2025年2月26日水曜日

坂本菜の花「第二次世界大戦で日本がしたこと」

前回の記事 <「下田裁判」判決文から日本被団協ノーベル平和賞受賞まで 原爆無差別大量殺戮の罪と責任を再考する第3回 米国の「空爆による無差別大量殺戮」の罪と責任を徹底追求してこなかった被団協と日本の反核市民運動団体の責任>にはかなりの反対意見や批判が出されるかと思っておりましたが、逆にかなり多くの方たちから「大賛成」という個人メールをいただきました、感謝です。

そんな個人メールの中で、金澤に住んでおられる私の畏友・五十嵐正博さん(国際法学者)からの情報提供として、能登半島の珠洲市にお住まいの坂本菜の花さんが、もう10年以上前、当時まだ彼女が中学生だったときに書かれた「第二次世界大戦で日本がしたこと」という素晴らしい文章を送っていただきました。

この文章については、五十嵐さんの<『菜の花の沖縄日記』はこうして生まれた>という覚え書きの中で、以下のように記されています。なお、この文章に出てくる赤井朱美さん(ジャーナリスト)は、五十嵐さんのお連れ合いです。

2014年、赤井は『標的の村』上映会を石川県内で開くべく奔走し、11か所で開催しました。第1回目が3月22日、東村から伊佐真次さん(その後、東村村会議員に)を講師に招きました。その場で、中学2年生の菜の花さんも登壇しました。以前、菜の花さんが書いた作文(「戦争をさせない方法」について)を赤井が読んだことがあり、赤井は、この作文を、伊佐さんの講演の後で菜の花さんに読んでもらおうと考えました。ぜひ多くの人に聞いてほしい、素晴らしい作文だったからです。菜の花さんはすぐにOKしてくれました。堂々とした朗読でした。

坂本菜の花さんは、1999年、石川県珠洲市生れ、小学校5年の終わりから和歌山県のきのくに子どもの村学園で学ぶ。高校から沖縄県那覇市(現在は南城市)の「珊瑚舎スコーレ」に進学し、20183月に卒業。現在は珠洲市の実家の宿「湯宿さか本」を手伝っておられるとのこと。菜の花さんについての詳しい紹介文を書いている時間的な余裕が、残念ながら今は私にはありません。ごく基本的な情報が下記のオンラインで読めますので、ぜひご覧になってください。凜然とした考えを持って生活しておられる素晴らしい女性であることが、お分かりいただけると思います。ご両親がやっておられる「湯宿さか本」も、宿泊客が静寂な時間を大切に楽しむことができるように配慮されている、素敵な宿であることが分かります。能登半島地震の影響でたいへん困難な状況におかれて経営が大変だと思いますが、なんとか続けていただきたいと思います。近い将来、機会があれば私も連れ合いと一緒にぜひ訪れてみたい宿です。

映画『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』http://chimugurisa.net/

坂本菜の花 著『菜の花の沖縄日記』https://www.heureka-books.com/books/744

28回女性文化賞 https://wan.or.jp/article/show/11631

湯宿さか本

https://www.youtube.com/watch?v=jnI4CYJWLPg

https://www.yuyado-sakamoto.com/

 

坂本菜の花さん

 

坂本菜の花さんの以下の「第二次世界大戦で日本がしたこと」という文章は、自分で情報を集め、自分でしっかり考えたことを明瞭且つ簡潔に綴った素晴らしい文章です。本来は、このような発想が日本の中学生の共通の知識となるべきなのですが、あまりにも劣悪で貧弱な歴史教育しか受けられない現在の日本の中高校生には、残念ながら書けるようなレベルの文章ではないようです。

 

坂本菜の花「第二次世界大戦で日本がしたこと」

戦争が始まる原因の一つは「欲張る気持ち」からだと思う。植民地は、弱い国から物をうばい取り、自分の国が豊かになるための手段だ。第一次世界大戦 後に世界大恐慌が起きたときも、植民地を持って国はなんとかしのぐことができた。でも、アジアは 植民地にされるばかりだった。日本も列強国(ドイツ、フランス、イギリス、アメリカなど)の仲間入りしたかったために、中国に満州国をつくった。けれど、中国と手を組んでいたアメリカに「中国から撤退しろ」と言われた。それを日本が無視したためにアメリカは、日本が最も必要とする石油や鉄の輸出をストップした。日本は77%の石油70%の鉄をアメリカに頼っていたため、追いつめられたネズミ状態になった。それで、燃料を確保するためにマレー作戦を行い、真珠湾攻撃でアメリカに戦争を仕掛けていった。しかし、物資に貧しい日本は長期にわたる戦いはむずかしかった。はじめは勢いもあり、どんどんいろんな国を占領していったが、ミッドウェー海戦を境においつめられていくようになった。 1944年頃からは、東京をはじめ日本のあちこちがアメリカ軍からの空襲を受け、たくさんの民間人が犠牲になった。そして19453月にはついに沖縄にアメリカ軍が上陸し、4人に1人の沖縄市民が亡くなった。そして8月に広島、長崎に原爆を落とされて、ようやく日本は敗戦となった。日本の軍人と民間人合わせて310万人が亡くなり、その他に日本軍は中国や韓国、アジア、南太平洋に侵略し、2000万人以上の命を奪っている。私が第二次世界大戦をはじめ、たくさんの戦争について調べようと思ったきっかけは、今の日本 がだんだん戦争をしようとする方向に向かっている気がしたからだ。インターネットで第二次世界大戦を調べてみたら、マレー作戦や真珠湾攻撃などがでてきた。それはまるで私にはゲーム感覚のような世界で、「日本頑張れ!負けるな」と応援してしまいそうになった。それは私の「どうしたら 戦争が止るか?」という調べるきっかけの想いとは全く逆の気持ちだった。二度と戦争を起こさないようにするためには「強い反省の気持ち」が必要だと思う。けれど今の日本で反戦を考えるときにはいつも被害を受けたことしか言っていない気がする。戦争を止めるときにはそれも力になると思うけど、むしろ「やられた歴史」よりも「やった歴史」を忘れないことがすごく大きな戦争のブレーキになると思う。例えばささいなことだけど、私と弟の姉弟ゲンカの中で、弟にやられた痛みでもうケンカはしないと思うよりも、弟を傷つけて後悔する方がケンカのブレーキになると思ったからだ。インターネットではやった歴史は出てこなかった。きっと物事はいろんな面があって、そこにいた人は1つの面しか見られない。いろんな人が別々の面を「これが事実だ!」と言うが、事実は1つで1人が事実全体を見渡すことはできないと思う。今問題になっている「南京大虐殺」もまさにこのことだ。あったとか、なかったとか、三十万人殺した、いやいや三万人だったというような問題だ。私たちの周りには信じられないくらいたくさんの情報があふれている。その中で、どれを信じて、どう行動していくかはそれぞれの大切な責任だと思う。戦争は他人事のように思っていたが、ある日ふとふり返るとすぐそこまで迫って来ているかも知れない。だからいろんなことを知ること。でも テレビや新聞、政府だけに頼らずに、日頃から日本だけじゃなく世界中に信頼できる人たちと繋がっていることが大切なんだと思う。

 


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