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2024年12月26日木曜日

「下田裁判」判決文から日本被団協ノーベル平和賞受賞まで

― 原爆無差別大量殺戮の罪と責任を再考する ―

 

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「下田裁判」判決は本当に画期的だったのか?!

 

*「下田裁判」の「画期的」判決文にもかかわらず原告敗訴 ― それは矛盾では?

 

最近NHKの連続テレビ小説「虎に翼」がひじょうな人気を博し、そのため主人公の猪爪寅子のモデルとなった裁判官である三淵嘉子の生涯もメディアが多いにとりあげるようになったようである。その関連で、彼女が関わった所謂「下田裁判」、別称「原爆裁判」も ― これまでその判決から60年以上ほとんど無視されてきたが ― にわかに注目を浴びるようになった。三淵が他の二名の裁判官と書いた判決文には、広島・長崎に対する原爆攻撃を「国際法違反」と断定する部分が含まれていることから、これを画期的な判決文だと賛美する声が ― 反核、反戦、平和運動などに関わっている市民運動家を含めて ― あちこちからあがっている。

   私はオーストラリアに住んでいるため、この連続テレビ小説を観る機会はないので、この番組についてコメントすることはできない。また、三淵の経歴についても私は全く無知であるので、彼女の法律家としての能力や生活信条などについてもコメントすることも私にはできない。ここで私がこれから述べることは、したがって、彼女が他の二人と書いた「下田裁判」の判決文だけが議論の焦点であり、テレビ番組や三淵個人のこととは無関係であることをお断りしておく。

   広島・長崎に対する米軍による原爆無差別大量殺戮が、当時の国際法に照らしても明らかに国際法違反の「戦争犯罪」であったという判断は、196312月の「下田裁判」の結審を待つまでもなく、2回目の原爆殺戮が長崎に対して行われた直後に、日本政府が米国政府に送った抗議文でもはっきりと表明されている。日本政府は、長崎原爆投下直後の194589日に、米国に対する抗議文を、スイス政府を通じて外務大臣東郷茂徳の名において送った。この抗議文の中で日本政府は以下のように述べた。 

 

聊々交戦者は害敵手段の選択につき無制限の権利を有するものに非ざること及び不必要の苦痛を与ふべき兵器、投射物其他の物質を使用すべからざることは戦時国際法の根本原則にして、それぞれ陸戦の法規慣例に関する条約付属書、陸戦の法規慣例に関する規則第22条、及び第23条(ホ)号に明定せらるるところなり。

 

抗議文はさらに,米国を以下のように厳しく非難している。

 

米国が今回使用したる本件爆弾は、その性能の無差別かつ惨虐性において従来かかる性能を有するが故に使用を禁止せられをる毒ガスその他の兵器を遥かに凌駕しをれり、米国は国際法および人道の根本原則を無視して、すでに広範囲にわたり帝国の諸都市に対して無差別爆撃を実施し来り多数の老幼婦女子を殺傷し神社仏閣学校病院一般民衆などを倒壊または焼失せしめたり。而していまや新奇にして、かつ従来のいかなる兵器、投射物にも比し得ざる無差別性惨虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する新たなる罪悪なり。

 

つまり、この抗議文では、原爆無差別大量殺戮が、1899年採択のハーグ陸戦条約や1925年に署名されたジュネーブ議定書に明白に違反しているし、実定法ではなかったが権威ある慣習法と見なされていた1923年起草のハーグ空戦規則案にも違反していると、決然と述べられているのである。原爆無差別大量殺戮が当時の国際法に照らして否定しようのない「戦争犯罪」であることは、この抗議文からも明々白々である。

この抗議文の起案者が国際法を熟知していたであろうことは疑いない。広島・長崎への原爆攻撃のみならず、他の都市への(焼夷弾を含む)通常爆弾空爆も国際法(ハーグ条約)違法であるという、無差別大量殺傷に対する鋭く厳しい糾弾となっている。中国各地で無差別空爆を行っていた日本が、国際法を持ち出して米国の無差別空爆を批難したこと自体が皮肉であるが、しかし、これが、日本政府が原爆攻撃に関して出した最初で最後の抗議文であった

したがって、下田隆一を含む5名の被爆者は、「下田裁判」の原告として、基本的にはこの日本政府の抗議文に沿った形で原爆無差別大量殺戮が国際法違反であると裁判で主張したのである。それは、自分たち被爆者には米国政府に対する損害賠償請求を行う権利があるという訴えの理由として主張された。さらに、原告側の鑑定人として意見を述べた国際法学者の安井郁(当時、法政大学教授)も、また被告の日本政府側として意見陳述を行った田畑茂二(京都大学教授)も原爆攻撃が「非人道的、無差別攻撃で国際法に違反する」と主張。政府側のもう一人の鑑定人となった高野雄一(東京大学教授)も、この二人ほど断定的ではないにしても「国際法違反の戦闘行為とみるべき筋が強い」と述べた。

よって、当時の最も権威ある日本の国際法学者のうちの3人が、原爆無差別大量殺戮が国際法違反であったという ― もともと被告側の意見でもあったのと ― 同じ意見陳述を法廷で述べたわけであるから、判決文で「国際法違反ではない」とか「国際法違反とは見なせない」などいう ― 被告の日本政府側に寄り添うような ― 判断を裁判官ができるはずがなかった、というのが実情だったのである。確かに、一国の裁判所がそのような判断を下したことに一定の意義はあったかもしれないが、決して「画期的な判断」による判決文などではなかったと私は考える。そんなに画期的な判決文だったのなら、なぜ原告側が敗訴したのか、という問いが残るはずである。それを問わずに「画期的」などと言うのは無責任である、というのが私の考えである。

