2020年1月5日日曜日

この世界状況で、明けましていったい何がおめでたい?!


1)オーストラリア森林火災は人災だ
2)被服支廠保存問題を考える

1)オーストラリア森林火災は人災だ

  年が明けても「おめでとうございます」などとはとても言いたくない状況が、世界あちこちで続いています。米国大統領トランプは、大統領弾劾裁判を避けるためや再選のための人気向上を狙って、イランの革命防衛隊司令官を殺害。その結果、中東の不安定な状況を一挙に軍事衝突の危機にまで高め、すでに米軍約3千人の増派を行う予定とのこと。3千人ですむでしょうか。日本の安倍首相は、こんな危機的な状況の中で、米国支援という旗をトランプに向けて揚げてみせるだけの目的のために、中東海域への自衛隊派遣を決定し、自分はゴルフ三昧という相変わらずの無責任さ。
  オーストラリアは、昨年11月下旬からニュー・サウス・ウェールズ州で始まった森林火災が、12月に入って急速に同州沿岸部の広大な森林地帯に拡大。さらには、12月中旬から続く猛暑のために、隣のビクトリア州北東沿岸部の森林地帯にも火災が起こり、現在もオーストラリアの東南地域一帯の森林火災はいつおさまるのかほとんど見通しがつかない状態です。そのうえ、南オーストラリア州の、リゾート島として有名なカンガルー島はほとんど島全体が焼失。
  これまでに焼けた森林面積は、約1千4百50万エーカーというとんでもない広さ。これは2018年のカリフォルニアの森林火災による焼失面積の3倍、昨年のアマゾン火災の焼失面積の6倍という広さです。死傷者数は現在までのところ23名、行方不明者が6名、火災消失家屋が1500軒ですが、この火災によって死亡したコアラ、カンガルー、ウォンバットや野鳥など多種多様な動物の数は推定5千万匹、いま幸い生き残っている動物がいたとしても餌や水が全くない状況ですので、生き延びることはひじょうに難しいでしょう。オーストラリアの現状は、まさに「catastrophe 大破局」と称すべきものです。







 これは確かに地球温暖化が急速に悪化していることの証左ですが、しかし、こんな大破局に陥るまでにしてしまった原因は、いうまでもなく我々人間にあります。とりわけ、「地球温暖化には科学的根拠がない」と主張してきた政治家たちの責任は重大です。その一人は、オーストラリア首相のスコット・モリソンで、彼は、この大火災が起きている最中に、家族連れで休暇を楽しむために、密かにオーストラリアを離れてハワイに滞在。そのことがメディアで暴露されたため、あわてて帰国。ニュー・サウス・ウェールズ州の州政府の「緊急事態担当大臣」であるディビッド・エリオットも、州が「緊急事態」にあるにもかかわらす、ロンドンとフランスに妻と一緒に休暇に出かけるという、信じられないような無責任政治家。
  周知のように、昨年12月に、「気候行動ネットワーク」は、オーストラリア、日本、ブラジルの三ヶ国を、地球温暖化対策に最も後ろ向きな国に送る「化石賞」の受賞国にしました。オーストラリアは石炭とガスの輸出量で世界一を誇る(?)国で、気候変動対応国57カ国のうちの57番目の最低国となっています(ちなみにウラン輸出量ではカザフスタン、カナダに次いで三番目)。野党がだらしないのは日本だけではなく、オーストラリアでも同じで、最大野党である労働党の党首アンソニー・アルバネーゼは、モリソン首相がハワイで休暇を楽しんでいる頃、石炭輸出の全面的賛成を表明するために炭鉱地域を訪問していました。
  そんなわけで、大火災が起きているにもかかわらず、消火対策が1ヶ月以上たっても後手後手となり、今のような大破局事態に至らせてしまいました。これを「人災」と言わなければ、なんと称すべきでしょうか。オーストラリアの夏はまだ始まったばかりで、猛暑がこれから2月末まで続くでしょう。大火災がおさまるのは、いつになることやら……。馬鹿な政治家が権力を握る国家の国民は、どこの国であれ不幸です。政治家のモラルの激しい低下も世界的傾向、あるいは、低下したモラルしか持たない人間が政治家になっていると言うべきなのか。このめちゃくちゃな事態を変えるには、自分たち民衆の力で社会変革をめざすより方法はありません。今年もたいへんな一年になりそうです。

