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2023年2月24日金曜日

(続)「日本はなぜそんな小さな島々を要塞化するのか」

昨日紹介させていただいた豪州ABCテレビ報道番組「日本はなぜそんな小さな島々を要塞化するのか、なぜそんな大それたことをするのか」の中で、山里節子さんというおばあさんが登場されます。ひじょうに流暢で表現力豊かな英語でインタヴューに応えておられ、凛とした、とても魅力的な女性なので、いったいどのような背景を持っておられるのかネットで調べてみました。

「高校生の時に石垣市の琉米文化会館で英語を学ぶ。米軍による地質調査の助手、半民半軍の航空会社、琉米文化会館で働いた」ことがおありとのこと。しかし、それにしても、85歳になられた今も、これだけ流暢に英語を話されるとは驚きです。それだけではなく、下記のようないくつかのネット情報に目を通してみますと、山里さんは、しっかりと石垣の土地の伝統文化にご自分の生活基盤をおきながら、その上で「人間の命の大切さ」=「ぬちどうたから(命が宝)」という普遍的原理を確固たる信念とされ、長年活動されてきたことが分かります。恥ずかしながら、私は山里さんについては全く知りませんでした。

 

映画『標的の島 風かたか』(三上智恵監督)にも登場

https://www.jca.apc.org/femin/interview/20171215yamazato.html

ヒカリノミチ通信

石垣島の怒れるオバァとオジィたち

http://samidare.jp/masuko/sp/note?p=log&lid=480304

命と暮らしを守るオバーたちの会へ本土の有志が応援の寄せ書き20枚を寄贈

https://yaimatime.com/yaimanews/102476/

 


 

 

ここまで調べたときに、ブログをご覧になった有光健さんから下記のようなメールをいただき、さらに詳しく山里さんに関する情報をいただきました。そこで、有光さんからご承諾をいただき、いただいたメール全文を、ここにそのまま紹介させていただきます。なお、有光さんは、長年、日本の戦争責任を戦後補償問題という観点から追求してこられ、戦後補償ネットワーク事務局・事務局担当世話人・世話人代表をされています。ご著書に『タイの旅』(昭文社、1988)、共著に『アジアを歩く(東南アジア篇)』(文遊社、1978)、『未解決の戦後補償』(創史社、2013)、『未解決の戦後補償II・戦後70年・残される課題』(創史社、2015)などがあります。

 

以下、有光さんからのメールです:

 

ABCの番組紹介ありがとうございました。自衛隊の演習、石垣の様子興味深く拝見しました。

 番組に登場されている山里節子さんというおばあさん、反基地運動のメンバーの一人として登場していますが、大変すばらしい女性です。

 昨年6月に、琉球放送/JNNも山里さんを紹介していましたが(下記の722秒の動画もぜひご覧ください)、反基地・反軍だけの方ではありません。

  https://newsdig.tbs.co.jp/articles/rbc/72109?display=1

 沖縄きっての才媛で、東京に出て、国際線のスチュワーデスをしておられましたが、それで85歳の今も英語が堪能です。

 その後、決断して東京での生活を見限って、石垣に帰られ、農業もしながら織物をしておられました。自分で桑を育て、蚕を飼って、草木で染めて、絹を織っておられたのでした。

 私は40数年前に一度だけ石垣を訪ねたことがありますが、その時に山里節子さんの工房を訪ねて、染織の話を伺ったことがありました。

 戦時中の体験を話された10年前の動画は右記で見れます。(832秒) https://www.youtube.com/watch?v=OKUELFwWffY

 石垣の生活や文化について語った9年前の動画もありました。(114)  https://www.youtube.com/watch?v=kGt1PnauJeE

 また、1981年頃の工房の映像が右記で観れます。(524秒) https://www.youtube.com/watch?v=KGTT3vKjPpQ

 詩人で、石垣の唄も歌われます。5年前に集会で歌われた動画もこちらで。(418秒) https://www.youtube.com/watch?v=EEOGyFmMHPk

 昨年「多田謡子反権力人権賞」を受賞された「いのちと暮らしを守るオバーたちの会」の代表ですが、反基地・反権力ということだけでなく、もっと豊かで、知的で、すぐれた方だということをお伝えしたくて、筆を取りました。知る人ぞ知る85歳です。

 

有光さん、興味深い情報をいただきありがとうございました。山里さんは、一度お会いして、じっくりお話を伺いたい、魅力あふれる女性ですね。

2023年2月23日木曜日

日本はなぜそんな小さな島々を要塞化するのか

Why is Japan Fortifying its Small Islands

 

オーストラリアの公共放送ABC (日本のNHKに相当)のテレビ局は毎週木曜日の夜8時からForeign Correspondent (「海外特派員」)と題する30分の海外ニュース特集番組を放送しています。毎週、海外で起きている重要な問題一つに絞って、特派員が詳しく報道する、なかなかすぐれた番組です。

先週木曜日2月16日の夜には、「日本はなぜそんな小さな島々を要塞化するのか、なぜそんな大それたことをするのか」というテーマで、沖縄、とりわけ石垣島が現在どれほど急速に軍事要塞化されているか、環太平洋における米軍主導の臨戦体制の中にどれほど緊密にくみ込まれつつあるのか、を詳しくレポートしています。ナレーションは英語ですが、インタヴューを受けている地元のほとんどの人たちや、自衛隊員は日本語で応答していますので、状況はだいたいご理解できると思います。それに、実際の石垣の要塞化が映像で観れることが重要だと思いますので、ぜひご覧になってください。下記がその番組へのリンクです。

https://www.abc.net.au/news/2023-02-16/why-japan-is-fortifying-its-small-islands.-and-why/101986244

 

Australia's public broadcasting corporation, the ABC, broadcasts an overseas news feature program entitled Foreign Correspondent every Thursday evening at 8pm. It is an excellent weekly half hour program that focuses on one important issue happening abroad and reports on it in detail.
Last Thursday (16 February), under the title “
Why is Japan Fortifying its Small Islands, and why is it such a big deal?”, the program reported in detail on how rapidly Okinawa, and particularly Ishigaki Island, is being fortified and how closely it is being integrated into the US-led war preparation of the Pacific Rim. This program is worthwhile watching in order to understand what is actually happening in Okinawa.

Why is Japan Fortifying its Small Islands, and why is it such a big deal? | Foreign Correspondent

https://www.abc.net.au/news/2023-02-16/why-japan-is-fortifying-its-small-islands.-and-why/101986244

 


2023年2月19日日曜日

謎の浮遊物体を処理する最良の手段は?

Best means of dealing with mysterious floating objects.

 

It would be foolish to shoot down the mysterious floating objects now over the USA and Canada. What should we do?

 

いまアメリカやカナダ上空に浮かぶ謎の浮遊物体を処理する最良の手段として、撃ち落とすのは愚の骨頂。最良の手段は?!

 


 

(浮遊物体の説明はいたって簡単という)理論

マイケル・ルーニッグ作

 

頭上を浮遊する謎の飛行物体

 

その物体は、人間の耐え難い感情の表出そのもの

 

つまり、憎しみ、絶望、孤独、膨れあがった自我の集合体

 

下水管の中で「固形化した汚物」や海に浮かぶプラスチック廃棄物のように

 

みんなが持っている心の重荷が、空に浮かぶオブジェとして現れる

 

それを撃ち落とすのは、まことに愚かで粗野な行為だ

人間の心の平和だけが、その物体を消滅させてくれる


2023年2月17日金曜日

何のためのG7広島サミットなのか?!

