2021年2月23日火曜日

大坂なおみ全豪オープン優勝を機に考える人種差別

個人的体験から考える日本の人種差別問題

 

本題に入る前に、私の大好きなメルボルン在住の漫画家・詩人、マイケル・ルーニッグの最新作を紹介しておきます。気が滅入るようなニュースばかりの毎日の連続にあって、なにか心をやさしくいたわってくれるような絵と詩だと思います。

 

「丘の上」

丘の上に静かにすわっていると

月が頭の上にふんわりとすわりました

すると、微笑んだ友が心の中にすわりました

微笑んでいるのは、ずいぶん前に亡くなった友でした

でも、二人は夜闇の中で久しぶりに話しあいました

天の川が流れ輝く下で

むかしむかし交わした会話で、言えなかったことを

流れ星がやさしく降っていく下で

歳を重ねて賢くなった月が輝き

星々が愛の言葉で歌をうたい

命は生き続けます

(マイケル・ルーニッグ作)

 

大坂なおみの人種差別抗議とアイデンティティーの確立

2月20日夜にメルボルンで行われた全豪オープン最終戦で、大坂なおみはジェニファ・ブレディを1時間17分ほどの短い時間で、ストレートで勝って優勝。この試合でも、またセリーナ・ウィリアムズ戦でも圧倒的な強さを見せたが、多くの評者が述べているように、技術が進歩したというよりは、彼女の精神的な強さが明らかに増した結果であろう。それは、昨年のBlack Lives Matter の運動に触発されて、彼女自身が 「私はアスリートである前に黒人女性」と主張するようになり、自分が一人の人間として何者であるのかという確固たる自己認識を獲得したことと密接に関連していると思われる。それはまた、同じ価値観を共有する、愛するパートナーを見つけたこととも関連しているであろう。一時スランプに落ち込んで自信を無くしていた大坂が、昨年の全米オープンの試合中に、人種差別に対する抗議の意思をマスクで表明することで自己の信念を確立・強化させ、優勝につなげたものと思われる。3歳でアメリカに渡り、「日本人」という国籍を保ちながらも、黒人差別の激しい米国社会で成長することは、アイデンティティーの確立という面では、精神的にひじょうに難しかったに違いないと私は思う。

 

 

いま彼女に「あなたは誰、なに人?」と問えば、「私は黒人」という応答が返ってくるであろう。彼女の中で「私は日本人」、あるいは「ハイチ人」という意識はひじょうに薄いのではなかろうかと私は推測する。日本人が勝手に彼女のことを「自分たちと同じ日本人」と独りよがりに思っているだけで、これは日本人の勝手なナショナリズム的思考である。メルボルンのテニス・スタジアムで「日の丸」の国旗を掲げて応援している日本人を見ていると、私にはそう思えてならない。日本という国は彼女にとっては、自分の母親がたまたま日本人であり、そのため国籍も日本に置いたままで、日本食が好きであるというぐらいの、ごくごく偶然的な要素であって、日本文化や日本的思考が彼女のアイデンティティーの極めて重要な要素になっているとは、自分自身の中では考えられていないのではなかろうか。日本のファンに対しては、もちろん表向きは「私は日本人」ということを言うであろうが、それはリップ・サービスとみなしたほうがよいと私はおもう。

 

いまも人種差別に苦しむ日本在住の混血児たち

私には成長した娘が二人いるが、彼女たちも日本の芸術や日本食は大好きで、日本語もたどたどしいながら話すことはでき、日本に旅行するのも大好きであるが、自分たちが「日本人」であるなどとは思ってもいない。彼女たちの連れ合いは、それぞれイタリア系とアイランド系で日本とは全く関係がない。彼女たちは、日本人である父親の私の顔を見ても、自分が日本人だとは夢にも思わない(笑)。日本に生まれ育ち住んでいる者なら別であるが、それが海外に住む国際結婚の夫婦から生まれた子供の大半に共通した自己意識であるように思える。つまり、日本に「根」を置いていないのである。

大坂なおみのケースに話を戻すが、もしも彼女が日本に住み続け、有名なテニス選手にもならなかったならば、日本でいま幸せな生活をおくっているだろうか?人種差別が激しい日本社会の中で、いわゆる「黒人」の混血児たちは、いまどのような対偶を受けているのであろうか。

2015年にミス・ユニバース日本代表に選ばれた宮本エリアナは父親がアフリカ系アメリカ人、母親が日本人である。私自身は「ミス・ユニバース」という企画そのものに反対であるが、それは別としても、日本で生まれ育ち日本国籍を持った彼女が日本代表に選ばれた時は、「ハーフが日本代表になるのはおかしい」という批判があちこちで出たとのこと。しかし彼女がミス・ユニバースに出場する決意をした理由は、彼女と同じ混血の友人が自らのアイデンティティーを見つけられずに悩み、2014年春に自死したため、それをきっかけに「ハーフへの偏見や差別をなくすためにも出場することを決意しました」とのこと。

   ちなみに、「ハーフ」という表現自体が差別用語であると私は考えているため、私自身は使わないようにしているが、英語の「mixed race」に当たる適当な日本語表現がないので「混血」という表現を使っている。しかし、私に言わせれば、歴史をさかのぼれば、人間はみな多かれ少なかれ「混血」であって、それをあえて特定少数の人間にだけ使うことも差別表現だと思うのであるが、適当な表現が見つかるまで、あえて使うことにしている。この「混血」を、父母二カ国の文化的な背景があることから「ダブル(二倍)」と称する人たちもいる。しかし、私の娘たちの場合は、母親(つまり私の連れ合い)の背景からいえば、英国系、ドイツ系、ユダヤ系の三つがあり、それに私自身の日本系を加えれば「quadruple(四倍)」であり、「ダブル」どころではないので、この表現も適当ではない。つまるところ、「人は人種的背景がいかなるのものであれ、国籍が何であれ、一人の独立した人間である」と考えるべきなのである。ところが、哀しいかな、そんな簡単なことが世界の大半の人間には受け入れられない、というのが現状なのである。

 

 

 

  それはともかく、宮本エリアナは日本の学校で受けた差別=いじめを次のように説明している。「ゴミを投げつけて笑われたり、知らんぷりされたりしました。<色が移る>と言われて、遠足や運動の時間に手をつないでくれませんでした。プールの時間もそう言われました。日本生まれ日本育ちなのに<アメリカへ帰れ!>と言われました。小さい時、5歳くらいまでですが、なぜ自分だけ外見が違うのか疑問を感じていました。」

 

個人的体験としての人種差別と私の抗議行動

  しかし、こうした人種差別=いじめは「黒人」の混血児だけが受ける問題では決してない。実は、私の娘も日本で同じようないじめを受けた。1994年のことであるが、当時、私はメルボルン大学に勤めており、その年の後半の半年が研究休暇であったため、家族全員で日本に滞在した。私の親戚が横浜青葉区に所有していた一軒家がちょうど空いていたので、そこを借りて、長女は近くの公立小学校に、次女はキリスト教会が運営する幼稚園に通うことになった。幼稚園ではいじめの問題は全くなかったが、小学校2年生として通った長女は、通い始めて数週間後に同じクラスの男子生徒4名ほどのグループから、下校時に「汚いアメリカ人、アメリカに帰れ!」と言われ、ランドセルを傘で激しく叩かれ、突かれた。長女自身は、「私はアメリカ人ではないわよ、オーストラリア人よ!」と言い返し、毅然とした態度で帰宅した。しかし、そんなことがあったとは、彼女は私にも母親にも言わなかった。数日後、同じクラスの女子生徒数人が我が家に遊びに来た時、彼女たちが「ミカちゃん強かったわよ」と詳細を話してくれて、初めてそんないじめがあったことを私たちは知った。