私たちがここで考えなければならないのは、むしろ、降伏直前には原爆無差別大量殺戮が国際法違反であったと単刀直入に米国を批判した被告=日本政府が、戦後はその主張内容を180度転換して、破廉恥にも「国際法違反とは言えない」と米国に、尻尾を振るように媚をへつらう態度をとったこと。そのことと、そうした米国への政治的追従が、その後長年にわたって日本政府を原爆被爆者救済政策に極めて後ろ向きにしてきたこととの関連性である。

後述するように、「下田裁判」の判決文にもかかわらず、原爆の犯罪性が厳しく問われなかったことから、その犯罪の犠牲者である被爆者の戦争被害の実態も長年にわたって無視され、80年近く経つ今も多くの被爆者が原爆症認定や援護を受けるために苦しい裁判闘争を余儀なくされている。その一方で、被爆者は政治的には常に「唯一の核被害国の被害者」として「聖化」されながら、米国政府の責任も核抑止力の犯罪性も問わないままで、「究極的」核兵器廃絶というスローガンだけを唱え続ける政治家や御用学者に、核被害のシンボルとして都合良く利用され続けてきた。

このように原爆の犯罪性を不問にしたこと、その結果、放射能汚染被害を甚だしく軽視し、日本も核兵器製造能力を持つことを目指したことなどが、無批判で安易な原子力利用の導入・拡大を許し、結局は福島原発大事故を引き起こし、再び数多くの被曝者を出すことにもなってしまった。そして今や、「米国と核の共有」などという愚かな政策を提案する人間が首相の座に居座っているのが ― 首相になってからは公言を控えているようだが ―、日本の現状である。ちなみに、「核の共有」というのは言葉の遊び=欺瞞で、米国が非核兵器保有国と核兵器を「共有」することなど実際にはあり得ない。NATOが核兵器を使う場合にも、最終的決断権は米国が握っている。「核の共有」などと主張する者は、自分の愚鈍さを曝け出していることにすら気がつかない。

 

*「下田裁判」判決文は「画期的」どころか、重要な問題を孕んでいる!

 

この「下田裁判」を議論するときに私たちが注意すべきことは、この裁判は金銭による損害賠償を請求した民間訴訟であり刑事裁判ではなかったということである。賠償について法廷は「国家行為」の理論を適用し、政治的指導者の行為に対する国際法上の責任は、指導者個人にあるのではなく、国家にあると考えた。よって判決文では、次のように書かれている。

 

原子爆弾の投下を命じた米国大統領トルーマンに対しては、国際法上損害賠償を請求することができないと解される。けだし、国家機関として行った行為に対しては、国家が直接に責任を負わなければならず、その地位にあった者は、個人的責任を負わないとするのが国際法上の原則であるからである。

 

  指導者の行為に対しては国家が国際法上の責任を負うというこの原則は、確かにニュルンベルグ裁判が開廷する194511月までは有効であった。しかし、その後開廷したニュルンベルグ・東京両裁判で定着した、包括的な個人責任の原則とは明らかに矛盾している、という点に私たちは注目すべきである。ニュルンベルク裁判では、「国際法に違反する犯罪は、人間によって実行されるのであり、抽象的実体によって実行されるのではない。またそのような犯罪を実行する個人を処罰することによってのみ国際法の規定を執行することができるのである」と宣言されたことはよく知られている。(強調田中)

ニュルンベルグ裁判のための新しい国際法廷原則として打ち立てられたニュルンベルグ原則は、1946年の国連第1回総会で満場一致で採決され、1952年、国際法委員会によって改正された。よって、このニュルンベルグ原則によって、「指導者の行為に対しては国家が国際法上の責任を負う」という古い原則は無効になった、と解釈すべきなのである。とくに、ニュルンベルグの第三原則「国家の元首または責任ある公務員にして、国際法により犯罪を構成する行為をおこなった者は、国際法上の責任を免れない」が、そのことを明示している。

この原則に基づいて、ニュルンベルグ裁判ではヒットラー政権で航空大臣や国家元帥を務めたヘルマン・ゲーリングやナチ党総統代理であったアドルフ・ヘスなど24名が起訴されたし、東京裁判では首相であり陸軍大将であった東條英機や内大臣の木戸幸一など29名が被告とされ、有罪判決を受けた。よって犯罪を犯した国家指導者たちは、各人の罪を裁判で問われ、有罪となれば処刑や禁固刑という形でその責任をとらされた。

ところが、下田裁判の裁判官たちによって採用された上記のような古い原則をナチ政権・軍指導者や日本の戦時内閣と軍指導者に適用するならば、彼らはドイツ政府や日本政府のために行動していたのであるから、戦争犯罪の個人的責任を問われることはないはずという主張になる。つまり、ニュルンベルグ・東京両裁判の判決は間違っていたということになるのである。

トルーマンが戦争犯罪人として裁かれなかったのは、ニュルンベルグ・東京両裁判が「勝者の裁判」で、連合国側が犯した戦争犯罪は全く審理されなかったからであり、言うまでもなく、連合国側が犯さなかったわけではない。だからと言って、ナチス軍や日本軍が犯した様々な残虐な戦争犯罪が、犯罪ではなかったというような主張に正当性が全くないことは今更説明するまでもない。ちなみに、天皇裕仁が東京裁判で訴追されなかったのは、日本軍が15年戦争中に犯した様々な残虐極まりない戦争犯罪に関して彼に責任がなかったのではなく、天皇の権威を利用したいという米国側のもっぱら政治的な思惑から訴追されなかっただけのことである。

