知らなかった」ものであることを認めた。しかも、彼はアルペロビッツに、「私はあなたの(分析した)バーンズ国務長官を認めるし、あなたの(分析した)スティムソンも認める」と言って、アルペロビッツの著書の結論を受け入れることをほのめかしたのである。

 

しかし、彼は論争に巻き込まれることを拒否し、公の場では「原爆は大きな救いだった」と言い続けた。その理由は、アルペロビッツの論文を公に支持すれば、自分に対する個人的批判が殺到することを恐れたからであろうし、1954年の安全保障査問会のような公式の厳しい非難を、二度と受けたくなかったからであろうと思われる。

映画「オッペンハイマー」では、オッペンハイマーが経験したこの深い心理的苦悩は全く描かれていない。クリストファー・ノーラン監督の映画が、オッペンハイマーが死の3年前に直面したこの苦しい心理的葛藤 ― つまり、原爆が必要性からではなく、もっぱら政治的な目的のために使用されたという残酷な現実に直面せざるを得なかった苦悶 ― を省略したのは重大な誤りだったと私は思う。上に述べたように、1965年 ― 亡くなる2年前 ― のインタヴューを観ると、事実を知りながら、公の場では、その事実を受け入れていることを正直に言えない彼の精神的苦痛がひしひしと伝わっってくる。この事実を描くシーンを含めれば、映画は「原爆神話」を崩すことに大きく貢献したはずである。もしマーティンが生きていたら、彼も私の意見に同意するだろうとも思う。

 

A.    原爆無差別大量虐殺は単なるモラルの問題ではなく、由々しい戦争犯罪であるというメッセージが抜けている

 

  この映画は、先にも述べたように、実際に原爆が使われたことで、原爆攻撃の壊滅的な破棄力と殺傷力に突然気づいたときの、オッペンハイマーのもっぱら精神的な痛み ― 罪悪感 ― に強く焦点を当てている。その罪悪感ゆえに戦後は水爆開発には加わらず、米ソ軍拡競争を防ごうと努力したにも関わらず、冷戦時代の米国の過酷な反共政策による吊るし上げにあう。その結果、苦しい人生を歩まなくてはならなくなった「善良な科学者」に光をあてる。よって、映画は最初から最後まで、新型大量破壊兵器の開発に関わった「科学者のモラル」と「心理的苦悩」の問題として観客に迫ってくる。しかも、その大量破壊兵器が、戦争を終焉させるためにはどうしても必要だったという「神話」を、この映画は、最終的には再確認する。

  しかし、原爆開発に加わった科学者の中に、原爆使用が明確な戦争犯罪であることを意識していた者がいなかったわけでは決してない。すでに紹介したように、戦後、レオ・シラードは『My Trial as a War Criminal(戦争犯罪人としての私の裁判)』と題する短編小説を書くことで、自分が原爆開発に関与したことは戦争犯罪行為であったことを公の場で ― 小説という間接的な形ではあるが ― 認めた。

原爆使用の決定に加わったスティムソンも、すでに194566日の段階で、トルーマンに、大量破壊兵器である原爆を使うことで「米国がヒットラーの残虐行為を上回る悪評を世界中から受けることがないことを願っている」という不安を吐露している(スティムソン日記194566)。この不安は、スティムソンが原爆攻撃の犯罪性を認識していたことをはっきりと裏付けている。

  ところが、映画の中では、原爆無差別大量殺戮の犯罪性について触れているシーンは全くない。これは、しかしながら、クリストファー・ノーラン監督だけの落ち度ではない。なぜなら、ノーランが情報源として使ったマーティン・シャーウィンとカイ・バードの共著である本そのものが、原爆無差別大量殺戮の犯罪性についは全く議論していないからである。