  半年という短い滞在なので、ランドセルは私の従姉の娘が使っていた「お古」のランドセルを借りたのであるが、オーストラリアの学校でランドセルなど使ったことない娘は、その少し汚れてはいるがピンク色のランドセルが大好きで、喜んでランドセルを背負って学校に通っていたのである。そんな「お古」のランドセルを持ち、英語は流暢に話すが日本語はたどたどしい娘を「汚いアメリカ人」と罵っただけではなく、傘で4人もの男の子がいじめたという話を聞いた私には、この「いじめ事件」を黙って見逃しておくわけにはいかなかった。

  翌朝、私は学校に出かけ、担任の女性の先生に面会を申し込み、事件の内容を説明した上で、「このいじめを機会に、ぜひとも人種差別とは何かについてクラスで話し合ってもらいたい」とお願いした。彼女の返答は「できるだけの対応はします」というだけであった。あとで娘に訊いてみたところ、朝礼の時に男子生徒4名に私の娘に謝らせただけで、話し合いなどは全くなかったとのことであった。

ところが後日、男子生徒4名の母親たちが担任の先生に「子供の喧嘩に父親が介入するというのはおかしいのでは」という苦情があったという情報を、娘の友だちの母親から私たちは知らされた。そのことを聞いて、私は再び「これは許せない」と思い、親たちにも直接話をして、子どもたちの考えと暴力的行為が「人権侵害」であることについて家族でよく話し合うべきであると伝えなければと考えた。クラス名簿から男子生徒4名の親たちの名前と電話番号を調べ、父親も帰宅しているであろうと思われる夜8時ごろから電話を各家にかけた。

しかしながら、自宅に戻っていたのかどうか分からないが、父親が電話にでる家は一軒もなかった。母親が対応するばかりであったが、その母親たちは「子供の喧嘩に親が口を出すなんて、そんな子どもじみたことはすべきではない。そんな大袈裟な事件ではないでしょう……」というような口ぶりばかり。いくら時間をかけて冷静に、子どもがやったとはいえ、これは決して喧嘩などではなく、暴力的な人権侵害であるということを説明してもらちがあかないのである。私も最終的には堪忍袋の緒が切れて、「厳密にいえばこの行為は人権侵害という法律違反の問題であるので、あくまでも子どもの責任を親が認めないならば、法的手段に訴えるよりほかありませんね」という言葉で電話を切った。

数日後、私が留守中に子どもの母親たち4人が一緒に我が家を訪れ、私の連れ合いに深く頭を下げて謝罪し、謝罪の表明として高級和菓子の菓子箱を、連れ合いが受け取るのを幾度も断ったにもかかわらず、玄関先に置いて逃げ去ったのであった。これは彼女たちが本心から責任を感じて申し訳ないと思ったからではなく、「法的手段に訴える」という私の言葉に驚いて急遽とった反応だったに違いない。おそらく彼女たちは、「あの田中という人は変人よ、これ以上怒らせないほうがいいわよ。何をするか分からないわよ」などと言い合っていたに違いない(苦笑)。しかし、これが当時の子どもたちの平均的な両親に共通に見られた「人権意識の欠如」だったのであろう。

  では、その後の状況はどうなのであろうか。ごく少数の具体的な例をあげておくが、例えば、1997年、愛知県・小牧市で、日系ブラジル人少年のエルクラノ君が外国人であるというだけで集団リンチにあい、殺された事件が起きている。2010年には母親がフィリピン人である上村明子さんが深刻ないじめを受けて、12歳という若さで自宅で自死した。カナダ人と日本人の両親の間に1989年に生まれた高校2年生の高橋美桜子さんも、容姿にまつわるいじめを受け続けて自死している。事態はなんら変わっていないように思われる。人間の確固たる信念として、自他両者の人権を尊重するという「人権意識」が、子どもにも親たちにもしっかり根付いていないのである。  

周知のように最近はヘイト・スピーチ、特に在日コリアンに対するヘイト・スピーチが日本全国で見られる。いまも地震が起きると、1923年9月1日に起きた関東大震災時に「朝鮮人が日本人を襲う」、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などの流言飛語が流されたように、「朝鮮人や黒人が井戸に毒を投げ入れている、暴動を起こしている」というフェイク・ニュースがツイッターなどで流される日本。Black Lives Matterに代表される人種差別問題は決して米国だけの、「対岸の火事」のような問題ではなく、日本の問題でもあるのだ。

 

映画『キクとイサム』は昔の話か?!

  ところで、戦後の連合軍占領下の日本には多くの戦争孤児がいたが、その上に、占領軍兵士、特にアメリカ軍兵士と日本人女性の間に生まれた混血孤児が全国で4万人いたと言われている。信頼できる統計数字がないので、あくまでも推定にすぎないが、実際にはもっと多かったのではないかと私は思う。この孤児たちは、戦後の厳しい貧困社会を生きのびるために売春業に従事した女性や、兵士たちの性暴力の被害者から生まれた子ども、自由恋愛の結果生まれた子どもたちなどであった。母親が育てることができずに、それらの多くの幼児が捨て子にされたり、他人にあずけられたりして孤児となった。そんな孤児を救おうと、1948年2月、神奈川県大磯町に混血児のための孤児院「エリザベス・サンダース・ホーム」を設置したのは、三菱財閥創業者・岩崎弥太郎の孫娘である沢田美喜であった。沢田は、結局、2千人あまりの子どもを社会に送り出した。沢田美喜については、別の機会に詳しく紹介したい。

  そんな混血児の中で黒人兵士と日本人女性の間に生まれた子どもに焦点を当てた『キクとイサム』という映画が、1959年に、社会派映画監督の今井正によって作られている。ストーリーは、黒人兵士と親しくなった母親から生まれた2人の子ども(姉弟)の、差別に苦しめられながらも強く生きていこうとする話である。黒人兵士は日本を離れ、子どもを育てる経済力がない母親は、2人の子どもを祖母の住む福島県会津の山あいの田舎村のもとに送り、この村で2人は祖母に育てられ、いまはキクが12歳(小学6年生)、イサムが9歳(小学4年生)になっているという設定である。

 

