2022年3月4日金曜日

戦争犠牲者側が創る「文化」から加害者側は何を学ぶべきか:

歴史克服を目指す「文化創造」運動の躍動性についての想い

 

はじめに

死者20万人、難民250万人を出したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争から30年目。またしても東欧で大規模戦争が勃発、というよりは、正しくはロシアのウクライナへの明白な侵略戦争で、再び多くの市民が難民化し、死傷者も続出しています。いつものことながら、武力行使側は開戦を正当化するため様々な最もらしい理由を挙げます。しかし、結局は、武力行使の動機の根本的な要素の一つは民族(優位)主義に基づくナショナリズム(=他民族支配欲求)であると、戦争が起きるたびに私は思います。ナショナリズムは本当にやっかいな問題ですね。

 

現在進行中のウクライナ戦につては、この論考の最後にまた少し触れることにして、今回は、ごく手短にですが、戦争責任と文化の相互関連性について、私見を述べておきます。なぜなら、このことは、すでに広報済みの3月20日開催予定のウェビナー「軍性暴力の傷みを生きる力に変える ― ジャン・ラフ・オハーンさんご遺族の芸術活動 ―」の目的と深く関連していることなので、なぜこれを企画したのか、その意図を知っていただきたいからです。

 

戦争責任と文化の相互関連性: 加藤周一の論評から

実は、戦争責任と文化の相互関連性については、2008年に亡くなった加藤周一の膨大な著作の中のあちこちに散らばる形で書かれています。恥ずかしながら、私もまだその全てに目を通してはいませんが、自分が読んで発見した彼の関連文章をノートに書き写す努力をしています。その一つを、まずここで紹介しながら持論を述べさせていただきます。

 

加藤が長年にわたって朝日新聞に連載した時評エッセイ「夕陽妄語」の1992年5月20日の論考「『ユダヤ人の生活と文化』展」は、同年4月に加藤がベルリンで観た「ユダヤ人の生活と文化」に関する大展覧会の紹介から始まっています。彼は次のように書いています。

準備期間十年、全世界から集めた資料二千五百点、旧約聖書の古代から、中世を通して、現代まで、三千年にわたる。四カ月間の入場者は、三十万人を越えたという。……ユダヤ人についての歴史的事実を知るために、なぜ今、なぜドイツで、これほど大がかりな展覧会が行われたのか。それは私にはよくわからない。しかしそれがドイツの統一と係りのなかったことだけは、たしかである。準備に十年を要したとすれば計画が始まったのは、伯林(ベルリン)の「壁」が崩れた八九年末よりもはるかにまえである。

 

つまり、東西ドイツの統一とは関係なく、当時の西ドイツは自分たちが犯した由々しい犯罪ホロコーストの犠牲者であるユダヤ人が、数千年という長い歴史の間に築いてきた文化を知るために、10年という歳月をかけて準備をしてきた結果がこの大展覧会だったというわけです。こうした努力は、2001年に開館したベルリン・ユダヤ博物館に繋がっているはずだと思います。この博物館でも、1千年紀から現代までのドイツにおけるユダヤ人の歴史や生活の記録を収集・研究・展示しています。

 

  加藤はまた、こうした大展覧会が開かれることを可能にした当時の政治的な背景についても寸評して、以下のように述べています。

 

戦後早くも一九五一年に、当時のアデナウァ首相は、ナチが過去に行ったユダヤ人虐殺の責任をとることを明言し、五二年には「ルクセンブルク協定」に署名して、イスラエルに対する賠償の大きな財政的負担を引き受け、ドイツ人自身による責任者の追究と裁判を行って、今日に及んでいる。五一年に彼がイスラエルとの関係修復の必要を説いた言葉のなかには、次のような文句がある。「これは単なる外交問題ではない。ドイツ国民とユダヤ民族との間に平和と友好関係をつくり出すのは、私が人間として真に必要とすることである」これは「ドイツとユダヤ民族との間には、過去に、不幸なことがありました」というのとはあきらかにちがう。(強調:田中)

 

アデナウァの政策は、実際には1950年代後半から末にかけてかなり後退し、その結果、反ユダヤ主義の残存を窺わせる(例えばユダヤ人墓地が荒らされるなどの)事件が増加しています。(詳細につては拙著『検証「戦後民主主義」:わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』第5章を参照してください。)しかし、にもかかわらず加藤の以下のような日独比較は適確です。

 

戦後ドイツ政府がナチの犯罪に対してとってきた態度は、あきらかに、日本政府が帝国陸軍のアジア諸国にあたえた損害に対してとってきた態度とちがう。そのちがいは、一方で、ユダヤ民族の生活と文化を理解するための大展覧会が成りたち、他方、たとえば朝鮮民族のそれを理解するための大規模な展覧会が容易に成りたたない理由の、少くとも一つであるだろう。(強調:田中)

 

大展覧会が成り立たないのはもちろん、朝鮮民族の生活と文化を理解するための公立博物館の設置にいたっては、残念ながら日本では夢のような話です。

 

 

