7月23日に東京オリンピックが開幕した。コロナ感染ウイルスのいわゆる「デルタ型」と呼ばれる、感染力が強く重症化リスクの高い変異ウイルスが急速に拡大している上に、開幕直前までさまざまな「スキャンダル」が続く異常な状況の中での開幕であった。しかし、メディアが盛んに「スキャンダル」と報じた一連の事態は全て、その根本は由々しい「人権侵害」問題であるにもかかわらず、そのことを指摘するメディアや評者がほとんどいなかったことも極めて「日本的現象」と言ってよいのではないかと私は考えている。
その「日本的現象」について議論する前に、まずは、一連の「スキャンダル」をリストアップしてみよう。
(1)2月3日、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(83歳)が、日本オリンピック委員会(JOC)臨時評議員会で「女性がたくさんいる会議は長引く」という内容の性差別発言を行なった。これに対する批判のネット署名活動がSNSで急速に広まり、2月11日に森は会長を辞任する意向の表明にまで追い込まれた。その森が、日本サッカー協会相談役(元会長)の川淵三郎に後任就任要請を要請し、川淵が受諾の意向示した。ところが、「またしても80歳代の男がなぜ会長なのか」という多くの女性たちからの批判を受けた。結局、元オリンピック選手で現役参議院議員、オリンピック・パラリンピック担当大臣の橋本聖子(56歳)に会長就任の要請があり、彼女が受諾。就任前後には週刊誌が、橋本が日本スケート連盟の会長だった時、男子フィギュアスケート高橋大輔選手にキスを強制したというセクハラ疑惑を報道。就任要請は、会長としての能力があるか否かにかかわらず、ただおざなりに女性を会長職につけて世間の批判をなんとか躱そうという自民党と政府の政治的決断であったことは明らかであった。ちなみに、森への批判のほとぼりが冷めた7月23日には、JOCは森を名誉最高顧問にしたという報道が流された。このことは、JOCの委員たちが性差別に関していかに鈍感であるかを如実に示している。
(2)3月17日、東京五輪・パラリンピックの開会・閉会式の企画・演出で総合統括役だったクリエーティブディレクターの佐々木宏が、タレントの渡辺直美の容姿を侮辱するような演出を提案していたことを、週刊誌が報道。「豚の格好をした渡辺を『オリンピッグ』として登場させる」という案であったとのこと。この報道を受けて、翌18日、本人の渡辺は「今まで通り、太っている事だけにこだわらず『渡辺直美』として表現していきたい所存でございます。しかし、ひとりの人間として思うのは、それぞれの個性や考え方を尊重し、認め合える、楽しく豊かな世界になれる事を心より願っております」という、極めて真っ当な見解を発表している。佐々木はJOCを通して謝罪文を公表し、橋本会長が佐々木の辞任を発表した。週刊誌が報道していなければ、この女性の容姿侮辱の事実が問題視されることはなかった可能性が極めて高い。男が、同性の容姿を侮辱することはあまりないが、女性の容姿を侮辱することには無頓着であるということ自体が性差別であるという感覚が、多くの日本の男たちに完全に欠落しているのである。
(3)6月7日、JOC の経理部長森谷靖が電車に飛び込んで自殺するという事件が起きた。2019年1月に仏検察当局は、2020年の東京五輪・パラリンピック招致を巡りJOCの竹田恒和会長について贈賄容疑の捜査を正式に開始したことを公表したが、経理部長の自殺はこの贈賄容疑と関連しているのではないかという疑いが、当然のごとくメディア報道でも言及された。この贈賄容疑とは、2016年5月、2013年7月と10月の2度にわたり「東京2020年五輪招致」という名目で約2億2千万円が日本の銀行から、シンガポールにあるコンサルタント会社「ブラック・タイディングス」社に振り込まれたことに関する問題である。