2020年5月25日月曜日

安倍の嘘とパンデミック


社会的弱者=「構造的暴力」被害者の痛みと怒りの連帯を、安倍政権打倒の市民運動につなげよう!

トランプの嘘、安倍の嘘、ナショナリズム

  アメリカの著名な言語哲学者で政治評論家のノーム・チョムスキーは、92歳という高齢ですが、今も米国政府に対する厳しく鋭い彼の批判力は少しも衰えていません。そのチョムスキーは最近、トランプ政権に言及するときには「mob in White House」とか「gangsters in White House」という表現を盛んに使います。「mob」というのは「暴力集団」という意味で、「gangsters(ギャング集団)」とほとんど同義語ですから、両方とも「ホワイト・ハウスの暴力団」という意味になります。
  安倍晋三内閣も、これまでの様々な、あからさまな違憲・脱法行為や汚職隠蔽行為から考えるなら、同じように「霞が関のヤクザ集団」と呼ぶべきでしょう。ただやっかいなのは、トランプも安倍も「政治暴力団の親分」でありながら、機会あるごとにナショナリズムを鼓舞して、「米国ナンバー・ワン」や「強くて美しい日本」を訴え、そのことで民衆を魅惑してきたことです。
  では、ナショナリズムとは一体何なのでしょうか?「定義してみろ」と言われても、なかなか明確には定義できないやっかいな観念です。『動物農場』や『1984年』などの名作の著者として有名な英国の作家、ジョージ・オーウェル(1903〜50年)の短い評論の一つに「ナショナリズム」と題されたものがあり、この中で彼は以下のようにナショナリズムの特徴の一つを描写しています。
 
「ナショナリズムとは自己欺瞞によって鍛え上げられた権力への渇望なのである。全てのナショナリストは最もひどい嘘であろうと受け入れる能力を持っているが同時に……何か自分自身よりも大きな存在に仕えているのだという意識があるために……自らの正しさに対して揺るぎない確信を持っているのだ。」
(強調:引用者)

  つまり、ナショナリストは、自分と自分の周りを嘘でかためることで他人をも騙し、欺きの連続で権力を掌握し続けるという強い欲求があるのだと、オーウェルは言っているのです。しかし、さらにやっかいなのは、その大嘘ツキが、なにか「大きな存在」、例えば「強くて美しい国家」という勝手に作り上げた観念に自分を仕えさせて、自分がすばらしく「正しい」仕事をしているのだという確信をもっていることです。その「正しい」という確信のゆえに、自分が嘘をついて他人を欺いていることに、ほとんど罪悪感を感じないわけです。通常の人間には理解するのが難しい心理状態ですが、それが現実なのでしょう。でなければ、トランプも安倍も、あれだけ次々と嘘をついていながら、平気でいられるはずはないでしょう。最も極端な例は、ドイツを「世界支配の大帝国」にするという自分が作り上げた「正しい夢」にあくまでも仕えていた、ヒットラーでしょうね。
  しかし、さらなる問題は、こうした自己欺瞞と嘘でかためた権力掌握者=暴力団親分におもねり、その親分の庇護下で自分も小権力を持ち、なにか「すばらしい仕事をしている」という虚妄の確信を持つ小権力保持者=子分が集まってくるという現象。しかし、これらの子分もナショナリストであることを当然要求されますから、「最もひどい嘘であろうと受け入れる能力」を身につけていなければなりません。あるいは、まだ身につけていないならば、身につけるように努力しなくてはなりません。東京高検の検事長の定年延長を決めたことに関して(もちろん安倍が決めたのでしょうが)、子分=森雅子法務大臣が、国会答弁で「最もひどい嘘であろうと」つけるのはまさにこの理由からです。しかし、彼女の場合は、最初からボロボロに「嘘が丸見え」であることが致命的でした。親分にしてみれば、「なんでもっとうまく嘘がつけないんだ」という怒りが生じてきたことでしょう。
  この点が少しトランプ政権と違うように思えます。ホワイト・ハウス暴力団の場合は、どうしても嘘をつけない子分が次々と更迭されていますが、日本の「霞が関のヤクザ集団」の場合はそれが全くありません。親分の言いなりです。この日本特殊の現象は、天皇制と深く関連していると私は考えています。(この現象を私は「心の内なる天皇制」と呼びますが、詳しくは拙著『検証「戦後民主主義」:なぜわたしたちは戦争責任問題を解決できないのか』三一書房、2019年を参照してください。)