 この小論考は、「市民の意見30の会・東京」発行の『市民の意見』NO.195(2023/2/1)に掲載していただいたものに加筆したものです。ご笑覧、ご批評いただければ光栄です。

 

昨年後半から、広島の反戦・反核運動に関わっている活動仲間たちと相談の上、私たちは、G7広島サミットが開かれる1週間前の今年51314日に、「G7広島サミットを問う市民のつどい」を開くことを決めた。すでにブログを立ち上げて「呼びかけ文」を載せているので、私たちがこの市民集会を開こうとする意図については、この「呼びかけ文」を参照していただければ光栄である。

https://www.jca.apc.org/no-g7-hiroshima/

G7が世界的規模で発生させている問題は多種多様であり、そのすべてを短時間の「市民のつどい」で取り扱うことは不可能である。したがって、人類史上初の原爆による無差別大量虐殺の場所となった広島が、G7に対して立ちむかうにあたっては、広島の歴史的背景と現状から鑑みて極めて重要な日本の国内的と国際的な幾つかの問題点に議論を絞るべきであると考え、現在、「市民のつどい」当日のスケジュールについては「呼びかけ人」の間で考慮中である。

限られた紙面の都合上、ここでは3つの問題に絞って私見を述べておきたい。

 

1)      欺瞞的な「平和」のメッセージを発信する場として広島が政治的利用される理由は何か

 

広島は20089月に開かれたG8下院議長会合、20164月のG7外相会合の開催地にも選ばれ、20165月にはオバマ大統領が「慰霊」と称して平和公園を訪れた。ところが、いずれの場合も、原爆無差別大量殺戮に対して最も責任の重い米国政府の代表をはじめ、マンハッタン原爆開発計画に参加した英国、カナダを含む7カ国(あるいは8カ国)の代表も、おざなりの慰霊のために平和公園を訪れるだけの「政治的な見世物」に終わっている。

かくして、オバマと安倍が広島の犠牲者の霊を政治的に利用し、米国も日本も、それぞれが戦時中に犯した戦争犯罪の犠牲者に対しての謝罪は一切せずに、結局は広島を日米軍事同盟の強化のために利用したのと同様、今年も再び、広島が欺瞞的で邪悪な政治目的のために利用され、市民が踊らされるだけという結果になるであろうことは初めから目に見えている。

米国のバイデン大統領は、核抑止力をあくまでも重視し、すでに岸田首相に広島では核軍縮は議論しない意向をはっきりと伝えている。その一方で、日本政府は「唯一の戦争被爆国」を売り物にしながら、「最終的な核廃絶」というごまかしの表現で市民を騙し続け、実際には米国の拡大核抑止力に全面的に依拠し続けている。その日本政府の岸田首相が自分の選挙区である広島市をG7サミットに選んだのも、見かけは「反核」という姿勢を欺瞞的に表示するための政治的たくらみ以外の何ものでもない。あるいは、ロシア・中国・北朝鮮の「核の脅威」をことさらに強調することで、核抑止力を正当化し、市民の間に無自覚のうちにその正当化を浸透させてしまおうと岸田政権は考えているのかもしれない。

よって、これまでの国際会議同様、名称だけの「国際平和文化都市」広島で開く会議が発表する公式声明文に、「被爆者の霊」があたかもG7にお墨付きを与えたかのような、欺瞞的な印象を世界に向けて発信することがG7サミットの一番の目的なのである。

米国は、広島・長崎への原爆無差別大量虐殺を、戦争を終結させるために必要不可欠であったと正当化することで、それらの殺戮行為が由々しい「人道に対する罪」であったことを隠蔽した。その隠蔽を現在も米国は続けている。

一方、日本は原爆被害のみを強調し、「唯一の戦争被爆国」を売り物にすることで、自国がアジア太平洋各地で15年という長きにわたって犯した様々な残虐行為で、中国人をはじめ数千万人の数にのぼる人たちの命を奪った(天皇裕仁の戦争責任を含む)加害責任を隠蔽し、今も隠蔽し続けている。しかも、日米両国は互いの戦争責任隠蔽を黙認しあっている。

つまり、日本側は原爆無差別大量殺戮という重大な「人道に対する罪」を犯した米国の大統領トルーマンをはじめ、それに加担した多くの米国の政治家、軍人、科学者の「罪」と「個人的責任」を追及することもなく、そのような重大な罪を犯した米国の「国家責任」を追及しない。さらには、アジア太平洋戦争という侵略戦争を開始し、結局は原爆無差別大量殺戮を招いた、その日本の国家元首・裕仁や軍指導者、政治家たちの「罪」ならびに「個人的責任」、さらには日本の「国家責任」もウヤムヤにしてしまっている。その「責任ウヤムヤ」は、もちろん、「唯一の原爆被害国」と言いながら、米国の核抑止力を強力に支持するだけではなく、自国の核兵器製造能力を原発再稼働で維持し続けている日本政府の「無責任」と表裏一体になっている。

こうした日米両政府による共同謀議とも呼べる画策ゆえ、大多数の日本人はアジアに対する確固たる「戦争責任」意識を持つどころか、自分たちをもっぱら「戦争犠牲者」と見なし、しかしながら、同時に米国による自分たちへの戦争加害の責任も問わないという、「戦争責任問題」自覚不能の状態にある。それゆえにこそ、米国の軍事支配には奴隷的に従属する一方で、アジア諸国からは信頼されないため、いつまでたっても平和で友好的な国際関係を築けない情けない国となっている。

かくして、日米の戦争責任問題は、実は相互に深く絡みあっている。日米両国ともに自国の戦争責任を隠蔽することで、すなわち多くの犠牲者の人権を徹底的に無視することで、それぞれが自国の民主主義を甚だしく歪め、腐敗させてきた。とくに天皇裕仁の戦争責任をうやむやにしたため、憲法前文や9条と決定的に矛盾する1条を憲法に入れてしまい、それが日本の民主主義を甚だしく歪めている重要な原因だと私は考えている。したがって、戦争責任問題と民主主義の歪みの問題は深く関連していることを忘れてはならない。

 

2)            「アジア太平洋大規模戦争」の危険性をグローバルな視点からとらえる必要性

 

20222月にロシア軍のウクライナ侵略によって始まった戦争は、2年目に入った。ウクライナ南東部の諸都市が壊滅的な状況となり、800万人近い難民がヨーロッパ各地に流出し、戦闘員のみならず市民に多くの犠牲者が出ているにもかかわらず、「終わり」は全く見えない。NATO(その中心核であるG7)は、引き続き膨大な額の軍事支援をウクライナに注ぎ込んで戦闘を煽り続け、ロシアはそれに対抗してさらにウクライナ各地への無差別的攻撃を強めている。