実は、原爆問題の研究に携わっているアメリカの歴史家たちの中で、原爆使用に極めて批判的な意見を持つ進歩的な学者の中でさえ、なぜか、原爆の「犯罪性」を議論する者は非常に少ない。「国際法の専門家ではないから」、という理由からだろうと言えるかもしれない。では、アメリカの国際法の専門家の中で、これまでに原爆の犯罪性を正面から議論してきた学者がどれほどいるのか。私が知る限りでは2人 ― フランシス・ボイルとリチャード・フォーク ― だけである。なぜこれほど少ないのか、その理由を、正直なところ私には特定することはできない。

しかし、アメリカでは、原爆使用の是非をめぐる議論は、いつも、それが戦争を終わらせるために必要であったかなかったかといった「歴史的状況判断論」にばかり集中する傾向がある。そのことによって、原爆無差別大量殺戮に関する議論の本質であるべき「犯罪性」の問題が、実はぼやかされてしまうということに我々は強く注意しておくべきである。つまり、「状況判断論」で、「犯罪性」の問題がごまかされないようにしなくてはならない。その犯罪隠蔽の最たるものが、原爆が使われていなければさらに100万人という死亡者を出したであろうし、戦争は終結していなかったであろうという米国の原爆攻撃正当化論=「原爆神話」なのである。映画「オッペンハイマー」もまた、この「原爆神話」をオッペンハイマーの言葉を通して裏書きすることで、実は、意図的ではないにせよ、犯罪性を隠蔽してしまったと言えるのである。

  かくして、映画「オッペンハイマー」は、『アメリカン・プロメテウス』を基に制作したという広告とは裏腹に、実際にはこの本で議論されている極めて重要な幾つかの点を排除することで、結局は、アメリカ政府の「核兵器を抱きしめる」方針に沿った、原爆使用正当化というこれまでの「神話」を、そのまま世界に広く浸透させておくだけではなく、さらに強化することに貢献していると言わざるをえない。

  

1.    原爆のファンタジー化 : 「バーベンハイマー」ポップ・カルチャー現象が引き起こしている問題

 

この「オッペンハイマー」の映画を、なぜか「バービー」というコメディー・ファンタジー映画と2本立てのセットで鑑賞できる切符が発売され、両方の映画がアメリカとカナダでは721日(金曜)に封切りとなった。オーストラリアでも2本立てで発売され、私が住むメルボルンでは720日に封切りとなった。米国・カナダでは、72123日の週末にかけての3日間の「バービー」の観客の52%が、また「オッペンハイマー」の観客の27%が、すなわち販売切符総数の79%2本立て切符の購入者で、総数にするとなんと1,850万人だったとのこと。

グレタ・ガーウィグ監督の映画「バービー」は、若い美しい女性の着せ替え人形であるバービーが、恋人のケンと、完璧なファンタジーの世界であるバービー・ワールドを出て、ファンタジー世界とは正反対の、人間の世界にやってくるという話であるとのこと ― 私はこの映画を観ていないので、ネットで調べた情報しか持ち合わせていないが。ところが、人間世界は男性優位社会で様々な女性差別があり、「女性はこうあるべき」という役割を押し付けられることにバービーは衝撃を受ける。ところがケンは男性優位思想に染まりきってしまい、その思想を持ったまま、バービー・ワールドに戻り、人形のファンタジー世界を男尊女卑の、男が支配する社会に作り替えてしまう。バービーのほうは、この人間のままならない現実世界で、自分の運命を切り開くために自力で進んでいき、「ありのままの自分が一番美しい」と気がつく。そしてバービー・ワールドに戻り、男支配社会に作り替えられたバービー・ワールドを元の女性主権に取り戻す、という筋書きになっているとのこと(いろいろネットで集めた情報から得て纏めたこの筋書きが、果たして正しいのかどうか私には確信がないが、ほぼこのような筋立てであろう)。

フェミニズムとファンタジーがコミカルに入り混じり、色鮮やかなピンク色のドレスを着た主人公と彼女の仲間たちが歌い踊りまくるこの映画は、どう考えても、原爆製造の中心的人物であった物理学者の複雑な心理的葛藤を描いた「オッペンハイマー」とセットで鑑賞できるような映画とは思えない。しかも、どちらの映画も、通常なら興行収入を独占するような超大作の映画ではない。ワーナー・ブラザーズとユニバーサル・ピクチャーズという、通常は競合する2つの映画配給会社が協力して切符を2本立てで発売した理由は、売れ行きを心配した両会社が、妥協し話しあった結果ではなかったのかと推測される。

