『検証「戦後民主主義」 - わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』
5月に三一書房から出版予定の拙著案内が、三一書房のホームページに本日出ました。下記アドレスに本の各章の項目が出ています。情報拡散していただければ光栄です。
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本書の目的
いわゆる「慰安婦(=日本軍性奴隷)」や「徴用工」の問題で日韓関係が最近ひじょうに険悪化していることからも明らかなように、戦後74年も経つというのに、なぜ日本は「戦争責任問題」を解決できないのであろうか。この疑問について考えるためには、単に日本の「戦争責任意識の欠落」だけに視点を当てるのでは解決にはならない。日本の「戦争責任問題」は、最初から、米国の自国ならびに日本の「戦争責任」に対する姿勢と複雑に絡み合っていることを知る必要がある。さらには、その絡み合いが日本の「戦後民主主義」を深く歪め、強く性格づけてきたのであり、そうした歴史的経緯の結果として、多くの日本人の「戦争責任意識の欠落」と現在の日本政府の「戦争責任否定」があることを明確にする必要がある。
本書の目的は、そのような日米の「戦争責任問題」の取り扱い方の絡み合いを、空爆、原爆、平和憲法の3点に絞って分析し、どのようにそれが絡み合っているのかを分析することにある。さらには、その絡み合いの最も重要な要素の一つとしての「記憶」にも焦点を当て、日米の公的「戦争記憶」がいかにして作られ今も操持されているのか、その「公的記憶」に対して、我々市民が自分たち独自の「歴史克服のための記憶」の方法を創造していくにはどうすべきかについても議論する。
「あとがき」からの抜粋
2015年3月末の定年退職をひかえ、その一ヶ月ほど前に、広島の平和活動仲間のみなさんに「さよなら講演」と題する講演会を広島市内で開いていただいた。本書の第5章は、そのときに準備した講演ノートを修正し、かつ大幅に加筆したものである。
13年間暮らした広島を離れたとはいえ、その後も毎年8月6日前後の数週間は広島に戻り、いまも市民活動に参加させてもらっている。そのうえに、少なくとも毎年もう1回は広島に戻っているため、いつも私の頭から「広島、原爆、戦争責任」という問題が離れることはない。
実は、「さよなら講演」のあと、広島の原爆問題をめぐる歴史、政治社会問題、文化問題を総合的に分析するような著作を、時間をたっぷりかけて書いてみたいと思い、まず書き始めたのが本書の第2章の元になる原稿であった。書き始めて、自分の構想がいかに自分の力量を超える能力を必要とするものであるかに、遅まきながら気がついた。しかし同時に、「天皇の戦争責任」問題が、戦後の日本の「民主主義」のあり方にひじょうに深い影響を及ぼしており、現在の日本の政治・社会問題を考えるうえでも、この問題を問わずには、いま我々が直面している様々な問題の根本的な原因を理解できないのではないかと考えるようになった。
そこで天皇制に関する様々な資料を読みだしたのであるが、奇しくも、それが天皇明仁の「生前退位」発表と重なり、そのため、にわかに関連する出版物が増え、それらに目を通すことで私自身もいろいろ思考を重ねた。
………… (省略)
本書の表紙には、私の大好きな広島の画家・四國五郎さん(1924−2014年)が残された数多くの秀れた作品のなかの一枚、「相生橋」を使わせていただいた。この絵が表しているように、戦後間もなくから1970年代末まで、広島には太田川に沿って原爆スラムと呼ばれるバラック街があった。親族を失って生き残った被爆者だけではなく、引揚者や在日の人たちなど、差別され貧困に苦しむ多くの人たちが住んだこの街は、戦後日本の「民主主義」の深い歪みを象徴的に表している一つであると私は考えている。
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