加藤周一

「雑種文化」の積極的活用に失敗してきた日本

   ドイツの文化が、長年にわたって、ドイツにおけるユダヤ人の文化から様々な影響を受けてきたことは言うまでもありません。同じように、日本の文化も、長い歴史の中で、中国、朝鮮、アイヌ民族、沖縄民族、さらには西欧文化など様々な異文化の影響を受け、それら諸々の要素を取り入れながら、加藤周一が大著『日本文学史序説(上)(下)』で詳細に分析したように、独特の「雑種文化」を創り上げてきました。ところが、日本文化のこの「雑種性」の存在を深く認識し、その独特の文化を積極的に活かしながら、さらに良質なものに変化・発展させようという努力を、基本的に明治以降、近代日本は怠ってきました。怠ってきたどころか、15年戦争前後からは、「雑種性」の存在を強烈に否定し、天皇制イデオロギーを狂信的なナショナリズムの中心に据え、結局は自国と自国民を壊滅的な悲劇へと追い込んでいきました。

 

日本人が純粋な「日本文化」と信じているものの多くが、実は海外から取り入れられた文化です。例えば茶道は、唐の陸羽(733〜804年)が著した『茶経』や、鎌倉時代に日本に禅宗を伝えた栄西(1141〜1215年)が中国の茶と一緒に源実朝に献上した自著『喫茶養生記』などがなければ、日本の文化の一部とはならなかったはずです。

 

日本の伝統的な和楽も、海外からのさまざまな影響を受けています。とても興味深い一例を紹介しておきましょう。箏曲の有名な一つに「六段の調べ」というのがあります。この曲は、盲目の箏曲奏者、八橋検校(1614〜1685年)の作曲によると言われており、最も典型的な日本のメロデイだと思われています。ところが、西洋音楽史が専門の皆川達夫(2017〜2020年)が、「六段の調べ」は、16世紀後半から日本で布教されたキリスト教とともに日本に入ってきたグレゴリオ聖歌のうちの「グレゴ」が元になっている、という驚くべき説を2010年頃に唱え始めました。1613年にキリスト教が禁止され信者が迫害されはじめると、「隠れキリシタン」たちは聖歌を、仏教のお経のように聞こえるような節回しで唄うようになり、この独特の歌は「オラショ」と呼ばれました。オラショの「グレゴ」は、まさに「六段の調べ」とひじょうに似ているのです。今では、お琴と共に尺八や三味線との合奏としてもしばしば演奏されます。下のYou tubeで聴いてみてくだい。

https://www.youtube.com/watch?v=K1QZtbDpRfM

ちなみに、皆川は、聖歌「グレゴ」と箏曲「六段の調べ」の両方の演奏と、自分の解説を入れたCDアルバム、「箏曲<六段>とグレゴリオ聖歌<グレド>〜日本伝統音楽とキリシタン音楽との出会い」を出しています。

 

 

   さて、戦後のいわゆる「民主主義制度」の導入によって、米国占領軍が持ち込んだアメリカ文化が、日本の「雑種文化」をさらに雑種化したといえるでしょう。しかしながら、いろいろな可能性を秘めた雑種性にも関わらずその雑種性を認めず、「日本文化は他国には見られない純粋で独特な文化」だと勝手に思い込んで、日本文化優位主義という一種のナショナリズムに実は浸っているのです。現実の「雑種文化」を、反人種差別、反性差別、人権擁護、強い倫理観と人道主義など、人間の普遍的理念を内にしっかりと根づかせた良質な文化へと発展させる努力は相変わらず怠ってきた、としか言えないと私は考えています。とりわけ自民党、とくに安倍晋三を親分と仰ぐ一派と、それを背後から支える日本会議などは、「雑種文化」否定主義者の集まりであるヤクザ集団です。

 

   この日本の独特の文化のあり方は、敗戦と「戦後民主主義改革」にもかかわらず、基本的に変わっていないというのが加藤周一の考えで、私も同感です。ドイツ、フランスと比べて、日本ではいかに戦前・戦中と戦後が連続したままであるかという事実を、加藤周一は以下のように説明しています。少し引用が長くなりますが:

 

フランスの場合には、ナチと協力したヴィシー政権と、それと戦った「抵抗」運動─ ドゥ・ゴール将軍のロンドン亡命政権によって代表される ─ から成立した戦後フランス政府との間には、あきらかな断絶がある。したがって少くとも形式的には、現在のフランス政府にヴィシー政権の冒した犯罪の責任はない。旧西独の場合には、戦後の政府および社会が、ナチ政権の犯罪をみずから曝露し、糾弾することで、それとの断絶を強調してきた。ここでは、断絶が深いから過去の責任をとらなかったのではなく、過去の責任をとることによって断絶を深めようと努力したのである。

