― ボンダイ・ビーチ・テロ事件の真の原因を問わない摩訶不思議な豪州政府批判 ―
ボンダイ・ビーチ公園テロ事件は「反ユダヤ主義」蔓延のゆえ?
12月14日夕方以来、オーストラリアでは「antisemitism 反ユダヤ主義」 ― ユダヤ人に対する偏見、憎悪、差別、迫害 ― という言葉が突然に横行闊歩するようになった。
それは、シドニー郊外のひじょうに人気のあるボンダイ・ビーチの公園で、そのとき行われていたユダヤ教の祭典ハヌカの集まりに参加していた大勢のユダヤ人たちを狙った銃撃射殺事件が起き、15名の市民が死亡し、40名以上が負傷したことに起因する。犯人は、過激派組織「IS=イスラム国」のメンバーと見られる親子二人で、ユダヤ人の無差別殺戮を狙ったテロ行為であることは明白である。この親子は、親(50歳)がパキスタンからの移民、息子(24歳)はオーストラリア生まれの豪州市民である。
ユダヤ人殺戮を狙ったこのような銃殺テロ行為は、2023年10月7日のハマスによるイスラエル民間人殺戮と人質捕獲、それに続くイスエル軍の報復によるガザのパレスチナ住民大量殺戮の開始以来、オーストラリアでは初めてのケースである。したがって、オーストラリアのユダヤ系市民にとってはもちろん、多くの豪州市民にとって強烈なショックであることは言うまでもない。多くのユダヤ系市民は、我々は「反ユダヤ主義」というヘイト犯罪の標的になっているのに、そのような犯罪の防止政策の実施を政府は怠ってきたと怒りをあらわにしている。
事件発生以来、この「反ユダヤ主義」に対する非難がすぐに政治的に利用されるようになり、とりわけ連邦議会で野党である自由党側が、ユダヤ市民の不安をさらに煽るが如く、毎日、繰り返し大声でこの言葉をメディアに向けてあげ続けている。例えば、元首相であるジョン・ハワードをはじめ多くの自由党議員、とりわけ前回の選挙で落選した元財務大臣のユダヤ系のジョシュ・フライデンベルグなどは、ボンダイ・ビーチ殺戮が起きたのは、アンソニー・アルバニーゼ首相が「反ユダヤ主義」の蔓延防止と除去に失敗したからであり、「反ユダヤ主義」をのさばらせた首相の責任とモラルが問われるべきで、こんな情けない人物に首相をつづけさせるべきではないなどと、次々と個人攻撃を加えている。同族のユダヤ系市民の不幸をできるだけ政治的に利用して、次回選挙ではぜひとも当選して政界に返り咲きたいという政治家のこのような醜態を見せつけられると、人間とはなんとも浅ましく哀しい生き物であるかと思わざるをえない。
オーストラリアでは、2023年10月以前には「反ユダヤ主義」によるヘイト犯罪はほとんど起きなかったし、ユダヤ系市民が労働党政権を目の敵にするようなことはなく、むしろ関係は良好といえるものであった。よって、誰の目にも明らかであるが、「反ユダヤ主義」によるヘイト犯罪が急激に起きるようになったのは、イスラエルのネタニヤフ政権がガザの徹底的破壊とパレスチナ住民に対する無差別大量殺戮を開始してからである。豪州首相の「反ユダヤ主義」に対する対処能力がどのようなものであるかという問題と、「反ユダヤ主義」をオーストラリアだけではなく世界各国で引き起こしている根本的原因とは直接関係はない。ところが上に述べたような保守政党のこの事件の政治的利用に同調して、ユダヤ系市民の中には総督に首相を罷免せよという要求を出している人たちも出てきている。
ガザ無差別大量殺戮反対運動は「反ユダヤ主義」を煽る ― それは本当か?