  当然ながら、キクの役にもイサムの役にも本当の黒人混血児が選ばれている。主人公候補者を探すために、制作スタッフたちが2ヶ月かけて仙台から岡山まで歩き、70人ほどの混血児に会ったそうである。ところが最終選考の結果選ばれた2人を、脚本家の水木洋子が気にいらなかった。水木は次のように述べている。「混血児探しに監督とプロデューサーが歩き回って、京都あたりでカッコイイ男女の黒い子が選ばれた。顔の良い朗読もできる、いわば優良児である。私は……ノウという答えを出した。・・・・・私の描こうとする主人公は、こういうお利口さんでは全くない。」結局、プロデューサーの市川喜一が「箸にも棒にもかからない問題児」といった高橋恵美子を水木は選んだ。キク役の高橋もイサム役の藤原喜久男も、父親のいない貧困家庭の子どもで、映画すらほとんど観たことのない、学校では落ちこぼれ生徒であった。高橋の背景は、映画のストリーに似ており、東京で祖母に育てられていたし、藤原も横須賀の貧困母子家庭の子どもであった。つまり、2人は、当時の混血児の代表ともいえる存在だったのだ。社会的背景からすれば、まさに適役であった。

  映画もほとんど観たこともなく、お芝居などもちろんやったこともない2人に、お芝居の稽古をつけ台詞をおぼえさせることがどれほどたいへんなことであったかは、私の想像を超えている。しかも今井監督は、できるだけ現実感を出すために、台詞のほとんど全てを訛りの強い東北弁にした。祖母のしげ子婆さんを演じた名役者の北林谷栄も、強烈な東北弁でしゃべりまくる。3人の演技は、「見事」というより他に言葉が浮かばないが、言っていることがあまりにも強い訛りの東北弁なので、セリフの大半が聴いていても理解できず、何を言っているのか想像するよりほかはない。

  しかし、映画は、当時の黒人の混血児がどれほど「奇異」な存在として差別され、疎まれ、苦しまなければならなかったかを鋭く描いており、最終的に、米国に養子として送られていったイサムがいなくなり、弟を失った悲しみをも克服してキクがいかにたくましく生きていくかというエンディングに観客は精神的に救われる。しかし、現実には、多くの混血児たちがみなキクのようなたくましさをもって人生を歩んでいったかどうか……。そうであったことを願ってやまないが・・・・・・。

  ちなみに、高橋恵美子は映画撮影終了後も水木洋子のあたたかい励ましを受け、高校卒業後に作曲家の吉田正などの指導を受けて歌手・高橋エミとしてデヴュー。日本各地のキャバレーやバーで歌い続け、トークと歌唱力で全国に多くのファンを得たとのこと。いまも歌手として活動を続けている。藤原喜久男は、映画制作後にスタッフの一人だった角正太郎に引き取られて滋賀県草津市に移住。青年期に上京して奥の山ジョージという芸名でジャズ歌手となり、1970年代にはテレビ・ドラマ「水滸伝」の主題歌「夜明けを呼ぶもの」や、「ルパン三世」のテーマ音楽でボーカルを務めて大活躍をした。しかし、その後、極度のアルコール依存症にかかって第一線を退き、草津市に戻っている。今もご健在とのことである。

  なお、『キクとイサム』の映画全編が下記のユーチューブで観れる。英語の字幕付きなので、東北弁が理解できなかったら英語の字幕を読むとよいかもしれない。 https://www.youtube.com/watch?v=xqEIwlM4rhE

 

結論

  占領期に生まれた混血児たちが味わった極貧生活と人種差別の実態を考えると、確かに現在の混血児たちの経済生活そのものは比べようもなく良くなっていると思われる。しかし、「差別」による「精神的、身体的苦痛」については、宮本エリアナの個人的体験や、上記の集団リンチで殺されたり自死を選んだ若者の例からも分かるように、本質的には70年ほど前とほとんど変わっていないのではなかろうか。

  現実には、日本にはアイヌ、沖縄の住民はもちろん、在日コリアン、日系ブラジル人をはじめ、中国、ベトナム、フィリッピンなど様々な国からの人々が在住しており、在留外国人の総数は約300万人といわれている。したがって、日本が「単一民族」などというのは全くの幻想であって、実際には多民族社会なのである。国籍がどうであれ、民族的背景が何であれ、同じ人間として同じ社会共同体の中で働き、暮らしているのである。にもかかわらず、多くの日本人は日本があたかも、いまだに「単一民族」であるとの幻想を抱き、あくまでも「外国人=他民族」を「日本文化」の外側に置き、混血児も、在日コリアンやアイヌ同様に、「日本文化」と「他民族文化」の境界線を崩す危険な存在とみなして激しく差別する。そして、その「差別」で他者を苦しめることを「人権侵害」とは全く考えもしない。日本の政治家や官僚もまた、基本的には「日本単一民族」という虚妄の上に立って、さまざまな関連政策や法案を作って外国人を差別し、難民をあたかも犯罪人のように扱っているのが実情である。

  周知のように、憲法1条では「天皇は、日本国の象徴であり日本国民の統合の象徴」とされている。その「日本国民統合の象徴」としての天皇は「万世一系」の「純粋な日本人」の家系の人とみなされることから、意識的にであれ無意識的にであれ、外国人や他民族、とりわけ「在日」と称される韓国・朝鮮系、中国系などの市民を差別するイデオロギー上の拠り所を、一部の国民に提供している事実は否定できない。現在さかんに問題になっているヘイト・スピーチも、一見、憲法1〜2条とは関係がないように見えるが、実は、天皇としての存在が、国民の無意識的な感情レベルに深く且つ広く影響していることと密接に関連していることを忘れてはならない。実は、見えにくいかもしれないが、天皇は民族差別の象徴でもあるのだ。

  日本の人種差別をなくすためには、「世界人権宣言」の第6条「すべて人は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する」という条項を、私たち一人一人の心なかに深く強く銘記させ、人類普遍の倫理に反する非人道的な言動には、なにごとであれ徹底的に抵抗するという信念を、私たち自身のアイデンティティーの重要な要素の一つにする努力が必要である、と私は考える。

 

― 完 ―

 


 

  

2021年2月3日水曜日

「人間の生き方」が問われている日本の戦争犯罪責任問題

広島から日本政府への抗議文

 

内閣総理大臣   菅 義偉 さま

外 務 大 臣   茂木敏充 さま

 

日本政府のソウル中央地方法院判決受け入れ拒否に強く抗議します

 

 2021年1月8日、韓国ソウル中央地方法院は、元日本軍性奴隷(いわゆる「慰安婦」)被害者が日本政府に対して提起した訴訟に関して、原告に対して損害賠償の支払を日本政府に命じる判決を下しました。この判決を不服とし、日本政府は「国際法の主権免除の原則」から、日本国政府が韓国の裁判権に服する必要はないし、同時に判決は、2015年12月の日韓外相会談合意にも反しているという趣旨の外務大臣談話を発表しました。(「主権免除」とは、主権国家は他国の裁判権に従うことから、免除されるという国際慣習法)

 

人権侵害での「主権免除」は許されない

 厳密には「主権免除」は実定法としての国際法ではなく、国際慣習法です。慣習法であるということは、時代が移り変わり国際的な社会環境や人々の思考方法が変われば、その慣習法に対する考え方も変わらざるを得ないということです。したがって、「主権免除」の慣習法の解釈についても、この数十年の間にかなりの変化が見られます。その変化の一つは、国家が強制労働、拷問、奴隷化やジェノサイド(大量虐殺)など由々しい人権侵害の犯罪を犯した場合には、それらに対する免罪・免責は許されないという考えが国際的に広く共有されるようになってきたことです。なぜなら、人権侵害の犯罪行為を許すならば、国家が悪事を行うことをあからさまに許すことになってしまい、その結果、国際的平和が保てなくなってしまうからです。

