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2019年8月17日土曜日

権力と徹底的に闘う元教師


増田都子さんによる「札幌講演」報告

 8月10日の札幌での私の講演会には、知る人ぞ知る、想像力あふれる平和教育を実践するために権力=(石原慎太郎都知事下の)都教育委員会の執拗な抑圧といやがらせに抗して徹底的に闘った元教師の増田都子さんが、わざわざ東京から駆けつけてくださいました。ちなみに、増田さんは、2008年に多田謠子反権力人権賞を受賞されている、筋金入りの市民活動家です。増田さんのすばらしいところは、権力による抑圧に長年苦しめられてきたにもかかわらず、「人生って楽しい!」という明るい気持ちがもろに周りにいる人に伝わってくるところです。
 実は、この講演会では、私の他に、増田さんを含む数名の方たちが、いかに天皇制に原因する様々な差別と闘ってこられたかをお話しされました。ところが、この方たちが話されているとき、私は、回収された質問用紙に書かれている質問に目を通し、どの質問にどう応えるかについて考えを集中させていたため、この方たちがどのようなお話しをされたのか、ほとんど頭に入っていませんでした。
 増田さんが東京に戻られてから発信された「報告」を拝見して、はじめてその内容を知りました。発言者の方たちには、たいへん失礼をいたしましたことを謝罪しますと同時に、すばらしい発言者の方たちをお招きしてくださった実行委員の方々(とくに松元保昭さん)と、簡潔に発言内容を紹介していただいた増田さんに深くお礼を申し上げます。
  ここに、増田さんのご許可をいただき、増田さんの「報告」全文を紹介させていただきます。

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皆様
 以前お知らせしましたが、10日(土)、札幌エルプラザであった「『いま考えよう 万人平等と天皇制――天皇制廃止に向けての第一歩――』田中利幸 講演会」に参加してきました。

田中さんは「明仁天皇への公開書簡」 
において大いに注目された方です。
 最初、実行委員の方から誘われた時、ハイシーズンど真ん中料金(笑)なので、年金生活の身にはお財布に厳しく躊躇していたのですが、田中利幸さんのお話を直接聞けて発言の場も用意してくださる、という魅力に負けて(笑)参加することにした、という事はお知らせしました。

 そして、今、この選択はすっごく(笑)正しかった! と確信しています。「♬お値段、以上、♬○○○」(笑)じゃありませんが、私の財布に同情してくださった主催者の御一人のご厚意によって、翌日、まる一日「小林多喜二の足跡を見たい」と念願していた私のために小樽を案内していただいたことも含め、倍以上(笑)に得るものがありました!

では、順を追ってご報告!

1、参加者は部屋の定員90名を予定していたところ、130名の大盛況で用意していたレジュメが足りなくなったということでした。この「レジュメ」がまた分厚くて、田中さんご自身が作成された講演概要が「公開書簡」も含めて37ページもあり、各発言者の用意原稿や資料なども入れて全部で60ページにもなるというもので、実行委員の方々の労力は大変なものだったと思います。でも、そのおかげで、あとでこれを読みながら、議論をよく反芻できました。

2、田中さんのお話はパワーポイントで映像&言葉を映し出しながらの熱のこもったもので、予定時間の80分を超え130分にも及びましたが、全く退屈なところはありませんでした。

3、第一には「日米軍事同盟の原点としての『原爆正当化』と天皇免罪・免責の共同謀議」という問題です。

 「招爆責任」=「原爆を招いた責任」は、沖縄で米軍に打撃を与え、できるだけ有利に戦争終結に持ち込もうと、ずるずると原爆投下まで招いてしまった「昭和天皇の責任」と、「招爆画策責任」=「ソ連の対日参戦を避けるために、原爆を使用しなくとも降伏することは分かっていたのに、原爆が完成するまで日本が降伏しないように仕向けたトルーマン政権の責任」、そして戦争終結後は、この二国の支配層がその「戦争責任」を隠蔽しあい「昭和天皇免責」のために、画策しあったこと。

 「それは いまも それぞれの国の『民主主義』を強く歪め続けている」ので「『戦争責任問題』は決して過去のことではなく、いま現在のわれわれの生活にもろに影響している決定的な政治社会要因」なのです。

 第二には「天皇裕仁の免罪・免責を目的とした憲法第1章と29条の設定。
 印象に残ったのは裕仁天皇の「終戦の詔勅」は「原爆から人類を救うため(ポツダム宣言受諾)」などという記述があるけれど、迫水久常内閣書記官長の第一案には全くなく、これは第三案で安岡正篤が入れたもので、