オーストラリアで俗に言われる「親パレスチナ派」 ― この言葉はしばしば「反ユダヤ主義」のグループという意味を暗示する政治的目的でも使われるが ― の市民がイスラエル政府を批判するデモを開始したのは、ガザ紛争が勃発した2日後の2023年10月9日の(シドニー時間)夜が最初であった。シドニー市内からオペラハウスまで1000人ほどがデモ行進を行い、豪州政府のイスラエル支持停止を訴えた。これに続き、メルボルン、アデレード、ブリズベン、パースなどの州都でも次々と政府にイスラエル支持停止を訴えるデモが行われるようになった。
10月31日には、ユダヤ系市民の反戦平和グループが、ビクトリア州のジロング市内にある防衛大臣リチャード・マーレスの選挙区事務所におしかけ、イスラエルへの軍事支援停止を訴えて、事務所を一時占拠した。また、その後まもなく、各都市の大学キャンパスでも、イスラエル軍のガザ住民無差別大量殺戮を非難し、豪州政府にイスラエル政府支持の停止を求める学生集会が開かれるようになった。こうしたデモや集会はオーストラリア各地で2年以上、ねばり強く続けられている。
初期の反戦デモや集会 ― 例えば上述のシドニーでの最初のデモ ― では、「ユダヤ人をガスで殺せ」という「反ユダヤ主義」のスローガンを叫ぶデモ参加者がいたと主張する見物人がいたそうである。これを受けて、ニューサウスウェールズ州の州知事クリス・ミンズ(労働党)は「シドニー・オペラハウスには人種差別的な罵声を浴びせる人々が押し寄せ、憎悪が渦巻いていた」と、あたかも自分が見てきたかのようにデモを批判。しかし警察が記録した動画に写っていたのは「ユダヤ人はどこにいるのだ」という言葉で、「デモにユダヤ人も参加せよ」と間接的に呼びかける内容と思われる発言だけであったとのこと。デモが増えるにつれて、アルバニーゼ首相も、デモ参加者が暴力的になり「反ユダヤ主義」を煽っている懸念があると批判的な見解を繰り返し表明するようになった。
2023年11月12日には、再び、シドニー、メルボルン、ブリスベンを含むオーストラリアの複数の都市で、即時停戦を求める数千人が参加する親パレスチナ派集会が開催された。さらにシドニーとメルボルンでは、ハマスに拘束された人質の解放と反ユダヤ主義への反対を求める、親イスラエル派集会も開催された。11月16日には、停戦を求める4万人の医療専門家の署名入り請願書が連邦議会に提出された。これらのどれにも「反ユダヤ主義」の表明は全く見当たらない。
確かに、2024年9月11日のメルボルン市内のデモは暴力騒動になった。この日は、オーストラリアで最大規模の陸軍兵器博覧会が、豪連邦政府とビクトリア州政府の強力な支援の下、「メルボルン会議・展示センター」という大会場で開催された日であった。この兵器博覧会には31カ国の兵器製造会社が自社の様々な新兵器を展示し、数百万ドル、あるいは数十億ドル規模の取引が行われたのである。オーストラリア政府は2016年から2023年にかけて、イスラエル向け軍事装備および軍民両用装備の輸出許可を322件承認しており、同期間におけるオーストラリアのイスラエル向け「武器・弾薬」輸出総額は1550万豪ドル(約1010万米ドル)にのぼった。
会場周辺には、1800人余りの警察官が配備されていた。この兵器博覧会を妨害しようと多くの学生を含む5千人ちかいデモ参加者が11日の早朝から会場近くにおしかけ、会場への入場者を実力で道路封鎖しようとした。これを阻止しようと、警察官はゴム弾や閃光手榴弾、唐辛子スプレーなどを使った。これに対し無防備のデモ参加者たちは、石や卵、腐ったトマト、警察馬が道路に落とした糞などを投げつけて応酬。ニュース報道によれば、デモ参加者の100人余りが、警察側の「過度な武力」で負傷するという結果になったというのが実際の経緯であった。このデモでも、「反ユダヤ主義」のキャンペーンは全く使われていない。