このお金がブラック・タイディングス社を介して、IOC元委員で国際陸連(IAAF)会長でもあったセネガルのラミン・ディアクと、その息子でIAAFの運営に関与していたパパマッサタ・ディアクに渡り、最終的に、開催都市決定の投票権を持つ国際オリンピック委員会(IOC)委員の買収工作に使われたのではないかという嫌疑がもたれている。JOCはブラック・タイディングス社を含め、海外に総額11億円を超える額を送金していることがその後明らかとなったが、J O Cは「守秘義務もあり個別の案件は非公表」としているので、送金先や内訳はいまも不明のままである。
JOCは、経理部長は自殺ではなく事故死であり、贈賄容疑とは全く無関係だと主張しているが、警察は自殺であることは現場のセキュリティー・カメラの記録から確実であるとしている。
(4)7月14日、JOCは開会・閉会式の「式典コンセプト」なるものを発表し、開会式のための作曲者4名の名前も明らかにした。この4名の中に小山田圭吾が入っており、翌日にそのことが報道されるや、小山田が小中学校時代に同級生や障害者に対して残忍ないじめを繰り返していたことを1990年代になって複数の雑誌のインタヴューで笑い話の如く話していたことが問題視された。同級生に「排泄物を食べさせ」たり「自慰行為を強要」したこと、同級生の障害者生徒を「段ボール箱や跳び箱などに閉じ込める」、「マットレスでぐるぐる巻にする」などのいじめや暴行に関与していたことを、半ば自慢げに笑いながら「けっこう今考えるとほんとすっごいヒドイことしてたわ。この場を借りてお詫びします(笑)」と述べているのである。以前にも、小山田のこれらのインタヴュー記事に対して繰り返しネット上で批判の声が上がっていたのであるが、小山田自身が公的な場で謝罪したことはなかったとのこと。
2日後の7月16日、小山田は Twitter で謝罪文を発表したため、JCOは翌17日にこの謝罪を受け入れて「現在は高い倫理観を持っている」として、続投させると表明。ところが、障害者団体から声明が発表されるなど批判の声はその後も止まなかった。にもかかわらず、19日の午前中の段階でもまだJCOは小山田の「高い倫理観」を理由に続投させるという方針を変えなかった。しかし午後になって小山田が辞任を表明したので、その夜にJCOが辞任を受け入れたという形で決着がつけられた。
この「スキャンダル」で明瞭になるのは、障害者はもちろん、他者に対する上記のような陰惨ないじめが由々しい人権侵害問題であるという認識が、小山田本人のみならず、JCOの委員たちにも全く欠落しているという事実である。小山田の倫理観を「高い」とみなすなら、JOC委員たちの倫理観はよほど低劣なのであろう。
(5)7月20日、障害者いじめの小山田圭吾批判が飛び火する形で、東京オリンピックパラリンピック文化プロジェクトのメンバーとなっていた絵本作家「のぶみ」が自伝で、これまた誇らしげに書いていた「教師いじめ」に対する批判がSNSやネットで拡散された。その自伝よると、中学生の時に黒板消しのクリーナーの後ろに3か月間隠して腐った牛乳を教師に飲ませたことや、専門学校時代に授業の進め方が気に入らないと女性教員を恫喝したことが、堂々と書かれているとのこと。さらには、かつて自分が「池袋連合」という名前の暴走族軍団の総長を務め、複数回警察に逮捕された経歴があることも自慢げに書いているらしい。この批判に煽られる形で、のぶみの不倫の対象となり性的搾取を受けたという複数の女性たちの批判もネット上で拡散。こうした状況に直面して21日には、のぶみは辞退を表明せざるをえなくなったが、実際には官邸からJOCに“のぶみ処分”の指示が発せられたというのが実情らしい。