日本の戦後の政府は、十五年戦争に反対し抵抗した勢力を引きついで成立したのではない。また戦後の政府と社会が、一九四五年以前の独仏の場合とくらべて、四五年の前後の国家の連続性ははるかに強い。そのことは、東条内閣の有力な閣僚の一人が戦後日本の首相になったという事実にも典型的にあらわれている。ヴィシー政府の閣僚が戦後フランスの政治的指導者になるとか、ヒトラー内閣の大臣が戦後ドイツの首相になるとかいうことは、独仏両国において、到底想像もできないことであったろう。犯罪を冒した権力との連続性が強ければ強いほど、過去の犯罪に対する現在の国家の責任は重いはずである。(強調:田中)

 

あらためて説明するまでもないと思いますが、「東条内閣の有力な閣僚の一人が戦後日本の首相になった」というその人物は、安倍晋三の祖父、岸信介です。

 

戦争責任と新しい文化の創造の関係

   したがって、戦争責任を問わない文化、戦争中の蛮行を十分に批判しない文化をそのまま継承している日本文化の中で育った(現在の若者を含む)戦後世代には、日本軍が犯した様々なおぞましい戦争犯罪に対しての直接の責任はないけれども、そのような文化にどっぷり浸ったまま育ってきたことの責任は重いはずだ、というのが加藤の主張するところで、これにも私は全面的に賛成です。その点を加藤は次のように述べています。

 

問題は、いくさや犯罪を生みだしたところの制度・社会構造・価値観 ─ もしそれを文化とよぶとすれば、いくさや犯罪と密接に係りあった文化の一面との断絶がどの程度か、ということである。文化のそういう面が今日まで連続して生きているとすれば、─ 今日の日本においてそれは著しいと私は考えるが、─ そういう面を認識し、分析し、批判し、それに反対するかしないかは、遠い過去の問題ではなく、当人がいつ生まれたかには係りのない今日の問題である。……

しかし間接の責任は、どんなに若い日本人も免れることはできないだろう。彼または彼女が、かつていくさと犯罪を生みだした日本文化の一面と対決しないかぎり、またそうすることによって再びいくさと犯罪が生み出される危険を防ごうと努力しないかぎり。

たとえば閉鎖的集団主義、権威への屈服、大勢順応主義、生ぬるい批判精神、人種・男女・少数意見などあらゆる種類の差別……そういうことと無関係に日本帝国主義が成立したのではなかった。(強調:田中)

 

ちなみに、少々余談になりますが、米国人で法政大学准教授のグレゴリー・ケズナジャットが昨年出版し、京都文学賞を受賞した自伝的小説、『鴨川ランナー』は、この点でとても面白い作品です。若いアメリカ人の英語教師にとって日本文化がとても興味深いものでありながらも、日本人がどれほど「閉鎖的集団主義」であり、国籍や人種の違いに関わらず外人を一個の人間として、自分たちのコミュニティーの一員として完全に受け入れるということをしないことを、経験から具体的に描写している、ひじょうに興味深い作品です。日本文化がいかに奇妙で非人間的かを、面白い形で外国人から指摘される、一読の価値がある作品です。

 

加藤の言う「いくさと犯罪を生みだした日本文化の一面と対決」するとは、具体的にどういうことを意味しているのでしょうか。私は、その対抗とは「雑種文化」を積極的に活かすことで、新しい文化=正義と平等主義を追求し、そうした活動に喜びを感じて止まない文化を創造していくこと、これを指していると考えます。私は、市民運動は「新しい文化創造運動」であるべきだと強く考えています。例えば、憲法九条擁護運動は憲法九条を制度としてあくまでもまもるという政治的活動だけではなく、理念としてもしっかり私たちの思想の中に根づかせていく文化運動 ─ 文学、美術、音楽その他の芸能などで新作品を創造し活用する運動 ─ としての展開が必要だと思います。つまり、憲法九条の理念を私たちの文化の重要な要素の一つとして、私たちの心の中に内面化し、多くの市民の間で共有し、且つその共有をみんなで一緒に楽しむという文化運動です。その結果、知らない間に憲法九条の理念が、自分たちの日常生活の文化の一部になっていた、という文化的状況を作り出すことが必要だと私は思います。

 

戦争責任問題についても同じことが言えると思います。いわゆる「歴史の克服」は、自分たちの文化の戦争責任を明確に認識し、その文化を、戦争責任を自己追求する、正義に基づいた文化へと変革する継続的運動によってはじめて達成できるものだと私は思っています。歴史事実を教え、被害者の声に耳を傾けることはもちろん大切ですが、それだけでは私は「記憶の継承」は不可能だと思っています。「記憶の継承」は、その記憶が文化の一要素として私たちの心を感動させ、内面化されることで、その文化が継承されていくことによってこそ達成されるというのが私の信念です。そうした文化創造運動の一つとして、新作能を活用するという私の提案については、これまでにいろいろなところで書いたり述べたりしてきましたので、ここでは繰り返しません。

 

私が、ウェビナー「軍性暴力の傷みを生きる力に変える ― ジャン・ラフ・オハーンさんご遺族の芸術活動 ―」を提案した理由は、日本軍性奴隷として痛ましい被害を受けたオハーンさんの娘さんとお孫さんが、美術と映画制作という芸術活動で、いかに被害者側が一つの文化を創造し、その文化創造を通して被害者の記憶の継承をはかろうとされているのか、その実態を出来るだけ加害者側のみなさんに知ってもらいたいからです。それを知ることで、「それでは私たちは、加害者側としていったいどのような文化の創造ができるだろうか」ということを考えていただきたいからです。

