2025年7月22日火曜日

性暴力(セクハラ)と憲法1条の相互関係についての一考察

この論考は<日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワーク>のニュースレター最新号に掲載されたものです。ご笑覧、ご批評いただければ光栄です。

 

田中利幸

 

権力による性暴力隠蔽

 

20154月、フリー・ジャーナリスト 伊藤詩織は、安倍晋三首相と親しい当時TBSワシントン支局長の山口敬之にアドバイスを受ける目的で東京で会い、二人で飲食している間に伊藤は急に昏倒し、意識を取り戻すと山口にレイプされている最中だった。被害後、伊藤は自分の下着から検出された山口のDNA、山口がホテルへ移動したタクシー運転手の証言やホテルの防犯カメラ映像などの証拠を集め、警察に告発。これを受けて高輪署も山口の逮捕令状を裁判所から得た。しかし、まさに捜査官が山口を逮捕しようとしたその間際に、警視庁本部の中村格・刑事部長(菅官房長官の元秘書官)の突然の指示で、逮捕は見送られた。政治権力の介入があったことは誰の目にも明らかであろう。

その後、捜査は警視庁本部捜査一課に引き継がれたが、十分な捜査は行わずに東京検察は不起訴を決定。事件数日後に被害届けに行った警視庁高輪署で、伊藤は「よくあることだから諦めろ」と言われたとのこと。2022125日、伊藤が山口から性行為を強要されたとして損害賠償を求めた裁判で、東京高裁は山口に330万円の賠償を求める判決を下した。4年間の長い苦しい闘いを経て、ようやく伊藤は勝利を手にした。

 

伊藤詩織

11歳のとき東日本大震災の被災地・宮城県での避難生活を余儀なくされたおりに、女性自衛官が活躍するのを目にして、五ノ井里奈は自衛隊入隊を志願。20203月に入隊してまもなく、郡山駐屯地の男性隊員たちから数々の性暴力被害を受けた。例えば、20218月、3人の男性隊員が五丿井をベッドに押し付け、両脚を無理やり開き、代わる代わる何度も股間を押し付けた。このとき周りには同僚が十数人いたが、誰も3人を止めなかったどころか、彼らの前で「すごい笑いもの扱いにされた」とのこと。五丿井はこの出来事を上官に報告したが、目撃証言を得られず、被害の訴えは退けられた。

20226月、五丿井は自衛官を退職し、インターネット上で性被害を訴える活動を展開。ユーチューブに投稿した動画は広く拡散され、彼女の事件について防衛省に調査を求める請願書には、10万人以上の署名が集まった。この訴えを自衛隊は無視できなくなったのであろう、ようやく内部調査を実施。その結果、100件を超える自衛隊内部でのセクハラの訴えが寄せられたとのこと。その後、防衛省は5人の隊員を懲戒免職にし、五ノ井に謝罪した。しかし彼女は、精神的苦痛を受けたとして、20231月にこれらの元隊員5人と国を提訴(うち1人とは和解)。そのうち3人は、彼女に対する強制わいせつ罪に問われ、同年12月に福島地裁が、懲役2年、執行猶予4年とした判決を確定した。さらに、20247月の横浜地裁の訴訟で、3人が謝罪した上で一定の金銭を支払うとの内容で和解した。

五ノ井里奈

政府や自衛隊という公的組織のみならず、商業(会社)組織内における性暴力問題とその組織権力による性犯罪隠蔽についても、多くのケースが次々と明らかとなってきている。例えば、ジャニーズ喜多川による長年の性暴力行為をジャニーズ事務所という会社が事実上「疑惑隠蔽」を行なっていたことや、最近のケースとしては、中居正広による女性アナウンサーに対する性暴力をフジテレビ自体が隠蔽しただけではなく、未確認情報ではあるが、会社の幹部が女性アナウンサーたちを「性的奉仕に動員」していたという情報すら流れている。つまり、性暴力とセクハラは、パワハラ同様に、決して組織内の諸個人レベルの問題ではなく、組織が公的か私的かにかかわらず、日本のさまざまな組織権力構造そのものが創り出している由々しい問題であることが明瞭に理解できる

検事正による部下の検事への性暴力と検察庁による隠蔽

ひじょうに根が深いと思われる「性暴力隠蔽」の構造的問題を、最近、最も顕著な形で露呈したのが、元大阪地検トップの性暴力を告発した被害者・検事のケースであろう。被害者である検事は実名を明らかにしておらず、「ひかり」という仮名を使っているので、ここでも仮名をそのまま使うことにする。なお、この事件に関する以下の説明は、ひかり自身による証言文に沿って、証言文を引用しながら記す。