(6)7月21日、ホロコースト関連の資料記録保存や反ユダヤ主義的活動の監視を行う米国のNGOであるサイモン・ウィーゼンタール・センターが、東京オリンピック・パラリンピック開会・閉会式のショー・ディレクターである元お笑い芸人の小林賢太郎が、ユダヤ人大量虐殺をネタにしたコントを1998年に発表し、「悪意に満ちた反ユダヤ的なジョークを飛ばした」ことに対して抗議を表明した。このコントとは、NHKの教育番組『できるかな』をパロディ化したもので、1998年5月発売のVHS『ネタde笑辞典ライブ Vol.4』に収録されたコントであるとのこと。この中には、「あ〜、あの『ユダヤ人大量惨殺ごっこ』やろうって言った時のな」という小林の発言が含まれているとのこと。サイモン・ウィーゼンタール・センターは「どんな人間にも、どれだけ創造的な人にも、ナチスのジェノサイド(民族大量虐殺)の犠牲者をあざ笑う権利はなく」、「この人物が東京オリンピックに関わることは、6百万人のユダヤ人の記憶を侮辱し、パラリンピックを残酷に嘲笑することになる」と強く抗議し、差別反対を掲げるオリンピック憲章に抵触する可能性があると指摘している。この件に関する元々の情報源は、コントの存在についての情報を7月21日の夜に流した、日本のある芸能情報サイトであったとのこと。
当然な抗議声明である。NHKの教育番組をパロディ化したものの中でこれほど無神経な発言をしていたのであれば、本来ならば、NHKが98年8月の段階ですぐさま厳しい批判と抗議文を出しておくのが当然なのである。しかし、NHKがそうした対応を取ったという話は聞かない。もしも同じように「南京虐殺ごっこ」や「広島・長崎原爆無差別殺戮ごっこ」をコント扱いするならば、中国や日本国内からは猛烈な反発が即座に出てくるであろうことは間違いない。日本の歴史教育のみならず、人間教育、とりわけ人権教育の貧困性がモロに露呈された「スキャンダル」であった。
JOC は急遽21日深夜から22日朝にかけて対応を協議し、開会式前日の22日午前という直前になって、小林を解任し同時に謝罪のコメントを出した。
(7)日時は前後するが、7月15日、韓国のテレビ放送局JTBCとの非公開の昼食懇談会の席で、在韓日本大使館の相馬弘尚総括公使が韓国政府の対日外交政策を評して、「文在寅大統領はマスターベーション(自慰行為)をしている」と発言。おそらく、文大統領の「慰安婦問題」や「徴用工」問題での日本政府に対する厳しい批判的対応を「一方的で勝手な要求である」と非難する意味で、このような下品極まりない表現をしたのであろう。いつまでたっても日本が犯した由々しい「人道に対する罪」のその重要性を深く認識することはせず、加害国である自国政府の責任を棚上げにしておきながら、こともあろうに、被害国政府の大統領を卑劣な表現で罵倒したのである。外交官としてのみならず、人間として恥ずべき、あまりにも野卑で低劣な言動である。JTBSはこのことを翌日に報道。これを受けて17日に、相星孝一大使は、書面で「対話の途中で報道のような表現を使ったのは事実だが、これは決して文在寅大統領に対する発言ではなく、相馬公使が懇談会の相手である記者にその場で不適切な発言だったと撤回したという説明を聞いた」、「外交官として極めて不適切であり遺憾だ。報告を受けて厳重注意した」と釈明した。
しかし、この下品な発言は、韓国の政界のみならず市民をも憤慨させ、19日には市民団体「積弊清算連帯」が、相馬総括公使を侮辱罪および名誉毀損罪の疑いで国家捜査本部に告発した。外交官には免責特権があるため、果たしてどこまで相馬を追求できるかは疑問であるが、韓国側の怒りを明確に海外諸国に示す行為となっていることは間違いない。
文大統領は早い時期から東京オリンピック開幕式に出席する意向を示していたが、19日になって「訪日見送り」を決定。その理由の一つについて韓国政府は、以下のような説明を行なった。「国民がとても受け入れられないような状況が起きた。決定的な契機とは言えないまでも、国民の情緒を無視できないという部分が作用した」と。