2)被服支廠保存問題を考える

  昨年末より、広島市内の南区出汐に現在4棟残っている陸軍被服支廠の取り壊し計画が盛んに報道されるようになり、この解体計画に対する反対運動がにわかに注目を浴びるようになりました。被服支廠とは、主として軍服や軍靴を製造する工場のことで、創設されたのは1905年(明治38年)4月で、同年12月に現在地にその工場建物が竣工されたとのこと。敷地は大正初期の時点で7万坪という広大なもので、近隣には陸軍兵器支廠や陸軍要塞砲兵連隊、演習砲台などの施設も設置されました。
  1945年8月6日朝の米軍による原爆無差別殺戮攻撃によって市内の建物は壊滅しましたが、被服支廠は爆心地から2.7キロ離れていたことと、工場の外壁の厚さが60センチとかなり分厚かったため、倒壊や火災もまぬがれて、被爆者救護所として使われました。この建物内でも多くの被爆者が亡くなっていきましたが、広島を代表する詩人の一人、峠三吉がその惨状を「倉庫の記録」や「仮繃帯所にて」という詩にしており、それらの詩は彼の『原爆詩集』の中にも含まれています。
  解体計画に対する反対運動団体 - 例えば「旧被服支廠の保全を願う懇談会」など - の意見を読んでみますと、そのほとんどが、「被爆建物であるから」保存すべきだというもので、しかも、建物を保存してどのように活用すべきか、というアイデアはほとんど出されていません。もっぱら「自分たちの戦争被害」意識の観点にのみたった、典型的な広島の「被爆被害関連資料保存運動」です。
  考えてもみてください。この工場では、海外に派遣された多くの日本軍将兵が着用した軍服や軍靴を生産していたのであり、例えば、1937年12月には、その多くがここで作られた軍服、軍靴を着用していた7万人を超える日本軍将兵が南京市内に侵入し、大量の虐殺、略奪、強姦などの残虐行為を数週間にわたって犯し続けたのです。1942年2月にシンガポールを陥落させた日本軍が、その後3月末までにシンガポールとマレー半島で数万人から10万人にのぼると推定される華僑を虐殺しましたが、この大量虐殺に加わった第5師団歩兵第11連隊所属(本部は広島)の兵員たちも、ここで作られた軍服・軍靴を着用していたはずです。犠牲者は中国人だけではありません。15年という長期にわたる戦争期間中、日本軍に占領された多くのアジア太平洋の地域の人たちが、軍服姿の日本人による様々な残虐行為の被害者となり、女性たちも軍服姿の日本人に怯えおののきながら強姦され、中には強姦された後で殺害された人たちも多くいました。
  こうした被服支廠の歴史的背景を考えるならば、この建物は、単に「被爆建物」として保存するのではなく、「戦争加害記憶遺産」として保存・活用することを真剣に考えるべきなのです。とりわけ広島には、旧軍関連の建物や設備がほとんど残されていませんので、この観点から、被服支廠を保存することはひじょうに重要です。いかにこの建物を、広島の戦争加害と被害の両面から、戦争防止と平和構築のために保存・活用するかという議論を大いにすべきだと私は強く感じています。ドイツには、日本とは対照的に、ナチス軍の様々な施設が再建・保存され、「戦争加害記憶遺産」として平和教育に大いに活用されています。このドイツの経験からも学ぶことは多々あります(ドイツの状況と広島との対照について、詳しくは、拙著『検証「戦後民主主義」:私たちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』三一書房、第5章を参照してください。)
  いずれにせよ、私の尊敬する広島の市民活動家、池田正彦さんの関連論考と、池田さんたちが企画されている石丸紀興さんによる講演プログラムの案内を下に貼り付けます。この問題を考える上でたいへん参考になると思います。

田中利幸
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旧・被服支廠活用について
広島文学資料保全の会・池田正彦