実際の「反ユダヤ主義」のヘイト犯罪については、2024年12月6日早朝、2人の20歳のイラン系豪州国籍の若者が、メルボルン郊外のユダヤ系住民地区にあるシナゴーグ(ユダヤ教会堂)に放火し、会堂は半壊状態になったという事件がある。盗難車で会堂に乗りつけた犯人たちは、事件後間もなく逮捕された。しかし、この2人がイスラエルのガザ住民無差別大量殺戮を非難する集会やデモに参加したという情報は、私の知る限りない。
私自身も、メルボルン市内中心部の州立図書館前でこの2年あまり頻繁に開かれている集会に幾度か参加している。この集会では、毎回、中近東出身あるいはその2世であると思われる若者たちが、次々と壇上に上がり、長期にわたるイスラエルのガザ住民に対するあまりにも残虐な殺戮行為、医薬品や食糧支援物資搬入封鎖による病死や餓死の状況を詳しく報告し、イスラエル政府の非人道的行為に対して何ら非難や停戦要求を出さない豪州政府を厳しく糾弾する。しかし、彼/彼女たちのスピーチで、「ユダヤ人」全般を批判する言葉を私自身は全く聞いたことがない。この問題で「ユダヤ人」を批判することが無意味であるどころか逆に人種差別につながることを、デモや集会参加者は百も承知しているからであろうと思われる。
無差別大量殺戮の被害者よりネタニヤフや米国大統領の顔色を窺う豪州首脳たち
よって、この種のデモや集会が、即「反ユダヤ主義」につながるという労働党首脳たちの懸念は、全く現状を理解していないか、あるいは現状を知りたくないからか、そのどちらか(おそらく後者)であろうと私は思う。彼らの顔はイスラエル政府のほうにいつも向けられており、後述するように2025年8月3日までは、ネタニヤフ政権の顔色を窺ってきたというのが実情なのである。
それはまた、ネタニヤフ政権を強力に支持してやまない米国のジョー・バイデンやドナルド・トランプの顔色を窺ってきたことと密接に絡んでいることは言うまでもない。バイデンは、大統領在任中に「イスラエルは自国を防衛する権利がある」と常に述べて、ネタニヤフ政権のガザ住民ジェノサイドという「人道に対する罪」を問わない姿勢をあくまでも崩さなかった。トランプも同じであることは、言うまでもない。
豪州首相アルバニーゼと外相ペニー・ワンの二人も、いつまでも止まないネタニヤフのガザ住民無差別大量殺戮という強硬態度をどう考えるのか、豪州政権の基本的対応方針についてプレス会議で質問されるたびに、「イスラエルは自国を防衛する権利がある」という応答を繰り返すことだけを続けてきた。そして同時に、イスラエル政府批判のデモや集会は「反ユダヤ主義」を煽るものであると、否定的な態度をとり続けてきた。国内世論を決定的に読み誤り、米国の親イスラエル政策に全面的に追従した豪州政府首脳たちへの酬いは、後述するように、つい先日の12月14日のボンダイ・ビーチでのテロ事件で突然やってきたのである。
情けないのは、アルバニーゼやワンだけではない。ジャーナリストの中に、「それではガザ住民の人権は誰が守るのですか?」という質問をする者がいつまでたっても現れなかったことである。豪州の公共放送ABCのニュース特集番組でも、こうした質問を首相や外相に直接ぶっつけたジャーナリストは、私が知る限り一人もいない。このことに私は怒りを感じると同時に、「他人の痛み」に倫理的想像力を働かせることができないのは政治家だからなのか、それとも私たち人間の性(さが)なのかと、なんとも哀しくなる。