G7は、東欧のそんな戦争泥沼化の状況を外交によって一日でも早く解決しようという努力には全く無関心である一方で、アジア太平洋地域でも中国と北朝鮮をあからさまに敵視し、この二国を文字通り軍事的に封じ込めようという様々な戦略を米国の主導のもとに急速に拡大している。その「封じ込め構想」のカナメとされているのが、北の日本(とくに沖縄)、南の豪州(とくにダーウィン)、その中間地点の「槍の先端」と呼ばれるグアムである。この2年ほどで、これらの米軍基地には、中国・北朝鮮攻撃を想定した戦略を実施する上で必要な各種の武器が続々と配備されている。しかも、その攻撃戦略がこれまでの海軍力中心であったものに、中国や朝鮮の本土空爆を想定する空軍力の活用を大幅に加えたものへと急速に拡大されていることが一つの特徴である。

その戦略の一つが、核兵器搭載可能の大型爆撃であるB-52H「ストラトフォートレス」戦略爆撃機の運用で、グアムにはすでに4機が配備されており、ダーウィンには近く6機が配備される予定である。また、今年秋までに、「ARRW(空中発射迅速対応武器)」と呼ばれる極超音速ミサイルを、B-52Hに搭載して運用する計画も進めているARRWの射程距離は1600キロという長距離で、米空軍発表によると「以前より短い時間内に敏感な目標物を打撃できる能力」を持っており、「迅速な量産を考えている」とのことである。このミサイルを使えば、沖縄の宮古島上空などから北朝鮮の主要軍事施設だけではなく、平壌(ピョンヤン)指揮部を打撃することができるし、中国本土や中国軍空母も攻撃目標となる。G7広島サミットでは、こうした「中国・北朝鮮封じ込め構想」がさらに議論されることは間違いない。

こうした現況を考えると、私たちはG7の動きを世界全体の大きな武力紛争と軍拡のウネリの中で捉えなおし、いかにすれば私たち市民がこの人類自己破滅的な動きをとめることができるような運動を展開できるのかを真剣に考え、実践行動へとつなげていくことが緊急の課題である。

 

3)            気分はすでに臨戦体制:「空母」と「海軍」

 

30年前にフィリッピンから完全に撤退した米軍が、再度、フィリッピンの9カ所に基地を設置する計画で、米国がフィリッピン政府と合意したことが21日に発表された。台湾防衛がその主たる目的であると米国は主張する。かくして、中国・朝鮮を囲い込む臨戦体制の強化が、ますます急速に進められている。

そんな状況の中、海上自衛隊の「護衛艦 いずも」が実際には「空母」化されており、この「いずも」や目下「空母化」が行われている「かが」が、米英両国の太平洋地域での空母戦略にしっかりと組み込まれつつあることが下記のyoutubeではっきりと分かる。この動画を制作した組織は明らかにされていないが、米国の国防省が何らかの形で関与していることは間違いないと思われる。この動画の中では、「いずも」は最初から「空母」と呼ばれており、海上自衛隊も「海軍」と称されている。「空母」は主として敵地または敵軍攻撃の目的のために、出来るだけ攻撃目標の近くまで接近し、空母から飛び立つ戦闘機や爆撃機で攻撃作戦を展開するための兵器である。このため、「自衛」の目的から外れているというのが従来の自衛隊の解釈であった。形式的にはその解釈をいまだ維持しているため、「空母」という表現は使わず「護衛艦」を使って誤魔化しているわけである。しかし、この動画は、「憲法9条など、どこにあるのか」と言わんばかりだ。

 

Japanese BILLIONS $ Aircraft Carrier Is Finally Ready For Action! 

https://www.youtube.com/watch?v=QCKTjlgUY20

 

この動画の日本語版も制作されて公開されているが、この日本語版ナレーションも「空母」や「海軍」という用語を堂々と使っている。

「日本の100億ドルの空母がついに就航!中国に衝撃」

https://www.youtube.com/watch?v=zYV-FqTa7tI

 

「護衛艦」と称する空母「いずも」

 

 

                 「いずも」艦上で発着訓練するF35B戦闘機

 

 

おそらく、自衛隊も、これまでのように、遅かれ早かれ、なし崩し的に「護衛艦」という表現を「空母」に変えていくに違いない。ちなみに、この動画の中で自衛隊員が被っている帽子に「航空兵器 いずも」と刺繍されているのが読み取れる。「航空兵器」という名称も笑ってしまうような誤魔化しだ。それにしても、中国侵略戦争で活用された装甲巡洋艦「出雲」や、真珠湾攻撃に出動し、ミッドウエイ海戦で敵潜水艦からの魚雷攻撃を受けて大爆発を起こして沈没した空母「加賀」の艦名を、これまた「ひらがな」にして誤魔化して復活させるという自衛隊の復古主義精神には呆れかえる。彼らは、中国側が「いずも」という空母艦名にどう思うのか、あるいは「加賀」の乗組員1700名ほどのうちの半数近い811名が(そのほとんどが火災で脱出不可能となって)犠牲になったという事実から何を学ぶべきか、などという考えには思いもつかないようである。

この数日、米国やカナダ領空に侵入した偵察用気球の撃ち落としがニュースになっている。日本政府は、領空侵犯した外国の航空機に対し、自衛隊法84条に基づいて、正当防衛と緊急避難に限って武器使用ができるとの見解をとってきた。ところが、新聞報道では、日本政府は「外国の気球などが日本の領空を侵犯した場合を想定し、自衛隊の武器使用基準を緩和する方針を固めた。自衛隊法の解釈を変更し、正当防衛などに該当しなくても、一定の条件を満たせば撃墜できることを明確にする」とのこと。「一定の条件」とは、具体的にどのような状況を指すのか。こじつけの「一定条件」を政府は目下ひっしに考えているのであろう。これまた、「自衛」の解釈を急速に無意味化しようという日本政府の無節操な企ての一例だ。岸田は安倍と同じように「嘘も一時の方便」と考えているようで、政治家に要求される凛とした倫理的信念などカケラもないようだ。

このように、米軍主導のG7、さらにはNATOをも含む、アジア太平洋における急速な攻撃体制の強化は、中国や北朝鮮の戦略構想をも急激に攻撃的なものへとエスカレートさせている。かくして、アジア太平洋地域はいまや文字通り「臨戦態勢」となっており、大規模戦争の危険性は、日本政府の最近の「敵基地攻撃能力」保有や「安保関連3文書」閣議決定などからも、ますます高まっている。

私たちはいまや、一人ひとりが「自己存在の危機」という由々しい状況に追い込まれつつあるのだということを、明確に認識する必要がある。

 

田中利幸(歴史家)

 

 

2023年2月5日日曜日

ベルリン「平和の像」が切り開いた世界  講演ノート

 昨年12月11日に<日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワーク>の主催で行ったオンライン講演会でのお二人の講演者、梶村道子さんとレギーナ・ミュールホイザーさんの講演ノートを、お二人の許可をいただき、ここに公開いたします。

 

 

ベルリン・ミッテ区モアビット〜地元市民が受け入れた「平和の像」

 

 

梶村道子さん

梶村道子

 

ベルリン・ミッテ区に平和の像が設置されて2年が過ぎた。2022年の秋、ミッテ区区議会の教育・文化委員会の席で、しばらく前に就任した新区長が、設置認可をさらに2年延長するつもりだと発言した* こうした展開が、コリア協議会によるこの2年間の精力的なイベントやキャンペーンの成果であることはいうまでもない。が、像を積極的に受け入れたドイツの市民たちがそこにいたことも忘れてはならない。なぜミッテ区が像の受容に成功したのか、ドイツの他の地域で不可能であったことを可能にしたその背景とは何かについて、さらに、像の設置者コリア協議会の地域における日常活動と、像の設置後の様々な展開を、地元ミッテ区モアビットから報告する。

