2018年9月5日水曜日

「象徴天皇制の虚妄に賭ける」?!




『未完のファシズム』戦後と象徴天皇制
最新号の『季刊ピープルズ・プラン』Vol.81は、いま人気のある「リベラル」と言われる「天皇賛美者」の批判の特集号 『象徴「天皇陛下」万歳の≪反安倍=リベラル』でいいのか?代替わり状況下の<安倍政治>と<天皇政治>』です。批判の対象となったのは、島薗進、白井聡、内田樹などですが、私は片山杜秀批判を担当しました。以下はその批判の全文です。ご笑覧、ご批評いただければ光栄です。

なお、この特集号の目次と前書「<天皇陛下の《反安倍》でいいのか特集にあたって(天野恵一)は下記リンク先でめます。
http://www.peoples-plan.org/jp/modules/news/article.php?storyid=577
http://www.peoples-plan.org/jp/modules/article/index.php?content_id=207

《片山杜秀》批判
「象徴天皇制の虚妄に賭ける」?!
 『未完のファシズム』戦後と象徴天皇制
片山杜秀の出版歴
 私に与えられた課題は、片山杜秀の象徴天皇制支持論の批判的検討である。正直なところ、私は片山がどのような思想の人物か、どのような著書・論考を発表しているのかこれまで全く知らなかった。したがって、『未完のファシズム - 「持たざる国」日本の運命』(新潮新書)を読むにあたって彼の経歴を調べてみたところ、政治思想史を専攻しながらも、クラシック音楽にも造詣があり、音楽関連の著書や論考も多々あるとのこと。小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』を連続掲載したことでも知られている扶桑社出版の『週刊SPA!』に、1994〜2002年に、「ヤブを睨む」というコラムで、音楽や映画・演劇評論のみならず、右翼、歴史、政治問題などに関する評論も発表して大人気を得たとのこと。2008年には、音楽関連著書で吉田秀和賞とサントリー学芸賞を受賞。2012年出版の『未完のファシズム』では司馬遼太郎賞も授与されるという活躍ぶり(しかし、サントリー学芸賞、司馬遼太郎賞の両方とも私個人は高く評価していないが)。
 私は故・吉田秀和のファンの一人で、長年、とりわけ彼のモーツアルト音楽解説の愛読者であった。吉田秀和賞は、音楽・演劇・美術関連の秀れた芸術評論の著者に与えられる賞として1990年に設置されたが、当初の選考審査委員は吉田自身を含め加藤周一と武満徹の3人があたっていた。2012年からはフランス文学者・文芸評論家の杉本秀太郎と片山の2人が審査委員となり、2015年に杉本が他界してからは、片山と建築家の磯崎新が審査委員となっているとのこと。『週刊SPA!』で好評を博した人物が、吉田秀和賞を受賞し、しかも今は審査委員を務めているという事実が、私にはひじょうに奇異に感じられてしかたがないのであるが、片山の音楽関連著書を全く読んでいないので、彼の音楽評論に関してコメントする資格は私にはない。
  さて肝心の『未完のファシズム』であるが、端的に言えば、この著書の主たる目的は、なぜゆえに日本はアジア太平洋戦争で敗戦したのか、その理由を探求しようというものである。結論的に片山は、敗戦の理由を、「総力戦体制」をとれなかった日本の経済的後進性、「総力戦」に代わるものとして日本が独自に採用した戦略自体の欠陥、さらには当時の政治体制=明治憲法体制が国家社会全体を強力に統合して、そのような独自の戦略を一挙に推進していけるようなファシズム体制にはなれなかったこと(すなわち「未完のファシズム」であったこと)に求めている。こうした片山の敗戦理由の説明は、彼の『国の死に方』(新潮新書)や島薗進との対談『近代天皇論「神聖」か、「象徴」か』(集英社新書)でも繰り返し述べられている。