現実には、ニュルンベルグ・東京両裁判は、ニュルンベルグ原則に基づいて、被告人に対して、各人の犯罪行為に対する個人的責任を厳しく追求した。ところが、下田裁判では、すでに見たように、原爆攻撃を明らかに国際法に違反する「無差別大量虐殺」と判決文で認定したにもかかわらず、原子爆弾を使うことで「戦争犯罪」を犯した米国大統領トルーマンには「個人的責任がない」という判断を、裁判官たちは下したのである。要するに、三淵を含む3名が書いた「下田裁判」の判決文は、この点で決定的に矛盾しているのである。これが、「下田裁判」判決文を私が「画期的判決」とは見なせないと主張する第1の理由である。他の理由については次回詳しく述べる。

 

*結論:「広島·長崎への原爆投下を裁く国際民衆法廷」の意義

 

確かに、下田裁判は国際刑事裁判ではなく日本国内の民間訴訟であったので、トルーマンの罪を裁くことはできなかった。しかし、判決文では原爆無差別大量殺戮が国際法違反であったと明白に認定したのであるから、本来その責任が米国政府にあるだけではなく、その犯罪を一体誰が犯したのかをも明文化すべきであったのである。それを、こともあろうに、逆に「トルーマンには責任がない」と判決文で明記することによって、原爆無差別大量殺戮という由々しい「人道に対する罪」を犯した者たちの「罪と責任」を有耶無耶にしてしまった これは裁判官として失格であると私は考える。

この失敗を私たち市民の力で克服し、原爆無差別大量虐殺の罪を犯した犯罪人たちを、国際法に基づいて厳密に市民の手で裁くという民衆法廷 ― 広島·長崎への原爆投下を裁く国際民衆法廷 ― を、私たちは2007年に広島で開廷した。このことを、反核・平和運動に関わっている市民活動家は忘れないで欲しい ― これを忘れて「下田裁判 判決文は画期的だ」などと言ってもらいたくない!この民衆法廷の判決文では、トルーマン大統領だけではなく、ルーズベルト大統領や当時の米政府高官、軍指導者と軍人、科学者など、原爆開発、原爆使用決定と実際の爆撃に関わった複数の、原爆無差別大量虐殺の犯罪で最も責任のあった人物を訴追し、有罪と認定した。判決文は下記のURLで読むことができる:

https://docs.google.com/document/d/1WfCTQBqilbDpFmlblIGmWVbxb6EOClh0wB4cPMKb0Xw/edit?usp=sharing

なお、戦争犯罪は人間個人が犯すものであり、責任はその個人はもちろんのこと、国家も負うべきであるという論理はどのような理由から成り立つのかということについて、今ここで詳しく述べている余裕がない。これに関する詳しい説明は、拙著『検証「戦後民主主義」:わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』(三一書房)の第5章の(1)「罪と責任の忘却ハンナ・アレントの目で見るオバマ大統領の謝罪なき広島訪問」を参照してもらえれば光栄である。

 

― 次回に続く ―

 

 

 

 

 

2024年12月21日土曜日

2024 The End of Year Message II: Farewell to Michel Leunig !

さよなら、マイケル・ルーニッグ!

On 19 December, Michel Leuning, my favorite Australian cartoonist and poet, left this treacherous world, saying "the pen has run dry, its ink no longer flowing." I believe he is now happily smiling and chatting with angels, surrounded by beautiful birds and flowers with exquisitely melodious music, and sipping tea from his favorite cup next to a teapot.

マイケル・ルーニッグ ― 私の大好きなオーストラリアの漫画家で詩人― が1219日に「ペンが乾き切ってインクが流れなくなりました」と言って、この酷い現世(うつしよ)を去りました。今頃彼は、美しい鳥と花々に囲まれ、優美な旋律の音楽を聴きながら、大好きな急須と茶碗でお茶を飲みつつ、幸せそうに微笑みながら天使たちとおしゃべりを楽しんでいることでしょう。

 



https://www.youtube.com/watch?v=bTgwjq4PqKo

https://www.youtube.com/watch?v=l09GlrHjSEY

 

Dear Michel,

Although you are no longer with us, I am sure that your work will always remain in our memories. Thank you, Michel, for your wonderful cartoons and poems that you produced over many years. Your work comforted me when I was sad and unhappy, encouraged me to stand up against injustice, and constantly reminded me the importance of love and compassion. And thank you especially for allowing me to use your cartoon of indiscriminate bombing for free in the book I co-edited with Marilyn Young, Bombing Civilians: A Twentieth-Century History. If there is a heaven, I would love to meet you there again. ( https://www.amazon.com.au/Bombing-Civilians-Twentieth-Century-Yuki-Tanaka-ebook/dp/B0042RUF5W )

親愛なるマイケルへ

もう私たちから遠く離れてしまった貴方ですが、貴方の作品はこれからもずっと私たちの記憶の中に残るはずだと思います。マイケル、貴方がこれまで長年作り続けてきた素晴らしい漫画と詩に心から感謝します。貴方の作品は、私が哀しかったり不安だったときには慰めてくれ、不正なことには対抗する勇気を与えてくれ、愛と共感がとても重用なことを常に想い起こさせてくれました。また、私がメリリン・ヤングと一緒に出した著書 Bombing Civilians: A Twentieth-Century History (市民空爆:20世紀の歴史)の本の中で貴方の「無差別空爆」の漫画を無料で使う許可を与えてくれたことに、特に感謝します。 ( https://www.amazon.com.au/Bombing-Civilians-Twentieth-Century-Yuki-Tanaka-ebook/dp/B0042RUF5W ) あの世というものがあるならば、そこで再度お会いしたいものです。