 

最後に

   現在進行中のウクライナ戦争は、この論考の出だしでも述べましたように、ロシアのウクライナへの侵略戦争に他なりません。しかし、プーチンがウクライナを支配下に置きたいという欲望の裏には、ウクライナがNATOに取り込まれ、アメリカのパックス・アメリカーナ(アメリカの帝国主義的な軍事支配による「平和体制」)に組み込まれることでロシアへの脅威になるという深い懸念があることを忘れてはなりません。ロシア軍のウクライナからの早急な全面撤退を要求すると同時に、私たちはアメリカに対してもNATO体制の解体と核兵器の廃絶を強く要求しなければなりません。ロシアがウクライナを「ナチス」と称するプロパンガンダが、いかに虚妄であるかは誰の目にも明らかです。しかし同時に、米国の「民主主義防衛」という主張もまた空虚な、実体のないプロパガンダ以外の何ものでもないことを、しっかり把握しておきましょう。

 

  このことを把握しておかないと、安倍晋三の軽佻浮薄な発言、「非核保有国が米国の核兵器を配備し、運搬などを担うことで核を『共有』する政策」だと称する「ニュークリア・シェアリング」の提案に、騙されてしまいます。「核の共有」などという表現は、事実を隠蔽するために作られた言葉の遊びで、これまた虚妄以外の何ものでもありません。米国もロシアも、その他どの核保有国であれ、他国と「核の共有」をしようなどという意志は全くありません。NATOに配備されている核兵器の使用を最終決断するのは、あくまでもアメリカ政府です。日本に核兵器が配備されたら、その使用を決断するのもアメリカ政府であり、米国と対等の立場に立って共同で決断するなどという選択は日本に与えられるはずがありません。こんな簡単なことも理解できずに、日本維新の会の愚昧な議員たちは、「核共有の議論の開始」を政府に提言しました。「唯一の被爆国」というバカの一つ覚えのような表現をことあるごとに使いながらも、アメリカの核の傘下から抜けることは考えようともしない「広島選出」の首相。みないずれも、自分の「知力の低さ」と「文化意識の浅薄さ」を曝け出しながら、なんら恥ずかしいとも感じない者ばかりです。

 

  このような虚妄の政治体制を内側から崩すには、戦時体制に入ってしまってからでは遅すぎます。日常から、そのような体制をじわじわと崩す重厚な文化を、私たち市民が連帯して、日頃の地道な活動で築きあげ、強化し、広げ、共有する運動を続けていくことが必要だと思います。平和運動は、畢竟、私たちの日常生活と直接つながっている、喜びをもたらす文化活動でないと、本当の民衆の力とはならないのではないでしょうか。

 

― 完 ―

 


2022年2月24日木曜日

Transforming the Grief of Military Sexual Violence to the Desire for a New Life:

Artwork by the Daughter and Grand-daughter of Jan Ruff-O’Herne

 

Linking Japan, Sydney and Melbourne, an on-line seminar will be conducted to learn how the daughter and grand-daughter of one of many victims of sexual violence committed by the Japanese Imperial Army successfully transformed the grief of violence to a strong desire to live through their artwork. This seminar is organized and presented by Hiroshima Network for the Solution of Japan’s Military ‘Comfort Women’ Issue.

 

 

 Jan, Carol and Ruby (photographed by Greg Weight)

 

Jan Ruff-O’Herne:

Jan was born in 1923 into a wealthy family who owned a sugar-cane plantation and sugar factory near Semarang in central Java in the Dutch East Indies (presently Indonesia). In 1942, when she was 19 years old, the Dutch forces on Java surrendered to the Japanese and on March 8 about 100,000 Dutch people were detained in POW camps and civilian internment camps. About 47,000 women and children were separated from the rest of the people and interned in several different camps set up outside Semarang. Jan was sent to one of these - Ambarawa No. 6 Camp - together with her mother and two younger sisters. In February 1944, 16 young women from the camp, including Jan, were sent to a “comfort station” and detained. For the following two months they were badly abused by Japanese Army officers. Jan revealed her past as a victim of sexual violence for the first time in 1992. She was encouraged by a Korean woman, Kim Hak-Sun, who had recently come forward as one of Japan’s military sex slaves. From then until the end of her life, she actively pursued Japan’s responsibility for such war atrocities and demanded an apology from the Japanese government. 