片山による「持たざる国」の戦略説明
 改めて解説するまでもないが、「総力戦体制」とは、一国家が有するあらゆる物的資源と人的資源の両方を「戦争勝利」という目的のためにできる限り合理的かつ効果的に活用するために作り上げられる非常時の政治社会体制のことである。ところが、日本は対戦国である米英をはじめとする連合諸国とは対照的に、総力戦に必要な物的資源そのもの、とりわけ兵器製造のための鉱物資源や、戦艦・戦車・戦闘機などを動かす石油資源などが決定的に欠乏していた。かくして、「持たざる国」である日本が「持てる国」である豊かな米英仏蘭諸国と全面戦争を展開して勝利することは、経済的にはほとんど不可能であった。この事実は、片山の指摘を待つまでもない。
 片山は、「持たざる国」という状況の中での日本軍の戦略案にまず焦点を当て、当時の陸軍内部の「皇道派」と「統制派」の代表的な複数の軍人の戦略思想と彼らの間での確執を紹介する。満州に「日満経済ブロック」という日本の排他的経済圏を構築することで「持たざる国」日本を「持てる国」にまで数十年かけて強化した後で米国との「世界最終戦」をと主張した関東軍参謀・石原莞爾が、そうした軍内部での確執の結果、いかに陸軍から排除されていったかも説明する。
 「持たざる国」が「持てる国」と長期戦争に入れば勝算は極めて少ないことは明らか。したがって、勝利するための戦略として日本軍が1920年代末に考案したのは、敵軍を包囲して殲滅戦を速戦・即決で展開して短期間で勝利をおさめ、その結果、有利な形で敵国と停戦交渉に入るというもの。この戦略は当時の参謀本部のスタッフであった皇道派の荒木貞夫、小畑敏四朗、鈴木率道が中心となって作成したこと、とりわけ小畑の貢献が大きかったことを片山は説明する。しかし、十分な兵站を持たずに、大胆に殲滅戦を速戦・即決で展開して一気阿成に戦闘を終わらせるには、将兵たちが並外れた強靭な戦意を持っていなければならない。そこで日本軍は極端な精神主義をとらざるをえなくなったとも片山は述べる。
 ところが、この殲滅作戦も実は敵軍が劣勢であるときにのみ成功するのであって、強敵の場合は長期戦になってしまい成功しないことは、作戦を提唱した小畑たちも十分理解していた。しかし当時の状況から、形式上は、この作戦はいかなる敵に対しても採用できるというスタンスを小畑たちはとらざるをえなかったのだと片山は主張する。1936年の2・26事件で皇道派が統制派に敗れて失脚した後も、皇道派のこの殲滅作戦と極端な精神主義だけは修正されずにそのまま生き残り、アジア太平洋戦争に突っ込んでいった。殲滅作戦を展開しながら、東南アジアの資源を確保し、生産力・労働力を拡大し、戦争を続けながら「持たざる国」を「持てる国」にしようとしたが、これに失敗。したがって、結局、極端な精神主義の強調が、殲滅作戦貫徹のためには自分たちが殲滅しても戦い続けるという「玉砕」の思想を生み出してしまった。その最も極端な思想の持ち主が東条英機のブレーンで、「戦陣訓」の作成にも関与した中柴末純で、日本軍が玉砕を太平洋各地で繰り返すことで連合軍を怖気づかせ、彼らの戦意を殺ぎ、最終的には勝利に持っていけると中柴は主張するまでになった。このように片山は、「総力戦」を展開する能力を持たない「持たざる国」、その日本の軍隊がとった戦略そのものに失敗があったと主張する。
片山の「総力戦体制」と「ファシズム」論