 

December 22, 2024 (20241222)

Yuki Tanaka 田中利幸

 

 

誕生したキリストを探す3人の賢者

「グーグル・マップで<馬小屋+飼い葉桶>を探しても見つからないな……。ウーバー・タクシーを呼ぶよりほかないな〜。」

 

今年のクリスマス・パーティー

 

願いごと

 

精神的な健全さ、美しさ、やさしさ、思いやり

欲しいと思うなら、どれもみな簡単に手に入る大切なもの

気持ちのこもった寛容さ、耐え忍ぶ心と安らぎ

鶏、ムクドリ、アヒルとガチョウ

木々と花々、草と種

手と足と色鮮やかなビーズ玉

茶碗に入ったお茶、遠くから聞こえてくる鐘の音

山の上の浮雲、それに美味しそうな料理の匂い

庭のなかの小さな細道と、そのそばに置かれた木製の椅子

精神的な健全さ、美しさ、やさしさ、思いやり」

 

2024年12月18日水曜日

2024 The End of Year Message

1)The fourth movement of Beethoven’s Ninth Symphony, ‘Ode to Joy’ is ‘a song of joy for men who have won the women.’

2)Thoughts on Akira Kurosawa’s film Dream - Should today’s reality be called ‘nightmare’ ?

 

 

Work by Alisa Tanaka-King

1)The fourth movement of Beethoven’s Ninth Symphony, 'Ode to Joy,' is ‘a song of joy for men who have won the women.’

 

Every year at the end of the year in Japan, Beethoven’s Ninth Symphony is performed all over the country, and many citizens join the chorus to sing the fourth movement, ‘Ode to Joy.’ I don’t know when this became popular end-of-year event in Japan. In the West, it is very rare for the 9th Symphony to be performed at the end of the year, and instead the year-end program is usually Handel’s oratorio Messiah, famous for its ‘Hallelujah’ chorus, as a regular feature of the Christmas season.

It was unusual for the Melbourne Symphony Orchestra to perform Beethoven’s 9th Symphony on 29 November this year, so I went to the concert with my wife. The venue, the 2,500-seat Haymer Hall, was packed. I had not heard a live performance of the 9th for almost 20 years, so I was looking forward to it.

However, for the reasons explained below, when the fourth (final) movement, Ode to Joy, begins, although I am always deeply moved by the beauty of the melody and the power of the rhythm, I also wonder why such old male chauvinist lyrics are still sung today. I can’t help thinking that they should be rewritten. At the end of the fourth movement, the audience stood up and applauded wildly, but I didn’t want to get up from my seat, so my wife and I remained seated.

The text is taken from “An die Freude”, a poem written by Friedrich Schiller in 1785 to advocate love of humanity and revised in 1803. However, Beethoven added the introductory words and also significantly altered the original text when he used it in the fourth movement. This wonderfully powerful chorus begins with the following:

O Freunde, nicht diese Töne!

Sondern laßt uns angenehmere

anstimmen und freudenvollere.

 

O friends, not these tones!

But let’s strike up more agreeable ones,

And more joyful.

 

But “Freunde” does not just mean “friends,” it means “male friends”; and the word “Freundinnen (female friends)” does not appear even once in this song. And it is not just this opening lyric, but all the following lyrics in which “men” are the main characters. For example, the following lyrics are included here and there, with the usual English translation also noted below the German.

Alle Menschen werden Brüder,

All people become brothers.

 

Wer ein holdes Weib errungen, Mische seinen Jubel ein!

Whoever has won a lovely woman, Add his to the jubilation! 

 

Laufet, Brüder, eure Bahn, Freudig, wie ein Held zum Siegen.

Go on, brothers, your way, Joyful, like a hero to victory.

 

In this way, women and LBGT are not included in “all people,” and women are conquerable objects for men. So, it means that we will conquer women and continue to fight for victory!

 

Therefore this ‘Ode to Joy’ should really be called the ‘Ode to Joy for Men’ who have won the women. With almost half men and half women in the choir and four solo singers, two men and two women, I can’t help but find it very strange and weird to see the women joyfully praising the joy of male chauvinism and joyfully singing along with the men.

 

Thus, no matter how loudly they continue to sing this poem, which is said to have been written by Schiller to advocate ‘love for humanity,’ I think they will never achieve the goal of ‘love for humanity,’ especially in Japan where women are heavily discriminated against.

 

Here is the Youtube URL of the fourth movement by the famous conductor Daniel Barenboim. Barenboim had temporarily stopped performing a few years ago due to ill health, but when I was in Berlin in June 2023, there was a concert of the Berlin Symphony Orchestra conducted by Barenboim. I therefore bought a couple of tickets and went with my wife. However, he seemed weak and not in his usual good health due to his illness, and I wonder how he has been since then.

https://www.youtube.com/watch?v=CeO-trAbi7U

I actually like Beethoven’s Ninth, except for the lyrics of ‘Ode to Joy’ mentioned above. But I also like the Hymn to the Resurrection, with lyrics by Friedrich Klopstock, sung in the fifth and final movement of Gustav Mahler’s Second Symphony, Die Auferstehung. I am not a Christian, but I am a person who cannot live without music by Johann Sebastian Bach and other religious music. The URL below is a solemn and passionate performance of the final minutes of the fifth chapter of Mahler’s Second Symphony, conducted by Leonard Bernstein and performed by the London Symphony Orchestra with chorus.

https://www.youtube.com/watch?v=eifZHwQ9jUI

 

Work by Alisa Tanaka-King

2)Thoughts on Akira Kurosawa’s film Dream - Should today’s reality be called ‘nightmare’ ?