20189月、大阪地検のトップである検事正の北川健太郎と検察職員らが参加する職場の懇親会で、ひかりは飲み慣れないアルコール度数の高い酒を飲む事態に陥り泥酔した。意識が朦朧とした状態で、北川からの二次会の誘いを断って1人でタクシーで帰宅しようとしていたところ、北川が強引にタクシーに乗り込んできて、彼女は官舎に連れ込まれ、長時間、性的暴行を受ける被害を受けた。彼女は泥酔していて身動きが取れず、北川と2人きりであったため他人に助けを求めることもできず、「夫が心配しているので帰りたい」と訴え続けたが、北川は、「これでお前も俺の女だ」と言い放ち、彼女に長時間に及ぶ性的暴行を繰り返した。 「女性として妻として母としての尊厳、そして検事としての尊厳を踏みにじられ、身も心もボロボロにされ、家族との平穏な生活も、大切な仕事も全て壊されてしまいました」と、彼女は吐露している。

北川は、最初は、なんら記憶にないとしながらも、彼女に対して一応罪を認め謝罪し、「警察に突き出してください」とまで言ったそうである。しかし彼女はあまりのショックで、被害を訴えることができなかったとのこと。しかし、その後、北川は辞職もせず検事正職に留まり、彼女の被害感情を逆撫でし続けたことから、事件から約1年後に、「上級庁に被害を訴える」、つまり内部告発するとひかりは北川に伝えた。ところが、北川は「口外すれば自死する。検察組織が立ち行かなくなる。あなたにとっても大切な組織と職員を守るために口外するな」などと、脅迫まがいの卑劣な口止めを要求したため、被害を訴えることができなくなったそうである。

彼女は、結局、泣き寝入りを強いられた形で、精神的痛みに堪えながら、また、警察官や他の検察官にも彼女自身の被害を伏せた上で、性犯罪や虐待被害など過酷な犯罪被害に苦しむ事件ケースを担当し続けたそうである。その一方、北川は、自分が犯した卑劣な性犯罪を隠蔽したまま円満退職し、数千万円の退職金と弁護士資格を取得し、且つ、引き続き検察庁に自身の影響力を及ぼし続けた。

ひかりは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)症状を悪化させ、病休に追い込まれ、生き甲斐だった検事の職まで失いかけたので、「生き直すため、家族との平穏な生活を取り戻すため、検事としての尊厳を取り戻すために、20242月、勇気を振り絞って被害を訴え、北川被告人から受け取らざるを得なかった私と夫に対する損害賠償金を全額突き返し、北川被告人に対する厳正な処罰を求めた」とのこと。

この彼女の証言から、ひかりの夫はおそらく彼女のことを深く理解し愛しており、常に精神的に彼女を強く支え続けているものと私は想像する。そうでなければ、幼さない子どもをもつ母親であるひかりがここまで精神的苦痛に耐えることができ、しかも加害者の卑劣で非道な行為と正面から向かいあって法的な闘いを続けることはできないのではないかと思う。愛情に満ちた真に理解のあるパートナーを持つこと、その強い人間関係の絆で支えられることが性暴力被害者にとっていかに大切であるか、そのことに痛く気づかされる想いである。

ところが、彼女が信頼していた同僚の1人である女性副検事が、内偵捜査中の秘匿情報を北川本人や関係者に漏洩し、さらには、ひかりがこの問題で北川との連絡でやり取りしていた証拠内容を削除して、北川の「同意があったと思っていた」という虚偽の弁解に沿うような虚偽の供述を副検事もすることで捜査妨害行為をしていたことを、ひかりはこの闘いの過程で知ることになった。しかし、検察庁は、副検事のこの捜査妨害犯罪行為を知りながら何の処分もせず、PTSDで苦しみながら復職しようとしていた彼女を、その副検事と同じ職場に復職させた。そのうえ、ひかりが北川の性犯罪被害者であるという、彼女が誰にも知られたくなかった秘匿情報を、副検事が検察庁内外に吹聴していたことも知ることになった。さらに、この副検事は、自身が事件関係者で事件の真相を知っているかのように装い、検察庁内で、秘匿されていた生々しい被害内容を吹聴し、ひかりが病気を偽り、まるで金銭目当ての虚偽告訴をしたかのような誹謗中傷をしていたことも知ることになった。

こうしてひかりは、800人の職員がいる大阪検察庁内外で広くセカンド・レイプの被害まで受け、プライバシーや名誉を著しく傷付けられ、本来被害者を守り、職員を守るべき検察組織に適正な対応をしてもらえず完全に孤立させられ、復職を目指していたにもかかわらず再び病休に追い込まれた。ところが、検察庁は、捜査を一方的に打ち切って不当処分にしてしまった。かくして彼女は「北川被告人、副検事、検察組織から何度も魂を殺され続けているのです」と検察庁を批難している。

ひかりは、20242、ついに被害を訴え出て、その結果、北川は同年6に準強制性交容疑で逮捕され、7に同罪で起訴された。202410の初公判で北川は「争うことはしません」と起訴内容を認め、「被害者に重で深刻な被害を与えた」と謝罪した。ひかりは女性副検事も名誉毀損や国家公務員法違反の疑いで告訴・告発したが、20253検は性副検事を不起訴処分とし、組織としての懲戒処分も最も軽い「戒告」で済ませてしまった。