 日本が「総力戦体制」をとれなかった理由として、日本政治のタテ割り主義と秘密主義を片山は重要視する。しかも、そのタテ割り主義と秘密主義の原因は、明治憲法体制にあったと片山は主張する。明治憲法は西洋近代政治思想に倣って立法・司法・行政の三権分立制をとった。立法府である帝国議会は貴族院と衆議院の二院制であったが、立法府が強力に機能しないように、両院に対等の権限が与えられていた。行政府である内閣に対しては、内閣の判断を覆すことができる枢密院が設置されていた。帝国陸海軍は立法府からも行政府からも独立し、形としては天皇が「統帥権」を持っており、そのうえ陸海両軍が常に対立する形となっていた。権力がこうしてタテ割りに分散され、様々な国家組織が互いに確執しあうため、一組織や一個人が絶対的権力を掌握できないような体制となっていた。三権と軍の頂点には唯一天皇だけが存在し、天皇親政は理論的には可能であったが、実際には天皇はなるべく自分の意見は明示せず、どうしても必要な場合には「しらす」=暗示することに努めた。明治憲法の第1条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」の「統治」は、実際には「しらす」という意味であったと片山は言う。
  かくして、権力が分散されていたため強権的リーダーシップをとる者は誰もおらず、タテ割りにされた様々な国家組織間の連絡も希薄で、各組織内では秘密主義がはびこるという形となった。「大東亜戦争」になったとき、東条英機が、初めて、分離している各組織を統合し「総力戦体制」を作ろうと首相・陸軍大臣・参謀総長を兼務するということが起きた。ところが、こうした慣例をもたない明治憲法下の政治では強権的統合が嫌われ、ファシズム的に統合しようとする東条に、ファッショはだめだと「東条つぶし」が行われた。かくして片山は、「強力に束ねて一元化をめざすという意味での『ファッショ』は明治憲法体制と常に矛盾するものとして退けられる運命にありました。かくして総力戦体制は最後まで未完でした」と述べる。「強力政治や総力戦・総動員体制がそれなりに完成してこそ日本がファシズム化したと言えるわけでしょうが、実態はそうでもなかった。むしろ戦時期の日本はファシズム化に失敗したというべき」だと主張し、この状況を「未完のファシズム」と呼ぶのだと説明する。畢竟、片山は、日本はファシズム体制が未完であったため、総力戦体制作りも未完に終わったと主張するのである。
 その一方で、片山は、「総力戦体制のためにはデモクラシーが重要だ」とも主張する。いわく、「民主主義の国では国民自身が戦争することを選択する。もっと豊かになりたい。自由な社会を守りたい。悪を倒したい。動機はいろいろあるでしょうが、国民全員の責任で、国民全員が戦うことを選び取る。だから戦線が膠着しても、簡単にやめられないし、誰かの責任にはできない。ゆえに勝てた」と。なんとも極端に単純な論理である。そうなると、明治憲法体制下で総力戦体制が作れなかったのは、明治憲法体制下の日本社会が民主的でなかったから、すなわち「未完のデモクラシー」のゆえだったのか。それとも「未完のファシズム」であったからなのか、一体どちらだと彼は言いたいのか。このように、「総力戦」と「ファシズム」、「デモクラシー」の関連性の彼の説明は、支離滅裂である。片山のこの論理的支離滅裂は、「総力戦」と「ファシズム」、とりわけ「天皇制ファシズム」の本質を全くつかめていないという決定的な思考的欠陥に原因しているが、これについては後述する。
批判的分析を欠いた「包囲殲滅作戦」と「ファシズム」の解説
 とりあえず、以上が片山の『未完のファシズム』の要旨であるが、まず指摘しておかなければならないのは、彼の視点はあくまでも「なぜ日本は総力戦体制を確立できず、アジア太平洋戦争に勝利できなかったのか」という、戦争勝敗を決定づけたもっぱら軍事的要因の検討におかれている。アジア太平洋戦争という未曾有の軍事暴力活動が、いったいどれほど悲惨な結果を日本軍将兵、日本国民のみならず、アジア太平洋各地の地域社会と無数の住民や連合軍将兵(とりわけ捕虜)にもたらしたのか、さらには、明治憲法体制=天皇制をとっていた日本は国家としてそれに対してどのような責任を負っているのか、というアジア太平洋戦争の批判的分析には全く関心がない、ということである。単刀直入に言うならば、彼の論理展開は、勝ちか負けかの「ゲーム論」であり、「人が殺されるか生き延びれるか」という問題からの視点が完全に欠落している。