 同時に、戦争犯罪や上記のような人権侵害については、それらを防止するための様々な国際条約がこれまで設置されてきましたが、これらの犯罪行為に「主権免除」を適用するならば、条約の効力も全く意味をなさなくなり、これまた国際的平和の構築と維持を甚だしく損なうことになります。日本軍性奴隷制の場合は、日本が加入した1907年ハーグ条約、1921年国際連盟「女性と児童の人身売買禁止条約」、1930年ILO「強制労働に関する条約」などに、明らかに違反する国家犯罪です。

 よって、「主権免除」の原則によって、日本政府が日本軍性奴隷制問題で責任をとる必要がないという主張は、人権侵害に対する「主権免除」の否定という、世界的に広く受け入れられつつある人道的な思想に逆行するものであると同時に、明らかに上記の諸国際条約にも違反する、いわば「犯罪を犯してなにが悪い」という居直りの態度で、国家としても国民としても、きわめて恥ずかしい言動です。

 ソウル中央地方法院判決は、主権国家免除の背後に隠れようとする被告日本国を鋭く批判し、人権とジェンダーに誠実に向き合った韓国司法が国際的にも新たな時代を切り開いた画期的な判決なのです。

 

日韓合意の虚偽性と被害者の人権無視

 日本政府の戦後これまでの長年にわたる日本軍性奴隷制や強制労働問題での責任否定は、1948年に国連で採択された「世界人権宣言」の第4条「何人も、奴隷にされ、又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する」や、第6条「すべて人は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する」という条項を無視する、人類普遍の倫理に反する非人道的な言動であると言わざるをえません。

 1月23日の茂木敏充外務大臣談話では、ソウル中央地方法院の判決文が、2015年12月の日韓外相会談における「慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決」という合意にも反するものであると述べられています。「最終的かつ不可逆的な解決」とは、具体的には「『平和の碑』を撤去し、金を出すから今後はこの問題に一切言及するな」という不遜な要求でした。その一方で、「日本政府は責任を痛感している」とか、安倍内閣総理大臣は被害者に対して「心から反省の気持ちを表明する」と述べておきながら、生存しておられる被害者には誰一人として、首相や外務大臣が直接に謝罪を述べたことはありませんでした。しかも、その後も、安倍首相は「慰安婦を強制連行した事実はない」と国会内外で公言し続け、日本政府の責任を事実上否定し続けました。つまり、「心から反省の気持ちを表明する」という言葉は、あからさまな嘘だったわけです。

 さらに、この合意では、当時の岸田文雄外務大臣が、「全ての元慰安婦の方々の心の傷を癒す措置を講ずる」と述べました。ところが、その直後から、「最終的かつ不可逆的な解決」で合意したのであるから、「平和の碑」を、ソウルの日本大使館前から撤去することを日本政府は強く要求しはじめました。この「平和の碑」が、昨年9月にベルリン市内のミッテ区に設置されたときも、再び、恥ずかしげもなく日本政府は撤去をドイツ政府に要求しました。ところがミッテ区は、市民からの撤去反対を受け入れて一年間の設置を認め、同区議会はさらに恒常設置に向けて動き出しています。「平和の碑」は、日本軍性奴隷制という被害者に対する人権侵害を永く人々の記憶にとどめ、生存しておられる被害者の「心の傷を癒す措置を講ずる」一つの有効な手段でもあり、戦時性暴力を始めあらゆる暴力を否定する平和への願いが込められています。

 こうした一連の日本軍性奴隷制問題をめぐる日本政府の対応をみてみると、日本の政治家や官僚が、日本軍性奴隷制問題を、「世界人権宣言」の第4条や6条を深く心に刻みながら、「人間の痛みの問題」、「人権侵害問題」と捉えるのではなく、もっぱら日韓の二国間の外交問題としてのみしか考えていないことが明白となります。人権を侵害され、長年ひじょうに辛い思いをされて苦悩の生涯をおくってこられた戦争被害者の「心の痛み」に、倫理的想像力を働かせ、その痛みを自分の痛みとして共有しようという気持ちが全くないことが分かります。

 

日本軍性奴隷制問題に向き合うことは人間の生き方の問題

 日本軍性奴隷制というのは、日本の国家権力が何の罪もない – 朝鮮半島、中国、台湾、フィリッピン、ビルマ、インドネシア、オランダ、南西太平洋諸島、日本など - 数多くの女性たちを強制的かつ組織的に動員して戦時の性奴隷とし、その女性たちの一度だけの生涯を徹底的に踏みにじった組織的な犯罪制度です。由々しい「人道に対する罪」を、国家が多くの女性に対して計画的に犯した組織的な戦争犯罪なのです。したがってこれは、単に日韓の外交問題ではなく、国籍に関わらずあらゆる人の人権を尊重し、この社会を人間らしく私たちが生きていくためにはどうしたらよいのかを考えるべき、私たち一人ひとりの問題だといってもよいのです。

 今、日本の政治家や官僚に根本的に求められているのは、したがって、単に政治家や役人としてこの問題にどう対処するのかということではありません。まずその前に、「人間として、あなたは被害女性にどう向き合うのか」ということが問われているのです。この「人間として」という根本的な視点に立たない限り、日本軍性奴隷制問題だけではなく、日本軍が犯したいかなる残虐行為の責任問題も解決することはできないと私たちは確信します。戦後75年を経ても、日本が韓国、中国をはじめ多くのアジア諸国から戦争責任問題で非難され続けている重大な原因の一つは、国際法がどうであれ、「被害者に人間としてどう向き合うか」という発想が為政者と官僚に完全に欠落しているからなのです。

 日本の為政者と官僚が、日本人の過去の行為を真摯に見つめ、将来より良い社会と国際関係を築いていくために、その責任をいかに果たしていくかを真剣に考えるよう私たちは要求します。


2021年2月2日

 

日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワーク

共同代表  足立修一  田中利幸  土井桂子

〒730-0036 広島市中区袋町6-36

合人社ひと・まちプラザ まちづくり市民交流プラザ気付 mb132

 

ソウル中央地方法院判決は下記アドレスからダウンロードできます:

http://justice.skr.jp/koreajudgements/30-1.pdf


2020年12月19日土曜日

2020 End of Year Message

2020年 年末メッセージ(日本語版は英語版の後をご覧ください)

 

Throughout the world this year people have experienced extraordinary difficulties associated with deep fear, millions of deaths, poverty, violence, political oppression and racism. Yet, many political leaders, particularly in the US, Japan and here in Australia too, are behaving like corrupt mafia, neglecting their duties as politicians. Most of the problems heightened by the pandemic are man-made ones – problems that the Norwegian sociologist, Johan Galtung calls “structural violence.” These problems cannot be solved without the consolidated effort of people across the world. We are also facing another kind of pandemic - global warming. Tackling this also requires our combined endeavors. 

I hope the following poem illustrated by Michael Leunig and some music I have chosen will provide you with tranquility and enable you to ponder the peaceful and environmentally sound world we should aim to create.

