2020年8月29日土曜日

沼田鈴子の思想と実践「痛みの共有」に関する補論

「戦争記憶」は、将来に向けての私たちの「責任」の取り方に活かすためにあるべきもの

  現在、日本では悪化する地球温暖化が原因の猛暑が続き、コロナウイルス感染も第二波が世界各地を襲っており、その経済的影響が(とりわけ社会的弱者に対する)深刻な問題を引き起こしているたいへんな状況ですが、いかがお過ごしでしょうか。
  安倍晋三がようやく辞任することになりましたが、この欺瞞と虚妄にまみれたヤクザ政治屋が辞めたからといって、日本の政治が突然に良くなるわけでないことは言うまでもないこと。 無能なヤクザ政治屋を子分に従えた安倍晋三政権は、戦後これまでの歴史において、政治家と官僚の人間的な質の劣化、ひいては日本社会全体のモラルの低下という点で、最悪の影響を及ぼした政権でした。彼の辞任で、彼が首相在任中にやった様々な犯罪行為の責任追求を絶対に止めてはいけません。止めれば、またまた日本の歪んだ「民主主義」の病原をそのまま放置しておくことになります。
  さて、本題に入ります。私は7月中旬からこの一ヶ月半ほどの間、ほとんど毎日1〜2回、「Yahoo Japan ニュース」でどんな報道記事があるのかを調べてみました。「Yahoo Japan ニュース」は全国紙だけではなく、いろいろな地方紙、テレビ・ニュース、週刊誌など、多種多様のメディア媒体を通して取り上げられた記事を紹介しているため、総体的に日本の報道記事がどのような傾向にあるのかを知るにはひじょうに便利です。この一ヶ月半、とりわけ8月初めから20日頃にかけての報道の多くが、戦後75周年を迎えての戦争関連報道でしたが、そのうちのほとんど全てが「日本人が戦時中にいかに悲惨で残酷な体験を強いられたか」という「被害」一辺倒のものでした。「加害」の問題を取り扱った報道は、もっぱらドイツのナチの戦争犯罪を取り扱った映画番組の紹介ばかり。日本の戦争加害に関しては、私が気がついた限りでは、日本軍の地下壕を掘る強制労働に従事させられた「朝鮮人労働者」に関する記事と、「泰緬鉄道建設」で強制労働をさせられた推定10万人の東南アジアのいわゆる「ロームシャ」に関するテレビ・ニュースの2つだけでした。他にもあるかもしれませんが、いずれにせよごくわずかの数です。
  このような報道傾向は、おそらく毎年同じなのでしょうが、この20年ちかく、私は、7月下旬から8月下旬にかけては、広島や日本の他の地域での反核平和運動や国会図書館での研究調査に忙しくて、日本のニュース報道を詳しく調べてみる時間的な余裕が全くありませんでした。そのため、想像はしていましたが、例年の夏のNHKの戦争関連テレビ報道番組を含め、これほどまでに酷い状況にあることを、今年あらためて痛感した次第です。
  こうした「自己の被害」の酷さをいわば「これでもか、これでもか」と日本では報道するのですが、これらの報道ニュースに一貫して欠けているものがあります。それは、「そんな悲惨な体験を国民に強いた責任はいったい誰にあるのか」という問いかけです。責任が誰にあるのかを問わずに、戦争体験のむごたらしさだけを述べる。これは、広島・長崎の原爆無差別大量殺戮の被害者、いわゆる「被爆者」の証言も同じです。めったに、原爆無差別大量殺戮という由々しい犯罪を犯した米国政府の責任と、そんな状況に至るまで戦争を続けた日本政府(とりわけ天皇裕仁)の責任を厳しく追求する証言を聞くことはありません(その点で、『はだしのゲン』作家で知られる故・中沢啓治さんの証言は例外的でした)。とにかく、通常の証言は、「こんなひどいめにあったのだから、平和は大切です」という、極めてありきたりのメッセージが結論になっています。
  責任の所在を明確にすることは、「誰が、なぜそのような戦争犯罪を犯したのか」、ひいては「誰が、なぜそのような戦争を開始したのか」という原因を追求するためには、決して欠かせないプロセスです。戦争や戦争犯罪の原因と責任を解明しないで、再び同じようなことが起きることを防止することはできません。よって、平和構築や平和維持も不可能なことは自明の理です。ところが、この「自明の理」を問わないことが、つまり、なぜか日本では「不問の了解」になっているのです。自分たちの被害についてはひじょうに詳しく述べるのですが、自分たちに苦痛極まる被害をもたらした加害者の責任については一切口にしないという、「加害者認定を拒否する被害者意識」という摩訶不思議な状況、これを私は「不問の了解」という言葉で表現します。
  自分たちに被害をもたらした加害者の責任を追求しないということは、したがって、自分たちの加害責任についても考えない、という「無責任状態」を作り出しているわけです。戦後これまでの日本の、戦争責任に対する「一億総無責任」とも呼べる状況と、現在の何ごとに対しても(とりわけ政治に関しては)「責任の所在を明確にしない」という日本の社会的環境は、実際にはひじょうに密接に絡み合っている問題なのです。
  なぜこのような摩訶不思議な状況が、戦後75年という長期にわたって続いているのでしょうか。当然ながら、「被害者意識」には、「自分たちの肉体的・精神的痛みを認めてもらいたい」という強い感情が働いていることは明らかです。それは犠牲者として当然の感情です。しかし、厄介な問題は、この被害感情にだけ依拠した「戦争記憶」は、国家が自国民の被害者の「犠牲を正当化」するのにひじょうに都合がよいということです。その典型的な一例は、広島・長崎の「犠牲の正当化」です。それは、「現在の日本の平和は、被爆者の犠牲の上にもたらされた」という「正当化」です。これについては拙著『検証「戦後民主主義」:わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』の第5章「<記憶>の日米共同謀議の打破に向けて」で、次のように述べておきました。