 

Both Beethoven’s Ninth and Mahler’s Second, though fraught with problems, sing powerfully of human hopes and dreams for the future, and there is no doubt that they are symphonic music that has moved the hearts of many people around the world for many years.

 

In the real world, however, Israeli forces continue to carry out indiscriminate air strikes in Gaza and Lebanon; and in Gaza in particular, nearly 2 million of the 2.3 million inhabitants are facing severe food shortages, and many people, especially children, who are already malnourished, are on the verge of starvation and death. On 21 November, the International Criminal Court (ICC) issued arrest warrants for Israeli Prime Minister Benjamin Netanyahu and former Israeli Defense Minister Yoav Gallant for ‘crimes against humanity’ and ‘violations of international law.’ However, very few countries are likely to actually enforce ICC arrest warrants, not least the US, which is not a member of the ICC, and even Japan and the European Union countries, which are.

 

While many people in Japan and Western countries, including myself, go to concerts of Beethoven’s 9th and Handel’s Messiah and enjoy the music of ‘hopes and dreams,’ for the people of Gaza and Ukraine the situation continues to be what I would call a “nightmare.” I cannot do anything about the fact that I continue to live my normal and relatively peaceful daily life in such a terribly contradictory situation, and yet over the past few years I have always felt a little anxious and depressed because I cannot escape a kind of guilt. Yet, I don’t know what to do to change this contradictory lifestyle. I don’t know what else to do, except to keep doing what I can.

 

This year marks the 70th anniversary of the release of Akira Kurosawa’s epic film, Seven Samurai. I don't know how it was in Japan, but many cinemas in Australia had special screenings of Kurosawa’s films. In Melbourne, where I live, some cinemas showed films like Seven Samurai, Rashomon, Throne of Blood, Ikiru and many others every Saturday for about three months. I appreciate the work of Hashimoto Shinobu, who co-wrote the screenplay for Seven Samurai and some of Kurosawa’s other films, and I have read several of Hashimoto’s books. So, I re-read some of his books and watched some of Kurosawa’s films on the big screen again. I was once again struck by the sheer scale of Kurosawa and Hashimoto’s imagination and creativity with profound humanity.

 

One of Kurosawa’s late films, Dreams, consists of eight separate dreams. One of them, ‘Tunnel,’ I just can’t forget for some personal reason, and I often watch it on Youtube. The story goes like this:

 

An army officer who survived defeat and has been demobilized is walking along a deserted mountain road in Japan to visit the bereaved families of his men and comes to a tunnel when a strange dog runs out from inside and threatens him. As he runs to the tunnel’s exit, he is confronted by the ghosts of his platoon men, all killed in action, emerging from the darkness of the tunnel. He tells his men of his own agony of survival and tells them that there is no point in wandering around as ghosts, so rest in peace. He then leaves the tunnel, but the dog reappears and barks at him.

https://www.youtube.com/watch?v=30dKCzGS6-g

 

This dream ‘Tunnel’ depicts the misery of the Japanese soldiers who died in the war and the anguish of the officers who survived in a brilliant, intense symbolist way. The reason why I cannot forget this work is that Lieutenant Yamashita in this ‘Tunnel’ could also be my father. As a lieutenant in the Kwantung Army, my father fought against Mao Zedong’s army in Manchuria and was seriously wounded and taken to an army hospital in Harbin, where he survived. After recovering and being discharged from the hospital, he was transferred to his home regiment in Sabae, Fukui Prefecture, where he remained until the end of the war without returning to Manchuria. The soldiers in my father’s unit that he commanded in Manchuria were from Iwate Prefecture, and most of them were killed in the war. When I was a child, my father would leave home every year around the Obon holiday and be gone for a week or more. Each time, I worried that he had run away from home. In later years, my mother told me that my father went to Iwate once a year to visit the graves of his men and apologize to their mothers. I believe that my father’s stubborn refusal to accept a military pension after the war was due to his remorse that he was the only one who had survived.

 

My father often told me how terrible and difficult the actual fighting in Manchuria was, and that he thought the Japanese army would not be able to defeat Mao Zedong’s army because they were brilliantly disciplined and had high morale. But he never said a word about the atrocities committed by his unit and other Japanese troops against the civilian population. I think he lacked a sense of remorse as a perpetrator. Akira Kurosawa made two war films - I Live in Fear and Rhapsody in August - both about the damage done to the Japanese people by the atomic bombs, but neither touched on the issue of Japanese wartime atrocities against other Asians.

