2022年5月25日水曜日

岸田首相によるドイツの「平和の碑(少女像)」撤去要請に関する公開質問状

総理大臣 岸田文雄さま

 

去る428日、あなたが、訪日したドイツのオラフ・ショルツ首相に「慰安婦像が引き続き設置されているのは残念だ。日本政府の立場とは全く違う」と述べて、撤去のための協力を要請した事実を、松野官房長官が5月11日の記者会見で認めました。この件に関して、私たちは公開質問をさせていただきます。

ベルリンのミッテ区に設置された「平和の碑(少女像)」

 

 

質問に入る前に、あなたが外務大臣として安倍政権時代に深く関わられたいわゆる「2015日韓合意」問題について、もう一度ここで思い起こしておきたいと思います。なぜなら、「平和の碑(少女像)」撤去要請問題は、「日韓合意」問題とも深く関わっているからです。

 

悪意に満ちた政治的意図での「河野談話」否定

 

以前から歴史問題で日本の戦争責任否定の言動を強めていた安倍晋三首相は、2014年初頭からは、「河野談話」検証要求の強い声を安倍支持派の自民党議員から出させ、同年620日には検討委員会による結果報告『慰安婦問題を巡る日韓間のやりとり経緯:河野談話作成からアジア女性基金まで』を発表しました。しかし、検討委員会は、談話作成のために使われた肝心の資料そのものに関する調査・検討は一切行わず、「河野談話」は、韓国側からの一方的な強い要求を最終的には受け入れざるをえなくなり、日本側が不本意ながら「強制」を認める形で作成されたという印象を強くあたえようという、悪意に満ちた政治的意図でこの報告書を作成しました。

 

 ご承知のように、「河野談話」は、日本政府(宮澤喜一内閣)が行った調査の結果を19938月4日に公表し、日本軍が「慰安所」設置に直接関与していたことをはっきりと認めると同時に、当時の河野洋平内閣官房長官が「談話」として日本政府の責任を認めたものです。この調査では、1948年にオランダが行った戦犯裁判である「バタビア裁判」記録や戦時中に米軍が作成した関連報告書など、合計260点以上の資料を参考にすると同時に、実際に16名の被害女性と「軍慰安所」関係者約15名からの聞き取り調査が行われました。すでに述べましたように、上記の「河野談話」検討委員会は、これらの調査資料の信憑性については一切言及していません。それもそのはず、なぜなら、これらの資料には疑わしいものが全くないからです。(ちなみに、その後も、「慰安婦」が日本軍性奴隷であったことを証拠づける数多くの資料その中には東京裁判検察局に提出されたものもありますが発見されています。)

 

こうした一連の安倍内閣による「慰安婦バッシング」に深く憂慮した国連の拷問禁止委員会や自由権規約委員会などが、日本政府に対して、元「慰安婦」に対する人権侵害的言動を改め、国家責任を認め、彼女たちに公的謝罪を表明し且つ十分な賠償を与えること、さらには「この問題に関して学生ならびに一般市民を教育し、その教育には教科書による適切な参考書を含むこと」などの勧告を、再三にわたって発してきました。しかし安倍内閣は、破廉恥にもこうした勧告を一切無視しました。

 結局、歴史事実を否定しようとするこうしたさまざまな陰険な画策によってもなんら功をおさめることができなかった安倍内閣は、「河野談話をこれからも継承していく」と表面では言いながら、実際には、「河野談話」があたかも歴史事実に基づいていない虚偽の報告書であるかのような発言や欺瞞的な画策を引き続き行い、韓国政府をはじめ関係各国政府の政治的信頼を失う結果をもたらしてきたのです。

何ら解決に繋がらなかった「日韓合意」による「不可逆的解決」

安倍内閣の「慰安婦」問題へのこうした欺瞞的な対処の仕方に国内外から批判がやまなかったため、安倍首相は、201512月末に、「日韓合意」という形でこの問題に決着をつけようと考えました。

2015年末、日韓外相会議を開き、あなたは外務大臣として、「慰安婦問題」での「最終的かつ不可逆的に解決」で日韓両政府が合意したと発表されました。しかし、この「合意」の内実は、日本軍性奴隷の被害者の思いは完全に無視する一方で、日本の法的責任は認めず、「賠償」ではないと主張する10億円という金を出すことで、今後はこの問題を再び日韓間で問題にはしない約束をとるという、甚だしい被害者人権侵害以外の何物でもないものでした。しかも、本来なら加害国である日本が賠償責任をとるべきであるにもかかわらず、財団を韓国政府に設立・運営させることで、責任を被害国におしつけるという破廉恥な要求でした。さらには、ソウル日本大使館前に置かれている「平和の碑(少女像)」も移転させるという日本側の要求も、その「合意」の内容に含まれていました。

