もう一度「天皇制」について考えてみよう
台風大被害を受けて困窮する市民が大勢いる中で、即位儀式や55万人「恩赦」などで再び日本中を「天皇万々歳」で浮かれ騒ぎにし、その祝賀ムードを利用して、「壊憲」を一挙に推し進め、日本の軍国化と国民支配をますます強化しようと企む安倍政権。そんな状況の中で、もう一度、「天皇制」とは一体何なのか、我々の日常生活での思考をどれほど麻痺させているのか、本当は「民主主義」をいかに虚妄のものにしてしまっているのか、について沈思黙考する機会にしようではありませんか。
そのための資料として、僭越ですが、以下の3つの拙論を参考にしていただければ光栄です。
※ 今日発売の『週刊金曜日』10月18日号に天皇制批判の拙論が掲載されました。
天皇制と憲法
10月22日は「即位礼正殿の儀の行われる日」として、今年に限り「国民の祝日」となる。5月1日の「天皇の即位の日」前後のように、またメディア含めてお祝いムード一色となることが予想されるが、祝意を示すことへの強要や天皇の政治利用など、問題はどこにあるのか。今回は憲法の観点から考えたい。まずは教育現場から。
- 東京・八王子市
「日の丸」振らせるため小学生を動員
永尾俊彦 - 大阪市立小学校
朝礼で天皇賛美の歌 皇国史観押しつけ
平野次郎 - 歯止めなき天皇の「公的行為」
生身の人間を「象徴」とする怖さ
植野妙実子
日本国憲法は個人の尊重と法の下の平等を謳いながら、それと矛盾する存在の天皇を置く。私たち主権者はこの矛盾と向き合いつつ「象徴」をどう捉えるか、そこから何を引き出し何を引き出してはならないかを、常に考え続けなければならない。
- 日米共同の謀議
田中利幸
戦争犯罪の隠蔽が日本の民主主義を歪めた日本国憲法の1条から8条は国家原理でできており、前文と9条は普遍原理と絶対平和主義でできている。まったく異なるものがひとつの憲法に入っているのはなぜか。元広島市立大学教授で歴史家の筆者が、日本社会の問題の根っこを問う。
※ 8月10日に札幌でさせていただいた講演の録音テープ起こしを、札幌の活動家・松元保昭さんが東京の活動家・増田都子さんのご支援も受けながら完成されました。拙い講演内容を活字にする努力をしていただいたお二人に、心から感謝いたします。下記がその講演録をダウウンロードできる案内文です。
《天皇即位礼? 祝う前に『いま考えよう、万人平等と天皇制
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天皇制廃止に向けての第一歩』《田中利幸札幌講演録》
https://drive.google.com/file/d/1XPQuTPpEeHPM9L5yd1FuGje8e5bBTMDo/view?usp=sharing
ぜひ、拡散を!
ちなみに、この講演内容は、田中利幸著『検証「戦後民主主義」:わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』(三一書房、2019年)で展開されている議論の重要点の幾つかを、要約的に紹介したものです。
ちなみに、この講演内容は、田中利幸著『検証「戦後民主主義」:わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』(三一書房、2019年)で展開されている議論の重要点の幾つかを、要約的に紹介したものです。
※ 少し長い英文ですが、「ヤマザキ、天皇裕仁を撃て!日本国憲法第1章(天皇)廃止を目指した奥崎謙三の法的活動」と題する拙論がAsia-Pacific Journal: Japan
Focus に掲載されました。ニューギニア戦での死に物狂いの生存のための闘いを踏まえて、戦後、天皇裕仁の戦争責任を徹底追及するために法廷闘争を行い、法廷の場で憲法第1章「天皇」が明らかに違憲であることを喝破した奥崎。その奥崎の思想と行動の熾烈さと狂気から私たちが学ぶべきものは何か、についての私論です。
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