 旧・被服支廠の取り壊しの報道が、今月(2019年12月)あった。いくつかの団体が取り壊し反対の申し入れ、署名による要請を広島県に行ったと伝える。

 広島県は、来年度(2020年)4棟あるうち1棟のみを保存し、2棟を解体する方針を明らかにした。(12月4日に開かれた県議会総務委員会で、所有する3棟のうち1棟のみ保存し、あとの2棟は解体する方針を明らかにした)

 広島大学名誉教授・三浦正幸さんは、「日本で最も古いレベルの鉄筋コンクリートの建造物で、国の重要文化財にも指定される価値がある。日本の将来に禍根を残す」と語り、「財政事情の理由の一つに挙げている点についても、県が建物の価値を広く市民に訴え、寄付を募るなどして、財源の確保に努めるべきだ」という考えを示した。

 さて、私見になるが……いくつかの団体が広島県に「解体反対」の申し入れ、要請を行ったとのニュースが流れたが、不思議なことに、活用については、まったく触れられていない。(保存と活用はセットで語るべきだ) 広義に解釈すれば、現在の状況でも「保存」なのだ。ただ「活用」せず、長い間放置してきただけなのだ。

   広島県は、おためごかしに、これから市民・県民の意見を聞くというが(アリバイづくり……)
結論(1棟のみ保存・2棟解体)を先に出して、意見を聞くという不誠実さこそ問題なのである。広く意見を募り、結論は先延ばしすべきである。(市民団体は県の態度をもっと追及すべきである。)

   多くの報道も、広島県が1棟のみ保存・2棟解体との方針を伝えているが、広島市の連帯責任を追求しているものはほとんどない。(たしかに所有は広島県であるが、「平和・文化都市」を掲げる広島市は率先して平和施策の重要な課題として再生・保存に取り組むべきであり、他人事ではないはずである……広島市長は、保存・活用の費用は負担しないと、発表)

   実は、1992年、石丸紀興さん(元・広島大学教授)を中心に『赤れんが生きかえれ』(旧・陸軍被服支廠倉庫の再生にむけて)被服支廠活用提案がされており、長い間放置してきた責任は誰なのであろう。
 *「提案」は、再生・活用例も具体的に示されており、「広島にとって魅力的な空間を創出する」積極的意味をもっている。

   昨年から今年にかけて、原爆資料館の耐震工事中、たくさんの被爆した暮らしの遺品が出土したが、この出土品の活用・展示先はまだ決まっていない。(それこそ、この出土品を、被服支廠の一空間を利用して展示すれば……被服支廠も、出土品、双方が活きる)
  *だからこそ、広島県は広島市と共同し、保存・活用に向けて積極的なリーダーシップをとるべきだ。……そういう論調もないのも哀しい。

   私は長く「広島に文学館を!」の市民運動に携わってきた。広島市は文学資料収集の予算はゼロであり、残念ながら文学館構想は限りなくゼロに等しい。(広島市は、中央図書館の一角に小さな「文学資料室」を設けているが、多くの人はその存在すら知らない。(資料収集体制、展示・活用の実態はまったく貧弱といわざるをえない)
この被服支廠の一隅を利用し、峠三吉を中心とした「原爆文学資料室」があれば、峠三吉の詩(倉庫の記録)と被服支廠と直接繋がり、平和教育に大きく貢献すると考えるのは、私だけでないだろう。

   あまり知られていないが、ヒロシマを描きつづけた詩画人・四國五郎さんは、この被服支廠に勤務し出征した。現在、四國作品の常設施設は郷土・大和町(小学校の廃校を利用した教室)にあるが、広島市にはない。(四國作品を収蔵している施設もない)反戦・核兵器廃絶を訴えることに生涯をささげた四國五郎さんの生き方・作品は平和教育そのものであり、被服支廠の空間を埋めるもっとも適した作品群である。

   広島復興という視点も必要。
たとえば、一角を、「広島カープの誕生」「広島お好み焼きの歴史」「広島復興を牽引したマツダのバタンコ」など、広島復興の歴史が庶民的感覚で展示。