安倍政権のパンデミック対応と「構造的暴力」の被害者

  しかし、ここにきて、「霞が関のヤクザ集団」の支配力が急激に弱体化しつつあります。
  日本の場合、「霞が関のヤクザ集団」の親分がコロナ・ウイルスという感染病の「無差別殺傷力」を過小評価し、7月末「オリンピック開催」にあくまでもこだわり、感染防止対策にはほとんど力を入れないどころか、意図的に感染者数を少なく見せようとしたのか、PCR検査はほとんど行わない対応を取り続けました。3月末にオリンピック延期が決まったあと、感染防止対策にようやく腰をあげるようになりましたが、その後も検査には極めて消極的で、2月中旬から4月末にかけて行った検査数は千人当たり1.9以下。イタリアの31.6、ドイツの30.4はもちろん、米国の17.5と比較してもあまりにもおそまつ。日本政府のやる気のなさがはっきりとこの数字に表れています。
  経済対策でも、汚れたマスクの配布に466億円を当て、生活支援臨時給付金の決定でも、当初の収入減世帯対象の30万円から一律一人当たり10万円に変更するまでに、多くの時間を費やしました。4月7日になってようやく「緊急事態宣言」を出すと同時に「緊急経済対策」を発表。その発表で安倍親分は、世界でも稀な大規模予算、総額108兆円(GDPの20%)を経済対策費に当てると豪語しました。ところが、これもいつもの虚言で、実質の新規財政拠出額は10〜20兆円で、GDPの2〜3.7%、人口5百万を切る小国のニュージーランドの初期対策費(GDPの4%)より低いのです。
  実はこのとき、日本は隣国の韓国から学ぶべきことが多々あったのですが、韓国を見下している安倍親分には一向にその気はなかったようです。韓国は2009年と2015年の二度にわたって感染病大流行に襲われ、その対策に失敗して多くの感染者と死亡者を出しました。その経験から学びとり作り上げた感染病対応モデルが、「開かれた民主社会のための躍動的な対応体系」と呼ばれるもの。このモデルは「開放性」、「透明性」、「民主制」の三つの基本方針から成っていおり、(1)透明で迅速な情報公開、(2)開放的な民主主義と共同体精神を尊重する多くの市民の自発的な参加、(3)創意的な方法の模索とIT技術の積極的な活用、を目標としました。診断キットの早期開発に努め、できるだけ多くのPCR検診で感染者を早期に発見し、個人情報の保護に細心の注意を払いながら携帯電話のGPSを使って感染ルートを追跡するなどして、それらの情報を全面的に公開。その上で、人と物資の移動制限を極力抑え、防疫効果を最大限にするという方策がとられました。そのため、日本やオーストラリアで見られたトイレット・ペーパーの買いだめなどという醜い行動は、韓国ではみられませんでした。
  「徹底した情報公開により政府と市民の間に強い信頼を醸成し、それを基盤に市民の防疫への自発的参加をうながし、可能な限り封鎖を行わない対策を取る」という点で、大きな成功をおさめたと言えます。その結果、感染者数も死亡者も日本より少ない中で、事態はすでに収拾に向かっています。文政権支持率71%が裏付けている「政府と市民の信頼関係」の背後には、日本による植民地支配や戦後の軍部独裁政権と長年にわたって闘ってきた韓国人民衆の、民主主義獲得運動の積み重ねがあることは言うまでもありません。
  日本では、予想した通り、多くの国民、とりわけ日本の雇用者数の4割近い非正規労働者(そのうちの半数以上が女性)の多くが職を失い、すでに昨年末で162万人と言われている失業者がここで急増し、ホームレスも増えています。すでに困窮状態にあった多くの女性の非正規労働者、とりわけ母子家庭の生活状況が急速に悪化しています。母子家庭の中には、毎日の食料確保にさえ困っている人たちも出てきています。感染者とその家族への差別や、家庭内暴力(いわゆるDV)も急増。資金繰りができなくなった中小零細企業(とくにホテル、旅館、居酒屋、レストラン、飲食店、婦人服店など)で、すでに倒産する企業が増えています。残念ながら、これから栄養不良による様々な病気の併発、精神疾患や自死も急増するでしょう。パンデミックは無差別に人間を襲うという一般論にもかかわらず、このように被害は社会的弱者に集中する傾向が強くあります。
  にもかかわらず、「森友問題」や「桜を見る会問題」での批判に対応するために多くのエネルギーを割き、経済対策でも後手後手に回っているにもかかわらず、自己の権力維持のために「検事長定年延長」や「憲法改悪」にやっきになっている安倍親分。その結果、パンデミックの影響をもろに受けている多くの国民が、貧困、病気、飢餓、差別、DVなど、つまりヨハン・ガルトゥングの唱える「構造的暴力」の犠牲者となっています。かくして、もともと多くの「構造的暴力」問題をかかえ、市民の政府への深い不信が日常化している「歪んだ民主主義社会」が突然にパンデミックという危機にみまわれると、「構造的暴力」が急速に激化するという現象がみられます。これはもちろん日本だけではなく、世界的現象、とりわけ「第三世界」と難民キャンプでパンデミックによる「構造的暴力」の爆発現象がみられますが、これについては日をあらためて言及したいと思います。

