― 原爆無差別大量殺戮の罪と責任を再考する ―
第1回
「下田裁判」判決は本当に画期的だったのか?!
*「下田裁判」の「画期的」判決文にもかかわらず原告敗訴 ― それは矛盾では?
最近NHKの連続テレビ小説「虎に翼」がひじょうな人気を博し、そのため主人公の猪爪寅子のモデルとなった裁判官である三淵嘉子の生涯もメディアが多いにとりあげるようになったようである。その関連で、彼女が関わった所謂「下田裁判」、別称「原爆裁判」も ― これまでその判決から60年以上ほとんど無視されてきたが ― にわかに注目を浴びるようになった。三淵が他の二名の裁判官と書いた判決文には、広島・長崎に対する原爆攻撃を「国際法違反」と断定する部分が含まれていることから、これを画期的な判決文だと賛美する声が ― 反核、反戦、平和運動などに関わっている市民運動家を含めて ― あちこちからあがっている。
私はオーストラリアに住んでいるため、この連続テレビ小説を観る機会はないので、この番組についてコメントすることはできない。また、三淵の経歴についても私は全く無知であるので、彼女の法律家としての能力や生活信条などについてもコメントすることも私にはできない。ここで私がこれから述べることは、したがって、彼女が他の二人と書いた「下田裁判」の判決文だけが議論の焦点であり、テレビ番組や三淵個人のこととは無関係であることをお断りしておく。
広島・長崎に対する米軍による原爆無差別大量殺戮が、当時の国際法に照らしても明らかに国際法違反の「戦争犯罪」であったという判断は、1963年12月の「下田裁判」の結審を待つまでもなく、2回目の原爆殺戮が長崎に対して行われた直後に、日本政府が米国政府に送った抗議文でもはっきりと表明されている。日本政府は、長崎原爆投下直後の1945年8月9日に、米国に対する抗議文を、スイス政府を通じて外務大臣東郷茂徳の名において送った。この抗議文の中で日本政府は以下のように述べた。
聊々交戦者は害敵手段の選択につき無制限の権利を有するものに非ざること及び不必要の苦痛を与ふべき兵器、投射物其他の物質を使用すべからざることは戦時国際法の根本原則にして、それぞれ陸戦の法規慣例に関する条約付属書、陸戦の法規慣例に関する規則第22条、及び第23条(ホ)号に明定せらるるところなり。
抗議文はさらに,米国を以下のように厳しく非難している。
米国が今回使用したる本件爆弾は、その性能の無差別かつ惨虐性において従来かかる性能を有するが故に使用を禁止せられをる毒ガスその他の兵器を遥かに凌駕しをれり、米国は国際法および人道の根本原則を無視して、すでに広範囲にわたり帝国の諸都市に対して無差別爆撃を実施し来り多数の老幼婦女子を殺傷し神社仏閣学校病院一般民衆などを倒壊または焼失せしめたり。而していまや新奇にして、かつ従来のいかなる兵器、投射物にも比し得ざる無差別性惨虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する新たなる罪悪なり。
つまり、この抗議文では、原爆無差別大量殺戮が、1899年採択のハーグ陸戦条約や1925年に署名されたジュネーブ議定書に明白に違反しているし、実定法ではなかったが権威ある慣習法と見なされていた1923年起草のハーグ空戦規則案にも違反していると、決然と述べられているのである。原爆無差別大量殺戮が当時の国際法に照らして否定しようのない「戦争犯罪」であることは、この抗議文からも明々白々である。
この抗議文の起案者が国際法を熟知していたであろうことは疑いない。広島・長崎への原爆攻撃のみならず、他の都市への(焼夷弾を含む)通常爆弾空爆も国際法(ハーグ条約)違法であるという、無差別大量殺傷に対する鋭く厳しい糾弾となっている。中国各地で無差別空爆を行っていた日本が、国際法を持ち出して米国の無差別空爆を批難したこと自体が皮肉であるが、しかし、これが、日本政府が原爆攻撃に関して出した最初で最後の抗議文であった。
したがって、下田隆一を含む5名の被爆者は、「下田裁判」の原告として、基本的にはこの日本政府の抗議文に沿った形で原爆無差別大量殺戮が国際法違反であると裁判で主張したのである。それは、自分たち被爆者には米国政府に対する損害賠償請求を行う権利があるという訴えの理由として主張された。さらに、原告側の鑑定人として意見を述べた国際法学者の安井郁(当時、法政大学教授)も、また被告の日本政府側として意見陳述を行った田畑茂二(京都大学教授)も原爆攻撃が「非人道的、無差別攻撃で国際法に違反する」と主張。政府側のもう一人の鑑定人となった高野雄一(東京大学教授)も、この二人ほど断定的ではないにしても「国際法違反の戦闘行為とみるべき筋が強い」と述べた。