 

Speakers:

Carol Ruff (Jan’s daughter) is an artist, film maker and musician. During the 80s and 90s she produced dozens of large, exterior, social-realist murals in Australia and PNG, focusing on Aboriginal rights, women’s issues, and community, including Redfern Railway Bridge mural 40,000 Years is a Long Long Time, Adelaide Festival Theatre mural, Aboriginals Discovered Cook, and The Domain, Women on the Edge of Town. In 1995 she co-produced the documentary film 50 Years of Silence, after her mother, former ‘comfort woman’ Jan Ruff O’Herne, spoke out about war time atrocities. The film won many awards including the AFI Award, TV Logie for Most Outstanding Documentary and the Asia Pacific Festival Award. She has produced a number of solo exhibitions, including four exhibitions of paintings about her mother’s life and war time experiences; ‘Java to Gepps Cross’ toured nationally and ‘No Hiding Place’ was shown at the Migration Museum in Adelaide. Carol has exhibited at Australian Galleries in Sydney, the Araluen Centre, Alice Springs and Hogarth Gallery, Sydney. She now lives in Sydney where she is the director of Gallery East.

 

Ruby Challenger (Jan’s grand-daughter) is a director who has recently completed her Masters of Screen in Directing at the Australian Film Television and Radio School (AFTRS). She has been on film sets since her first moments out of the hospital as a newborn. Following her unofficial education in filmmaking, her career in the film industry began in the Art and Costume departments, which took her all around Australia while she learned the ropes of filmmaking. Her first short film as Director/Producer/Writer, Daily Bread, played at festivals around Australia and the world and winning awards like the St Kilda Film Festival People’s Choice. At AFTRS, she directed a horror short film, Hyde, which is enjoying a festival run and then her major work, the musical short, MumLife. She is currently developing the feature film based on Jan Ruff's life.

 

Yuki Tanaka was research professor at the Hiroshima Peace Institute of Hiroshima City University until he retired in 2015. He now lives in Australia, where he works as a freelance historian and political critic. His books include the second edition of Hidden Horrors: Japanese War Crimes in World War II (2018) and Japan’s Comfort Women Sexual Slavery and Prostitution during World War II and the US Occupation (2002).

 

■ Date

Sunday March 20 13:00-15:30 Japan Time

(15:00-17:30 Australian Eastern Standard Time)

■ The seminar will be conducted in English and Japanese

■ Zoom Webinar (After the seminar, a recorded video will be available for two weeks exclusively for people who register by March 14.)

■ Registration is free but is essential at the following email address:

ianfnet.hiroshima@gmail.com

■ Deadline for registration: 17:00 March 14

 

 


軍性暴力の傷みを生きる力に変える

― ジャン・ラフ・オハーンさんご遺族の芸術活動 ―

 

戦時中、インドネシアでオランダ人に対して行った日本軍による加害の歴史と、ジャン・ラフ・オハーンさんのご遺族の戦時性暴力を問う芸術活動を、オーストラリア・シドニーとメルボルンを結んで伝えるオンライン集会を開催します。

 

左からジャンさん、キャロルさん、ルービーさん (撮影グレッグ・ウエイト)

ジャン・ラフ・オハーンさん(1923〜2019年)

インドネシア・ジャワ島生まれ、オランダ人。1942年3月にジャワ島に侵攻した日本軍にオランダ軍は降伏し、オランダ人は抑留所に収容された。ジャンさんを含む若い女性16人がスマランの「慰安所」へ連行され、2ヶ月間酷い性暴力を受け続けた。戦後結婚してオーストラリアに移住。50年間の沈黙を破ったのは韓国の金学順さんも名乗りに勇気を得たことによる。その後、日本をはじめ米国や国連などで日本の戦争犯罪を訴え、亡くなるまで日本政府の法的責任を追及する活動を続けた。

 

キャロル・ラフ(ジャンさんの娘)さん「私が描く母の生涯」

シドニー在住の画家・映画製作者・音楽家で、画廊「ギャラリー・イースト」のオーナー。オーストラリアとニューギニア各地で、アボリジニ人権問題、女性問題、社会問題などをテーマにした壁画を制作。1995年に、母親で日本軍性奴隷制の犠牲者となった母親のジャン・ラフ・オハーンさんを主題とする『50年の沈黙』を共同制作。

 

ルービー・チャレンジャー(ジャンさんのお孫)さん 「映画『日々の糧』について」

オーストラリア・フィルム・テレビ・ラジオ学院で映画監督学修士号を取得。2018年に、祖母のジャン・ラフ・オハーンさんの戦時中の抑留生活をテーマにした短編映画『日々の糧』を監督・プロデューサー・脚本家として制作し、豪州ならびに世界各地の映画祭で上映、数多くの賞を獲得。

 

田中利幸:「50年の沈黙を破って 軍性暴力と闘い続けた女性」

歴史学者(専攻は戦争犯罪史、戦争史)。現在は豪州メルボルン在住。著書に『検証「戦後民主主義」 わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』(三一書房)、『空の戦争史』(講談社現代新書)、『知られざる戦争犯罪』(大月書店)など。日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワーク・共同代表

 

 

日時

2022年3月20日(日)13:00〜15:30

(豪州東海岸:同日15:00〜17:30)

■オンライン開催:ZOOMウェビナー*録画配信あります

■参加費:800円(学生・障がい者/無料)

■言語:日本語・英語

■申込先 https://forms.gle/Hu9rHoZsq7NHVQd96

■申込締切3月14日(月)17時〈厳守〉

※入金方法など詳細は申し込んだ後にお知らせします。

 