 

On the other hand, there were many US, Australian and other Allied men who were prisoners of war and survived until after the war. Many of them insisted after the war that they had been spared because the atomic bomb had ended the war. I myself became very close to some of these POWs. The many major US films that have been made about the Pacific War - such as The Pacific, made in 2010 - also show that if the war had gone on any longer without the use of the atomic bombs, the US casualty figures would have been unimaginably high. The film presents a monolithic narrative that glorifies the courageous sacrifice of their own men for the protection of their nation, while simultaneously downplaying the immense suffering of Japanese civilians at the hands of indiscriminate fire and atomic bombings of Japanese cities and towns. This is also the reason why the Youtube video clip of the film The Pacific is entitled ‘This War Is The Reason Why The USA Used The Atomic Bomb In WW II.’

https://www.youtube.com/watch?v=qa6zSv0xdqY

 

It is evident that the two countries’ perspectives on war are aligned in terms of their shared neglect of the role of perpetrators. What measures might be taken to effect a fundamental transformation of this profoundly biased “view of war,” which has been shaped by the media and has become firmly embedded in the public consciousness? What measures might be taken to establish a genuinely universal and humane belief system that could serve as a basis for overcoming such biased views? The current global situation is, unfortunately, moving further and further away from these idealistic objectives.

 

I would like to conclude this year’s message with a story that may be perceived as somewhat utopian and hope that the forthcoming year will bring about a littel more positive outcome. The final story is entitled ‘Village with a Water Mill’ and is also from Akira Kurosawa’s Dream.

 

On my journey I arrive at a watermill village with a quiet river running through it. I meet an elderly man fixing a broken waterwheel and am intrigued when he tells me that these villagers reject modern technology and respect nature. As I listen to him, he tells me that there is a funeral today. However, I am told that it will be held as a glamorous celebration. My puzzled ears hear lively sounds and joyful chants. Instead of mourning and grieving, the villagers rejoice and celebrate their good life to the end, marching around the coffin with smiles on their faces.

https://www.youtube.com/watch?v=CrSBRuDPNtQ

 

This old man in the waterwheel village said “Some say life is hard. That’s just talk. In fact, it’s good to be alive. It’s exciting.” I would like to end my message at the end of this year by praying that the time will come when everyone in the world can say, “Life is good, it's very interesting.”

With best wishes

End of year 2024

 

Yuki Tanaka


2024年 年末メッセージ

1)ベートーヴェン第9交響楽の第4楽章「歓喜の歌」は、「女を勝ちとった男たちの歓喜の歌」?!

 

2)黒澤明監督映画 『夢』 から 「夢」からあまりにもかけ離れた今の現実は、「悪夢」と称すべきか?!

 

 

田中キング 愛利然(ありさ)作

 

 

1)ベートーヴェン第9交響楽の第4楽章「歓喜の歌」は、「女を勝ちとった男たちの歓喜の歌」?!

 

毎年、年末になると日本では全国各地でベートーヴェン「第9交響楽」が演奏され、多くの市民たちも合唱に加わって第4楽章「歓喜の歌」を歌うことを楽しむのが恒例になっています。いつ頃からこれが日本で年末行事になったのか私は知りませんが、欧米では年末に第9交響楽が演奏されることはひじょうに珍しく、年末プログラムとして演奏されるのは、通常はクリスマスに合わせ、「ハレルヤ」コーラスで有名なヘンデル作曲のオラトリオ『メサイヤ(救世主)』が定番になっています。

 

私の住むメルボルンでは、今年は珍しく、メルボルン交響楽団が1129日に第9交響楽を演奏したので、私も連れ合いと一緒にそのコンサートに出かけました。会場のヘイマー・ホールの2500席が満席でした。私もこの20年近く第9をナマで聴いていなかったので、楽しみにしていました。

 

ただし、以下に述べるような理由で、私はいつも、第4楽章「歓喜の歌」が始まると、メロディーの美しさとリズムの力強さにはいたく感激するのですが、同時に「なぜこんな歌詞が今も歌い続けられているのか…… もういいかげん書き換えてくれよ」という気持ちが湧いてきてしかたがないのです。よって、第4楽章が終わると聴衆が総立ちなって猛烈な拍手をしましたが、私はどうしても席から立ち上がる気分になれず、連れ合いと2人で座り続けました。

 

最終楽章の「歓喜の歌」は、ドイツの文豪シラーが「人類愛」を唱える目的で1785年に書いたと言われている詩「歓喜に寄せて」が使われていますが、冒頭の歌詞はベートーベン自身による加筆で、ベートーベンはシラーのこの詩を第4楽章で使うにあたって、かなり編集しています。とにかく、この素晴らしく力強い合唱は、まず冒頭で以下のように歌い始めます。

 

O Freunde, nicht diese Töne!

Sondern laßt uns angenehmere

anstimmen und freudenvollere.

おお友よ、このような音ではない!

我々はもっと心地よい

もっと歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか

 

しかし、Freunde は「男友だち」のことで、この歌には「Freundinnen 女友だち」という言葉は1回たりとも出てきません。そして、この冒頭の歌詞だけではなく、これに続く歌詞も全て「男たち」が主人公です。例えば、以下のような歌詞があちこちに含まれており、通常の日本語訳もドイツ語の下に記してあるようになっています。

 

Alle Menschen werden Brüder,

すべての人々は兄弟となる

 

Wer ein holdes Weib errungen, Mische seinen Jubel ein!

心優しい伴侶を得ることが出来た者は、我らと祝いを共にしよう!

 

Laufet, Brüder, eure Bahn, Freudig, wie ein Held zum Siegen.