 したがって、「総力戦」に代わる「包囲殲滅作戦」がどのように参謀本部内で作成されてきたかについてはマニアック的に長々と解説するのであるが、例えば、兵站を持たずに殲滅作戦を中国各地で展開した日本軍が、食糧略奪、住民虐殺、強姦などいかに残虐な行為を犯したかについては一言も言及しない。「包囲殲滅作戦」を議論するならば、その作戦を実践した日本軍将兵が、なぜゆえに残虐化し、各地ですさまじい戦争犯罪行為を行えるようになったのか、という問題も必然的に問われなくてはならない。ところがそうした疑問も片山の脳裏には浮かんですらこない。なぜなら、片山には、最初から、作戦が社会に与える具体的な破壊的影響には全く関心がないからである。
 同じように、総力戦に関する石原莞爾の思想を「日満経済ブロック」との関係で議論する際にも、関東軍による満州支配、ひいては日本軍の中国各地への侵略について、例えば軍の統帥権との関連でそれらを検討することを通して、明治憲法体制=天皇制そのものを再検討してみるという構造的分析には全く繋がっていかない。日本軍の戦略思想だけを軍事オタク的にいかに詳細に議論してみても、統帥権を盾に軍部がいかに政府と帝国議会を無視して侵略戦争を推進していったのかという過程を明らかにすることはできない。侵略戦争の過程を明治憲法体制=天皇制の構造の問題として分析することは、日本「ファシズム」の特徴を明らかにするために欠かせないことは改めて言うまでもない。ところが、片山は、「ファシズム」を説明するにあたって、ヒットラーやスターリンという独裁者が権力をいかにして分散させずに自己の手中に掌握し続けたかについて解説しているように、彼にとって「ファシズム」とは、一個人が絶対的権力を独占する形態という、ひじょうに単純で一面的なものとしてしか捉えられていない。したがって、絶対的権力を独占するような人物が現れなかった戦時の日本は「ファシズム」でなかったという、あまりにも短絡な結論になるわけである。
「天皇制ファシズム」と「総力戦体制」構築失敗の相互関連性
 これまた改めて言うまでもないことなのだが、日本のファシズムは天皇制を、とりわけ天皇制イデオロギーを抜きにして解明することは不可能である。日本のファッショ化過程は、ナチスのようにワイマール体制下のデモクラシーの規範を破壊する形で進んだのではなく、それとは逆に、既存の天皇制支配体制のさらなる強化というかたちで進んだ。すなわち、イデオロギー的には、家父長制的家族制度を基礎とする郷土=農村共同態への復帰、したがって、そうした共同態のイデオロギー的集合体としての「家族国家」観の異常なまでの強化、つまり天皇を全国民=赤子の神がかり的な「父」と崇める「家族国家」への強烈な「里帰り」という形をとった。日本のファシズムは、この天皇を中心軸とする「幻想の共同性」に支えられて初めて拡大することが可能であった。
 問題は、天皇制は、一方で資本主義によって推進される近代国家としての合理的機構化が存在しながら、他方で封建的で前近代的な家父長制的共同態の伝統的価値観が常に全国的規模で再生産続けられるという、この深刻な矛盾を孕んでいたことである。そこに、1930年、経済恐慌によって引き起こされた中小零細企業と農村の危機が発生し、天皇制の矛盾がますます顕在化。この経済危機と政治社会的矛盾を脱出するための手段を満州に、さらには中国各地、東南アジアに求めて侵略戦争を進めていくという形で日本のファッショ化は進んだ。したがって、戦争拡大のスローガンが「家族国家」の拡大版である「八紘一宇」であり、最終的に「持たざる国」の軍隊が「父」である天皇に命を捧げる「玉砕」を兵に強いる戦闘方式に行き着いてしまったのもなんら不思議ではない。