*200231月現在、像の設置者であるコリア協議会にはまだ公式通知がないそうだ。だがこの発言通りに認可が延長されれば、日本政府の執拗な介入にもかかわらず、像は設置以来少なくとも4年間は確実にモアビット地区にとどまることになる。周知の通り、区議会は像の恒久的な設置を目指している。

 

現在までの経緯

 

平和の像は、ミッテ区の「都市空間のアート」プログラムの特別利用認可枠で、1年の設置が認められた。しかし区は、設置後わずか10日目に突然認可を取り消し、1週間以内の像の撤去を、設置者のコリア協議会に命じた。

 

この撤去命令に対するベルリン市民社会の対応は目覚しかった。

ベルリンのプリントメディアは、早速、「ベルリン州政府は、日本大使館とミッテ区との間で対話を進め、速やかな解決を図った」との州政府報道官の発言を報じ、その後も日本政府の介入と州政府の関与を徹底して追及した進歩的3政党−社会民主党、緑の党、左派党−のミッテ区支部は、相次いで像の支持声明を発表し、日本政府や、ドイツ外務省の意を汲んだベルリン州政府による区行政への介入を批判した。コリア協議会による行政裁判所への仮処分申請、オンラインでの抗議署名、区役所前での集会などの矢つぎ早の抗議行動に押されるように、地元の市民グループや個人からも、メールや区長宛て公開書簡などで、次々と抗議の声が上がった。その結果、区議会は1ヶ月後の115日に像の設置支持宣言を採択し、121日には、区に対して像の恒久設置要求を決議する。

 

その区議会決議で重要なのが、恒久設置という新たな目標を、区議会のイニシアティブで決めたこと、そして、今後の協議への区議会の関与を宣言したという2点だ。この決議により、ミッテ区の緑の党、社会民主党、左派党は、像の恒久設置を自らの課題として引き受けたのである。彼らを、そこまで動かしたのは、ベルリンはナチ時代の首都だった。ミッテ区とベルリン市、そしてその市民社会は、そのベルリンの歴史の上に築かれている。そのことを私たちは自覚している」という歴史認識、そして、「平和の像が、武力紛争時や平時の性暴力に関する議論を呼び起こす」だろうという確信である(ともに決議案の提案理由)。また、3党の抗議声明にあるように、区の行政への介入は許さないという地方自治への強い自負が区議たちにあったことも、確認しておきたい。

 

像を取り巻く環境

 

「平和の像」が立つミッテ区のモアビット地区は、19世紀後半から労働者用の住宅街として発展し、戦後の経済復興期以降は、外国人労働者が多く住むようになった地域で、2020年の場合、移民のルーツを持つ住民が52 %を占める。したがって、移民系の人たちによる自助活動や、彼等をサポートする社会運動が盛んな地域でもある。モアビットの住民にとって、ここに事務所を置くコリア協議会は外来の客ではなく、「我が街」の移民系団体*の仲間なのである。そして区議会決議にみるように、この地域には、自己の歴史と取り組み続ける市民社会が存在するそこには、ユダヤ系市民の強制移送を記憶するモニュメントがあり、連行され殺害されたかつての市民たち一人一人を想起する「躓きの石」が埋めこまれた歩道が続き区役所内には、ナチ時代の地区の歴史を刻んだ二つの展示、『加害の場所と記憶の場所としてのティアガルテン区役所』と、『彼ら**が最後に通った道』が常設されている。そのような地域の「記憶の風景」のなかに、平和の像は置かれたのである。

*ドイツの韓国系コミュニティーは、1960年代後半から70年代にかけてドイツに来た人たちを基盤に形成されてきた。大半の人たちは、契約労働者(女性は看護士、男性は炭鉱労働者)として来独したが、同時期に少数だが朴正煕独裁政権を逃れて国を出た人たちも存在した。ドイツの韓国系コミュニティーは、トルコ系コミュニティーなどと同様に労働移民としての集合的記憶を有すると同時に、イラン系コミュニティーのような政治難民としての歴史も共有する住民集団である。コリア協議会もその二つの歴史を背景にもつ。

**  強制移送されたユダヤ系市民

 

 
 
ベルリンでの「慰安婦」問題の取り組み

 

ベルリンでは1992年以来、「慰安婦」問題に関して、日韓の女性グループや教会関係者らにより、多様な活動が続けられてきた。2008年から「慰安婦」問題と取り組み、とりわけ移民系の女性団体との連携を深めてきたコリア協議会は、近年は、地域での活動に力を入れ、「慰安婦」ミュージアムの開設と青少年を対象とする教育活動を通して、戦時性暴力に対する啓発活動を進め、地元モアビット地区に根をおろしている。

 

2019年にコリア協議会の事務所に開設された「慰安婦」ミュージアムでは、同年9月から「無言・多言」というタイトルの常設展が始まり、さらに12月には、フィリピンの女性団体「ガブリエラ」のドイツ支部、日本人のグループ「ベルリン女の会」とコリア協議会の共催による絵画展「心に受けた傷」が開かれた。このミュージアム活動が、後述する各地のミュージアムとの連携のきっかけになる。以降、「慰安婦」ミュージアムは、映画の上映会や、講演会、討論会など、人の集まる空間として定着してきた。次に紹介する教育活動も、このミュージアムが教室になり、その展示が教材になっている。なお常設展は、その後青少年向けのコンセプトに基づいてリニューヤルされ、202210月に再スタートした。

 

もう一つの柱である教育活動は、2019年の秋に始まった。モアビット地区内にあるテオドール・ホイス校と提携し、倫理の授業の一環として「慰安婦」問題をテーマに、性暴力を扱う学習コースが提供されたのである。初回コースには、中学生に当たる年齢の女子生徒たち10人が参加した。移民ルーツの家庭で育った生徒たちの多くは性に関する悩みを話す機会がほとんどなく、授業は、彼女らのそうした欲求を満たす場にもなったという。初回コースの生徒たちは、学んで感じ、考えたことを、ビデオや切り紙などで表現して、区役所前のショーケースで公開している。自分の名前やハクスン、サリノグ、ロザリン、ジャンなどの「慰安婦」制度の被害者の名前を書いたカードと平和の像のミニチュアを組み合わせた展示や、ショーケースのガラスに白いペンキで記された金学順さん、万愛花さん、ジャン・ラフ・オハーンさん、城田すず子さんの証言は、生徒たちからアジアのサバイバーたちへの共感のメッセージになっていた。

 

校内でも好評だったこのコースには、次学期には男子生徒も加わった。ところが3学期目の授業は、日本大使館の介入により中止を余儀なくされた。ドイツでは、教育行政は州の管轄で、教育法の制定もカリキュラムの策定も州が権限を有する。そのうえ、個別の授業に際しては教師に大きな裁量権がある。にもかかわらず、他国の公教育の学校で行われるわずか一コマの授業の内容が日本政府の立場にそぐわないとして、学校の管理職に苦言を呈する。常識では理解しがたいことだが、これが日本国外務省の業務だ。しかし、ベルリン市内の学校の生徒や先生たちの「慰安婦」ミュージアムへの関心は、その後も衰えることはなく、展示のリニューアル後は、学校関係者による問い合わせや訪問が増えていると聞いた。