    This year we lost a great Italian music composer, Ennio Morricone (1928- 2020), who composed more than 500 pieces of music, mostly sound track music for feature films between the late 1950s and 2016. Among them, one of my favorite pieces is “Gabriel’s Oboe” composed for the film “Mission” produced in 1986.     

“Mission” performed by RAI National Symphony Orchestra, Italian symphony radio orchestra based in Turin, conducted by Ennio Morricone at a Christmas Concert held at the Basilica of San Francesco at Assisi, Italy in 2012.  

https://www.youtube.com/watch?v=9TN4BPZI7ek

 

In October this year, celloist Stjepan Hauser created a Youtube program entitled “HAUSER plays Morricone” as his dedication to Morricone. He plays eight pieces Morricone composed. As always his performance is superb.

https://www.youtube.com/watch?v=KYlHiACHGiU

 

It is not widely known that Morricone was politically quite progressive and a staunch supporter of the Italian Socialist Party (later Social Democratic Party). It is not surprising, therefore, that, in 1972, he composed music for the song “Here is To You” for the film “Sacco and Vanzetti” – about two Italian anarchist migrants in the US, who became the victims of a false accusation of robbery and murder, and were executed by the electric chair in 1920. The lyrics of this song were written and sung by Joan Baez. It became one of the most popular songs repeatedly sung in the human rights movement in the 1970s not only in the US but also throughout the world.

https://www.youtube.com/watch?v=gcgYwTnBIIQ

Sacco and Vanzetti (End scene of the film)

https://www.youtube.com/watch?v=Dg5c6Ehhxho

 

Another song, which became immensely popular in the 1970s, was “Bridge Over Troubled Water” by Simon & Garfunkel. The lyrics of this song of intimate friendship appealed to many students, who were involved in the anti-war and peace movements of the 1970s. I think this was because of the difficult human relationships we were facing in political movements at the time and our strong desire to establish close friendship with other students as a result. I believe this song again appeals to many people now due to the difficulties we are facing due to the pandemic.  

https://www.youtube.com/watch?v=xC5gFakHeMk

 

The last piece is for shakuhachi, entitled “Tsuki (Moon.)” It is composed and played by the Australian shakuhachi master Bronwyn Kirkpatrick. Bronwyn used to be a clarinet player, but changed her career after becoming fascinated with the sound of the shakuhachi.    

https://www.youtube.com/watch?v=GaypYhiSRBg

 

With best wishes for a Merry Christmas and a Happy & Safe New Year!

 

 

2020年 年末メッセージ

 

これまでに体験したことのない異常な生活不安と驚愕的な数の死亡者、貧困、暴力、人種差別、政治的抑圧 – パンデミックのゆえに世界中で急速に悪化したいわゆる「構造的暴力」のこの1年。その上に、私たちはもう一つ別のパンデミック – 地球温暖化 -という、これまた困難な問題と直面しています。そんな絶望的な状況を前にしながらも、権力・権益の私物化だけに頭をめぐらせているヤクザ政治屋たち。こんな酷い人災の「パンデミック危機」を悪化させている政治マフィヤたちとは、闘うより他に救いの道はありませんが、ひとときでも心に安らかさを取り戻せるよう、マイケル・ルーニッグの絵と詩、数曲の音楽を今年も送ります。


「空中泳ぎは心の安らぎ」

どんな暗闇の中にも、癒しの喜びを見つけることはでき

どんなに幸せなときでも、失望させられることはあります

男の子、女の子にかかわらず、一人ひとりの希望にも

癒しと失望はつきもの

心を空中に泳がせることは、痛みをやわらげる芳香の薬

小さな飛ぶ生き物、それはみな、つつましやかなちっぽけな命

翼のある生き物の、気まぐれで、自由奔放な動きは

傷んだ心に清らかさを運んできて

天使を涙させたり、微笑えませたり、歌わせたりするのです

 

マイケル・ルーニッグ

 

映画音楽の巨匠、イタリア人のエンニオ・モリコーネ(1928〜2020年)が、今年7月に91歳で亡くなりました。彼は1950年代末から映画音楽の作曲を始め、2016年までに500本以上の音楽を作曲しました。1960年代に主としてクリント・イーストウッド主演の「荒野の用心棒」や「夕陽のガンマン」などのマカロニ・ウエスタンのための主題曲を作曲して有名になりました。私自身は彼のマカロニ・ウエスタンの主題曲は好みではありませんが、70年代に入ってから彼の作曲する音楽の中に魅力を感じるものが増え出し、80年代になってからはすっかりファンになりました。とりわけ好きな曲は、1984年の「Once Upon a Time in America」、1988年の「Nuovo Cinema Paradiso」ですが、しかし最も好きな曲は1986年の映画「ミッション」の主題曲「ガブリエルのオーボエ」です。

 

  最初に紹介するのは、その「ミッション」の主題曲を、モリコーネ自身が指揮する、イタリアのトリノに本拠地をおくRAI国立交響楽団が、アッシジのフランチェスコ大聖堂で2012年のクリスマスに演奏したものです。この映画自体が、なかなかの名作だと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=9TN4BPZI7ek

 

私の好きなチェロ奏者ハウザーも、モリコーネの霊に捧げるユーチュウーブを10月に立ち上げ、モリコーネ作曲の8曲を演奏しています。相変わらず、とてもしなやかで美しい演奏です。

https://www.youtube.com/watch?v=KYlHiACHGiU

 

あまりよく知られていないようですが、モリコーネは一貫してイタリア社会党(のちに社会民主党)支持者で、政治的にはかなり進歩的な人物だったようです。したがって、1920年にアメリカ、マサチューセッツで起きた2人のアナーキストの冤罪事件、「サッコ・バンゼッティ事件」をテーマにした1971年の映画、「死刑台のメロディ」、のための主題歌「Here is To You (二人の受難者に捧げる哀歌)」を作曲しているのも不思議ではありません。作詞と歌手は、反戦歌手として有名なジョーン・バエズです。この歌は70年代に欧米の人権運動集会で盛んに歌われましたが、日本では事件の背景がよく知られていなかったせいか、ほとんど歌われていなかったと思います。

私は学生時代にこの映画を観て、証拠もなく証言もいいかげんなものであるにもかかわらず、アナーキストというだけの理由でイタリア人移民の2人を強盗殺人事件の犯人にでっちあげて死刑にしてしまった実際にあった事件を初めて知って、深い怒りを感じると同時に、哀しいメロディに感動したことを今も思い出します。しかし、私が不満に思ったのは、そのとき誰がこの歌詞を日本語に訳したのか知りませんが、題名を「勝利の賛歌」としたこと、また歌詞そのものの翻訳にも感心しなかったことです。「勝利の讃歌」よりは「二人の受難者に捧げる哀歌」のほうが良いと私は思いますし、歌詞も私なりに下のように訳しておきます。

 

Here’s to you, Nicola and Bart    ニコラとバートの二人にこの哀歌を捧げます

Rest forever here in our hearts    私たちの心に永遠の安らぎがありますように

The last and final moment is yours 最後の、最後の瞬間はあなたたちのものです

That agony is your triumph    あなたたちの受難が勝利となるべきときだから

 

https://www.youtube.com/watch?v=gcgYwTnBIIQ

この映画の最終シーンが下記のユーチューブで観れます。

https://www.youtube.com/watch?v=Dg5c6Ehhxho

 