進め、兄弟たちよ、お前たちの道を、喜びに満ちて、勝利に向かう英雄のよう

 

「すべての人々は兄弟となる」という表現の、「すべての人々」の中に女性やLBGTは含まれておらず、文字通り男たちだけが「すべての人々」です。さらに、「心優しい伴侶を得ることが出来た者は、我らと祝いを共にしよう!」という日本語訳は正確ではなく、実際の意味は「素敵な妻を勝ちとった(あるいは「獲得した」)者たちは、その喜びを共にする!」です。つまり「女性を勝ちとった俺たち男たちよ、さらに勝利に向かって英雄のごとく前進しようぜ!」と言っているのです。女性は、男が獲得する対象物とみなされているのです。

 

ですから、この「歓喜の歌」は、実際には、女性を獲得した「男たちの歓喜の歌」と呼ばれるべきものなのです。合唱には男女それぞれ半数づつ、4人の独唱者も男女2人づつで、それらの女性たちが喜んで男の勝手な歓喜を賛美して、男たちと一緒に喜んで歌っている姿を見るのは、なんとも、なんとも奇妙に私には感ぜられて仕方がないのです。

 

よって、「人類愛」を唱える目的でシラーが書いたと言われているこの詩を、いかに声高らかに歌い続けても、とりわけ女性が激しく差別されている日本では、いつまでもたっても「人類愛」の目的を達成はできないでしょうね(苦笑)。ちなみみ、2024年の日本のジェンダー・ギャップ(男女格差を「経済」「教育」「健康」「政治」の4分野で評価した指数)は146カ国中118位で、女性にとっての不平等=差別は文字通り世界最悪クラスの、「ジェンダー後進国」。

 

まあ、とにかく名指揮者ダニエル・バレンボイムによる第4楽章のYoutubeURL を紹介しておきます。バレンボイムは数年前から健康がすぐれないことから一時公演を停止していましたが、20236月に私がベルリンに滞在中にはバレンボイム指揮によるベルリン交響楽団のコンサートがありましたので、チケットを入手して連れ合いと一緒に出かけました。しかし、病気上がりのせいか弱々しい感じで、いつもの元気な姿ではなく、その後どうしているのか気になっています。

https://www.youtube.com/watch?v=CeO-trAbi7U

 

私自身は、実はベートーベンの第9も好きですが(歌詞を別として)、グスタフ・マーラーの交響曲第2番「復活」の、最終の第5楽章で歌われるフリードリヒ・クロプシュトックの歌詞による「讃歌 復活」も好きです。私はキリスト教信者ではないのですが、ヨハン・セバスチアン・バッハの音楽をはじめ、宗教音楽なしでは暮らせない人間です。下記のURLはレオナード・バーンシュタイン指揮、ロンドン交響楽団演奏のマーラー第2番の第5章の、最後の数分間の荘厳且つ熱烈な演奏と合唱です。

https://www.youtube.com/watch?v=eifZHwQ9jUI

 

田中キング 愛利然(ありさ)作

 

2)黒澤明監督映画 『夢』 から 「夢」からあまりにもかけ離れた今の現実は、「悪夢」と称すべきか?!

 

ベートーベンの第9もマーラーの第2も、問題を孕みながらも、とにかく未来に向けての人間の希望と夢を力強く歌い上げており、長年、世界各地で多くの人々の心を深く動かしてきた交響楽であることに間違いありません。

 

しかし、現実世界では、相変わらずガザ地区やレバノンでのイスラエル軍による無差別空爆が続いており、とりわけガザ地区では230万人の住民のうちの200万人近くが深刻な食料不安に直面して、すでに栄養失調状態にある多くの人々、とりわけ子どもたちが餓死寸前状態におかれています。食糧だけではなく医薬品などの支援物資の搬入についても、イスラエルは検問所の通過を制限し続けていますが、これはまさに意図的にガザ地区住民を餓死させようとする、由々しい「人道に対する罪」です。1121日に国際刑事裁判所(ICC)が、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相とヨアフ・ギャラント前国防相に対し、「人道に対する罪」と「戦争犯罪」の容疑で逮捕状を発行しました。しかし、ICCに加盟してない米国はもちろん、加盟している日本や欧州連合(EU)各国の中でさえ、ICC逮捕状を実際に執行する可能性のある国は極めて少ないと思われます。

 

そんなわけで、この時期、日本や欧米各国では、私自身を含め多くの人々がベートーベンの第9やヘンデルの『メサイヤ』の演奏会に出かけ、「希望と夢」の音楽を楽しんでいる一方で、ガザ地区やウクライナの人々にとっては「悪夢」と称すべき状態が続いています。こんな酷く矛盾した状況の中で日々の生活を送っていることに、正直なところ、何もできない私は、この一年の間、一種の精神的負目から逃れられないため、なにか常にどこか不安で鬱的な状態にあります。かといって、どうしたらよいのかも分かりません。自分にできることをやり続けるより他にしようがありませんが……

 

ところで、今年は黒澤明が製作した大作映画「七人の侍」が公開されてから70年目に当たります。そのため、日本ではどうだったか知りませんが、オーストラリアでは多くの映画館で黒澤明監督映画特集上映が行われました。私の住むメルボルンでも、複数の映画館で、3ヶ月ほどにわたって毎週土曜日に、「七人の侍」、「羅生門」、「蜘蛛巣城」、「用心棒」、「椿三十郎」、「隠し砦の三悪人」、「天国と地獄」などが上映されました。私は、「七人の侍」の脚本の共同執筆者である橋本忍の仕事を高く評価しており、橋本の著書もいくつか読んでいるので、再度彼の著書をいろいろ読みなおしながら、黒澤のいくつかの作品を映画館の大きなスクリーンで観なおしてみました。黒澤や橋本の深い人道的情念を含んだ想像力と創造力の豊かさには、あらためて感心させられました。

 

黒澤の映画の晩年の作品『夢』は、8話の独立した「夢」から構成されています。その中の一つ「トンネル」を、ある私的な理由から、私はどうしても忘れることができず、しばしば Youtube で観なおしています。ストーリーは以下のようになっています。