 86日、9日の戦争指導会議(御前会議)において原爆については全く触れられたことはなく、国体=天皇制を守りながら、どうやってポツダム宣言を受け入れるか、それだけを議論していた、というところです。

 で、挙句の果てに「自らはどうなってもいいから国民を救おうと終戦にした」なんぞと、裕仁天皇自身が真っ赤なウソを公言しながら、現在も国民を欺き続けているのです。しかし、こういう基礎的な歴史事実も通常は日本の学校の歴史教育においては教えることができません。

 その歴史事実を中学校社会科教員として教えた私は「公務員不適格」!? ってことで石原慎太郎(都教委)に分限免職され、裁判所も「免職正当」!? なんていうのが、日本国憲法下の「民主主義国家日本」の実態です。

 本題の田中さんのお話に戻ります。「極めて重大な問題は、憲法第1章1条~8条と29条が、裕仁の『戦争犯罪と戦争責任』を帳消しにするために設定されたという、この厳然たる事実」です。

一国の憲法が、その国家の元首の個人的な『戦争犯罪・責任の免罪・免責』を意図して制定されたこと。憲法第1章で規定された国家元首の、本来は問われるべき戦争犯罪責任を、第29条の平和条項で隠蔽してしまったこと。このような形で制定された国家憲法は、人類史上、また各国現行憲法の中でも、日本国憲法以外に世界のどこにもないのではなかろうか。」「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免責の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?

 ここは、本当に「目から鱗」! のご指摘です。なんとなくボヤ~っと感じてはいたけれど、初めて焦点を結んで実像が明瞭に見えた、って感じ(笑)…日本国憲法は、確かに歴史事実として東京裁判からの「裕仁天皇&天皇制」救済憲法だったのです! でも、憲法学者の先生たちは、あんまり、という、ほとんどいうか、この点を指摘する方はいらっしゃらないですよね…ま、私が知らないだけかもしれませんけど…

 そして、第三には「憲法前文、9条と第1章の根本的矛盾」…これも確かに! 前文は「平和とは人権の問題、生存権の問題であり、地球的・普遍的正義論の問題であり、国際協調主義である」「一国の憲法前文でありながら、普遍的、世界的な平和社会構築への展望を展開しているという点で極めて特異な前文」「9条と前文は一体となって『あらゆる戦争の非合法化』に向けての展望をすら内包

 しかし「GHQは政治的意図から、天皇裕仁の戦争責任をうやむやにしてしまい、憲法第1章を設置した。つまり、憲法前文で『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し』と主張したにもかかわらず、その『決意』が、実は、戦争最高責任者の天皇の責任をうやむやにしたままでの『決意』だったわけである。しかも、天皇制という制度は極めて日本独自のものであって、憲法前文で唱えられている『人類普遍原理』とは根本的に矛盾する」

 だから「憲法1章とその運用が『民主憲法』の精神に根本的にそぐわず、憲法の他の部分とそぐわないのも当然であって、本当は全く不思議なことではない」

 私自身は、この「矛盾」をなんとか最小限に抑えるために第41項「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」が存在すると考えるのですが…つまり、明仁さんや美智子さんが天皇&皇后として30年間行い続けた「国民への御慈愛活動」などを「象徴行為」と称して実行し続けたことは全くの憲法違反であり、日本国憲法を破壊し続けたと思います。

 それで第四として、田中さんは「明仁天皇宛公開書簡の目的」は「天皇『人間化』の試み」と言われます。

 日本を本当に民主主義にするためには「我々大衆の意識の中で『天皇は特別に崇敬すべき』と捉えられている存在から、長所短所の様々な性格要素と喜怒哀楽を持った『我々と同じ人間』としての存在になるまで変革するということ、すなわち『我らの内なる天皇制打破』」「我々の側の意識変革が『象徴権威』を打破するためには必要であるし、天皇制廃止のためには『象徴権威』の打破は欠かせない。その点で、個人書簡は、受取人と対等の立場に立ってものを言うことで、相手を一人の『人間』として扱うためには極めて有効な手段である」と思う、という事でした。

 敗戦後、その試みをした三つの事例、1946年の「食料メーデー・プラカード事件」裁判、1951年の京大訪問天皇裕仁への公開質問状…今回の「公開書簡」はこれを参考にされたそうです…、裕仁を狙った1969年「パチンコ玉発射事件」について紹介されましたが、田中さんの著書『検証「戦後民主主義」――なぜわたしたちは戦争責任問題を解決できないのか』(三一書房)をぜひ、ご購読ください!