同じ1970年代に、学生運動ではあまり歌われなかったものの、若者を多いに魅力した歌の一つに、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」がありました。学生運動で人間関係が荒んでいたこの時期、強い友情を約束するこの歌は、心を洗ってくれるような感動を与えてくれました。最初の二節だけを紹介しておきます。

 

When you're weary             もし君が疲れ果てて

Feeling small                 ちっぽけに感じたり

When tears are in your eyes       涙が溢れてくるときは

I will dry them all               僕が拭い去ってあげよう

 

I'm on your side               僕は君の味方さ

When times get rough           つらいときが来て

And friends just can't be found     友だちがいなくなってしまった時も

Like a bridge over troubled water    困難の上に架ける橋のように

I will lay me down              僕がこの身を捧げよう

Like a bridge over troubled water    困難の上に架ける橋のように

I will lay me down              僕がこの身を捧げよう

 

パンデミックが私たちを襲っている今、この歌を聴くと、信頼できて支え合うことができる人がいることが、どれほど大切なことかを痛感させられます。

https://www.youtube.com/watch?v=xC5gFakHeMk

 

最後に、オーストラリアの尺八奏者(師範)、ブロムイン・カークパトリックが作曲し演奏している「月」という曲です。ブロムインは、元々はクラリネット奏者でしたが、尺八の音色に魅惑させられ、尺八の古典本曲を勉強。古典本曲の知識を基にとても綺麗な曲を自分で作曲しています。これはそんな自作の曲の一つです。私も、彼女の曲を時々練習して楽しませてもらっています。

https://www.youtube.com/watch?v=GaypYhiSRBg

 

全く余談ですが、最近、米原万里の『愛の法則』を読みました。その第1章で彼女は、ヒトの男が女と比較していかに劣っている生物であるかを、ひじょうに面白く、しかも機知に富んだ表現で喝破しています。大いに笑えます、一読の価値ありです。こんな楽しい、しかし考えさせることのできるエッセーをたくさん書いていた女性にこそ、もっと長生きしてもらいたかったですね。この本を読みながら、全く違ったタイプの作家・詩人ですが、米国の黒人女性マヤ・アンジェロウのことを、なぜか思い出しました。きっと、元気いっぱいで機知に溢れているという点で、二人には共通点があったからでしょうね。

 

では、くれぐれも健康に気をつけられ、安全に良い年末と新年を迎えられますよう。

 

2020年12月6日日曜日

日本人の「責任感」の特徴と「抵抗権観念」欠如の問題

-      「桜を観る会」、「森友学園問題」から考える –

 

日本人の「責任感」は「正義感」ではなく「服従意識」と絡み合っている

 

映画監督、脚本家、俳優、エッセイスト、挿絵画家と才能豊かな人物であった伊丹万作(1900〜1946年)が、亡くなる5ヶ月ほど前の1946年4月に執筆し、同年8月の雑誌『映画春秋』創刊号に掲載された論考「戦争責任者の問題」は、今も頻繁にあちこちで引用されている秀作であるので、ご存知の方たちも多いはず。とくに下記の部分は、何度読んでも考えさせられる文章である。少し長くなるが、引用しておきたい。

 

さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知っている範囲ではおれがだましたのだといった人間はまだ一人もいない。…… たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思っているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもっと上のほうからだまされたというにきまつている。……

  そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。

  そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。それは少なくとも個人の尊厳の冒瀆、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。

(強調:引用者)


 

敗戦後8ヶ月しか経っていないときの執筆なので、戦争責任に対する深い思いが込められた文章となっている。これと実に対照的な興味深い声明文を、占領軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥が、同じ年の9月2日に出しているが、それは、戦艦ミズーリー号艦上での日本降伏調印式1周年を記念するものであった。この声明文の中でマッカーサーは「(敗戦が日本人にもたらした)精神革命が、2千年間という長い歴史、伝統、伝説の上に築かれていた(日本人の)生活の論理と実践を、ほとんど一夜のうちに粉々に打ち砕いてしまった」と述べ、占領軍が行った「日本民主化」政策が日本人を決定的に変えてしまったのだと主張し、占領政策を自賛した。

伊丹とマッカーサーのどちらが日本人を正しく理解していたかは、日本の我々をとりまくその後の様々な出来事を一瞥して見るだけで明らかであろう。「だまされていた」といって平気でいられるままの国民であったため、この75年の間、日本国民は次々と政治家の言うことにだまされてきたことは、「非核三原則」や「原子力安全神話」という言葉を思い浮かべるだけで十分で、詳しく説明するまでもない。敗戦と占領軍による「民主化政策」で「精神革命」が起きたなどとは、我々には夢にすら思えない。それとも、マッカーサーだけが見た夢だったのか(苦笑)。

  伊丹は、「だまされていた」と平気で言えることは、自己の「責任」を放棄しているのだと主張し、「責任を追求しない」ことは「支配者に対する奴隷根性」の結果であり、「悪を憤かる精神の欠如」にもよるものであると述べているわけである。「支配者に対する奴隷根性」とは「権力者に対する服従意識」、「悪を憤かる精神の欠如」とは「正義感の欠如」とも言える。つまり、「責任」とは、結局のところ、自分の身の廻りで起きていることで「正義が行なわれること」を確実にする義務が人間にはあり、その正義の遂行義務を果たすことが「責任」であると言える。したがって、「反正義的な行為」に対して憤かりを感ぜず、「反正義的行為を平気で自分でも行い、他者にも強要する」人間に自分が服従することは、実は「責任を放棄」していることなのである。この「責任」と「正義遂行」の密接な相互関連性が、どうも日本人一般には明確に理解されていないように私には思えるのである。「責任」と「正義」は表裏一体になっていることが、理解できていないようである。

  例えば、安倍晋三の「桜を観る会」で、会費で賄えなかった多額の費用を不法に安倍個人が補填していたことがようやく判明し、政治資金規正法違反の疑いで秘書を立件することを東京地検特捜部が決めたとのニュースが流れた。不記載額が4千万円を上回るという。親分が不正をやっていることに盲従すること、あるいは親分に不正行為を強要されて服従する奴隷根性的行為は、従って、実は「責任放棄」なのだが、それが秘書には「責任放棄」であるとは全く考えられていないようである。むしろ親分に奴隷根性的に忠誠を尽くすことが、子分の「責任」であると考えられている。同時に、子分に不正行為を強要することが「責任放棄」であり、子分に対する「人権侵害」でもあるということが、親分にも全く理解されていない。

  森友問題では、そのことがもっとはっきり言える。森友学園への国有地売却に関する資料改竄を、財務省の理財局長であった佐川宣寿が近畿財務局に命じ、その仕事を自分がさせられたという内容の手記や遺書を近畿財務局職員であった赤木俊夫が残して自殺。この事件に安倍自身あるいは妻の昭恵が直接関与していたかどうかは、今のところ明らかではない。しかし、もしこの改竄行為を佐川が安倍への「忖度」として部下に強要したのであれば、これは伊丹の言う「支配者に対する奴隷根性」そのものである。この「忖度行為」が言うまでもなく「反正義的行為」であり、すなわち正義に対する「責任放棄」なのである。