   被服支廠を広島回遊の拠点に。
宇品港、郷土資料館(旧・糧秣支廠)、広島大学医学部医学資料室(旧・兵器支廠)、旧・日本銀行、アンデルセン、袋町小学校平和記念館、本川小学校平和記念館、平和アパート(戦後復興第一号の鉄筋アパート:峠三吉を中心とした戦後広島ルネッサンスの拠点)、比治山(陸軍墓地など)などなど、マップを作成して多くの人が散策できるようにする。*「平和アパート」は、広島市は取り壊す予定。
*宇品には、当時陸軍輸送船を統括する運輸部がおかれ、そのための施設として、兵器廠・糧秣廠・被服廠がつくられた。宇品は文字通り、兵士・物資を大陸に送る拠点となった。(軍都・広島の歴史の視点も重要である)

   まだまだたくさんの活用についての意見はあるはずである。解体ありきではなく、積極的に「再生・活用」を求める活動が今問われている。

*遅ればせながら、12月18日、朝の記者会見で松井広島市長が保存について態度表明(全棟保存を県知事に要望)をしたとのこと。しかし、 「広島県に要望」にとどまっている。「平和・文化都市」を標榜する市長が、この程度で茶を濁すことを許してはならない。積極的に「平和市長」として、「再生・活用」にむけて、本腰を入れて行動することが今問われている。
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講演案内

旧・被服支廠
赤れんが よみがえれ ― 保存・活用をめざして
広島県は、旧・陸軍被服支廠を所有する3棟のうち1棟を保存し、2棟を解体する方針を明らかにした。この「赤れんが」は、国内最古の鉄筋コンクリートの建物であり、宇品から兵士・物資を大陸に送り出した軍都・広島の象徴的存在でした。
また、被爆時には被爆者の救護所となり、峠三吉は詩「倉庫の記録」(原爆詩集に収録)として惨状をつづった。戦後には、広島師範学校の授業、学生寮、図書館、日通倉庫などに使用され、復興広島の下支えとなった。
拙速に「広島の原風景」を消してはならぬ。保存・活用にむけて多くの県民・市民の意見を集約しよう。

中国新聞(20191220)社説(全棟保存・活用の議論を)のなかでも「重要性をあらためて考慮し、いったん凍結してはどうか。その上で、もう1棟を所有する国と、市の3者で、保存と活用の具体策と財源について早急に協議を始めるときだろう」と、述べている。

演題 赤れんが よみがえれ
講師 石丸紀興さん
   (元・広島大学教授)
とき 1月26日(日)
     午後2時~4時
   *皆さま方からのご意見・提案の時間も設けます。
会場 広島市ひとまちプラザ・北棟6Fマルチメディアスタジオ
   電話 082-545-3911
   (広島市中区袋町・袋町小学校隣)
   *無料

広島文学資料保全の会(広島市中区本川町2丁目1-29-301)
電話・FAX 082-291-7615 メール qqxn4he9k@cap.ocn.ne.jp



 

2 件のコメント:

多賀俊介 さんのコメント...

田中先生ご指摘ありがとうございます。私は旧被服支廠の保全を願う懇談会のメンバーです。スタッフとして被服支廠を案内する時必ず軍都廣島加害の遺跡であることも紹介しています。会長の被爆者中西さんも証言のなかで軍隊の横暴・腐敗について話されこれを残すのは戦争をおこした国の責任と訴えておられます。私たちの会の発信不足ではありますがそのこともお知らせしたくコメントしました。今はとにかく解体阻止(裏で自民党県議の暗躍があるかもと聞いています。それが本当ならなさけなく怒りです。)に向け取り組んでいます。引き続きご批判よろしくお願いいたします。(石丸先生講演にはもちろん参加予定です)多賀俊介

田中利幸 さんのコメント...

多賀さん

情報に感謝します。
しかし、「旧被服支廠の保全を願う懇談会」のホームページを見ても、「戦争加害責任」問題については一言も述べられていませんし、旧被服支廠の建物を保存してどのように活用するかのアイデアについてもなにも述べられていませんね。ホームページから感じるのは、やはり「被爆被害」の強調を中心にした運動であるということです。多賀さんや中西さんが旧被服支廠の建物保存を、戦争被害だけではなく戦争加害責任との問題で深く考えておられるなら、ホームページで明確にその旨を説明されておられないことをたいへん残念に思います。

田中利幸