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2015年4月1日水曜日

四國五郎の絵画

 
四國五郎回顧展が4月8日〜20日の間、日本銀行広島支店で開かれます。

この回顧展を企画している池田正彦氏と、私の2人の四國五郎評論を紹介します。

四國五郎の画業と詩の原点

記憶の再生を促している
池田正彦

  四國五郎さんは画家として厖大な仕事を残しており、四国五郎追悼・回顧展(2015・4月8日~20日)で、その一部が公開される。
  今回この展示にかかわり、戦前の少年期に描かれた挿絵などを見る機会があった。それは、少年が描くタッチではなく、熟練の線描がそこにはあった。正直驚き、そして納得した。
  残された「母子像」に代表される油絵などの大作、わが街シリーズ、広島百橋、「絵本・おこりじぞう」などの画業に汲めども尽きぬ魅力を感じ、自他ともに認める四國ファンの一人だが、その源泉は、少年期の「挿絵」にあることを確認する作業でもあった。
  横路に逸れるが、私は少年時代、街の片隅で映画の看板描きの姿を日がな一日見たことがある。小さなプロマイド一枚を片手に、大画面で俳優が生きるのである。見事という以外にない。幸せな気持ちでいっぱいになった経験がある。―四國さんもそんな少年であったに違いない。
  さりげない庶民の風俗をすくい取る視線は少年時代からの鍛錬にある。
  私は、以前「芸州武一一揆」や「詩画集・母子像」の挿絵が、貧しい農民を題材としたドイツの画家・彫刻家ケーテ・コルヴィッツの画風と重なり、「挿絵画家」としても大家をなしたであろうと述べたことがある。
  そんなところに惹かれるのは私だけであろうと自負していたが、もう一人いたのだ。広島市立大学・田中利幸教授は、四國さんの仕事全体を評し「ケーテ・コルヴィッツの作品に通じるもの」「反戦・反核の記憶を喚起する力がある」と言う。同時に「過去の記憶を内在化する重要性」を指摘している。
 ところで、四國さんの仕事として忘れてならないのが詩作である。本来なら詩集が何冊か刊行されていてもおかしくないくらい多くの詩を書かれているが、詩風は多くの人がご存じの絵のように品のあるリアリズムである。広島市の広報紙や「広島スケッチ」「広島百橋」などのキャプションにそのセンスは発揮された。
 単なる説明書きと思われる方も多いと思うが、よく読んでほしい。そこにはウイットに富んだ詩的な流れがあり、自らの記憶をうまく織り込み独自の世界を構築していることに気付くはずである。
  峠三吉らとはじめた「われらの詩」では、表紙や「辻詩」、詩作と多彩な活動を展開。その中での詩作は、峠三吉に次いで多い。
 被爆し、死の直前まで綴った記録、弟(直登)の日記を、<人生で方向を見失いかけたときは、これを読みかえせ 五郎よ!>と自らに言い聞かせ、生涯指針とした。
 この時代の代表作「弟の日記」は「われらの詩・12号」(1951・9)に発表され、改作し「弟への鎮魂歌」(詩画集・母子像)となった。
  弟よ/流出する血液を/うつろになってゆくわが目でたしかめつつ死ぬのでなく/洗面器に吐いた血は/すばやくきみの目からとおざけるおふくろがいたのだから/頭髪が抜けおちれば鏡をひたかくし/たとえ薬も医者も看護婦もなくても/うち割られてくされてゆく片足を/よっぴいて抱きしめてくれるおふくろがいたのだから/(略)/おふくろの両腕の中できみは死ねたのだから/
と、骨太いリアリズムの手法で弟の被爆死を慟哭し、
「母子像」の原点とした。
さらに、「五郎よ」では、
  おまえは/見なかったとはいわさぬ/消え去ったふるさとを/かしいで骨をさらしたドームを/五郎よ/おまえは/きかなかったとはいわさぬ/根こそぎ消え去った人々の名を/弟と恋人の段末を/老いた母の嗚咽を/(略)/五郎よ/おまえは/アオザイをそめてゆく血潮に眼をしばたたくとき/パレットナイフで削りとった切り口から/ひろしまの怒りと悲しみが/層をなして滲みだしてくるのを描け/
この時期たくさんの反戦詩が生まれたが、「過去の記憶を内在化」し、自分の痛みに転化したい。
四國さんは、ヴェトナムへの連帯と自らの決意を高らかに宣言した。
  「わたしは、母子像して抑圧を、侵略を、非人間を描きたい」―絵においても詩においても、
その主軸はゆるがず、そのように生き通した89年であった。
   四國さんからいただいた「詩画集・母子像」には、「ひとの悲しみが わたしの胸底から怒りをひき出しますように」とのサインがある。
  他者の「かなしみ」を内在化し、「怒り」を呼び起こし、表現しえた稀有な人だった。広島はこの人の「優しい視線・静かな怒り」をどのように受け継ぐべきか戸惑っている。
              (2015・3・27)


四國五郎の絵画に見る「痛みを芸術に変える創造力」
田中利幸

四國五郎は、反戦平和運動ポスター、絵本や児童書の挿絵、広島の街並みと庶民生活のスケッチなど大量の作品を遺したので、彼の作品の特徴を一言で描写することはとてもできない。しかし、圧巻は、何と言っても「母と子」をモチーフとした『黒い雨』や『ベトナム』のシリーズ絵画であろう。戦火に襲われ我が子を必死で救おうとする母、子供の死骸を前に悲しみに打ちひしがれる母、母親が死んだことを理解できず呆然と座り込んでいる幼子。こうした悲惨な状況は広島・長崎の原爆無差別大量殺戮やベトナム空爆によって殺傷された多くの母子にだけではなく、残念ながら、あらゆる戦争で見られるおぞましい光景である。四國五郎は、あらゆる人間関係を根底から破壊する戦争の恐ろしさを、最も根本的な人間関係である「母と子」の死別の描写に象徴化させた。そこには、四國自身の生前の言葉、「他人の痛みも世界で起こっている戦争に対する痛みも我が身に置き換えて考える」という「他者の痛み」の深い内面化、すなわち「他者の痛みを自分の痛みとする」ことが、絵画という芸術創作を通して実践されている。彼の絵が人の心を激しく動かす理由は、戦争によって引き起こされた自己のみならず他者のトラウマ=痛みを、母子に代表させる形で、強烈なイメージで描き出しているからである。

原爆で最愛の弟を失った四國の絵画に、第1次世界大戦で息子を失ったドイツの芸術家ケーテ・コルヴィッツの作品との共通性が見られるのも、したがって、不思議ではない。コルヴィッツは、子供を戦争で亡くした母親の癒しがたい精神的打撃と深い悲哀という普遍的テーマを、『戦争』と題された版画シリーズで見事に描き出した。四國の絵画が、コルヴィッツの作品から多大な影響を受けていたことは間違いないであろう。この2人の作品から共通して感じられるのは、「すばらしい作品を創りたい」という個人的な欲が全くなく、四國自身の言葉を再び借りれば、「死んだ人々に代わって絵を描こう……芸術になろうがなるまいが」という強い精神力である。それは、私自身の言葉で置き換えれば、「痛みを芸術に変える創造力」である。この「痛みを芸術に変える創造力」が、2人の作品を見る私たちに力強い声で語りかけてくるのである。

下の絵は、四國五郎さんの「ベトナム」と「黒い雨」と題された2つのシリーズ画に含まれているものです。四國さんのご子息の光さんのご許可をえて掲載します。



 「ベトナム」シリーズから


「黒い雨」シリーズから



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