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2024年3月15日金曜日

ガザ訪問報告 パレスチナ人作家スーザン・アブルハワ

(1)私がガザで目撃したことはホロコーストである

(2)ガザ訪問を終えて:悲惨さを表現するには言葉は不十分

 

「デモクラシー・ナウ(今こそ民主主義を)!」の以下2つの番組は、つい最近ガザ地区を訪問し2週間滞在した、パレスチナ系米国人作家のスーザン・アブルハワへの今月6日に行われた2回連続インタヴューを、日本語に翻訳したものです。なお、インタヴュー中( )の中の文章は、翻訳者である私が補足説明として付け加えたものです。

現在のガザ地区住民の凄まじく悲惨な生活状況がひじょうによく分かりますし、インタヴューの最後では、アメリカの大学が「反ユダヤ主義だ」というバッシングをいかに激しく受けているか、その実情もよく分かります。全体的にスーザン・アブルハワの深い人間性が、彼女のいろいろな言葉に表れている、とても感動的な報告です。

 

私がガザで目撃したことはホロコーストである: パレスチナ人作家スーザン・アブルハワ

 

What I Witnessed in Gaza Is a Holocaust: Palestinian Writer Susan Abulhawa

https://www.democracynow.org/2024/3/6/gaza_update

202436日放送

 

パレスチナ(系米国)人の小説家、詩人、活動家であるスーザン・アブルハワはカイロに滞在中で、2週間のガザ滞在を終えたばかりである。「人々に起きているのは、死や身体切断、飢餓だけではありません。彼らの人間性や社会全体が、完全に虐げられ否定されていることです」とアブルハワは言う。「ラファやいくつかの中部地域で私が個人的に目撃したことは、理解しがたいものです。私はこれをホロコーストと呼びますが、軽々しくこの言葉を使うつもりはありません。(軽々しく使う言葉でないことは分かっていますが)実際にそうなのです」とも。

 

エイミー・グッドマン:

戦争と平和レポート番組「デモクラシー・ナウ(今こそ民主主義を)!」の、エイミー・グッドマンとフアン・ゴンサレスです。

 

ガザ北部に200トンの食糧を運び込もうとした国連の食糧輸送トラック車列は、本日イスラエル軍によって追い返されました。世界食糧計画(WFP)によれば、14台のトラックからなる車列は、イスラエル軍に追い返される前に、ガザ中心部のワディ・ガザ検問所で3時間待機させられました。(追い返されて、トラックが動き出すや)、車列は必死になった人々の大群に押し止められ、W F Pによると「食料が略奪され」ました。これに対して、イスラエル軍がガザ北部で援助を求めるパレスチナ人に何度も発砲し、229日には少なくとも119人が死亡しました。

 

ガザでは飢餓が壊滅的なレベルに達しています。本日、パレスチナ保健省は、栄養失調と脱水症状による死者が18人にのぼったと発表し、「飢饉は深刻化しており、侵略を止め、人道的・医療的援助が直ちにもたらされなければ、何千人もの命が奪われるであろう」と付け加えました。子供、妊婦、慢性疾患を持つ人々が最も被害を受けやすい、脆弱な立場にあります。

 

一方、イスラエルによる砲撃は続いており、今日もラファ、カーン・ユーニス、デイル・アル・バラなど、ガザ地区全域の都市で砲撃と空爆が行われています。ガザではこの5ヶ月間で、少なくとも30,700人のパレスチナ人が死亡し、72,000人以上が負傷しています。ほぼ全ての人口が家を追われている状態です。

 

もっと詳しく状況を知るために、ここで、エジプトのカイロから、スーザン・アブルハワさんに番組に加わっていただきます。アブルハワさんは、パレスチナ(系米国)人の作家で、詩人、市民活動家でもあり、多くの著書がありますが、国際的にベストセラーとなった彼女のデヴュー作『ジェニンの朝』の作者として有名です。この小説は32ヶ国語に翻訳され、パレスチナ文学の古典とみなされています。彼女は、児童団体「Playgrounds for Palestine(パレスチナのための遊び場)」の創設者兼共同責任者であり、「Palestine Writes Literature Festival(パレスチナ執筆文学フェスティバル)」の常務理事も務めています。彼女は2週間をガザで過ごし、ガザを出たばかりで、現在はカイロに滞在しています。

 

スーザンさん、「デモクラシー・ナウ(今こそ民主主義を)!」の番組へようこそ。あなたが(ガザ地区で)見聞されたことをお話ししていただけますか?あなたは「ある人たちは野良猫や野良犬を食べており、その猫や犬たちも飢えていて、時には、イスラエル軍の狙撃兵の射程圏内に入って狙撃され死亡して道路に転がっている死体の人肉骨を食べたりしている。老人と弱者はすでに飢えと渇きで死んでいる」と書かれています。あなたの今回の旅について説明してください。

 

スーザン・アブルハワ:

(今あなたが読まれた)それは、私が書いたエッセイの一部なのですが、本当に誰も行くことを許されていない(ガザの)北部地域で起きていることです。この北部に踏み込もうとするのは自殺行為です。戦車やスナイパーが配置されていて、そこに行こうとする者は誰であろうと基本的に殺されます。今おっしゃったように、支援トラックも入れません。トラックは、意図的に進入を阻止されています。基本的に、意図的な飢餓状態が作られているのです。私は主に南部のラファにいました。カーン・ユーニスやヌセイラットなど、中部の地域の数ヶ所にも行くことができましたが、ますます危険になってきています。

 

私が言いたいのは、現地の現状は、私たちが西側諸国で目にしている最悪のビデオや写真よりもはるかに悪いということです。人々が家の中に集団で生き埋めにされ、身体がバラバラに切り刻まれるという、私たちが見ているこのようなビデオや画像以上に、(今私が述べたような)日常的で大規模な生活の凄まじい衰弱劣化があります。かつては高機能で誇り高かった社会全体が、基本的に最も原始的な欲求だけ、つまり、一日に必要な水を確保できるかどうかとか、パンを焼くための小麦粉を手に入れられるかとか、そういうことだけに矮小化されてしまっているのです。そして、そのような状況はラファでさえ同じです。

 

ラファにいる人たちは、自分たちは飢え死にせずに済んでいるのだから、特権的だと感じていると言うでしょう。一方、イスラエルが基本的に99%の通信手段を遮断しているため、北部にいる家族たちと連絡が取れるのは、基本的には、北部にインターネットを維持するためのなにか独創的な方法を創り出した人たちによる通信手段だけなのです。しかし、北部のほとんどの人たちはいったい何が起きているのか分からない状態です。実のところ、ある時、みなさんもご存知だと思いますが、フェイスブックをやっているビサン・オウダ*に会いました。彼女はよく、カーン・ユーニスと北部の真ん中あたりとの境界線まで行きますが、そこから先には行けないと私に説明してくれました。彼女の説明によると、ある援助トラックが、半ば無理やりに押し通ったのですが、最終的には発砲されました。ですから、北部のほとんどの人たちは真っ暗闇と飢餓の中にいて、コミュニケーションの手段もなく、どこで食糧を確保すればよいのかもわからない状態です。

*訳者注記:ビサン・オウダはガザ地区在住のパレスチナ人ジャーナリストで活動家でもあり、ドキュメンタリー映画制作者としても有名。)

 

そして、現地で聞くことは、私たちの現実感を超えています。まさに地獄のような状態です。ラファやいくつかの中部地域で私が個人的に目撃したことは、理解しがたいものです。私はこれをホロコーストと呼びますが、軽々しくこの言葉を使うつもりはありません。(軽々しく使う言葉でないことは分かっていますが)実際にそうなのです。

 

フアン・ゴンサレス:

スーザンさん、私があなたにお訊きしたいのは......あなたはご自分の記事の中でこのように書いておられる。「ある時点では、汚物の屈辱は避けられない。ある時点で、停戦を待ちながら、ただ死を待つことになる。しかし、人々は停戦後に何をして良いのか分からない。」 停戦になったとしても…(どうなるのか)そのことについて話していただけますか?(つまり)国を再建するという点で、人々が今直面している破壊のレベルを教えてください。

 

スーザン・アブルハワ:

つまり、それだけ人々がひどく衰弱化しているということです。つまり、現時点での彼らの希望は、爆撃が止まることです。そして、誰もが家に戻りたがっています。自分の家にテントを張って、物事を解決したいという望みを語ります。でも(実際には)、多くの人が(ガザから)去ろうとしています。基本的に、頭脳流出が起きているのです。お金に余裕のある人、資金を調達できる人、他地域で仕事ができる人、専門的な技術を持っている人たちが出ていこうとしています。彼らには子どももいます。学校はすべて破壊されましたし、大学生は行くところがない状況です。

 

人々に起きているのは、死や身体切断、飢餓だけではありません。彼らの人間性や社会全体が、完全に虐げられ否定されていることです。大学も残っていません。イスラエルが意図的に学校を爆撃し破壊したのは、おそらく再建ができないようにするためであり、教育や医療、基本的には建物の基礎構造といったインフラを無くして、社会の再建ができないようにするためです。

 

エイミー・グッドマン:

スーザンさん、あなたがホロコーストについておっしゃったことについて、補足していただきたいと思います。「ジェノサイド」という言葉も使われましたね。「ジェノサイドは単なる大量殺人ではない。意図的な抹殺です」と言われました。そこから補足していただけますか?

 

スーザン・アブルハワ:

その通りです。さっきも言いましたように、イスラエルがガザで熱心に取り組んでいることのひとつは、人々の生活の痕跡を消すことなのです。つまり、個人レベルでは、思い出の詰まった家や写真、生活用品などすべてを抹消してしまうことです。ご存知だと思いますが、パレスチナ人は通常、多世代同居の家に住んでいます。私たちは移動社会ではありません。そのため、同じ家族が何世代にもわたって住んでいた家は、完全に破壊されてしまったのです。社会的なレベルでは、イスラエルは、礼拝所、モスク、古代の教会、古代のモスクなどを標的にしてきました。博物館や文化センター、図書館など、あらゆる場所が標的にされています。人々の生活の記録や、その土地での(民俗文化の)根源の名残や痕跡がある場所はすべて、意図的に抹消されています。

 

欧米のメディアが、イスラエルはハマスに標的を合わせているとか何とか言っているのを読みますと、本当にイライラします。そんなことではないのです。現地にいれば分かりますが、これは常にパレスチナ人を追い出し、彼らの居場所を奪い、地図から消し去ることを目的としているのです。つまり、1948年以前も今回も、それがイスラエルの公然の目標なのです。我々を破壊し、排除し、殺し、我々の居場所を奪う。そして、それが今ガザで起きていることなのです。1948年にも、1967年にも起こったことなのです。そして、新たなナクバ*、新たな(侵略)拡大が起きるたびに、その前よりも大きな段階的拡大が起きています。そして今、私たちは大量虐殺とホロコーストの瞬間を迎えようとしています。なぜなら、イスラエルがこのような蛮行を平然と行うことを、世界が許しているからです。

(*訳者注記:「ナクバ」とは、1948年の第1次中東戦争中に、イギリス委任統治領パレスチナの大部分がイスラエル領と宣言され、70万人のパレスチナ人が追放され、500以上のパレスチナ人の村落がイスラエル軍によって破壊されたこと、さらには難民の帰還権を否定されて恒久的な難民が形成され、パレスチナ社会が破壊されたことなど、一連の出来事を指す「大惨事」の意味。)

 

フアン・ゴンサレス:

あなたは世界の反応についても言及されましたが、そのことに関してもう少しお聞かせください。ガザでは5カ月足らずの間に、ウクライナで2年以上にわたって起きた戦争での死亡者よりも多くの人が亡くなりました。ウクライナの人口はガザの40倍です。特に欧米諸国が行動を起こさなかったことについて、あなたはどうお考えですか?

 

スーザン・アブルハワ:

西欧諸国は、道徳的権威 ― 以前はそれを持っていたとしても ― そのかけらすら失ってしまいました。あるいは、以前は道徳的権威があったかのような錯覚があったのかもしれませんが、私たちは常に、大量虐殺を行う植民地支配者を相手にしてきたことを、よく知っています。しかし、今この瞬間、世界の他の国民にはそれがより明白になってきていると思います。また、十分とは言えないまでも、アメリカ国民は自分たちが騙されていることを理解しつつあると思います。

 

エイミー・グッドマン:

それではこのインナヴューの2回目に移ります。パレスチナ(系アメリカ)人の作家、スーザン・アブルハワさん、ありがとうございます。

 

 

スーザン・アブルハワとガザ地区の子どもたち


ガザ訪問を終えて:パレスチナ(系米国)人作家 スーザン・アブルハワは「悲惨さを表現するには<言葉は不十分>」と主張

 

Back from Gaza, Palestinian Writer Susan Abulhawa Says “Language Is Inadequate” to Describe Horror

https://www.democracynow.org/2024/3/6/back_from_gaza_palestinian_writer_susan

202436日放送

 

パレスチナ(系米国)人の小説家、詩人、活動家であるスーザン・アブルハワが、ガザでの2週間を終えて、カイロから2回目のインタビューに登場。彼女は、イスラエルがガザ地区で市民を爆撃し、(パレスチナ住民を)飢餓に陥れるために米国から供給された「無制限の兵器」の影響について語る。「この瞬間の甚大さをとらえるには、言葉は実に不適切で不十分です」とアブルハワは言う。「私が見たものは、この悲惨な状況の全体像のほんの一部です」。彼女は、児童団体「Playgrounds for Palestine(パレスチナのための遊び場)」の創設者兼共同責任者であり、「Palestine Writes Literature Festival(パレスチナ執筆文学フェスティバル)」の常務理事も務めている。

 

エイミー・グッドマン:

戦争と平和レポート番組「デモクラシー・ナウ(今こそ民主主義を)!」の、エイミー・グッドマンとフアン・ゴンサレスです。ガザ地区で今何が起きているのかについての私たちの議論を続けます。

 

世界食糧計画(WFP)は、ガザ北部の飢饉を回避するために必要な重要な支援物を届けるのをイスラエル軍が妨害していると非難しました。現地の保健当局によれば、ここ数日で少なくとも18人の子供が餓死したということです。米国のバイデン政権は、イスラエルが支援物資の輸送を妨害しているにもかかわらず、イスラエルに武器を送り続けるという決定を自己弁護しています。ジョン・カービー米国家安全保障通信顧問は火曜日(35日)、ホワイトハウスで英国紙『インディペンデント』の特派員であるジャーナリスト、アンドリュー・ファインバーグから質問を受けました。

 

ファインバーグ:イスラエル政府が援助を認めないのであれば、米国は武器の供給を継続しないということを、大統領がイスラエル政府に伝えることを、何が妨げているのでしょうか?援助がなければ爆弾もないと

 

カービー:ハマスの脅威から自国を守るために必要なものをイスラエルが持つことが重要だと大統領は考えているからです。107日に起きたことを忘れている人もいるかもしれないが、バイデン大統領は忘れていません。

 

エイミー・グッドマン:

パレスチナ(系米国)人の小説家、詩人、活動家であるスーザン・アブルハワさんに再びご登場願います。彼女のデビュー作『ジェニンの朝』は32カ国語に翻訳されている世界的ベストセラーで、パレスチナ文学の古典とされています。彼女は、児童団体「Playgrounds for Palestine(パレスチナのための遊び場)」の創設者兼共同責任者であり、「Palestine Writes Literature Festival(パレスチナ執筆文学フェスティバル)」の常務理事も務めています。彼女はエジプトのカイロから、私たちのインタヴューの2回目に参加します。

 

スーザンさん、これを聴いているあなたは、まだアメリカに戻っておられませんが、質問です ― なぜアメリカはイスラエルに武器を提供し、飢餓に苦しむ人々への食糧支援を妨害しているのでしょうか?あなたが現地で見てこられたこと、そして外部の人々が見ていないと感じていること、特に米国がこの問題を助長していること、そしてあなたは通常ここ(米国)に住んでいることから、米国人が今起きていることをどのように理解しているのか、また理解すべきなのか、説明を続けてください。

 

スーザン・アブルハワ:

アメリカが無制限の武器と資金援助を提供してきた重要な同盟国(イスラエル)が、実際には(ガザ地区住民に)爆撃を加え飢餓させているために、アメリカが飢餓に苦しむ人々に一握りの援助物資を空輸しようとする ― 実際にはそれは見せかけのお芝居なのですが ― ことの不条理さが、アメリカ国民に、まだ明らかになっていないとしても、(間もなく)明らかになるように私は望んでいます。

 

「イスラエルは自国を防衛している」といまだに言っていることを、まともな人間なら、あるいは良心のある人間なら、このような言葉がなぜいまだに公の場で語られているのか理解するのは難しいです。ガザ住民は、世界で最も人口密度の高い場所に住む、主として無防備な民間人です。彼らは20年以上にわたって、強制収容所に等しい場所に監禁されてきたのです。占領されてきたのです。この地域で最も強力な軍隊によって何度も繰り返し爆撃されてきたのです。そして、この核保有国が、民間人を自衛しているという話を、いまだにしているわけです。どうしてこんなことが真顔で語られるのか、私には理解できません。

 

この不条理は、西欧の植民地主義の犠牲となった南半球のほとんどの人々には明らかなのです。しかしどういうわけか、欧米社会ではいまだにこの主張が有効であるように思われています。とはいえ、特に情報獲得に関してはより高度な知識を持っている若い世代では、そうでもないのですが。ソーシャル・メディア・プラットフォームによる検閲が蔓延しているにもかかわらず、人々はまだ現地から情報を得ることができますし、アーロン・ブッシュネル*がしたような無私で過激な行為も見られます。

(訳者注記:米空軍兵士のアーロン・ブッシュネルは225日に、ワシントンのイスラエル大使館前で、<パレスチナ人の大虐殺に対する究極の抗議行動>として自らの身体に火をつけ、自死した。)

 

私は率直に言って、公式のスポークスマン(が言うこと)や選挙政治に関して、芝居じみた政治的なものだと感じるものにはあまり関心がありません。それよりも、変化が実際にどこで培われ、どこから生まれるのか、つまりボトム・アップ(下からの動き)に興味があります。私は、学生も教員も同様に狙われているにもかかわらず、いまだに大学キャンパスで起こっている抗議活動に興味があります。私は、世界中の街頭(での抗議活動)で、何十万人もの人々が首都に押し寄せ続けていることに興味があります。イスラエル製品の不買運動に参加している人々にも興味があります。私の関心はそういう所にあります。支配者であるエリートたちは、率直に言って、この大量虐殺を成し遂げようと躍起になっているように見えますが、同時に、ますます反発を強めている世論をなんとか和らげようと、リップサービスに終始しています。

 

フアン・ゴンサレス:

スーザンさん、お訊きしたいのですが、あなたは「Playgrounds for Palestine(パレスチナのための遊び場)」という子どもたちの団体の共同代表を務めていますね。なぜその団体を設立したのですか?また、パレスチナの子どもたちがこの5ヵ月間に経験した心的外傷(トラウマ)の大きさ、そして紛争が終わった後に彼らが受けるであろうカウンセリングの必要性、精神的な修復の必要性についてお聞かせください

 

スーザン・アブルハワ:

「パレスチナのための遊び場」は、私が現地に滞在している間、子どもたちの心理的な応急処置として、多くの子どもたちの活動を促進する役目を果たしました。率直に言って、子どもたちだけではなく、(ガザ地区住民の)誰にとっても心的外傷は計り知れないほど酷いものです。私は、特に、病院で治療を受けている多くの女性や、治療を受けている子供に付き添っている女性から話を聞きました。彼女たちの話は、まるでハリウッドのホラー映画のようでした。イスラエル兵が自分の背中の皮膚に絵や笑顔、ダビデの星などを彫った姿の写真も、私は入手しています。ガザ地区の彼女たちは私に、イスラエル兵が何百人もの女性を地面に寝かせて、レーザーの付いた銃を構えて、笑いながらレーザーが当たったところを撃つのだと話してくれました。

 

私は、3歳の娘が両足を粉々にされ、病院で治療を受けている母親と話をしました。その女の子は兵士に故意に ― そうです故意に撃たれたのです。彼女の娘にこのようなことが起きたのは、兵士たちが、最初、彼女の息子の頭を撃ち抜いて殺したその後でした。

 

多くの人たちが病院から(追い出されて)歩かされ、その中には重傷を負った人々もおり、安全な場所まで何時間も歩かされます。自宅から逃げて南部に行こうとする子どもたちや人々は、両手を上げて身分証明書を掲げて歩かなければならず、誰かが下を向いたり何かを拾ったりしようものなら、狙撃されます。文字通りスナイパーで撃たれます。

 

8歳くらいの女の子と話をしましたが、その子の顔はひどい火傷を負っていました。でも、彼女の怪我は家族全員の中で一番軽かったのです。家族全員が全身に第III度の火傷を負っていました。彼女は私に(いろいろ)説明してくれたましたが、やはり、子どもがいったいどうやって生き延びるのか、私には分かりません。

 

私は病院の産科病棟で過ごしましたが、そこでは新生児が生まれたばかりで、生死不明だったり、生死はわかっていても家族が不在だったり、(その家族に)何が起きたのか誰も知らないのです。これらの新生児は、24時間365日、保育器の中に入れられたままですが、看護師や医師は働きすぎて疲労困憊しているため、授乳に来るときを除いては、新生児は人の手に触れられることはありません。人々は傷だらけで病院から退院し、水道も適切な衛生設備もないテントに入り、ひどい感染症にかかり、敗血症で死んでいきます。

 

浜辺での生活は、(もともとは)パレスチナの人たちが楽しみ、愛しあい、家族と一緒にいる場所だったのです。今は、ここが拷問の場所になっています。砂浜にテントがたくさん張られていて、砂があらゆるものに入り込んできます。人々の肌は肌焼けしています。子どもたちは、太陽と砂で頬が(乾燥して)ひび割れたまま、歩きまわっています。食べ物の一口一口にも砂が入ってきます。

 

(ガザ地区南部の)ラファに入ってくる食料は、主に缶詰です。そして、そのほとんどは ― 先ほどあなたが暗示されたと思いますし、私も実際に見て、味わったことがありますが ― 明らかに何十年も棚に置かれたままになっていたものです。缶詰の中身は嫌な匂いがしますし、金属的な味しかしません。

 

トイレは他の何百もの家族と共有しているために、毎日、トイレにいつ行くかということを中心に、人々は一日のスケジュールを立てます。衛生面で最善を尽くそうとしても、それは不可能なのです。そして、人々がこのような不潔な暮らしに屈するとき、人々は......たぶん欧米の人たちは、黒人や褐色人種の多くは常時このような不潔な暮らしをしているのだと、衝動的に考えてしまうのだろうと思います。だから、私たちが実際に不潔に暮らしているわけではないことを説明しなければならないのは、少し屈辱的なことです。何カ月もこのような生活を余儀なくされ、子どもたちを守る手段も、希望を与える手段も恐怖を鎮める術もないというのは、想像を絶する卑劣なことなのです。