 

敗戦後、ひとり生き延びて復員した陸軍将校が部下たちの遺族を訪ねるべく、人気のない山道を歩いてトンネルに差し掛かると、中から奇妙な犬が走り出てきて威嚇してきます。追われるように駆け込んだトンネルの出口で彼は、そのトンネルの暗闇から現れる、全員を戦死させてしまった自分の小隊の部下たちの亡霊と向き合うことになります。生き延びた自分の苦悩を語り、亡霊として彷徨うことの詮無さを説いて部下たちを見送った彼は、トンネルを離れますが、またあの犬が現れ、吠えかかってきます。

https://www.youtube.com/watch?v=30dKCzGS6-g

 

この「トンネル」は、戦死した日本軍兵の悲惨さと生き残ってしまった将校の苦悩を、見事に強烈なシンボリズムの表現方法で描いています。なぜ私がこの作品を忘れられないかというと、この「トンネル」の山下少尉は、私の父親でもあるからです。私の父は関東軍中尉として満州で毛沢東軍と戦い、重傷を負ってハルピンの陸軍病院に担ぎ込まれ一命を取りとめました。回復し退院してから、故郷の福井県の鯖江連隊に転属となり、満州に戻ることなく終戦まで鯖江におりました。満州で指揮していた自分の部隊の兵たちは岩手県出身で、そのほとんどが戦死してしまいました。私が幼少のころ、毎年、父はお盆近くになると一週間以上、家を離れて帰ってきませんでした。私はそのたびに、父が家出をしてしまったかと心配したものです。後年、母から聞いた話によると、父は毎年1回は岩手まで出かけ、部下たちの墓参りを行い、彼らの母親に謝罪して歩いたとのこと。戦後、父が軍人恩給を受け取ることをあくまでも拒否したのも、おそらく「自分だけが生き残った」という自責の念からだったのだろうと私は思っています。

 

そんな父は、満州での戦闘状況がいかに凄まじいものであったか、また毛沢東軍はひじょうによく訓練されており、規律正しく士気も高かったため、日本軍が掃滅することはできないであろうと思っていたことなどを詳しく話してくれました。ところが、自分の部隊を含め日本軍が満州の一般市民に対してどのような残虐行為を行なったかについては、一言も私には言いませんでした。加害に対する自責の念が欠落していたのではないかと思います。黒澤明は、戦争関連映画としては2本の映画「生きものの記録」と「八月の狂詩曲」を作っていますが、両方とも日本人の原爆被害をテーマにしたもので、加害に焦点を当てた映画は全く作っていません。

 

一方、米軍をはじめ豪州軍など連合軍側将兵で捕虜になり戦後まで生き延びた人たちの中には、「原爆が戦争を終わらせたので自分は助かった」と主張してやまない人たちその中には私が個人的にとても親しくなった人たちもいましたが大勢いました。アメリカがこれまで作った太平洋戦争をテーマにした数多くの大作映画例えば2010年に製作された The Pacific (太平洋<戦争>)も、原爆が使われずに、これ以上戦争が長引いていれば、米軍側の死傷者数は膨大な数にのぼっていたに違いない。しかし、原爆使用が可能になるまでの長期にわたるさまざまな太平洋諸島での激しい戦いで、多くの米軍将兵が自国防衛のために勇敢にも自分たちの命を犠牲にした、というメッセージになっています。

 

 

このことは、映画The PacificYoutube のビデオ・クリップが “This War Is The Reason Why The USA Used The Atomic Bomb In WW II” (第2次世界大戦で米国がなぜ原爆を使ったのか、その理由は、この戦争<映画>を観ればわかる)という題名になっていることからもわかります。

https://www.youtube.com/watch?v=qa6zSv0xdqY

 

日米両国の戦争観が、「自己の戦争加害行為の徹底的無視」という点では見事に重なっていることが分かります。メディアで作られ、しっかりと民衆の意識に埋め込まれた、ひどく偏った「戦争観」を根本的に変革し、真に普遍的で人道的な信念を国民的なものとして確立するには、どうしたらよいのでしょうか。現在の世界の状況は、残念ながら、こうした理想的な目的からはますます遠く離れつつあります。

 

最後に、少しでも「夢」のある話で今年末のメッセージを終わらせ、来るべき新年がこれ以上悪くならないように祈りつつ、同じく黒澤明の『夢』から、最後の「夢」の「水車のある村」を紹介しておきます。

 

私は旅先で、静かな川が流れる水車の村に着く。壊れた水車を直している歳をとった人に出会い、この村人たちが近代技術を拒み自然を大切にしていると説かれ、興味を惹かれる。話を聞いているうちに、今日は葬儀があるという。しかしそれは、華やかな祝祭としてとり行われると告げられる。戸惑う私の耳に、賑やかな音色と楽しい謡が聞こえてくる。村人は嘆き悲しむ代わりに、良い人生を最後まで送ったことを喜び祝い、棺を取り囲んで笑顔で行進するのであった。

https://www.youtube.com/watch?v=CrSBRuDPNtQ

 

水車村のこの老人が、「生きるのは苦しいとか何とか言うけれど、それは人間の気取りでね。正直、生きてるのはいいもんだよ、とても面白い」と述べるシーンがあります。世界の誰もが、「生きてるのはいいもんだよ、とても面白い」と言える時が、いつかは来るように祈りつつ、今年末のメッセージを終わらせます。

 

みなさんのご健勝を祈りつつ

2024年末

 

田中利幸