戦後の「平和」は「広島・長崎の犠牲」の基にこそ築かれたという、原爆犠牲の正当化が戦後間もなく主張されはじめた。しかしながら、そのような「犠牲の正当化」は、戦争を非政治化させながら、実際には肯定的に受け入れているのであり、小田実は、敗戦国によるこの種の「犠牲の正当化」を、「戦勝国ナショナリズム」と対比させて「戦敗国ナショナリズム」と称した。その典型的な一例は、1946年8月6日、すなわち広島の原爆一周年にあたっての広島市長・木原七郎のメッセージである。木原は、「本市がこうむりたるこの犠牲にこそ、全世界にあまねく、平和をもたらした一大動機を作りたることを想起すれば、わが民族の永遠の保持のため、はたまた世界人類恒久平和の人柱と化した十万市民諸君の霊に向かって熱き涙をそそぎつつも、ただ感謝感激をもってその日を迎うるのほかないと存じます」と述べた<強調:引用者>。同日の中国新聞コラムもまた、「広島の市民が犠牲になったためにこの戦争が終わった。よいキッカケになったことがどれだけ貴い人命を救ったか知れない」と主張して、「被害者による原爆正当化論」を展開した。現在の広島平和公園内の資料館や慰霊碑を目にすると、いまだにこの「戦敗国ナショナリズム」どころか、「戦敗都市ナショナリズム」とでも称すべき心理状態に広島が浸りきっていることが分かる。
 
