以下は、「日本軍<慰安婦>問題解決ひろしまネットワーク」のニュース・レター最新号掲載のために、2千字という字数制限で2019年9月16日に執筆した拙論です。この「表現の不自由展」問題では、9月16日以降これまでにもいろいろな動きがあり、10月8日には1回につき30人という入場制限の下で一応再開となりました。まだまだ紛糾は続きそうですが、9月16日以降の経緯については、また改めて私見を述べるつもりです。とりあえず、9月16日の段階での私の考えということで、ご笑覧、ご批評いただければ幸いです。
問題の核心を忘れた「表現の不自由展」をめぐる議論
- 歴史認識欠如を恥とも感ずることができない無能さこそが問題 -
名古屋で開催された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ 2019」の企画イベントの一つとして8月1日から開幕した「表現の不自由展・その後」は、わずか3日後に中止された。その表向きの理由は、この芸術祭の芸術監督であるジャーナリスト・津田大介の説明によると、「抗議電話が殺到し、対応する職員が精神的に疲弊していること」だった。8月2日午後の段階では、展示について「内容の変更も含めた対処を考えている」と津田は説明。テロ予告や脅迫めいた「抗議」に対応するために、いったいどのように展示内容を変更するつもりであったのだろうか。果たして、展示内容が容易に変更できるような性格のものであったのだろうか。後述するように、この対応の仕方自体が、脅迫の標的にされた「平和の少女像」が「表現の不自由展」に含まれていることの意味を、芸術監督と称する人物自身が全く理解できていないことを露呈している。
最終的には、名古屋市の河村たかし市長による展示中止要求と負担金取り下げの可能性、菅義偉官房長官による文化庁の助成事業補助金交付取りやめの可能性など、本質的には「脅かし」と呼ぶべき政治的抑圧に、主催者愛知県知事の大村秀章が屈して「表現の不自由展」は中止された。しかし、その大村も2日後の記者会見では、河村の発言を「憲法21条で禁止された<検閲>ととられてもしかたがない」と批判。津田もまた、「河村名古屋市長の発言は、日本国憲法第21条に違反する疑いが極めて濃厚であり、アーティストの皆様と同じく、異を唱えます」と、「表現の不自由展」中止から20日もたってから述べている。河村発言が由々しい違憲行為と初めから考えていたのなら、展示を中止することをあくまでも拒絶すべきであったのだ。中止に賛成しておきながら、「何をいまさら」と言いたい。
「表現の不自由展」中止に対する批判は様々な団体や個人から発せられた。例えば、日本ペンクラブも「憲法21条2項が禁じている<検閲>にもつながる」だけではなく、「それ以上に、人類誕生以降、人間を人間たらしめ、社会の拡充に寄与してきた芸術の意義に無理解な言動と言わざるを得ない」と批判。憲法学者の清水雅彦も、「表現の不自由展」は「表現の自由から逸脱している」と述べて河村を支持する神奈川県の黒岩祐治知事の発言に対して、「自由は人権と人権が衝突した場合に制限されるこがあるが、少女像に不快感を覚えた人がいたとしても、自由を侵害されたわけではない」とし、逸脱に当たらないと指摘。憲法に照らして「表現の不自由展」中止を批判する同じような意見は、これまでに他にもたくさん出された。確かにそれらの批判は間違ってはいないのだが、この問題を単に「表現の自由」の憲法問題としてしかとらえておらず、実は問題の本質を全く理解していないことを露呈している。つまり、批判のマトが全くはずれてしまっているのである。
大阪市長の松井一郎は、「平和の少女像」は、「われわれの先祖がけだもの的に取り扱われるような展示物」であり、「事実ではない、デマの象徴の慰安婦像」、「日本人をさげすみ、おとしいれる展示」などと罵倒。同じように、河村たかしも、「日本人の心を踏みにじる展示」と、戦争の加害者と被害者を完全に入れ替える破廉恥きわまりない発言をした。つまり問題の核心は、日本がアジア太平洋戦争という15年の長い期間にわたって、多くのアジア人、オランダ人、メラネシア人、日本人の女性たちを「性奴隷化=長期監禁強姦」したという「人道に対する罪」。松井や河村は、その罪を「少女像」という形で告発する表現の権利を、「表現の不自由展」中止によって暴力的に奪ったという点にあるのだ。
つまり、それは「表現の自由」の憲法論の問題以前の、戦争犯罪に対する加害国としての責任、ひいては人間としてとるべき「責任」の問題なのである。その「責任」の問題を、こともあろうに、加害者と被害者の立場を逆転させて、被害者の「表現の自由」という権利を奪った、この事実にこそ「表現の不自由展」中止問題の核心があるのだ。
本当に情けないのは、津田や大村などの当事者はもちろん、多くの評者のほとんどが、これほど明らかな「問題の核心」に気がつかないことである。それはなぜであろうか?その重要な理由の一つは、教育の問題である。2006年の教育基本法 改悪以降、教科書から「慰安婦」をはじめ戦争犯 罪関連の記載が徐々に減少している(中学校歴
史教科書では、2012年に「慰安婦」記述はなくなったが、2016年『学び舎』1社のみ復活している)。その後の世代が学校で戦争責任問題について学ぶ機会が奪われていきつつある。さらには、2014年に安部晋三首相が朝日新聞を「慰安婦問題」で狙い撃ちにするような卑劣で激しい批判を展開して以降、大手メディア
が「慰安婦問題」について触れることがほとんどなくなってしまったことであろう。
「慰安婦問題」に限らず、戦争責任問題を深く考えることで形成されるはずの重厚な倫理観に基づいた「歴史認識」が、日本の政治家のみならず「有識者」と呼ばれる者たちの間にさえ欠落してしまっている。典型的な一例は、1965年の日韓請求権協定に関して、前外相の河野太郎が8月27日の記者会見で、「韓国が歴史を書き換えたいと考えているならば、そんなことはできないと知る必要がある」と韓国側を恥ずかしくもなく批判したことである。自分の歴史認識欠如を恥とも感ずることができない、日本の政治家や「有識者」の無能さこそが、「表現の不自由展」の真の問題なのである。
田中利幸(歴史家)
(2019年9月16日)
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