 

ご承知のように、テントにはプライバシーはありません、なぜなら全家族に行き渡るだけの数のテントがないからです。だから家族はバラバラで、あるテントには何十人もの女性がいて、別のテントには別の何十人もの女性がいるという状態です。そのため、最も配慮(をしてくれる相手)が必要な夜に、配偶者同士が抱き合うことさえできないのです。このような細かな(配慮欠如問題の)ことが、子どもたちや両親、高齢者の集団的トラウマになっているのです。

 

住民には薬がありません。インシュリンが手に入らないため、多くの人が死んでいきます ― ちなみに、イスラエルはインシュリンのガザへの持ち込みを禁止しています。汚染された水を飲んでいるため、下痢で死んでいる人たちもいます。イスラエルは、水処理、浄水器、携帯型の浄水器 ― アメリカ人がキャンプに行くときに使うような簡単な個人用浄水器 ― (の持ち込み)さえも禁止しています。

 

エイミーさん、(社会環境の)悪化は本当にひどいものです。その上、ラファも、日毎、爆撃を受けています。私の滞在中に、爆撃音が聞こえなかった夜は一日もありませんでした。少なくとも一度は、私がいたビルが激しく揺れるほどの近距離が爆撃されたので、私たちのビルが実際に攻撃されたのかと思ったくらいショックでした。でも、それは私がいたビルのもうひとつ向こうのビルだったのです。もう一回は、私たちがいた病院のそばのテントが爆撃されたこともありました。なんと、テントを爆撃したのです。そのテントは、ビサン・オウダ*がいたテントに隣接していたのです。彼女たちは地面に座って食事をしていましたが、砲弾の破片が彼女らの頭上を飛んでいきました。(*訳者注記:ビサン・オウダはガザ地区在住のパレスチナ人ジャーナリストで活動家であり、ドキュメンタリー映画制作者としても有名。)

 

これが日常なのです。誰もが死ぬことを予期し、愛する人を失うことを予期しています。そして実際そうなるのです。そして、もう一つ私が気づいたことがあります。それは、人々が自分の身に起きていること、あるいは起きたことを話すとき、一種の無関心さがあるのです。ある種の自己防衛手段なのでしょうが、自分の精神を麻痺させてようとしているのです。ですから、彼らが一息つく機会を得たときに、これらの悪魔、この恐怖、この心的外傷は、大惨事のもう一つ別の層を形成し、ちょうど失われた世代(の特徴)になるのではないかと思います。

 

エイミー・グッドマン:

スーザン・アブルハワさん、すでにラファが爆撃されているとあなたは言われます。日曜日にはラマダンが始まります。停戦交渉が行われているはずですが、イスラエルのネタニヤフ首相はラファへの全面的な地上侵攻を予告し続けています。これは現地の状況にとって何を意味するのでしょうか?

 

スーザン・アブルハワ:

エイミーさん、想像してみてください。つまり、140万人の人間が、ヒースロー空港の大きさに相当するような狭い地域に詰め込まれた場所で、地上侵攻に巻き込まれるのを想像してみてほしいのです。ガザ地区の通りに出れば、人でギュウギュウ詰めです。つまり、まるでアメリカのコンサート会場にいるような人ごみなのです。しかも年中無休状態です。人々はほとんど歩く場所がありません。車が1ブロック進むのに20分かかるかもしれません。車は徒歩やロバ、馬の往来と競わなければなりませんからね。とにかくギュウギュウ詰めなのです。完全に渋滞している状態です。

 

そしてもうひとつは、賃貸アパートもあるにはあるのですが、人々はアパートを借りるのを怖がります。なぜなら、テントよりもビルが爆撃される可能性のほうがずっと高いからです。テントも爆撃されていますけれどね。でも、これが、なんとか人々ができる選択なのです。

 

ああ、どうなのでしょう......他にどう描写したらよいのか分からないけれど、これはホロコーストなのです。見たこともないような光景なのです。2002年、イスラエルがジェニンで大虐殺を行ったとき、私はジェニンにいました。そのとき私は最悪のものを見たと思いました。ところがこれは、私がこれまでに個人的に見た何ものよりも、またハリウッドのホラー映画で見たものよりも、はるかにひどい状況です。

 

歩いているだけで、外を歩いているだけで、感じるのです。最初に感じるのは、(全てが)ただ一色だということ。灰色なのです。悲惨な灰色なのです。人々の顔は灰色に塗られているような状態です。なぜなら、顔を洗うことができないから。さらには、ガソリンがもうないから、2つの選択肢のうちの1つに頼っています。一つはソラール(Solaar)と呼ばれるもので、汚れたガソリンを混ぜ合わせたものです。もうひとつはシアラージュ(食用油)です。この2つのうち、シアラージュが一番安くて、車を持っている人が使います。恐ろしく酷い臭いがします。あらゆるものに付着します。肺にも付着する物質です。そして将来、この焼却灰による大規模な肺疾患が発生することになるでしょう。破壊によって生じた埃や瓦礫が常に霞のように立ちこめ、それがなかなかおさまりません。通りを歩けば、空気の重さを感じます。他にどう表現したらいいか分かりませんが、息苦しいのです。文字通りの意味でも、比喩的な意味でもね。そして、海に行って少し風を感じようとするのですが、そこにもまた悲惨さがあるのです。

 

エイミー・グッドマン:

あなたが最も関心を抱いているのは草の根運動であり、世界各地であれ、ここ米国であれ、人々が抵抗するために現場で行っていることだとおっしゃいます。ペンシルバニア大学のエリザベス・マギル学長は、反ユダヤ主義に関する質問と議会での論争の的となった証言をめぐって、共和党主導の激しい反発を受け、昨年12月に辞任を表明しました。ペンシルバニア大学の大口寄付者たちは、彼女が学内で開催される「パレスチナ執筆文学祭」の中止を拒否したため、9月からマギル氏の辞任を求めていました。あなたはその文学祭の常務理事ですね。マギル学長は辞任を余儀なくされました。彼女の辞任を発表したペンシルバニア大学理事長は、その後自ら辞任しました。この論争について話していただけますか?これは107日以前から起こっていたことです。

 

スーザン・アブルハワ:

そうですね。つまり、想像してみていただきたいのですが、彼らが文学祭に大騒ぎしたのです。率直に言って、文学祭は私たちパレスチナ人にとって、とても美しい主体性(表現)の瞬間でした。パレスチナのあらゆる地域から、ガザ、エルサレム、レバノンのキャンプ地、ヨルダン、アラブ世界のその他の地域、さらにはアメリカなどへと、48年と67年に離散した芸術家や作家たちが、ナクバ以来初めて一堂に会することができたのですから。私たち全員にとって、この上ない喜びの瞬間だったのです。集まった人々は涙を流しました。こんなことは見たことがありませんでしたし、経験したこともなかったのです。

 

私たちは、パレスチナ刺繍からクィア(性的マイノリティ)文学まで、あらゆることについて語り合いました。作家にインタビューを行い、その著者たちの本についても議論しました。子供向けのプログラムもありました。食べ物や料理の伝統についても話し合いました。素晴らしい写真と芸術作品の展示があり、私たちの生活やパレスチナの先祖の写真、昔に撮られた写真にまで遡ることができました。私たち全員にとって、本当に信じられない瞬間でした。そして、ペンシルバニア大学の建物の壁の中は、計り知れないほどの愛が満ちていました。

 