部下に不正を強要し、精神的に非常な苦痛を与え、最終的に死にまで追いやった残酷極まりない不正行為は、もちろん「責任放棄」であり、明白な「人権侵害」である。財務局のこの不正行為に対して徹底的調査を行おうとしない財務大臣、麻生太郎もまた、最初から「責任を放棄」している。結局、誰も責任をとらず、責任を放棄した本人である佐川は、「忖度」に対する見返りなのか、国税庁長官に昇進させられた。伊丹のいう「無自覚、無反省、無責任」という「悪の本体」が財務省そのものを侵食しているのである。おそらく、状況は他の省庁内でも似たようなものであろう。

  亡くなった人には厳しい言葉かもしれないが、しかしながら、改竄行為を強要されても、その不正行為強要に対してあくまでも抵抗せず、結局は服従してしまった赤木も「責任放棄」したことは明らかである。彼もまた、不正行為の強要であることをはっきり自覚しながらも、上から命じられたことには苦しんでも服従するのが自分の「責任」であると生真面目に考えていたものと推測される。

この「上司に対する服従」は、戦前戦中から、天皇制イデオロギーの重要な要素として長く日本人の精神に叩き込まれてきたものであるが、敗戦後の「民主化」でもそのまま継承され続け、今も極めて日本的価値意識体系の要素を成しているように私には思えてならない。自殺に追い込まれるまで苦しんでも上司の命令に服従するなどというのは、他の国では極めて稀なのではなかろうか。日本では、なぜ抵抗しないで服従してしまうのだろうか。

 

憲法12条は抵抗権を保障している

 

戦後改正されたいわゆる「民主憲法」である現行憲法の12条には次のように書かれている。

 

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。 又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。(強調:引用者)

 

権利、とりわけ基本的人権の尊重は、これまたあらゆる人間にとって「責任」である。なぜなら、それは根本的には「正義」の遂行であり、基本的人権の侵害は正義に反する「不正行為」であるから。憲法12条は、その基本的人権を含む権利を侵すような不正行為を、常日頃から努力して防ぎ、人権を守る義務が我々にはある、と主張しているのである。12条が憲法第3章「国民の権利及び義務」に入れられているのは、そういう理由からである。

  ではどうしたらその義務を我々は果たせるのであろうか。答えは簡単である(実践は難しいが)。それは、権利侵害の不正行為に抵抗すること、これしかない。したがって、この12条には、「抵抗」という言葉が使われてはいないが、文意からすれば、「抵抗する権利」が我々には保障されており、「抵抗権を使って権利・人権を守る義務が我々にはある」と解釈すべきだと私は思っている。つまり、この12条には、「抵抗」は権利であると同時に義務であるという意味が含まれていると考えるのが当然なのである。抵抗の権利と義務は、したがって正義遂行のためには必要不可欠のものなのである。したがって、権利侵害に抵抗することは人間としての「責任」なのである。

私は憲法学者ではないが、12条をそのように解釈すべきだと信じている。このような解釈を法的にもっと精緻に展開していた憲法学者は、同志社大学教授であった田畑忍(1902〜94年)であったと思われる。田畑の解釈が憲法学者たちの間で多数派意見を代表するものなのかどうか、私は知らない。しかし多数派であれ少数派であれ、この解釈は正しいと私は思っている。ただし、「抵抗」はあくまでも平和的手段で行うべきであり、暴力的抵抗は相手の人権を侵害する不正行為となってしまうため、絶対に許せない。

上に述べた安倍晋三の秘書や近畿財務局の赤木俊夫は、自分たちの人権を侵害する上司の不正行為強要に対しては、あくまでも憲法12条の「抵抗権使用の権利と義務」を全面的に打ち出す形で抵抗すべきだったのである。それが本当の「責任」のとり方である。

ドイツ憲法には、国民が抵抗権を保有していることが明記されている。憲法第20条「国家秩序の基礎、抵抗権」の第3、4項は以下のようになっている。

 

3)立法は、憲法的秩序に拘束され、執行権および司法は、 法律および法に拘束される。

4)すべてのドイツ人は、この秩序を除去しようと企てる何人に対しても、他の救済手段が存在しないときは、抵抗権を有する。 (強調:引用者)

 

ドイツ国民は、この抵抗権の保障をしっかり知識として共有しているのではないかと私は推測する。そのことは、例えば、福島原発事故が起きた翌日に、ドイツ全国各地で原発即時停止を求める大規模デモが続き、一挙に政府方針を変えさせてしまった事実にも表れていると思われる。それは、ドイツ独自の歴史教育に根ざす、政治体制への市民の基本的な立ち向かい方の具体的な表れのように思える。政府が根本的な誤りを犯す危険性が出てきたときには、国民は「抵抗権」を使って厳然として立ち向かうという態度、それは歴史教育から無意識のうちに培われたものではないか、というのが私の推測である。

しかし、こうしたドイツの国民性は戦後の長年の持続的な教育の中で培われたものであり、もともとあったものではない。そのことは、例えば、アメリカの著名な小説家・劇作家、カート・ヴォネガットが友人のドイツのノーベル文学賞受賞者であるハインリッヒ・ベルに「ドイツ人の国民性のいちばん危険な弱点はなにかね」と尋ねたとき、ベルが「服従性だね」と応えたとのこと。これは1983年のことであるが、戦後38年経ったそのときですら、ナチ政権下でドイツ国民のナチスへの全面的な服従行動をイヤというほど見せつけられたベルには、まだまだその弱点がひじょうに気になっていたようである。

 

ハインリッヒ・ベル

反正義に対する抵抗権は、憲法に書かれているから良いというものではない。その明文化されている憲法条項を、いかにしたら自分たちの血肉として身につけることができるか、それが重要である。

 

天皇制イデオロギーを引きずっている日本の「人権、平等」観念

 

ところが、日本での問題は、この「抵抗の権利と義務」ということについて誰も我々に教えてはくれない。学校の授業でも、憲法については「基本的人権」とか「自由と平等」については習うが、子どもたちに「抵抗する権利」があるなどと教えるのはけしからん、と政治家も文部科学省の官僚たちも考えているようである。とりわけ自民党議員たちは、自民党の時代錯誤的な憲法改悪案、とりわけ憲法97条「基本的人権の保障」をスッポリ削除し、代わりに「国民の義務」を強調していることからもはっきり分かるように、近代国家の憲法では必然的な「基本的人権の尊重」が頭の中にはない。ましてや、「抵抗権」を使って国家に逆らうなどという人間は非国民だと考えているのは間違いなかろう。自民党憲法改悪案は、まさに明治憲法への逆戻りであり、天皇制イデオロギーを強く引きずっていることは一目瞭然。こんな憲法を採用したら世界中の笑いものになる、という意識すら自民党員にはないのである。恥を知らないということは、恐ろしい。