主催:日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワーク 

連絡先 090−3632−1410(土井)

 

 

2021年12月30日木曜日

「広島陸軍被服支廠」保存・活用に関するラジオ・インタヴュー

私が尊敬する広島の活動家、「広島文学資料保全の会」代表で最近は「広島陸軍被服支廠」保存・活用のために「Hihukusho ラジオ」という定期的番組を放送しておられる土屋時子さんから、12月17日に、1時間近いインタヴューを受けました。その番組を下記アドレスの YOUTUBE で聴くことができます。

https://www.youtube.com/watch?v=8JiD_zDZTlE

 

「広島陸軍被服支廠」保存・活用に関する私の個人的な意見については、自分のブログ「吹禅」で2回にわたって述べておきました。

私見 広島「広島被服支廠」の活用について(2)2021年9月7日

http://yjtanaka.blogspot.com/2021/09/blog-post.html

私見 広島「広島被服支廠」の活用について(1)2021年8月24日

http://yjtanaka.blogspot.com/2021/08/blog-post_24.html

この論考と合わせてYOUTUBE のインタヴューを聴いていただき、忌憚のないご意見、ご批判を聞かせていただければたいへんありがたいです。

 


 

 今年も残すところ1日となりました。心やすらかに新年を迎えられますように祈りながら、カール・ジェンキンス作曲の「ベネディクトス:平和と開かれた心を祈願する瞑想」をお送りします。

Benedictus, by Karl Jenkins - A meditation for peace and an open heart

https://www.youtube.com/watch?v=N4UNu1WIW9k

 


2021年12月21日火曜日

2021 End of Year Message

2021年 年末メッセージ(日本語版は英語版の後をご覧ください)

 

In last year’s Message, I wrote the following:

Throughout the world this year people have experienced extraordinary difficulties associated with deep fear, millions of deaths, poverty, violence, political oppression and racism. Yet many political leaders, particularly in the US, Japan, and here in Australia too, have behaved like corrupt mafia and neglected their duties as politicians. Most of the problems heightened by the pandemic are man-made ones – problems that Norwegian sociologist Johan Galtung calls “structural violence.” These problems cannot be resolved without the consolidated effort of people across the world. At the same time, we are facing another kind of pandemic - the climate crisis. Tackling this also requires our combined endeavors. 

Unfortunately the situation has not changed greatly, and has possibly even worsened since the end of the last year. It seems that various social problems associated with the pandemic have caused deep fear as well as psychological problems among the populace. In turn, this has instigated wide-spread hatred and discrimination against “the other”. Accordingly, such hatred and discrimination are further brutalizing and dehumanizing everyone.

 

Similarly to last year, I hope the following poem illustrated by Michael Leunig, as well as some music I have chosen, will provide you with tranquility and enable you to ponder the peaceful and environmentally sound world we should strive to create.

 
 

This year I have chosen pieces of music performed by two musicians who live with disabilities - one who was born without arms, and the other who was born blind. When I discovered these musicians, my first thought was that it must be extremely difficult to become a professional musician when faced with such adversity. It was only after looking deeper into their individual stories that I realised these musicians are able to understand their own bodies, abilities, and skills in a way that I cannot. While it is almost incomprehensible to me that someone without arms can master a musical instrument, for someone who was born in this way, perhaps it is not strange at all. 

 

*  Felix Klieser is a German musician who started playing the French horn at the age of 4, and graduated from the Hanover University of Music. In 2016 he received the Leonard Bernstein Award, and he is currently the artist in residence at the Bournemouth Symphony Orchestra in England. I was forced to reconsider my perception of his disability when he responded to a question about how he plays - ‘I don’t know, I’ve never played with hands. I can’t understand how you can hold a pencil with those long fingers because the coordination is difficult.’    

 

Hendel - Ombra mai fu

https://www.youtube.com/watch?v=JlP5pvIvBbA

Johann Sebastian Bach - Wohl mir, dass ich Jesum habe

https://www.youtube.com/watch?v=YPuUFm8C3LA

Mozart - Horn Concerto No. 2 in E-flat major, K. 417, III. Rondo - allegro

https://www.youtube.com/watch?v=u3SlQYcuAEE

 

*  Nobuyuki Tsujii was born as a blind person in Japan in 1988. He started formal piano study at the age of 4, and in 2011 graduated from Ueno Gakuen University (major in piano). In 2000, at age 12, he gave his first piano recital in the Suntory Hall in Tokyo, and has been playing to audiences across Japan ever since. In 2005, he was a semifinalist and received the Critics’ Award at the 15th International Frederic Chopin Piano Competition (Poland), and in 2009 was awarded the gold medal at the Van Cliburn International Piano Competition (USA). Tsujii is also a composer and has released numerous albums featuring his own work. He is internationally renowned and performs both orchestral and solo shows across the globe. 