ところが、この2つの映画が封切りになる直前から、2つの映画のタイトルを組み合わせた合成語で両方の映画を同時に紹介する、「バーベンハイマー」という奇妙なポピュラー・カルチャー現象が ― とりわけ米国内で ― 巻き起こり、若者たちの間で俄かに両方の映画が話題となった。「バーベンハイマー」の名前はフェイスブックやツイッターを通して一気に広まり、両方の映画の画像がごちゃ混ぜにされた幾つものポスターが作られた ― 例えば、オッペンハイマーの肩にかつがれたバービーが、原爆が炸裂する炎を背に満面の笑みを浮べているものや、バービー・ワールドの空にピンク色の原爆キノコ雲が立ち上がっているのを、バービーが手を振りながら眺めているもの、等々。さらには、2つの映画をどの順番で見るのか、どんな服装で映画館に行くか(女性はバービーと同じピンクのドレス、男性はオッペンハイマー風の暗い印象の黒の帽子と黒っぽいスーツなど)、どんなカクテルを飲むか、映画鑑賞中のお菓子は何にするか(バービーにはピンクのキャンディ・フロス、オッペンハイマーには真っ黒なリコレス・キャンディなど)、といった情報がSNSで交わされるようになった。

 

 

 

この突然のバーベンハイマー」ブームに、721日、ワーナー・ブラザーズも「バービー」の公式X(Twitter)アカウントで、「It’s going to be a summer to remember(忘れられない夏になるよ)」というメッセージに、投げキスをするアイコンをつけて積極的に反応。さらには、この2つの映画の映像をごちゃ混ぜにして、あたかも2つの映画に共通性があるかのようなフェイク・イメージを提示する youtube 動画が幾つも作られて、おそらく合計で100万回近いヒット数になっていると考えられる。実際には、これらの動画での映画の説明は何の意味もなさない、単なる言葉の羅列にしか過ぎないのであるが。以下は、その幾つかの例である。

https://www.youtube.com/watch?v=D2dZdSORkco

https://www.youtube.com/watch?v=KA6l2d_Z2v8

https://www.youtube.com/watch?v=HrpPMsD6sCE

 

ところが、この「バーベンハイマー」ポップ・カルチャー現象のおかげで、「バービー」の世界興行収入額が、11月現在、14億ドル(2,100億円)で世界1位、「オッペンハイマー」のほうは95千万ドル(約1,400億円)で第3位という驚異的な額となっている。

  米国や英国では、「バーベンハイマー」ポップ・カルチャー現象を起こした社会的、政治的要因について幾つも評論が発表されているが、私にはどれも「こじつけ」としか思われないものばかりで、「これこそマトを得た分析だ」と納得させるような評論にはまだ出会っていない。正直、私自身もこの現象の起因については、現段階では分からないので、何ともコメントのしようがない。

しかし、重要なことは、このポップ・カルチャー現象が原爆の大衆イメージ ― とくに米国の大衆イメージ ― に与える影響には、由々しいものがあるのではないかと私は考える。「バーベンハイマー」では、原爆は単なる「超大型爆弾」というイメージで提示され、しかも、「デジタル・イメージ化」された鮮やかなピンク色のキノコ雲という、ファンタジーの世界の出来事として「展示」 ― 日本語では適格な言葉を思いつかないのであるが、英語なら「display」=単なる「イメージ」としてデジタル表示 ― される。かくして、100万人近い視聴者のあるyoutube 動画の「バーベンハイマー」紹介では、原爆そのものがあからさまにファンタジー化されているのだ。