しかし、外では数週間前から私たちに対して並々ならぬ憎悪が向けられていたことも知っていました。文学祭の期間中、デジタル掲示板がキャンパス内を歩き回り、私を含む多くの登壇者の写真が悪魔のような色に塗られ、私たちをイスラム聖戦士やナチス呼ばわりし、その他の中傷的な言葉でも呼んでいました。

 

そして文学祭の後、評議員の一人であった(ユダヤ人の)マーク・ローワンが、リズ・マギル学長の辞任を評議員の中で最も声高に訴えたのです。彼は億万長者で、ビジネス・ジャーナリズムを書くジャーナリストたちから聞いたところでは、(ジャーナリストたちは)彼をビジネス界の反キリスト者と呼んでいるそうです。しかし、いずれにせよ、この男は全国ネットのテレビ番組に出演し、映画祭について嘘の論説を書きました。つまり、あるとき彼は、私たちがユダヤ人の大量虐殺を呼びかけていると主張したのです。さて、私たちはみな、彼らが内部で(密かに)録音していることを知っていました。これは予想されたことです。(そんなことが行われることは)マルコムX(の経験)から私たちは学んでいます。私はそのことを冒頭のスピーチで述べましたし、私たちを監視するために来るすべての人々を歓迎しました。しかし、(文学祭の期間中は)ローワンはそのような(嘘の)主張らしきものを一度も口にしたことはありませんでした。なぜなら、それは嘘だからです。

 

しかし、彼らはそのような嘘を言い続け、誰もそれに異議を唱えなかったため、事実であるとされてしまいました。そしてマーク・ローワンは、この文学祭を107日の事件にまで結びつけようとしたのです。本当に、うんざりです。でも、これはシオニスト(ユダヤ民族主義者)のプロパガンダなのです。私たちは、それに続いて、(107日のテロ攻撃では)40人の赤ん坊の首をはねたという嘘や、集団レイプを行ったという主張にも悩まされました。ありがたいことに、この問題に注意を払う人々によって、こうした嘘は解体されつつあります。ただ、そうした嘘は止まらないし、異議を唱えられることもないのです。私は、物事に疑問を持つ若い世代に希望を持っています。そして、彼らは、上の世代が続けているような方法で嘘をそのまま受け入れるというようなことはありません。

 

エイミー・グッドマン:

ガザに行かれたときには、スーツケースを幾つも持参されましたね。ガザに持ち込んだものについて話してください。また、スーザンさんは文章を書くワークショップを開きましたね。人々が語った話についても話していただけますか?

 

スーザン・アブルハワ:

薬からおむつ、生理用ナプキン、生理用ウェットティッシュ、ボディ・ティッシュ、石鹸、シャンプー、補聴器の電池まで、たくさんのものを持ち込みました。聴覚障害者の人たちは、補聴器用電池の不足によって壊滅的な打撃を受けています。特にコミュニケーションを補聴器の機能に頼って学んでいる子供たちには、そのせいで学習が後退してしまっているのです。私たちはコーヒーを届けました。それはとても大きな贈り物でした。何カ月もコーヒーを飲んでいない人たちがいたのです。何カ月もコーヒーを飲んでいなかった人たちにとっては、まるで金の箱をプレゼントしたように喜ばれました。持ち込めるものはすべて持ち込みましたし、実際、ガザを去るときには私は着の身着のままでした。人々は文字通り、着の身着のままで家から逃げ出しました。スーツケースに荷物を詰めた人たちも、重くなって道端に置き去りにしたり、兵士に捨てさせられたりしたのです。

 

私たちは肉体的な要求について多くを語ります。なぜなら、飲料水、食料、避難設備はとても重要ですから。しかし、心理的な欲求や知的な欲求もあります。つまり、私たちは単に肉体的な生き物ではありません。ガザの人々は、自分の潜在能力を発揮したいと思っています。現在進行中のイスラエルによる攻撃が、ガザのパレスチナ人をここまで縮小させるために最大限の努力を尽くしたにもかかわらずです。そして彼らは、パレスチナ人をダイエット(減食)させるなどと言っているのです。しかし、このような制約にもかかわらず、爆撃にもかかわらず、パレスチナ人は依然として、再建の道を探ろうとしていますし、大学への進学、学習、ビジネスや仕事を確立する方法も考えています。イスラエルはそれ(パレスチナ人のそうした態度)を嫌っているのだと私は思います。彼らはそれを憎んでいるのです。そして、私はそれが......つまり、この種の憎しみを助長している要因のひとつだと思います。(イスラエルの)社会全体がパレスチナ人の苦しみを喜んでいるように見えるのです。

 

私たちは若者のグループと作文ワークショップを開催しました。彼らはみな、何らかの形で創造的です。彼らが語るストーリーはなんとも悲惨なものでした。率直に言って、彼らの前にいること自体が屈辱的でした。私はある記事で次のように書きました。耐え難いことを耐え忍んでいるのに、それでもなお寛大で親切な人たち、その人たちを前にすると、自分が小さく感じられます。私はこのネックレスと手作りのジュエリーを身に着けていますが、これらは、何も持たず、すべてを失い、どうにかして威厳と寛大さともてなしの習慣を保っている人たちが、私にどうしても受け取れと言ってくれたものです。非常に謙虚な気持ちになります。

 

作文ワークショップは2日間のイベントで、毎日4時間ずつでした。初日は、作文の練習をしたり、作文技術について話したりしました。そして2日目はストーリーを練り上げること。彼らの文章のレベルの高さにはとても驚かされました。私は、これらの作品集を編集することをとても楽しみにしています。なぜなら、この瞬間を生きてきたガザの人々が、まさにこの瞬間を語り継ぐべきだと思うからです。他の誰でもなく、私のような外にいるパレスチナ人でもない。そして私の目標は、私がこれまでの人生で身につけた技術を彼らに提供し、彼らが世界中の人々に向けてこの瞬間について語ることができるようにすることです。私は彼らと一緒にこの本を作り出すのをとても楽しみにしています。

 

エイミー・グッドマン:

そして最後に、スーザンさん、医療界や医療従事者についてお話ししていただけますか?あなたは著名な小説家ですが、医学や科学の分野での背景もお持ちです。病院や救急車の爆撃の打撃、医療従事者、医者、看護師、救急医師などについて語っていただけすますか?

 

スーザン・アブルハワ:

彼らは、今起きていることの多くの矢面に立たされています。医師や行政官の多くがテント生活を余儀なくされています。ですから、ガザに援助要員としてやってくる外国人のために安全性や水道などを確保できる一部のNGOを除いては、安全に生活できる場所はありません。しかも、ガザの医師や看護師の多くは、何カ月も給料をもらっていないにもかかわらず、それでも仕事に出てきます。彼らは疲れ切っています。彼らは弱気になっています。彼らの誰もが、家族や友人、隣人を失っています。彼らの大半は家を失い、避難生活を送っています。彼らはみな、何らかの形で困惑し、この瞬間をただなんとか機能しようとしており、停戦を祈っています。

 

すでに言いましたように、現時点では、停戦は人々の希望が手に届かない高い天井のようなものと思えます。ラマダン(断食月)を間近に控えた今、それは特に深刻です。ラマダン期間中もイスラエルが空爆を続けるというのは......「想像を絶する」と言いたいところですが、私たちはとっくの昔にその最小値のレベルを越えています。この瞬間の重大さをとらえるには、言葉は本当に不適当で不十分です。私が見たものは、この恐怖の全体のほんの一部でしかないことを強調したいと思います。

 

エイミー・グッドマン:

スーザン・アブルハワさんのデビュー作『ジェニンの朝』は32カ国語に翻訳された世界的ベストセラーで、パレスチナ文学の古典とされています。彼女は、児童団体「Playgrounds for Palestine(パレスチナのための遊び場)」の創設者兼共同責任者であり、「Palestine Writes Literature Festival(パレスチナ執筆文学フェスティバル)」の常務理事も務めています。彼女は2週間をガザで過ごした後、ガザを発ったばかりで、エジプトのカイロから私たちに話していただきました。インタヴューをさせていただいたのは、エイミー・グッドマンとフアン・ゴンサレスでした。スーザンさん、ご出演ありがとうございました。

 


2024年3月10日日曜日

再び「加害者に共感」するという歪曲表現について

― 映画『関心領域』の問題提議との関連から考える ―

 

1)「identify(識別する、同一視する)」と「empathize(共感する」の違い

(2)映画『関心領域』が映し出す、壁一枚を隔てた「凡庸な悪」

(3)「デモクラシー・ナウ(今こそ民主主義を)!」が映画『関心領域』のプロデューサーをインタヴュー

 

 

identify(識別する、同一視する)」と「empathize(共感する」の違い

 

前回のブログ記事「核兵器を抱きしめて(5)」の中で、美甘章子がアメリカの精神力動学的心理療法の教授から「同情」と「共感」の違いを教えられ、そこから「加害者に共感すべき」ということを学んだという、彼女の文章を紹介した。その際、美甘が英語原文の用語を誤訳して、「共感」と訳した可能性があると私は指摘しておいた。なぜこんな間違いをしたのか、その英語の原文で使われていた用語がなんであったのかについて、私はその後も推考し続けた。

   英語原文がどんなものであったのか私には知る由もないので、確かなことは言えないが、その用語は「identify」ではなかったか、と思うようになった。「identify」を英和辞書で引いてみると、「確認する、識別する、明確にする、同一視する」といった訳語のほかに、「同じ心境になる」という訳語が紹介されている。辞書によっては「共鳴(共感)する、一体感をもつ」という訳を含めているものもある。

しかし、「identify」を英語の類義語辞典で調べてみるなら、「同じ心境になる」とか「共鳴(共感)する、一体感をもつ」に当たる英語は、類義語の中には全く含まれていない。「同じ心境になる」という意味に近い英語の類義語としては「associate(連想する)」があるが、「共鳴(共感)する、一体感をもつ」に相当する英語の類義語は全く含まれていない。類義語の中に含まれている英語としては、「equate(等しいとみなす)」、「relate(関連させる)」があるが、「共鳴(共感)する、一体感をもつ」とは根本的に違う。

つまり、「identify」は「empathize」とは決して同じではない。「empathize」とは、相手の気持ち(喜怒哀楽)を自分自身の感情として自分の心の中に内面化 ― 感情移入 ― し、感情の上で相手と一体化することを指す言葉である。よって、「empathize」に「共感する」という訳語は適切であると私は考える。

一方、「identify」とは、相手の気持ちに自分の気持ちと似ている点があることを「識別する」ことを指しており、その点で「同一視する」という訳語は間違いではない。「同じ心境になる」という訳語も誤訳ではないが、だからといって、相手と完全に感情的に一体化するという意味ではない。一方、「共鳴(共感)する、一体感をもつ」という訳語は明らかに誤訳で、誤訳にもかかわらず「共感」を使えば「empathize」と混同される危険性があるので、「共感」という訳語は使うべきではない。和英辞書が必ず正しいとは限らないことに注意すべきである。

empathize」と「identify」の英語の元々のこうした意味の違いをはっきりと分かっていないと、辞書だけを参考にして、こうした誤訳をしてしまうので、「英語がおできになるはずの心理学者の美甘章子博士先生も、この類いの誤訳をしたのであろう」というのが私の推測である。いずれにせよ、被害者に対して「加害者に共感することが真の意味での癒やし」になるなどという主張は、被害者を侮蔑するものである。このことの説明はすでに前回のブログ記事で行ったので、ここでは繰り返さない。

 他者に対して残虐な行為を犯した加害者の心理を「identify」するということは、前回のブログ記事でも記しておいたように、「一人の人間がどのようなプロセスを経て残虐行為を犯す犯罪人になったかを理解する」こと ― つまり、そのプロセスを「確認する、識別する」こと ― であって、それはとても重要なことである。なぜなら、「確認する、識別する」ことの重要な目的の一つは、その「確認」を通して、自分自身も同じようなプロセスを経て残虐行為を犯す犯罪人になる危険性を十分持っていること、その同一性を「確認、識別」する ― identifyする ― ことでもあるからだ。状況が変われば、戦争犯罪に加担してしまうことの危険性を、誰しもが持っていること ― ハンナ・アレントが「凡庸な悪」と呼んだ、誰しもが持つ危険性 ― その厳然たる事実を確認すること、それが「identify」なのである。

 自分もそんな残虐な人間=加害者にならないようにするためには、どうしたらよいのだろうか?その答えこそ、倫理的想像力を働かせて、被害者の痛みに「共感する」ことである。前回のブログでも書いておいたが、加害者が犯した残虐行為の被害者の「痛み」を深く理解し、その「痛み」を自分の「痛み」として自分の心の中に内面化し植えつけること ― そのことによって自分が被害者と「痛みの共有=共感」を行うことである、と私は確信する。

 

映画『関心領域』が映し出す、壁一枚を隔てた「凡庸な悪」

 

  ハンナ・アレントが「凡庸な悪」と呼んだものは、ホロコーストのような極端な暴力的残虐行為だけではない。残虐行為が自分の周りで行われているにも関わらず、それに無関心であること、あるいは無視続けることも、広義の意味では「凡庸な悪」であると私は考える。そのことを映像という手段を使って衝撃的に表現したのが、昨年5月から世界各地で上映されて、すでに多くの賞を獲得している映画『関心領域』である。

この映画は、アウシュヴィッツ強制収容所で最も長く所長を務めたルドルフ・ヘス司令官と彼の妻ヘートヴィッヒをモデルにした、マーティン・エイミスの同名の小説を原案とする作品である。映画の原題は「The Zone of Interest」であるが、このZone=領域とは、第二次世界大戦中、ナチス親衛隊が管理したアウシュヴィッツ強制収容所群を取り囲む「40平方キロメートルの地域」をさしている。収容所の所長である司令官ヘスの家族が住む屋敷とは壁一枚を隔てて、アウシュヴィッツ強制収容所がある。屋敷からは壁を隔てて、常に、強制収容所の監視塔や収容棟、それにガス室棟の煙突が目に入ってくる(映画撮影は、実際にアウシュヴィッツで行われたのでないかと思われる)。映画はそのヘス家族のごく日常的な暮らし  ― どこにでもあるような牧歌的で穏やかな日常生活 ― が描かれる。その家族は、壁の向こうの収容所に大勢のユダヤ人たちが収容されており、しばしば聞こえてくる(囚人を銃殺する)銃声や叫び声、煙突からあがる火煙から、何が行われているかを本当は察知しているようである ― ところが、そのことについては一切話題にせず、まるで何ごともないかのように暮らしている。それだけではなく、囚人から取上げた高級毛皮コートや下着までもが、屋敷には届けられてくる。しかし、家族が交わす視線や気配からは、彼女たちが意識的に無関心を装っていることが着実に伝わってくる。

 

子供たちが遊ぶヘスの屋敷の庭から見えるアウシュヴィッツ収容所
 

ホロコーストをテーマにしたこれまでの多くの映画のほとんどが、ナチス・ドイツ軍の残忍なユダヤ人虐待・虐殺を多かれ少なかれ映し出しているのに対して、この映画では、そうした虐待のシーンは全くない。にもかかわらず、時間が経つごとに、観客は、ヘス家族の「普通の生活」が、実は収容所内と同じように、いかに「異常な生活」であるかをジワジワと感知させられる。途中から、実に、異様な空気感が漂ってくる映画作品である。