 


 

像の設置後 広がる共感と支援

 

2020年9月28日の像の除幕式後、平穏に経過した10日間は、日本政府の介入により一転する。日本政府は、「権威に弱い」地方行政の懐柔は容易だと踏んでいたのかもしれない。しかし、事態は先述したように、像の恒久的設置を要求する区議会決議へと発展した。ベルリンの新聞はこの展開を、「日本の右翼政治家たちは、自殺ゴールにまだ気がついていない」と揶揄したが、日本政府の思惑とは裏腹に、その後も平和の像への共感と支援は、各地に広がって行った。

 

例えば、「右翼に対抗するおばあちゃんたち」と「クラージュ」という、二つの女性団体の地元支部の人たち。像の撤去命令以来、言い換えれば日本政府の介入以来、彼女らは強力な像の支援者として立ち現れた。「右翼に対抗するおばあちゃんたち」は、早くも11月と12月の区議会に、議場前で抗議デモを繰り広げ、決議案を支持する区議たちの応援に回った。彼女たちは、その後も、毎月の最後の金曜日に像の前で集会を続けている。取り上げるテーマは、西ドイツのハーナウ市で起きた移民系市民へのテロだったり、ミッテ区で一年間に起きたヘイト事件の統計数字だったり、フェミサイドについてだったりと、毎回異なるが、そのどれもが、平和の像を支持するメッセージで結ばれる。「クラージュ」は、翌2021年の国際女性デーに、早速像の前の広場で集会をし、それ以来、各種の支援行動の常連だ。

 

 

支援は、さらに州境を超えて、文化・学術分野にも飛び火した。

ザクセン州にあるライプツィッヒ大学の日本学科は、2022年夏季学期に「慰安婦」問題を中心テーマに据えた連続セミナーを開催した。「ポストコロニアルの記憶作業と国境を超えたフェミニズム」と題するこのセミナーでは、社会学や歴史学や法学の研究者たちが、7回にわたり講義した。また、同大学の日本学科と演劇学科の学生たちは、このセミナーに合わせて、ライプツィッヒ市の女性サマーフェストで「軍『慰安婦』— ライプツィッヒの平和の像」というパーフォーマンスを行っている。日本学科の学生たちは、202110月にベルリンで行われた第1500回水曜デモにも参加し、それをきっかけに、コリア協議会の「慰安婦」問題グループに参加している学生もある。

 

ヘッセン州にあるカッセル大学では、学生自治会が、大学構内に像を設置する企画をたて、コリア協議会に協力を求めてきた。学生たちの意図は、像を通して性暴力に対する認識を社会にもたらしたいというもので、20227月に、大学キャンパス内の学生会館前に「平和の像」が設置された。自治会と大学当局との間で像の恒久設置は了解事項だったはずが、大学当局・教授会と自治会の間でなおも折衝が続いていると聞く。

 

ベルリンに平和の像が建ってのち、ドイツの二つのミュージアムで、平和の像が展示された。ザクセン州ドレスデン市にある州立ドレスデン・エスノロジー・ミュージアムは、20214月から8月まで、「言葉にならないことー大声の沈黙」展を開催したが、その際、コリア協議会の「『慰安婦』ミュージアム」を出展者として招待して、その活動を紹介した。植民地支配の収奪品である民族博物館の所蔵品と現代アートを、ホロコーストの記憶という縦糸でつないだこのユニークな展覧会で、写真家の矢嶋宰さんによるナヌムの家のハルモニたちの声と写真のポートレート(「多言・無言」展の展示品)と、韓国の姜徳景さんの絵「責任者を処罰せよ」とフィリピンのレメディオス・フェリアスさんのキルト作品「私の戦争体験」(ともに「心に受けた傷」展)は、平和の像とともに、被害者が自ら声を発した稀なケースの表現として特異な位置を占めていた。 

2022年7月から20231月までニーダーザクセン州のヴォルフスブルク市にあるヴォルフスブルク美術館の「エンパワーメント」展には、50カ国の女性アーティストの作品100点が集められたが、「平和の像」はその中のDesired & Violated Bodies“ というパートで展示された。

 

この二つのミュージアムと「慰安婦」ミュージアムの提携には、日本軍がフィリピンで振るった性暴力の歴史が関わっている。ドレスデン・エスノロジー・ミュージアムの「言葉にならないことー大声の沈黙」という展示コンセプトと「慰安婦」ミュージアムの常設展の「無言・多音」というタイトルとの類似性、そして絵画展「心に受けた傷」のレメディオス・フェリアスさんのキルト作品にキューレーターが強い印象を受けたことが、同博物館とコリア協議会をつなぐきっかけになったのだ。ヴォルフスブルク美術館の場合は、レメディオスさんの作品を知るフリーのキューレーターが、「ベルリン女の会」の会員に出展を薦めたのがことの始まりで、レメディオスさんの作品と平和の像の2点が美術館に推薦された。だが、前者は2000年以前の作品であることから選考基準を満たさず、結果的には平和の像のみが展示された。

 

日本政府は、2015年の日韓合意を以って、「慰安婦」問題を日韓の外交問題に矮小化し、日本の世論から排除し、他のアジア諸国の被害者を不可視化した。しかしベルリンでは、フィリピン系の女性たちと韓国系の女性たちが繋がり、フィリピンの被害者の縫い上げたキルトが、韓国発の平和の像を後押ししている。金学順さんの証言に始まり、アジアのサバイバーや活動家たちの間で生まれて今に至るこうした連帯の絆を見ようとしないのは日本社会だけであろう。なお、ドイツのキューレーター2人を感動させたレメディオスさんのキルトは、最近日本に戻ってきた。存命する被害者が極めて少なくなった今だからこそ、レメディオスさんが一針一針縫い上げたこの貴重な証言アートは、日本でもっと知られて良いものである。

 

地域での活動と支援は続く

 

設置後間もない頃は住民の注意を引いた平和の像だが、今ではすっかり街の風景に溶け込んでいる。通りかかった人が、写真を撮り、碑文を読んでいくこともある。筆者はこんな経験をした。像の前で待ち合わせをしていると、サッカーボールをかかえた10歳ぐらいの男の子が声をかけてきて、「この女の子はレイプされたの?」と訊ねる。「どうして知ってるの?」と聞き返すと、「僕、碑文を読んだよ」と言う。像は、地域の子供たちにとっても、性暴力への気づきのきっかけになっている。

 

コリア協議会とテオドール・ホイス校との共同の教育活動は、日本政府の介入により中断したが、青少年を対象とする地域活動は、別の形でも始まった。学校の休暇時期に青少年に提供されるワークショップがそれで、第一回は2021年の夏休みを利用して開かれた。このワークショップ「私のとなりに座って!」には、「カラメ協会」、「ユーベル3 手話の会」、女の子たちの集会所「ドニャ」、「ドイツ社会主義青少年 ファルケ」のノイケルン区支部の4グループが参加したが、そのうちの「カラメ協会」と「ドニャ」は、移民系住民によるモアビット地区の社会運動で、日常的に移民系の子供たちの余暇活動をサポートしている。このような青少年グループを対象としたワークショップは、その後も続いている。