よって、当時の最も権威ある日本の国際法学者のうちの3人が、原爆無差別大量殺戮が国際法違反であったという ― もともと被告側の意見でもあったのと ― 同じ意見陳述を法廷で述べたわけであるから、判決文で「国際法違反ではない」とか「国際法違反とは見なせない」などいう ― 被告の日本政府側に寄り添うような ― 判断を裁判官ができるはずがなかった、というのが実情だったのである。確かに、一国の裁判所がそのような判断を下したことに一定の意義はあったかもしれないが、決して「画期的な判断」による判決文などではなかったと私は考える。そんなに画期的な判決文だったのなら、なぜ原告側が敗訴したのか、という問いが残るはずである。それを問わずに「画期的」などと言うのは無責任である、というのが私の考えである。
私たちがここで考えなければならないのは、むしろ、降伏直前には原爆無差別大量殺戮が国際法違反であったと単刀直入に米国を批判した被告=日本政府が、戦後はその主張内容を180度転換して、破廉恥にも「国際法違反とは言えない」と米国に、尻尾を振るように媚をへつらう態度をとったこと。そのことと、そうした米国への政治的追従が、その後長年にわたって日本政府を原爆被爆者救済政策に極めて後ろ向きにしてきたこととの関連性である。
後述するように、「下田裁判」の判決文にもかかわらず、原爆の犯罪性が厳しく問われなかったことから、その犯罪の犠牲者である被爆者の戦争被害の実態も長年にわたって無視され、80年近く経つ今も多くの被爆者が原爆症認定や援護を受けるために苦しい裁判闘争を余儀なくされている。その一方で、被爆者は政治的には常に「唯一の核被害国の被害者」として「聖化」されながら、米国政府の責任も核抑止力の犯罪性も問わないままで、「究極的」核兵器廃絶というスローガンだけを唱え続ける政治家や御用学者に、核被害のシンボルとして都合良く利用され続けてきた。
このように原爆の犯罪性を不問にしたこと、その結果、放射能汚染被害を甚だしく軽視し、日本も核兵器製造能力を持つことを目指したことなどが、無批判で安易な原子力利用の導入・拡大を許し、結局は福島原発大事故を引き起こし、再び数多くの被曝者を出すことにもなってしまった。そして今や、「米国と核の共有」などという愚かな政策を提案する人間が首相の座に居座っているのが ― 首相になってからは公言を控えているようだが ―、日本の現状である。ちなみに、「核の共有」というのは言葉の遊び=欺瞞で、米国が非核兵器保有国と核兵器を「共有」することなど実際にはあり得ない。NATOが核兵器を使う場合にも、最終的決断権は米国が握っている。「核の共有」などと主張する者は、自分の愚鈍さを曝け出していることにすら気がつかない。
*「下田裁判」判決文は「画期的」どころか、重要な問題を孕んでいる!
この「下田裁判」を議論するときに私たちが注意すべきことは、この裁判は金銭による損害賠償を請求した民間訴訟であり刑事裁判ではなかったということである。賠償について法廷は「国家行為」の理論を適用し、政治的指導者の行為に対する国際法上の責任は、指導者個人にあるのではなく、国家にあると考えた。よって判決文では、次のように書かれている。
原子爆弾の投下を命じた米国大統領トルーマンに対しては、国際法上損害賠償を請求することができないと解される。けだし、国家機関として行った行為に対しては、国家が直接に責任を負わなければならず、その地位にあった者は、個人的責任を負わないとするのが国際法上の原則であるからである。
指導者の行為に対しては国家が国際法上の責任を負うというこの原則は、確かにニュルンベルグ裁判が開廷する1945年11月までは有効であった。しかし、その後開廷したニュルンベルグ・東京両裁判で定着した、包括的な個人責任の原則とは明らかに矛盾している、という点に私たちは注目すべきである。ニュルンベルク裁判では、「国際法に違反する犯罪は、人間によって実行されるのであり、抽象的実体によって実行されるのではない。またそのような犯罪を実行する個人を処罰することによってのみ国際法の規定を執行することができるのである」と宣言されたことはよく知られている。(強調田中)
ニュルンベルグ裁判のための新しい国際法廷原則として打ち立てられたニュルンベルグ原則は、1946年の国連第1回総会で満場一致で採決され、1952年、国際法委員会によって改正された。よって、このニュルンベルグ原則によって、「指導者の行為に対しては国家が国際法上の責任を負う」という古い原則は無効になった、と解釈すべきなのである。とくに、ニュルンベルグの第三原則「国家の元首または責任ある公務員にして、国際法により犯罪を構成する行為をおこなった者は、国際法上の責任を免れない」が、そのことを明示している。