よって、原爆について、そうでなくても現実感のない ― 言葉では表現が不可能なような、凄まじい原爆の破壊力と殺傷力に関する、強烈で臨場感あふれるイメージをほとんど持たない若者 ― とくに米国の若者たちにとっては、ますます核兵器に対する危機感、恐怖感を麻痺させてしまう恐れが強い。「バービー」鑑賞でファンタジーの世界にどっぷり浸ったあとすぐに、今度は、ピンク色のキャンディ・フロスや真っ黒なリコレス・キャンディを食べながら「原爆実験」の場面を観る ― その目には「原爆実験」の場面や「原爆の破壊力」に関する議論の場面は、どれほど現実感を伴うものとして迫ってくるであろうか?

どこまで本当か分からないが、アメリカのインターネット情報によると、新しい「バーベンハイマー」の(ネット?)動画が来年公開予定で、現在製作が進行中とのこと。その動画のあらすじは、「ドールトピアの女性科学者人形バンビ・J・バーベンハイマー博士には、トゥインク・ドールマンというボーイフレンドがいる。現実の世界に飛び出したバーベンハイマー博士は、人間の子どもたちが人形に対して酷い仕打ちをするので、こどもたちに核で復讐を決意する……」というものであるとのこと。ここでも核兵器が、単なる悪戯な子どもに対する「こらしめ」として完全にファンタジー化されている。このように、「バーベンハイマー」のポップ・カルチャー現象では、核兵器による「大量無差別殺戮」が現実に起きる可能性と、起きればその結果はどのようなものになるかは、完膚なきまでに削ぎ落とされてしまっている。

一方、最近のイスラエル軍によるパレスチナ住民への徹底的な無差別空爆の残虐な実態については、メディアによる映像報道によって、欧米各国のみならず、世界中にありありと伝えられている。米国を含む世界各国で市民を動かし、イスラエルのジェノサイド批難デモを巻き起こす原動力の一つとなっているのが、そうしたナマの報道映像であることは間違いない。しかし、こうした空爆による殺傷の惨たらしい映像を、核兵器による大規模な都市破壊と数十万人、数百万人の一瞬による殺戮の可能性と直接結びつけて考える人は少ないのではなかろうか。一方で、現実に毎日起きているガザの空爆による多くの(子どもを含む)住民の殺害の映像をテレビで観ながら、他方では「バーベンハイマー」のピンク色のキノコ雲でファンタジー化された核兵器を暢気に観ながら楽しむことが、並行して日常化されている。すなわち、気がつかないうちに、実は、我々の日常生活が部分的にすでにファンタジー化され、我々自身の核兵器に対する現実意識がある程度麻痺してしまっている ― この現実状況をいかにしたら変革できるのかという、たいへん難しい問題がある。

 

1.    映画「オッペンハイマー」に、原爆攻撃を受けた広島の惨状の描写をもっと強烈鮮明に含めるべきだったか?

 

  日本では未だ映画「オッペンハイマー」は封切りになっていないが、アメリカの映画館でこの映画を観た日本人の感想や意見を、すでに日本のメディアが紹介している。それらの感想や意見の多くは、この映画に広島の原爆被害の実相を紹介する場面がほとんどないことに対する厳しい批判で占められているようである。この映画の中では、最終段階でほんの数分にも満たないごく短い場面で、原爆の爆熱風にさらされた被害者の皮膚が剥がれ落ちる状態が、象徴的なイメージで表現されはているが。こうした日本人の批判もあって、米国の配給会社は日本での封切りに躊躇しているようにも思える。

  映画「マルコムX」や「ブラック・クランズマン」などの作品で知られているアメリカの映画監督、スパイク・リー監督の「オッペンハイマー」についてコメントが、109日のワシントン・ポスト紙に掲載されている。彼もまた、「確かに素晴らしい作品だ。……(しかし)3時間もあるのだから、日本人に何が起きたかにもう少し時間を割くべきだった。……人々は蒸発してしまった。何年か経過した後で、放射線の影響も受けた。彼(ノラン監督)に決定権がなかったわけではないのだから、スタジオ(のスタッフ)にどうすべきか伝えられたはずだ」と。これに対しノラン自身は、映画の目的はオッペンハイマー(の精神的葛藤)に光を当てることにあり、原爆被害者に焦点を当てるものではない、という内容の応答をしている。