 


コリア協議会によるこうした教育活動は、モアビット地区の社会運動として、行政関係者からも評価されつつある。2022年3月のモアビット地区のタウンミーティング「我が街散策」の訪問地点の一つに、平和の像の建つ交差点広場が選ばれた。「我が街散策」は、ベルリンの各行政区が実施しているプログラムで、区の都市計画や文化・社会政策の上で検討すべきテーマを選んで、政策担当者が市民と一緒に街を回る。この日は、区の都市計画担当責任者でもあるゴーテ副区長が、区民とともに5箇所のテーマポイントを廻ったが、そのうちの3ポイントが移民系区民による活動である。プログラムの中で、コリア協議会はこの地域で反レイシズムと教育活動を行う団体として紹介されている。

地元市民による「平和の像」支持の層の厚さを実感したのが、2022年の夏、韓国の右翼団体が平和の像の前で4日間デモを行った際のカウンター行動だった。4日間続いた抗議集会の初日には地元やベルリン市内各地から延べにして100人ほどが駆けつけ、その後も連日450人の市民が集まったのである。 

2022年の11月、ミッテ区のレムリンガー新区長は、「ウクライナで戦時性暴力の被害者が出ている今、像はますます重要になっています」と、区議会の教育・文化委員会で述べた。ミッテ区は、平和の像から始まった性暴力に関する議論を社会に発信するためのモニュメントの設置をベルリン州政府に提案していると聞く。その協議が平和の像を取り込んだ形でどのように展開されていくのかが、注目される。ミッテ区の進歩的3政党の区議たちは、「202012月の区議会決議は必ず実現させる」「像は、私たちに戦時性暴力の問題を気づかせてくれた。そのことに感謝する。これは私たちの像だ」と、コリア協議会に彼らの変わらない意志を伝えている。

像の設置に伴い起こった地元やドイツ各地での動きは、以上見て来たように、それぞれの組織や人々の自立した活動である。人々は「平和の像」に触発され、像に自分たちの抱く理念を重ね、その実現に向けて動いている。像が、そうした人々の支持を得ながら、今後もミッテ区モアビットに定着していくであろうことを期待したい。

 

幾つもの意味を持つ一つの像

 

レギーナ・ミュールホイザー

 

 

レギーナ・ミュールホイザー

 

「平和の像」が登場し、ドイツのフェミニスト界で議論されたとき、大多数の意見はその像に批判的でした。伝統的な韓国服を着た少女の姿は、無邪気で純粋な女性の象徴のように見えるからです。私たちの考えでは、したがって、この像には問題があると思ったのです。年配の女性、性体験のある女性、バーや売春宿で働いていた女性、あるいはその疑いのある女性たちはどうなのだろうか。彼女たちは「慰安婦」制度の犠牲者ではないのか?この像は、こうした女性たちを見えなくしているのではないだろうか。

 

「汚れのない処女の乙女」として理想化された女性被害者像は、家父長制や民族主義の声によって容易に利用されることも、フェミニストの研究は指摘しています。「無実の被害者」は「非道徳的で非人道的な加害者」の対極に位置づけられるのです。その結果、より深く、より複雑な問題-例えば、性的暴力の本質について、あるいは、なぜこの暴力の加害が戦争や武力紛争の時に軍人にとって容易に利用できる選択肢であるのか-という問題はぼやかされてしまいます。

 

しかし、にもかかわらず、私はこの像の良さを理解するようになりました。なぜなら、美しく、穏やかで、力強く前を見つめるその姿は、訪れる人々に共感を呼び、問題がどのようなことであるのかについて考えさせるきっかけを与えてくれるからです。その姿の美しさ、純粋さこそが、訪れる人々が彼女の隣に座って写真を撮る可能性を開くのだと思われます。そして、多くの人々が、この像の背後にある物語についてより詳しく知ろうと心を開くのです(おそらく、拳を振り上げた年配の女性を描いた像であれば、人々は尻込みするだろうし、抽象的な形の像であれば見過ごしてしまうでしょう)。

 

また、「平和の像」に特徴的なことは、それが幾つも存在し、世界中のさまざまな場所で見ることができることです。例えば、現在カッセル大学にあるブロンズには99という番号数字が記されています。現在、ドイツには、1)ベルリン・モアビットの路上の公共スペース、2)カッセル大学構内のセミ・パブリック・スペース、3)ヴィーゼントのネパール・ヒマラヤ公園のプライベート・スペース、4)フランクフルトの韓国福音教会コミュニティのプライベート・スペースに常設されています。5)また、ヴォルフスブルク美術館で開催中の「エンパワーメント」展に出品中のブロンズ像も一時的に展示されています。6)さらに、現在ベルリンの韓国協会の「慰安婦」博物館の入り口付近にはプラスチックに色塗りされた2つの可動式の彫刻があり、7) ミュンヘン近郊のプライベートスペースにも一つあります。

 

これらの彫像は、ミュンヘン、ドレスデン、フランクフルト、ハンブルク、ライプツィヒなどの教育機関、博物館、大学、ギャラリー、また50cmのミニチュアとしてラーベンスブリュック女子強制収容所記念館などで、これまでにも一時的に展示されたことがあるものです。

 

私が注目するのは、この像がどこに置かれても、この像について発言する場所や政治的な立場によって、異なる経験や知識が呼び起こされることです。このように、彫像は彫像が持つ意味の層を重層化しているように見えます。私が言いたいことをよりよく理解してもらうために、4つの例を挙げてみましょう。

 

第Ⅰ層:ナチス犯罪の生存者(女性、男性)が求める、自分たちが強いられた経験の可視化と認識、さらには補償を獲得する闘い。

 

私たちは、人々が「平和の像」をナチスの犯罪の犠牲者/生存者と結びつけていることを何度も観察することができます。例えば、昨年夏にカッセルでこの像が除幕されたときには、ナチスの犠牲者協会(Vereinigung der Verfolgten des Naziregimes; VVN)の代表は、1990年代から認知と補償を得ようとする地元のナチスの強制労働の生存者の長い闘いに(「慰安婦制度」犠牲者の闘いが)類似していることを説明しました。

 

同じように、今年の春、シュテフィ・リヒターとドロテア・ムラデノヴァが企画した一連のイベントで、この像がライプツィヒ大学に一時的に置かれ、講義室に鎮座したときにも、ナチスの犠牲者の闘いについて繰り返し言及がありました。たとえば、歴史家のクレメンス・マルティン・ヴィンターは、ライプツィヒ強制労働収容所HASAGの「忘れられた歴史」、とりわけ女性の状況について講演を行いました。

 

日本の研究者同僚たちはドイツの過去への対処の仕方と日本の状況を比較し、しばしばドイツははるかに良い方法で戦争責任と向き合っているという印象を持ちます。そして実際、今日に至るまで、ナチス政権、第二次世界大戦、ホロコーストにおけるドイツの犯罪を認めるという社会的合意が(少なくとも現時点では)ドイツでは存在しています。しかも、それに応じて、教育や追悼の活動もある程度支援されており、たとえば強制収容所の記念碑や教材もつくられています。