2025年5月19日になってようやく、英国、フランス、カナダの3カ国首脳が、イスラエル政府の食糧・医薬品などの支援物資の長期にわたるガザ搬入封鎖のゆえにガザ住民に餓死者が急増しており、しかも無差別空爆殺戮をいまだに続けていることから、非難の声をあげる共同声明を発表した。あまりにも遅い反応であったが、「我々は常に、イスラエルがテロリズムからイスラエルを守る権利を支持してきた。しかし、この(ガザ攻撃の)エスカレーションはまったく不均衡である」と主張し、イスラエルの活動によって引き起こされた恒久的なパレスチナ人強制移住は「国際人道法に違反する」とまで宣言した。さらに、「イスラエルは、パレスチナ国家の存続可能性およびイスラエル人およびパレスチナ人の安全保障を損なう違法な(ヨルダン川西岸地区への)入植地を停止しなければならない」と主張。そして結論では、この「地域で長期的な安定を確保する唯一の方法はイスラエルとパレスチナの二国家解決の実現」であり、この実現に向けて3カ国は他国と協力する用意があると述べている。ところが、この共同声明にはオーストラリアは参加していない。豪州政府には、署名参加要請すらなかったのであろうか。(ちなみに7月21日に発表された28カ国によるガザ地区での即時停戦を求める共同声明には、オーストラリアも日本も署名しているが、内容は英仏加3カ国共同声明の内容と比べれば軟弱である。)
労働党首脳たちの態度を変更させた8・3シドニー大規模デモ
2025年8月3日、シドニー湾にかかっている大規模な橋、ハーバー・ブリッジ(長さ1キロ以上、幅約50メートル)をデモ参加者で埋め尽くすという、これまでにオーストラリアでは見られなかった一大イベントが行われた。目的は、パレスチナ住民への支援表明、ガザの状況に対する意識向上、イスラエルに政治的制裁を与えるように豪州政府に圧力をかける、この3つであった。少なくとも5万人が参加すると推測された情報から、警察側は「主要道路の遮断になるデモは違法」という主張で、州最高裁にデモ禁止許可を訴えた。ところがベリンダ・リッグ判事は「平和的抗議行動が他人の迷惑になるのはあたりまえのことで、なぜこの抗議行動が必要なのかについての当事者側の理由説明は尊敬に値する」という素晴らしい判断で、警察の訴えを斥けてしまった。
あいにくと当日は雨で寒かったが(オーストラリアの8月は冬)、それでも、ある群衆安全管理専門家の推定によると、22万5千人から30万人という驚くべき数の参加者が、橋の全長を埋め尽くしてしまった。参加者の中には、ウィキリークス創設者でスパイ容疑で長年イギリスの刑務所に収監されていたジュリアン・アサジをはじめ、労働党や緑の党の複数の州議会議員や連邦議会議員、シドニー現市長など多くの政治家たちの顔も見受けられたし、アムネスティー・インタナショナルやオーストラリア・ユダヤ人協会、労働組合や海外難民支援団体などの組織からも強い支持表明があった。同日、メルボルンでも州立図書館前での集会に2万5千人が集まり、市内をデモ行進した。
デモ参加者数の多さに驚き慌てふためいたのであろう、デモ当日前までは反対していた州知事クリス・ミンズは「抗議活動の意図は正しいし、デモも警察の指示に従う平和的なものであった」というコメントを出さざるをえなかった。同じように、アルバニーゼ首相とワン外相も、「オーストラリアの人たちがガザで起きていることに心を痛め、同時に怒りを感じていることがよく分かる、平和的なデモ」であったと賞賛し、それまで言い続けていた「反ユダヤ主義」についての懸念には全く言及しなかった。そしてガザへのこれまでの人道的支援に2千万豪ドルを追加すると発表して、デモ参加者や支援団体からの批判をなんとか躱そうとしたのであった。
さらには、9月に開かれる国連総において英国、フランス、カナダをはじめパレスチナ国家を承認する国が圧倒的に多くなるであろうことをすでに知っていたので、この大規模デモの1週間後の8月11日に、アルバニーゼ首相は「オーストラリアは9月に開かれる国連総会第80回会期においてパレスチナ国家を承認し、二国家解決に向けた国際的な機運、ガザでの停戦、人質解放に貢献する」という声明を発表し、ようやくネタニヤフ政権の顔色を窺うことに見切りをつけたのであった。