したがって、全く残酷なシーンはないが、実際には冷酷なホロコースト・ドラマになっているのである。壁一枚隔てた向こう側で、毎日行われている大量虐殺という「人道に対する罪」に無関心を装うことの極端な「異常性」を、「大量虐殺」とはあまりにも非対称的な「穏やかな日常生活」に視点を当てることで、強烈に抉り出し観客に迫ってくる ― このような衝撃的な映画作品は、私が知る限り、これまでなかった。

この映画を観て、私が最初に考えたことは、満州の平房に設置された関東軍防疫給水本部の大規模な医学研究施設で、731部隊が多くの「囚人」を壁の向こう側に監禁して、さまざまな人体実験のために利用したこと ― そこで勤務した医学者や兵員、職員たちが過ごした快適な生活と「囚人の生活」の、両方の「異常性」である。

この映画は、オーストラリアではすでに上映中であるが、日本でもまもなく上映開始になるのではないかと思う。ぜひご覧になることを推薦する。

 

映画『関心領域』

オフィシャル・サイト

https://happinet-phantom.com/thezoneofinterest/

 

しかし、壁一枚隔てた向こう側で行われている「人道に対する罪」に人々が無関心でいるケースは、なにもホロコーストに限ったことではない。現在も行われている同じようなケースの最も典型的な例は、「ガザのパレスチナ人大量虐殺」である。皮肉にも、今回は加害者が、ホロコースト被害者の次世代に当たるユダヤ人たちである。ここでも、文字通り「壁一枚」でイスラエルと隔てられたガザのパレスチナ人が日毎に爆撃、銃撃にさらされ、飲料水・食糧を絶たれ餓死するまでに追い込まれている。イスラエルの政治家や大部分の市民、さらにはイスラエルを全面的に支援している米英両国をはじめとするG7の国々などの政治家や大部分の市民は、これとは対照的に、「穏やかな日常生活」を送っている。

しかもそれらの大部分の政治家と市民は、「壁の向こう側」のガザで起きていることに無関心である。壁のこちら側の我々の「穏やかな日常生活」を、「壁の向こう側」で生死の間を彷徨うような生活を毎日強いられている「異常性」と対比させて熟思してみるならば、平気でいられる我々の生活も本当は「異常」なのではなかろうか。あまりにも対照的な「残虐性」と「平穏性」という二つの世界が並列しているこの世界 ― そのような世界の存在そのものがいかに異常であるのか、その異常性に気がつかない我々自身の「人間としての異常性」!

私たちの日常生活をもう一度見直してみると、実は自分たちのごく身近にも、同じような壁が多く存在している。しかし、それらの壁の存在に無関心であることにすら気がつかないでいる市民が、場合によっては自分自身を含め、自分の周りにいかに多いことか……

例えば、202136日、愛知県名古屋市の出入国在留管理局の収容施設で亡くなったスリランカのウィシュマ・サンダマリさんも、文字通り「壁の向こう側」に入れられて死亡した一人である。学生ビザの在留期限が過ぎ、オーバーステイしていた彼女は、難民申請を行った後、7カ月間も「壁の向こう側」に収容 ― というよりは「監禁」 ― されていた。ウィシュマさんは、仮放免を求めると同時に、繰り返し病院に連れて行ってくれるよう訴えたが、いずれも拒否された。それだけではなく、入管当局は適切な食事と医療すら提供しなかった。ところが、彼女の死因を調査した検察当局は、名古屋の入管施設の局長を含む関係職員13名を全員不起訴処分とした。今も名古屋入館収容所には80人ほどが「監禁」されている。彼女は2007年以降に日本の入管当局の収容施設で死亡した、18人目の外国人だった。現在も、難民を含む多くの外国人(1300人ほど?)が、壁に囲まれた出入国在留管理局の収容施設で自由を奪われた生活を余儀なくされている。

  こうした「異常性」をしっかり囲い込んでいる壁を乗り越え、壁の向こう側にいる人たちと繋がるための第1歩は、「壁で異常な世界を作っている」当事者は誰であるのか、壁の向こう側に閉じ込めた人間の命を奪うという「異常性」を許しているのは誰なのか、そのことに自分の「関心」を向けることであろう。そこから、壁の向こう側に閉じ込められている人たちの苦悩に共感し応えるためには、壁のこちら側という、これまた「異常な世界」にいる自分には何ができるか、そのことに自分の倫理的想像力を働かせることであろう。

 

「デモクラシー・ナウ(今こそ民主主義を)!」が映画『関心領域』のプロデューサーをインタヴュー

以下、インタヴュー全文の和訳である。なお( )内の文章は翻訳をした私の補足説明である。

 

202435日放送

“The Zone of Interest”: Oscar-Nominated Film Producer on the Holocaust, Gaza & “Walls That Separate Us”

https://www.democracynow.org/2024/3/5/the_zone_of_interest_gaza

今日は、第96回アカデミー賞を前に、先月BAFTA賞(British Academy Film Awards英国アカデミー賞)の受賞式スピーチでイスラエルのガザ攻撃の問題に言及した、アカデミー賞ノミネート作品映画『関心領域』のプロデューサーであるジェームズ・ウィルソンをこの番組にお招きする。この映画は、実在したナチス司令官ルドルフ・ヘスの家族をフィクション風に描いており、この家族はアウシュビッツ強制収容所の隣でのどかな生活を送っている。ウィルソン監督によれば、この映画は「組織的な暴力、不正義、抑圧が私たちの生活から遮閉されている」ことの暗喩として作られており、観客にヘスとその妻ヘドウィグ(の生活)同一感を持たせるようにすることで、観客もまた共犯者であると(考えざるを得ないように)迫っている。「この映画のアイデアは、私たちと加害者の間に、相違点よりもむしろ類似点を探すことでした」とウィルソンは言う。(強調:田中)


エイミー・グッドマン:

戦争と平和レポート番組「デモクラシー・ナウ(今こそ民主主義を)!」の、エイミー・グッドマンとフアン・ゴンサレスです。

今日の最後の番組は、ナチス司令官ルドルフ・ヘスの家族が、アウシュビッツ強制収容所の壁の反対側で平穏な生活を送る姿を描いたホロコースト映画『関心領域』(アカデミー賞ノミネート)のプロデューサーにお話を伺います。まずは、この映画の予告編をご覧ください。

 

https://www.imdb.com/video/vi455067417/?ref_=tt_vi_i_1

リナ・ヘンゼル:[俳優 イモーゲン・コッゲ][訳]この花はとても綺麗ね。

 

ヘートヴィッヒ・ヘス: [俳優 サンドラ・ヒュラー] [] そこにあるのはツツジ。野菜もあるわよ。ハーブも少し。ローズマリー、ビートルート、そしてこれはフェンネル、ひまわり。そしてこれがコールラビ、子どもたちが大好きなのよ。

 

少女たち:ヘスの家で過ごした心のこもった時間は、私たちの最も美しい休暇の思い出のひとつです。東方には、私たちの未来があります。国家社会主義者のおもてなしに感謝します。

 

エイミー・グッドマン:

映画『関心領域』は先月、英国アカデミー賞の最優秀音響賞、最優秀英国映画賞、最優秀非英語映画賞の3部門で受賞したばかりです。受賞式のスピーチで、プロデューサーのジェームズ・ウィルソンはイスラエルのガザ攻撃の問題に(次のように)触れました。

 

私のある友人が、先日この映画を観た後、「私たちが自分の生活の中で築いている壁について考えずにはいられなかった」と書いてきました。その壁は、ホロコースト以前に、あるいはホロコーストの最中に、あるいはホロコースト以後に作られたものと違った、別になにか新しくできたものではありません。そして、現在、ガザやイエメンで殺される罪のない人々について、(ウクライナの)マリウポリ*やイスラエルで殺される罪のない人々について考えるのと同じように、憂慮すべきだということが、今まさに私たちに突きつけられているように思えます。