  私は、全く違った意見から、この映画には原爆被害の実相を紹介する場面を、「もう少し時間を割く」形であれ、含めることに反対である。原爆被害の実相を紹介するのであれば、完全に別の映画を ― 日本側から見た原爆の実相を明らかにする映画 ― を制作すべきであると私は考える。そのようなモデルは、クリントン・イーストウッドが監督した、「硫黄島の戦い」を米日の両視点から撮った作品 ― アメリカの視点から撮った「父親たちの星条旗」と日本側の視点からの「硫黄島からの手紙」 ― である。この2つの映画作品で、硫黄島の戦いの実相が、米日双方の視点から実に立体的に浮かび上がってくる。その意味でこの2つの映画は傑作である、と私は思う。

  もしもノランが、広島の被害状況に関する場面の紹介にもう少し時間を費やしたとしても、例えば、1945年末までに死亡した原爆の推定被害者数23万人のうち3万人余りが朝鮮人であり、(「核兵器を抱きしめて」(2)で論じておいたように)数千名にのぼる日系米国人も含まれていたはずである、という事実に触れることは全くないであろう。

さらに重要なことは、「原爆神話」を作り上げたのは、アメリカだけではなく、実は天皇裕仁と日本政府もまた「原爆神話」 ― 原爆の政治的利用 ― を作り上げたという事実を、映画の中のごく数分で詳しく紹介することなど、ほとんど不可能である。しかし、日本側が作り上げた「原爆神話」を映画の中で取り上げないことは、「オッペンハイマー」の中でアメリカ側が作り上げた「原爆神話」を取り上げなかったと同じように、決定的な欠陥となる。

  すでに説明しておいたように、1964年に、アメリカの歴史家ガル・アルペロヴィッツが出版した『原子外交: 広島とポツダム:アメリカの原爆使用とソ連との対決』で、ヘンリー・スティムソン陸軍長官の日記や、バーンズ国務長官その他が作成した国務省関連資料など、当時新たに公開された多くの公文書資料を用いて、対日原爆使用の決定は、戦略的な必要性に基づいていたものでは全くなく、ソ連に原爆の威力を示すことによって戦争を終わらせることにあったことを明確に証明した。にもかかわらず、米国政府が終戦直後に作り上げた神話 ― 「原爆を使用したおかげで戦争は終結し、戦争が続いていれば死んだかもしれない100万人という命を救った」 ― がこれまで長年にわたり米国市民の間で、強く広く、あたかも真実かのように信じられてきた。

私も自著、『検証「戦後民主主義」:わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』(さらに英文著書Entwined Atrocities: New Insights into the US-Japan Alliance) の中で、ヘンリー・スティムソンの日記を頻繁に利用して、アメリカが原爆を日本に対して使用できるようにするため、トルーマンは85日まで(言い換えれば、原爆の準備が整うまで)日本が降伏しないように画策したことを詳しく解説しておいた。そのため、トルーマンとバーンズ国務長官は、スティムソンが作成した日本への最後通牒であるポツダム宣言の草案から、天皇制を維持することを確約する表現や、強烈な破壊力の新兵器(=原爆)への言及を意図的に削除したのである。これは、言い換えれば、ヒロヒトに降伏を遅らせさせ、アメリカが日本に対して原爆を使用できるようにするための、トルーマンによる意図的な陰謀だったのである。

また、815日にヒロヒトが発表した「終戦の詔書」は、日本が原爆無差別大量虐殺を被ったために日本が降伏したかのような印象を与えるために作られたものであったことも、当時の関連公文書を使って私は証明した。裕仁と日本の軍事指導者たちにとっては、最大の関心事は原爆被害ではなく、日本がソ連軍に侵略される可能性であったという事実を、原爆を利用して隠蔽しようと謀ったというのが真実なのである。