この8・3大規模デモ前まではアルバニーゼ政権を一応支持してきたユダヤ系諸団体は、「パレスチナ国家承認」という発表に反発して、反アルバニーゼ政権へと決定的に転換。それから4ヶ月後の12月14日のボンダイ・ビーチでのテロ事件が、ユダヤ系諸団体の反アルバニーゼに対する憤懣に火をつけた形となり、「反ユダヤ主義」というヘイト犯罪の防止政策実施を政府は怠ってきたと怒りをあらわにしたというわけである。
ネタニヤフも、ここぞとばかり、アルバニーゼを個人的に以下のような言葉で糾弾した。「(豪州政府の「パレスチナ国家承認」予定の発表の6日後の)8月17日のアルバニーゼ首相宛への手紙で、私は、豪州政府の政策が反ユダヤ主義を煽っているという警告を(次のように)促しておいた。貴殿のパレスチナ国家設立の呼びかけは、反ユダヤ主義の炎に油を注ぐものである。それはハマスのテロリズムに報酬をもたらすものとなる。オーストラリアのユダヤ人を脅かす者たちを大胆にし、今や貴国の街を徘徊するユダヤ人憎悪を助長する。……… 貴国政府はオーストラリアにおける反ユダヤ主義の蔓延を阻止するため、何らの措置も講じなかった。貴殿は何の行動も取らず、この病が蔓延するのを放置した。その結果が、本日我々が目の当たりにした(ボンダイ・ビーチでの)ユダヤ人に対する恐るべき襲撃である。」
オーストラリアのユダヤ系諸団体のアルバニーゼに対する批判は、まさにこのネタニヤフのアルバニーゼ個人攻撃と全面的に一致する内容となっている。ネタニヤフは「反ユダヤ主義の炎に油を注ぐ」自分の重大責任をタナにあげて、他国の首相に全責任を負わせる独善的、というよりは偏執的とも言える個人糾弾に終止した。反ユダヤ主義という病の蔓延があるとするなら、それをもたらしたのは自分に直接の責任がある7万人を超えるパレスチナ人の殺戮であるが、それには想いもいかないという人間 ― そんな哀しい人間を産みだしてしまった歴史的、文化的背景とは何だったのだろうか。
結論:政治モラルが問われているのは首相だけなのか?
冒頭で述べたように、野党の保守政治家や一部のユダヤ系オーストラリア人の中には、ネタニヤフ同様に、「反ユダヤ主義」をのさばらせた首相の責任とモラルが問われるべきであるとアルバニーゼを激しく糾弾する者たちがいる。真に問われるべき首相のモラルは、「反ユダヤ主義」をのさばらせたことではなく ― すでに述べたようにそんな責任は首相にはない ―、イスラエル政府、とくにネタニヤフ首相のガザ住民に対する無差別大量殺戮(ジェノサイド)という重大な犯罪に目を瞑り、「イスラエルには自国を防衛する権利がある」という言葉でネタニヤフの犯罪行為の隠蔽に事実上加担したこと、その政治モラルの欠如である。しかしながら同じモラルの欠如は、首相を糾弾する野党の保守政治家や一部のユダヤ系オーストラリア人にも厳然としてあることに、彼ら自身がなぜゆえに気がつかないのであろうか。本当に気がついていないとすれば、これまた哀しいことである。
殺害 ― すなわち人の命を奪うこと ― この罪を犯す人間はユダヤ人であれパレスチナ人であれ、どんな人種の人間であれ、また被害者がどんな人種の人間であれ、犯罪者であることは言うまでもない。ところが、この言うまでもないことを、堂々としかも大量に「自己防衛」という立前で現在行っているのがイスラエルのネタニヤフ政権なのである。2023年10月7日のハマスによるイスラエル民間人殺戮と人質捕獲も、明らかに犯罪であることは述べるまでもない。イスラエルはこれをテロと見做し、テロ壊滅作戦と称して幼児や子どもを含む多くのパレスチナ一般住民を大規模軍隊で無差別殺戮する自分たちの国家テロは、正当な「自己防衛」と主張する。ちなみに、ナチスも侵略戦争を「自己防衛」という立前で行ったことを我々は思い出すべきである。周知のように、国際司法裁判所も国際刑事裁判所も、イスラエルのガザ攻撃は国際法違反であると明確に判断している。