(*ドネツク州の港湾都市:2022年、ロシアによる侵略による2ヶ月余りの激戦で集合住宅の9割が損壊し、人口の8割にあたる35万人が市外に逃れた。現在はロシアの支配下にある。)

 

エイミー・グッドマン:

さてここで、アカデミー賞作品賞にノミネートされた映画『関心領域』などのプロデューサー、ジェームズ・ウィルソンさんにご登場願います。アカデミー賞(発表)授賞式は今度の日曜日です。ジェームズ・ウィルソンさん、アカデミー賞ノミネートと英国アカデミー賞の受賞おめでとうございます。その(映画製作の)経験について、またイスラエルのガザ攻撃とこのホロコースト映画を関連づけた理由について、そして司令官の家とアウシュビッツ強制収容所を隔てる壁について具体的に話してください。

 

ジェームズ・ウィルソン:

ありがとうございます、エイミーさん。おはようございます。番組に呼んでいただきありがとう。さて、なぜ私が、英国アカデミー賞授賞式であのようなことを言ったのかというご質問ですが、つまり、(授賞式挨拶の上記の)クリップ紹介でお聞きになったように、私はこの映画を、イスラエルによるガザ攻撃という現在の瞬間と、107日にイスラエルで起きた罪のない犠牲者の両方に関連づけました。また、イエメンについても触れましたし、ウクライナのマリウポリについても触れました。なぜなら、そのような文脈は、映画のアイデアや映画の問いかけと相互に関連していると感じたからです。映画賞のスピーチで政治的な話をするのは、時に耳障りなこともありますが、これは......さっきも言いましたように、この映画がテーマにしていること、つまり、そう、私の友人が言ったように、私たちが見ないことにしているものから私たちを隔てている壁というものについて話すことが、とても適切だと感じたからです。そして、(この映画では過去と現在の)すべてが一緒になっているのです。もちろん、これは明らかに(映画製作に着手する)前から私が考えていたことなのですが。大勢の人の前で話すのは緊張しました。自分が手掛けた映画で賞を受賞したことは今までありませんでした。でも、この映画のアイデアは、(単に過去に起きたことだけではなく)現在起きていることと相互に関連しているのです。

 

あなたは映画の中の壁の話もされました。1940年代初頭、アウシュビッツが全面稼動していた時期に、ヘス家族が住んでいた素敵な家と庭は、まさにアウシュビッツに(壁一つで)隣接していたのです。そして、映画の中に出てくる、あの状況の中にあるあの壁は、絶対に現実のものだったのです。それはもちろん、私の友人のメッセージが意味していたように、私たちが組織的な暴力や不正、抑圧、あらゆる種類のものを私たちの自分の生活から遮断し排除することで、自分の生活をそのまま続けるための方法の隠喩でもあるわけです。この映画はそのことを問いかけているのだと思います ― 私たちの生活にある壁とは何だろう?私たちの人生にそのような壁はあるだろうか?友人や家族としてではなく、社会的な人々のグループとして、私たちが他の人々よりも気にかけているグループがあるのだろうか?そして、それが事実であることは明らかなように思えます。

 

そして、この映画についてもうひとつ言えることは、私たち(映画製作グループ)は常に、この映画を現代的で、現在を反映したものにしたかったということです。脚本・監督を務めたジョン・グレイズがこの映画を作りたかったのは、この映画(のストーリー)が現在起きているかのように感じさせ、現在を反映させることでした。それは、撮影、演技、音楽、サウンド・デザインといった映画製作の道具を駆使して、現在の緊迫感という没入感を生み出すことであり、現在の私たちを映し出すという、希望に満ちた目的のための手段でした

 

ジョン・グレイズ監督は、この映画がいかに政治的な映画であるかも語っています。107日の凶悪な大量殺戮に呼応して、占領地のガザで罪のない人々の命が奪われ、殺戮が行われています。しかし、ガザやイエメンで殺された罪のない人々や、もちろん他の国々で殺された罪のない人々に対しても、政治的に、少なくとも私たちの政府が、異なるレベルの配慮や態度をとっていることは、世界的に見ても非常に厳しい現実のように思われます。この選択的共感は、何百年にもわたる人類の歴史を象徴するものであり、1940年から45年にかけてドイツで起こったことに限られるものではないのです。だから、あのスピーチの瞬間に、そういうことがすべてひとつになったわけなのです。

(強調:田中 「選別的共感」とは、ユダヤ人犠牲者だけを「共感」の対象とし、他の犠牲者 ― 例えばパレスチナ人犠牲者 ― を対象としないこと。)

 

フアン・ゴンサレス:

ジェームズ・ウィルソンさん、今あなたは、アウシュビッツの司令官とその家族について話されました。理解しがたい恐怖と破壊が起こっている中で、あるいは司令官の指揮下でそうした恐怖と破壊が起きている最中に、主人公であるこの家族が牧歌的な生活を送っていること、それを観客に理解してもらうためには、何が必要だったのでしょうか?

 

ジェームズ・ウィルソン:

まあ、ある意味で、今あなたが特定されたご質問はこの映画の核心であり、この映画の問いかけだと思います。映画の内容は決して論争的なものではありません。この映画には、なにか明らかなメッセージを示すようなものや、きちんとしたリボンで結んであるような(分かりやすい)ものが含まれているわけでもありません。あなたがおっしゃたようなアウシュビッツの司令官とそのパートナーである妻という人々と(自分たちの生活と)のある種の同一性に、観客が寄り添い、相違点ではなく共通点を見出そうとするわけです。ホロコーストが語られる典型的な方法は、ホロコーストの特殊例外主義と呼ばれる言説です。ホロコーストは歴史から切り離され、歴史の外にある特殊な神話的なものであり、まさに(これ以上ない)邪悪で神秘的な出来事として存在しています。そして、そのように(ホロコーストを何物とも比較できない特殊例外と)考えることには、政治的や歴史的な要素が無化されてしまっているのです。だから、この映画のアイデアは、観客である私たちと(そのような特殊例外的な犯罪を犯した)加害者の間に、相違点よりも、むしろ類似点を探すことなのです。(強調:田中)

 

エイミー・グッドマン:

そして、あなたの映画の中の、もう一つのクリップを紹介したいと思います。

 

ジェームズ・ウィルソン:

はい、どうぞ。

 

エイミー・グッドマン:

ルドルフ・ヘス司令官の妻が、自分の母親と語っている場面です。

 

リナ・ヘンゼル:[俳優 イモーゲン・コッゲ][訳]あの壁は収容所の壁なの?

 

ヘードヴィッヒ・ヘス: [俳優 サンドラ・ヒュラー] [] ええ、あれが収容所の壁よ。………

 

リナ・ヘンゼル:[] エスター・シルバーマンも壁の向こう側にいるかもしれないわね。

 

ヘードヴィッヒ・ヘス: [] 彼女はどんな人でしたっけ?

 

リナ・ヘンゼル:[] 彼女の家の掃除人として私が働いた、あの人。

エイミー・グッドマン:

 

ジェームズ・ウィルソンさん、10秒しか残っていませんが、結論を……

 

ジェームズ・ウィルソン:

つまり、最後の重要点をとり上げるならば、(個人的な)願望、家庭での快適さへの欲求、(そのような生活を送る)動機づけや原動力となったものなど、私たちの生活をさまざまな形で反映するような細部や側面を、この映画で探す出すことでした。

 

エイミー・グッドマン:

ジェームズ・ウィルソンさん、ではこのへんで……。映画『関心領域』のアカデミー賞国際映画部門ノミネートおめでとうございます。

エイミー・グッドマンとフアン・ゴンサレスでした。