 総力戦体制とは、国家が保持している物的と人的の両方の資源を、戦争行動に計画的に合致させる形で、極力、合理的かつ効率的に利用することであり、そのためには物的資源を生産目的に合わせて計画的に配分し、人的資源も計画的に動員し、適材適所に配置することが必要となってくる。そのためには、当時の日本の伝統的な家族主義に基づく職業分布や雇用形態、「親方・徒弟」関係的な職場の人間関係は、徹底して合目的的な動員・配置を必要とする総力戦体制には全く適していなかった。
 実は、日本も日中戦争の最中の1938年に「国家総動員法」を初めて施行した。ところが、「国家総動員法」でこうした家族主義の職業分布、雇用形態、職場関係を根本的に変更することは、家父長制的家族主義に基づく天皇制国家自体の崩壊につながらざるをえない。そのため、国家総動員法が出されたにもかかわらず、現実には、当時の商工省官僚が指導したごとく、「事業そのものを成るべく現状において維持することが主眼」とされたため、全く総力戦体制のための社会再編成にはつながらなかった。したがって、天皇制ファシズムにおける総力戦体制確立の努力が、結局は、総力戦にとって最も重要な人的資源である将兵と市民の「玉砕」=自己破壊という極端な矛盾を産み出したのも当然の帰結であった。総力戦体制の構築失敗は、片山が言うような「東条おろし」といった単純な問題ではない。
結論:「象徴天皇制の虚妄」の穴
 こうして片山の「総力戦」や「ファシズム」の解説を検討してみると、あまりにも非学問的で、単純で一面的な説明に、これが政治思想・歴史を専攻する「学者」の仕事かとあきれかえる次第である。(吉田秀和賞を受賞したとは言え、こんな浅薄な人間が書いた音楽評論を私は読みたいとも思わない。) 
 したがって、日本の戦争とファシズムを問題にしながら天皇制の問題については全くなにも考えていない学者先生に、天皇制の本質が理解できるはずはないし、それゆえ、当然、戦前・戦中の天皇制と戦後の天皇制の連続性について理解できる能力が完全に欠落しているのも不思議ではない。よって片山は、島薗進との対談で戦後の天皇裕仁に言及して、脳天気にも、「日本に民主主義を根付かせようと、政治家に向かって内々に意見を伝えるべく、秘密の使者を遣わしたりもした。マッカーサーにも同じことをした。つまり民主主義時代の象徴天皇は民主主義を促進し、あるいは擁護するためには身命を賭すものだという覚悟が、昭和天皇から今上天皇へと受け継がれていると思うのです」と述べている。裕仁がマッカーサーに沖縄をタダで売り渡すような、明らかに憲法違反の言動をしたことが、民主主義擁護のために「身命を賭す」行動だと述べ、その自分の無知を恥ずかしいとも思わない。
 国内外での戦没者慰霊の旅を続けながらも、無数の戦没者を出した自分の父親と天皇制自体の責任については一切口にしない明仁を、片山は「象徴天皇についての最大の思想家」と持ち上げる。さらには「父である昭和天皇の未完に終わったとも言える『人間宣言』を、ほとんど原理主義的とも言える苛烈さと言いますか、極めて倫理的に厳しく貫徹しようとすると、『<生前退位の>お言葉』になる」とまで明仁を絶賛する。ここまで来ると、もう「学者」と言うより「太鼓持ち」としか言えない。しかも、丸山真男の「戦後民主主義の虚妄に賭ける」という言葉に擬えて、「象徴天皇の虚妄に賭けたいと考えます」と片山は述べる。天皇制の「虚妄」がどれほど恐ろしいものであるのか、片山には全く分かっていないようである。私にとっては、このような非学問的で軽薄な「学者」をもてはやす日本のメディアがすでに「象徴天皇制の虚妄」の穴に落ち込んでいることが恐ろしい。
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