(8)オリンピック開会式が終わった後でも、まだ「スキャンダル」報道は続く。それは開会式で使われた楽曲の一つが、作曲家「すぎやまこういち」によるものであったからだという。7月26日のYahoo Japan ニュースは、週刊誌『女性自身』掲載の記事を紹介しているが、その記事には次のように述べられている。
すぎやま氏は15年6月に公開されたYouTubeの番組『日いづる国より』で、自民党・杉田水脈議員(54)と共演。彼女が「生産性がない同性愛の人達に皆さんの税金を使って支援をする。どこにそういう大義名分があるんですか」と話すと、すぎやま氏は同意。さらに“同性愛の子どもは、そうでない子どもに比べて自殺率が6倍高い”との話で笑っていたのだ。番組最後には、「男性が言いにくいことを言ってくださると助かります。正論です」と、杉田氏の主張を全面的に肯定さえしていた。
この記事によると、18年8月に「LGBTは生産性がない」と述べた杉田が国内外から猛烈な批判を浴びた後、すぎやまも批判されることを恐れてか、自分のサイトで「LGBTの問題は人類の歴史の最初からあっただろう」、「性に対する考え方は十人十色で、他人がとやかくいうことではないだろう」などと投稿しているとのことである。
2021年4月16日朝日新聞青森版に掲載された漫画家・山井教雄氏の作品
結論:
冒頭で述べたように、上記のオリンピックをめぐる一連の「スキャンダル」事件は、各事件について熟思してみれば、個人が起こした単なる「スキャンダル」としてすませるようなものではない。全てに根本的に共通しているのは、それぞれの問題の発生源に「他者の人権に対する配慮が決定的に欠如している」という要因があることである。したがって、これは事件を起こした個人だけの問題ではなく、そのような「希薄な人権意識」をもった無数の人間を産み出している日本社会全体の問題なのである。
ところが、メディアの報道のあり方を見ていると、メディア自体も、また多くの評論家たちも、こうした「希薄な人権意識」を「日本社会全体のあり方」とつなげて考えてみようという思考に欠けていると言わざるをえない。冒頭で私が述べた特異な「日本的現象」とは、このことを指している。問われなければならないのは、「なぜゆえに日本社会では、確固たる“人権尊重意識”がしっかりと諸個人の間に根づかないのか」ということである。私自身は、その決定的な理由の一つは、アジア太平洋戦争で無数の人たちを殺傷した日本が、戦後、その自分たちの責任を徹底的に自己追求することなく、逆に日本が犯した様々な残虐行為を嘘で隠避することによって、戦争被害者の人権を長年にわたって無視してきたことと密接に関連していると確信している。
とにかく、「人権尊重」の観点から現在進行中のオリンピックを見てみるならば、パンデミックで多くの国民が苦難に直面し、健康を害し、死に追いやられているにもかかわらず、なにがなんでもオリンピックを強行するという政府とJOC(その背後にいるIOC)もまた「希薄な人権意識」という点では同じである。いや、「希薄な人権意識」しか持っていない政府とJOC・IOCであるからこそ、そのことが、オリンピックに関わっている個々人に様々な「スキャンダル」事件を起こさせている、と言うべきであろう。
感染者が急増し、医療崩壊がさけばれている今、小池都知事も菅首相も「オリンピックを成功させるために、(感染者を増やさないように)不要不急の外出は極力避けてほしい」と繰り返し呼びかけている。これは「人間の命の大切さ」という観点からするなら、全く本末転倒である。「パンデミック克服を成功させ、人間の健康と命を守るためには、オリンピックを中止しよう」というのが本来とるべき方針なのである。このままでは、五輪サーカスに命をとられてしまう市民の数はますます増えるであろう。