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休憩後、あの植村隆さんから「本日は私の闘いについてではなく、『週刊 金曜日』発行人としてお願いします。今度の89日号では『記憶されない歴史は繰り返される』として、田中さんの『公開書簡』を含めて『敗戦特集』を組みましたので、ぜひ、ご購読ください」(笑)という趣旨のお話がありました。

発言者の一番バッターとしては私が指名されました。「持ち時間は8分間」ですので、私は上記した「天皇の『象徴行為』と称しての『御慈愛活動』などは全く憲法第4条に規定された『国事行為のみ』…つまり、天皇は国事行為しかしてはいけないので、完全な憲法違反で主権者国民はこれを許してはいけない、ということ、それにもかかわらず、最近は「えっ? こんな方まで明仁さんを『アベと対立する護憲天皇』などと賛美しているの?」という状況にある事、そういう人にはぜひ、芥川賞作家の目取真さんのブログ『海鳴りの島から』(2018-03-26
https://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/beff11192c8c14af36611d246cee5fd3を読んでいただきたい」ということを中心に話しました。

 812日の時事通信「沖縄の遺族会会長『平和への思い、引き継いで』=両陛下に期待」
を読むと、目取真さんは「沖縄への慰霊の旅を重ねてアキヒト夫妻は沖縄人のからめとりを追求してきた。それは一定奏功したように見える。」と書かれていますが「アキヒト夫妻」による「沖縄人のからめとり」は「一定奏功」どころではなく「大々的成功をしている」と言わざるを得ない状況に思えます…あれだけマスゴミあげての大宣伝では仕方ない結果かもしれませんけど…

 でも、札幌エルプラザには諦めない人たちが集っていました。安積遊歩(ゆうほ)さんは「生後約40日で骨形成不全症と診断される。1983年から半年間、アメリカのバークレー自立生活センターで研修を受け、ピア・カウンセリングを日本に紹介」という方です。https://www.jinken.ne.jp/challenged/asaka/asaka3_b.html

車いすで介助を受けながら、しっかり活動しておられます。1968年、施設にいた小学生の頃、明仁&美智子さんの「慰問」という御慈愛活動の対象として選ばれ…「会える子と隠される子」がいた、と…美智子さんと話をしたことがあるそうです。明仁さんは「顎をしゃくって」この子はどこが悪いのかと園長に尋ねていたそうです。

その彼女が、札幌市でアベが参院選の遊説をした時に、ほんの少しヤジを飛ばしただけで警察に押さえつけられたことで、抗議活動をしている若い人を紹介されました。

 若い人たちが頑張っているのは本当に嬉しいことですね! 警察の対応は、日本が本当に「民主主義国家」ならあり得ないことです!

 次の花崎皋平さんのお話の中で印象に残ったのは「記憶すること、忘れないこと」と話されたことです…でも、それが、普通の庶民生活では、本当に本当に難しいのですよねぇ…

 谷百合子さんはジェンダーの視点から「天皇制と女性差別」について話されました。「身近なミニ天皇をなくしていくことと同時に、性別役割分業が国家・家族の強化となっていき、やがて『国家・家族を守るため』の戦争につながらないように見張っていきましょう」!

 金時江(キム シガン)さんは「19501220日の守山(現名古屋市守山区)朝鮮学校で警官に窓の外に放り出される女の子の写真を見ると、今も心が痛む」というところから話され、許南麒(ホ ナムギ)の『一九四九年十一月二日』という詩を朗読されました。日本人の一人としては、とても、心が痛い詩です。ネット検索したら、ある方のブログに載っていました。

このブログの方の以下のご意見に心から賛同します。

「朝鮮学校の無償化除外は、歴史の誤りを助長するという意味において、まず日本人の問題なんだし、何よりも日本人にとって、不幸なことなんだけれど。」

                                      本日は(笑)以上です。

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実は、増田さんの「報告」には、続編「小樽の小林多喜二住居跡、小樽商科大等いろいろ見学」があるのですが、長くなりますので、これについてはまた別の機会に紹介させていただきます。

 最後に、8月9日にインターネット・サイト「ちきゅう座」に、内田弘さん(専修大学名誉教授)が書かれた、拙著『検証「戦後民主主義」:わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』の書評が載りましたので、紹介させていただきます。下記アドレスでご覧ください。
http://chikyuza.net/archives/96026



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