194586日から10日にかけて繰り返し開かれた戦争指導者会議や御前会議では、もっぱら、米国(連合国)側に、いかにして「天皇制維持」という条件付きでの日本の降伏を受け入れさせるかという議論ばかりで、原爆被害についてはほとんど議論されていない。9日も、長崎への原爆攻撃についての議論は全く行われず、当日早朝のソ連軍の突然の満州侵略に慌てふためき、「天皇制維持」条件付き降伏がいかに可能かの議論ばかりに時間を費やしたのである。

よって、「終戦の詔書」の原案では、原爆投下についてはまったく触れられていなかったのも、なんら不思議ではないのである。なぜなら、裕仁や閣僚、戦争指導者たちにとっては、原爆が降伏の決定的要因などとは考えてもいなかったのであるから、当然である。ところがその草稿が、2人(川田瑞穂と安岡正篤)の、あるいはそのうちのどちらか1人の高名な学者の提案によって修正され、次の言葉が加えられた。「しかのみならず敵は新たに残虐なる爆弾を使用してしきりに無辜(むこ)を殺傷し、惨害の及ぶところ真(しん)にはかるべからざるに至る。しかもなお交戦を継続せんか、ついにわが民族の滅亡を招来するのみならず、ひいて人類の文明をも破却(はきゃく)すべし。」(敵は新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使用して、罪のない人々を殺傷し、その被害ははかり知れない。それでもなお交戦を継続すれば、ついにわが民族の滅亡を招くだけでなく、それから引き続いて人類文明をも破壊することになってしまうだろう。)このようにして、日本もまた、独自の原爆神話を作り上げたのである。

裕仁は、降伏の決断を先延ばしにすることで、アメリカの原爆投下を可能にした責任の一端を担っていた。彼は、自らの地位と天皇制を維持するための条件付き降伏を求めて戦っていたのである。もちろん、ソビエト軍が日本の本土に侵攻してくれば、それは不可能だった。彼は戦犯裁判に書けられ、処刑になることを恐れていたに違いない。

最終的に、降伏に際して裕仁は、日本の侵略戦争、軍隊による数々の残虐行為、日本の植民地の朝鮮人や台湾人に対する搾取に対する自らの責任を隠蔽するために、原爆を利用したのである。アメリカは日本の条件付き降伏を受け入れ ― 実は最初から天皇を戦後の日本占領のために存続させ、利用するつもりであった ― 天皇制は維持された。終戦直後、日本政府とGHQは、平和主義の裕仁は、戦時の軍指導層に操られていた戦争被害者であったかのように偽装し、裕仁の戦争責任を隠蔽した。その上で、新憲法であたかも天皇が平和の象徴に戻ったごとく装った。かくして、日米両国は互いの二枚舌を黙認し合い、それぞれの戦争責任を拒否し無視することを互いに受け入れた上で、戦後が始まったことになる。

さらに私は、この政治的詐欺のせいで、日本もアメリカも、過去の悪行に対して責任を取るような道徳的想像力を働かせることに完全に失敗したと主張する。同時に、過去を厳密に自己検証することがなかったため、より人道的で創造的な未来を構想することもできなかった。しかし、道徳的想像力は、単に国の歴史や基本法を学ぶだけでは、築き上げることはできない。日本のように、戦後80年近く、いや明治維新から150年以上もの間、さまざまな不正や非人道的な行為を容認してきた旧態依然とした文化は、人間的で品格のある価値観を持つ新しい文化に生まれ変わらなければならない。日本には抜本的な文化改革が必要であるが、同じことが米国にも言える。

このような史実に基づいたシナリオで、「オッペンハイマー」に対峙するような映画が制作されるべきなのであるが、現在のアメリカや日本の映画制作会社には、とてもそのような映画作品を産み出すことは、不可能である。残念ながら、夢のまた夢である。

 

<次回  核兵器を抱きしめて(5)に続く>

 


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