 

Liszt - La Campanella

https://www.youtube.com/watch?v=wbAoeZZvntk

Nobuyuki Tsujii - Elegy for the victims of the earthquake and tsunami

https://www.youtube.com/watch?v=LqoV4ZW7xTA

Rachmaninoff: Piano Concerto no.2 op.18

https://www.youtube.com/watch?v=dGX3temma5Q

 

 

*  The next piece of music in my selection is “Ave Verum Corpus” composed by Wolfgang Amadeus Mozart. In 1791 Mozart’s wife, Constanze, was confined to a month-long stay at a hot spring sanitarium in Baden due to illness. Mozart had to rely on the financial support from his friend Anton Stoll, a chorus master in Baden, and he composed this piece for Stoll as payment. It is a short but exquisite hymn.

 

Mozart - Ave Verum Corpus

https://www.youtube.com/watch?v=gDKCK_6WLTg

 

*  My final musical recommendation is a classic shakuhachi piece entitled Sanan, which means “safe birth.” It was played by Grand Master Yokoyama Katsuya (1934-2010) at the concert celebrating the 60th birthday of Ozawa Seiji in 1995. Ozawa was the music director and conductor of the Boston Symphony Orchestra at the time. In 1967, Yokoyama played shakuhachi with the New York Philharmonic, conducted by Ozawa. This was the first time that a western symphony orchestra played with two Japanese instruments – shakuhachi and biwa. It was a great success. I like to think that this was the beginning of a treasured friendship between Yokoyama and Ozawa.

Sanan is a traditional shakuhachi piece passed down over hundreds of years in Echigo (now Niigata), Japan. It is said that it was played to ensure the safe birth of a child, and for the good-health of the mother’s recovery. However, I wonder if it was composed for mourning a stillborn child or a mother who died shortly after giving birth. It seems to me this piece of shakuhachi music is full of sorrow, although truly beautiful and powerful.

 

Sanan

https://www.youtube.com/watch?v=bSjH8qWwFzI

 

With best wishes for a Merry Christmas and a Happy & Safe New Year !

 

2021年 年末メッセージ

  昨年末メッセージで私は次のように書きました。「これまでに体験したことのない異常な生活不安と驚愕的な数の死亡者、貧困、暴力、人種差別、政治的抑圧 – パンデミックのゆえに世界中で急速に悪化したいわゆる『構造的暴力』のこの1年。その上に、私たちはもう一つ別のパンデミック – 地球温暖化 - という、これまた困難な問題と直面しています。そんな絶望的な状況を前にしながらも、権力・権益の私物化だけに頭をめぐらせているヤクザ政治屋たち」。残念ながら、あれから一年経った今も状況は変わらないどころか、さらに悪化し、 多くの人たちの心は深く病んで傷つき、その傷みを憎悪として他人に向けることでさらに自分の心を荒んだものにするという哀しい状況に陥っていると感じるのは、私だけでしょうか?そんな事態の中で、ひとときでも安からかさを取り戻せるよう、マイケル・ルーニッグの絵と詩、それに心を洗ってくれるような数曲の音楽を今年も送ります。

「あきらめないで」

あきらめないで、台所に行きましょう

なにか温かい飲み物をカップに入れましょう

外は冷たい嵐で荒れていても

私たちの魂は、少し古びてしぼんでいても、強いのです。

 

心を失わないで、台所に行きましょう

公明、誠実で、しかも善良なことにいつも心をとどめておくための技(わざ)

その技を、子どものときに私たちは身につけているのです

 

心を失わないで、台所に立ちましょう

心を清らかに、ゆったりとさせましょう、そして不安をあるがまま受け入れましょう

良き心はあなたをやさしく包みます

真実を愛することを楽しみましょう

あきらめないで

(拙訳)

 

  最初は二人の身体障がい者の音楽家による演奏です。一人は生まれながらに両腕のない人、もう一人は出生時から全盲の人です。(「障がい者」、「健常者」という言葉自体が差別用語であるという意見もありますが、今のところこれに替わる適当な呼称がないので、このまま使うことをお許し下さい。)健常者にすれば、そんな障がい者の音楽家はさぞ大変であろうと思いますが、本人たちは「生まれつきなので特別意識して考えたことはなく、自分にとってはあたりまえのこと」と考えているようです。しかし、身体的障がいを持っていない人と比較すれば、障がい者の音楽家は、本人が特別に意識していなくても、演奏技術を磨き上げるための努力は並大抵のものではありません。

ところが、その並大抵でない努力を行うこと自体が、「少しも苦痛ではなく、喜び」であると彼らは明るい笑顔で述べます。ルーニッグの詩に詠われているように、できないとあきらめず、「心を失わない技」を彼らは「子どものときから身につけて」いて、「良き心にやさしく包まれて」おり、「真実を愛することを楽しんでいる」ように思えます。

 

*   両腕のないフレンチ・ホルン奏者、フェリックス・クリーザー(1991年生まれのドイツ人)。4歳からホルンを演奏し始め、ハノーバー音楽大学を卒業し、2016年にレオナード・バーンシュタイン賞を授与されています。今年秋から2年間、英国のバーネマウス交響楽団のアーティスト・レジデンスとして英国各地を演奏旅行することになっています。両腕と手指なしで一体どうやってホルンを演奏するのでしょうか?ところが、彼に言わせれば、「みなどうやってあの細い鉛筆を手の指に挟んで筆記できるのか、僕にはその感覚がさっぱりわからないよ」とのこと。