 

しかし同時に、「われわれドイツ人はもう十分やってきた」「この部分の歴史を取り扱うことに終止符を打つべき」と考える人も少なくありません。一般に、特に若い世代では、ナチスの歴史に対する関心は1990年代よりもかなり低くなっているように思えます。それに呼応して、ナチズム、第二次世界大戦、ホロコーストに関する歴史研究・記憶プロジェクトに対する資金援助も減少してきています。

 

さらに、今日に至るまでドイツは被害者に十分な補償をする気がないことも事実です。例えば、ギリシャやイタリアではSS(ナチス親衛隊)による虐殺の生存者の法的紛争が続いていますが、ドイツ政府は補償を拒否しています。そして実際、その法的論拠は日本政府とほぼ同じであす(この問題はギリシャやイタリア政府への戦後支払いですでに解決済み、個人請求は不可能、など)。

 

ですから、市民社会の活動家たちが「慰安婦」生存者の闘いとナチスの犯罪の生存者の間の類似性を描くとき、それは生存者の長く厳しい闘いへの連帯のしるしとして - ここでもそこでも -、さらに、正義のためのグローバルな闘いにおける身振り(活動形態)として理解することができるのです。しかし、問題なのは、「慰安婦」事件は、女性に対するジェンダーに特化した犯罪であり、性的暴力、すなわち、歴史の中で繰り返し見過ごされ無視され、最近まで不正義と認識されなかった暴力形態についての特殊性があることです。ある意味で、慰安婦の闘いをナチスの犯罪の生存者の闘いと混同することは、「慰安婦」の苦境を矮小化し、脱男性化する危険をはらんでいるのです。

 

II層: ドイツ国防軍と親衛隊による性的暴力

 

ドイツにはナチスの犯罪を記憶する文化が(多かれ少なかれ)あると断言できる一方で、SS(親衛隊)や国防軍の兵士による性的暴力は、公共の議論、政治、法律において、ほとんど知られていないことも認めなければなりません。1998年、ドイツ軍のソ連殲滅戦におけるセクシュアリティと暴力の絡み合いについて研究し始めたとき、私は何人かの男性同僚に助言を求めました。彼らは、性的暴力が蔓延していたことを少しも疑っていませんでしたが、出典(資料的根拠)がないと主張していました。今にして思えば、彼らには性暴力の加害があまりにも自明であったため、その形態や原因をより深く調査する必要がないと考えたのだろうと思います。あまりにも身近なことなので、気づかなかったのでしょう。

 

1990年代半ば以降になって初めて、「慰安婦」事件や旧ユーゴスラビア、ルワンダでの戦争中の大規模な性暴力が国際的に注目されるようになり、このテーマが検討されるようになりました。現在では、以下のような研究が進んでいる「ます。ドイツ兵やSS(親衛隊)、そしてその協力者たちは、占領下の国々でさまざまな形態の性的暴力を行ったこと。彼らは女性や少女、時には少年や男性に服を脱ぐことを強制し、彼らの意思に反して身体に触れ、性器を叩き、性的に拷問し、性器実験を行い、レイプし、性的に奴隷にしたのです。さらに、日本軍と非常によく似た論理で、ドイツ国防軍もすべての占領地に兵士のための売春宿を設置しました。

 

しかし、この歴史の部分に関する知識や議論は、主に特定の学術研究分野に限定されており、ドイツの公共的な場で表面化することはほとんどありません。現在に至るまで、被害者としての権利を主張する原告はおらず、そのためこの話題は学問の象牙の塔にとどまっています。

 

これに対抗するため、「平和の像(慰安婦像)」がドイツのフェミニストたちを刺激して、日本とドイツの比較を描き出し、第二次世界大戦中にドイツ兵が占領地で女性に何をしたのかという問題にドイツ人を敏感にさせようとしています。実際、この像が除幕される場所では、ドイツ国防軍や親衛隊による性的暴力についても言及されています。例えば、ベルリンでの除幕式では、Omas gegen RechtsMedica MondialeRavensbrück記念館の代表者が、異なる視点から(「慰安婦問題」との)関連性を指摘しました。ミュンヘン、ドレスデン、ライプツィヒ、カッセルなど、この像が展示された他の場所でも、主催者はインザ・エシェバッハや私のような学者を招き、国防軍やSS(親衛隊)による性的暴力について講演会や討論会を開きました。

 

(田中による追加説明追加:

Omas gegen Rechts=「極右に対抗するおばあちゃんたち」というオーストリアとドイツの反極右運動組織

Medica Mondial=性暴力の被害を受けた女性や少女のための医療、心理、法律、社会的支援、政治活動を行うケルンの組織

Ravensbrück=ラーフェンスブリュック強制収容所<主に女性を収容していたドイツ東部ブランデンブルク州の収容所で、12万人以上の女性が収容され、6万人以上が死亡したと言われている>記念館)

 

このように、ドイツの「平和の像」は、私たち自身の歴史に関する記憶と疑問を呼び起こします。また、ドイツとヨーロッパの歴史のこの部分に関する歴史的知識を広めるために、この像が意図的に使用されることもあります。さらに、このアプローチは、「慰安婦」というトピックがなぜ自分たちと関係があるのかをドイツ人に理解させることも目的としています。

 

しかし、「慰安婦像」を国防軍や親衛隊による性暴力と混同することで、「慰安婦」体験の歴史的特殊性を見失ってしまう危険性があります。第二次世界大戦末期に連合軍兵士、特にソ連赤軍兵士がドイツ人女性に対して行ったレイプの記憶を「慰安婦像」を訪れる人が呼び起こすとき、このリスクはさらに目につくようになります。

 

例えば、日本政府や日韓の歴史修正主義団体が反対運動を始めた当初は、(ミッテ区内の美術品の配分配置に責任を持つ)ミッテ区議会の一部の議員たちは、この像があまりにも微妙な話題で、日韓の「歴史論争」に過ぎないとして、撤去に賛成していました。そこで自由民主党(FDP)は、「平和の像」を撤去し、代わりに第二次世界大戦中の性的暴力の犠牲者全員、さらにはそれ以降今日に至るまでの犠牲者を記念する共通の像を作ることを提案したのです。

 

しかし、こうした一般的な像では歴史的な特殊性は失われてしまいます。結局のところ、このような記念像は、性的暴力が行われたときに誰が誰に何をしたのか、そしてその歴史がいつどのように語られ、黙殺されたのかを、像を見学に来る人が理解する助けにはならないだろうと私は思います。それどころか、レイプ被害者に対する単に一般的な共感を生むだけの記念像になってしまうでしょう。フェミニストの記憶活動は、従って、「慰安婦」像が恒久的な場所になるようにロビー活動を行い、同時に、他の歴史的構成要素に関する像をもっと建てるべきだというのが、私の主張です。

 

III層:戦時・平時における性暴力被害者のための一般的な啓発活動

 

ベルリンでの「平和の像」の開幕セレモニーのために、韓国協会は報道関係者向けに参考資料集を作成しました。その中では次のように述べられています。

「平和祈念像の設置は、これまで満たされなかった(「慰安婦制度」の)生存者の認識、再評価、謝罪の要求と、武力紛争と平時における女性に対する性暴力の連続性に注意を向けることを意図しています。「慰安婦」の歴史は単に過去に属するものではなく、現在に至るまで続いていることを強調することが目的です。」