この原則に基づいて、ニュルンベルグ裁判ではヒットラー政権で航空大臣や国家元帥を務めたヘルマン・ゲーリングやナチ党総統代理であったアドルフ・ヘスなど24名が起訴されたし、東京裁判では首相であり陸軍大将であった東條英機や内大臣の木戸幸一など29名が被告とされ、有罪判決を受けた。よって犯罪を犯した国家指導者たちは、各人の罪を裁判で問われ、有罪となれば処刑や禁固刑という形でその責任をとらされた。
ところが、下田裁判の裁判官たちによって採用された上記のような古い原則をナチ政権・軍指導者や日本の戦時内閣と軍指導者に適用するならば、彼らはドイツ政府や日本政府のために行動していたのであるから、戦争犯罪の個人的責任を問われることはないはずという主張になる。つまり、ニュルンベルグ・東京両裁判の判決は間違っていたということになるのである。
トルーマンが戦争犯罪人として裁かれなかったのは、ニュルンベルグ・東京両裁判が「勝者の裁判」で、連合国側が犯した戦争犯罪は全く審理されなかったからであり、言うまでもなく、連合国側が犯さなかったわけではない。だからと言って、ナチス軍や日本軍が犯した様々な残虐な戦争犯罪が、犯罪ではなかったというような主張に正当性が全くないことは今更説明するまでもない。ちなみに、天皇裕仁が東京裁判で訴追されなかったのは、日本軍が15年戦争中に犯した様々な残虐極まりない戦争犯罪に関して彼に責任がなかったのではなく、天皇の権威を利用したいという米国側のもっぱら政治的な思惑から訴追されなかっただけのことである。
現実には、ニュルンベルグ・東京両裁判は、ニュルンベルグ原則に基づいて、被告人に対して、各人の犯罪行為に対する個人的責任を厳しく追求した。ところが、下田裁判では、すでに見たように、原爆攻撃を明らかに国際法に違反する「無差別大量虐殺」と判決文で認定したにもかかわらず、原子爆弾を使うことで「戦争犯罪」を犯した米国大統領トルーマンには「個人的責任がない」という判断を、裁判官たちは下したのである。要するに、三淵を含む3名が書いた「下田裁判」の判決文は、この点で決定的に矛盾しているのである。これが、「下田裁判」判決文を私が「画期的判決」とは見なせないと主張する第1の理由である。他の理由については次回詳しく述べる。
*結論:「広島·長崎への原爆投下を裁く国際民衆法廷」の意義
確かに、下田裁判は国際刑事裁判ではなく日本国内の民間訴訟であったので、トルーマンの罪を裁くことはできなかった。しかし、判決文では原爆無差別大量殺戮が国際法違反であったと明白に認定したのであるから、本来その責任が米国政府にあるだけではなく、その犯罪を一体誰が犯したのかをも明文化すべきであったのである。それを、こともあろうに、逆に「トルーマンには責任がない」と判決文で明記することによって、原爆無差別大量殺戮という由々しい「人道に対する罪」を犯した者たちの「罪と責任」を有耶無耶にしてしまった ― これは裁判官として失格であると私は考える。
この失敗を私たち市民の力で克服し、原爆無差別大量虐殺の罪を犯した犯罪人たちを、国際法に基づいて厳密に市民の手で裁くという民衆法廷 ― 広島·長崎への原爆投下を裁く国際民衆法廷 ― を、私たちは2007年に広島で開廷した。このことを、反核・平和運動に関わっている市民活動家は忘れないで欲しい ― これを忘れて「下田裁判 判決文は画期的だ」などと言ってもらいたくない!この民衆法廷の判決文では、トルーマン大統領だけではなく、ルーズベルト大統領や当時の米政府高官、軍指導者と軍人、科学者など、原爆開発、原爆使用決定と実際の爆撃に関わった複数の、原爆無差別大量虐殺の犯罪で最も責任のあった人物を訴追し、有罪と認定した。判決文は下記のURLで読むことができる:
https://docs.google.com/document/d/1WfCTQBqilbDpFmlblIGmWVbxb6EOClh0wB4cPMKb0Xw/edit?usp=sharing
なお、戦争犯罪は人間個人が犯すものであり、責任はその個人はもちろんのこと、国家も負うべきであるという論理はどのような理由から成り立つのかということについて、今ここで詳しく述べている余裕がない。これに関する詳しい説明は、拙著『検証「戦後民主主義」:わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか』(三一書房)の第5章の(1)「罪と責任の忘却―ハンナ・アレントの目で見るオバマ大統領の謝罪なき広島訪問」を参照してもらえれば光栄である。
― 次回に続く ―
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