 「責任を痛感している」はずの安倍政権が、本来の被害者である高齢のハルモニたちに対しては直接に「謝罪」表明は全くしないどころか、結局は「10億円出すから今後はこの問題については黙れ」、「その歴史的象徴である『平和の碑』も人目につかないところに移転させろ」と言ったわけです。つまり、「最終的かつ不可逆的に解決」とは、結局、10億円という金で日本軍性奴隷の存在という歴史事実に関する記憶を買い取り、その記憶を抹消することを目的とするものだったのです。さらには、「責任を痛感している」と言いながら、2016年2月に開かれた国連女性差別撤廃委員会の対日審査では、日本政府代表の杉山晋輔外務審議官が、「慰安婦強制」を証明する資料は見当たらないし、朝日新聞の誤報のせいで全く間違った情報が行き渡ってしまったと、相変わらず、世界中から失笑を買うような虚妄発言を続けました。日本にとって絶望的なのは、安倍首相自身をはじめ、外務大臣であったあなたを含む安倍政権閣僚たちや安倍支持者たちが、自分たちがやっていることが、どれほど失笑を買う低劣な行為と海外から見られているのかを全く認識していなかったことです。

 さらに問題なのは、日本軍性奴隷制の被害者は韓国人だけではなく、アジア太平洋全域にわたっているにもかかわらず、「日韓合意」では韓国以外の被害者の存在は完全に無視されてしまったことです。安倍首相や外務大臣であったあなたが本当に「責任を痛感している」ならば、韓国以外の被害者に対する「謝罪」についても具体的にどのような形で「謝罪」するのか説明をするのが当然なわけです。ところが、この「日韓合意」発表があった数日後には、台湾政府が、台湾の元日本軍性奴隷に対して日本政府が謝罪と賠償を行うことを要求する方針を発表しましたが、菅義偉官房長官は、日本政府はこの台湾の要求には応じないと答えました。「責任を痛感している」というのは、いつもの安倍流の真っ赤な嘘であることがこれで判明したわけです。 

 

日本軍性奴隷制問題は「人権問題」であって、「政治決着」など不可能

 

 日本軍性奴隷問題は「政治決着」できるような性質のものではなく、由々しい「人権問題」であり、いかにすれば被害者の「人権回復」につながるのかという視点からのアプローチが必要であるという根本的認識が、安倍元首相やあなたをはじめ自民党のほとんどの政治家には最初から欠落しています。結論的に言えることは、日本の法的責任も認めない、10億円での被害者記憶抹消を狙った「最終的かつ不可逆的に解決」とは、実にあさましい、人間として恥ずべき、低劣な政治行為です。したがって、こんな欺瞞的な「日韓合意」が、結局は失敗に終わってしまったことも、全く不思議ではありません。それどころか、被害者に対するこのような不誠実な対応は、さらに韓国民衆の怒りを掻き立て、「強制労働(いわゆる「徴用工」)」問題での安倍政権批判を一挙に高めてしまいました。

 確かに、こんな酷い「政治決着」提案を、主として米韓日の軍事同盟の利害に基づき、基本的には被害者を無視してそのまま受け入れてしまった当時の韓国の朴槿恵政権にも責任の一端はあります。しかし、被害者の人権を全く無視して、自国に都合のいいような欺瞞的な「政治決着」をはかろうとした加害国である日本の政府に最も重い責任があることはいうまでもないことです。にもかかわらず、失敗を一方的に韓国政府のせいにし、今度は韓国への輸出禁止という愚策でさらに日韓関係を悪化させるという、本当に情けない状況を安倍政権は繰り返しました。

こうして「日韓合意」前後の状況をふりかえってみますと、その安倍政権で長く外務大臣を務め、この問題に直接関わってきたあなたが、自国の責任の重大さを認識することもなく、多くの戦争被害者の痛みを無視するような政治決着ばかりに頭を使ってこられたあなたの責任も、きわめて重いと言わざるをえません。

「平和の碑(少女像)」が象徴する「性暴力拒否」という人道思想

 

 日本軍性奴隷という由々しい「人道に対する罪」の被害者にはアジア太平洋のさまざまな地域の女性たちが含まれていますが、最も多くが韓国・朝鮮人であったことから、「平和の碑(少女像)」の多くが朝鮮民族衣装を身につけた姿となっています。しかし、中には朝鮮民族衣装ではない像もあります。この「少女像」は、今や、韓国だけではなく、台湾やフィリッピン、米国、カナダ、オーストラリア、ドイツなどの国々の諸都市にも設置されて「Statue of Peace(平和の碑)」と呼ばれており、「慰安婦像」とは呼ばれていません。この像は、もちろん日本軍性奴隷被害者を悼み、日本政府が明確にその責任を認めることを求めていますが、それだけではありません。サンフランシスコに設置された「平和の碑」には「この記念碑は、これらの女性たちの記憶のために捧げられており、世界中での性暴力や性的人身売買を根絶するために建てられたものです」という文字が刻まれているように、あらゆる性暴力を防止・根絶したいという多くの人々の願いが込められているのです。