一国の首相という政治家であるなら、一人の人間としてこの最も根本的なモラルに元づいて、ネタニヤフ政権に対し、最初から「ガザ住民の無差別大量殺戮は即刻停止すべきであり、パレスチナを国家として承認すべきである」という強い要求を出すべきだったのである。これは政治的判断や世論の動向の問題では決してない ― 人の命に関わる人間として最も根本的な問題であり、政治的判断も、あくまでもこの「人間としてのモラル」の問題にしっかりと根拠をおいていなければならないはずである。
ユダヤ系豪州市民の中には、このような要請に対しては猛烈に反対する熱烈なユダヤ民族主義者であるシオニストたちがいることは、私も十分承知している。しかし、そのような人たちに対してこそ、一人の人間として、いかなる民族に属する他者の生命をもあくまでも尊重することの重要性を説き、罪のない子どもたちを含む多くの多民族の一般市民を無差別大量殺戮しているイスラエル政府を支持することが、結局は自分たちの安全と生命を脅かす「反ユダヤ主義」につながっていく ― この極めて明解な道理を、忍耐強く、繰り返し伝えていくべきであろう。(ちなみにネタニヤフ政権糾弾のデモや集会には、数は少ないが、しばしばユダヤ系の市民活動家たちをみうける。決してユダヤ系市民の全てがユダヤ民族主義者ではないことを明記しておきたい。)
しかし、その道理を受け入れてもらうには、その道理を単なる知識としてだけではなく、心に刻み込む情念として受けとってもらう必要がある。そのためには、イスラエル民族が辛酸を嘗めたホロコーストという凄まじい体験記憶の自分たちの「痛み」を、倫理的想像力として、パレスチナ民族や他のイスラム系民族に対するイスラエルの殺傷行為の被害者の「痛み」を知るために活用し、他者の「痛み」をも自分の「痛み」と同様に自分の心の中に深く内面化するというプロセスが必要であろう。ユダヤ系民族とイスラム系民族の相互の「痛みの分かち合い」から信頼できる人間関係を徐々に築き上げていくこと、そこから始めていくことで未来が見えてくるのではないだろうか。これはもはや単なる政治の問題ではなく、そのような情念を涵養することができる新しい文化の創造の問題であり、言うまでもなく決して容易なことではない。とりわけシオニストたちの思考観念を変革することは並大抵ではなく、ユダヤ系だけではなく、オーストラリアの様々な民族背景をもった大勢の市民の忍耐強い協力が必要となってくるであろう。
しかし、12〜15万人のユダヤ系住民と80〜90万人のイスラム系住民が住むオーストラリアでの、ユダヤ系民族とイスラム系民族の平和的共存のための新しい文化の創造は、決して不可能ではないと私は考える。幸にして、オーストラリアには先住民と第2次世界大戦後、さらにはベトナム戦争後に移民してきた様々な民族が共存できるような「多文化主義政策」が1970年代から推進されてきた。最近、この「多文化主義」にもいろいろ問題は出てきているが、基本的には「平和的共存多文化主義」がすでに伝統としてこの国には根づき維持されている。したがって、ユダヤ系民族とイスラム系民族の平和的共存のための基礎は用意されているのであり、今後、具体的にどのように両民族の「平和的共存文化」を構築していくか、その様々な方法が議論され具体的に実践していける可能性は十分にあるはずだ。その方法の一つとして、「痛みの分かち合い」が是非とも検討されることを祈ってやまない。
この「痛みの分かち合い」という方法は、もっぱら原爆を含む無差別爆撃大量殺戮という戦争被害の自分たちの「痛み」だけを常に主張しながら、その一方で日本軍がアジア諸国で犯した様々な残虐な戦争犯罪の被害者の「痛み」には目を向けようとしない多くの日本人と日本政府にとっても、決して他国の問題ではないはずである。その点で、日本人には、オーストラリアの現状からも学ぶべきことが多々あるはずだと私は考える。
― 完 ―


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