しかも、学校の授業で教えている「基本的人権」と「平等」の教え方そのものが、すでに上に述べた自民党の考え方に沿った形となっている。基本的人権を含む権利の主張を堂々と行うようなケースは、「わがまま」であると捉えられているのであろうか、教えの中では出てこない。また、基本的人権を教える場合には、当然、その侵害がいかに由々しい問題であるかを教えなくてはならないが、実際に人権侵害を受けている在日韓国・朝鮮人や難民家族などについては全く触れることなく、人権という概念が極めて抽象的なものとしてしか授業の中ではとりあげられていないようである。障害者のような社会的弱者の権利についても、本来ならば、どのようにその人たちの権利が守られなければならないかを議論しなければならないのに、「障害者には親切に、思いやりを持って接触しよう」という道徳問題としてのアプローチに終わっている。

「思いやり」で「差別」や「人権侵害」が克服されることはない。なぜなら「思いやり」と「差別」、「人権侵害」は常に同居しているからである。民族差別、性差別、障害者差別、貧困者差別など様々な差別は、社会構造とイデオロギーに由来する人権問題であって、本来は「思いやり」といった「心の問題」ではない。差別をそのままにしておいて、人権意識を強化する教育ができるはずがない。

「平等」すなわち「人間みな平等」という考えは、もちろん憲法14条の「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」という規定に基づいて教えられなければならない。しかし、実際に学校で、先に述べた在日韓国・朝鮮人、難民や外国人労働者とその家族、被差別部落民に対する差別などを具体的な例にしながら、いかにこの「法の下の平等」が重要であるかというような教え方は、果たしてされているのであろうか。政府、とりわけ文部科学省が朝鮮人学校に対して激しい差別政策をとり、難民家族の子どもの権利も守ろうとはせず、女性に対する差別の解消にはいつも口先だけで極めて消極的。政治家や官僚はセクハラのし放題。そんな状態であるから、ヘイト・スピーチが全国各地で頻繁に起きるのも全く不思議ではない。よって、学校での「法の下の平等」の教え方が形式的、形骸的なものにしかならないのも当然なのである。

しかも、現実には、「人間みな平等」という考えが「基本的人権の尊重」を土台にしたものとして捉えられていないことも問題なのである。「人間みな平等」とは、個人の人種、社会、家族的背景の違いだけではなく、考え方の違いや個人的嗜好の違いにもかかわらず、その人の基本的人権はあくまでも尊重されなければならないことを意味している。ところが、日本の学校では、クラスの中の多数派の意見や考え方とは違った意見を強く主張すると、これまた「わがまま」、「協調性」がないと嫌われ、そうした態度を取り続ける子どもは「いじめ」の対象とされ、排除される。

日本では、「平等」が「平均」と同義語として捉えられる傾向が非常に強く、クラスであろうと会社や組織、あるいは社会などの「大勢」には従順的、服従的でない人間は排除される傾向が極めて強い。「平均的人間」にならないと、日本ではひじょうに生活しにくい(とりわけ私のような「変人」には<笑>)。社会が個人化する傾向がひじょうに強まっていると言われているが、実は、その傾向は「個人化」ではなく「孤立化」である。「個人化」の場合は、人権を尊重しあいながら、精神的には互いに独立した諸個人の人間同士の横の繋がりは切れないままなので、諸個人間の社会化、連帯化は少しも弱まらない。社会から排除され、人間関係を失った人間は人権を無視されて「孤立化」するが、日本の場合は、この「孤立化」傾向が猛烈な勢いで強まっている。

日本社会での深刻な問題の一つである「学校でのいじめ」は、まさにこの「平均尊重」から起きる「孤立化」と言えるのではないか。2018年の統計数字によると、報告された日本全国の学校での「いじめ」の件数は全国でほぼ54万4千ケース、22万人近くの子どもたちが登校拒否、自殺者は332人。「いじめ」られるのは、子どもたちだけではない。文部科学省の学校教育政策に反抗する教師もまた、同僚や校長による「いじめ」の対象とされる。学校での「いじめ」は海外諸国でも見られるが、これほどまで深刻な社会問題にまでなっている国はないと思われる。

「平等化」実は「平均化」という大勢(=体制)服従強要傾向も、よく考えてみれば、これまた戦前戦中の天皇制イデオロギー、とくに「一君万民(=天皇の下に国民は全て平等)」の服従思想を引きずっている「天皇制イデオロギーの遺制的要素」と言える。

現行憲法の三大原理は、憲法前文でも謳われているように、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重である。ところが憲法が発布された直後の政府の公式発表による憲法の三大原理は、国民主権、平和主義、文化国家建設であった。憲法公布日が「文化の日」とされたのも、これが理由である。つまり、日本政府は、 憲法発布当初から「基本的人権」を認知することに後ろ向きであったことがこのことから分かる。しかも、いまだに「文化国家」と呼べるにはほど遠い、恥ずかしい反文化的な政府の国である。最近の日本学術会議会員任命拒否問題は、政府の破廉恥な反文化的行為の典型的な例である。

 

結論:日本の歴史教育と責任感・正義感の問題

 

日本の歴史教育では、ほとんど古代から現代までの単に歴史的事実だけを年代別に羅列し、それを暗記するという通史という教え方が、戦後これまで一貫して行われてきた。しかも、その歴史的「事実」すら、教科書検定制度という国家介入、畢竟、政府と保守政党のイデオロギーに基づく恣意的な判断で、教科書から削除されるということが頻繁に行われてきた。とりわけ、安倍政権下でのこの点での学校教育への国家介入は、凄まじいものであった。安倍が「慰安婦」や「徴用工」の歴史事実を否定し、日本の戦争責任をうやむやにしようと様々な画策を行ったこと。「私の責任」と言いながら、森友、加計、「桜を見る会」など自分が直接関与している一連の政治汚職問題について、一切責任はとらなかったこと。つまり、これらの問題に対する虚妄まみれの安倍の対応には、社会的、政治的な正義感や責任感のカケラすら感じられなかった。安倍親分から政治屋ヤクザ集団を受け継いだ菅政権は、親分がやったことをそのまま繰り返していることはすでに明らか。この事実は、単なる前政権と現政権の正義感と責任感の堕落という政治問題ではない。それは、日本の子どもたちに、人類普遍的な意味での、強い正義感と責任感を育むような教育が戦後これまで行われてこなかったこと、その日本の教育問題と深く絡んでいることを私たちは、はっきり認識する必要がある。

  

  正義感を養うためには、不正=罪に対する深い認識が必要であるが、日本の場合、侵略戦争で犯したさまざまな残虐な戦争犯罪という罪に対する責任認識を国民的規模で深めること、とりわけ教育で深めることを、戦争直後から怠ってしまい、その後ずっと怠ってきた。「民主主義教育」と言いながら、上に見たように「自由と平等」については形式的には教えても、その根本的な精神要素である正義感と責任感の問題には、教室ではほとんどタッチしてこなかった。不正=罪に対する深い認識の上に立った正義感、責任感、さらにその責任を果たすための抵抗権は、現在の政治社会状況に立ち向かうために必要なだけではなく、どのような未来を作るのか、その未来に向けての私たちの「倫理的想像力」を養うためにも不可欠である。自分たちの両親、祖父母、それ以前の世代が犯した「国家的不正=罪」の被害者の痛みに想像力を働かせ、その痛みを自分たちのものとして共有し、内面化することで、将来、同じような不正を自分たちも犯さないし、また誰にも犯させない、という「倫理的想像力」を身につけるためには、正義感と責任感、それを担保し実現するための抵抗権は不可欠なのである。