また、あなたが、今回、ドイツのショルツ首相に撤去を要請したベルリン市内ミッテ区の「平和の碑」は、2020年9月に設置されたものですが、設置されて間もなく、あなたに説明するまでもなく、日本政府からの撤去要請がありました。その要請が、独外務省を通してミッテ区長に伝えられ、政治圧力に屈した区長が一方的に認可を取り消してしまいました。ところが、それに対する強い批判がドイツの幾つかの政党や市民から起き、認可取消撤回要求を求める議案が出されました。その結果、区議会が像の設置支持を宣言し、結局、「像の区内での恒久設置に向けて、区は設置者とともに解決策を見出し、区議会はこれに関与すべき」という決議が出され、像は今もそのまま維持されています。その認可取消撤回要求を求める議案では、「『平和の像』を、我々は、武力紛争時の、また平和時の性的暴力に関する議論を喚起するものとみる」と書かれているように、「平和の碑」には、あらゆる性暴力を拒否する力が込められているとみなすべきなのです。

 したがって、「平和の碑(少女像)」は、日本軍性奴隷の被害者の痛みだけではなく、あらゆる性暴力被害者の痛みを象徴するものとして、その像を見る人々の心を強く打ちます。つまり、性暴力被害者の痛みを、自分の痛みとして内面化し共有することを、このは人々に求めているのです。それゆえにこそ、この像は今や世界各地に広がりつつあるのです。MeToo運動が世界各地に広がっているのと同じように、この像の設置・拡散運動は、性暴力被害者の「痛みの共有」を通して、性暴力根絶を目指そうという世界各地の大勢の人々の強い願いが込められているのです。

 

ベルリンのミッテ区に設置された「平和の碑(少女像)」

 

 

首相と同時に一人の人間としてのあなたに対する質問

 

1)「平和の像」を撤去せよというあなたの要請は、人々のこのような普遍的で人道的な強い想いを、あなたは一国の首相として、政治的圧力で崩そうとしているのだということを、どれだけ深く認識されているのでしょうか?そのような人々の想いを、あなたは政治的圧力で崩せるとお考えなのでしょうか?

 

2)一国の首相であるという以前に、一人の人間として、激しい性暴力に数年にわたって苦しめられた多くの女性たちの「身体と心の痛み」に、あなたはどう応えようとされるのでしょうか? 

 

3)また同時に、15年という長期にわたるアジア太平洋戦争中、アジア太平洋各地で軍が様々な残虐行為を犯した日本国の首相として、あなたは国の責任ということをどのように考えておられるのでしょうか?10億円という金を出せば、それで責任は抹消されると考えておられるのでしょうか?

 

4)ドイツの基本法1条には「人間の尊厳は不可侵」であると書かれています。この崇高な思想に基づいて、ドイツはナチスの蛮行の全ての犠牲者に対して、出来るだけの補償をしようと戦後長年にわたって努力してきました。あなたは、そのドイツの首相に対して、日本軍が犯した人権侵害の犠牲者を悼む「平和の碑」の撤去を要求されたのです。そのことに対して、あなたは一国の首相として、また一人の人間として、恥ずかしいとは思われないのでしょうか?もし思われないのなら、その根拠について説明してください。

 

以上の質問に、速やかにお答えいただければありがたく存じます。

 

2022526

日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワーク

共同代表 足立修一 田中利幸 土井桂子

連絡先:〒730-0036 広島市中区袋町6-36

合人社ひと・まちプラザ まちづくり市民交流プラザ気付 mb132


2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

全く、田中さんの言われる通りです。
岸田首相は世界に恥をさらしました。
ただし、気になるのは「記憶を買い取り、記憶を・・・」という表現ですが、今、流行りの怪しげな「記憶の歴史学」に影響を受けているように感じます。
「記憶」などという言葉を使わなくとも「歴史的事実」「事実」という立派な言葉があります。
「記憶の歴史学」を唱える人は歴史修正主義者が多いように感じます。仲間と思われないことが大切と感じました。
水澤

田中利幸 さんのコメント...

水澤さん

コメントに感謝します。
歴史「事実」を抹消することはできません。歴史事実が「なかったことにする」には、二つの方法があります。一つはその事実を嘘だと主張し、それを多くの人に信じ込ませること。例えば「南京虐殺はなかった」と主張するやり方。もう一つはその事実を人々に忘れさせること、つまり「記憶を抹消する」というやり方です。この場合は10億円という金を受け取った後は、再びこの問題に言及しないことを要求したわけですから、言及しなければ、時が経つとともに人々の記憶から消えていきます。つまり私が言っているのは、ハンナ・アレントが言った「歴史事実を忘却の穴に入れる」というやり方です。これは「今流行りの<記憶の歴史学>」とは全く無縁です。なにとぞご理解ののほど。
田中利幸