社会的正義感の希薄性克服と「構造的暴力」被害者連帯の必要性

  本当ならば、このような嘘と欺瞞でかためられた「霞が関のヤクザ集団」を、とっくの昔に市民が打倒していなければならなかったのですが、この暴力集団の「もっともひどい嘘」に対して強い声をあげずに、なんとなく受け入れてきた多くの国民の側に、政治家や官僚の嘘を徹底的に追求批判しようという「社会的正義感」が薄れている、逆に言えば社会的不正義にたいして怒りを覚えない、という、この日本社会の大きな弱点があります。日本のこの「社会的正義感の希薄性」は、天皇裕仁と(日本軍を含む)日本政府が犯した戦争犯罪とその戦争責任を徹底的に問わないままに、「平和憲法」を受け入れてしまった「国家的正義行為」、ならびに、そんな歪んだ「戦後民主主義」政府が推し進めてきた教育政策と、深く関連しているというのが私の考えです(詳しくは、これまた拙著『検証「戦後民主主義」』を参照してください)。日本の「社会的正義感の希薄性」にはこうした歴史的背景がありますので、この問題を克服するのは容易ではありません。しかし、歴史をしっかり学び直し、これを克服しない限り、日本に民主主義的な社会を打ち立てることは不可能だと私は思っています。(なお、日本における「正義感の希薄性」は、一般的な日本人の「人権感覚の希薄性」と深く関連している問題ですが、この問題については、時間とスペースの都合上、また別の機会に議論したいと思います。)
  これまで「霞が関のヤクザ集団」の不正に怒りの声をあげる人たちが総体的には少なかった日本ですが、パンデミック対応のまずさでさまざまな「構造的暴力」が激化し、その被害者が急増する中で、その被害をもろに受けているフリーランスの芸能人たちが、「自分たちの無収入状態」の怒りによって「正義感」を刺激されたようで、5月9日、ツイッター上での『#検察庁法改正案に抗議します』という抗議で、「安倍政権、おかしいぞ!」の声が拡散。この投稿数は2日で700万件近くにものぼったということです。こうして、パンデミック対応の失敗でグラつきはじめた「霞が関のヤクザ集団」に、ようやく一部の市民の本気の怒りがモロにぶっつけられ、その嘘と欺瞞に国民の多くが目を向けるようになり、このヤクザ集団に風穴があけられつつあるというのが現状でしょう。
  私たちがここで必要なのは、この今こそ、パンデミックによる「構造的暴力」激化の多くの被害者の痛みと怒りを連結させ、それを大きな市民運動のウネリにまで高め、「霞が関のヤクザ集団」の親分・子分を一網打尽にすることです。今こそが、パンデミックという凶猛な感染病を逆手にとって、 「霞が関のヤクザ集団」という大嘘で汚れきった、毒性の極めて高い病原菌を撲滅する絶好のチャンスなのです。
- 完 

こんなパロディも作られるようになりました:
鬼のパンツ20万回再生のオペラ歌手が【アベノマスク】を熱唱!!!
フェイク予告まとめ動画 - 安倍ンジャーズ編!
https://www.youtube.com/watch?v=UzhRHNY3Ijs


 

1 件のコメント:

城山大賢 さんのコメント...

合掌
もっともな論評でした。
フェイスブックに上げました。
絶対的権力は、絶対的に腐敗、暴走する
と題しました。
合掌