   同じような正当化が、靖国神社に祀られた「英霊」についても使われます。戦争で犠牲になった多くの日本軍将兵の死によって「日本の平和」はもたらされた、という主張です。この表現は、明仁が天皇時代にしばしば行った「慰霊の旅」のスピーチでも使われています。このような「正当化」は、明らかに犠牲者を欺瞞的に政治利用している以外のなにものでもないのです。しかし、「親族の命が無駄にされた。その死は何も価値のない犬死だった」ということを心情的には受け入れがたい遺族の人たちや、戦争で身体的に傷害をはじめ様々な苦難をなめさせられた当事者の人たちの感情には、受け入れやすい「正当化」です。「個人的痛み」が「平和」をもたらすために役立ったという、本当はマヤカシの説明であれ、自分を一応は納得させることができるからです。
   この「犠牲の正当化」は、国益のために他者を殺し、自分も殺されることを市民に強制する国家原理を、市民に受け入れさせ、ひいては市民の側からその国家原理を自発的に支持させるような心理的状況を作り出すための巧妙な仕掛けです。また、小田実が喝破したように、この国家原理は、自己正当化のために、常に人道的普遍原理を空洞化させ、空洞化した普遍原理を形式的に掲げるという、似非普遍主義の利用を行います。それは、例えば日本の場合で言えば、戦時中は「聖戦」や「アジア民族解放の戦い」というスローガンでしたし、戦後は「世界平和のため、人類平和のための戦争犠牲者」です。アメリカが常に使う似非普遍主義は「自由主義擁護」、「民主主義防衛」や「ファシズム打倒」です。その上で、空洞化した普遍原理に個人体験を媒介させることで(例えば、「神風特攻パイロットは家族、愛する人、故郷を守るために出撃した」、「私たちが現在享受している平和は、父や祖父の戦死によってもたらされた」という形で)個人体験が内包する国家批判力を去勢し、国家原理の中に取り込んでしまうのです。これが、戦争と戦争犠牲を正当化し且つその責任を回避するために、国家が使う常套手段です。
   こうした常套手段を打ち破り、国家原理に対抗していくためには、これまた小田実が生前繰り返し述べていたように、我々日本人の個人的体験<原爆、焼夷弾空襲、沖縄戦などの被害体験と、南京虐殺、マレー虐殺、軍性奴隷制など日本軍残虐行為の加害体験の両方>を普遍原理<憲法9条の絶対平和主義>に直接還元させ、その還元運動を国家原理と対抗させることで国家原理を拒否するという実践活動を展開していくことが必要なのです。
  ではその「実践活動」の具体的なあり方とは、何なのでしょうか。沼田鈴子が実際に自分の平和活動で行っていた「痛みの共有」、これこそが極めて有効な「国家原理を拒否する実践活動」であった、というのが私の考えです。自己の戦争被害体験とその記憶を、国家原理の正当化のために利用されないようにするためには、自己の戦争被害体験・記憶を、自国が犯した加害行為の犠牲者の被害体験・記憶と並列させることで、国家が国民に行わせるいかなる戦争殺傷行為も、被害者が自国民であろうと敵国民であろうと、非人道的であり、個々人の「平和的生存権」を犯す犯罪行為であり、正義に反する行為であるという普遍原理を打ち出すことです。
  「被害体験・記憶の並列」とは、単に二つを機械的に並べるだけのことを意味しているのでないことは言うまでもありません。自国と敵国市民の犠牲者の「痛み」を、その「記憶」を、お互いに深く理解しあい、お互いに自分の記憶として内面化すること、すなわち、沼田さんが実践した「痛みの共有」のことです。「悲惨な肉体的・精神的痛み」は誰にとっても「悲惨な痛み」であるという、極めて当然な普遍的原理で、その痛みを強要し且つ正当化する国家原理に対抗する。実に簡単明瞭な、「自明の理」の実践的応用なのです。ただし、言葉上は簡単明瞭ですが、それを実践するのはたいへんな精神的忍耐力と努力が必要です。
 しかし、すでに述べましたように、この「自明の理」が「自明の理」として全く理解されていない日本では、戦争を正当化する国家原理に対して普遍原理で対抗するためには、「痛みの記憶の共有」がどうしても必要であるということを、大半の国民が実感としてまず理解するようにならなければなりません。「日本人が戦時中にいかに悲惨で残酷な体験を強いられたか」という「被害」の記憶だけを、毎年のようにいくら繰り返しても、少しも国家原理への対抗にはならないのであり、憲法前文や九条の「平和の普遍的原理」には少しも近づかないのです。
  このことを単なる知識として理解するのではなく、沼田さんのように身体で実感し、実践するためには、学校教育だけでは不可能だと私は思っています。「記憶」は、私たちが生活している社会の文化のあり方そのものと深く関わっている問題なので、「戦争記憶」の文化のあり方をいかに変革していくか、このことが重要だと私は思っています。いかに記憶文化を変革していくかについては、私自身もまだ試行錯誤中ですが、その途中の段階的な一つの結論を、拙著『検証「戦後民主主義」:わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』の第5章の(6)<日本独自の「文化的記憶」による「歴史克服」を目指して>で述べておきました。ご笑覧いただき、ご批評いただければ光栄です。
  今日はこのくらいで終わりにしておきますが、最後に、アイルランドの劇作家、ジョージ・バーナード・ショーの「記憶」に関する名言を引用しておきます。
「自分の過去の記憶によって人は賢くなるのではない。(過去の記憶を活かして産み出す)将来への責任感によって賢くなるのだ。」

最後まで読んでいただきありがとうございました。

アダムとイブ

人類発生の記憶
イブ「私はあんたに怒ってるのよ!」
アダム「俺はおまえに怒っているよ!」
賢い蛇「お二人に申し訳なく思ってます」





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