記者会見するひかり

しかし、それだけではなかった。初公判で一旦罪を認めていた北川は、同年1210日、一転して、「同意があったと思っていた」と全く不合理な弁解をして無罪主張に転じたのである。周知のように、飲酒や、予想外の展開、相手との地位関係性などにより、同意しない意思を形成、表明、全うすることが困難な状態でなされた性的行為は処罰される」という処罰範囲には、20237月施行の法改正前も法改正後も、変更はない。「同意があったと思っていた」という身勝手極まりない破廉恥な言動は、北川だけではなく、山口敬之など、アルコールや薬物を摂取させたうえで強かんを犯す加害者の多くが使う卑劣な口実であることは今さら言うまでもないであろう。しかも、この口実をそのまま受け入れる裁判ケースが多々あるので、同じ口実を使う加害者が後をたたない。

よって、残念ながら、ひかりの裁判闘争は今後も長く続くことになりそうである。ひかりは、自浄能力を完全に失っている組織である検察庁には、第三者委員会による検証と被害者庁の設置が必要であることを強く訴えている。フジテレビのケースが第三者委員会の設置によって初めて真実が明らかになってきたように、性暴力やパワハラを組織権力そのものが黙認し且つ隠蔽しているのが一般的な状況である日本では、組織構造全体を自浄するためには、どうしても独立した第三者委員会の設置が必要である。なお、あらためて言うまでもないと思うが、性暴力は被害者を精神的に支配したいという加害者のパワハラ欲求と重なっているので、この二つを同時に問題にしなければ真の解決は不可能である。ひかりも証言の中で、性暴力を受ける以前から、激しいパワハラを北川から受けていたことに言及している。

日本における「性暴力・セクハラ・パワハラ」と天皇制イデオロギー

  性暴力、セクハラやパワハラは、もちろん日本独自の問題ではなく世界各国に見られる普遍的な問題である。しかし、海外、とくに欧米先進諸国における同じような問題はあくまでも個人レベルの問題であって、組織全体が構造的に、権力を使って、その特定の個人が犯した性犯罪やパワハラを黙認するだけではなく、隠蔽してしまうなどというケースはほとんどなく、あったとしても極めて稀ではないかと思われる。ましてや、性犯罪を含むさまざまな刑事事件の捜査を行い、被疑者を起訴するか否かを判断する検察庁が、その職員が検察庁内部で犯した性犯罪とそれに関連した犯罪を隠蔽してしまうなどということは、ほとんどありえない話である。

201411月、衆議院議員・鈴木貴子による検察官によるセクハラ行為に関する質問に対する当時の国務大臣・麻生太郎による答弁書では、2004年から14年までの10年間に検察官がセクシャル・ハラスメントをした事例で、法務省において把握しているだけでも12件あることが確認されており、その中には静岡検察庁の、これまたトップである検事正が、女性職員に対して犯したセクハラ行為が含まれている。おそらくこれらの事例は「氷山の一角」であり、ひかりのケースのように被害者が表沙汰にするケースはほとんどないのではなかろうか。こんな為体な検察庁なので、性暴力・セクハラの被害にあった一般女性が警察に相談したとしても、被害届が受理された件数は相談した中の約半数であり、そのうち検察で起訴された数はごく僅かというのが現状。よって、8割以上の被害者が被害届を出さないというのが日本の現状なのである。

    こうして日本の現状を見てくると、日本の性暴力は個人レベルの問題をはるかに超える、歴史文化的な社会構造の問題であって、この歴史文化が、戦後80年経っても日本軍性奴隷制度(いわゆる「慰安婦制度」)に対する責任回避を政府に続けさせ、日本のジェンダーギャップを世界で146 カ国のうち118位という低位置にとどめ、杉田水脈のような人間として低劣な女性・人種差別主義者を国会議員に選出し、選択的夫婦別姓をゆるさない世界でも稀な国とさせ、いまだに大多数の国民が、家父長制的家族国家の維持をことあるごとに強く打ち出す政府、保守政党と政治家たちの存在をほとんど異常とは思わない、極めて異常な「立憲君主制の民主主義国家」にし続けている。

    ところがこの「立憲君主制」そのものに、ジェンダー問題で度し難い矛盾が埋め込まれていることに、大部分の国民はもちろん、憲法学者ですら注意を向けない。民主憲法と称しながら、憲法1条の天皇は、皇室典範第1条で「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」となっており、天皇の存在そのものが男女平等を保証する憲法14条と24条に明らかに違反している皇室典範には第1条だけではなく、憲法に違反するまだ多くの条項が含まれているが、とにかく憲法1条で規定されている「象徴」としての天皇が男でなければならないことは、したがって天皇という存在そのものが、まさしく「女性差別」だけではなく「LGBT差別」の象徴でもあるのだ。それだけではなく、日本の伝統的な家父長制的家族国家観を社会のさまざまな面で深く支え続けている「天皇制イデオロギー」  ― それが実は上で見た日本のさまざまな組織権力構造の支えともなっているイデオロギー ― の発生源でもあり続けている。よって、再度述べておくが、憲法1条と天皇制イデオロギーによって強く深く且つ広く支えられている日本の伝統文化そのものの根本的な変革なしには、さまざまな日本の組織内における性暴力・セクハラ・パワハラを一掃することは不可能であろうと私は考える。

― 完 ―


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