 

実際、この像の前で講演する人は、まったく異なる最近の性的暴力の事例にも繰り返し言及しています。例えば、ベルリンでのオープニングでは、政治学者のKein Nghi Haが、ベトナム戦争中の韓国人兵士によるベトナム人女性への性暴力に注目しました。この講演者を招待することで、韓国協会は、被害者としての韓国人女性だけでなく、加害者としての韓国人兵士も重要な問題であると考えていることを指摘しました。さらに、(イラクに住む少数民族)ヤジディ教徒の女性評議会のヌジャン・ギュネイ氏は、「慰安婦」の運命とISIS(イスラム国)によるヤジディ教徒の女性への迫害を結びつけました。

(田中による説明追加:

イスラム国は2014年8月以降、イラクのヤジディ教徒の子供や女性たち6千人余りを戦利品として誘拐し、シリアへ移送して奴隷として売り飛ばした。その中には、一人あたり1000ドル<約10万円>で売られ、イスラム教へ改宗させられたうえに結婚を強いられた女性たちもいる。さらに、高齢者や男性など数千人が殺害されたとする報告もある。)

 

カッセルの「平和の像」の開幕式では、クルド出身の女子学生が多く活動している学生会の「外国人部門」の代表が、トルコの刑務所でのクルド人女性に対する性的拷問について発言した例も紹介されています。

 

2月にロシアによるウクライナ全土への戦争が始まって以来、「平和の像」を訪れた人たちから、「こんなことがまだ続いているなんてひどい」という声も繰り返し聞いています。また、8月にブランデンブルク門前で行われた「慰安婦記念日」では、講演者がウクライナの女性たちとの連帯を表明していました。

 

全体として、「慰安婦」は、世界中で戦時中の性暴力の犠牲者を想起させる試金石となりつつあるように思えるのです。さらに、韓国協会のナタリー・ハン氏とその協力者たちは、この像を用いて、学校、特に女子生徒のグループに対する教育活動をしています。その際、男女関係における権力と暴力について、少女たち自身の体験に場所を与えることに重点を置いています。この文脈で、「平和の像」はもう一つの教育的機能を獲得し、社会福祉と女児の自信強化の方向へと向かっています。

 

第Ⅳ層:ドイツにおける脱植民地化と移民・難民の可視化をめぐる闘い

 

2021年夏、ドレスデン市立博物館は、「言葉にならないことー大声の沈黙」と題する展覧会を開催しました。展覧会の告知は、次のように述べています。

 

戦争、大量虐殺、迫害、追放、移住といった集団的トラウマは、共同体の(集合的)記憶に深い痕跡を残します。そうした記憶は、人々がどのように感じ、考え、社会的に行動するかに深い影響を及ぼしています。彼ら(戦争被害者)に共通しているのは、経験したことを言葉にするための言葉を探していることです。一見、言葉にならないものについて、どのように語ればよいのでしょうか。喪失と暴力の経験の後、社会はどのように言葉を失う状態を克服するのでしょうか。(中略)この展覧会の中心的な関心は、植民地時代の遺産、不正義、収奪、そして出身共同体の回復と返還を求める努力を可視化することなのです。

 

この展覧会の学芸員が韓国協議会の参加を招聘しました。韓国協議会は、ブロンズ像を美術館の前に設置し、さらに、かつて植民地であった日本に正義を求める女性たちの闘いに焦点を当てた展示空間をデザインしました。このスペースには、「平和の像」のブロンズ像のプラスチック版も展示されました。このように、この像は脱植民地化と過去との折り合いをつけるための闘いの象徴として描かれたのです。

 

韓国協議会は、「ブラック・ライヴズ・マター」運動をきっかけにベルリンで結成されたさまざまな移住の背景を持つ人々の同盟の一部でもあり、彼らの経験や歴史をドイツの公共空間に含め、その経験や歴史を誰にでも分かりやすくすることを要求しています。そしてこれまでに、平和の像は彼らの闘いの一部となったのです。たとえば、2020年11月25日にベルリンのジャンダルメンマルクトにて開催された「We are the statue of peace(私たちが「平和の像」だ)」と題された集会で、登壇者の一人ニヴェディタ・プラサードが明らかにしたように、ドイツには移民の存在を証言する記念碑はごくわずかしかないことを指摘したのです。

 

ベルリン・ケーペニックには、ドイツ人男性アーティストによる1970年代の「ベトナム人の母と子」像もあり、この像は、ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)にやってきたベトナム人ボートピープルの運命を思い起こさせるはずです。しかし、これらの像には説明のプレートがなく、なんのための像なのか分かりにくいです。

 

さらに、2012年4月5日に公道で射殺されたブラク・ベクタスの追悼碑があります。この事件は、ドイツに住む有色人種であれば誰にでも起こりうることですし、現在でもそう考えられています。2020年からは、ノイケルンのオラニエン・プラッツにも、人種差別と警察による暴力の犠牲者を追悼する石碑が建てられています。

 

これらに加えて、現在ベルリンでは、トルコ軍が1万3千人人以上の市民を殺害した1937/38年のデルシム虐殺を記念する記念碑建設が計画されています。この虐殺は、(クルド人のトルコ)移住によって起きたもので、ベルリンのクルド人の集合的な記憶にも焼き付いています。「このような集合的な経験は、何世代にもわたって反響し続け、世代間の記憶やトラウマに対処するために、認識や記念が重要な手段になり得ることを、私たちは知っています」とプラサードはコメントしました。

 

(田中による説明追加:

「デルシムの大虐殺」=1930年代の新生トルコ政権はトルコ民族主義の立場から他の民族に冷淡な姿勢をとり、とりわけ東部に住む「国家なき最大の少数民族」であるクルド人には参政権剥奪などひじょうに厳しい姿勢をとった。軍部を筆頭とする世俗勢力は1936〜39年にかけて南東部デルシムで自治を求めた1万4千人近いクルド人を虐殺した。これは、第一次大戦時に発生したアルメニア人の大量虐殺に次ぐ大規模なトルコにおける虐殺事件。)

 

ドイツは何十年もの間、移民と難民の国でした。ここで明らかになるのは、この5つの記念碑が、決してここドイツに住む人々の経験を代表しているわけではないということです。この文脈で、この像は、ドイツにおける韓国系、あるいはアジア系のコミュニティの歴史と経験を表すものでもあるのです。

 

結論

 

ある文脈で作られた彫像を、その文脈から外して別の場所に置くと、それを見たり理 解したりするために、再度位置づけなければなりません。意図的に、あるいは意図せずとも、新たな意味の層が生まれ、他の出来事や経験との接点が開かれます。このことは、連続性を可視化し、連帯を可能にするというプラスの効果をもたらします。しかし、「慰安婦」事件の特殊性が失われる恐れがあり、また、他の問題のために道具化される危険性もあるため、負の効果も持ちうるわけです。

 

このことをよりよく理解するためには、像が建立され、受け入れられているそれぞれの(国家的/政治的/地域的)空間において、像がどのように理解され、取り扱われているのか(守られているのか、あるいは軋轢の原因となっているのか)を文脈化することが有用であろうと思われます。

 

(田中利幸 訳)