 

ヘンデル作曲「Ombra mai fuオンブラ・マイ・フ」

https://www.youtube.com/watch?v=JlP5pvIvBbA

ヨハン・セバスチアン・バッハ作曲「主よ、人の望みの喜びよ」

https://www.youtube.com/watch?v=YPuUFm8C3LA

モーツァルト作曲「ホルン協奏曲第2番変ホ長調K.417」

https://www.youtube.com/watch?v=u3SlQYcuAEE

 

*   生まれながら全盲のピアニストで作曲家、辻井伸行(1988年生まれ)。4歳から本格的にピアノを学び始め、2011年に上野学園大学卒業。2000年、12歳で初めてのソロ・リサイタルをサントリー・ホール小ホールで行い、翌年から日本各地でコンサートを開催。2005年、第15回ショパン・ピアノ国際コンクールで「ポーランド批評家賞」を受賞。2009年、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで、チャン・ハオチェンと共に優勝。以後、アメリカ、オーストリア、ドイツ、イギリス、フランス、アルメニア、ルーマニア、アイスランドなど各国の主要な交響楽団と共演して、世界的に注目を集めています。彼は、作曲家としてもすでに多くのアルバムを出しています。

 

リスト作曲「ラ・カンパネラ」

https://www.youtube.com/watch?v=wbAoeZZvntk

辻井伸行作曲「2011年3月11日の津波被害者のためのエレジー」

(この演奏では辻井がピアノを弾きながら、涙を流しています。ハンカチを用意して聴いてください。)

https://www.youtube.com/watch?v=LqoV4ZW7xTA

ラフマニノフ作曲「ピアノ協奏曲 第2番 Op.18」

https://www.youtube.com/watch?v=dGX3temma5Q

 

*   さて次は私の大好きな曲の一つ、モーツアルト作曲の讃美歌「アヴェ・ヴェルム・コルプス」です。1791年、愛妻コンスタンツェが病気療養のために温泉地バーデンに1ヶ月滞在しましたが、経済的に困窮していたモーツアルトは、バーデンの合唱指揮者アントン・シュトルの援助を乞はなくてはなりませんでした。この曲はそのシュトルの求めに応じて書かれたものです。短い曲ですが、心にやさしく響くとても綺麗なメロディーです。

 

https://www.youtube.com/watch?v=gDKCK_6WLTg

Ave verum corpus natum de Maria Virgine.

めでたし、乙女マリアより生まれ給いしまことのお体よ。

Vere passum immolatum in cruce pro homine

人々のため犠牲となりて十字架上でまことの苦しみを受け、

cujus latus perforatum fluxit aqua et sanguine.

貫かれたその脇腹から血と水を流し給いし方よ。

Esto nobis praegustatum mortis in examine.

我らの臨終の試練をあらかじめ知らせ給え。

O Iesu dulcis, 優しきイエスよ。

O Iesu pie, 慈悲深きイエスよ。

O Iesu Fili Mariae. Amen. マリアの子イエスよ。アーメン。

 

*   最後は、例年の通り、尺八古典本曲の一つ「産安」で、奏者は横山勝也(1934〜2010年)です。この演奏は、1995年に60歳を迎えた小澤征爾(当時はボストン交響楽団常任指揮者)の誕生祝いコンサートでの独奏です。1967年、武満徹が作曲した「ノベンバー・ステップ」が小澤の指揮によるニューヨーク・フィルハーモニックで初演されましたが、この「ノベンバー・ステップス」は、オーケストラに尺八と琵琶を組み合わせるという初めての試みでした。この初演で、尺八を横山勝也が、琵琶を鶴田錦史が演奏しています。これがきっかけで、その後も横山と小澤の親しい関係が続いたようです。 

「産安」は越後地方の古い伝承曲で、古来より安産祈願の曲であったとか、妊婦にこの曲を聞かせると産後が安定したというような謂れからこの題名が使われていると言われています。しかし、私には、安産祈願や産後の精神的安定のためにしては、あまりにも物哀しい美しさの曲に思えます。私の勝手な想像ですが、死産や産後に亡くなった母親が多かった昔、悲運にもこの世に産まれてこなかった赤子と、悲しくも赤子の顔を見ずに亡くなった母親の霊を悼み、次は無事に赤子が産まれてくることを祈って虚無僧が吹いた曲ではないだろうかと思っています。とにかく、演奏するのがひじょうに難しい曲で、マスターするのに何年もかかりますが、一応マスターしたとしても、横山勝也のようなとてつもなく素晴らしい演奏のレベルに到達するのは、私にはとても不可能のように思えます。

 

「産安」

https://www.youtube.com/watch?v=bSjH8qWwFzI

 

くれぐれも健康に気をつけられ、安全に良い年末と新年を迎えられますよう。